春の嵐、
到来@
病院で検査を受けた後、私は早々に退院して逃げるように家へと帰って来た。
「全く!女の子の髪を切るなんて男じゃないわよ。――――ああ、カットが終わったら綺麗にブローしてあげて」
次の日、椿さんが私の姿を見て慌てて美容院へと連れて来てくれた。
西門さん達から詳しい経緯を聞いたのか、相手の男達に先ほどから怒り心頭のようで、「私も呼んでくれたら全員蹴り飛ばしてやってのにっ」と顔に似合わない事を言っている。
「ホント、ごめんなさいね。司のバカのせいでちゃんに怖い思いさせた上に、髪まで切られちゃうなんて…」
「い、いえ…助けに来てもらったし司も怪我しちゃってるから…」
「何言ってるの!助けに行くのは当たり前じゃない。それにあれくらいの怪我なんか司の回復力なら一週間くらいですぐ治るわよ」(!)
と、椿さんは司の事をすっかり獣扱いしている。だいたい肋骨を骨折したのに一週間で治るはずがない。
「それより…ちゃんも貧血気味だから検査受けたんでしょ?医者はなんだって?」
「やっぱり疲れがたまってたみたいで…ちゃんと睡眠をとって、食事も鉄分多く摂りなさいって言われて」
「そう…じゃあ食事の方はうちのシェフに私から言っておくわ。でも倒れるくらいに疲れてるなんて…もしかして何か悩み事とかあるの?」
そう言われて私は軽く目を伏せた。
悩み事があるかと聞かれれば、今は色々とある。
養子になった以上、道明寺の名前を汚さないよう、色んな事を学ばないといけないし、その為にする事は沢山あった。
それに加え、司の事、大和の事も考えなくちゃならない。
正直、今は恋愛の事を考える余裕もないけど、二人が真剣に告白してくれてるからこそ悩んでしまう。
椿さんも何か察したのか、ふと私の顔を見た。
「もしかして…司の事で悩ませちゃってる?」
「え…?」
「あいつ、強引なとこあるから気持ち押しつけちゃってるんじゃない?」
「い、いえ…」
「まあ私もちゃんと司がそうなってくれたらいいなと思ってはいるけど悩ませる事もしたくないし…」
「私なら大丈夫です。あの…司も待つって言ってくれたし…今はその言葉に甘えようかと思って…」
俯いている椿さんに慌ててそう言えば、椿さんは驚いたように顔を上げた。
「え、待つって…あの司が?昔からこらえ性なんかない男よ?」
あまりに驚いたのか、椿さんは目を丸くしている。せっかちな司の性格をよく知っている椿さんだからこそ信じられないんだろう。
それでも昨日、司に言われた事を教えると、椿さんは瞳を潤ませて感動しているようだった。
「ちゃんが自分を好きになるまで待つ、なんて…我が弟ながらいい男になったわぁ〜!あの司がねぇ…」
そう言いながら椿さんはハンカチで目頭をそっと拭っていたけど、私は何となく恥ずかしくて顔が引きつってしまった。
改めて聞くと、照れ臭いセリフだと思う。
「しょうがないから司の見舞いにでも行ってやろうかしらね。ちゃんも可愛く変身した事だし」
椿さんはブローの終えた私を見てニッコリと微笑んだ。
胸元まであった髪も、今じゃ顎のラインで切りそろえられてしまった。
「ちゃん、ボブも似合うじゃない!凄い可愛いわぁ」
「こんなに短くしたの久しぶりだし凄く頭が軽い感じです」
「いいじゃない。さっそく司に見せに行きましょ」
椿さんはウキウキした様子で支払いを済ませると、私を連れて迎えに車に乗り込んだ。
昨日、逃げるように退院してきた私にとって、司と顔を合わせるのも気まずかったが、今日は椿さんがいるし大丈夫だろう。
「ケーキか何か買っていきましょうか。どうせ司に花なんか持って行っても喜ばないし」
「そうですね…。あ、電話…」
不意に携帯が鳴り響き、確認してみると西門さんからだった。
互いの電話番号は知っているものの、西門さんから滅多にかかってくる事はない。
何の用だろう、と少し不安になりながらも「もしもし」と電話に出てみる。
すると西門さんは開口一番、『あーちゃん?司、知らない?!』と慌てたように聞いてきた。
