優しい時間
と奇妙な出逢い








月明かりに照らされた花沢類の寝顔は、とても安らかで、一瞬、幻かと思った。




な、何で花沢さんがここにいるの?!
と言うより、何で私のベッドに―――――――――?!


あまりにありえない、この状況ながら、隣で丸くなって眠っている花沢類をマジマジと見つめてみた。
これが幻で、もしかしたら消えるかも、なんてバカな事まで考える。
でもやっぱり彼が消える事はなくて、静かな部屋の中にスースーと気持ち良さそうな寝息まで聞えてきた。


「…嘘…でしょ?」


自分の置かれている状況が、やっと脳にまで達し、慌ててベッドから飛び出した。
いくら何でも、さっき会ったばかりの男の子と、同じベッドで寝ているなんて冗談じゃない。


「ちょ、ちょっと…っ」


ビクビクしながらも一応、声をかけてみたけど、自分でも驚くほどの小声で、当然、花沢類が起きるはずもなく。
軽く寝返りを打っただけで、また気持ち良さそうに寝息を立て始めてしまった。


ど、どうしよう…体ゆすって無理やり起こした方がいいかな…
それとも西門さん達に頼んで起こしてもらおうか…


ベッドの脇でウロウロしながら、アレコレ考える。
とりあえず今の衝撃ですっかり眠気が吹っ飛んでしまった。


「ダメダメ…彼らに頼んだら、あの男にもバレて何言われるか分かんない…」


不意にあの、人をバカにしたような道明寺司の顔が浮かび、ぶんぶんと首を振る。
あんな男にバレたら引越して来た初日に、男を部屋に連れ込んだ、なんてでっち上げて、おば様に告げ口しそうだ。


(と言って…このままにしておくのは…)


そう思いながら、そっとベッドの上に上がって、彼の方に手を伸ばした。
この際、無理にでも起きてもらうしかない。


「…花沢…さん…?…って、こんな小声じゃ起きるわけないか…」


あまりに気持ち良さそうに寝てるから、つい起こす事を躊躇ってしまう。


「はぁ…困ったなぁ…」


小さく溜息をついた瞬間、思い出したように欠伸が出て、瞳に涙が浮かんでくる。
一瞬、眠気は覚めたものの、やっぱり疲れてるのか、すぐにまた眠たくなってきたのと、
少しづつシャンパンの酔いも回ってきて、頭がボーっとしてきた。


「…もう…子供みたいな顔して寝ちゃって…」


こっちは凄く眠いってのに…ホント、この人って変な人。


「仕方ない…この際、眠れればどこでもいい…」


数回目の欠伸を噛み殺しベッドを降りると、クローゼットにあった、もう一枚の毛布を取り出した。
12月の頭とはいえ、この気温の中、毛布一枚で寝るなんて、と思いつつ、
このお屋敷は全個室に暖房管理がされてるから少しホっとする。
そのまま重たい足を引きずって大きなソファに寝転がった。

「フカフカ…」

毛布もソファも一流のものだからか、特に寝づらい事もなく、私は疲れも手伝って、横になって一瞬で夢の中に引き込まれた。

それから、どれくらいの時間が過ぎたのか、コンコンというノックの音で、私はハッと目を覚ました。


お嬢様。朝食の用意が整いました」


「………?」


その声が耳に届き、次第に意識が戻ってきた。
すると再びコンコンというノックの音がして、「お嬢様?起きてらっしゃいますか?」と声がかかる。


(ん、誰…?いつも私を起こしてくれる人じゃない…)


寝ぼけた頭で、そんな事を考えながら寝返りを打つ。


(…って―――――――――そうだ…ここは道明寺家だった!)


そこで昨日のことを思い出し、「い、今、行きます!」と返事をした。
若干、頭がボーっとするけど慌ててソファから飛び起きると、そのまま出て行こうとして自分がパジャマ姿だという事に気づく。


「いけない…いくら何でも自分ちじゃないんだし…」


クローゼットを開けて見ると、中にはズラリと高価なブランド物の洋服がかけてある。
ちょっと圧倒されつつ、中から真新しい制服を見つけて取り出した。


「英徳の制服だ…」


私が少なからず憧れてた高校の制服で、実際に手にとってみると、やっぱり嬉しく思う。
私がいた山の手女子学院も、相当お嬢様学校だったけど、英徳に比べたら大した事はない。


「やっぱり可愛い」


素早く着替え、鏡の前に立ってみると、眠気も覚めるくらいの気分になる。


「あ、いけない。早く行かなくちゃ…」


時計を見て急いで部屋を出ると、そのままダイニングまで向かった。
その時、ふと何かが引っかかり足を止める。


(何か…忘れてるような…)


「お嬢様、こちらです」
「あ、はい」


そこでお手伝いさんがダイニングから顔を出した。


(ま、いっか。それより昨日は殆ど何も食べてないしお腹が空きすぎた…)


空腹には勝てず、小さな疑問をすぐに消して、私は足も軽やかに中へと入った。


「…遅せぇよ」
「――――――――――――ッ?(な、何でコイツがっっ)」


ダイニングへ入ると、そこには長くて大きなテーブルがあり、そこに何と道明寺司がどーんと座っていた。


「…あ、あなた…」
「何してんだ。早く座って食えよ」
「…え?」
「腹減ってんだろ?いいから早く座れっ」
「………(朝から偉そう…)」


口の悪さにムっとしつつも、仕方なく席に着く。
でも昨日は出て行けとか言ってたくせに、どうしたんだろう。


「あの…西門さんと美作さんは…?」
「あいつらなら早朝に帰ったよ…」


道明寺司はそこまで言うと大きな欠伸をしながら、コーヒーを口にした。
という事は…今朝はこいつと二人で朝食ってこと?!


(冗談じゃない…っていうか食欲も失せる)


思ってもみない状況に少々ゲンナリしていると、不意に道明寺が顔を上げた。


「おい。食わないのか?」
「え?」
「食わないなら片付けさせるぞ?」
「た、食べるわよ…!」


何で、こんな言い方しかできないのかしら、と思いながらも「いただきます」と言って目の前に並んだ料理を口に運ぶ。
こんな奴と向かい合っての食事でも、温かいスープを飲むと空腹のせいか、やたらと美味しく感じた。


「美味しい…」
「だろ?オレんちのシェフは腕がいいんだ」
「………………」


得意げに自慢する目の前の男に、思わず目が細くなる。
それでも食べ物を口にしたせいで、一気にお腹が減ってきて、そのままサラダやオムレツ、パンにも手を伸ばした。
確かに自慢するだけあって、どの料理も凄く美味しい。


(オムレツもふわふわで美味しい…。こんな食事、久しぶりかも)


