陰謀の棘











見上げるほどの大きなホテルには、楓おば様の名を表わす"MAPLE HOTEL"という文字が堂々と掲げられていた。



「どうした?」


広くて煌びやかなロビーに入る手前で、足を止めている私に気づき、司が振り返った。


「や、やっぱり私、着替えてきた方がいいんじゃ…」
「あ?何でだよ」
「だ、だって、こんな素敵なホテルに、この格好は…」


そう言って自分の服を見下ろす。
コートで隠れているけれど、下はセーターにジーンズという、何ともこのホテルには似つかわしくない格好だ。
司はそんな私を見て呆れたように目を細めると、「いいって言ってんだろ?格好なんて」と頭をグリグリ撫でてくる。


「そりゃあんたはいいかもしれないけど…私はただでさえ居候の身なんだし、お世話になってるおば様に会うなら、もう少しちゃんとした方が―――」
「だー!うるっせぇーなぁ!このままでもいいっつってんだろ?」
「な!何でそんな怒鳴るのよっ」


いきなり怒鳴られムっとすると、司は少しだけ顔を赤くして視線を反らした。


「お前は…どんな格好してたって…ほ、ほら…何つーか…」
「…???」
「………か、可愛ぃ…つか…」
「何言ってるか聞こえない」
「―――――――ッ!」


モゴモゴと話す司に首をかしげると、司は耳まで真っ赤になって、「うるせえ!」とまたしても怒鳴ってくる。
そして私の手を強引に掴むと、「ゴチャゴチャ言ってねーで、とっとと行くぞ!」と大またでホテルのロビーへ入っていった。


「ちょ、ちょっと司――――――」


「Welcome!Mr.Tsucasa!」


ロビーに足を踏み入れた瞬間、ビシっとスーツを着た年配の男性、そしてボーイの格好をした男達が、一斉にこっちへ歩いてきた。
それを見てギョっとしていると、年配の男性が司の前に立ち、軽く会釈をする。


「当ホテルの支配人を任せられております、ハワード・ジェンキンスと申します」
「司です。母に呼ばれて来ました」
「承っておりますので、今ご案内を致します」


ハワードという支配人はそう言うと、近くにいたボーイに、「お二人をお部屋へ」と告げている。
が、私の意識は今、司が流暢な英語で、しかも丁寧な言葉を使った事に向いていて、思わず口が開いてしまった。


「オイ…何だ、そのアホ面は…」
「だ、だって…司が敬語使ってるし…」
「あ?てめぇ、バカにしてんのか?」
「だって普段なんか、おば様のこと、バ、ババァとか言ってるじゃない…なのに"母"なんて言うから」


素直に思ったことを口にすると、司は呆れたように私を見下ろした。


「あのな…オレは道明寺家の跡取りだぞ?TDKくらいわきまえてて当たり前だろ?」
「………」
「だから何だよ、その呆れたツラはっ」


私が思い切り目を細めると、司はムっとしたように口を尖らせた。
ホントに、コイツはどこまでバカなんだろう?(溜息)


「TDK、じゃなくて…"TPO"、でしょ?"T"しかあってないじゃない」
「う―――――」
「時"Time"と場所"Place"と場合"Occasion"で、TPO。分かった?」


私の指摘に、司は一瞬言葉を詰まらせた後、首まで真っ赤になって肩がぷるぷる震えている。
きっと恥ずかしいのと、腹が立つのと、そんな感情が一気に襲ってきたんだろう。


「う、うるせー!どっちでもいんだよ、んな事はっ!それより早く行くぞ!」
「きゃ、ちょっと!引っ張らないでよっ」


またしても手首を掴まれ、私はコケそうになりながら司についていった。
案内をしてくれるボーイはすでにエレベーターに乗っていて、私達を待ってくれている。
支配人のハワードさんや他のボーイは、私と司のやり取りを見て、唖然としたまま、それでもエレベーターに乗り込むまで、頭を下げていてくれた。
きっと日本の礼儀もしっかり叩き込まれてるんだろう、と思いながら、今からこのホテルのオーナーでもあるおば様に会うのが少しだけ緊張してくる。


「…どうした?急に黙り込みやがって」


壁に寄りかかり、腕を組みながら、司は軽く屈んで私の顔を覗き込んできた。
その綺麗な顔にひるみつつ、一歩分だけ離れると、


「おば様の話…何かなあと思って」
「…ああ。ま、どーせ下らねー事だろ」
「でも、わざわざカナダまで来たのよ?大事な話じゃないのかな…」


司だけなら、まだしも…おば様は私も、と言っていたらしい。
大した話じゃないのなら日本に帰ってからでいいはずだし、こんな風にカナダに来たと言う事は、それなりに大事な話をしに来ていると思うのが当然だ。


私は少し不安だった。
父の会社が倒産してからというもの、おば様の好意で居候の身にしては贅沢な生活をさせてもらっているけど、
本来なら私はこんな風に海外に遊びに来れる立場でもないし、ましてや、あの英徳学園という名門校に通える立場でさえない、
心のどこかで、やっぱり気が引けていたし、私だけ、こんな夢みたいな生活をしていて、いいのかな、なんて思ったりもした。
そして、いつになるかは分からないけれど、私が一人前の大人になった時、道明寺家の為に恩返しとまでは行かないが、役に立つような仕事がしたい、なんて。
おば様の役に、少しでも立ちたい、なんて考えたりもしている。
そう思うほど、おば様には助けられたし、父や母が元気になってくれた事は何より嬉しい事だった。
私一人が何をしたところで、道明寺家に何かがプラスされるはずもないのだけど、でもそういう感謝の気持ちだけは持っていた。


でも…その反面、不安だったのは、いつおば様に見捨てられるか、という事。
おば様は父に世話になったから、と言ってくれたけど、でもその気持ちがいつ変わるかなんて分からない。
大会社を背負っているような大物は、いつの世もどこか気まぐれだ、と私は思っている。
父の会社の倒産だって、取引先でもある大手会社の社長の一言で、取引が停止になったと言う事が主な原因だと、父からも聞いて知っている。
おば様がそんな人とは思っていないけれど、でも、いつ気が変わって、「出てけ」と言われるかもしれないのだ。
私だけならいい。
でも、会社が倒産した時の、父の落ち込みようを見ているから、母の涙を見ているから、それだけは、もう見たくない、と思ってしまう。
おば様に見捨てられたら、父も母もまた仕事を失うだろうし、私は学校に行っている余裕もないだろうから、一緒に仕事を探さなくちゃいけない。
私は若いから、どんな仕事でも探せる。
でも、もうすぐ50代となる父と母が、そんな生活に耐えられるのか、私には分からなかった。


(バカみたい…まだ何も言われたわけじゃないのに)


自分のネガティブな思考に内心苦笑しながら、軽く深呼吸をした。
この突然の呼び出しで、少し動揺しているのか、悪い方悪い方へと考えてしまってるみたいだ。


「おい」


そんな私を見て、司は何を思ったのか、不意にグシャグシャっと髪を撫でてきた。
その行動に驚いて、「何すんのよ」と司を睨みつけながら髪を直すと、司は真剣な顔のまま私を見つめた。


「そんな不安そうな顔、すんな」
「…え?」
「ババァがどんな下らない事を言ってきても…オレが拒否してやる」
「…司…?」
「だから…そんな顔すんなよ」


また頭に乗せられた手が、今度は優しく撫でてくれる。
私は黙って司を見上げた。
どこか照れ臭そうに視線を反らしている司に驚きながらも、頭に乗せられている手の暖かさに胸の奥がジンと熱くなった。
私の心の奥にある不安を、司は感じ取ってくれたんだろうか。