「え…司?」
『今、病院なんだけどさ。司の奴、どこにもいねーんだよ。医者達も探してんだ』
「ええ?いないって…」
その話に驚きつつ、椿さんに視線を送る。その時、今度は椿さんの携帯が鳴りだした。
「もしもし。ああ、タマさん…えっ?それホント?」
椿さんも何やら驚いているように私を見ると、「今すぐ戻るわ」とだけ言って電話を切った。
「椿さん…?」
「ちゃん、家に戻るわよ」
「え…?」
「司が今、家に帰って来たって」
「えぇっ」
椿さんが溜息交じりで言う。
私も多少は驚いたが、とりあえず西門さんにもその事を伝えると、『オレらも行く』とだけ言って電話は切れた。
「ったく…何考えてんのよ、あのバカ」
「い、家に帰って来たって、司はあと一週間は入院のはずじゃ…」
「それが勝手に退院して来たらしいの。ホント呆れるわね」
その言葉通り、椿さんは呆れ顔で溜息をつくと、運転手に行き先変更を告げている。
車はすぐにUターンをして、道明寺家へと向かった。
「どうせ司の事だから退屈で抜け出したのよ。まあ死ぬほどの怪我でもないし動けるなら大丈夫だと思うけど」
「…はあ」
そう言えば昨日も暇だから毎日見舞いに来いと騒いでたっけ。
だからといって、まさか勝手に抜け出すとは思わなかった。
連絡くらいよこせばいいのに、とも思ったけど、司も言えば反対されると思って敢えて内緒で退院したのかもしれない。
(ったく…行動も動物並みなんだから…)
呆れつつ、窓の外を眺める。道路は比較的空いていた。
そのおかげか、10分ほどで屋敷へと到着すると、ちょうど大きなベンツとすれ違う。
西門さんと美作さんを乗せて来たのか、二人は先に着いたみたいだ。
私達に気付いた二人がエントランスから手を振っているのが見える。
「はあ…今週は静かに過ごせると思ってたのに」
エントランス前で静かに停車した時、椿さんが苦笑交じりで呟いた。
「おう!お前ら一緒だったのかよ」
私達がリビングに入って行くと、司はソファにふんぞりかえって紅茶を飲んでいた。
「司!お前、見舞に行ったらいねえしビックリするだろ!」
「連絡くらいよこせっ」
「悪かったな。急に思いついてよ」
西門さん達の顔を見て呑気に笑う司に、私と椿さんも呆れ顔で溜息をつく。
「てか肋骨折れてて、よく動けんな。犬並みの体力じゃん」
「…犬?!(ピキっ)」
西門さんの一言に、司の額がピクリと動き、怖い顔で私を見る。
そこで昨日、つい口から出てしまった言葉を思い出し、顔が引きつった。
西門さんも思い出したのか、笑顔を引きつらせながら、
「き、気にすんなよ!犬のように可愛いって事かもしれないじゃん」
「そーそー。愛玩犬ってゆーじゃん!」
美作さんまで、フォローとは言えないような事を言って笑っている。
司は怖い顔で立ち上がると、西門さんの胸元をグイっと掴んだ。
「いぬいぬって言うな。ぶっ殺すぞ」
「よ…よっぽどショックだったんだな…」
「司の奴、昨日、ちゃんが検査に行った後、ぶっ倒れちゃってさあ」
美作さんは何故か私に話を振ってきてドキっとする。
私としては出来れば忘れて欲しい一言だったけど、司はどうやら相当根に持ってるらしい。
「…ふっ。お前らには分かるまい。雑魚に殴られ、守ったつもりの女に怯えた顔で――――」
そこでふと黙り込む司にゴクリと喉が鳴る。
「犬呼ばわりしやがって!!このバカ女っっ」
「――――ひっ」
突然、拳を握りしめ、怒鳴り出した司の迫力に慌てて椿さんの後ろに隠れた。
西門さん達はそれを見て呑気に笑うと、
「自分で言って途中でドタマきてんな」
「まさに瞬間湯沸かし器」
「ちょ、ちょっと二人とも…茶化してないで何とかしてよ…」
半分楽しんでる様子の二人にむっとしつつ、そう言ってみたところで、司の怒りは止められない。
司はジロっと私を睨みつけ、「とにかくオレ様の怪我が治るまでが世話しろ」と凄んできた。
「せ、世話って、司、病院に戻らないとダメだってば」
「うるせえ!あんな退屈なとこ二日といられるか!どーせ骨折だけなんだし入院してたって無駄だろが」