内心ウキウキしながら道明寺司と会話をするのも嫌で、少しの間、もくもくと食事をした。
が、何となく視線を感じ顔を上げると、道明寺司がジーっと私の顔を見ている。


「な、何…?」


また何か文句でも言うつもりか、と身構える。
が、予想外にも道明寺司はふっと頬を緩ませ、「お前、ホント美味そうに食うな」と苦笑いを零した。
その不意打ちの優しい笑顔に、思わずドキっとする。


「だ、だってホントに美味しいもの…」
「なら、もっと食えよ」
「え、それはあなたの――――――――――」
「司でいい」
「は?」


いきなり、そんな事を言われ、驚いて顔を上げると、道明寺司はほんのり顔を赤くして視線を反らした。


「だ、だから!特別に名前で呼んでいいって言ってんだよっ」
「…名前…?」
「おう。光栄だろ?オレ様の名前を呼べるなんて。普通だったら"司さま"か"司坊ちゃん"って呼ばせるとこだぜ?」
「………(何、言ってんの?この人…)」


そこまで高飛車に言われたら、もう何も言えなくなった。
今少しだけ優しい感じがしてホっとしてたのに。


「おい、。聞いてるのか?」


無視して食事を続けていると、"司坊ちゃん"がムっとしたように身を乗り出した。
私の事まで呼び捨てで、馴れ馴れしい奴…と思いながら顔を上げる。


「聞いてるわよ。"司坊ちゃん"」
「な…何だよ、その言い方はっ」
「別に。私があなたの事、呼び捨てるなんて失礼でしょ?どうせ居候の身なんだし」
「何ぃ〜?」
「それに私はあなたの事、呼び捨てる気もないし、出来れば会話もしたくないの」
「あぁ?」


それだけ言ってナイフとフォークを置くと、静かに椅子から立ち上がった。


「ご馳走様」


顔を真っ赤にしている道明寺にそう告げると、私はダイニングを出て行こうとした。
その時、「おい!」と呼び止められ、足を止める。


「き、昨日のこと、まだ怒ってんのかよ?」
「…当たり前じゃない。あなたは親のこと侮辱されて平気なの?」


言って振り返ると、道明寺を睨みつけた。
すると彼は予想外にも視線を反らし、「……分からねぇ。んなこと言われた事もないしな」とだけ答える。
そう言われて驚いたが、でも確かに天下の道明寺財閥の社長の悪口を、息子に言う人間はいないと思った。


「それに親なんか…殆ど一緒に暮らした事もねぇし、大切とか…思った事もねぇからよ」
「…え?」
「…子供の頃から…姉貴と二人暮しみたいなもんだったからな」


そう言っている道明寺は、少しだけ寂しげに見えた。
こんな広い家にお姉さんと二人だけで暮らして、親の愛情も感じられず育ったなら、
こんな性格になるのは無理ないのかもしれない、とふと思う。


「でもよ…姉貴のことは…もし誰かに侮辱されたら…やっぱ腹立つかもしれねぇ」


そう言うと、道明寺はふと私を見た。
その真っ直ぐな視線にドキっとする。


「その…昨日は悪…」
「…?」
「悪…」
「……は?」


てっきり謝ってくれるのかと思ったのに、道明寺は視線を泳がせ、言葉を濁している。


「何が言いたいの?」
「う、うるせぇな!オレは人に謝ったことねぇんだよっ」
「はあ?」


真っ赤になって怒鳴る道明寺の言葉に思わず、目が細くなった。


「何よ、それ。どういう性格してるの?自分が悪いと思ったなら"ごめんなさい"って言うのが常識でしょ?」
「う、うるせえ!偉そうに説教たれんなっ!」
「偉そうなのはどっちよ!」
「何だとぅ?そ、それよりお前が先に謝れ!」
「何で私があなたに謝らないといけないの?!」
「ぶん殴っただろうが!」
「当たり前でしょっ?誰だって、あんな酷いこと言われたら殴るわよっ」
「オレは姉貴以外の女に殴られたことねぇんだよ!」
「あ、そう!きっと皆、殴りたいのを我慢してるだけなのねっ」
「何だと、コラァ!」
「もう話もしたくない!」


そう言ってダイニングを飛び出すと、「おい待て!」と怒鳴る声が聞こえた。
その声も無視して一気に部屋へと戻る。


やっぱりムカつくわ、あの男!
何なのよ、あの態度!何で私が先に謝らないといけないわけ?順序が逆じゃないっ
あいつが素直に謝れば私だって殴ってしまった事、謝ろうかと思ったのに!
人に謝った事がないなんて、ホントどんな常識してるの?
一瞬でも同情しちゃってバカみたい。
昨日より…少しは優しいあいつに、ほんのちょっぴり嬉しいと思ったのに。

「あーイライラするっ」

朝から、こんなにイライラしてたら、体に悪いんじゃないかしら、と思いながら部屋に入った。
そこでソファに座り、思い切り溜息をつく。


「ホント疲れる…」


これから毎日あの男と顔を合わすのかと思うと、本気で嫌になってきた。
しかも学校まで同じとなると、心の休まる場所が殆どないという事になる。


「最悪…」


そう呟きながらソファに寄りかかる。
その時、手に毛布が触れて、ハッとした。


「いけない、片付けなくちゃ…」


それで学校に行く準備をして…と考えながらクローゼットに毛布をしまう。
が、そこで、ふと小さな疑問が浮かんだ。


あれ…そう言えば私…何でソファで寝てたんだっけ…
この部屋には確かキングサイズのベッドがあって…


夕べ、眠くて眠くてソファに倒れるようにして寝た事は何となく覚えている。
けど何でだったか、という事が、もやがかかったように思い出せない。


「昨日のシャンパンのせいかな…」


溜息交じりで立ち上がり、学校に行く準備をしようと部屋の奥へ歩いていった。


「――――――――――あ!」


その時、ベッドが視界をかすめ、そこで一気に夕べの事を思い出した。


「嘘…でしょ?」


布団に埋もれるようにして見え隠れする栗毛色の髪が、窓から入る日差しでキラキラと光っている。
その光景に慌ててベッドへ駆け寄ってみれば――


「花沢…類…」


そこには未だスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている、花沢類の姿があった。


「まだ…寝てたわけ?」


そこに驚いたが、この状態をすっかり忘れていた自分にも本気で呆れた。


「ちょ、ちょっと!起きてっ」


こんな状態のまま学校にも行けないし、彼だって登校しなくちゃいけないはずだ。
慌ててベッドに上がると、彼の体を揺さぶってみた。


「ん…」
「花沢さん…起きて!朝よ?」
「…ん〜…」


夕べは躊躇ったけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
放ったらかしておいたら、掃除に来たお手伝いさんか誰かに見つかってしまうかもしれない。
そうなったら、あのバカボン(!)にまでバレて、また面倒な事になりそうだ。

心の中で焦りつつ、思い切り彼を揺さぶる。
なのに花沢類はかすかに唸るだけで一向に起きる気配がない。


「花沢さん…!花沢…類!起きろー!花沢類っ!」


思い切り叫びながら、彼の肩をガクガクと揺すってみる。
すると、「んぁ…?」と声を漏らし、彼の目が僅かに開くのが見えた。



「起きた?花沢類、もう朝――――――――」



「静…」



「――――――――――ッ」



一瞬、何が起きたのか分からなかった。目を開けて彼が微笑んだ、と思った瞬間。


すっと腕が伸びてきて、私の体はその中へと吸い込まれていった――――――――――







ちょ、ちょっと何これ?!
何で私、朝から男の人に抱きしめられてるの――――――――?


