救出











勢い良くホテル前に滑り込んできたベンツに、ボーイ達が慌てたように駆け寄った。
そして急ブレーキで停止したその車から飛び出るようにして顔を出した少年に、一斉に頭を下げる。
そこへの父ではなく支配人代理を務めていた副支配人も姿を見せ、その少年に一礼した。

「…道明寺クンはっ?」
「司坊ちゃんは部屋で待っております。どうぞこちらへ」

そう言って副支配人はホテル内へとその少年を案内していく。
ロビーの奥にあるプレジデンシャルスイートルーム直行のエレベーターに二人が乗り込むと、迎えに出ていたホテルのスタッフ達は安堵の息を漏らした。


「あれが結城グループの跡取り息子か…」


そう一人が呟けば、フロントに立っていた女性スタッフも相槌をうちながら溜息をついた。


「うちの坊ちゃん同様、若くていい男ねぇ」
「でもまさか結城グループの息子と司坊ちゃんが知り合いだったなんてなぁ」
「今、同じ高校らしいわよ〜?結城の息子がわざわざ、こっちの高校から英徳に転校したんだって!」
「へえ、そりゃ何でまた…」
「さあ?金持ちの考えてる事なんて私達には分からないわよ。それより……司坊ちゃん、さっき戻ってきた時、何だか慌ててなかった?」
「そう言えば…顔色が悪かったような…。その後、フロントに"今から結城グループの息子が来るから案内しろ"って電話が入ったんだろ?」
「…まさか道明寺グループが危ないのかしら…。結城と合併とか……」
「そりゃないだろ。道明寺家と結城家は昔からライバルだ…おっと。お客様の到着だ。仕事に戻ろう」


ホテル前にタクシーが止まったのを見て、ボーイが慌てて走って行く。それを見た他のスタッフ達も、通常の勤務に戻って行った。











「…入れよ」


ドアを開けた瞬間、司は素っ気ない態度でそう言った。大和はそのまま中へ入ると、開口一番、「ちゃんが誘拐されたってどういう事やねん!」と司に凄む。
その言葉に、司は怒りのこもった目で、大和を睨み、勢いよくその胸倉を掴んだ。そのせいでジャケットに引っ掛けられていたサングラスが、カシャンと床へ落ちる。


「どういう事かはオレが聞きてーんだよっ!!」
「……何やて?」
「電話をかけてきたのはてめーの仲間じゃねぇのかっ?昨日オレさまがぶっ飛ばした奴らだろ!白状しやがれ!」


司の言葉に、大和は小さく息を呑んだ。
確かに昨日、司とトモカ達がモメたのは聞いている。でもその後にきちんと釘は刺してあるし、そこまでするかどうか、疑問だったのだ。


「ちょお待ってぇな…。何か証拠でもあるんか」
「証拠だぁ?んなもんなくたって分かんだろ!昨日オレに殴られた腹いせにを浚ったんじゃねえのかよっっ?」
「そらアイツらはアホやけど…ちゃんを誘拐して身代金を要求してくるほど、頭は悪ない思うけどな」
「だったら誰がを浚う?!電話してきたヤツはがオレの親戚だって知ってた!けどオレが大阪来たのは昨日だ…。その短い時間で色んな情報どうやって知ったんだよっ」


司の剣幕に大和は小さく息をついた。
確かに、司の言う事にも一理ある。犯人はどこで司やの事を調べたのか。それとも前もって知っていたのか。
二人が大阪に来てから、関わった人間など、たかが知れてるだろうし、ゆきずりの犯行とはとても思えない。


「…分かった。道明寺クンがそんなに言うなら、オレがトモカ達に聞いてみるわ」
「んな事より、アイツらの溜まり場に連れて行け!もしかしたら、そこにが監禁されてるかも――――――――――」
「それはない」


携帯を出しながら、大和は軽く首を振った。


「奴らが溜まり場にしてる場所は、みーんなオレの…と言うよりは結城グループの息がかかってる場所や。そんな怪しげな事しとったら必ずオレんとこに連絡が来る」
「んな事、分かんのかよっ?つーか、てめーもグルだったら分からねーだろが!」


その言葉に、大和は初めて厳しい目で司を見た。


「オレがちゃんを傷つけるようなマネするはずないやろ」
「…何?」
「…彼女を泣かすようなことだけは、絶対せぇへん」
「…てめぇ…」


大和の真剣な顔を見て、司は拳を握り締めた。目の前の男は、自分と同じ目をしている。そう本能で感じたのだ。


「今、トモカ達に連絡してみるし、ちょお待ってや」


小さく息を吐くと、司に背を向け、大和は通話ボタンを押した。


『…もしもし?』


少し待った後、相手が出る。大和は軽く息を吸い込むと、「トモカか?」と声をかけた。


「オレ、大和。ああ…ちょお、お前に聞きたいことあんねん。あんな、ちゃんがおらんようなった。お前、何か知っとるん?ああ…そうや…」


大和が電話しているのを聞きながらも、司はイライラしたように部屋の中を歩き回った。時計を見れば午後4時にはなろうとしている。
今夜0時までに一千万を用意しなければならないが、そんな金額は道明寺司にしてみれば大した金額じゃない。
すでに銀行には頼んであるから、もうすぐここへ到着するだろう。
それより心配なのは、が今、無事なのかということだけだった。彼女が無事に帰ってくるなら、金など何も惜しくはない。


「…そうか、分かったわ。悪かったな、疑って。ああ…そんなんええって。ほな…またな」


そこで大和が電話を切ったのを見て、司は「どうだった?」とすぐに尋ねた。
金など惜しくはないが今すぐの居場所が分かるなら助けに行きたい。そんな思いが司の焦りを煽っていく。


「トモカ達は何も知らん言うてる」


そう言いながら、振り向くと、大和は携帯を切って溜息をついた。


「本当か?嘘ついてるんじゃ――」
「…分からん。けど誘拐されて身代金を要求された言うたら本気で驚いてたようやった…」
「…クソ!んじゃあ、どこのどいつがを…っ」


手がかりを得られず、司は苛立ちをぶつけるように、ソファを思い切り蹴り上げた。そんな司を見て、大和も息を吐くと、その場にしゃがみ込む。
突然の誘拐劇に、さすがの大和も動揺していた。と、そこへ部屋のチャイムが聞こえて、司がすぐに走って行く。
少しして司と一緒に入って来た50代後半くらいの男は、どこかの銀行の支配人だと言う事だった。
もちろん道明寺グループの息がかかっている銀行だ。


「悪かったな、支配人。急に入用になっちまってよ」
「いえいえ。道明寺さまには当銀行も大変お世話になっておりますので、こんな事くらいいつでも」


うそ臭い営業スマイルを浮かべながら、その男は自らの鞄を開け、中から分厚い紙包みを差し出した。


「一千万円です。どうかご確認下さい」


そう言われ、司は面倒だと思いつつも紙包みを開け、一応中身を確かめた。中には帯つきの札束が10束入っている。
金額にすれば相当なものだが、実際に目にする札束は、こうして持ち歩けるほどの量だ。


