春の嵐、
到来A
午後七時過ぎ―――
夜の六本木は相変わらず煌びやかで、この時間ともなれば会社帰りのOLよりも、これから出勤です、と言うような派手な女性たちが闊歩し始める。
その他にもクラブに行くような格好で、若い男女が騒ぎながら通り過ぎて行くのを、は落ちつかない顔で眺めていた。
待ち合わせの相手は、約束の時間を20分は過ぎても未だ姿を現さず、つい腕時計を確認してしまう。
それでも先ほど確認してからまだ三分ほどしか経っていなくて私は小さく溜息をついた。
「遅いなあ…」
そう呟きながら、少し温くなった紅茶を口に運ぶ。
こうしてボーっと窓に映る自分の顔を眺めていると、少し疲れているように見えた。
(最近また眠れてないもんね…。お医者さんに怒られちゃう)
前のように倒れたりはしてないが、時々立ちくらみに襲われる事があり、注意されているのだ。
といって、自分でもどうしようも出来ない。眠りたいのに眠れないのだ。
"――――俺と付き合う?"
こうして一人でいると、どうしてもあの言葉を思い出してしまう。
何で花沢類は、あんな事を言ったんだろう、と考えてしまうのだ。
あの後、固まっている私を見て、花沢類は「冗談だって。また引っかかったね」と笑っただけだった。
でもその横顔が少し寂しそうで、やっぱり静さんと何かあったんだ、と確信した。
現にそれを裏付けるかのような行動が、最近の花沢類には目立つのだ。
『最近。類の奴、アクティブでさ〜。今夜も遊ぶ約束してんだけど…何か変なんだよなあ。毎晩女もとっかえひっかえなんだぜ』
毎晩クラブへ出入りして、西門さん美作さんの三人でナンパまがいの事をしている、と聞いたのは昨日の事。
最初は久しぶりの日本を満喫しているのかと思った二人も、さすがに花沢類の様子がおかしいと気付いたようだ。
(はあ…あの花沢類が女をとっかえひっかえって…ありえない…)
想像しようとしても出来ないし、また彼にはそんな遊びなど似合わない気がする。西門さんじゃあるまいし(!)
きっと、そうでもしないといられないほど悲しい事があったんだ。
(それを…私に話してくれればいいのに…)
ふと何も教えてくれない事が寂しく感じた。
あれ以来、花沢類とは二人で会う機会もなく、きちんと話せていない。
(こんな事ばかり考えてるから眠れないのよね…)
そんな事を思いながら、窓に映る眠そうな自分の顔を見て失笑する。
と、その時、後ろで「」と呼ぶ声が聞こえて、私は振り返った。
「悪い、待たせたな」
「お父さん」
困ったように頭を掻きながら、足早にラウンジに入って来た父に、軽く手を上げ立ち上がる。
父は水を運んできたウエイトレスに、「すぐ出るので」と注文を断り、私の前に座った。
「会議は終わったのに長々と話す重役がいてね!いや参った参った」
「なかなか来ないから帰ろうかと思ったわよ」
「悪かった。今夜はの好きなもの何でもご馳走してやる」
「当然でしょ?デートの約束断ってまで来てあげたんだから」
「何?それは悪かったな!で、相手はどこの御曹司だ?」
相変わらずノリの軽い父に苦笑しつつ、私達は最上階レストランへ向かう為、ラウンジを出た。
ここは『メープルホテル・六本木』―――――父は今回支配人だけが集まる会議に出席する名目で、今日大阪から上京。
夕べ、急に連絡が来て、久しぶりに会おうと言う事になったのだ。
突然の連絡に驚いたが、最悪な事は他にもあって…
「今度からはもっと早くに連絡してよね。こっちにだって色々と都合ってものがあるんだから」
「悪かったよ。一日、それも少しの時間だから連絡するか迷ってたんだ。でもせっかく東京に行くなら少しでもお前の顔は見たいしな」
父は今日の午後、東京に来てメープルホテルで行われる会議に出席。
今夜はこのホテルに一泊し、明日にはすぐ大阪へ帰る事になっていた。
「何だ、ホントにデートの約束してたのか?」
父はエレベーターボーイに階を告げながら、苦笑混じりで私を見下ろす。