朝日の入るベッドの上。
そこで眠る花沢類を起こそうとしてたのに、今、私はその彼に強く抱きしめられて身動きが取れない状態。


「ちょ、っと…花沢さん…っ離し――――――――」
「…静…」
「……は?静?」


花沢類は寝ぼけているのか、私を抱きしめながら耳元で小さく呟いた。
そこで夕べの話を思い出す。


藤堂商事の社長令嬢、藤堂静――――――――――


花沢類は彼女以外の女に心を開かないと、昨日西門さん達が話してたっけ。
もしかして…私を、その静さんと間違えてるの?
という事は…その静さんと、この花沢類はもしかして…こういう関係ということ…?!


「うわ…ちょっと…違うってば!私は静さんじゃないのっ」


これじゃマズイと、今まで以上に力を入れて腕から逃れようとした。
が、その時、バン!という凄い音と共に、ドアが開いて―――――――――――




「おい!!話してる途中で出てくって、どういうつもり――――――――――」


「―――――――――――ッッ?!(道明寺司―――――――――!)」




その突然の来訪に私は思い切り固まってしまった。


「うぉ…ッ!!お、お、お前!!!」
「ち、違うの、これは―――――――――」
「何が違うってんだ、その状況でっっ!!」


見れば道明寺は耳まで真っ赤にして、つかつかとこっちへ歩いて来た。
思わず殴られるかも、という迫力に、私は慌てて花沢類から離れようともがくも、彼の力が強くてびくともしない。


「てめぇ…人んち来たばっかで男を連れ込むなんて、いい度胸じゃねぇか…」
「ち、違うんだってば…彼は――――――――――」
「うるせぇ!この淫売が!!とっとと出てけ!!」
「――――――――――きゃっ」


思い切り首根っこを掴まれ、グイっと引っ張られたと思った瞬間、私は勢いよくベッドの下へと落下していた。
ドシンっとしたたか腰を打って、その痛さで思わず涙目になる。
こんな扱いをされたのも生まれて初めてで、あげくヒドイ言葉で罵られた事も初めてだ。

(淫売…淫売?!冗談じゃないわ、この男!!淫売どころか、私はまだ処女よっっ!)

「ちょっと、あなた!!勘違いもほどほどに―――――――――――」

「うるせぇ!!!どこのどいつだ、この男―――――――――――!!」


ばさっっと布団を捲った瞬間、道明寺が息を呑むのが分かった。

「…類…っ?」

どうやら寝ていたのが花沢類だと気づかなかったようだ。
道明寺は怖い目で私を見下ろすと、いきなり腕を引っ張った。


「…痛っ」
「てめぇ…類を誘惑したのか…あぁ?!」
「ち、違うわよ!夕べ戻ってきたら彼がここで勝手に寝てて―」
「うるせぇ!オレの親友を誘惑するなんて許せねぇ…人が甘くしてりゃいい気になりやがって―――――――――――」
「違うって言ってるでしょっ!人の話を聞きなさ―」


「あれぇ…?二人とも…何してんの…」


「「――――――――――――ッ?!」」


この騒ぎで起きたのか、花沢類が目を擦りながら体を起こした――――――――――











「………」

学校へ行く車(リムジン)の中、チラっと隣に座る道明寺司を見る。
彼はまだ不機嫌そうにムスっとした顔のまま、黙って窓の外を眺めていた。
さっきの事は、とりあえず花沢類が道明寺に説明してくれて、誤解は解けたものの、その後、この男は気まずいのか一言も口を利こうとはしない。


だいたい花沢類もゲストルームと間違って勝手に寝ちゃっただなんて信じられない。
しかも…静っていう人と間違えて私を抱きしめただなんて…
あげく道明寺に変な誤解をされ、ベッドから落とされて、未だにお尻が痛い。
あんな乱暴を受けたのだって初めてなんだから…


「ごめんね。オレ、眠いと思考能力低下するんだ」


あの、ほんわかとした口調で言われると怒る気も失せてしまう。
眠いせいで部屋を間違えたあげく、寝起きに彼女と間違えたという事か。
…はっきり言って勘弁して欲しい。
おかげで、もう少しで道明寺家から追い出されるとこだったんだから。


未だムスっとしている道明寺司に、内心溜息をつきつつ、車がゆっくりと停車するのを見てホっとした。


「到着しました」
「おう」


運転手の声に道明寺が先に下りる。
が、すぐに、「早く来いよ」と彼の腕が伸びてきて、無理やり引きずり出されてしまった。


「痛いわねっ!いちいち引っ張らないでよ、バカ力っ」
「んだとう?!お前こそ、いちいち逆らうなっ居候のくせにっ」
「……居候、居候って言わないでよ!」
「本当のことだろうが!」


車から降りた瞬間、ケンカになり、いい加減ウンザリする。
が、そこでハッと辺りを見渡せば、登校してきた他の生徒の注目の的になっていた。


「ちょっとーぅ!何、あの女!道明寺さんと一緒の車で登校してきたわーっ」
「嘘ーまさか…か、彼女?」
「でもあんな子、うちの学校にいた?!見たことないわよっ」
「誰よ、あの女ー!道明寺さんと、どういう関係?!」


「チッ!うぜぇ…先に行くぜ」
「か、勝手に行きなさいよっ」


そう言いながらも周りの騒ぎっぷりに私は呆然とした。


(こんなに人気あるわけ?このバカボンが?)


女の子の黄色い声に道明寺は軽く舌打ちをすると、そのまま校舎の方に向かって歩いていく。
私は私で、この学校の女生徒は男を見る目があるんだろうか?と本気で疑問に思った。(あの男のどこがいいの?!)
その時、道明寺がいきなりふと足を止めて振り返った。


「おい…」
「な、何よ…」
「一人で…職員室行けんだろ?」
「い、行けるわよ。子供じゃあるまいし」


そう言い返すと道明寺は僅かにムっとした顔で目を細めた。
が、すぐに視線を外すと、


「さ、さっきは…」
「え?」
「わ…悪…」
「……何?」
「悪…か…」


はあ、と溜息が出た。
これじゃ今朝と同じじゃないの。
どうして"ごめん"の一言が言えないかな。


「誤りたいならはっきり言ってよね」
「―――ッ?!誰が謝るか、このクソ女!!」
「な…」
「じゃあな!せいぜいイジメられねーようにしろっ!何せオレは人気者だからなっ」


道明寺はそう怒鳴ると、大またでズンズンと歩いていく。


(何あれ…)


それを見て唖然としてしまった。


(何が人気者よ!自分で言うなっての!)