「確かに」
「…お数えにならないんですか?」
「…いい。信用してる」


一千万の札束を、いちいち数えてたら夜中までかかりそうだ、と司は素っ気なくそう言った。
支配人もそれ以上、余計な事は言わず、そこは軽く受け流している。
客の言う事に意見などしない方がいい、というのが、長年銀行マンをやって来た上で学んだ事だ。
もちろん、急にこれほどの大金を何に使うのか、などと問うつもりもない。
道明寺グループという、セレブ中のセレブがやる事は、自分達、凡人とは違うと十分に分かっている。
彼らにとっては一千万など、それほど重要な金額ではないという事も承知していた。
それにこの金は道明寺グループのではなく、司の個人的な金だ。大方、外車か何か買うんだろう、と支配人は勝手に考えていた。


「では私はこれで…」
「ああ。悪かったな」


二人に一礼して、いそいそと出て行く支配人に声をかけると、司は一千万を紙包みに元通り包みなおした。
金は用意できた。後は時間になるのを待つしかない。


「…あの支配人も、まさか自分が身代金を運んできたとは思わんへんやろなぁ。もちろんこの事は誰にも話してへんのやろ?」
「…言えるかよ。言ったらが危険だ」


金を支配人の用意してきた紙袋にしまいながら、司は舌打ちをした。
本当なら大阪中の警察官を総動員して、街中を探させたいくらいだったが、何の手がかりもないままではを危険にさらすだけだ。
そこは気の短い司も必死で我慢していた。


「…せやけど……何かおかしい思わへん?」


その時、ふと大和が呟いた。


「…ああ、そうだな…。てめーがここにいる事自体おかしい(!)てめーの仲間が犯人じゃねーんならもう用はねえ、帰れ」
「うわ、ひど!もう用済み言いたいん?人をえらい剣幕で呼びつけておいて」
を浚ったのがてめーの仲間だと思ったからだ。何の手がかりも見つけらんねーんなら、てめーに用はねーんだよ!あいつはオレが助ける」


冷蔵庫の中からビールを取り出し、司はソファに腰を下ろした。
酒でも飲んでなきゃやってられない気分だ。そんな司を見て、大和は溜息をついた。


「焦る気持ちは分かるで?オレも同じや。でも、よう考えてみい」
「…あ?何をだよ」
「身代金の事や…天下の道明寺グループに要求するには少し額が低すぎる思わへん?」
「……何?」


ビールを煽っていた司は、大和のその言葉に、ふと顔を上げた。
大和は何やら考えるように首を捻りながらも、「オレももらうで」と勝手に冷蔵庫からビールを出している。


「てめ…勝手に…!つーかオレの隣に座んじゃねぇ!」


まるで自分の家で寛ぐようにビールを煽りながら隣に座る大和に、司は目を吊り上げた。
それでも大和は気にする事もなく、まあまあと呑気に司の肩を叩く。


「こういう時、一人より二人の方がええやろ?ってか……そういや花沢クンの姿が見えんようやけど…どこ行ったん?」
「類ならカナダに戻った」
「そうなんや。なら尚更オレがおった方がええやん。他のF4もまだカナダなんやろ?」
「だからって何でオレ様がてめーなんかと一緒にいなくちゃならねーんだっ」
「派手に動けない以上、少しでも事情の分かるヤツがおった方がええに決まってるやん。それに…この誘拐劇は何や気になんねん」


大和は首を捻りながらそう言うと、うっとおしいと言いたげな司を見た。


「普通、道明寺家に身代金を要求するなら、もっと大きな金額を言うはずや。億単位でな」
「…んな事したら大事になるからだろ。道明寺グループに何億と要求したら、さすがに警察に黙ってるなんて事できねーからな」
「…にしても少なすぎる思わん?せめて一億くらい言うてきても良さそうやん。なのに実際は一千万…」
「てめー何が言いたいんだよ?」


一人考え込んでいる大和にイライラしながら、司はビールを全て飲み干すと、缶を手で握りつぶした。


「すぐに用意できる金額を言ったかもしれねーだろが」
「それもあるんやろうけど…。オレが思うにこの犯人はあまり計画性もない感じやし、もしかしたら急に思いついて金を要求してきたのかもしれへんなぁ」
「…どういう意味だよ」
「…………」
「オイ!無視すんなっ!」


急に黙り込んだ大和に、司は更に苛立ち、ソファから立ち上がった。手に握ったままの缶が、ミシミシと音を立てて潰れていく。
だが大和もビールを飲み干すと、空き缶をテーブルに置いて、ゆっくりと立ち上がった。


「オレ、ちょっと出てくるわ」
「あぁ?!」
「でも時間までには戻るし、待っとってな」
「オ、オイ!待てよ、てめぇ!オイコラ、お笑い芸人!!つーか、てめーはもう来んな!!」


サッサと部屋を出て行く大和に呆気に取られつつ、司は思い切り怒鳴ると、大きく息を吐き出した。


「…クソ…!何だってんだアイツ……」


大和が出て行く音を聞きながら、司は軽く舌打ちをすると、再び冷蔵庫からビールを取り出し、それを一気に煽った。












「…痛…」


縛られた手に痛みが走り、私は動かすのをやめた。ここへ連れて来られてから何時間経ったんだろう。
暗い部屋の中に、隣にいる男達の笑い声がかすかに響いてくるのを聞きながら、私は必死に恐怖と戦っていた。
何者かも分からない男達3人に車に連れ込まれ、目隠しをされたあげく、こんな場所に連れてこられた時の恐怖は、きっと一生忘れないだろう。
――誘拐。
映画やドラマのような事が、自分の身に起きるなんて思いもしなかった。
しかも目的は身代金…それも私の家族ではなく、道明寺家に対して要求しているようだ。
先ほど電話口に出された時、聞こえた司の声を思い出し、私は軽く唇を噛んだ。
このままじゃ司や楓おば様にも迷惑をかけてしまう。それだけは一番避けたかった事なのに。


「……はあ」


深く息を吐きながら、ロープできつく縛られた手を見下ろす。
先ほどから何とか外そうと動かし続けたが、手首が擦り切れるだけで、少しも緩む気配はない。


「…どうしよう…このままじゃ…」


恐怖と戦いながらも、私は焦っていた。隣にいる男達は、今、酒を飲みながら今夜の計画を話し合っているようだ。
"――今夜0時。海のふれあい広場"
先ほどチラっと聞こえた感じだと、司にそこへ金をもってこいと言っていたようだった。あれから何時間経ったのかすら分からない。
その前に逃げたかったが、この様子では無理だろう。
それに…他にも不安があった。
先ほど男達の会話を聞いた時、その中の一人が私を見ながら「あとで頂くか」と言っていた事を思い出す。
何度となくいやらしい目つきで見ていた事から、それがどんな意味のものなのか、私にだって分かってしまった。


