春の嵐、
到来B










あれから一週間が過ぎようとしていた。
約束していたデートを断り、父との食事の後に花沢類と帰って来て以来、司はどことなく不機嫌そうな様子で、逆に花沢類は相変わらず西門さん達と遊び歩いているようだった。
そして土曜の午後―――――司が突然、「今日デートしようぜ」と誘って来た。


「え…今日?」

ランチの後、ノンビリとリビングで寛ぎながら紅茶を飲んでいた私は、驚いて読んでいた雑誌から顔を上げた。
司は仏頂面のまま、目の前のソファにふんぞり返っている。とてもデートに誘っている男の顔じゃない。

「先週は思い切りドタキャンされたからな」
「そ、それは謝ったじゃない…」

またしても蒸し返されたその話にドキっとしつつ笑って誤魔化す私を、司は怖い顔で睨んだ。

「…だとしても、だ。普通ならドタキャンしてきたお前の方から"今度の週末に仕切り直しでデートしない?"とか誘うもんだろが」

司は不満そうに目を細めると、私からプイっと顔を反らす。
その言い草には一瞬呆れたが、何故司がここ最近機嫌が悪かったのか、理由が分かった気がした。
一体いつになったら私の方から誘ってくるのか、と待っていたに違いない。
でもなかなか言い出さない私にしびれを切らし、とうとう自分から言い出したという感じだ。

「………それ…西門さん辺りに吹きこまれたんでしょ」

何となく背後にあの二人の顔がちらつき尋ねてみれば、司は思い切り図星といった顔で私を見た。

「だ、誰から吹き込まれたわけでもねえ!俺は―――――」
「ついでにこう言われた?"類が帰って来たんだしモタモタしてっとマズイぞ"とか何とか…」
「……う、な、何で―――――」

あてずっぽうで言った私の言葉に、司は動揺したように腰を浮かせた。本当に分かりやすい男だ。

「全く…。西門さん達ってばろくな事、言わないんだから」

あの二人は本当に司の事を心配しているのかもしれないが、半分面白がってる節もある。
花沢類が帰国した事で司が動揺しているのを見て、からかい半分にあれこれ言っているようだ。
そして単純な司はまんまと二人の策略に引っ掛かり、私と花沢類が何かあるんじゃないかと疑いの目で見て来るのだから困ってしまう。

「花沢類には静さんがいるんだし何もないってば。あの二人の言う事をいちいち真に受けないでよね」

呆れたように溜息をついた私を見て、司は顔を真っ赤にしながら怒りだした。

「う、うるせえっ。あいつらは関係ねえよ!た、ただ類の様子もおかしいっつーし…お前も何かあの日から元気ねえし―――――」
「…え、やっぱり花沢類の様子おかしいの?」
「って、早速気にしてんじゃねえか!」
「そ、そりゃ少しは…。あの花沢類が毎晩のように夜遊びしてるなんて心配になるじゃない。司は心配じゃないの?幼馴染なのに」

私の問いかけに司は小さく言葉を詰まらせ、「…そりゃ少しは、な」と頭を掻いた。

「何よ。なら私と同じじゃない」
「お、同じだけど同じじゃねえ!つか話そらしてんじゃねえよ!」
「な、何の事よ」

怒りながら詰め寄って来た司に思わず逃げ腰になる。こういう展開は今までの経験上、ろくな事がない。
司は目の前に立つと強い眼差しで私を見下ろして来た。

「…お前…まだ類に惚れてんのかよ…」
「……え…?」
「類が遊び歩いてる事、そんなに心配するほど、まだ惚れてんのか…?」

真っすぐな目、真っすぐな言葉。それらを躊躇うことなくぶつけてくる司に、鼓動が一気に早くなる。

「だから最近ずっと元気なかったんじゃねえのかよ」
「…な、何言ってんの?そんなわけないじゃない…」

そう口にした途端、胸の奥が痛んだ。
花沢類を送りだした時からとっくに諦めたつもりだったはずの心が、最近妙にざわつく。
花沢類が知らない女性達と毎晩あちこちで遊びまわっていると思うだけで色んな感情が渦巻くのだ。
でもそれを司に言っても傷つけるだけだと思った。それに私自身、どうしたいのかも良く分からない。

「心配なのは花沢類が静さんの事で傷ついてないかって事だけ。私が静さんのとこに行けってけしかけたようなものなんだし当然でしょ?」
「…ホントかよ」
「ホントだってば。それより―――――出かけるなら早く用意しない?じゃないと夜になっちゃう」
「あ?」

疑いの眼差しで見て来る司にそう言うえば、司は驚いたように眉を寄せた。
私は雑誌をテーブルに置くと、溜息交じりで立ち上がってリビングから部屋へと向かう。
その後を司が慌てて追いかけて来た。

「おい!出かける用意って何――――――」
「デート!するんでしょ?司も着替えなさいよ」
「……へ?」

そう言いながら階段の途中で振り返った私を、司はアホ丸出しの顔で見上げている。
まるでデートの話などすっかり忘れていたという感じだ。

「…何よ。今日、行くんじゃないの?」
「え、や…つーか……いいのかよ」

急に弱気な反応を見せる司に、私は苦笑した。
さっきは強引に「行くぞ」とか言ってたクセに何言ってんだと内心思いつつ、溜息交じりで腰に手を当てる。

「いいから言ってるの。行かないなら私は部屋で勉強するけど―――――」
「あぁ〜!!行く!行くからもすぐ用意しろ!」
「だからソレ私のセリフ……って、聞いてないか」

私を追い抜くように階段を駆け上がって行った司を見て、思わず苦笑する。
あれ以上、花沢類の話題をしたくなくて、ふと口から出た言葉だったが、予想以上に嬉しそうな司の反応に小さく息を吐いた。
あんな風に素直に喜ばれると何となく複雑な気持ちになってしまう。

(花沢類の事も気になるけど…約束は約束だもんね)