内心そう突っ込みながら、道明寺の背中に向かって、べぇー!っと舌を出す。(はしたない)
そんな私を見て、周りの生徒達がクスクス笑いながら歩いていった。


「見たぁ?今の…。あんな子が道明寺さんの彼女なわけないわよ」
「そうよねー。どうせ親戚か何かでしょ?現に道明寺さんだって先に行っちゃったし」

「………………」


(さっそく悪口…か。確かに親戚ってのは当たってるけど)


セレブといった感じの女の子達が私を笑いながら歩いていくのを見つつ、小さく溜息をついた。
こんな事、前の学校じゃなかった事だ。
あいつと関わってると、自分がどんどんガサツな女になっていきそうで、本気で嫌になってきた。


「…冗談じゃないわ。あんな奴、もう気にしないで無視よ、無視」


腹立たしい気持ちを抑えつつ、そう呟いて気合を入れる。
道明寺司以外の事を考えれば、憧れの学校なだけに少しだけワクワクするし、新しい友達が出来れば楽しく過ごせるかもしれない。


そうよ。気持ちを切り替えて生活しないと、あいつに流されるだけ。
そんなのもったいないじゃない。


そう思いながら軽く深呼吸をすると、職員室に向かって歩いていく。


まさか、この憧れの学校が、道明寺率いるF4に支配されているなんて、この時は思いもしなかった。










「…です。宜しくお願いします」


そう挨拶をして席に座る。
こんな時期の転校生なだけあって、注目されたけど、皆の関心は別のところにあるようだ。


「ねぇ、さん。今朝は道明寺さんと一緒に来たって聞いたけど…ホント?」
「え?あ…うん、まあ…」
「えー嘘ー!どういう関係なの?」
「えっと…遠い親戚というか…」
「えぇ?そうなの?羨ましいー!」


休み時間、クラスの女の子達に囲まれ、質問攻めにされつつも、話しかけてもらえた事にホっとする。
ただ会話が、あの男の事に集中して、少しだけ顔が引きつった。


「え、でも一緒に登校してきたって事は…付き合ってる…とか?」
「ま、まさか!ありえないわ?」
「えーどうして?道明寺さん、最高じゃない!道明寺財閥の跡取り息子だし、それだけじゃなくて美形で身長も高くて、言う事なしよ?」
「は?」
「そうよー!うちの学校でも狙ってる子、多いのよ?」
「……狙ってるって…あのバカ…じゃなくて、あの道明寺を…?」
「「「「もちろん!」」」」


(このクラスにまで、アイツのファンがいるのか…)


私の問いに、女子全員が頬を染めて頷いたのを見て、内心ゲンナリした。


「もしかしてさんが転校初日だからって道明寺さんが付き添ってくれたの?」
「嘘ー道明寺さんてば優しいー♪」
「え?あ、いやそういうわけじゃ…。今、アイツの家にお世話になってて―――――――」
「「「「「えぇぇっ?!道明寺さんのお宅にっ?!!」」」」」
「―――――――――ッ!(ギョ)」


どうやら私は余計な事を言ってしまったようだ。
女の子達の瞳がキラキラして行くのを見ながら、このままダッシュで逃げてしまいそうになる。


「じゃ、じゃあ…さんは道明寺さんと…今一緒にお暮らしになってるの?!」
「お、お暮らしって言うか…」
「キャー!嘘ー羨ましすぎるぅー!」
「ねね、道明寺さん、家ではどんな感じ?是非お聞きしたいわっ♪」
「私もー!今度、招待して〜♪」
「え、あの、ちょっと…」


ググっと迫ってくる女の子達に少しばかり恐怖を感じ、慌てて椅子から立ち上がった。


「わ、私の家ってわけじゃないし…勝手に招待とかは…」
「あら!一緒にお暮らしになってるんだもの。家族同然でしょ?」
「…あ…あの」


家族同然?!アイツと私が?冗談じゃない!
アイツなんか私を居候扱いしかしないわよっ


心の中でアイツに言われた数々の暴言を思い出し、つい笑顔が引きつってしまう。
ちょうどその時、授業を告げるチャイムの音が聞こえて、ホッと息をついた。


「あーん、残念!あとで一緒にランチしましょう?その時にまた是非お話お聞きしたいわ♪」


女の子達はそう言いながら自分の席へと戻っていった。
やっと一人になり、一気に汗が出てくる。
こんな感じで毎日、アイツのこと根掘り葉掘り聞かれるのかと思うと、ここも安住の地ではないとガックリきた。


どこに行ってもアイツがついてまわるんだ…
学校だけは道明寺司から離れていたいのに…


溜息交じりで授業の用意をすると、私は深々と息を吐いた。


それから授業が終わるたび、彼女達は私の席にまとわりついて、道明寺のことを質問攻めにしてきた。

"道明寺さんのお部屋はどんな感じ?"とか、"道明寺さんて本命の彼女がいるのかしら?"とか、
"F4の皆さんはいつも遊びに来る?"とか…

そんなの知るかッッッ!!!と何度、怒鳴りたくなった事か。(ああ…私、こんなキャラじゃなかったのに)
だいたい昨日、会ったばかりなのに詳しい事なんかわかるわけもない。


そんなこんなで時間は過ぎ、とうとう恐怖のランチの時間になった。
せっかくの昼食を、また彼女達の質問攻めにあいながら取るのかと思うと、正直ゲンナリしてくる。
その時、勢いよく教室のドアが開き、クラス全員が一斉に振り返った。



!いるか?」


「――――――――――ッ?(げっ!!道明寺司!)」




堂々と一年のクラスに顔を出した道明寺に、私はその場から逃げ出しそうになった。
が、その瞬間…



「「「「「「「「キャァァァッ 道明寺さんよぉぉぉぉー」」」」」」」」


「………………ッ!!」



クラス中の女の子がハート付きで叫んだんじゃないかと思うような黄色い声が、教室の中に響き渡った。


さん!道明寺さんよ?もしかして一緒にランチの約束をしてたの?!」
「えっ?ま、まさか!私は知らない――――――――」
「おい!オレが呼んだらサッサと来い!」
「…むっ」


またしても偉そうに怒鳴ってくる道明寺にカチンと来て椅子から立ち上がる。


「何?私、これから彼女達と一緒にランチする約束――――――――――」
「いいのよ〜!さん!道明寺さんと約束してたなら、一緒に食べてらして?」
「え?!で、でも――――――――」
「そうよ〜!それにカフェテリアで会えるし、遠くから見守ってるわ〜
「…は?」
「ほら道明寺さんが、お待ちよ?行ってらっしゃい!」
「え、浅井さん、ちょ、ちょっと―――――――――」