「だ、大丈夫だよ?私は…」
「なら、いいけどよ」


司はそれ以上、何も言わず、無言のまま点滅していく階数を見上げていた。
やっぱり今までの司とは少し違う、その様子に違和感を感じないでもなかったけど、でも今は彼の優しさが素直に嬉しい。


(お兄ちゃんがいたら…こんな感じなのかな…)


ふと、そんな事を思っていると、エレベーターが目的の階に到着した。
チン、という音と共に扉が開き、ボーイが先に下りる。
その後から廊下に出ると、ボーイは、「こちらです」と言って、奥へと足を進めた。
だだっ広い上に、壁も天井さえ、ゴージャスな廊下を進んでいくと、突き当たりに大きなドアが現れる。
ボーイはその前で立ち止まると、「社長はこちらでお待ちです」とだけ言って、ドアをノックした。


「司さまとさまをお連れしました」


そう声をかけると静かにドアが開き、中から現れたのはおば様の右腕とも言われている秘書の西田さんだった。


「お待ちしておりました、坊ちゃん、さま。どうぞお入り下さい」


言われるがままに司と二人、中へと足を踏み入れる。
そこで振り返ると、ボーイが一礼して静かにドアを閉めた。


「おい、行くぞ」
「あ、うん…」


司に呼ばれ、慌てて西田さんの後ろからついていく。
さすがスイートルームだけあって、部屋の中もかなりゴージャスで、英国風なデザインは東京にある道明寺家や、今、滞在している別荘と、どこか似ている気がした。


「社長、司坊ちゃんとお嬢さまが到着されました」


二枚目のドアをノックしてから開けると、西田さんが声をかける。
すると中から、「通してちょうだい」という静かな声が聞こえてきた。


「どうぞ、中へ」


西田さんに促され、司の後からついていく。
緊張をほぐす為、軽く深呼吸しながら中へ入ると、これまた広いリビングが現れた。
そして部屋の真ん中にあるソファには、楓おば様が寛ぐように座っていて、私達が入っていくと、にこやかな笑顔を見せて立ち上がった。


「待ってたわ、司、ちゃん」
「お、お久しぶりです。おば様」


おば様の笑顔を見て、少しだけホっとしながら挨拶をする。
司は相変わらずムスっとしていて、何も言わずにソファへと腰を下ろした。
そんな司をチラリと見ると、おば様は私の方へ歩いてきて、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「本当にお久しぶりね、ちゃん。元気だった?」
「あ、は、はい。あの…元気です」
「そう、良かった。司とは仲良くしてるそうね?」
「え、あ…はあ…」


仲良くしてるかどうかは別として、とりあえず最初に会った時よりはマシになった方か、と思いながら、面白くなさそうに座っている司に目を向けた。


「さあ、どうぞ。座って?今、夕食を運ばせるから一緒に食べましょう」
「…はい…」


言われるがまま、司の隣に座ると、おば様は再び向かいのソファに座った。
横には大きな暖炉があり、赤い炎が私達を照らしている。
私はおば様の様子を見て、少なからずさっき過ぎった不安が消えていくのを感じ、ホっと息をついた。


「さあ、ワインでもどうぞ?」
「あ…ありがとう御座います」


おば様が直々にワインを注いでくれて、緊張をほぐす為それを一口だけ流し込む。
ホントは未成年だからダメなんだけど、道明寺家では早めにお酒を飲めるように、と司も随分と前から飲まされていたらしい。
未だ仏頂面の司も、素直にワインを口に運んだ。


「どう?美味しいでしょう。このワインは25年もので――――――」
「んな話はいいから、サッサと用件を言えよ」


おば様の言葉を遮り、不意に司が口を開いた。
私は内心ヒヤっとしたが、おば様は怒るでもなく、静かにワインのボトルをテーブルに置くと、後ろに立っている西田さんに視線を向ける。
すると西田さんは黙ったまま一礼すると、部屋を出て行った。


「そんなに焦らなくてもいいでしょう?久しぶりに会ったのに」
「昨日会っただろ」
ちゃんに会うのは久しぶりよ?」


おば様はそう言うと、私に笑顔を向けて、「どう?新しい生活には慣れた?」と訊いて来た。


「あ、はい。だいぶ慣れました」
「そう。学校の方はどう?楽しい?」
「はい。色々と勉強になりますし…」
「そう、なら良かったわ?ところで…司とはどう?」
「え…?あ…」


いきなり、そう聞かれ、私は隣にいる司をチラっと見た。
司は相変わらず無言のままワインを飲んでいる。


「あの…よく…してもらってます…」
「ホント?何か意地悪とかされてないかしら。この子は昔から人付き合いが苦手なの」
「え…っと…」


身に覚えのある事を聞かれ言葉に詰まっていると、そこはさすがに司も口を挟んできた。


「人聞き悪いこと言ってんじゃねーよ。上手くやってるから一緒にカナダまで来てんだろ」
「私はちゃんに聞いてるのよ?司」


おば様はピシャリとそう言うと、私にニッコリ微笑んだ。


「もし何か不便な事があれば、何でも言ってちょうだいね?」
「あ…はい。でも不便な事なんてありません。司…司さんも良くしてくれますし…」


何とか頑張って(!)そう言うと、司がうげっといった顔で私を見た。


「何、気色悪い呼び方してんだよ?いつもみたいに司でいいだろが」
「ちょ、司…黙っててよ…っ」


余計な事を言われ、司を睨むと、おば様がクスクスと笑い出した。



「ホントに仲がいいみたいで安心したわ?」
「うるせーなあ。昨日もそう言っただろ?何心配してんだよ」


顔を顰めながらワインを飲み干す司に、おば様も苦笑いを零している。
でも私は冷静を装いながらも、さっきまでの不安が私の思い過ごしだったんだ、と心の底からホっとしていた。
このおば様の様子から言って、特に悪い話でもなさそうだ。
それとも、話と言うのは口実で、ただ単に私と司が上手くやってるのか見てみたかったのかもしれない、とふと思う。


―――――――が、この後のおば様の一言で、私は愕然とした。





「心配くらいするわ?今後の事を考えたら」
「あ?何だよ、今後って…」


司が訝しげな顔で眉を寄せる。
私もその一言が気になり、持っていたワイングラスをテーブルに置いた。
そんな私達を交互に見ながら、おば様はニッコリ微笑んだ。



「ずっと仲良しでいてもらわないとね。もうじき兄と妹になるかもしれないんだから」



その一言で、一瞬広い部屋は静寂に包まれた。










ちゃんと司、今頃、映画でも見ながらいい雰囲気になってるかな」


リビングの窓を開けながら、あきらが夜空を見上げ、呟いた。
それを聞いた総二郎はニヤリと笑い、あきらの隣に立つと、そっとあきらの肩を抱き寄せる。


「なかなか面白かったな、映画」
「そうね。でも遅くなっちゃったし早く帰らないと…」
「バーカ…帰さねーよ」
「…え?」
「今夜は…まだ二人でいたい」
「…司…」
「…オレ…今までお前をイジメたりしたけど…でもホントはお前の事、最初に会った時から好きだったんだぜ…?」
「…ホント?」
「ああ…オレはど〜〜しようもねーほどバカで意地っ張りだけど…嘘はつかねえ…」
「嬉しい、司…」
…」