「…こんなトコで犯されてたまるもんですか…っ」


泣きたいのを堪えて、再び手を動かす。
擦り切れる痛みで涙が溢れたけど、あんな奴らに好きにされるよりずっとマシだ。
それに万が一、司がお金を払ったからって私を無事に解放してくれるという保証はどこにもない。
チャンスがあれば逃げ出した方がいいに決まってる。 幸い、この部屋には窓が一つだけある。
そこにはカーテンが引かれているから、外の景色は見えないが、ここへ来るまでの間、階段らしきものは上ってない。
この部屋は多分一階だろうと思っていた。


「…っ」


必死に動かしたせいか、少しだけロープが緩んだ気がした。この調子でいけば…。
そう思ったその時。突然ドアが開き、男が一人、顔を出した。


「大人しくしてるようやん」
「………」


内心ドキっとしたが、こんなヤツに弱みを見せるのはまっぴらだ。目の前にしゃがみ込む男を、思い切り睨み付けた。


「おーおー。怖い顔しちゃって。まるで毛を逆立てた猫やなぁ」
「…触らないでっ」


顎を指で持ち上げられ、私は思わず顔を背けた。
そんな私の態度に、男は怒るでもなく楽しげに笑っている。この余裕の態度が腹立たしく感じた。


「さすが親戚とはいえ道明寺の家のもんや。気が強いわぁ。アイツラが言ってた通りやわ」
「………っ?」
「ま、オレは気の強ーい女を無理やり言うこと聞かせるんが好みやからええけど」


男は楽しげに笑うと、ゆっくりと立ち上がり、私を舐めるように見た。その視線にゾっとして顔を背ける。


「もうあと3時間もすれば金が手に入る。その後、ゆっくり可愛いがってやるし、大人しゅうしとけよ」


やはり金を受け取っても私を大人しく帰す気はないらしい。
男はそれだけ言うと静かに部屋を出て行った。
再び静けさを取り戻した部屋の中で、私はホっと息を吐き出しつつ、先ほど男が言っていた事を思い出していた。


「…アイツラって誰…?」


"アイツラが言ってた通りやわ"と、男は言っていた。
少なくとも"アイツラ"と称された人物は私の事を知っている、というようなニュアンスだ。
あの言い方だと、その人物らに私のことを聞き、こんな風に浚ったように思えてくる。でもここは大阪で、初めて来た街だ。
そんなに親しい人物などいないし、出会った人たちだってたかが知れている。


「…まさか…」


ふと、大和の友人達を思い出した。
大和が私をかまうのが面白くないといった顔でからんできた子達…昨日、司に怒鳴られ、悔しそうな顔で逃げ帰って行ったっけ。
そう…彼女達なら人に頼んでこんな事をしてもおかしくはない。それに私のことを大和から聞いて、多少の事は知っているはずだ。


「…冗談じゃないわ」


もしこの誘拐を彼女達が仕組んだ事なら、許せないと思った。この行為は大和の事も裏切っているという事になる。
私は溜息をつくと、血の滲んだ手首を見下ろした。何度も擦った手首は、痛々しいほど赤くなっている。
それを見ていると、また泣きたくなってきた。


「…やだ…。泣いたって仕方ないのに…」


頬を零れ落ちる涙すら拭けず、軽く唇を噛み締めた。
本当なら今頃、家でグッスリ寝ているはずだったのに、と思いながら壁に凭れかかった。
物置のような部屋の中は暖房器具など一切なく、少し肌寒い。―――――まあ、カナダよりはマシだけど。


「花沢類……今頃、静さんと会えてるかな…」


不意に優しい笑顔を思い出し、胸が痛む。夕べ花沢類が静さんのところへ戻る、と言った時、少なからずショックだった。
でも彼のためを思うなら、その方がいいんだ、と言い聞かせたのだ。


「はあ……っていうか、今は失恋で悲しんでる場合じゃないか…」


泣いたせいか、それとも花沢類の顔を思い出したおかげか。さっきよりは少し気持ちがスッキリしてきた。
とにかく今は自分の身を守らないといけない。
そう思い直し、私は再び、手首の痛みを堪え、ロープを緩めようと手を動かし始めた。











「…ヤバイって。どうする?」


サキは落ち着きなく、煙草を吹かしながら、隣にいるトモカを見た。

「出なくてええの?大和からやろ…さっきからずっとかけてきてるし…」
「…今はマズイやろ?さっきの電話で誤魔化した思たのに…」


トモカは悔しそうに唇を噛み締めながら、テーブルの上のグラスを取り、中のカクテルを一気に煽った。
ここは普段から通っているクラブのビップルームだ。
先ほど大和から電話を受け、が誘拐された事を聞いて、家から飛び出し、ここでサキと落ち合ったのだった。


「だいたい何で滝沢さんは身代金なんか要求したん?うちらはただ、あの女を襲ってって言うただけやん!誘拐、しかも身代金を奪えなんて頼んでへんのにっ」
「うるさいなぁ!分かってるて、そんなん!私かて大和から聞いてビックリしたんやから!」


すっかり動揺しているサキに、トモカは大声を張り上げた。もちろんトモカも動揺している。
滝沢に計画とは全く違う行動をされ、それも誘拐して身代金を要求するといった犯罪行為に、少なくとも自分達は手を貸しているのだ。
直接手を下してなくとも、きっかけとなった話を提案したのだから、共犯という事になってしまう。


「どうする?トモカ…。こうなったら、うちらが滝沢さんに少しお金払って、止めてもらった方がええんちゃうか?」
「アホちゃう?そんなはした金であの男があの子、返す思う?」
「せやけど、もし滝沢さんらが捕まってもーたら、うちらも共犯になるかもしれへんねんでっ?そうなったら、うちら終わりやし!」
「分かってる言うてるやろ!今、考えてんねん!…チッ。あの男、道明寺財閥の名前聞いて欲かいたんや…これやしチンピラヤクザは嫌やねんっ」


イライラしながらカクテルを煽ると、トモカは思い切り足を踏み鳴らした。その音にサキがビクリと肩を揺らす。
その時、再びトモカの携帯が鳴り響き、二人はハッと息を呑んだ。


「…大和からや…」
「…アカンて…もうバレてるんちゃう…大和は鋭いで?」
「…うちらがやらせたゆう証拠はないやろ。大丈夫や」
「なら何で何度も電話してくるん?うちらのこと探してるんやない?」
「ビクビクせんといて!今、大和に会うたら、あんたのその表情でバレそうやわ!」