グイグイと背中を押され、私は結局、道明寺の目の前に突き出されるハメになった。


「モタモタするな!」
「な、何よ、偉そうに――――――――――」


「またケンカ?」
「少しは優しくしろよ、司」
「………」
「あ…」


廊下に出た瞬間、そこには道明寺だけじゃなく、花沢類、西門さんに美作さんがいて、ギョッとした。
しかも気づけば一年全クラスの女子が廊下に顔を出し、キャーキャーと黄色い声を上げている。


「きゃ〜F4全員揃ってるわー
「あーん、西門さーん、カッコいい〜
「私、美作さん!優しそうで素敵っ」
「やっぱり花沢さんでしょ?繊細な美少年って感じ〜!」
「えー?私は道明寺さんのダークな魅力がたまらないわー


「………(どこがっ?)」


ありえない歓声に内心、毒を吐く。


他の3人はいいとして…道明寺司のどこがダークな魅力?!
ただの勘違い男で暴言吐きまくりなバカボンじゃない。(ヒドイ言いよう)


「おい、行くぞ!こんなうるさいトコ、長々いられっかっ」
「え、ちょ、ちょっと!どこ行くのよっ」
「あぁ?どこってランチだよっ」
「な、何で私があんたなんかと―――――――――」
「光栄だろ?オレとランチなんて。お前みたいな居候、誘ってもらえるだけありがたいと思えっ」
「…な…ッ(カッチーン!)」


あまりの言い草に腹が立ち、思い切り腕を振り払った。


「いい加減にして!何なの?さっきから偉そうに!私はあなたの所有物でも何でもないわっ!」
「…何だとっ?居候のクセに、何様だっ!どんな女もオレが誘えばありがたがるんだぞっ!」
「何様も何もないわ!確かに私はあなたの家に居候してるけど…あなたなんかに誘われてホイホイついていくような女じゃないっ!」
「……ッ」
「あなたの周りにいるような女と一緒にしないでっ!」


思い切り力の限り怒鳴ってやると、心の底からスッキリして、そのまま、その場から走り去る。
道明寺も、そばにいたF3も、周りにいたミーハーな女子達も、皆がポカンとした顔で私を見てたけど、知るもんか。


いくら倒産したとはいえ、私は商事、社長の一人娘だ。
あんな地位とかお金でしか、人をはかれない苦労知らずのバカボンになんか、絶対に屈しないんだから。


込み上げてくる苛立ちを振り切って、私は走った。







「な、なぁにぃ?あの女!」
「最低ー!いくら道明寺さんの親戚だからって、あの言い草は許せな〜いっ」
「あの道明寺さんに、あんな口きくなんて、どういう神経してるのかしらねぇ〜」


が走り去った後、周りにいた女生徒から、陰口が洩れ聞えてくる。
それを聞いて総二郎とあきらは苦笑いを零した。


「あーあ。これで彼女も有名人だな」
「でも言ってることは間違ってないぜ?彼女は司の彼女でも何でもないし、あんな偉そうに言われたら誰でもキレる」
「そりゃそうだな。ってか…司の奴、また固まってるぜ?」
「ああ…しかも何か顔赤くねぇ?」


そう言いながら呆然と立ち尽くす司に目を向ける。


「おい司…大丈夫か?」
「昨日に引き続き、女に怒鳴られた事もないからショックだとは思うけど―」
「ち…ちきしょう…あの女…」
「「え?」」
「絶対、オレに跪かせてやるっっ!覚えてろ!ふははははっ!」


司はそう言って高笑いをすると、フラフラと歩いていってしまった。
その後姿を、総二郎とあきらは唖然としたまま見送り、深々と溜息をつく。


「どうしたんだ?アイツ…あまりのショックに壊れたか?」
「別に彼女をそっとしとけば怒鳴られたりする事もねぇのに。何でいちいち絡むんだ?」
「自分に逆らう女が珍しいんじゃねぇの?…しかしちゃん、いいねぇ。あの気の強さが気に入ったよ、オレは」
「出た…。総二郎…お前やめろよなぁ…。彼女は司の親戚だぞ?」
「いいじゃん。オレ、ああいう自分をしっかり持ってる子って好きなんだよ。お嬢には、なかなかいないぜ」
「いや確かに可愛いけどさ…。おい、類。お前も何か言えよ」


そう言って今の今までボーっと後ろに立っていた花沢類に声をかける。
が、類は大あくびをすると、「オレ、眠いしランチはいいや」と呟いて、一人ノソノソと歩いていってしまった。


「何だよ、アイツ…。あれだけ寝たのに、まだ眠いのか?」
「はあ…。アイツに言っても無駄だろ。それよりオレたちもカフェテリアに行こうぜ。腹減った」


総二郎はそう言いながら、あきらと一緒に、司の後を追いかけた。








ぐうぅぅ…

外に出たところでお腹が鳴って、思い切り溜息が出た。


「はあ…走ったらお腹空いちゃった…。今朝もアイツと一緒だったから、あまり食べられなかったし…」


そう言って非常階段のところに蹲る。


「でも…こんな場所があったんだ…」


学校の敷地内を見渡せるその場所は、人気もなくて何となく落ち着く。
道明寺から逃げ出したはいいものの、さっきから廊下で色々な人に声をかけられ、
ウンザリして逃げ込んだところに、この非常階段があったのだ。


「もう…アイツのせいで私まで目立っちゃったじゃないの…」


私は前の学校みたく普通の生活が送りたかったのに。
これじゃ友達なんか出来そうにない。
色々な子に話し掛けられるけど、それは私に興味があるからじゃない。
私のことより…アイツの事を聞きたいから近寄ってくるだけだ。


「…最低…」


誰一人、私の事を聞いてくる子なんかいなかった。
皆の目当ては、F4のリーダー、道明寺司…それだけ。


「あんな男のどこがそんなにいいのよ…。皆、騙されてるんじゃないの?」


「…誰の事?」


「だから、あのバカボンに決まって―――――――――ッ?!」


そこで振り返り、ギョっとした。


「バカボン…?」
「花沢…さん…っ?」


そこにはキョトンとした顔で、花沢類が立っていた。


「あはは…もしかして…バカボンって司のこと?」
「え、えっ?あ、あの…」
って面白いね。司にあれだけポンポンものを言う子、今まで見たことないよ」


花沢類はそう言ってクスクス笑うと、その場に座り込んだ。
壁に寄りかかって足を投げ出している彼を見て、ちょっと驚いていると、「座ったら?」と微笑まれドキっとする。


(この人も一応、ボンボンなのに、こんな場所に座り込むなんて変な人…)


そう思いながら、つられて私もその場に座った。


「これ、食べる?」
「え…?」
「お腹、空いてるんでしょ」


そう言って花沢類が差し出した袋の中身は、沢山の調理パンだった。


「これ…」
「司がいるカフェテリアに行きたくないだろうと思って売店で買ってきた」
「え…それって…」


私のため――――――――?