「………気持ち悪い」


「「ん〜〜」」と顔を寄せ合う総二郎とあきらを見ながら、類はブルっと身震いをして、げんなりと頭を項垂れた。


「…やめてくれる?そういう寒い芝居…」
「何でだよ、類。ホントにこうなってっかもしれねーじゃん?なあ?あきら」
「そうそう!何てったって、あの司が初めて女誘って映画行ったんだぜー?マジ明日は雹が降るな、雹が」


そう言いながら笑っている総二郎とあきらを見ながら、類は再び溜息をついた。
静と類が帰って来た瞬間、酔っ払ってハイテンションの二人に出迎えられ、何事かと思えば。
司がを誘って映画に行ったと聞き、それにはさすがの類も驚いたのだった。


「あの司があそこまで素直になってんだし、今夜くらい決めるだろ」
「でもまあ…相手があのちゃんだし、くっつくには難しそうだけどなあ」
「それは言えてる。でも司が本気にさえなれば何とかなるんじゃね?何だかんだ言って、あの二人、結構お似合いだと思うんだけど」
「ああ、ケンカするほど仲がいいって言うしな」
「…オレはそうは思わないけど」
「「――――――!!」」


二人の会話に突然、類が口を挟み、総二郎とあきらはピタリと笑うのを止めた。


「何だよ、類。お前は司とちゃんがくっつくの嫌なのか?」
「別にそうは言ってないだろ?」
「じゃあ何だよ」


あきらの問いに類は手の中にあるグラスをゆらゆらと揺らしながら、「何となくだよ」と一言、言った。
歯切れの悪い類に、総二郎とあきらは顔を見合わせ、軽く首を傾げる。
グラスに残ったワインを一気に飲み干す類は、どこかイライラしているように見えた。


「どうした?そう言えばさっきから少し元気ねーけど」
「そうそう。それに静も帰って早々、部屋に閉じこもったっきり出てこねーし…。もしかしてケンカでもしたか?」
「………別に…そんなんじゃない」


類はまたしても言葉を濁しながら、空になったグラスに再びワインを注いでいる。
その様子を見ながら、総二郎は軽く息を吐いた。


「嘘つくなよ。お前は昔から何かあると顔に出るんだから。静と何かあったんだろ?言えよ」


そう言って類の隣に座ると、あきらも窓を閉めて二人の方に歩いて来た。


「どうした?無理やり迫って静に怒られたか?」
「まあ静くらいの女になれば、そう簡単には手を出せねーしな?まずは気持ちを伝えろ」
「…何だよ、それ」


類と静のことを知らない二人の言い草に、類は僅かに目を細めた。


「そんなの、とっくに言ってるよ」
「「……は?」」


ムっとしながら、そう呟いた類に、一瞬で二人は目が点になった。
そしてすぐに顔を見合わせ、もう一度、類を見る。


「おい…今、何てった?」
「…聞き間違えじゃないなら…静に告白をしたって聞こえたんだけど…」
「だから、そう言っただろ」
「「――――――――!」」


またしてもアッサリ肯定する類に、二人は今度こそ目を丸くした。


「う、嘘だろ…」
「いつの間に…!」


二人は驚いた様子で類の前に立ちはだかると、「「マジで告ったのか?!」」と声を揃えた。
それには類もウンザリ顔のまま、「うん」と素直に応える。
そして小さく溜息をつくと、


「でも…もうダメっぽいけどね…」
「はあ?何でだよっ」
「上手くいったんじゃねーの?」


今度は違う意味で驚いた二人は、目の前で落ち込んだ様子の類を見た。
が、総二郎はすぐにニヤリと笑うと、類の目の前にしゃがみこみ、


「ははーん…お前、さては無理やり押し倒そうと――――――」
「してないよ、そんな事…」
「じゃあ何だよ。お前らがケンカなんて珍しいじゃん」
「ケンカとか…そんな問題じゃない」


そう呟くと、類は深く息を吐き出した。
その様子に、総二郎はからかうのを止めると、類の隣に座りなおし、「話してみろよ」と優しく言った。
あきらも反対側に座り、何度も頷いている。
そんな二人に、類も苦笑いを零し、ソファに深くもたれかかった。


「やっと…想いが叶ったのに…最近…何となくシックリいかないっていうか…」
「どういう風に?」
「…う〜ん…何ていうか…静の方が距離を置いてる感じがするって言うか…」
「何で?静も類のこと、好きだったんじゃねーの?」
「でも、それもどこか弟を可愛がってるって感じにも思えるし…」
「そうなのか?ってか、お前らどこまでいってんだよ?」
「…どこまで…?ああ…今日はクイーンエリザベスパークまで―――――――」
「「そっちじゃねーよ!!」」


類の天然ボケに、二人は見事に息がピッタリのツッコミを見せた。
当の類はキョトンとした顔で、「そっちって…どっち?」なんて、まだボケている。
それには総二郎もあきらも、「「はぁぁぁ…」」と溜息をついた。


「あのなぁ…男と女の話で、"どこまでいった"って言えば、だいたいはアレだろが」
「……アレ…」
「そう"アレ"」


キッパリと言い切る総二郎とあきらに、さすがの類も分かったのか、ほのかに頬が赤くなる。


「……そんなの関係ないだろ?二人に」
「だぁぁ!関係あるだろっ。それ聞かなきゃ相談も乗れねーし!」
「……じゃあいいよ」


類はそう言うとプイっと顔を反らし、それには総二郎とあきらも溜息をついた。


「その様子じゃ、まだしてねーようだ――――――」
「そんな事ないよ…!」
「「――――――――ッ!」」


そこは間髪入れずに否定してきた類に、二人は思い切り後ろへのけぞる。
類は類で顔を赤くしたまま二人を睨み、再び顔を反らした。
それを見た二人は、放心状態から突如ニヤーンと怪しい笑みを浮かべ、類の肩に腕を回すと、


「ほぉー そうか、そうか!お前もとうとう男になったか!」
「やったな類!お兄さんは嬉しいよ…!」
「誰がお兄さんだよ。っていうか、そこは大した問題じゃないだろ」
「「大した問題だろ!」」


そう言う時も仲良く声を揃える二人に、類は思い切り目を細めた。


「あのなあ、静がそこまで許してるなら、静だって類の事が好きだからだろ?」
「そうだよ。別に距離を置かれてる、なんて変に心配すること―――――――」
「静、パリに行っちゃうんだ」
「「へ…?」」


類の一言に固まる二人。
そんな二人から逃げるように立ち上がった類は、新しいワインのボトルを持ってくると、手馴れた手つきでコルクを抜いた。


「パリに…戻るって…そりゃお前、留学してるんだし―――――――」
「そうじゃ…ないんだ」
「そうじゃ…ないって?」


類は二人のグラスにワインを注ぐと、最後に自分のグラスを持ち、


「留学が終わってすぐに、静はパリに移住するらしい」


類はそう言うと、自分のグラスにワインを注いで、それをゆっくりと口に運んだ。












「おい、ババァ…今…何つった…?」


静寂を切ったのは、司だった。
驚いた拍子に、司の手からグラスが落ちたのか、フカフカの絨毯には赤いシミが広がっている。
おば様はそれを見て顔を顰めると、小さく溜息をついた。