泣きそうなサキを怒鳴りつけ、トモカはカクテルを飲み干した。そして未だ鳴り続けている携帯の電源を切ると、ホっとしたように息をつく。
そんなトモカを、サキは恨めしそうに見ていた。


「とにかく…今回の事はうちらは何も関係あらへん。無関係や。ええな?」
「……うん…」


普段から友達だが、その中でもトモカはリーダー的存在で、逆らう事は許されない。そのトモカに強く言われ、サキはただ頷く事しか出来なかった。










「そろそろか…」


時計の針が午後11時半をさす時、司はゆっくりと立ち上がった。
フロントに電話をかけ、車を一台用意してもらうと、先ほど受け取った金を手に部屋を出る。
一人で時間が経つのを待つ間、色々と考えてみたが、結局いい策は浮かばず、やはり犯人に言われたとおりの行動をするしかない、と静かにその時を待っていたのだ。
のことは心配だったが、無事である事を信じて、司は用意されたリムジンに乗り込んだ。


「海のふれあい広場まで行ってくれ」
「畏まりました」


運転手がそう返事をした時だった。バンっという大きな音がして、司が驚いて顔を上げると、窓の外に大和が立っていた。
司がギョっとしていると、大和は口で何かを言いながら何度も窓を叩いている。


「ホントに来たのかよ…」


と舌打ちをしながら、最初は無視して行こうかとも思ったが、あまりにうるさいので仕方なく窓を開けた。


「何だよ!うるせぇな!!」
「遅くなってごめんなー待った?」
「待ってねーよ!!」


いきなりのおトボケ発言に司が目を吊り上げる。だが大和は大して気にもせず、「下りて、道明寺クン」と勝手にドアを開けてしまった。


「あぁ?何で下りなくちゃならねーんだ!これから金持ってくんだよっ」
「分かってるて。でもこんな派手な車で行ったらめっちゃ目立つで?それよりオレの車で行こ!ホラ、はよ下りて」
「…な、おい何すんだっ」


無理やり腕を引っ張られ、司はリムジンから降ろされてしまった。運転手も呆気に取られた様子で、振り返っている。


「てめー何すんだよ!」
「ええから、はよ乗れ!行くで!」
「お、おい待て!」


見れば少し離れたところに、一台のポルシェが止まっている。
大和は慣れた様子でそれに乗り込むと、司に早くと手招きをした。


「てめーの車も十分派手だろが!!」
「あのダックスフントみたいなリモよりええやろ?それより行くで!」
「…チッ!ったく勝手な奴だな…っ」


助手席のドアを開けられ、司は文句を言いつつも仕方なく大和の車に乗り込んだ。その瞬間、大きなエンジン音と共に、ポルシェが走り出す。
最初からかなりのスピードを出しているのか、大きな道路に出た頃には、100キロ近いスピードで走っていた。
次々と車を追い抜いていくポルシェに、前を走る車も慌てて横に反れ、道を開けてくれる。


「お、おい…大丈夫かよ…捕まるぞ」
「大丈夫や。ここは大阪やで?この街で結城の名を知らんヤツはおらん」
「そーかよ…。ならもっと飛ばせ!」
「言われなくてもそーするわ。ちゃんが心配やしなぁ」


大和はそう言うなり、思い切りアクセルを踏み込んだ。ポルシェ独特の深いエンジン音が響き渡り、更に周りの車が道を開けていく。


「へえ…便利だな…」
「オレの愛車はポルシェん中でも最高級や。皆、ぶつけたらアカン思て、いつも避けてくれはるわ」
「…チッ。お前はお笑い芸人のクセに暴走族もやってんのか」
「…あはは!やっぱおもろいやっちゃなあ、道明寺クンはー」
「あぁ?!全然おもしろくねーよ!!つか、てめー行き先分かってんのかぁ?!」
「………あ、知らんかった」
「アホかてめぇ!!」
「お♪ええ突っ込みするやん、道明寺クン♡」


殴りたいのを堪えている司に、大和は楽しげに笑うと、「どこ行けばええねん」とバックミラーを見ながら聞いた。


「…"海のふれあい広場"だよ!」
「りょーかい!」
「うわぁ!」


行き先を聞いた途端、大和が思い切りハンドルを切り、派手にタイヤを慣らしながらUターンをした。


「な…な、何しやがるっ」


突然のUターンに、頭をガンゴンとぶつけた司は、真っ赤な顔で怒鳴り散らした。
それでも大和は余裕の顔で反対車線に出ると、一気にスピードを上げていく。


「ゴメンゴメン!反対方向に思い切り走ってたし。でもこっから更に飛ばすで?ちゃんと掴まっとってな道明寺クン。オレ、免許取立てやし♡」
「あぁ?!!……ったく…ふざけたヤツだなてめーはっ!事故んじゃねーぞ!」


痛む頭を擦りながら、司は半目で大和を睨む。
何故こんな時にこんなヤツと行動を共にしなくちゃならねえんだ、と思いながらも、大阪に詳しい大和がいれば便利だ、と言い聞かせ、何とか殴りたいのを堪えた。(その前に運転中)


「…ところで…てめーはどこ行ってたんだよ」


先ほど、ちょっと出てくるとだけ言っていなくなった大和が気になり、司は溜息混じりで尋ねた。
その問いにふと真剣な顔をした大和は、上手に前の車を追い越しながらも、小さく息を吐いた。


「やっぱり、ちょっと気になってな。トモカ達を探しとってん」
「…何?」
「さっき話した時は何も知らん言うてたけどな…。道明寺クンとモメた後やし…もしかしたら思て」
「…で?会えたのかよ」
「いや…いつも行く場所は大抵覗いてみたけどおらんかった。電話かけても出ぇへんしな」
「…さっきは出たのに今は出ないのかよ!めちゃくちゃ怪しいぞ、それっ」
「せやなぁ。まあ…アイツラはオレの知らん知り合いも結構おるみたいやし…この誘拐ももしかしたら、そのうちの誰かに頼んだんかもしれん…。身代金の額も少ないしな」


大和は深々と息を吐き出し、どこか寂しげにそう呟いた。
その横顔を見ながら、司は文句を言いかけた言葉を引っ込めると、真っ直ぐに前を見据えてシートに凭れかかる。
車体が低いポルシェは、身長の高い司にすれば、かなり乗り心地が悪く、足がいいように納まらない。
何度か足を動かしながら、司は小さく舌打ちをした。


「もし今回の事にお前のツレが絡んでて…その上にもしもの事があったら……オレはてめーをぜってー許さねーからな…」
「…………」


ボソっと呟かれた司の言葉に、大和は深く溜息をついた。


「…分かってる。そうなれば…オレも自分自身を許せへんからな…」
「…………」


いつもの能天気な態度ではなく、真剣な顔の大和を見て、司は無言のまま、窓の外を見た。
僅かに窓を開けると、かすかに潮の香りがする。遠くには、埠頭を照らすライトがぼんやりと見えてきた。