「何が好きか分からないから適当に買ってきたんだけど…良かったかな」
「え、うん…って言うか…どうして…?」
「何が?」
「だから…どうして…私に?」


相変わらずボーっとしながら私を見ている花沢類に思い切って聞いてみると、彼は困ったように軽く目を伏せた。


「今朝…迷惑かけたみたいだし…」
「え?あ、ああ…あれは…もう気にしてないのに…」
「でも…オレが間違えたせいで司に言われなくてもいい暴言はかれただろ」
「あれは…いいの。もう慣れたって言うか…。あんな奴、気にしない事にしたから」


そう言って苦笑すると、花沢類はふっと頬を緩ませ微笑んだ。
その柔らかい笑顔に思わずドキっとする。


「強いね、君は」
「え、そんな事は…。ただ…父の会社の事とかもあったし…強くならないと、とは思ってるの。それだけよ」
「ふーん…そっか」
「花沢さんは…どうして、あんな奴と友達なの?何だかタイプが全然違う気がするんだけど…」


恐る恐る、気になっていた事を尋ねると、彼はキョトンとしたように目を丸くした。


「類でいいよ」
「…え?」
「名前」
「で、でも年上だし、一応…」
「そんなの関係ないし、オレもって呼ばせてもらうから」
「…へ?」


彼に名前を呼ばれ、何故か鼓動が早くなる。
この独特の空気がそうさせるのかな、と思いながら顔を上げると、花沢類は小さく欠伸をしている。
その様子も何だか彼らしくて、ふと笑みが零れた。


「で…何だったっけ…質問」
「え?あ…だからその…」
「ああ…どうして司と友達かって?」
「う、うん…」


この花沢類と、あの猛獣のような男が昔から仲がいいなんて、ちょっと信じられない。
そう思いながら返事を待ってると、花沢類は暫し考えながら、いきなり苦笑いを零した。


「司、あれでも結構いいとこあるんだ。まあ…昔から色々と意地悪はされたりしたけど…あれで悪気はないっていうか」
「…悪気だらけにしか思えないけど…」
「あははっ。まあ…そう見えるだろうけど…司は不器用なだけだよ」
「不器用…?」
「うん。まあ…小さい頃からお姉さんと二人きりで育ったようなものだし…屈折してるっていうのかな。オレも…人の事言えないけど」


花沢類はそう言って笑うと、ふと懐かしそうに目を細めた。


「オレの場合は…助けてくれた人がいたから、まだマシかな」
「…助けて…くれた人…?」
「うん。オレ、子供の頃、すっげー暗いガキでさ。親が厳しかったからっていうのもあるけど…いつも追い詰められてるような生活で毎日苦しかった」


花沢類は一つ一つ思い出すように、静かに話し始めた。
彼の優しい声を聞いていると、何だか心が休まり、彼の持つ独特の空気に私まで包まれていく気がする。


「でもそんな時、オレを色々なとこに連れ出してくれた人がいて…少しだけど強くもなれたんだ」
「…もしかして…静さん…って人?」
「…うん」


私が訪ねると、彼は照れ臭そうに微笑んだ。
その時の彼の瞳が、凄く優しくて、本当にその静さんという人を大切に思ってるんだと分かる。


「…恋人…とか?」
「…………」


私の問いに、花沢類は目を伏せて、ゆっくりと首を振った。
急に彼の顔から笑顔が消えて、今は何となく寂しげに見える。


「……違うよ」


その言葉に顔を上げると、花沢類は困ったように笑った。


「オレは好きだけどね。ああ…には…今朝の事でバレちゃってると思うから言うんだけど」
「え…?あ…」


(そ、そう言えば私、花沢類に抱きしめられたんだった!)


その言葉に今朝の出来事を思い出し、顔が赤くなる。
そんな私を見て、花沢類は申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん。オレ…寝ぼけたみたいで―――――――――」
「い、いいの!別に気にしてないし」


そう言って笑って誤魔化した。
でもホントは…思い出したら急に意識してしまって、彼の腕の強さとか、体温を思い出しただけで勝手に顔が熱くなっていく。
あんな風に男の人に抱きしめられたのは初めてだったから―――――――――


その時、花沢類が不意に苦笑いを零した。


「オレ…こんなこと話したの、初めてかも」
「え…?」
「司たちにも…話したことないのに」


彼はそう呟くと、ふと顔を上げた。


「ああ…食べたら?お昼休み終わっちゃうよ」
「あ…うん…。ありがとう…」



優しい瞳と目が合ってドキっとした。
何だか彼と話してると、心が安らぐ気がする。


ホントに…花沢類は…あの時の男の子じゃないんだろうか。
そうだったら…ちょっと…嬉しいんだけどな。


ふと、そんな思いが胸を過ぎった。








次の日の朝、私は道明寺よりも先に家を出た。
アイツと登校するとろくな事がない、と初日に分かったからだ。
しかも昨日のケンカが原因なのか、午後の授業で教室に戻った時、心なしかクラスメートの視線が冷たかった気がした。


私には全然分からないけど、アイツが英徳で凄い人気があるのは分かった。
だったら、いくら一緒に住んでようと、なるべくアイツとは関わらない方がいい。


そう思いながら靴箱を開けると、一瞬、自分の目を疑った。


「靴が…」


その小さな箱の中をどれだけ確認しても、私の上履きはどこにもなかった。


「何で…?」


こんな事は初めてで、訳が分からず、辺りを見渡した。
するとクスクスと笑う声が聞こえて、


「あら、さん、おはよう」
「…浅井…さん?」
「どうしたのぅ?そんなとこでボーっとして」
「今日は道明寺さんと一緒じゃないの?」
「鮎原さんに…山野さん…」


後ろから現れたのは、昨日何度も私に話しかけてきたクラスメートの3人組みだった。


「あの…上履きがなくて…」
「え〜?あらぁ、ホント」
「どうしたのかしらねぇーえ」
「誰かのイタズラじゃない?」
「…イタズラ…?」


何で私がイタズラされなくちゃいけないんだろう、と戸惑っていると、3人はニヤニヤしながら歩いて来た。


「ほら、あなた道明寺さんと親戚だって言うし、仲がいいのかと思ったけど…実際には仲が悪いんでしょう?」
「え…?」
「そう、それに親戚といっても、凄く遠いらしいじゃない。昨日、道明寺さんがおっしゃってたわ?」
「ホント騙されたわよねぇ?私、昨日聞いちゃったの。道明寺さんが西門さんたちに、さんのこと迷惑な居候だって言ってるの」
「……ッ?」
「それに聞けば、あなたの父親の会社、倒産したあげく、その借金は道明寺さんのお母様が肩代わりしたんですって?」
「私なら、そんな状況で一緒の家になんか住めないわぁ。ずーずーしいと思われちゃうものー」