「そ、そりゃそうだけど…」
少なからず入院していてくれれば、世話は看護師さん達がやってくれるわけで、私としては楽なのだ。
なのに家で静養するとなれば、必然的に私がコキ使われてしまう。
この家にも使用人の人たちは大勢いるけど、司は私にやれと言っている以上、他の人たちに手伝わせる事はしないだろう事は目に見えている。
「オレは部屋で休むから着替えるの手伝え」
案の定、そんな事を言ってきて、私は溜息をついた。
「そんなに動けるんだから着替えくらい一人で出来るでしょ」
「腕上げたら痛てぇんだよ。いーだろ、着替えくらい」
「でも…」
椿さんに助けてもらいたくて視線を向けたが、椿さんも「申し訳ないけど頼むわね」なんて言い出し、多少は楽しんでいるようだ。
こうなれば私の意見を聞いてもらうのは無理だと判断し、渋々頷いた。
「分かったわよ…」
「最初から素直にそう言えばいーんだよ」
「……(偉そうに)」
司の態度にムッとしつつも、仕方なく後からついて行く。
これ以上、逆らったところで無駄なのも分かっている。
「このパジャマで宜しいですか。司坊ちゃん!」
「…てめっムカつく言い方すんなっ」
部屋に入ってクローゼットから着替えを出すと、司は不満そうな顔で視線を反らした。
それでも本当に腕を動かすと痛いのか、シャツのボタンを外そうとしながらも顔をしかめている。
それを見て小さく息を吐いた。
「私がやるから」
「お、おう…」
私がボタンを外し始めると、司は僅かに顔を赤らめて視線を反らした。
そういう反応をされると、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
「い、痛くない?」
「…ああ。動かさなけりゃな」
「だったら病院にいればいいのに」
「…うるせえな。どっちにしろ寝てるだけなら家の方がいいんだよ」
「そうかもしれないけど…」
全て外し終えると、胸元にはコルセットが巻かれているのが見えた。実際にそれを見るとかなり痛々しい。
「…んな顔すんな。このくらい、どうって事ねえよ」
「…う、うん」
私の表情を見て、司は苦笑気味に言った。ついでに頭を優しく撫でられ、何となく照れ臭い。
「髪、切ったんだな」
「え?あ…うん。椿さんが美容院に連れて行ってくれて…」
「短いのも可愛いじゃん」
「………」
急にそんな事を言われ、顔が赤くなる。
さっきまで横暴だったクセに、この男は突然優しくなるから対応に困ってしまう。
「な…何だよ。急に黙んな、バカ」
「べ、別にそういうわけじゃ…。っていうか、早く袖に通してよ…ボタン止められないでしょ」
「お、おう」
お互いにぎこちない態度で会話をしながらも、何とか司の着替えを済ませる。
「後は何か用事ある?お腹空いてないの?」
脱いだものを片づけながら、ベッドに横になる司に問いかける。
司はふと私を見て、「ああ…」と頭をかいた。
「腹は…減ってねえけど…よ」
「…何よ。他に何かして欲しい事とかあるの?」
何か言いたそうにしている司の様子に、私はベッドの方に歩いて行った。
が、ふと嫌な予感がして足を止める。
「へ、変な事なら却下だからねっ」
「バ!バカヤロ!んな事じゃねえよ!!」
今までの行いを思い出し言ってみたものの、司も真っ赤になりながら否定してきて、とりあえずはホっとする。
「じゃあ何よ」
「や…だから、その…」
いつもより歯切れの悪い司に小首を傾げた。
司はもごもごとしながら、言いにくそうに頭をかいている。
「つーか…け、怪我…治ったらよ」
「え…?」
「その…デート…」
「…?…何?良く聞えない」
声が小さすぎて聞きとれず、溜息交じりで突っ込むと、司は僅かに目を細めて私を睨んだ。
「だからデートしようぜっつったんだよ!」
「…は?デ、デート…?!」
「お、おう…」
司は本気で言っているのか、顔を赤くしながらそっぽを向いている。
でも何も言わない私にしびれを切らしたのか、怖い顔でこっちを見た。