どうやら冗談だと思っていたようだ。全く失礼な父親だ、と思いながら軽く睨んでやった。
「当たり前でしょ。何で嘘なんかつくのよ」
「そうかぁ。そりゃ悪い事したな。で、相手は誰なんだ?何なら今からその彼を呼んで一緒に―――――」
「い、いい!呼ばなくていいの!」
あいつと一緒に三人で、なんて冗談じゃない、と慌てて首を振る。
私のその様子に、父は訝しげな顔で首をかしげると、
「何だ?お父さんにも紹介出来ないような相手じゃないだろうな。まさか借金まみれのチャラ男か?父さん反対だぞ、そんな男―――――」
「違うってば!勝手に話つくんないでよ!だいたい借金にまみれてるのはお父さんじゃないの」
「あはは!こりゃ一本取られたな!確かにお前の言うとおりだ」
父は毒交じりの突っ込みに怒りもせず大笑いしていて、私は内心溜息をついた。
「ま、その借金まみれのお父さんが言うんだ。そういう男はやめて、デートするならどこかの御曹司としなさい」
「御曹司、ねえ…」
確かに今日のデートの相手は、父の言うような御曹司かもしれない。
でもそれが借金(正しく言えば立て替えてもらった)をしている相手の息子、と言えば父はどんな顔をするんだろう。
(まあ司も呼んだって良かったけど…父がそういう立場だし、ね…。何か娘としては微妙なのよね…)
ふと司の顔を思い出し、夕べのケンカが脳裏をよぎった。
今日のドタキャンのせいで、司の機嫌を損ねた事は間違いない。
(はあ…帰ったら、またブチブチ言われるんだろうなあ…)
そんな事を考え憂鬱になりながらも、最上階に到着し、私と父はレストランへと向かった。
一日前――――――花沢類が帰国してから一週間目が過ぎた頃。
完治はしてないにしろ、かなり元気になった司から、突然「今度の土曜、デートしようぜ」と誘われた。
突然の花沢類の帰国で色々思うところのあった私は一瞬悩んだものの、司とは前から約束していたのもあり、何も考えずOK したのだけど………
「ああ?!明日ダメになっただぁ?!」
夕飯の後にリビングで寛いでいた司は、驚いたように大きな声を出して振り向いた。
「う…ご、ごめん…」
予想通り、怖い顔で睨みつけて来る司に、私は顔が引きつってしまう。
「お父さんが明日急にこっちに来る事になったみたいで…会いたいって言うから…」
「ああ?んじゃあ何か。てめえは俺様よりも親父をとるっつーのか?」
「だ、だって司とはいつでもデート出来るじゃない。でもお父さんはたまにしか会えないし…せっかく東京に来るんだから食事くらいはしたいっていうか…」
怒鳴られるのを覚悟でそう言ってみた。でも司は僅かに眉を上げただけで怒鳴る事もなく。
ただ小さな溜息をついて、私を見上げた。
「分かったよ…」
「え?いいの?」
もっと怒るかと思えば、意外にもすんなり了承してくれた司に、内心ちょっとだけびっくりした。
「ありがとう。良かったぁ。てっきりダメって言われるかと――――」
「俺も行く」
「………は?」
あっさり言った司に、たっぷり10秒は間を開けて聞き返す。
そんな私の態度にむっとしながらも、司はもう一度、「だから俺も行くっつってんだよっ」と言い放った。
「な…何で?」
「あ?別にいーだろ。お前の親父とは面識あるし――――」
「そ、そうかもしれないけど…でもダ、ダメ!明日は親子水入らずで食事するんだからっ!そこに司が来たらお父さんが緊張しちゃうでしょっ」
「緊張〜?何で」
司は不満げに腕を組みながら、口を尖らせた。ああ、もうホントこいつには自覚が足りない。
「何でって…そりゃ社長の息子だからよ」
びしっと司を指差して言えば。当の本人はやっぱり不思議そうに首を傾げた・
「…それで何で緊張すんだ?普通に接すりゃいいじゃねえか。俺は社長じゃねえんだし」
「あのねえ…。仮にも、仮にも、よ!道明寺家の跡取り息子と食事して普通に接する事が出来ると思う?リラックス出来ると思う?」
「あ〜?出来んじゃねえの?つか仮にもって何だよ。俺は仮にじゃなく、本当に跡取り息子だぜ?」