昨日とはまるで別人のように冷たい笑みを浮かべている3人に、私は言葉を失った。


「あなたが英徳に通えるのだって、道明寺さんの家のおかげなのに、昨日はあんまりな態度だったわよねぇ?」
「道明寺さんの親戚と言うから、凄いお嬢様だと思ってたのに、結構恩知らずで失礼な方なのね」
「あら、でも、たかだか10億程度の不渡りで倒産してしまうんですもの。それほど育ちも良くないんじゃないかしら」
「それもそうね〜おほほほ♪」
「………ッ」


悔しい…
前の学校の友達だって陰で色々言ってたけど、ここまで酷い事は言わなかった。
他人の悪意ある言葉が、これほどツライものなんだ、と思い知らされた気がした。


「そう言えばさんって道明寺さんのこと、嫌いなんですってね」
「……っ?」
「こんなに良くしてもらってるのに、ホント失礼な人ね」
「そんなに嫌いなら道明寺さんの家を出て一人で働きながら生活しなさいな。でもそうなったら…この英徳もやめなくちゃいけないと思うけど」


浅井さん達はそう言いながら楽しそうに笑っている。
文句の一つでも言い返したい、と思っても、何か話せば涙が零れそうで、私は強く唇を噛み締めた。
その時、私の背後に誰かが立つ気配がして―――――――――――





「おぉーこわ。天下の英徳でもイジメってあるんやなぁー」


「「「―――――――――ッ?!」」」





いきなり妙な関西弁が聞えて、私は慌てて後ろを振り返ってみた――――――――





「ああ、これ、そこのゴミ箱に捨てられててんけど…君のとちゃう?」


180以上はありそうな長身に、柔らかそうな、サラサラの茶色い髪。
その髪から見え隠れする耳には、沢山のピアス。
そして思わず息を呑むほどの整った顔は、ジャ●ーズにでも入れるんじゃない?と思うほどにカッコいい。


(だ、誰?この人…)


ネクタイを緩め、少し着崩してるとはいえ、英徳の制服を着ているからには、この男もこの学園の生徒なんだろう。
そう思いながら目の前の男が差し出す靴を見て、ドキっとした。


「あ…私の…です」
「そうかー?ほな良かった!はい」
「あ…ありがとう…御座います…」


綺麗な顔をニカッと崩して笑う目の前の男にお礼を言いつつ、自分の靴を受け取ると、すぐそれに履き替えた。


「いやぁ、持ち主さん見つかって良かったわぁ。今から職員室に持って行こう思っててんかー」


ヘラヘラと笑いながら話す目の前の男は陽気な関西弁とはミスマッチなくらいの美形で、浅井さん達も顔を赤くしているようだ。


「ね、ねぇ、こんなカッコいい子、うちの学校にいた?」
「いたら、今まで気づかないはずないわよ…」


コソコソとそんな話をしている3人を無視して、私はニコニコしている男の子に、「ホントありがとう…」ともう一度お礼を言った。


「ええって、そんな大した事してへんし。それより…何や、困ってるなら助けたろか?」
「…え?」
「この女どもにイジメられてたんとちゃうん?」
「……っ?」


綺麗な顔して、ハッキリとものを言う彼に、私、そして目の前で彼に見惚れていた浅井さんたちもギョっとした。


「べ、別に私たちはイジメてたわけじゃ…。ね、ねえ?さん」
「そ、そうよー。私たちはちょっと失礼なんじゃない?って教えてただけで―――――」
「ふーん。そうなんや。まあでも…教えるにしたって言葉選ばんと性格ブスに見えるし、えげつない物言いは気をつけた方がええよー?」
「「「―――――――――ッ」」」


その男の子が笑顔でズバっとそう言うと、浅井さん達はムっとしたように、「行きましょっ」と歩いていってしまった。
それを見送りながら、その男はガシガシと頭をかくと、苦笑いを零しながら振り向いた。


「自分らの方が酷いこと言うてたクセに、他人から攻撃されるとムっとするておかしな奴らやなぁ。な?そう思わへん?」
「え?あ、いえ…」


いきなり話しかけられ、ドキっとした。


「それより…助かりました。ほんとにありがとう…。それじゃ…」


とりあえず靴も見つかりホっとしたけど、さっき言われた事で胸が痛むのは変わらない。
油断したら泣いてしまいそうで、私は関西弁の男の子に頭を下げると、足早に廊下を進んだ。
浅井さんたちがいると思うと、とても教室に行く気にはなれない。


"あなたの父親の会社、倒産したあげく、その借金は道明寺さんのお母様が肩代わりしたんですって?"


どうして?どうして彼女達にあそこまで言われないといけないの?
確かに本当の事だけど…でも彼女達にあんな酷い言い方される筋合いはない。
ホントは怒鳴り返してやりたかった。
でも悔しくて…女の子にあんな風に言われた事がなくて、何か言えば泣いてしまいそうで言い返せなかった。
それが一番悔しい。


浅井さんたちはきっと私の事を調べたんだ。
だから家の事とか色々と知ってた。
それとも…道明寺が皆に私の事、言いふらしてるの――――――――?

(もし、そうなら許せない……)




「なあ」


「―――――――――ッ?!」


「そっち、教室とは逆方向やで?」


突然、背後から声が聞こえて、本気でビックリした。


「あ…あなた…」
「どこ行く気なん?」
「ほ、放っておいて下さい…」


靴を見つけてくれた人に、こんなこと言いたくはなかったけど、もう涙腺も限界で、急いで階段を駆け上がった。
なのに男の子は、「待ってぇなー」と言いながら、後ろを追いかけてくる。
それから逃げようと足を速めて、とうとう屋上まで来た私は、そのままドアを開けて外へと飛び出した。


「………ッ」


もうすぐ授業が始まるからか、屋上には誰一人いない。
ゆっくりと手すりの方に歩いて行くと、思い切り唇を噛み締めた。
その時、勢いよく、ドアの開く音が聞こえた。


「はぁー追いついたぁー」
「……な…何で追いかけてくるんですか…?」


振り向かないまま、そう呟くと、後ろで思い切り息を吐き出すのが聞こえた。


「そやかて泣きそうな女の子、放っておかれへんやん…」
「…放っておいて下さい…。一人にして」


我慢できずに涙が頬を伝っていく。
冬の冷たい風が、濡れた頬を冷やしていった。


「悪いけど…オレ、泣いてる子、放ってはいかれへん性格なんや」
「……っ?」


不意に手が頭に乗せられ、ドキっとした。


「昨日、道明寺財閥のお坊ちゃんを怒鳴ってるの見た時は、めっちゃ気ぃ強いなぁ思っててんけど…ほんまは泣き虫さんか?ちゃん」
「…な…何で私の名前――――」


驚いて振り返ると関西弁の男の子は、意外にも優しい瞳で私を見ていた。


「知ってるよ?あんたの事なら何でも」
「…え?」


その意味深な言葉にドキっとして彼を見上げる。


商事、社長の一人娘で、もと山の手お嬢さん学校の一年。趣味はお嬢にしては珍しくスポーツ観戦。 野球、サッカー、バスケと何でもござれ。
それでいてお花、日本舞踊といった女の子らしい習いものもしてて、最後に習ってたのは茶道やったなぁ?
でも料理は苦手で、これから習いに行こうと思ってた。好きな食べ物はイタリア料理で、
好きな俳優は今大人気のオーランドブルームとジョニーデップ。
そのおかげで好きな映画はパイレーツオブカリビアン…。
高校に入ってすぐ付き合ってた男とは父親の会社が倒産したって理由で破局を迎え、
その頃にコッソリ進められてたお見合い相手からも、倒産を理由に見合い話を白紙に戻された…。どう?何か間違ってる?」


次々に私の事を言い当てていく、目の前の変な男の子に、開いた口が塞がらない。
どうして、この人は私の事をこんなに詳しく知ってるんだろう?