まともなデートをするのは私も久しぶりだ。
あまり深く構えず、今日は普通に楽しもうと気持ちを切り替え、着替える為、自室へと向かった。











エンディングロールが終わり、ふと室内のライトがついた。
それに反応するように隣の席ではモゾモゾ動く気配がして――――――

「……ふ…ぁあぁ…!あ〜笑った笑った!いやーなかなか面白かったよな!」
「…嘘つけ!!あんた、前半から殆ど寝てたじゃないのっ」

思い切り両腕を伸ばし、欠伸を噛み殺している司の言い草に、私は思わず怒鳴った。
司は司で眠そうに頭を掻いている。

「…寝てねえっつの」
「だいたい今の映画コメディじゃないし!サスペンスだし!笑う場面なんか一つも出てないわっ」
「そ、そうだっけ?あの主人公が犯人を追いつめる瞬間はかなり爆笑だった―――――って、そんな睨むんじゃねえよ。たかが居眠りしてたくらいで」
「ほら!やっぱり寝てたんじゃないっ」
「仕方ねえだろ?シャンパン飲んで眠くなったんだよ…」

徐に目を細めた私を見て、司は溜息交じりに天井を仰いだ。
ここは映画館にあるプラチナルーム。
完全に個室状態なので映画を見ながらサービスのシャンパンを飲んだり、ちょっとした料理も楽しめるようになっている。

「あんなにガブ飲みするからでしょっ。ったく…自分から映画に誘っておいて寝るなんて最低」
「うるせえな…。くそ面白くない内容だったろ」
「なかなか面白かったわよー。ラスト15分が想像してなかった結末だったし」
「けっ。俺はもともとコメディが好きなんだよ!それをお前が"コレ見たかったの"って言うから仕方なく見てやったんだろ」
「だから寝てたでしょ」

私の最後の突っ込みに、司は軽く舌打ちすると、両腕を伸ばしながら立ち上がった。

「で、これからどうする?まだ7時過ぎだしメシでも行くか?」
「そうだなぁ…でも映画見ながら軽く食べちゃったし、そんなにお腹は空いてないけど」
「だな…。んじゃーちょっと時間ははえーけど…」

司は暫し考えた後、ニヤリと笑みを浮かべ振り向いた。

「ちょっくらドライヴでもすっか?」
「ドライヴ…?って、ちょ、ちょっと!どこ行くの?」

不意に私の手を掴んで部屋を出る司に、慌てて尋ねる。

「ついてからのお楽しみ」

司はそれだけ言うと、携帯でどこかへ電話をかけ始めた。

「――――ああ、俺だ。準備はしてあるか?ああ…ならいい。後一時間以内に着く」

どこへ行くんだろう?と思いながら映画館に横づけされたリムジンに乗り込む。
私達が乗り込むと、車は静かに走りだした。

「ねえ、どこ行くの?」
「ついてからのお楽しみつったろ」

司は言いながら楽しげに笑うと設置されてる冷蔵庫からビールを取り出し私に寄こした。

「ま、着くまではドライヴ楽しもうぜ。今日はデートなんだからよ」
「それはいいけど…」

ビールを受け取り、渋々頷く。
てっきり映画を見て食事して、いつものバーにでも行くのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
司と改めて二人きりで出かけるのは初めてで、行き先も分からないせいか少し緊張してきた。
逆に司はどこか楽しそうで、積んであるCDをかけながら鼻歌なんか歌っている。

「ところでよ。最近あいつ見かけねえけど…連絡とかあんのか?」
「え、あいつって…?」

あれこれCDをひっかきまわしながら、ふと司が顔を上げた。

「お笑い芸人だよ。あいつ、まだ学校来てねえだろ」
「ああ…大和?そう言えば…連絡ないかも」
「ホントか?」
「ホントだってば。用事で大阪帰ってるんでしょ」

司は疑いの眼差しで見て来たが、本当に大和からは連絡が来ていない。
確かに正月に会って以来、連絡もなくて、メールの返事すら来ないから気にはなっていた。

(あのお守りくれた後からぷっつり連絡が途絶えたけど…何かあったのかな…)

用事で大阪に帰ってると言っても、すでに学校が始まっているのだ。こんなに休むのもおかしい気がする。
大会社の御曹司なのだから色々あるのかもしれないが、メールすら送って来ないのは大和らしくない。

(家で何か…あったのかな…)

以前、大和の過去を聞いた事があった。その時に家の…というより父親との確執があったと話してくれた事がある。
今は上手くいっていると言ってはいたが、また何か問題が起きたのかもしれない…と心の隅でそんな事を思った。

「なーに心配そうなツラしてんだよ」

その時、不意に怖い顔をした司の顔が視界いっぱいに入り、慌てて身を引いた。

「…な、何よ。ビックリするでしょっ」

私の顔を覗き込むようにしている司との距離があまりに近すぎて、シートにピッタリ背中をつける。
それすらも不満そうに司は小さく舌打ちをした。

「デート中だってのに他の男の事、考えてんじゃねえよ」
「はあ?あんたが大和の話題ふったんじゃないっ」
「例えそうでも俺と一緒にいる時にあいつの心配なんかしてんじゃねえ!」
「な…何それ…心配くらいするわよ。大和は友達だし―――――」
「友達だぁ?あいつはそう思ってねえだろがっ」
「…ぐっ…」

そこは突っ込まないで欲しかった。内心そう思いながらも反論する言葉さえ見つからない。
そもそも大和の気持ち―――特に本気だという事――ーを知ったのはごく最近で、私としても戸惑っているのだ。

「と、とにかく!私は友達としか思ってないんだしいいでしょっ。放っておいてよ」
「……ホントか…?」

司は一瞬疑うような目をしてみせたけど、私が顔を反らすと僅かに笑ったようだった。

「フン…。ま、せっかくのデート中にケンカする事もねえよな」

そう言いながらお気に入りのCDをプレイヤーで流し始める司の頬は若干緩んでいるようだ。
さっきまで目くじらを立てて怒っていたはずなのに、もう機嫌が直っている。

(変な奴…)