「……はあ。バカすぎる…」
「ああっ?誰がバカだ、てめえっ」
つい本音が(!)出てしまった私に対し、司は額をピクピクさせて立ち上がる。
こうなると、いつもの口論が始まり、それを聞きつけたタマさんか椿さんが止めに入るまで、私と司のバトルが続くのだ。
夕べはちょうどパーティから帰宅した椿さんが間に入り、司を言いくるめてくれた事で、今日はお父さんと二人で食事が出来る事になった。
(…はあ、椿さんが上手く言ってくれなかったら司も無理やりついてきたかも。ホント良かったあ)
メインのステーキを切り分けながら、私は内心ホっと息をついた。
今の司を父に会わせたら何を言い出すか分からない。
「。そろそろデザート持ってきてもらうか?」
「そうね。もうデザート以外、何も入らない」
そう言ってナイフとフォークを置けば、父も「母さんみたいな事を言って」と笑う。
そしてウエイターにデザートを頼むと、残りのワインを飲みほした。
本音は私もワインが飲みたかったが、そこは父の手前、我慢しておく。
父も当然私が飲めることを知ってはいるが、未成年が公の場でアルコールを口にする事は出来ない。
いつも司達と飲み会まがいの事をやっているのは、父にも内緒だ。
「それより…どうして急に支配人だけを集めた会議をやる事になったの?前はなかったよね」
ワインの代わりに食後の紅茶を口に運びながら、尋ねる。
父があのホテルの支配人になってからは初めての事だった。
先ほども食事をしながら話してくれたが、この会議は一カ月に一度の割合で行うと言う。
それも東京の、このホテルでやる為、毎月メープルホテルで支配人という立場の人間が全国各地から集まってくるらしい。
父はまだ大阪からで近い方だが、他の地方、特に沖縄や福岡、広島辺りの人たちは、かなり大変だろう。
「いや、この不況だからな。メープルホテルにも少なからず影響は出てるんだ。料金も他のホテルの倍はするだろ」
「セレブ御用達ってイメージよね。そのお客が減ったって事?」
「いや常連はいるし、この人達はそう不況なわけでもない。たださっきも言ったように普通の客が泊るには高すぎるだろ」
「そうねえ…。でも大きいホテルだし従業員も多くてサービスも最高級なんだから多少は仕方ないんじゃない?」
楓おば様の経営するホテルチェーンは私も何度か利用したが、さすがと思うほどにサービスが行き届いていた事を思い出す。
確かに安い部屋でも一泊何万円以上、という値段は普通のサラリーマンやOLにはきついだろう。
メープルホテルは政治家や芸能人といった著名人も良く利用するからか、口コミでも人気はあるホテルだが、一般客が利用するというイメージはあまりなかった。
だいたい外観からして敷居が高いのだ。
私も普通の一般家庭に育っていたなら、こうしてホテル内にあるレストランにさえ来れたかどうか分からない。
父もそれを分かっているからか、苦笑いしながら頷いた。
「まあそれもそうなんだが…。お父さんは普通の客にも気軽に泊まりに来てほしいと考えていた」
「普通の客?」
「そうだ。ま、の言うとおり、うちのホテルはセレブ向けではある。だから従業員もどこか偉そうだろう?」
肩を竦めてそんな事を言う父に、軽く吹き出す。
「…言われてみれば…。接客サービスは素晴らしいけど温かみがないような感じかな」
「それなんだよ。著名人には過剰なまでのサービスと愛想の良さ。一般客には何故か上から目線。だから一般客が接しにくい、親しみにくいホテルなんか誰が泊りたいと思う?」
こんな事ではダメなんだ、と父は困ったように首を振った。
「だから、うちの従業員に父さんは徹底して指導した。客を選ぶなといつも言っているしな。そのおかげか大阪のホテルは他と比べて売り上げが上がったんだよ。凄いだろ」
嬉しそうに話す父に、私も笑顔で頷く。
父は昔から誰にでも愛想がいい方で(!)客商売には向いている、と私は常々思っていた。