「おい、聞いてんのか!」
「大きな声を出さないでちょうだい」


司の声に眉を顰めるおば様を見て、司は「ふざけんなっ!」と立ち上がった。
その拍子に落としたワイングラスを踏んだのか、パリンっという、ガラスが割れた音が響く。


「応えろ、ババァ…。何だよ、今の話…オレとが…何だって…?」
「つ、司…」


険悪なムードに、私は慌てて司のジャケットの裾を引っ張ったが、頭に血が上ってるらしい司には全く通じない。
それでも私だって少なからず今の話には驚いている。
真意を聞きたくて、おば様へと視線を向けた。


「言った通りよ?あなたとちゃんは、兄妹になるかもしれないと言ったのよ」
「…な…何だよ、それ!どう言う事だ?ちゃんと説明しろっ」


司が怒鳴ると、おば様は軽く溜息をついて、「西田」と秘書の名を呼んだ。
すると、先ほど出て行ったはずの西田さんが手に何かの茶封筒を持って、戻ってくる。
おば様は西田さんから茶封筒を受け取り、そこから数枚の用紙を取り出すと、テーブルへと置いた。


ちゃん」
「……っ」


黙って一連の動作を見ていた私は、突然名を呼ばれてハッと顔を上げた。
おば様は真剣な顔で私を見ていて、それが今の話は冗談なんかじゃない事を物語っている。


「今からきちんと説明するから…ちゃんと聞いてほしいの。いいかしら」
「…は、はい…」
「ありがとう、ちゃん。司…あなたもちゃんと座りなさい」


おば様がそう言うと、立ったままの司は何かを言いかけた。
が、今は話を聞く方が先決だと思ったのか、無言のまま大人しく私の隣に座る。
それを見ると、西田さんが手早く落ちて割れているグラスの欠片を片付け、すぐに新しいグラスにワインを注いだ。
司はそれを一気に飲み干すと、「サッサと話せよ…」と言って、ソファに深くもたれかかる。
私も何が何だか分からないまま、黙って目の前にいるおば様へと目を向ければ、おば様は小さく息を吸い込むと、静かに口を開いた。




「私は…ちゃんを、我が道明寺家の養子として、迎えたいと思っているの」



「――――――――ッ」



おば様の言葉に、私も司もただ唖然として目を見開いた。
でもその瞬間、司がソファから立ち上がり、「…どーゆう事だよ、クソババァ」と、おば様を怖い顔で見下ろした。
それでも、おば様は怯む事なく、ワインを口に運びながら、「座りなさい、司」と真っ直ぐに司を見上げている。


「ふざけんな!!一体どういうつもりだ、てめー!」
「そんな乱暴な言葉、私の辞書にはありませんよ。いいから座りなさい!」


おば様は少しだけ声を荒げ、司を睨みつけた。
司は何か言いたげに口を開きかけたが、イライラしたように頭をかくと、言われたとおりソファに腰を下ろし、ワインを一気に飲み干している。
そして、もう一度、「どういうつもりだ?」と、尋ねた。


「どういうつもりも何も…」


そこでおば様は言葉を切ると、私を見て優しく微笑んだ。


「私はちゃんを、娘として迎えたいだけよ?」
「…む、娘…」


呆気に取られていると、おば様はワインを飲みながら、ゆっくりとソファに凭れかかった。


「前にも言ったけれど…椿も先日お嫁に行ってしまったし…何か寂しくてね。それでこの間久しぶりにちゃんに会って、その寂しさも少し和らいだの」
「で、でも…」
「ほら、最初の約束は高校を卒業するまでだったでしょう?でも私はずっとちゃんにいてもらいたいって思ったのよ」
「おば様…」


その話に驚きながら、言葉に詰まった。
突然の話で頭がついていかない。
養子、と言われても、どこかピンとこないし、それに私には、ちゃんと父と母もいるのだ。
それなのに…


「…何、勝手なこと言ってんだよ」


そこで不意に司が口を開いた。


「コイツを養子?頭おかしくなったんじゃねーのか?」
「私は本気ですよ?すでにちゃんのお父さまには話してあるの」
「えっ父に…ですか?」


それには驚いて身を乗り出すと、おば様は「ええ」とニッコリ微笑んだ。


「ここへ来る前に、きちんと大阪まで出向いて話をしてきたわ」
「え…そ、それで…父は何て…?」
「驚いてらしたけど…ちゃんと私の気持ちを説明したら、理解してくださったわ?」
「……へ?」
ちゃんが了解してくれたら、と言って下さったの」
「…な……」


(……何考えてんのぉ?!お父さんてばっっ!!)


おば様の話に私は軽い眩暈を感じた。
隣にいる司も唖然とした顔で私を見ている。
いきなりの信じがたい話に、私は思わず固まってしまった。


ちゃん…驚いてるだろうけど、でもね。この先、ちゃんの事を考えたら悪い話じゃないと思うの」
「…え?」
「確かにちゃんのお父さんも今、必死に働いてるわ?でも私にどうしてもお金を返したい、と言ってくれてるの」
「…はい」
「でも簡単な額ではないし、そうなると高校を卒業した後、ちゃんが進みたい道が限られてくるでしょう?」


おば様は静かにそう話すと、「ちゃんは将来、どういった仕事をしたいの?」と訊いて来た。
そのいきなりの質問に、私は一瞬、言葉に詰まる。
前は高校を卒業したら海外に留学したい、と思っていたけど、父の会社が倒産してからは、それも諦めてしまっていた。


「私は…」
「翻訳する仕事に就きたい、そうでしょう?」
「…え?」
「あなたのお父様から聞いたの。それには海外で勉強しなくちゃいけないし、それなりに費用もかかるんでしょう?」
「…それは…」
「私にお金を返しながらだと、その費用すらままならない。お父様はそう仰って申し訳なさそうにしていたわ」


その話を聞いて、私は目を伏せた。
確かに私は翻訳家を目指そうと、これまでも色々と頑張ったりしてきた。
それに英語だけじゃなく、イタリア語やスペイン語も修得したいと思っていたし、そうなると多大な費用がかかってしまうから、と半ば諦めていたのだ。
お父さんがその事を随分と気にしていたのを思い出す。


「最初はその費用も私が出すと言ったのよ?でもお父さんはそこまでしてもらうのは申し訳ない、と一度断ってきたの」
「え…そうだったんですか…?」
「ええ。でも私はちゃんの夢なら叶えてあげたいし…それにちゃんが私の娘になってくれたら、こんな嬉しい事はないわ?」


おば様は優しく微笑むと、「だから少し考えてみてくれないかしら」と最後に言った。
それには私も言葉につまり、困ってしまった。
そして、また私のいないところで、そんな大事な話を決めたお父さんに腹も立ってくる。
でも、それが私の為を思っての事くらいは、私にだって分かってる。
だから余計に悲しくなるのだ。


「一度…お父さんと話します」


何とかそう言うと、おば様は笑顔で頷いてくれた。


「そうね、そうしてちょうだい。手続きはすぐ出来るようになってるから」


そう言ってテーブルにあった茶封筒から取り出した用紙を私に差し出してくる。
それを受け取り見てみると、それは養子縁組に関する資料と、申し込み書だった。


「家庭裁判所には、すでに話は通してあるの。後はちゃんの返事次第よ?」
「…分かりました。父と話してから、よく…考えてみます」


私の言葉に、おば様は嬉しそうな顔をした。
が、隣で黙って聞いていた司は納得がいかないといった顔で立ち上がると、「オレを抜きに勝手にしゃべんなっ」と怒鳴り、私の手を引っ張った。