「あなた……誰?どうして、そんな事…」


呆然としながら尋ねると、その男の子はニッコリ微笑んだ。


「オレの名前は結城大和ゆうきやまと。あんたの見合い相手になるはずだったのはオレの兄貴やねん」
「――――――――は?」
「あーその目ぇは疑ってんな?まあ無理もないか…。兄貴の写真を送る前に白紙に戻ったみたいやからなぁ。でも、ま。ほんまの話やし怪しい奴とちゃうで?」


あっけらかんと言い放った男の子、結城大和は、「あ、もしかして最初ストーカーとか思った?」と笑っている。
その呑気な態度と、今聞いた話に驚きすぎて、涙なんて引っ込んでしまった。


「…じゃあ…ホントにあなた…父が話してたお見合い相手の――――――――」
「そうや。まあ今回、白紙に戻って兄貴は結構、へコんでたけどなぁ。ちゃんのこと気に入っとったし」
「な…何で?会った事もないのに―――――――――」
「ああ、ちゃんの写真だけはコッソリ送ってもらっててん。でもまだ高校に入ったばかりやし見合いするなら、卒業後がええんちゃうかって事になったみたいや」
「そんな勝手に…!それに…あなた…結城さんは何で英徳になんか…」
「大和でええよ?」


結城大和はそう言ってニカッと笑った。


「いやぁ、オレも昨日、英徳に転校してきたばっかやねん。東京の高校に行きたくてオヤジに社会勉強やーって我がまま言うて、こっちにあるマンションに引っ越してきたんや」
「…え、じゃあ…元々は…」
「実家は大阪やけど高校は京都の学校に行っててん。まあ英徳に来たんは…ちゃんが行くいうの聞いて、兄貴が気に入った子を直接見たい言うのもあったからや」
「…そんな…事で…?」
「オレ、二男やし、結構我がままはきくんやなぁ、これが」


目の前でヘラヘラしている結城大和という男に、少しだけ呆れつつ、私の知らないところで、見合いの話が進んでた事実に驚いた。


でも…確かに結城…という名前は聞き覚えがある。
関西を本拠地にした結城グループは道明寺財閥にも引けを取らないほどの大金持ちだ。
世界中にも結城の息がかかった色々な職種の会社があるというし、ハッキリ言ってその規模は想像もつかない。


(でも…何でそんな凄い会社の跡取り息子であろう人と、それほど上流階級でもない私をお見合いさせる、なんて話が出たんだろう…)


「あの…大和さん」
「さん、なんて他人行儀な呼び方やめてぇなー。ひょっとしたら義理の姉弟になるとこやってんから」
「…あの…その前に今はもう白紙になってるし…それに大和さんは年上で―――――――――」
「関係あらへんて。大和でええよ。んで…何?何か質問?」


飄々としてるというか、結城大和は澄ました顔で私を見下ろした。


「だから…お見合いの話ですけど…どうして結城グループなんて大きな会社の跡取り息子と、私がお見合いする、なんて話になったんですか?」
「…おかしいか?」
「おかしいです…。だって…結城グループなら、もっと大きな会社の社長令嬢とお見合いする機会があると思うし…」


そう言って伺うように見上げると、結城大和は困ったように微笑んだ。


「まあ…覚えてへんのはしゃーないけど…うちの兄貴とちゃん、昔、会うた事あるみたいやで?」
「え…?」
「まあ…誰かの誕生日パーティやった言うとったかなぁ?」
「誕生日…パーティ…?」
「そうや。んで…その時、ちゃんに会って…兄貴が何と、一目惚れしたらしいねん」
「……は?」


思ってもみない、その言葉に、思わず目が点になった。


「まあ驚くのも無理ないわなー。多分…兄貴もまだ小学校低学年とかやったし…。まあ一目惚れ言うより…初恋やったんちゃう?」
「…は、初…恋…?」
「そう。んで結構、大きくなってからも覚えとったみたいで…オヤジに頼んでちゃんの最近の写真とか送ってもらってたみたいやわ」
「…な…勝手にそんな――――――――」
「まあちゃんには悪いけど…ちゃんのパパも乗り気やったらしいから、色々と近況を教えてくれて…そやからオレも色々と知っててん」


そこで納得した。
あんなに私の事を知ってるのも、お父さんから情報をもらってたからなんだ。(もーお父さんのバカっ)
お父さんにしたら、結城グループの跡取り息子と私が結婚したら、多大なる事業拡大なんてのも夢じゃないもの。
でも…いくら私が初恋の相手だったとしたって…
大人になってから、お見合いをしようとしてたなんて…彼のお兄さんって何考えてるの?
私に彼氏がいる事だって、きっと聞いてたはずだ。
まあ…今となっては白紙に戻ったんだからいいけど…
いくら向こうが見合いを望んだって、ある程度の社会的地位がない家の娘は、結城の社長だって困るだろう。
だから、お父さんの会社が倒産した時に、見合い話もなくなったんだ…


「お話は…よく分かりました」
「ひゃー、いきなり敬語なん?何や他人行儀で寂しいやん」
「他人じゃないですか。そのお見合いだって後で聞いて知ったし…その前にもう白紙に戻ってるんだから結城家とは何の関係もないです」
「まあまあ、そんな冷たいこと言わんと…せっかく知りおーてんから仲良うしてぇな」
「…な、何で…」


そう言いながら肩を組んでくる結城大和にドキっとしつつ、彼を睨む。
が、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


「それに…まだ白紙と決まったわけちゃうし」
「…え?」


その言葉の意味が分からず、眉を細めた。


「兄貴な…。なかなか諦め悪い男やねん」


そう言って、結城大和は軽く舌なめずりをすると―――――――――




「オレ、兄貴のために一肌脱ごう思て、英徳に転校してきたんや」




清々しいくらいの笑顔を浮かべ、結城大和は私の頭をクシャリと撫でた―――――――――
















オリキャラ登場。
しかも何故か大阪人(笑)
いや私が単に昔、京都に住んでて関西人の男が結構好きっていう理由ですのよ。