きっと働いてみて父も、自分が客なら、こんなホテルで何万も使いたくないと思っていたんだろう。
「それで先日楓さん…社長に相談したんだよ。お客様からの声も報告してね。そしたら今日の会議の運びとなったんだ」
「そうなの?じゃあお父さんがキッカケで―――――」
「各ホテルのサービスを見直す為に意識改革じゃないが、支配人を呼んで指導を行う事になった」
「指導?」
「まあ勉強会みたいなもんだ。どんな接客をすれば人は安心するか。また来たいと思うか、な」
「へえ…勉強会ねえ」
「そこで指導を受けた支配人が、各ホテルに戻り、そこの従業員達をまた指導する、というわけだ」
「…なるほど。で、お父さんも指導受けるの?」
そこでデザートが運ばれてきていったん、話を中断する。
父は甘ったるそうなケーキに顔をほころばせながら、「バカ言え」と私を見て笑う。
「父さんがみんなに指導するんだ」
「ふーん、指導……って、ええっ?お父さんが?!」
今まさにケーキを食べようとした手を止めて、思わず父を見る。
その誇らしげな顔は、昔に戻ったかのようだ。
「言ったろう?大阪のホテルは売上げ上昇中だって。そこを社長に認められてな。あなたがやりなさい、と言われたんだ」
「そ、そうなの?凄いじゃない、お父さん」
「まあなー。お父さんも本気を出せばこんなもんさ」
私の言葉に父は嬉しそうな笑顔を見せた。
そんな顔を見るのは久しぶりだ。
「で、実際どんな事するの?教えてよ」
「ああいいけど…ならこの下にあるバーラウンジでもいくか。まあお前は酒が飲めないだろうが…時間は大丈夫か?」
「そんなのいいわ。それにまだ9時だしね」
「ならこれ食べたら行こう」
父は私の申し出が嬉しかったのか、それとも自分の武勇伝を語りたいのか、デザートのケーキを勢いよく食べ始めた。
「――――――あ、電話…」
レストランを出て、下へ降りる為、エレベーターを待っていると、不意に携帯が鳴り響いた。
着信は"バカ男"=司だ。
「ん?どうした。出ないのか?」
出ないままバッグに携帯をしまった私を見て、父がニヤリと笑う。
「遠慮する事ないぞ〜。彼氏でも父さんは干渉しないから」
「そうじゃないわ。司よ、司」
ワインで少し酔ったのか、からかってくる父に呆れつつ肩をすくめれば、途端に目を見開いた。
「何?司坊ちゃんから?!な、なら何で出ないんだ?早くかけ直せっ」
「嫌よ。どーせ文句しか言われないんだから」
何故か慌てだす父を軽く睨み、溜息をつく。父の態度を見れば今日、司を呼ばなくて正解だった気がする。(司が来てたら大騒ぎしそうだ)
司から電話なんて、おおかた"遅い"だの何だのと言いにかけてきたに違いない。
「何で司坊ちゃんから文句の電話がかかってくるんだ?…まさか…お前達やっぱり―――――」
「冗談言わないでっ。何もないってば!っていうか"やっぱり"って何よもうっ」
「いやだって…昨年末も坊ちゃんはお前に会いに大阪まで来て下さってたじゃないか。だから父さんは密かに期待して―――――」
「するなっ!」
思わず司に言うのと同じように突っ込めば、父は「お、いいねえ、その突っ込み」と、まるで大阪人みたいなノリで笑う。
半年以上も住んでいると、だんだん感化されていくのかもしれない。
「全く…ワイン三杯でもう酔ったの?」
「まあ怒るな。父さんは昔から司坊ちゃんが可愛いんだ。お前の旦那さまになってくれたら尚更―――――」
「もういい加減にしてよっ。―――――ほら、エレベーターきた…」
お酒のせいか、おかしな事を言い出した父に溜息をつきながら、エレベーターのドアが開き、乗り込もうとした。
が、そこに乗っていた人物と目が合い、私は思い切り口が開いてしまった。
「は、はな――――っ」
「ねえ、類ー。ここ階が違うー。バーはこの下よ〜」
「あ…ああ、うん。ごめん」
モデルのような綺麗な女性に腕を組まれたまま、花沢類は私から視線を反らし、ボタンを押している。
そしてこの偶然の遭遇に固まったままの私は、声もかけられず入口の前に突っ立っていた。