「帰るぞ」
「つ、司っ?」


その行動に驚いて見上げると、司は真剣な顔で私を見下ろした。
その瞳にドキっとしていると、司はドアの方へ大またで歩いていく。
当然、手を掴まれている私も、そのまま引きずられるように連れて行かれる。
すると、おば様が静かに立ち上がった。


「司、どこへ行くの」
「うるせえ!帰んだよ!んな下らねー話で、いちいち来んなっ」
「下らなくないでしょう。大事な事よ?」
「とにかくオレは反対だからな!に家にいてもらいてーんなら、このままでいーじゃねーか」


そこで司は立ち止まると、おば様の方に振り返り、睨みつけた。
そんな司をおば様は無表情のまま見つめている。


「反対するならしなさい。それでも止めるつもりはありません」
「……っ」
「今夜はゆっくり食事をする気分でもなさそうね。また今度にしましょう」


おば様はそう言うと、私に視線を向けて、「じゃあちゃん。ちゃんと考えてちょうだいね」と微笑んだ。
が、私が小さく頷いたのと同時に司は部屋を飛び出し、ずんずんと歩いていく。


「ちょ、ちょっと司!待ってよ…っ!痛…手、手が痛いってば…っ」


掴まれてる手首が痛み、私がそう言うと、エレベーター前で司はやっと立ち止まった。
それでも手を離してくれる様子はなく、ただ無言のままエレベーターに乗り込んだ。


「ちょっと…司…?」


怖い顔のまま黙っている司にビクビクしながら声をかける。
すると司は私に視線を向け、ジっと見つめてきた。
その怖いくらい真剣な眼差しにドキっとしていると、司は不意に大きく息を吐き出した。


「ったく…冗談じゃねぇ…」
「…え?」
「お前がオレの妹になる?とんだ笑い話だぜ」
「…司…怒って…る?」


恐々尋ねると、「当たりめーだ」と即答され、言葉に詰まった。
でも司が怒るのも仕方がない。
いきなり養子だなんて、無茶な話だし、居候が自分の妹になる、と聞かされれば、戸惑いもするだろう。


「ご、ごめん…」
「あ?何でが謝んだよ?」
「…な、何となく…司が怒ってるから」
「………」


そう言って見上げると、司は少し視線を反らした。


「別に…お前に怒ってるわけじゃねーよ」
「で、でも――」
「うるせーな!怒ってねーって言ってんだろっ?んな顔すんなっ」
「な…いちいち怒鳴らないでよっ」
「………」


その時、不意に司が黙り、てっきり怒鳴り返してくると思っていた私は拍子抜けして首を傾げた。
司は黙ったまま私を見ていて、やっぱり少し顔が怖い。
でも、ふと息をつくと、司は私の手を離し、髪をかきあげた。


「…わりぃ。ちょっと混乱しててよ」
「……え、」


いきなり素直に謝られてドキっとした。
こんなに素直な司を見た事がなくて、私は小さく首を振った。
あんな話の後じゃ、何となく気まずくて、司の顔が見れない。
結局、私達はそのままホテルを出ると待たせていたリムジンに乗り込んで、別荘へと戻って来た。












「おっかえりぃ


司がリビングに行くと、総二郎とあきら、そして類が酒を飲みながら騒いでいた。


「あれ?ちゃんは?」


司だけなのを見て、あきらが首を傾げる。


「部屋戻ってる」


それだけ言うと、司は皆の飲んでいたワインボトルを取り上げ、それを一気に飲み干した。


「お、おい司!何してんだ?!」
「何かあったのかよ?」
「………」


司のその行動に、皆は目を丸くしてる。
それでも司は新しいボトルを開けて、更にそれをグラスに注いだ。


「…クソっ!あのババァ…」
「バ、ババァ…?」
「どうしたんだよ、司。何があった?今夜はちゃんと映画見に行ったんじゃねーの?」


あきらが尋ねると、司はソファに腰を下ろし、深く溜息をついた。


「…ババァに呼び出されてたんだよ、と二人で」
「えぇ?じゃあ映画は…」
「見てねーよ」


司の一言に、三人は顔を見合わせると、やれやれといったように肩を竦めた。


「じゃあ、おばさんの用事って何だったの?」
「昨日もここに来たけど…そんなに大事な用だったのか?しかも司とちゃんの二人に、なんて」


あきらと総二郎に聞かれ、司は思い切り顔を顰めると、「ああ…」とだけ応える。
そしてソファの背もたれに頭を乗せると、溜息交じりで天井を仰いだ。


「…あのババァ、とんでもない事を言い出しやがった」
「…とんでもない事…?」
「何だよ、それ…あ!もしかして…司とちゃんに、結婚しろとか?!」
「えぇ、マジ?!そうなのか?司!」
「バ、バカ言ってんじゃねー!ちげーよっ!」


二人の突飛な発言に司は真っ赤になって反論した。
それには二人のテンションも一気に下がり、「じゃあ何なんだよ〜」と司の隣に腰をかける。
類は類で一人ワインを飲みながら、皆の話を黙って聞いていた。


「実はよ…あのババァ、のこと…道明寺家の養子にするって言い出しやがった…」
「「……へ?」」
「………」


司の一言に、総二郎とあきらは目が点になり、類はゴクっとワインを飲み込んだ。


「はぁぁ?養子ぃ?!」
「何だよ、それ!何でいきなり養子の話になんだ?」
「知らねーよ!をホントの娘にしたいとか何とかぬかしてたけどよっ」
「ホントの娘って…」


総二郎がそこで言葉を切ると、今まで黙っていた類が口を開いた。


「…と司は…兄妹になる…ってこと?」
「「―――――――げ」」
「………ああ」


類の一言に、総二郎とあきらは顔を顰め、司は面白くなさそうにワインを飲み干した。


「マジかよ〜〜!司の母ちゃん、普通じゃないとは思ってたけど、そんな事まで考えるとは恐れ入ったぜ…」
「ホントだな…。やる事早えーよ」
「…何がだよ?」


二人の会話に、司が首をかしげると、あきらがニヤリと笑いながら人差し指を立てた。


「だからアレだよ」
「アレ…?」
「だから、司とちゃんの関係を怪しんで、何とかなってしまう前に兄妹にしてしまえって奴」
「はあ?何言ってんだ、あきら!オ、オレは別にとは――――――」
「だってよー。じゃなけりゃ他に何があんだ?今更娘を増やしたって司の母ちゃんには何のメリットもないだろ」
「メリットって、お前らなあ…」


二人の言葉に半ば呆れつつ、司も少しだけ嫌な感じがしていた。
母親の事は息子の自分が一番良く知っている。
情にほだされて、あんな事を言い出した、とは到底思えない。(何せ鉄の女だ)


「…まあ…ちゃんの親の借金を肩代わりしたって話も、ちょっとおかしい気はしてたけど」
「でもさ。司とにくっつかれちゃ困るなら、最初から預からなければ良かったんじゃない?」
「な…っ」
「おー!なるほど。さすが類くん」
「そう言われれば、そうだよな…。いくら遠い親戚っつっても、若い女を跡取り息子でもある司と一緒に住まわせるなんてしたかねーだろうし」
「てめーら…くっつくとか、くっつかねーとか、勝手なこと言ってんじゃねーっ」