「…何もねぇじゃねぇか…」


広場に到着し、車から降りた司は、だだっ広い景色を眺めながら舌打ちをした。
すぐ近くには大阪湾が見えるせいで、かすかに波の音が聞こえてくる。


「こんなとこ夜中に来るのはエッチ目的のカップルだけや」


大和が笑いながら指をさした方向には、確かに何台か車が止まっているのが見える。だがそれ以外に人がいる気配がない。


「…クソ…ここのどこに来るつもりだ…」
「人気のない場所の方が都合がええんやろ…気ぃつけや、道明寺クン」
「あぁ?誰に言ってんだ、てめぇ――――」


その言い方にカチンときた司が声を張り上げた時だった。静かな空間に携帯の音が鳴り響き、司と大和は互いに顔を見合わせた。
司がポケットから携帯を取り出すと、ディスプレイにはの名前が表示されている。ソレを見た司は慌てて通話ボタンを押した。


「もしもし?!」
『おー道明寺クン?ちゃんと来てくれはったみたいやなぁ。おりこうさんやん』
「あぁ?!てめー誰に口利いてんだコラ!!今どこだよっ」
『あらら…アカンアカン。自分の立場、まーだ分かってへんみたいやん。オレの一言で大事な彼女がどうなる思う?』
「…てめぇ……っ」


怒りのあまり、携帯を握り締めると、ミシミシと軋む音がする。
それを見ていた大和は、「落ち着け…相手の出方をみるんや」と、小さく声をかけた。
その言葉に司は舌打ちをすると、軽く深呼吸をしてから、、「金は持って来た」とだけ告げた。


『お!さすが道明寺グループの跡取りさんやなぁ。一千万もの大金をポンと用意出来るなんて凄いやん』
「……うるせえ。早く取りに来い。そして今すぐを返せ!」
『せっかちやなぁ。まあええわ。オレもはよその大金拝みたいし…。ほな、管理棟がある場所まで来てんか?近くまで来たら教えてや』
「あ?管理棟だぁ?」


その言葉に、大和はすぐ分かったのか、軽く頷いた。
そして司に手招きすると、暗い広場を歩いていく。それを見て、司も慌てて後を追った。


「……そこにがいんのか」
『そうや。ちゃんと元気にしてはるで?』
「あいつに何もしてねーだろうなぁ」
『大事な人質に何するゆうねん…。まあえらいベッピンさんやし、ちょっと理性が危うかったけどなぁ』
「てめぇ…に手ぇ出してみろ!半殺しじゃすまねぇぞっ!」


男の言葉にカッとなり、思わず大きな声で怒鳴る。
その声に大和が振り向き、人差し指を唇に当てた。その仕草に、司が視線を向けると、前方に建物らしきものが見えた。


『道明寺クン…まだオレ達の方に分があるゆうこと忘れんようにな。オレの機嫌を損ねたら彼女、裸にひんむいて皆で頂くで?』
「………ッ」


低い声で笑う男の言葉に、司は思い切り歯を噛み締めた。


『もちろん警察にも言うてへんやろな』
「……ああ…言ってねえ」
『そら助かるわ』
「んな事より…管理棟の近くまで来たぜ?これからどうすればいい」
『ああ、ほな……その近くにトイレがあるやろ』
「あ?ああ、あれか……あるぜ」
『そこに金持って一人で来てや。ああ、一緒におるツレはその場所で待機やで?』


男の言葉に、司は小さく息を呑んだ。向こうはコッチの様子をどこかから見ている。大和の事も知っているようだ。


「……分かった」
『ほな、後で』


電話はそこで切れ、司はすぐにトイレの方へと歩き出した。それを見た大和も慌てて追いかけていく。


「おい道明寺クン!相手は何て言うてんっ」
「ついてくんな!奴らはコッチを見てる!オレ一人で来いって言ってんだよっ」


司がそう怒鳴ると、大和はハッとしたように足を止め、分かった、とだけ言った。


「気ぃつけてな…」
「金渡して、を取り返したらすぐ戻る」


司はそれだけ言うと、大和を残し、指定されたトイレまで歩いて行った。焦りからか、自然と足が早くなる。


「…ここか…」


最後は一気に走り、トイレの前までやって来た。
だが外からは中が伺えず、司は小さく深呼吸をすると、「オイ!」と大きな声を張り上げた。


「来たぞ!出て来い!」
「…こっちや!」


その時、電話で聞いたのと同じ声が、男子便所の方から聞こえてきて、司はそのまま男子便所に飛び込んだ。


「…どこだよ?」


中へ入ると、トイレ独特のツンとした匂いが鼻をついた。思わず顔を顰めながら、ゆっくりと奥へ歩いていく。
コツン、コツンという自分の靴音を聞きながら、司は警戒しつつ、足を進めた。だが人のいる気配がない。


「おい…どこだよっ?」


奥まで行ったところでそう叫んだ瞬間だった。突然、後頭部に衝撃が走り、司は床に膝を着いた。


「道明寺クン、いらっしゃーい!」
「……て、てめぇ…っ」


痛みに顔を歪めながら振り返ると、後ろにはバットを持ったチンピラ風の男が一人、ニヤついた顔で立っていた。
どうやら個室に隠れ、司が来た時に後ろからバットで殴ったらしい。司の額から、生ぬるい液体が、ゆっくりと垂れて行った。


「油断したらアカンやん、道明寺クン」
「…てめぇ、金が目的じゃねーのかっ」
「もちろんそうや。でもなぁ……オレ、金持ちって嫌いやねんかー。せやから一度思い切りしばいてみたかってん」


男はニヤニヤしながらバットを肩に担ぐと、「スッキリしたわぁ」と楽しげに笑った。


「どうや?こんな事されたん初めてゆう顔やなぁ」
「………ッ」
「どーせ普段からチヤホヤされてんねやろ?このボンボンがっ!!」
「…ぐ…っ」


今度は正面から肩を殴られ、司は溜まらずその場に倒れこんだ。額をかすったのか、そこからも血が流れ出て、床に血しぶきが飛ぶ。


「あらら、悲惨やなぁ。まあでも道明寺グループの跡取りやし、でかい病院で手厚く治療してもらえるんやろ?なら大丈夫や」
「…て、てめえ……」
「ああ、そうそう。忘れるとこやったわ」