「……どうした?。乗らないのか?」
「えっ?あ…うん…」
父に促され、仕方なくエレベーターに乗り込み下の階のボタンを押す。
けど後ろにいる存在が気になって、変に心臓が痛くなった。
「ねえ類〜。やっぱりバーじゃなくて私の取った部屋で飲まない〜?私、寛ぎたいなあ」
「……いいけど」
「ホント?じゃあこのまま部屋がある階まで下りよ」
「…………」
そんな会話がすぐ後ろから聞こえてくる事が苦痛だった。
つい話しかけてしまいそうな自分を必死に抑える事に集中する。
父はそんな私の様子に気付かないのか、すぐ下の階でエレベーターが止まると「ついたぞ」と言って、サッサと一人で降りて行く。
私も仕方なくエレベーターから降りたが、最後にドアが閉まる瞬間、思わず振り向いていた。
「……花…っ」
花沢類――――いつものように、そう呼びかけたかった。でも、彼は私から視線を反らしてしまう。
その顔を見た時、私はその言葉を呑みこみ、ドアは静かに閉まった。
「今の…花沢物産の息子さんだろう。司坊ちゃんの友達の」
「……っえ?」
不意に振り向いた父がそんな事を言い出し、私はドキっとした。
「前に大阪のホテルに来たから覚えてるよ。あの容姿だしな。相変わらずイケメンだなあ」
「……き、気付いてたんだ」
「気付いてないと思ったのか?これでも支配人なんだ。一度見た客の顔は忘れない。彼が女性連れだったから声をかけるのを遠慮しただけだ」
てっきり酔っていると思った父がそんなまともな事を言い出し、私は思わず苦笑した。
「いやあ、しかし連れてた子の方に父さん驚いたよ」
「え?」
ラウンジバーに入り、ワインとチーズを味わいながら―――私は仕方なくソフトドリンクだ―――父はウキウキしたように身を乗り出した。
「ほら、類くんが連れてた綺麗な子だよ。あれセレブ雑誌"G―NA"の専用モデル、小泉琳ちゃんだろう?」
「……小泉リン?誰よそれ」
「な、知らないのか?今バラエティにも引っ張りだこで人気急上昇中のリンちゃんだよっ。父さんも結構好きなんだ」
「……いい年して何言ってんのよ」
花沢類が連れてた女性が人気モデル、と聞いて胸が痛くなった。
それを誤魔化す為に、浮かれている父に軽く突っ込みながら、コーラを飲み干す。
酔いたい気分なのに、コーラなんかじゃ酔えやしない。
「やっぱりイケメンはモデルの子も放っとかないんだな。御曹司は何かしら芸能人と繋がってると言うが…まさかリンちゃんと付き合ってたなんて――――」
「付き合ってないわよっ」
思わずドンっとテーブルを叩いた私に、父は驚いたようにこっちを見た。
父は別に悪くない。なのにさっきから胸の奥がズキズキして嫌な気分だ。
「ど、どうしたんだ?。付き合ってないって…だって部屋で飲もうってさっき話して――――」
「でも付き合ってないの。花沢類には静さんっていう、あんなモデルより、もっと綺麗な恋人がいるんだから」
「何?そうなのか?っていう事はリンちゃんの方が遊び…。いやぁ、羨ましいなあ」
「………それちょうだい」
呑気な父にか、それとも静さんがいるのに別の女とホテルに来てた花沢類にイラついてか。
シラフじゃ耐えられなくなり、私は父のワイングラスを徐に掴み、それを一気に飲み干した。
「お、おい…酒は―――――」
「大丈夫よ。こんなに暗いんだし私が未成年ってバレなきゃいいんでしょ。それお父さんが飲んだ事にしてお代わりもらって」
「何だ?急に不機嫌になって…。そういうとこ母さんそっくりだな」
ブツブツ言いながらも、父はワインのお代わりをもらい、私がまたそれを奪う。
早く胸のモヤモヤしたものを吹き飛ばしたかった。
(何よ何よ花沢類のバカ!あんな軽そうなモデルと遊ぶなんて最低…!公の場でベタベタする女なんて花沢類には似合わないもんっ)
"部屋で飲もう"と言っていた会話を思い出し、モヤモヤを吹き飛ばすどころか、更にイライラしてきた。
(部屋で飲みながら二人で寛いでるの?あの人と……何する気なの?)