自分抜きで会話を進めていく三人に、司は真っ赤になって怒鳴り散らした。
そんな事は日常茶飯事で慣れている。
総二郎は、特に気にもせず、話を進めた。


「で、司はどう思ってんだ?その件について」
「…あ?どうって…」
「だから…ちゃんと兄妹、言ってみればホントの家族ってやつになってもいいって思ってるわけ?」
「…そ、それは…」


あきらの言葉に司は急に口篭る。
が、視線を反らしながら、「よく…ねーよ」と、素っ気なく呟いた。
その言葉に、総二郎とあきらは顔を見合わせ、小さくガッツポーズをした。


「だったら阻止すればいいんじゃね?」
「だな。まあ、司の母ちゃんにどんな狙いがあるのか分からねーけど―――――――」
「でも…にとっちゃ夢が叶うかどうかっていう、大事な選択でもあんだよな…」
「「え?」」


ボソっと呟いた司に、二人は言葉を切った。


「…知らなかったよ。アイツに、そんな夢があったなんてさ」
「司…」



そう言ってワインを煽る司に、総二郎とあきらは何も言えず、類は静かにリビングを出て行った。













「はぁ…」


帰ってくるなり部屋に戻った私は、シャワーを浴びてスッキリすると、そのままベッドに寝転がった。
突然のおば様の申し出に、未だ頭が混乱している。


「養子…かあ…」


道明寺家の養子となれば、私は""じゃなくなるんだ。
道明寺として生きていかなくちゃならなくて、お父さんやお母さんの子供じゃなくなるってこと。
そう思うと、胸がズキズキと痛む。
なのに…どうしてお父さんはあんな事を言ったの?
私が了承したら、なんて…殆どOKしたようなものじゃない。
いくら私の夢の為だからって…


そう思いながら、ふと身体を起こし、クローゼットを開く。
そこには家から持って来た荷物が入っていて、中に一冊だけ勉強のためと持って来た本が入っている。
もう諦めたはずの夢なのに、こんな物を勉強して何になるんだろうと思いながら、どうしても捨てられなかったものだ。


「はあ…ズルイよ、お父さん…選択権を私に託すなんて…」


一人呟き、再びベッドへ向かおうとした、その時。
コンコン、と静かな部屋に、ノックの音が響き、ドキっとした。


「は、はい…司?」
「…よ」
「…あ…花沢…類…」


てっきり司かと思って返事をすると、ドアを開けて顔を出したのは花沢類だった。


「入っていい?」
「え?あ、う、うん。どうぞ」
「お邪魔しま〜す」


花沢類はそう言いながら部屋に入って来た。
私は一気に緊張しつつも、「ど、どうぞ座って」と、彼にソファを勧め、隣に自分も座る。
すると花沢類はジーっと私を見てくるから、更に鼓動がうるさくなった。


(そ、そんな綺麗な目で見られたら照れるんですけど…)


薄茶色の大きな瞳に吸い込まれそうになりながら、「ひ、久しぶり…って言うのも変だね」と、おかしな事を口走ってしまった。
が、花沢類も、「あーそう言えば今日会うのは初めてだね」とクスクス笑う。
その笑顔を見るのも久しぶりのような気がして、胸の奥がキュンと鳴った。
やっぱり花沢類の持つ、この柔らかい空気が好きだな、と思う。


「あ…そっか…。花沢類、静さんとデートだったんだもんね」
「…別にデートってものでもないけど」


私の一言に、花沢類が素っ気なく答える。
その様子に違和感を感じ、「何か…あった?」と尋ねたが、彼は軽く首を振ると、


「何かあったのはの方だろ?」
「…え?」
「今…司から聞いた。おばさん、を養子にって言ってるんだって?」
「あ…うん…まあ…」


花沢類にその話をされ、ドキっとしたが、何とか笑顔で答える。
でも彼は黙って私の顔を見ると、「で、どうするの?」と訊いて来た。


「どうするって…まだ言われたばかりで混乱してるの…」
の親は何て?」
「…それが…私の返事次第でいいって言ってるみたいで…」
「…そうなんだ。その方がのためになるって…そう思ってるのかもね」
「…うん…そうみたい…」


応えながら、ふと顔を上げると、花沢類はまた私を見ている。
目が合うたび、いちいち鼓動が跳ねるから、あまり心臓に負担をかけないで欲しい。


「な、何…?」
の夢って…何?」
「え…?」
「さっき司がチラっと言ってたから」


花沢類はそう言いながら、私の顔を覗き込んでくる。
少しの距離が縮んで、視界に彼の顔が映ると、だんだん顔が熱くなって、思わず視線を反らした。


「あ、あの…翻訳家になりたいって…前は思ってて…」
「…翻訳…?」
「うん…英語だけじゃなくて、イタリア語とかスペイン語とかも勉強してたの。高校卒業したら…留学しようと思ってた」


そう言うと、花沢類の眉がピクリと動いた。


「留学…って、何だか静みたいだね」
「あ…で、でも静さんみたいに志は高くないというか…って、あれ?静さんは?放っておいていいの?」


私が訪ねると、花沢類は小さく息をついて、「静は部屋で休んでるみたいだし」とだけ応える。
その言い方が、やっぱり素っ気なくて、ケンカでもしたのかなって内心思った。
でも不意に顔を上げると、花沢類はニコッと微笑んでくれて、また私の心臓に負担がかかる。


「翻訳家か…凄いね、
「え…す、凄くなんか…」
「そうやって夢を持ってるだけ凄いよ。オレなんか何もないし」
「…そんな事…花沢類はやろうと思えば何だって出来るじゃない。凄い事だよ?ホント尊敬してるし」
「………」


そう言って花沢類に微笑むと、彼はクスクス笑い出した。


「な、何笑って…」
てさ。ホント前向きだよね」
「え…そ、そぅかな…」
「そうだよ。前にも言ったけど、いつも元気をくれる」
「げ、元気って…そんな事はないと思うけど」
「何で?オレ、今少し元気になってきたけど」


そう言いながら花沢類は綺麗な笑顔を見せる。
そのたびに私の鼓動が早くなっていって、それと同時に痛みまでがついてくる。
この笑顔は私のものじゃない。
だから、これ以上好きになっちゃダメなんだ。
花沢類と話しながらも、何度も何度も自分に言い聞かせる。
花沢類は…静さんのものなんだから――


ホントは私だって、あなたといると癒されるんだよ?
なんて、とても口に出してはいえないけど。




「養子の件だけど」
「え…?」


ボーっとしていると、不意に花沢類が顔を上げた。


「あまり深く考えないで、のしたいようにしたらいい」
「花沢類…」
にとって、最良の道を選びなよ」
「…うん…ありがとう…」


花沢類の一言で、さっきまで重苦しかった胸の痞えが軽くなった気がした。


―――――――ほら…やっぱりあなたの存在で私は癒される。


そう思っていると、花沢類はふと思い出したように私を見た。


「そう言えば…、シャワー入ってたの?」
「…え?あ、うん、さっき…どうして?」
「…いや…その格好、さっきから気になってて」
「え?わ――――――ッ!!」


彼の一言にバっと自分の格好を見下ろすと、シャワーから出たばかりだった私は、バスローブ一枚を羽織っただけの格好だった――――――!
少しだけ緩んでいた前を慌てて引き寄せると、目の前でキョトンとしている花沢類をキッと睨んだ。


「…も、もっと早く言ってよっ」
「だって…も普通にしてるから、別にいいのかなと思って」
「な――――――(そんなわけあるかー!)」
「でもやっぱ自然に見ちゃうじゃん?」
「…は?」
「オレも一応、男だし」
「―――――――ッ!!」