身体を起こそうとしている司を見下ろしながら、男は満面の笑みでしゃがみ込み、床に落ちている紙袋を拾った。


「金、もろておくわ。おーほんまに諭吉がぎょーさんおるやん」


中身を確かめ、男が満足そうな声を上げる。
それを見ながら司は痛みを堪え、何とか体を起こすと、フラつく足でゆっくりと立ち上がった。


「…それでいいだろ…。は…はどこだ…」
「ああ……あの子か。あの子なら……隣の女子便所に監禁してる」
「………ッ」


それを聞いた瞬間、司は外へ飛び出し、女子便所の中へと入って行った。


!どこだっ?!返事しろっ」


殴られた傷の痛みに堪えながらも、早くの無事を確かめたくて、司は全ての個室を開けて行った。
だが監禁されているはずのの姿がない。
最後に用具室まで覗いたが、そこにもの姿はなく、そこでハッと息を呑んだ。


「あの野郎……!!」


再び外へ飛び出し、男子便所の中へと戻る。だが、すでに男は姿を消していた。


「クソ!!ふざけやがって…!!!」


拳を握り締め、思い切り叫ぶと、司は力いっぱい拳を壁に叩きつけた。ミシ…っという鈍い音がして、その場所がボっコリとへこんでいる。
そのまま外へ飛び出したが、外にもあの男の気配がない。


「…クソ…どこだよ、……!」


金は奪われ、を取り戻す事が出来なかった苛立ちが、次第に大きな不安へと変わっていく。
トイレの周りを何度も探したが、車一台見当たらない。


「…の野郎……どこに消えやがった!!出てきやがれ!!」


思い切り叫んだその時だった。トイレ近くにある、誰もいないはずの管理棟の中で、一瞬、明かりが見えた気がして立ち止まった。
だが今は何も見えず、ただ暗闇と静けさが辺りを包んでいる。
その時、「道明寺クン!」という大和の声が聞こえて、駐車場から走ってくる影が見えた。


「どうしたん!何叫んで――――――――――って、うわ、えらい血ぃ出てんで!」
「うるせえ!それどころじゃねーんだよ!」


司の傷を見て驚いている大和を尻目に、司はもう一度、管理棟に視線を向けた。


「……おい、お笑い芸人」
「…あんなぁ。オレにも結城大和ゆう、イケてる名前があんねんからその呼び方は―――――――――」
「あの建物、誰でも入れるのか?」
「あの建物…?」


溜息交じりで訴えていた苦情を遮断され、大和は司が指をさした方向へと目を向けた。


「ああ…管理棟か。いや誰でもは入れへんやろ。この時間は閉まってる思うし、誰もおらんはずや」
「…でも中で一瞬だが、明かりが見えた…」
「え、明かりて……」
「…あのトイレからあそこまでなら……十分、オレに見つからず、戻れる距離だ」
「…どういう事なん?ってゆーかちゃんはどないしてん。金は払ろーたんやろ……って、ちょ、道明寺クン!!」


一人、走り出した司に、大和も慌てて追いかける。司は管理棟の前まで来ると、中を確認することもせず、いきなりドアを蹴破ってしまった。
ドゴンっという派手な音と共にドアが倒れ、さすがに大和も目を剥いた。


「な、何してんねん!ドア壊して勝手に入ったら――――――――――」
「うるせえ!ここにがいるかもしんねーんだよっ」


そう叫ぶと、司は真っ暗な部屋の中へと足を踏み入れた。それに大和も続く。
中はシーンと静まり返り、人のいる気配はないように見える。だが、足元をよく見ると、煙草の吸殻や、ビールの空き缶が転がっていた。


「やっぱりここか……」
「うわ、何やこれ…えらい散らかってるわ…」
「てめーは上を見て来い。オレは下の部屋を探す」
「…分かった」


司の言葉に頷くと、大和は静かに階段を上がっていく。そして司は奥に進むと、そこに少し小さめのドアを見つけた。


「物置か…?」


そう呟いたその時、中からかすかに人が動く気配がした気がして、司は目の前のドアを開けようとした。
しかし鍵がかかっていてドアは開かず、仕方なく先ほどと同じように力任せに蹴破る。
それほど頑丈な作りではなかったのか、小さめのドアは簡単に派手な音を立てて内側へと倒れこんだ。
そのまま部屋の中へと飛び込む。


「……っ!」
「…んーっんーっ」
「……っ?!」
「クソ…!何でバレたんだっ」


中へ飛び込んだ司の目に飛び込んできたのは、さっきの男がの口を塞ぎ、窓の方へと逃げようとしている姿だった。


「てめぇ………っ」
「ち、近寄るな!!近寄ればこの女の顔に傷がつくでっ?」


男は持っていたバットを床へ捨てると、ポケットから小型のナイフを取り出し、の頬へと当てた。
その感触に、も思い切り目を瞑っている。
だが司だけは動じることなく、迷う事なく、二人の方へと歩いていく。


「く、来るな!!ほんまにやるでっ?」
「やれよ…。ただし…ちょっとでもそいつを傷つければ…てめぇは全殺しだ!!」


男が床に捨てたバットを拾うと、司はそれを思い切り振り上げた。司のあまりの迫力に男が首をすぼめる。
その拍子に拘束していた男の手が緩み、は思い切り男を突き飛ばした。


「うわっ」


無防備だったところへの体当たりで、男は回避する事も出来ず、その場に転がってしまった。
その隙を逃さず、司がを自分の後ろへ押しやり、倒れている男の前に立ちふさがった。


「…や、やめてぇな…。な?金は返す!せやから――――」
「うるせえ!!さっきオレ様を殴った礼、まだしてなかったよなぁ…。てめーの頭蓋骨、砕いてやろうかぁ?!あぁ?!」
「…ひっ!!」


司がバットを振り上げた瞬間、男は両手で頭を抱え、その場に蹲ってしまった。ついでに股間の辺りに染みが広がっている。
それに気づいた司はゲンナリした様子で目を細めた。


「もらしてんじゃねーよ!臭せぇだろ!」
「ぎゃぁぁっ」
「司…やめて!」


もう一度バットを振り上げた司に、男は情けない声をあげ、は慌てて止めに入った。


「もういいよ…私なら大丈夫だから…こんな人、放っておこ?」
「…チッ。まだ何もしてねーよ……」


必死で司の腕を掴むを見て、司は苦笑いを零した。だがの縛られている腕を見て顔色をかえると、急いでロープを解く。
そこに出来た傷を見て、思い切り息を吐いた。


「大丈夫かよ…」
「うん…これくらい平気。もう少しで解けそうだったんだよ?」
「………」
「でも……助けに来てくれてありがとう…それと迷惑かけてごめんね…こんな怪我までして……」


泣きそうな顔で微笑みながら、それでも申し訳なさそうに目を伏せるに、司は胸の奥が苦しくなった。
そのままを思い切り抱きしめると、かすかに震えていた体がピクリと跳ねる。それでも構わず、強く抱きしめた。