内心ちょっと呆れながらも、機嫌が悪いよりはずっといい、と思いなおし、暫し2人でビールを飲みながら他愛もない話をしていた。
そして少し経った頃、不意に車の止まる気配を感じ、窓の外へと目を向ける。そこは見覚えのある場所だった。
ライトに照らされた広い空間に見えるのは道明寺家の自家用ジェットだ。

「こ…ここって……空港?」
「おう。降りようぜ」

全く状況を把握していない私を尻目に司はサッサと車を降り、自家用機の方へと歩いて行く。

「司さま、お待ちしておりました」

司に話しかけているのは、道明寺家の専属パイロットだろう。
こんな夜にジェット機で一体どこに行く気なのかと戸惑いつつも、私は車を降りた。

「早く来いよ」
「っていうか、どこへ行く気?こんな時間に―――――」
「あ?ドライヴつったろ。ドライヴは車でするもんとは決まってねえ」
「な…ドライヴって…まさかジェット機で?!」
「ゴチャゴチャうるせぇな。いいから早く乗れ」

司は唖然とする私の手を掴むとサッサと階段を上がって行く。
この状態で文句を言っても仕方がないので――――どうせ聞きいれてもらえない――――私も大人しく自家用機に乗り込んだ。
少しすると滑走路のライトが一斉につけられ、綺麗なラインを描きだす。

「やっぱ夜の空港は綺麗だな」

ふと窓の外を眺めながら司が呟き、私も窓の外へと目を向けた。
確かに夜の滑走路はライトアップされていて綺麗だけど、私としては何で普通にデートをするはずが、こんな大げさな事になってるんだと溜息が洩れる。
そんな私の気持ちなど無視したかのようにジェット機が走りだし、少しすると夜空へ飛び立った。
見る見るうちに地上が遠くなり、更にライトがキラキラ輝いて見える。

「ホントに空のドライヴするの?」
「そう言ってんだろ。まあ、ちょっくら寄り道はするけどな」
「…寄り道…?」

そこで訝しげに眉をひそめれば、司はニヤリと笑いながら、「ま、行けば分かる」と意味深な事を言う。
何となく嫌な予感はしたけど、今の私には逃げる術もないのだから仕方がない。
まさか外国へ飛ぶ、なんて事まではしないだろう、と腹をくくる事に決めた。

「――――冷たいお飲み物をどうぞ」

そこへ見覚えのあるCAが飲み物を運んできた。以前カナダへ行った時も接待してくれた女性だ。
殆ど私的な用事でジェット機を用意したくせに、こんなスタッフまで呼んでたのかと驚いた。
司の一言で呼びだされたんだろう、と内心同情しながら、シャンパングラスを受け取る。

「ありがとう御座います」

その女性は嫌な顔一つせず、むしろ私の言った一言に優しい笑みを浮かべて戻って行く。
"我がまま坊ちゃん"の世話をしなければいけない道明寺グループの社員に同情しながら、隣でふんぞり返っている司を睨んだ。


「おば様に怒られないの?」
「あ?」
「大した用事でもないのにジェット機なんか使って」

呑気にシャンパンを煽っている姿に呆れながら、素朴な疑問を口にしてみれば、司は軽く鼻で笑った。

「こんな事くらいで、いちいちババァの耳に入らねぇよ。いつのも事だしな。つか、俺にとったら大した用事だぜ?」
「え…?」
との初めてのデートだからな」
「………っ」

こっちがリアクションに困るような事をサラりと言う司に、一瞬ドキっとする。
普段はガサツなクセに、こういう時は同一人物とは思えないほど優しい目をするから。

「…よ…よく言うわよ。さっきはグースカ寝てたクセに」

どう返していいのかも分からない私は、いつものように憎まれ口を叩く事しか出来ない。
常に自分の気持ちを誤魔化さず、ストレートな言葉でぶつかってくる司が、少しだけ羨ましい、とも思う。

「アレは映画の台本が悪ぃ。眠くなるような話だったろが」
「それ言うなら"脚本"でしょ?それに結構面白かったじゃない」
「う、うるせぇな。お前と俺の映画の趣味が合わねえんだっ!今度はアクションに付き合え」
「……はいはい。アクションも好きだからいいけど」

ムキになる司に笑いを噛み殺し、窓の外を眺めれば、すでに東京のネオンがかなり小さくなって見えた。

(ホント、どこ行く気なんだろ)

夜にもなるとジェット機がどちらの方向へ飛んでいるのかも分からない。
単にデートをするだけなら普通はこんな大げさな物に乗らないだろうが、相手はあの道明寺司だ。行き先が分からないと多少の不安も残る。
でも40分ほどすると、小さなライトがはるか下方に見えて来て、思わず身を乗り出した。

「あれ…滑走路…?」
「んあ?ああ、もう着いたのか」

一緒に窓の外を覗くと、司は降りる準備をしろ、と言った。
どうやら滑走路のある某所へ着いたらしい。といって、見た感じはどこかの島といった感じだ。

「ねえ…まさか海外じゃないでしょうね」
「あたりめえだ。ここは日本だよ。いいからベルト締めとけ。危ねえぞ」

ベルト着用サインが出され、私もすぐにベルトを締める。
同時にジェット機は徐々に降下し始め、少しするとガクンと振動が伝わり、地上へ着いた事が分かった。
そして完全に停止したのを確認すると、司はサッサとベルトを外し、

「ほら、行くぞ」
「ちょ、ちょっと…ここどこなのよっ」

何の説明もないまま連れて来られた私は、一人先に歩いて行く司の後を慌てて追いかけた。
降り口でスタッフが2名ほど、深々と頭を下げていて、彼女達に軽くお礼を言ってからタラップを降りて行く。
そこで私を出迎えたのは、木々に飾られたイルミネーションと、良く知っている顔ぶれだった。