ニヤリと笑いながら私の胸元を指差す花沢類に、クラっとした。
が、すぐにソファの端へと離れると、


「お、男だしって…な、何か今日の花沢類、変だよ?」
「…変?」
「だ、だって…なな何だか西門さんみたいなこと言ってるし…っ」(!)
「…そう?でも普通、目の前にバスローブ姿の女の子がいたら見ちゃわない?」
「な!ど、どうしたの…?ホント変…って言うか…もしかして酔ってる…?」


さっきから、かすかにしていたアルコールの匂いを思い出し、そう言ってみると、花沢類は天井を仰ぎながら、一言。


「あーうん。だって夕方からワイン……」


そう言いながら指を折り、数えだす。


「1、2、3、4…本飲んだかも」
「は?」
「帰ってきたら司ももいないから暇だったし」
「…だ…だからって……」


(4本は飲みすぎでしょーがっ!!だいたい暇って言っても、西門美作コンビがいるじゃないのっ)


花沢類は未だキョトンとした顔で首を傾げていて、見た目では酔ってると分かりにくい。
だけど、きっと凄く酔ってるんだと思う。
だってその証拠に、ソファの端で固まっている私の方に体を寄せて、「何、警戒してるの?」となんて言いながらニヤリと笑ってるんだから。


「べ、別に警戒なんか…し、してないけど…」
「ふーん。じゃあ…何でそんなに離れてるの?」
「だ、だからそれは…」


言いながらも、動くたびバスローブの裾が乱れるのを直しつつ、徐々に近づいてくる花沢類から離れていく。
楽しそうな顔をしているところを見れば、きっと動揺している私をからかってるんだろうけど、相手が花沢類だと、どうしても鼓動が早くなってしまう。


(これが西門さんなら思い切り突き飛ばせるんだけどな)(!)


そんなヒドイ事を思いながら、私は少しづつ近づいてくる花沢類の綺麗な顔を見ていた。


、顔真っ赤だよ」
「………っ」
「そういうとこ、可愛いよね」
「な…何言って…」
「何か目もウルウルしてるし」
「…う」
「凄く…可愛い」


(ダ、ダメだ!やっぱりちょー酔ってるかもしれないっ!)


僅かにトロンとしている彼の目に、こっちまでドキドキしてしまう。
そんな色っぽい顔で近づいてこられたら、何だか蛇に睨まれた蛙の気分だ。
緊張と動揺で顔が、というより、体全体が熱くなってくる。


…?」
「…ちょ…花沢類…ダメ―――――――」


とうとう花沢類の顔がドアップになるまで近づいた時、思い切り目を瞑った。


「………っ?」


が、声すら聞こえなくなって、その瞬間、体に何かの重みを感じ、パチっと目を開けてみれば。


「……ッ?」


目の前には柔らかそうな淡い茶色の髪が見えて、私は目が丸くなった。


「ちょ、ちょっと…花沢類…?」


まるで寄りかかるようにして私の胸元に倒れ掛かってくる花沢類に、固まっていた腕が上手く動かない。
それでも聞こえてくる、すーすーという寝息に、私は思い切り溜息をついた。


「寝てる…よね?間違いなく…」


何とか体を支えながらも、そっと花沢類の顔を覗き込んでみる。
体勢が体勢だから、顔半分しか見えないけど、何だか凄く安心したような顔で寝ている花沢類に、また胸の奥がかすかに鳴った。
とは言え、花沢類は私の胸元に顔を埋めるようにしていて、はっきり言ってこの体勢はかなり恥ずかしい。


「ど、どうしよ…ちょ、ちょっと…花沢類ってばっ」


いつまでも、こんな状態じゃ私の心臓がもたない気がして何とか起こそうと肩の辺りをポンポンと叩いてみた。
でもそんなものじゃ酔って眠ってしまっている人を起こすほどでもなく、花沢類は眠ったまま。


「はあ…相当、酔ってたんだ…そうは見えなかったのに…」


そう呟きながら、自分の腕の中にいる花沢類を見下ろす。
彼の少し早い呼吸音が聞こえてきて、その振動が胸に伝わってくるから、やっぱり恥ずかしくなった。


でも…恥ずかしいけど…嫌じゃない。
花沢類の寝顔を見るのは久しぶりで、つい笑顔になる。
そして、手持ち無沙汰だった腕をそっと花沢類の背中に回し、軽く抱きしめてみた。


「わ…結構、ガッシリしてるんだ…」


パっと見、細身なのに、触れてみれば、かなりガッチリしている事に気づき、驚いた。


「細いのに…意外に筋肉質…」


背中に回す手に少しだけ力を入れて、花沢類を抱きしめる。
普段なら、こんな事、絶対に出来ないから、今だけ、こうさせて欲しい。




コンコン!





「―――――――ッ!!(ビクッ)」





その時、不意にドアをノックする音が聞こえてきて、私は驚きのあまり体が跳ねてしまった。
その衝撃で、花沢類はズルズルと下降していき、私の膝の上にちょうど頭が乗っかった。
それでも起きる気配がなく、どうしようかとオロオロしていると、ドアの向こうから、「おい、。起きてるか?」という、
今、一番見られちゃマズイ相手の声が聞こえてくる。


マズイ!こんな状態を司に見られたら―――――――!


慌てて立ち上がると、花沢類はぽふっとソファの上に寝転がった。
とはいえ、この泥酔状態の彼が起きるとは思えず、仕方なくそのままにしておく。


「おい、!」
「な、何?」


急いで返事をすると、「何だ、いたのかよ」という声。
そして目の前のドアが勢い良く開いた。


「あ、ちょ―――――――」
「いるなら早く出ろよ……って、おま…!何だその格好!」
「え?あ…っ」


部屋に入ろうとする司を止めようとした矢先、私の格好を見た司が慌てて後ろを向いた。


「てめ、そんな格好で出るんじゃねーよっ」
「な、何よ。司がすぐドア開けるからでしょ?!」
「だったら開ける前にそう言えよ!つか早く着替えろっ」
「わ、分かってる!司は部屋に戻っててよ」
「何ぃ〜?せっかく来てやったのに―――――――」
「着替えたら司の部屋に行くから!じゃねっ」


そう言ってドアを閉めると、ホっと息をつく。
とりあえず司に入ってこられずに済みそうだ。


「やっぱ…マズイもんね、あれじゃ…」


チラっとソファに目をやると、花沢類はいつの間にかクッションを抱きしめながらスヤスヤと眠っている。
その子供みたいな寝顔に、つい笑みが零れた。


「はあ…そう言えば会った頃から花沢類には驚かされっぱなしだったっけ…」


司の家に行ってすぐ、私の部屋をゲストルームと間違えて、寝ていた事。
そして風邪の引いた私のお見舞いに来たくせに、部屋のソファで、やっぱりあんな風に眠ってしまった事。
思い起こせば花沢類が関わると睡眠事件(?)ばかりで、何だかおかしくなってしまう。