消そうと思えば思うほど、ベッドで抱き合う二人の姿が浮かんできて、私は何杯目かのワインを飲み干すと、「帰る」と言って立ち上がった。
そんな私を父は驚いたように見上げたが、あっさり「そうか?」と頷く。
「でも結構飲んだんだから帰るならタクシーで帰れよ。下まで送って行こうか?」
「大丈夫。車はホテル前に泊ってるし…お父さんは?」
「父さんはもう少し飲んだら部屋に戻るさ。エレベーターに乗るだけだし心配するな」
「…そっか。ここに泊ってるんだもんね。じゃあ…また来月来る時は前もって連絡して」
「了解。じゃあ、お休み。今日は楽しかったよ」
「…私も。指導係、頑張ってねお父さん」
父は私の言葉に嬉しそうに微笑むと、ひらひらと手を振り、バーテンダーに再びお酒を注文している。
その姿を見ながら、私は軽く手を振り、店を後にした。
父も私の様子がおかしい事に気付いてたんだろう。何も言わないけど、そういうところはありがたいと思う。
『普段はおしゃべりでお調子者だけど、人の気持ちが分かるあったかい人なのよ』
前に父のどういうところが好きになったのか、と母に聞いた時、そう言っていた事を思い出した。
まあ確かに社長をやっていただけあって、色んなところに目配りが行く、というか気付く事がある人だ。
人の気持ちも例外でないし、だからこそ指導係なんかも任せてもらたんだろうと改めて思った。
「でも…変に思っただろうな…お父さん」
エレベーターに乗り込みながら、ふといつもの調子でやってしまった事を後悔する。
私は単純明快な性格のせいで、思った事はすぐ行動してしまう悪い癖があった。
父にも良く考えている事を見抜かれて、隠しごとも出来なかった気がする。
(まずいなあ。花沢類の事…バレてないといいけど…)
つい頭にきて、感情のまま父に八つ当たりした事を後悔しながら、私はフラつく体を壁にもたれかけ、息を吐き出した。
急にワインを何杯も一気飲みしたからか、顔がやけに熱い。
今この瞬間、あのモデルと花沢類が部屋で二人きりになっているかと思うと、喉の奥まで熱くなった気がした。
「はあ…バカみたい…振り回されちゃって…」
到着したエレベーターを降り、ロビーを歩きながら、ふとそんな事を呟く。
その時、不意にフラついた私の腕を、誰かが掴んだ。
「―――誰に振り回されて、こんなに酔ったの?」
「――――――っ?!」
その声に驚いて顔を上げると、今も頭の中でぐるぐると回っていた人物、花沢類が苦笑しながら立っていた。
「―――――はい、水」
「ありがとう…」
花沢類は車に設置されている冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし、私に差し出す。
ワインのせいで喉が渇いていた私は、それを素直に受け取り、喉を潤した。
『タクシー乗るなら俺の車で送るよ』
ロビーでバッタリ会った花沢類は、酔っている私を見てそう言ってくれた。
でも、何であんな場所にいたんだろう、あのモデルはどうしたのかな、と不思議に思いながら、隣に座る彼を見る。
瞬間、もろに目が合ってしまった。
「ん?」
小首を傾げる彼にドキっとして、思わず視線を反らす。花沢類の綺麗な顔を間近で見るには勇気がいるのだ。
「い、いやあの……さ、さっきはビックリしたね」
"あの人は?"と聞きたかったのに、全く違う事を口にしてしまった。
花沢類はそんな私を見て、苦笑いを浮かべている。その様子に、彼も気まずかったのかもしれない、と思った。
「ホントだね。凄い偶然」
「う、うん…」
「さっきの、のお父さんだろ?大阪で会った。こっちに来てたんだね」
「う、うん。仕事で…」
「お父さんと飲んでたんじゃないの?いいの?置いて来て」
「うん…まあ…酔って話してると疲れる人だから」(!)