「よ!ちゃん!やっと来たな」
「映画デートはどうだった?」
「あ…西門さんと美作さん…?!」

2人がいる事に驚き、駆け寄ると、その後ろからこれまた意外な顔が歩いてきた。

「早かったね、2人とも」
「は…花沢類…何でここに―――――」

と、言おうとした瞬間、私以外にも驚いている人物がもう一人いた。

「て、てめえら、何で来てんだよっ!!」

突然、口を開けて突っ立っていた司が顔を真っ赤にして怒りだし、そっちにも驚かされた。
どうやら司も三人の訪問は知らなかったらしい。

「まあまあ。いきなり2人きりのデートじゃ司も何かヘマやらかしそうだしさ」
「そうそう。心配して来てやったんだ、優しいだろ?ま、類は暇だっつーから連れて来たんだけど」
「…お腹空いた…」

相変わらずのノリで話す西門さん達や花沢類のマイペースさに、司の目が更につり上がる。

「余計なお世話だ、総二郎!つーか、てめえ…だからこの島に行けって進めたんだな…?最初から来る気だったんだろっ」
「邪魔はしねえって。少しばかりムード作りに来てやったんだ。感謝しろよ」
「ム、ムードだぁ…?!お前らがいたら台無しじゃねえかっ」
「ね、ねえ、それより…ここ何なの?島みたいだけど…」

モメ始めた2人よりも、私は目の前に広がるライトアップされた道、そして華やかな庭のその先に見える大きな建物が気になった。

「ここは司ん家…道明寺グループが所有してる島の一つだよ」
「…え、所有?って事は…この島が全部――――――」
「道明寺家のものって事」

花沢類が欠伸を噛み殺しながら説明してくれたが、そのスケールのでかさに、また驚かされた。
軽いデートのつもりが、まさかこんな大事になるとは思いもしてなかったのだから当然だ。しかも花沢類までいるなんて―――――――

「…元気だった?
「え?あ…うん。花沢類は…?」

あの夜、偶然会って以来。私の問いに花沢類は曖昧な表情で微笑むだけだった。その時、

「おい!!何どさくさに紛れて2人で話してんだっ」

司の大きながなり声が飛んできた。













「わぁ〜素敵な別荘ね!」

はこんな状況の中、嬉しそうに部屋を見て回っている。
その姿を横目に見ながら、司は目の前の総二郎とあきらを交互に睨み、盛大に溜息をついた。
本来なら、と2人でここへ来て、誰の目を気にする事もない場所でそれなりのムードを作る予定だったのだ。
それを自分の親友達が台無しにしたのだから怒りが収まるはずもない。

「ったく…。お前達のせいで計画がおじゃんだぜ…」
「そう言うなって。これでも心配して来たんだぜ。なあ?あきら」
「ああ。俺達がいれば少しはフォローできるしね。演出面では司、ダメダメだからなあ」
「ああ?!ソレが余計なお世話だっつってんだよ。これじゃ普段と変わらねえじゃねえかっ。だいたい何で類まで連れて来る必要あんだ?」

司にとって総二郎とあきら以上に予定外だった類は早速ソファの上で丸くなっていて、が傍ではしゃぐ声も気にすることなく寝る体制に入っている。
それを呆れ顔で眺めながら、総二郎も軽く肩を竦めた。

「仕方ねえだろ。今回は珍しく類の方から行くって言って来たんだよ」
「あ?」
「俺達の計画、聞いて"暇だし俺も行こうかな"って言うからさ。まさかお前はダメだなんて言えねえだろ?」
「言えよ!むしろ言えっ!」
「そんな意地悪、できっかよ。お前じゃあるまいし」
「うるせえっ」

ケラケラ笑う総二郎に司も思わず熱くなる。
やっと叶った初デート。
ただでさえ総二郎とあきらは邪魔なのに、そこへが以前想いを寄せていた類までいるとあれば、司が気になるのも当然と言えば当然だ。

「まあまあ。ちゃんも忘れたって言ってたんだろ?なら安心じゃねえか」
「んなの分かったもんじゃねえ」
「オイオイ…。マジで心配してんの?類には静がいんだろ」

あきらも司の動揺を感じ取り、苦笑を漏らしたが、当の本人は徐に目を細めた。

「…じゃあ何で、その静を残したまま急に帰国したんだよ。お前らも最近アイツの様子がおかしいつってただろ」
「そりゃまあ…確かにな」

そこで総二郎はふと類に視線を向け、頭を掻いた。
類がここ毎晩のように自分達とクラブで遊び歩いている事を、一番気にしていたのは総二郎自身なのだ。

「でも類の奴、聞いても何も言わねえんだ」
「静の話題になると不機嫌になるしな」

あきらも溜息交じりで肩を竦める。
何かあった事は間違いないのだろうが、原因が分からなければどうする事も出来ず、少しでも気晴らしになれば、と総二郎とあきらは類の言うまま夜遊びにも付き合っていた。

「まあ、そのうち話したくなれば話すだろうし今はそっとしておいてやろうと思ってさ」
「だから司もそんなピリピリすんなよ。類は友達だろ?追い返すって言うなら―――――――」
「…わ…わーってるよ!そこまで言ってねえだろ!」

2人からジトーっとした目で見られ、司は思い切り不満げながらも渋々頷いた。
だが当の本人はソファに横になり、「お腹空いた…」と子供のように丸くなっている。

「んじゃ話がついたところで、お前らのデートの続きと行こうじゃねえか」
「あ?続きつったって…」
「だから俺達は邪魔しないって。少し協力するだけ」

総二郎はそう言いながらニヤリと笑い、

「司の事だ。ちゃんをこういう場所に連れてきても、その後の事は何も考えてないと思ってさ」
「その後?」
「ただ豪華な場所を用意しても、場の空気ってのから作り上げなきゃムードも何も出ねえだろ」
「…場の空気って何だよ」