「何だよ…嫌なのか?」
「い、嫌って言うか…」
「何だよ。言いたい事があるんならハッキリ言え」
司もこういう時だけは強気なのか、真っすぐに私を見つめてくる。
ここで曖昧な態度を取れば、司は更に機嫌が悪くなるだろう。
現に今、答えを待っている数秒の間にどんどん不機嫌そうな顔になっている。
「だから…司がどう思ってようと私は今、道明寺家の養女であって、司とは義兄妹なの。それなのにデートって…」
「あ?んなもん関係ねえ。言っただろ。オレはお前の事を妹なんて見れねえって」
「つ、司はそうでも世間的には―――――」
「世間なんて知るか!そもそもお前が養女になったのだってオレは納得してねえ!」
「司…」
真っすぐな瞳に射ぬかれるように見つめられ、私はそれ以上何も言えなくなった。
確かに今回の決断は、司にとったら勝手だと思ったかもしれない。
といって、あの時の私には養子になって恩返しをするという選択が最良の道に思えたのだ。
「と、とにかく…デートくらいしてもいーだろ。別に変な事するわけじゃねえし」
「……あ、当たり前でしょっ」
「だったらいーだろ。普通のデートっつう事でよ」
司の顔は真剣で、本気で言っているんだと分かる。
でも私としては養女になった後で、義兄の立場となる司とデートなんてしていいものか悩むのも事実だ。
といって、上手く断る理由すら見つからない。それに司には最近助けてもらってばかりだ。
「う……ま、まあ…デート…だけなら…」
「…マジ?!」
結局、司の押しの強さに、つい頷いてしまった。
でも司が思った以上に嬉しそうな顔をするものだから、たまにはいいか、とも思う。
「やり!カナダでも映画行き損ねたしな」
無邪気に喜んじゃって、と内心苦笑しながら、「そうだったね」と頷く。
ただ、この司が"普通のデート"というものが出来るのか、そっちの方が疑問だ。
まあ司はモテるんだから、これまでにデートくらい、した事はもちろんあるだろうけど。
「って、いうか…司、普通のデートした事あるの?」
「あ?どういう意味だよ」
とりあえず司が脱ぎ散らかした服を片づけながら尋ねると、すぐさま不満げな声が返ってくる。
この男の事だ。どうせデートといっても超高級レストランで食事、とか堅苦しいものかもしれない。
「だから…普通のデートよ。映画もそうだけど…遊園地とか動物園とか。そういう場所に行くようなデート、した事ある?」
「バッカじゃねえの。行くかよ、そんなとこ」
「やっぱりね…。じゃあデートの時はどこ行ってたわけ?やっぱ高級ホテルのレストランとか?」
「ああ?だから行かねえっつってんだろ!」
「何よ…じゃあどこ行ってたの?あちこちの美女からお誘いは受けてたでしょ?」
ことごとく否定され、呆れたように尋ねれば、司は心外な、という顔で私を睨んだ。
「だから好きでもねえ女とデートなんか行かねえって言ってんだろ!」
「……え?」
「総二郎達を交えてなら女連れで海外とか行った事もあるけどよ。女と二人きりでデートした事なんかねえ」
「…えぇぇーーーーーっっっ」
「な、何だよ…」
あまりの驚きに大声を出した私を見て、司は徐に顔をしかめた。
でも驚くのは当然だ。司の歳で女の子とまともなデートをした事がないなんて、あまり聞いた事がない。
そもそも司の周りにはそれこそ色んなジャンルの女性が寄ってくるだろうし、誘う女に不自由なんかしないだろう。
「つ、司ってデート、した事ないの…?」
「悪いかよ…。つーか好きでもねえ女と二人きりで出かけられるかっ」
「だ、だって――――」
"嫌でも寄ってくるでしょ"と言いかけて口をつぐんだ。
司は以前にも「好きでもない女とヤれるか」とか「寄ってくる女はオレじゃなく道明寺の名前に寄って来てる」と言っていた。
がさつに見えて、司は結構繊細なところがあるというのは、私も最近気付いている。
道明寺財閥の跡取りという立場もあって、女性に関しては特に慎重になってたのかもしれない。
(そういうとこは西門さん達とは正反対なのよね…意外だけど)