「つ、司…?」
「……心配かけんじゃねーよ…」
「……ご、ごめん…」
「お前が無事で良かった…ホント…良かったよ…」


を抱きしめながら呟く。その言葉と、腕の強さに、の鼓動が僅かに跳ねた。
そして、一人捕まっていた時の恐怖から解放され、不意に目頭が熱くなる。


「…ん!ん!」
「「――――――――――ッ」」


その時、突然咳払いが聞こえて、司は慌てて腕を離した。見ればドアのところに大和が半目状態で寄りかかっている。


「大和…?!」
「感動の再会んとこ邪魔して申し訳ないねんけど……上に仲間が二人おったし捕まえたで」
「お、おう…そうか……つか、まだ他にもいやがったのかよ」
「ってゆーか何で大和がここに……」


事情の知らないが驚いたように交互に二人を見ている。そんな彼女の顔を見て大和は苦笑交じりで肩を竦めた。


「何て、道明寺クンと一緒にちゃんを助けに来てんで?」
「え…な、何で司と……」
「まあ話せば長くなるし…それはまた今度な。それより……」


大和は不意に真剣な顔になって、二人の前に歩いて来た。そして徐に頭を下げると、


「…悪い!上に隠れてたヤツに聞いたら、やっぱりこれ仕組んだんオレのツレやった」
「…あぁ?!何だとコラ!!」
「身代金目的の誘拐はこいつらが勝手にやった事みたいやねん。でも最初にちゃん浚えゆう話をもってきたんはオレのツレや……ほんま悪かった!」


そう言って二人に頭を下げる大和を見て、司は拳を握り締めた。
も驚いたように大和を見ていたが、隣で拳を震わせている司に気づき、無言のままその手を握る。
それには司も驚いたようにを見下ろした。


「もう、いいよ…。何となく分かってたし…それに大和のせいじゃない」
「…おい、――――」
「司も悪いんだよ?大和の友達、あんなに殴るから」
「…あ、あれはだってよ…」
「とにかく!大和だってこうして頭下げてくれてるんだし…もういいよね」
…」


哀願するような目で見られ、司は言葉に詰まった。あの男から電話を受けてからの一日を考えれば一発殴らないと気がすまない。
でも目の前で頭を下げている大和を殴る気には司もなれなかった。


「分かったよ…がそう言うなら…それでいい」
「…ありがとう、司」


大和もそこで顔を上げると、もう一度だけ、ごめんな、とに誤った。


「…さあ、サッサとコイツラ縛って帰ろうぜ!」


そこで司が元気よく叫び、床で伸びている男を見下ろした。
他にも大和が捕まえた二人も一発づつ喰らって気絶している。
司は三人を部屋の隅に転がっていたロープで縛り上げると、警察に不審者がいる、とだけ通報した。


「さて、と。これでいいだろ。これで不法侵入したマヌケ野郎として逮捕される」
「え、でも、いいの?通報者はきちんと事情聴取受けないと…」
「うなもん受けてみろ。こいつのツレの事まで話すハメになるぞ」
「…あ…」


司にそう言われ、はハッと顔を上げた。確かにこうなった事情を話すなら誘拐された事まで話さないといけない。
そうなれば当然彼らにそれを頼んだ大和の友達まで芋づる式に捕まってしまう。
駐車場まで歩きながら、少し考えると、


「…そうね。このまま帰ろう。彼らもこの状態で捕まっただけなら、自分達がしたことをわざわざ警察に言うはずもないだろうし…」
「ああ…じゃあは車に乗れ」
「うん…」


は素直に頷くと、車の後部座席に乗り込んだ。それを見て大和は軽く息をつくと、司に視線を向けた。


「…悪いな。気ぃ遣わせて…」
「あ?別にてめーに気なんか遣ってねーよ。そうでもしないとが気にするからな」


司はそれだけ言うと、「サッサと帰るぞ」と、助手席へ乗り込んだ。大和もすぐに運転席へ乗るとエンジンをかけ、車を出す。
広場を出る時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。












「…ありがとう。送ってくれて」


大和はマンション前に車を止め、軽く息をついた。


「ええよ。半分オレのせいでちゃんに怖い思いさせてんから」
「そんな事…大和が悪いんじゃないって言ったでしょ」


私がそう言うと、大和は苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。そんな私達に顔を顰めながら、


「ほら、早く帰って寝ろよ。疲れただろ」


と、助手席に乗っていた司が一度外に出て、シートを前に倒す。私も頷きながら外に出ると、大和が窓から顔を出した。


「ああ、ちゃん。道明寺クン、怪我してるし手当てしてあげて」
「え…?」
「オレも疲れたし、このまま帰るわ。――――ほな道明寺クン、またな」
「あ、おい!」
「二人ともゆっくり休んでな!」


大和はブォンとエンジン音を響かせ、あっという間に帰って行った。それを見送りながら、司と顔を見合わせる。
先ほど血は拭いたが、それでもかなり痛々しい。


「怪我、大丈夫?アイツラにやられたの?」
「…チッ。不意打ち喰らったんだよ。こんな怪我、どうってことねえ…」
「でも手当てしなくちゃ…。うちに来て」
「いや、でも―――――」
「大丈夫。今日は父さん達も夜勤だったからもう寝てるわよ」


そう言って腕を引っ張ると、司も素直についてきた。時計を見ると、すでに午前1時を過ぎている。


「…ふぁぁ…」


エレベーターに乗り込んだ途端、司は特大の欠伸をして、グッタリとしている。
その様子を見て、ふと今朝、起きたら司がいなかった事を思い出した。


「そう言えば…今朝、どこ行ってたの?目が覚めたらいなかったし」
「え?ああ…いや、まあ…寝れなかったからちょっと散歩にな…」
「散歩って…お酒飲んでたのに?」
「い、いいだろ?だいたい、てめーがグースカ寝込んでたからヒマになってだな…」
「はいはい。とりあえず静かにしてね。夜中なんだし」


ムキになる司に苦笑しながら、私は家のドアを開けると、そっとリビングを覗いてみた。
だが明かりは消され、父と母が起きている様子はない。


「大丈夫みたい。どうぞ」
「お、おう……」


玄関で待たせていた司を招きいれ、奥の客室へと行かせた。
私は救急箱を持ってから部屋に向かうと、司がグッタリしたように敷かれた布団に寝転んでいる。
その布団も、昨日出た時のままだった。


「ちょっと…何寛いでるのよ…」
「…オレは一睡もしてねーから眠いんだよ…つか、この布団、かてえな…」
「文句言わないで。いいベッドなんかうちにはないからね。それより傷の手当てするから見せて」


ゴロゴロとしていた司は、別に大した事はないと言いながらも傷を見せてくれた。
多少の出血はあったものの、後頭部に大きなタンコブ――どれだけ石頭なんだ――と、肩に打撲の痕がある。
それらを消毒してから肩の打撲には湿布を貼ってあげた。