呆れ顔のあきらにムッとしつつ、司は目を細めた。

「やっぱ何も考えてなかったか」

言いながら総二郎がダイニングへ続くドアを開け、そこへ司を促す。同時に綺麗なヴァイオリンの音色が響いてきた。

「な…何だよ、これ…。こんな演出、頼んでねえぞっ」

大きなダイニングのテーブルには豪華な料理がズラリと並び、それは司の指示通りだった。
…が、室内の照明は程よい暗さに落とされ、無数に飾られた色とりどりのキャンドルライトがゆらゆらと揺れている。
部屋の奥には三人の女性がドレスを着こみ、その手でヴァイオリンを奏でていた。
開け放たれたテラスへ続く窓からは夜の海がぼんやりと見えていて、まるで外国の夜会のような雰囲気だ。

「これくらいしねえとダメだろーと思って俺がセッティングしたんだぜ?いい感じだろ。音大の子達を探すの苦労したしな」
「ちなみに彼女達のギャラは俺達の体で払う事になってるから安心しろ」
「はあ?んな心配してねえよっ。つか、他人がいたら、かえって落ち着かねえっ」

生演奏などに興味のない司にとって、無駄な演出だと言わんばかりに総二郎に噛みつく。
そんな司を宥めるように、総二郎は「初デートなんだから、これくらい普通だって」と笑いながら司の肩を抱いた。

「彼女達はいないと思えばいいじゃん。いいから早くちゃん呼んでこいよ。せっかくの料理が冷めちまぅ―――――――」

と、言いかけたその瞬間。総二郎の目の前を誰かが通過した(!)

「わあ…凄い料理だね。どおりでいい匂いがすると思った」
「る…類…っ!」
「あーホントだ。花沢類の言うとおりだったね〜」
「…ちゃん…っ?」

予想外にも花沢類、そして今夜のメインゲストであるはずのが一緒に来てしまった事で、総二郎はギョッとした。

「俺、お腹空いてたんだ。これ食べていいんだよね」
「……うっ」

全くもって場の空気を読まない類に、総二郎とあきらは困ったように顔を見合わせる。

「あ、あのな、類…これは―――――――」
「もちろん食べていいんじゃない?こんなにあるんだし…私達の為に用意してくれたのかしら」
「……お、おい、ちゃん…っ」

総二郎がどう応えようか迷っている間に、は類と一緒にテーブルについてしまった。
これには司も完全に半目状態のまま、固まっていて、総二郎も内心冷や汗ものだ。

「皆どうしたの?食べないの?」

は目の前の料理を皆に用意してくれたもの、と完全に勘違いをしているし、演奏をしている女性達も訝しげな顔で視線を交わしている。
そこで総二郎がきちんと説明しようと口を開いたその時。今の今まで金縛り状態だった司が無言のまま、椅子へと座った。

「お、おい、司…」
「もういい。とりあえず食おうぜ。俺も腹減った」
「いいのかよ?せっかくのデートなのに…」
「お前らが来てる時点で台無しになってたんだ。こうなりゃヤケクソだっ」
「…………わ、わりぃ…(完全にキレてる…)」

脱力感でいっぱいの目で睨まれ、総二郎とあきらの顔をも引きつった。
といってと類が分かっていない以上、今からデートをやり直す雰囲気でもなくなり、仕方なく2人も席へとつく。

「ああ、君達も一緒にどう?」
「え、いいんですか?」

困惑気味の様子で演奏を止めた女性三人に声をかけた総二郎は、魅力たっぷりの笑みを浮かべた。

「予定変更。今夜は皆で楽しもうよ。ま、今夜の主役だった奴はあの通り、不機嫌だけどさ」

総二郎の言葉に女性三人は大喜びで席へと座ったが、司だけは仏頂面のまま食事をしてはワインをがぶ飲みしている。

「あ〜あ…明日には機嫌なおってるといいけどな」
「ま、今度穴埋めしてやろうぜ」

司の様子を見ながら、総二郎とあきらは小さく息を吐き、肩を竦めた。













食事の後、バーコーナーのある部屋へ移り、美作さんが得意のカクテルを作り始めた。
西門さんはすでに音大の女の子達と仲良くなり―――ホント素早い――――楽しそうに談笑している。花沢類は花沢類で退屈そうに隣に座った子の話を聞いているようだった。
その様子を不機嫌そうに眺めていた司は、ふと隣にいる私へと目を向け、目が合うと僅かに横へ移動し距離を縮めて来る。
そして私の飲むカクテルを見て、軽く咳ばらいをした。

「そ、そんなん飲んで大丈夫か?さっきはワインも飲んでたろ」
「これくらいは大丈夫。ホント美作さんカクテル作るの上手だね〜」
「ガキの頃から色んな酒飲んでるからな…。つか、それより…今夜は悪かった…な。こんな展開になっちまって…」
「え…?」
「いや…ほら…。一応デートっつー事で連れて来たのによ…」

司は溜息交じりでバーにいる幼馴染達を睨む。
でも私が軽く吹き出し、「気にしてないわ」と肩を竦めれば、司はすぐにムッとした。

「てめえ…少しは気にしろよ…」
「ごめん。でも…こういうオチがある方が私達らしいって気がしない?」
「あ?」
「ほら。司とあの三人ってセットって感じじゃない。いない方が落ち着かないっていうか…」
「…チッ。人を"ランチョンマット"みたく言うんじゃねえよ」
「……??ああ…もしかして"ランチセット"って言いたかった?」
「う、うるせぇっ」

一瞬何を言っているのか分からなかったが、さすがに長く一緒に生活していると、私も学習する。
司の天然発言に思わず笑った。

「ホント司ってバカ」
「あぁ?てめえ、ケンカ売ってんのか?」
「違うわよ。褒めてんの」
「あ?どこがだよっ」
「…何か癒されるなあと思って」

顔を真っ赤にして怒っていた司も、私がそう言った瞬間、ぐっと言葉を詰まらせた。

「な、何だよ急に…気持ちわりいな…」
「だって本音だもん。司って…口も悪いし腹の立つ事もいっぱいあるけど―――――――」
「て、てめえ、やっぱケンカ売ってんじゃねえか」