他愛もない会話を交わしながらも、同じ言葉が頭の中を回転している。
そんな私を見て、花沢類は小さく笑った。
「どうしたの?何かいつもと違う…」
「へ?そ、そう?わ、私は普段と同じだと思うけど――――」
「じゃあ何で俺の顔、見ないの?さっきからすげー視線そらされてる気がすんだけど」
「……そ、そんな事は――――う…」
鋭い指摘にドキっとして、慌てて顔を上げると、こっちを覗き込むようにしていた花沢類と至近距離で目が合う。
思わずシートにへばりつくように背中をくっつけた。
「ほら、また」
「ち、違…花沢類が近すぎるのっ」
「だってが俺を見ないから」
そう言って笑うと、花沢類は再びシートに寄りかかり、くすくす笑っている。
何がおかしくてそんなに笑ってるのか知らないが、相変わらずだなあ、と内心思いながら、でもすぐ傍にいる事はやっぱり嬉しかった。
こういう雰囲気は変わらないし、そこが好きだなと思ってしまう。
だからこそ気になる。花沢類が、どうして帰国後、あんなに遊びまわっているのかが。
「ね、ねえ花沢類」
「ん?」
「一つ、聞いていい?」
「…何?」
不意に私を見る花沢類に、私は思い切って口を開いた。
「さ、さっき一緒だった…彼女は?」
「え?ああ…。酔って寝ちゃったから置いてきた」
「え…っ?そう、なの?」
「食事しながら結構飲んでたしね。何?まさか俺と彼女が何かあったとか誤解してた?」
「う…」
ニヤリと笑う花沢類に、私も言葉が詰まる。
その顔を見て、彼は思い切り噴き出した。
「やっぱりね。さっきエレベーターで会った時もそんな顔してたし」
「そ…そんな顔、してた?」
「してたしてた。だっての背中、やたら緊張感だしまくってたし。俺噴き出しそうになるの何とか堪えたんだからさ」
「え、嘘…!ジっとしてたのに…」
「それが俺にも伝わって来たってわけ。でものお父さんもいるし、何とか噴き出すのは抑えたけどね」
花沢類は呑気に笑いながら、私の頭にぽんと手を置く。
その温もりに、胸の奥が音を立てた。
「ああ、ついでに言っておくと、さっき一緒だった人と二人きりで会うのは今日が初めて。今日は食事に付き合ってって言うから暇つぶしに来たんだ」
「そ、そう…」
「一昨日、総二郎とあきらが声かけて知り合ったんだ」
「ふ、ふーん…。っていうか…あの子モデルなんだってね。綺麗な人だったじゃない」
「良く知ってるね」
「お、お父さんがそう言ってたから」
なるべく自然に聞こえるように言ってみたが、自信はない。
花沢類とあのモデルが何もないと分かって良かった、とホっとした事はしたけど、それでも何故彼が良く知らない女の子とデートをしたのか。
そっちの方が気になる。花沢類はそういうタイプじゃなかったはずだ。
「あ、あのね、花沢類。失礼な事、聞くようだけど――――」
「ああ、静の事なら心配ないよ。――――もう終わったから、俺達」
その名前を出す前に、花沢類が先に口にした。
しかもその内容に驚いて顔を上げると、花沢類は窓の外を眺めながら、どこか遠い目をしている事に気付く。
私や、司達の前では明るくふるまっていても、本当の花沢類は、こんな顔をしていたのかもしれない。
「…終わったって……嘘、でしょ?だって――――」
「嘘じゃないよ。静と一緒にパリに行って…ずっと一緒にいたけど…やっぱり無理だった。だから帰国したんだ」
「な、何で…?好きだから静さんのところに戻ったんでしょ…?」
大阪で、花沢類は私にそう言った。自分の心を誤魔化さないで欲しいと思ったから、私は黙って彼を見送ったのだ。
なのに、せっかく一緒にいれるようになった彼女と、どうして別れなければならないのか、私にはさっぱり分からない。
そう思って花沢類を見つめる。自然に涙が溢れて来た理由すら、この時の私にはよく分からなかった。
「俺じゃ…ダメなんだって実感したんだ。それだけ」
花沢類はふと私を見ると、そう言って優しく微笑んだ。
そして「何でが泣くの」と、そっと涙をぬぐってくれる。その指先の温もりで、また泣けて来た。
「…ごめん。せっかく、が背中押してくれたのに…」
「そ…そんな私なんか何も…」
「メールの返事もしなくてごめん。色々とあった時だから他の事、考えられなくて…」
「い、いいの。気にしてない。それより…静さんも納得してるの…?」
私のその質問に、花沢類は一瞬、悲しそうな顔をして、すぐに微笑んだ。
「静は俺がいなくても大丈夫。強い人だからさ」
「…じゃ、じゃあ…花沢類、は…?」