「頭の傷は明日、病院にでも行って診てもらってね」
「……大丈夫だって言ってんだろ…あんなヘナチョコに殴られたくらいで、いちいち病院に行ってられるか」


いつもの調子を取り戻したのか、司は欠伸を連発しながらも、そんな事を言っている。私は薬を片付けながら、苦笑いを浮かべた。
ついでに司の欠伸まで移り、目に涙が溢れてくる。大阪に来てから、本当色んな事があるものだ、と溜息をついた。


「…司…」
「…んぁ?」
「…ホントに今日はありがとう…。私の為にお金まで用意してくれて……」


そう言いながら振り返ると、司はふと目を開けた。その瞳は寝不足のせいか、赤く充血している。
こんな状態なのに助けに来てくれた事は、素直に嬉しかった。


「べ、別にお前のためってわけじゃ……」
「だったら何でお金まで用意してくれたの?一千万なんて大金よ」
「ケッ。たかが一千万、オレ様のポケットマネーだよ」
「……やな感じ」


相変わらずの答えが返ってきて、私は小さく噴出した、それが司の照れ隠しなのだという事も今なら分かる。
ホント、素直じゃないと思いながら、私は司の脱いだジャケットをハンガーにかけた。


「…おい」
「…ん?寝たいなら寝ていいよ。司が泊まっても、うちの両親は怒らないだろうし」
「いや、そうじゃなくて…」
「…ん?」


振り返ると、司は気まずそうな顔で私を見上げていた。そのらしくない表情が気になり、傍に座ると、「何?」ともう一度、尋ねる。


「い、いや…別にその…どうでもいいんだけどよ…」
「何よ…お腹でも空いた?」
「バ…んな事じゃねえよ!」
「ちょ、しぃ!お母さん達、起きちゃうでしょっ」


急に大きな声を張り上げた司に驚き、慌てて口を押さえる。
二人の寝室は反対側にあるから、そう簡単には起きないだろうが、時間も時間だし何となく気になるのだ。
司は分かったというように私の手を離すと、「…ったく、押し付けんな…っ。呼吸が混濁、、しただろっ」と、またいつものボケをかましている。


「…混濁じゃなくて困難ね。呼吸困難。混濁してどうするのよ…」
「…うるせぇ」


私の突っ込みに、司の顔が赤くなっていく。相変わらずバカなところは変わってないらしい。


「で、何?何か言いかけてたけど…言いにくいこと?」
「あ?あ、ああ……いや…つーか…もう怒ってねーのかよ…」
「え?」
「だ、だからほら……その……カ、カナダで…」


司はそこまで言うと、さっきとは違う意味で薄っすらと顔を赤くした。
その顔を見て不意に思い出したのはカナダでの夜、司にキスをされた事だった。
色々とありすぎてすっかり忘れていたが、確かに私は司に怒っていた気がする。でも……


「…もういい。どーせ司も酔っ払ってたんでしょ。ホント男って……」
「バッ…違っ…オレは―――――」
「それに……今日、助けに来てくれたし、あれは今日のお礼だと思う事にする」
「…あぁ?」


私の言葉に、司は驚いたように私を見つめた。そんな彼に微笑むと、「もう寝て。限界なんでしょ」と布団をかけてあげた。
でも司は慌てたように身体を起こすと、私の手を掴み、


「…お前はどこで寝んだよ」
「私はリビングのソファででも寝るわ。布団も余ってるし」
「か、風邪引くぞ…」
「大丈夫。カナダに比べたら大阪はあったかいし」
「けど…」
「司坊ちゃんをソファで寝かせるわけにはいかないでしょ?」


私としては、ふざけて言ったつもりだった。でも司は凄く不満そうな顔をしている。


「…お前に坊ちゃんとか言われたくねぇよ」
「何、怒ってんのよ」
「…うるせえ。他人行儀なこと言ってんじゃねぇ」


司はそれだけ言うと、私の手を離し、頭から布団を被ってしまった。その様子に首を傾げつつ、静かに立ち上がる。
そして電気を消そうと手を伸ばした時、司が「…どこ行くんだよ」と小さな声で呟いた。


「どこって…」
「ここにいろよ…」
「え…?」
「オレが寝るまででいいからよ……ここにいろ」
「司…?」


その言葉に首をかしげ、再び座ると、司が布団から顔を出した。その顔は意外にも真剣で、私をドキっとさせる。


「な、何よ…今更寂しいとか言わないでよね」
「……だったら悪いのかよ」
「…へ?」


これまた意外な応えに、私は間の抜けた声を出した。


「…んな顔すんな。ブスがもっとブスに見える…」
「な…悪かったわね―――――」


いつもの憎まれ口を叩く司にムっとして言い返そうとした時。不意に手を握られ、また鼓動が跳ねた。


「ちょ……」
「…オレが寝付くまでこのままな…離したらぶっ飛ばすぞ…」
「な、何言って――――」
「…おやすみ」


慌てる私を尻目に、司はそこで会話を切ると、私の手を握ったまま、再び布団に潜ってしまった。
離そうとしたけど、強く握られていて離せそうにない。あげく、ものの数秒としないうちに寝息が聞こえてきて、私は溜息をついた。


「嘘でしょ…寝つき良すぎ…って、当たり前か…。昨日から寝てないんだもんね…」


それを思い出し、仕方ないと息を吐く。そして握られたままの手を見下ろし、どうしようと思った。
司は寝付くまで、と言っていたが、寝付いた今も、手は強く握られたままで、軽く引っ張っても離れそうにない。


「…もう…私も眠いのに」


小さく欠伸を噛み殺し、何度目かの溜息をつく。身体もだるさの限界に達し、仕方なく私は手を繋いだまま、司の隣に寝転んだ。
そうする事で、布団に潜ったままの司の寝顔が見えて、思わず苦笑する。


「子供みたい…」


起きている時はあんなにオレ様なのに、とおかしくなった。それでもしっかりと握られた司の手は、私の手がすっぽり収まるくらいに大きい。


「何か……安心する…」


手を握られているだけで、どこか守られているように感じ、私は理由の分からぬ安堵感に包まれながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


それは、花沢類といる時とは、ほんの少しだけ違う、奇妙な安堵感だった。














めっちゃ久しぶりの更新ですだ;;
花男@映画公開記念、なんてね……
道明寺役、花沢類の役をしてる時の彼らが一番いいね♡



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



■続きが楽しみです!!!(高校生 )
(ありがとう御座います!)

■花男のDreamを初めて読ませていただいたのですが、見事にハマリました!(フリーター)
(そう言って頂けて嬉しいです!(´¬`*)〜*

■本当に大好きです!!話に入り込みすぎて泣きました!次の話も楽しみにしています!!(高校生)
(泣いて頂けたなんて感激です(*TェT*)遅くなりましたが、続き楽しんでもらえると嬉しいです♪)