内心そう思いつつ、目の前の司を見る。
「…な、何だよ…人の顔ジっと見やがって…」
「…司って見た目と違って結構真面目なんだなぁと思って。西門さんや美作さんは好きな事してるのに」
「あ?当たり前だろ。総二郎達と一緒にすんな。んな事より…デートの件、忘れんじゃねえぞ」
司がそう言った時だった。不意に後ろで、「誰と一緒にすんなって?」と声がして、慌てて振り向いた。
「西門さん?」
「オレも不倫とはいえ、いつだって真剣に相手を愛してるんだけどなあ」
「み、美作さん…」
見ればドアのところに西門さんと美作さんがニヤニヤしながら立っている。
「変な事でオレの名前出すなよ、司」
「あ?でも当たってんだろ」
司が笑いながら言うと、西門さんも苦笑いを浮かべながら歩いてきた。
「それより今デートって聞こえたんだけど」
「やっと誘えたか、司」
「うるせえっ」
「やっとって…?」
美作さんの言葉に首を傾げると、司は軽く舌打ちをして顔を反らした。
二人はソファで寛ぎながら私を見上げると、
「ホントはちゃんが浚われた日、デートに誘う予定だったんだよ。まあ、あんな事になったから流れてたけどな」
「そうそう。まあ今は状況的に微妙だけど、普通にデートするくらいはいいだろっつー事で」
「い、いいだろって…」
「ま、心配しなくてもオレらがキッチリとデートのプラン立ててあげるからさ」
西門さんが得意げな顔で言う。私としてはその方が不安だった。
昨日から何となく、この二人に少しづつ追い詰められているような気がする。
「で、でもそれは司の怪我が治ってから――――」
「分かってるって。な?司」
「…おう」
司はそう言ってこっちを見た。その瞳は、私の迷いなんかものともしないくらい真っすぐで。
気を抜いていると、その強い思いに引き込まれてしまいそうになる。
「と、とにかく今は休んでて…。後でランチ用意してもらうから」
それだけ言うと、私は自分の部屋へと戻った。
あんな事があったせいで、私も今日一日は学校は休んでいる。
貧血気味なのもあったけど、一応学校へは司の怪我の事を理由にしておいた。
「私もちょっとだけ寝ようかなぁ…」
ベッドに体を投げ出し、溜息をつく。
確かに今年は年明け早々から色んな事が重なって、少し疲れてるのかもしれない。
「違うか…。カナダに行ってからだっけ…色んな事があったのって」
仰向けに寝返りながら、ふと懐かしいとさえ感じる笑顔を思い出す。
そう言えば花沢類からメールがこなくなって一か月近くは経つ。
どうしてるのか、何となく気になった。
(なんて…きっと向こうで静さんと仲良く暮らしてるよね。私が心配する事じゃないか…)
携帯を眺めながら自嘲気味に笑うと、私はゆっくりと目を閉じた。
それから半月ほど経った頃、司はとうとう我慢も限界が来たのか、勝手にコルセットを外してしまった。
「ホント無茶するんだから…。まだ痛みはあるんでしょ?」
「大した事ねえ。うっとおしいんだよ、あんなもん」
「だからって先生に断りもなく外すなんて――――」
「いーんだよ!医者はマニアック通りに注意してるだけじゃねえか」
「…それ言うなら"マニュアル"ね」
相変わらずバカ全開の司に突っ込む。司は顔を赤くしながら「うるせえ」と怒鳴り、さっさと歩き出した。
家で静養するのも飽きたのか、司も今日から学校に復帰したのだ。
といっても、堂々と午後から登校して来て当然のようにカフェの方へ歩き出す。
「おい、も行くだろ?ランチ食おうぜ」
「そりゃ食べるけど…」
そう言いながら、少しだけ司と距離を取る。
というのも、どこから漏れたのか、順平クンと司との事が学園内で噂になっているからだ。
それも司が私を助けにきて怪我をした、というとこだけが大げさに噂されていて、こうして一緒に歩いているだけで生徒達の視線の的になってしまう。
「道明寺さんに恨みのある一年がを浚って、それを道明寺さんが一人で助けに行って怪我をしたらしい」
「さんが休んだり遅刻してくるのは道明寺さんの世話をしてるからなんだって」