何だか無性に悲しくなった。花沢類を、思い切り抱きしめたくなった。
笑ってはいても、心はパリに置いたまま。今、ここにいる花沢類は抜け殻みたいに見える。
「俺は――――」
彼が何か言いかけた時、静かにベンツが停車したのを感じ、ふと窓の外を見る。
そこは道明寺家の門前で、運転手の声が後部座席のスピーカーから聞こえて来た。(当然こっちの会話は聞こえないようになっている)
『類坊ちゃん。着きました』
「分かった。彼女を家の前まで送ってくるから待ってて」
『かしこまりました』
花沢類はそう言うと、静かにドアを開け、私の手を取る。
握る手の強さにドキっとしながらも、さっきの続きが聞きたくて花沢類を見上げたが、彼は何も言わないまま、車を降りた。
「…大丈夫?少しフラついてる」
「う、うん…ワイン飲みすぎちゃって…。で、でも大丈夫。ここで――――」
「ダメだよ。危ないから玄関まで送る」
離れようとした私を、花沢類は怖い顔で見下ろすと、そのまま私の手を引いて歩き出す。
門の横の入口から入ると正面玄関まで少し距離があり、確かに一人で転ばず歩くには若干無理なほどには酔っているようだ。
(やけになって飲むんじゃなかった…。結局何もなかったっていうし酔っ払い損だったかも…)
と言って、静さんと終わった、と悲しそうに話してくれた花沢類が色んな意味で心配になった。
もしかしたら、西門さん達と遊びまわっていたのも、静さんと別れた寂しさを埋めるためだったのかもしれない。
さっきのモデルとデートをしたのだって……
このままでいいわけない、と私は思い切って口を開いた。
「あ、あの…花沢類」
「ん?」
「も、もしまだ間に合うくらいの事なら――――――」
「おい!!何やってんだ、てめえら!!!」
「「―――――――っ」」
もう一度静さんと、と言いかけた時、物凄い怒号が飛んできて、私と花沢類は一瞬で固まった。
「司…」
「類、てめえ…」
もうすぐ玄関につくというところで、何故か司が怖い顔で歩いてくるのが見えた。
何をそんなに怒ってるんだ?と思いながら、花沢類に支えられ、司の方へ歩いて行く。
「た、ただいま。司」
「何、怒ってんのさ」
二人でそう声をかけた瞬間。司は私の事をジロリと睨んだ。
「、てめえ…今日は親父と食事だって言ってたクセに類と会ってたのかよ…」
「へ?な、ちょ、い、違うってば!勘違いしないでよっ」
司の怒っている意味が一瞬で分かり、私は慌てて首を振った。
なのに司は頭に血が上っているのか、「なら何で二人で帰って来てんだよ!」と花沢類の胸倉をつかむ。
それには慌てて止めようと司の腕にしがみついた。
「やめてってば!花沢類にはお父さんと食事してたホテルで偶然会ったの!それで送ってもらっただけだってば!」
途中経過は思い切りはしょったが、事実なのには変わりない。
このまま勘違いで花沢類を殴られちゃ敵わない、と必死に司の腕を抑えた。
「偶然だあ?」
「うん。ホントだよ。俺が帰ろうとしたらがフラフラしながらロビーに下りて来てさ。一人で帰すのは危ないから送って来たんだ」
「……チッ…」
淡々と説明する花沢類に、司の怒りも一気にしぼんだのか、そこでやっと掴んでいた手を離した。
「紛らわしいんだよ、お前ら」
「そ、そっちが勝手に勘違いしたんでしょっ」
「うるせえ!だいたい帰ってくんの遅せーんだよ!携帯も出ねえし、そこに二人で帰ってきたら疑うのは当たり前だろがっ」
逆切れしたのか、司が怖い顔で怒鳴る。でも確かに彼の言う事にも一理ある、と思った。
そもそも司は、私の気持ちを知っているからこそ、余計だ。
「ご、ごめん」
良く分からないけど何となく私も悪い事をしたような気がして、一応謝る。
私が素直に謝るとは思わなかったのか、司は困ったように視線を反らすと、
「い、いーから早く入れ。まだ夜は冷えんだから」
「う、うん。――――あ、花沢類、送ってくれてありがとう」
「いいよ。じゃあ…」
花沢類は司の態度に笑いを噛み殺しながら、元来た道を戻って行く。
その後ろ姿を見てると、何となく胸が痛くなって思わず彼の名前を呼んでいた。
「花沢類…っ何かあったら…ううん、一人でいたくない時は電話してね!いつでもいいから!」
私の声に、花沢類は足を止めたけど、振り向く事はなかった。
ただ、軽く手を上げ、「…お休み」と呟く。
それは優しい「ありがとう」に聞こえた気がして、私はかすかに微笑んだ――――――。

やっぱり類もいるとしっくりくるような。