さっきよりもずっと弱い口調で文句を言う司に、私は苦笑しながら、それでも今感じた事を素直に口にした。

「そうじゃなくて…バカみたいに真っすぐなとこがいいなって褒めてるの」
「…バカは余計だ」
「褒めたんだから素直に喜べばいいのに。それにバカは当たってるし」
「うるせぇなっ。ったくよ…。せっかくプレゼントやろうと思ったのに渡す気なくすぜ」
「……プレゼント?」

言葉とは裏腹に耳まで赤くなっている司を不思議そうに見上げれば、彼はスーツのポケットからある物を取り出し、私へ差し出した。

「これ……携帯…?」
「おう…。それも最新型の奴だぜ?お前、この間テレビCM見て欲しがってたろ」
「嘘…覚えてたの?」

チラっと言っただけなのに、と驚けば、司はもう一つ携帯を取り出し、「俺もちょうど同じの買おうと思ってたからな」と得意げに笑った。

「…色違いのお揃いじゃない」
「ぉう。"パッチタネル"ってヤツだ。これが欲しいつってたろ」
「………」

更に得意げに応える司に、今度は深々と溜息が洩れる。

「それ言うなら"タッチパネル"ね。っていうか何でお揃いなのよ」
「う、うるせぇなっ!た、たまたまのたまーに欲しいのが同じだっただけだろっ。いいから今日からコレ使えっ」
「ええ?でも…」
「言っとくがコレは俺専用だからな」
「えぇ?何よソレ…!」

強引に押し付けられ、私は一瞬迷ったが、司の怖い顔に仕方なく頷いた。
欲しかったのは事実だし、司専用と言っても他に使い道は沢山ある機種だ。
そんな事にまで、いちいち口出しはしないだろう。
私はそう気持ちを切り替えると、手の中にあるピカピカの携帯の電源をすぐに入れてみた。

「って、何ちゃっかり自分の番号だけ、すでに登録してるのよ」
「あたりめえだ!これで、あのお笑い芸人や他の男からも連絡こねえだろ?」
「はあ?悪いけど、これ一台だけ使うなんてしないわよ。今の携帯もあるし」
「何ぃ〜?!」
「当然じゃない。私にだって司以外に連絡取り合う人がいるんだから」
「な…だ、誰だよ!やっぱ男じゃ――――――」
「違うわよ。親とか―――――」

そう言いかけた瞬間、私の携帯が鳴りだした。メールではなく、電話だ。
それも個人別で着信音を分けているから、誰からの電話かはすぐに分かった。

「言った矢先から男からじゃねえのか?」
「ち、違うわよ。お父さんから。最近しょっちゅう連絡来るの」
「…ホントかよ」
「ホントだってば。ちょっと話して来るね」
「おぃ――――――」

着信相手を確かめさせろ、と言われる前に、私は司を振り切るようにテラスへと出た。
どうやら司も追いかけてきてまでは確かめるつもりもないらしい。私はホッと息を吐きだし、携帯を開いた。
久しぶりに連絡してきたかと思えば、こんな状況。電話でもKYなのはアイツらしい。

「もしもし…大和?」
『おう!よう俺やて分かるなあ〜!久しぶりやのに。やっぱ愛がある証拠やわあ』
「あのね……当たり前でしょ。名前が表示されるんだし」

相変わらず能天気な答えが返って来て溜息が出たが、久しぶりに大和の明るい声を聞いてホッとした。

「それより、どうしたのよ。全然、連絡もしてこないし、学校だって休んだままで…」
『何や、心配してくれてたん?』
「そ、そういうんじゃないけど!急に大阪帰ったまま何の音沙汰もなければ何かあったのかなって思うでしょっ」

なるべく小声で話してるものの、大和が相手だと、つい怒鳴りたくなってしまう。
部屋の中を気にしながら、私はテラスから庭先へと降りた。この庭の先は海があり広い浜辺に出られる。
とりあえず司に聞かれないよう、私は海の方へと歩き出した。

『ごめんなあ…。ちょっと連絡できひんとこおって』

そこで不意に大和の声のトーンが落ちて、私は少し心配になった。

「…どうしたの?やっぱり何かあった?」

もしかしたら父親とまた何かあったのだろうか。そんな事を思いながら尋ねると、大和は深々と息を吐きだした。

『実は……俺、入院しとってん』
「……え…?入院って…怪我したの?それとも――――――」
『…………』
「大和…?」

何も応えてくれない大和に鼓動が速くなった。
この時期に実家に帰り、しかも入院してた、と聞けば嫌でも最悪の事を考えてしまう。

『……………っ』
「大和…?まさか…重い病気、とか…?」
『……ぶ……っ』

大和の声がかすかに震えてるような気がして、やっぱり重病なのかと思った瞬間。
電話の向こうで盛大な笑い声が聞こえてきて唖然とした。

『……ぶははははっ』
「………っ?」
『ちゃうちゃう!病気ちゃうで〜』
「な…何よそれ!からかってるの?」

一気に不安になっていた気持ちが同じ速度で急降下し、ホッとした瞬間に腹が立って来る。
なのに大和は笑いながら、『そっちが勝手に勘違いしたんやん』と、開き直ったように言った。

「あのね…!"実は…入院してて"なんて、深刻な声で言われたら誰だってそう思うでしょ!!」
『ごめんごめん。いや、入院してたのは、ほんまやねん』
「……え?」
『て、ゆーてもちゃんが思てたような病気とちゃうけどなあ』

大和はそう言いながら苦笑すると、

『実は実家帰った次の日にめっちゃ腹が痛くなってなあ。もう死ぬ〜思て救急車まで呼んで病院行ったら、ただの盲腸やってんやんかー。はっはっは!』
「………笑い事じゃない!っていうか、盲腸だって処置が遅れたら死ぬかもしれないんだから!」