そんな噂から始まり、今では更に酷くなっている。
「道明寺さんと、あの親戚だっていうは実は付き合っているらしい」
「が今年になって道明寺という名に変わったのは、養子という理由じゃなく、二人が正式に婚約したせいだ」
などなど、憶測が憶測を呼び、だんだんと間違った方向に話が流れて行っているのも悩みの一つだ。
おかげで今も周りから好奇な視線を向けられている。
おおかた、この噂はどこまでが真実なのか、知りたいとでも言うように。
「よぉ!遅かったじゃん、司」
「どうだ?久しぶりの学園は」
カフェに行くと、いつもの席に西門さんと美作さんがすでに座っていて、私達を笑顔で出迎えてくれる。
司は私の手を引き、「二週間やそこらで変わんねえよ」と言って、促されるまま椅子へと座った。
噂の二人が登場した事で、カフェ中の生徒達がこっちを見てはヒソヒソと話す。
その光景が心臓に悪く、私は早々に食べて教室へ帰ろうと、メニューを広げた。
「そういや聞いた?お前らの噂」
「あ?」
西門さんはニヤニヤしながら司と私を交互に見て、他の生徒達へと視線を向けた。
あれだけ広まっているのだから、当然彼らの耳にも入っているだろう。―――――怪我で休んでいた司を除いて。
(せっかく隠してたのに何で、わざわざ言うかな、西門さんっ)
内心溜息をつきつつ、運ばれてきた紅茶を口に運ぶ。
何も知らなかった司は、二人から例の噂の件を聞いて、わずかに顔を赤くしていた。
「っていうか、その噂、流したの西門さんでしょ」
「う…」
私がジロりと睨めば、図星だったのか、西門さんが言葉を詰まらせる。
それを見て、やっぱりね、と溜息をついた。
だいたい順平くんとの揉め事なんて、学園で噂されるわけがない。
「彼はモデルだっていうのも隠して、学園では地味にしてた人よ?司とここでケンカしたわけでもないし…。なのに詳しい事まで学園のみんなが知ってるなんて、おかしいなと思ったの」
関係者以外、知らない情報が、あの件から短期間の間で漏れるはずがない。
と、そこで思い当たったのが、西門美作コンビだ。
彼らは口が軽いというわけではないが、常に生徒達から関心を寄せられている存在だ。
二人がカフェで話す内容ですら、きっと他の生徒達も聞き耳を立てているんだろう。
普通なら注目されているという自覚を持って、そういった話は小声でするか、こんな公の場でしないのが常識だけど、そんなもの彼らには通用しない。
「…わりぃ。あきらと話してたのを誰かが聞いてたみたいでさ」
頭をかきつつ、申し訳なさそうに笑う西門さんに、私は二度目の溜息をつく。
予想通りというか、本当に期待を裏切らない二人だ。
「ってか何だか外が騒がしくねえ?」
そう言いつつ西門さんが誤魔化すようにカフェの入口へ視線を向ける。
司は呑気で、どこか嬉しそうだ。
「べ、別にいいじゃねえか。他の奴らにどう誤解されようと」
その司の態度にも、私は若干呆れた。
「良くないわよっ。嘘の噂の為に毎日こんな風にジロジロ見られて、陰でヒソヒソされたんじゃたまらないじゃないの」
「全部が全部、嘘じゃねえだろ。それに"人の噂も49日"って言うしな」
「「「………………」」」
得意げになっている司を見て、私達は同時に溜息をついた。
「あのね…それを言うなら"75日"ね。49日って亡くなった人の法要じゃないんだから…」
「……むっ。似たようなもんだろが!」
「どこがよ?!もういい!噂のせいで学園中から白い目で見られてる私の気持ちなんか、司には分からないんだからっ」
「な、なにぃ〜?!」
「おい…下らない事でケンカすんなよ…」
険悪なムードになったのを見て、美作さんが困ったように司を宥める。
私はちょうどランチが運ばれてきた事で、怒りマークを浮かべている司を無視して食事を始めた。
サッサと食べて教室に戻ろう。教室なら人数が少ない分、ここより少しはましだ。
そう思いながら、ハンバーグにナイフを入れる。その時、きゃぁぁっという黄色い声がカフェ中に響き渡り―――――