私は起こさないように素早く着替えると、そのまま静かに部屋を出て司の部屋へと向かった。



「司?入っていい?」


ノックをして声をかけると、「おう」という声。
そのままドアを開けると、ゲストルームとは、また違うゴージャスな部屋が現れ、私は唖然としながら中へと入った。


「何この広さ…」


別荘での司の部屋に入るのは初めてでキョロキョロしていると、奥から部屋の主が歩いて来た。


「飲むか?」
「あ、うん…」


司は手に持っていた缶ビールをポンと投げてよこし、私はそれを上手にキャッチした。
ソファに座り、部屋の中を見渡していると、司が隣に座って、訝しげな顔をする。


「何ジロジロ見てんだよ」
「だ、だって…凄い広いなあって思って」
「ああ…お前、入るの初めてだったっけ」
「うん。階も違うしね」


司の部屋はゲストルームとは別の階にある。
だから、こんな風に改まって来なければ見ることが出来なかった。


「凄い部屋だよね。実家も凄いけど」
「そうかー?ここ部屋数少ねーし、ちょっと狭いだろ」
「…どこがよっ」


その、ありえない発言に突っ込むと、司はビールを飲みながら楽しそうに笑った。
さっきよりは少し元気も出たみたいでホっとする。


「皆はまだ飲んでんの?」
「いや。あきらも総二郎も酔いつぶれてリビングで寝ちまった」
「あ…そ、そうなんだ…」
「気づけば類もいねーし、あいつも酔って寝ちまったかな」
「……ッ(ドキ)」


その言葉に、部屋で酔いつぶれている花沢類を思い出す。
私達が出かけている間、三人で散々飲んだらしいし、それも仕方のない事だろう。


「それで…どうしたの?何か用事だった?」
「別に。ただ…オレは飲み始めたばかりで眠くねーし…お前が起きてたら一緒に飲もうかと思っただけ」
「…そ、そう…」


そう言いながら隣でビールを飲む司を見る。
こうして司といると、どうしても先ほどのおば様の話が蘇ってきて、また現実の中に引き戻された感じだ。


「それとも一人で考えたかったか?」
「え…?」
「さっきの件だよ」
「あ…」


不意にあの話をされてドキっとした。
顔を上げると、司は黙って私を見ている。
その表情からは、司の本心は見えてこない。


「司は…反対なんでしょ?」
「あ?」
「さっき…そう言ってたし」
「………」


そう言うと、司はふと視線を反らし、小さく息をついた。


「…お前はどうしたいんだよ」
「え…?」
「夢…あんだろ?」
「…あ…」
「それ叶えたくても、両親に負担がかかるなら、お前は諦めるんだろうな」
「…司…」
「遠慮なんかしねーで、お前がしたいようにしろよ」
「…え?」


その言葉にドキッとした。
司は真剣な顔で私を見ている。
今の言葉は――本心なんだろうか。


「あ、で、でも私、まだ…」
「まあオレとしては…お前が妹になるのなんか、ごめんだけどな」


司はそう言うとビールをグイっと煽って、ニヤリと笑った。


「わ、悪かったわね…どーせ可愛くないですよ」


ちょっとだけムっとして唇を尖らせると、司が苦笑いを零した。


「そういう意味じゃねーよ」
「じゃあ、どういう意味よ」


そう言って司の顔を覗き込むと、不意に目が合ってドキっとする。
どこか熱っぽい視線が、いつもの司じゃないみたいだ。


「…な…何…?」


ゆっくりと私の方へ伸びてくる手にギョっとして司を見上げると、首の辺りでネックレスの揺れる感触が肌に伝わってきた。


「こんなもん、わざわざ作らせたのは…別に妹にやるためじゃねぇ」
「…え?」
「お前が妹になるなんて…冗談じゃねぇ…」
「つ…司…?」


ネックレスに触れていた司の手が、そっと頬に添えられて。
その後は、まるでスローモーションのように、近づいてくる司の顔を見ていた。



「――――――――ッ」



頬に添えられた手に少しだけ力が入って、顔を上げさせられたと思った瞬間、司の唇が、私のそれと重なった。
思わず目を見開くと、頬にあった手がするりと首の後ろに回り、グイっと引き寄せられる。
そのせいで、さらに上を向けられ、唇が深く交じり合う。


「ん……ぅ…」


いきなりの事で、体に力を入れる事が出来ず、また今の状況を脳が理解出来ていない状態だった私は、唇から伝わってくる司の熱に、軽い眩暈がした。
それでも軽く唇を舐められ、ビクっと体が跳ねた時、ふと我に返り、思い切り司を押し戻すと――――――――




パンッ




静かな部屋に乾いた音が響く。
掌がジンっとしてすぐに熱を帯びてきたけど、私は構わずソファから立ち上がった。


「―――――――な、何すんのよっ」


今された事が理解出来ないのに、やけに顔が熱い。
司は唇の端をぺロリと舐めると、「何って…キスだろ」と平然とした顔で言ってのけた。


「い、いきなり、こんな事して…な…何考えてんのッ?」


ドクドクと心臓が激しく波打つのと同時に、怒りとか驚きとかいった感情が一気に襲ってくる。
なのに目の前にいる司は、動揺した様子もなく立ち上がると、


「何って…お前の事、考えてるに決まってんだろが」
「…な…よ、酔ってんの…っ?」
「まあ多少はな。でも別に酔ったからって、こんな事したわけじゃねえ」
「…どういうつもり?」
「どうって…オレは―――――――」
「近寄らないで!」


一歩、後ろに下がって怒鳴ると、司は無言のまま立ち止まった。
はっきり言って司の行動が理解出来ない。
やっと少し打ち解けたと思ってたのに、また司が分からなくなった。


「最低…司なんか嫌いっ」
「あ、おい―――――――」


そう怒鳴って部屋を飛び出すと、廊下走り、階段を下りる。
そして、勢いよく自分の部屋へ飛び込んだ。
後ろ手にドアを閉めて、はぁはぁと肩で息をする。
ドキドキと鳴る心臓が、やけに耳に障った。


「……なんで…?」


荒い呼吸の合間に、そんな言葉が洩れてくる。
そっと唇に触れると、まだそこはかすかに湿っていた。


「…何であんな…」


よく分からない悔しさが込み上げてきて、ポロポロと涙が零れた。
どうして司があんなことをしたのか、という疑問が頭の中をぐるぐると回っている。


「司の…バカ…」


そう呟いて涙を拭く。
ふと顔を上げれば、ソファには花沢類の寝顔があった。


「…そっか…いたんだっけ」


花沢類は今もスヤスヤと眠っていて、その寝顔を見ると、また涙が溢れてきた。
ゆっくりとソファに近づき、膝をつくと、花沢類の寝顔が近くに見える。
柔らかそうな髪にそっと触れて、指を通すと、サラリとすり抜けていった。


「…やだ…止まらなくなっちゃった…」


溢れてくる涙を何度も拭う。
別にファーストキスというわけじゃなかったけど。
司にキスされた事が悲しくて、ただ、目の前にいる花沢類が愛しくて。
色々な想いがグチャグチャだ。


「…私は…あなたが好きなのに…」


そう呟いて花沢類のお腹の上に突っ伏した。


「あったかい…」


花沢類の体温を感じて、胸の奥が熱くなる


――――――――好きなのに、想いを伝えられない人。



でも…何度諦めてみたって、この想いだけは消えないの。
















お、少しは動いたかなー?
司も切羽詰ってやっと動き出しました(笑)
でもこの後は波乱の展開ばかり…?

いつも素敵なコメントをありがとう、御座います!
毎日励みになっております(´¬`*)〜*


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


●凄く笑わせて頂きました。オリキャラも捨てがたいですね。単に関西弁に弱いともいう…ハハハ。(社会人)
(笑って頂けて嬉しいです!オリキャラにも反応して頂けて感激(´¬`*)〜*関西弁、私も大好きです!)