あまりに能天気な態度につい怒鳴る私に、大和も『怒らんといてぇなぁ』とションボリした声を出す。
それには呆れて溜息をついた。
とにかく電話がかけられるなら、もう大丈夫という事なんだろう。

「…それで…退院したの?」
『あ〜さっき家に戻って来てん。ほならちゃんからメール入ってたし俺の事、心配してるやろなあと思て他の女は無視して一番に電話したんやで』
「……それはどうも、お気遣い頂いて」
『何や冷たいなあ。こっちは術後も腹痛いし、アソコはチクチクするし、なかなかアレは出ぇへんし大変やってんでー』
「……何よ。そのチクチクとかアレって…」

何かの暗号のような事を言われ、眉をひそめれば、大和はかすかに笑ったようだった。

『あれ…ちゃん、知らん?盲腸の手術は切る前にアソコの毛を剃って、術後はガスが出るま―――――――』
「………バ、バカ!変な事、言わないでよっ!」
『変な事ちゃうやん。つーか、若い看護師さんに剃られて、めちゃ恥ずかしかってんからー。婿入り前の体を見られてもーて』
「もう!いい加減にして!っていうか、誰が婿入り前の体よ!チャラ男だったクセに」
『そうやなぁ。でも今はちゃん一筋やし。はよ会いたいわあ〜。あ、生え揃うまではエッチ出来ひん体になったけど、それでもええ?』
「あのね…。その前にそんな関係じゃないでしょーがっ」

相変わらずノリの軽い大和に呆れていると、電話の向こうで楽しげに笑う声が聞こえて来た。

『冗談や冗談!何や久しぶりにちゃんに怒られたなってー』
「…ドM男」
『嫌やなあ。ちゃんにだけやでー。な〜んて――――――ほんまに声が聞きたかってん』

不意に真面目なトーンでそんな事を言われてドキっとする。
考えてみれば普段の軽いノリの大和の方が、私としては話しやすい。特に今は。

『来週には東京戻るし、その時は一緒に食事でもせえへん?』
「……学校で会えるでしょ」
『学校やと道明寺クンの目があるからなぁ。それに……』
「…それに?」
『いや…東京戻ったら、ちゃんをビックリさせる事あるし楽しみに待っててな』
「何よそれ…。何なの?」
『楽しみは後にとっとかな。ほな…来週学校でな』
「う、うん…。じゃあ…病み上がりなんだし無茶しないで大人しくね」
『おう、ありがとう』

大和はそう言ってアッサリと電話を切った。急に静かになったような気がして、軽く息を吐く。

「大和と話すと一気にテンション上がるのよね…。ったく、それにしても盲腸だったなんて…」

ここ数日、家で何かあったのかと心配はしていたが、それが理由だったなら良かった。
少しホッとして別荘へ戻る前に大和の履歴だけ削除しておく。
万が一、司に見せろと言われた時の為だ。消した事で怪しまれるだろうけど、電話の相手が大和とバレるよりはマシな気がした。

「って、何で彼氏でもないのに、大和からの電話を内緒にしなくちゃいけないのよ…」

そう言って振り返った瞬間、私はその場で固まった。

「……大和…?」
「は…花沢類…っ?」

予想もしてない人がそこに立っていて、思い切り鼓動が速くなる。
花沢類は不思議そうな顔で歩いて来ると、「ああ…結城グループの御曹司か」と、かすかに微笑んだ。

「へえ…彼はまだにちょっかい出してるんだ」
「え?あ、いや、ちょっかいって言うか…。そ、それより何で花沢類がここに…?」

さっきまでは音大の子達と一緒に飲んでいたはずだ。
花沢類はそのまま海の方へ歩き出すと、思い切り両腕を伸ばした。

「知らない人いると疲れるんだ。だから寝るフリして抜け出して来た」
「…そ、そっか。でも一緒に飲んでた子は?話が弾んでた様だったのに…」

西門さん達が連れて来た女の子達はそれぞれお気に入りを決めたのか、食事の後は自然に2ショットになっていた。
その中でも花沢類の傍にいた子は小柄で可愛らしい女の子で、どっちかと言えば彼女の方が積極的に花沢類に話しかけてるように見えた。

「別に弾んでないよ。向こうが勝手に話してただけ」
「そ、そう…でも可愛い子だったよね」

浜辺を歩いて行く花沢類を追いかけるように着いて行くと、不意に彼が振り向いた。
その顔は少しだけ不機嫌そうだ。

「俺、ああいう子、嫌い」
「…嫌いって…」
「初対面なのにベタベタしてくるし…。誘えば簡単についてきそうでやだ」
「え、でも最近はクラブで――――――」

と、つい言いかけてハッとする。花沢類は訝しげな顔で首を傾げ、軽く笑った。

「ふ〜ん…総二郎とあきらから聞いたんだ。俺がクラブで女の子と遊んでるって?」
「え、あ、いやその…」
「別に隠してるわけじゃなかったし、いいけど」

花沢類はそう言って私の方に歩いて来ると、そのまま浜辺に座った。
私も同じよう隣へ座ると、そっと花沢類の顔を見上げる。彼の茶色い髪が夜風に揺れて、少しだけ見えた横顔は何となく寂しげに見えた。

「…日本に帰って来てから…毎日のようにクラブに行ってるって聞いたけど…」
「一人でいたくないからクラブに行ってるだけだよ。でもナンパとかはしてない」
「え…?」
「総二郎達が一緒だと自然にそうなるだけで、俺も話し相手になるなら誰でもいいって感じだっただけ。でも…それももう飽きたかな」
「…飽きた?」
「ああいう子達は結局、俺じゃなくてもいいんだ。自分の欲を満たしてくれる相手なら…誰でもいいっていうか。そんな子と話してても空しくなるだけだよ」
「そんな事なぃ――――――」
「あるよ。俺一人じゃ何も出来ないって気付いたし…そんな奴の事を本気で好きになる子なんていない。親の力がなければ何も出来ないん――――」
「そんな事ないってば…っ!」
「………?」