「相変わらずだね。司とは」
そんな声と共に、テーブルの横に誰かが立った気配がして、私は思わず顔を上げた―――――――
「は、花沢類…!」
白いシャツにジーンズという、普段の格好で、彼は立っていた。
目の前で優しく微笑むその姿に、私は白昼夢でも見てるのかと、何度も瞬きをする。
でも私以外に、司や西門美作コンビも、突然現れた、パリにいるはずの幼馴染に唖然としていた。
「類…おま…本当に類か?!」
誰よりも先に動いたのは司で、不意に立ちあがり花沢類の肩を掴む。
本当に、と聞いたところで実際、目の前にいるのだから嘘も何もないだろう。
そう思ったのか、花沢類も軽く吹き出すと、「本物だよ。ちゃんと足もついてるでしょ」と、いつものトボケた切り返し。
そこで西門美作コンビも、「幽霊には見えねえな」と笑いだした。
「何だよ!帰国するなら連絡くらいしろよ!空港まで迎えに行ったのに」
「つか、何で帰国したんだ?静は?」
「いつ戻ったんだよ」
三人は矢継ぎ早に質問攻めをしたが、花沢類は苦笑しながらも、「夕べ遅くにね。驚かせようと思って」と肩を竦めた。
でもふと固まったままの私を見て、
「それより…今、ここに来る途中で聞いたんだけど」
「え?」
「が道明寺家の養女になったって」
「あ…」
「決心したんだね」
その問いに小さく頷く。
花沢類には養子になる事で悩んでいる時、相談に乗ってもらっている。
あの時は私を心配して、大阪まで会いに来てくれた。
「そっか。じゃあは今や道明寺財閥のお嬢様だ」
「そ、そんな感じじゃないけど…」
そう答えながら、それでも少し変な気持だった。あの花沢類とこうして普通に話しているなんて。
この先、また彼に会うなんて出来るんだろうか、と思い始めた時だったからこそ余計で、こんな急に唐突に現れるなんて、まだ心臓がドキドキしている。
この急な再会で舞い上がっていた私は、後ろで司が複雑そうな顔をしている事に気付かなかった。
「でもさ。もう一つ変な噂聞いたんだけど…」
花沢類はそう言いながら、司と私を交互に見た。
「司とが付き合ってるって、騒いでる人がいてさ」
「――――――」
いきなりその話を持ち出され、私は心臓がぎゅっと音を立てた気がした。
「あ!あれは違うの!っていうか殆ど誤解で――――」
「お、おう…!マジで参るぜ。早々に噂、広められてよー」
司は急にそんな事を言いだし、私の腕を掴むと自分の方へと引っ張った。
いきなりの行動に驚いている間もない。司は私の肩へ腕を回すと、キョトンとしている花沢類に、とんでもない一言を言い放った。
「実はオレ達、そういう関係っつーか…。今度デートすんだよ」
「ちょ…司…?!」
突然そんな事を言い出した司にギョっとした。
確かにデートの約束をしたけど、今、しかも花沢類に堂々と宣言するなんて思ってもみなかった。
「何だよ。しただろ?デートの約束」
「そ、そうかもしれないけど、別に今そんなこと言わなくたって――――」
「ふーん。そうなんだ」
焦る私をよそに、花沢類が不意に笑った。
「そうかなって思ってたけど…司、やっぱりの事、好きだったんだ」
「す…好きっつーか…」
「で、もう付き合ってるの?」
花沢類の一言で司が真っ赤になる。逆に私は青くなった。
諦めてはいても、花沢類という人は私にとって特別だ。
まだハッキリしてもいないのに誤解されたくはない。
「あ、あのね、花沢類――――」
きちんと説明しようと、司から離れたその時。花沢類が困ったように微笑んだ。
「――――残念。オレもに会いたくて、わざわざ帰国したのに」
「――――やっぱり、ここにいた」
風に吹かれて散って行く桜の花びらを眺めていると、不意に後ろから声がした。
振り向かなくても声だけで彼だと分かる。
この場所で会うのは本当に久しぶりの事だ。
「いいの?授業サボって。将来は留学して翻訳家になりたいって人がさ」
花沢類はそう言って笑いながら、非常階段からの景色を懐かしむように見渡した。
その横顔は前に見た時と少しも変わらず綺麗で、僅かに伸びた薄茶色の髪が頬にかかるその姿でさえ、見とれてしまう。
「教室に行っても好奇な目で見られるだけだもん」
隣に立った花沢類から視線を反らし、素っ気なく答える。
花沢類はそんな私を見つめながら、「オレのせい?」と苦笑した。
「何であんなこと言ったの?西門さん達が上手く誤魔化してくれたから良かったけど…」
「司も相変わらず熱いね」
私の問いには答えず、花沢類は小さく笑う。
花沢類が発した先ほどの爆弾発言のせいで、司が一瞬キレそうになったのだ。
「ああ?どういう意味だよ、類」
感動の再会から一転。
修羅場になりそうな空気になり、それを見ていた西門さんと美作さんが上手く場を取り繕ってくれた。
けど、その後に花沢類も笑いながら、
「冗談だよ。あんまり二人が仲いいから、からかってみたくなっただけ」
なんて言いだして、私も多少は落ち込んだのだ。
だから何となく教室には戻りたくなくて、ついこの非常階段へと足が向いてしまった。
まさか花沢類までが来るとは思わなかったけど。
「司達は?」
「まだカフェで話してるよ。今夜は再会パーティだって張り切ってる。オレは少し眠くなったって言って抜け出してきたんだ」
「そう言えば昨日戻ったばかりだもんね。時差ボケかな」
「それもあるけど…日本の春って眠くなるよね」
花沢類はそう言ってる先から大きな欠伸をして、目をこすっている。
そんな姿さえ懐かしくて、胸が小さな音を立てた。
会わないでいた間。少しは薄れたかと思っていた想いは、今もまだ胸の奥に残っているようだ。
こうして顔を見てしまうと、前以上にそれを実感してしまう。
だからこそ気になった。何故、花沢類が急に帰国したのか。
「でもオレのいない間に色々とあったんだね」
「…うん。まあ…」
「で、養子になると決めて頑張ってるんだ。ああ、でもそうなったら二人は義理の兄妹になるんだしデートなんてして大丈夫なの?」
「…そ、それは…っていうか、それよりも何で急に帰国したの?静さんは一緒なの?」
一人で話す花沢類にしびれを切らし、私はそう切り出した。
でも花沢類は笑顔のまま、「オレの話はどうでもいいよ」と言うだけだ。
「でも、そうかぁ。あの司が素直に告白するなんて驚いたな」
あくまで自分の事は話さないつもりなのか、やたらと司の話題を出す。
その態度を見ていたら、静さんと何かあったのかと心配になってきた。
ただ久しぶりにちょっと帰国しただけならいい。でも花沢類の様子はそんな感じでもない。
「は?」
「え?」
「司の事、好きなの?」
あれこれ考えていると、不意にそんな質問をされ、少しだけドキっとした。
どうやら先ほど西門さん達から今の状況を聞いたようだ。
「ま、まだ良く分からない。養子の件あるし…」
「だよね。義理の兄妹が付き合うなんて世間体も良くないし」
「つ、付き合うとかも今は考えてないから…」
変な気分だ。花沢類とこんな話をしてるなんて。
それに隣にいるのが自然過ぎて、しばらく会ってなかったはずなのに、とても心地いい。
花沢類はそういった独特の空気を持っている。
全ての疲れを癒してくれる、そんな優しくてあったかい空気を。
「司はいい奴だよ。まあ多少…いや、かなり我がままで強引なとこもあるけど」
「…うん」
それは分かっている。今日まで色んな事から守ってもらった。
なのに真っすぐ向き合えないのは…心に残してる想いがあるからだ。
そう思いながら顔を上げると、花沢類も私を見ていた。その澄んだ瞳と目が合い、鼓動が跳ね上がる。
心は何て正直なんだろう、と、我ながら呆れた。
「それとも……」
「……え?」
柔らかい花沢類の髪に、一片の桜が舞い落ちるのをボーっと見ていると、不意に彼が私の視線まで屈んだ。
「――――オレと付き合う?」
髪と同じ色の色素の薄い瞳に見とれていると、そんな言葉が私の耳を掠めていった――――――

リニューアル後、第一弾は花男夢でした。
サイト名も変更して、心機一転、これからも頑張ります!