彼の言葉に胸がズキズキして、思わず大きな声を出してしまった。
だって私は彼の、花沢類の優しさに何度も救われたから。だから"何も出来ない"なんて思って欲しくなかった。
そんな寂しげな顔で、泣きそうな声で、そんな事を言って欲しくなかった。

「…何で…が怒るの」

ムキになる私を見て、花沢類は訝しげに眉を寄せて首を傾げている。
彼のその表情を見てハッとした。

「お、怒ってない。でも…花沢類は何も出来なくなんかないよ…。私は…花沢類にいっぱい助けてもらったもん…」
「…助けた?俺、別に何もしてないと思うけど…」
「してくれたよ。いつも…私は―――――」

そう言いかけた時、聞き慣れない着信音が鳴り響き、ドキっとした。でも手に持ったままの私の携帯じゃない。
といって花沢類でもないらしい。(彼はキョトンとした顔でこっちを見てるし)

「…あっ!まさかコッチの…っ」

そこで思い出しポケットに手を突っ込んでみれば、案の定、先ほど司からもらったばかりの携帯が鳴っていた。
表示されているのは当然、"俺さま"…(何だこの表示名は!)

「もしかして司?出た方がいいんじゃない?」
「あ、う、うん…ごめん」

苦笑気味の花沢類に背を向け、急いで電話に出る。その途端、大きな怒鳴り声が耳を劈いた。

『てめえ、いつまで電話してやがる!つか、どこにいんだよっ』
「ご、ごめん。今戻るとこ」
『じゃあサッサと戻って来い!もうお開きだし寝るぞ!!』
「わ…分かったわよ…」

言った瞬間、ブツっと電話が切れて、私は盛大に溜息をついた。
だいたい何でこんなに偉そうに言われなくちゃならないんだろう。

(彼氏でもないってのに…)

そう思いながら項垂れていると、花沢類がくすくす笑い出した。

「早く戻った方がいいよ。司が怒ってるんだろ」
「う、うん…まあ…。もうお開きになったみたい。司も寝るって」
「そう。じゃ行きなよ」
「え…花沢類は?戻らないの…?」
「俺はもう少しここにいる。気にしないで行って」
「…うん…じゃあ…お休みなさい…」
「…お休み」

花沢類はかすかに微笑んで手を振った。本当はあんな寂しそうな彼を一人で残して戻りたくはない。
だけど…もしかしたら一人でいたいのかもしれない、と思うと一緒にいていい?とは言えなかった。

「…やっぱり…何かあったのかな…」

前から大人しい方ではあったけど、今の花沢類は以前とは感じる雰囲気が違う。
純粋に静さんの事が好きだと言っていた彼とは、明らかに違う。それくらい私にだって分かる。

「"何も出来ない"…ってどういう意味なんだろ…」

溜息交じりで呟きながらテラスの方へと歩いて行く。その瞬間、「遅い!!」という司の声が聞こえてきて、私は再び溜息をついた。

「…待ってたの?先に寝て良かったのに」
「あぁ?!てめえ…自分の部屋がどこかも知らねえだろが!だから案内してやろうと思って待っててやったのに何だその言い草はっ」
「…あ…そっか」

それもそうだった、と苦笑する私に、司は口元をひくひくさせながら、「こっちだ。サッサと来い」と相変わらずの態度だ。
仕方なく後からついて行くと、建物の逆の裏庭を突っ切ったところにロッジのような部屋がいくつも並んでいる場所に出た。

「ここ?」
「ああ。お前は102号室。俺の隣だ。3号室から6号室は総二郎達の部屋だから絶対近寄るなよ?」

見てみれば、そのうちの二つの部屋からはボンヤリと明かりが洩れている。おおかた先ほどの音大の子達を連れ込んでいるんだろう。
その中に一つ電気の着いていない部屋があった。

(花沢類は6号室なのかな…)

ふと浜辺に残して来た花沢類の事が気になったが、司に促されるまま部屋へと入る。
中はロココ調の家具で飾られ、どこかのお姫様みたいな天蓋付きベッドまであった。

「どうだ?気に入ったか?」
「う、うん。可愛い……って、いうか何であんたまで一緒に入って来るのよっ」

気付けば司がソファにふんぞり返っているのを見て、思わず身を引いた。
そんな私に若干ムッとしつつも、司は溜息交じりで立ち上がると、

「別に一緒に寝ようなんて言わねえよ」
「あ…当たり前でしょ」
「けど…」
「な、何よ…」

不意に真剣な顔で目の前に歩いてきた司にギョっとして後ずさる。
そんな私の腕を、彼は強引に引っ張り、強く抱きしめて来た。

「ちょ、ちょっと――――――」
「何だよ。今日はデートなんだろ?抱きしめるくらいしてもいいんじゃねえ?」
「で、でも――――――」
「でも、もクソもねえ。結局、総二郎達に邪魔されてデートらしいデートも出来なかったんだ。これくらいでギャーギャー言うな」

更に強く抱きしめられ、司の香りに包まれる。少しだけ怖くなって体をよじれば、すぐに不満げな瞳が私を見下ろして来た。

「…何、警戒してんだよ」
「…そ、そういうわけじゃないけど…」
「別に襲おうなんて思ってねえよ」
「…え?」
「お前が俺の事をちゃんと好きになるまで…何もしねえ。ある程度の我慢もしてやる」
「………っ?」
「でもお前が俺の事を好きになったその時は…兄妹だろうが家族だろうが絶対に俺のもんにしてやるからな。覚悟しとけ」

いつもなら文句の一つも言いたくなるようなセリフ。
だけど司の真剣な顔を見ていたら何も言えなくなった。
司は本気で私の事を想ってくれてる。真っすぐに私を見てくれてる。それを体中で感じたから目をそらせない。
その時、司が僅かにかがんで私の額へと口づけた。

「ちょ…」
「もう寝ろ。明日は島を案内してやるから」

さすがに文句を言おうとしたけど、その前に体を解放され、私はホッと息を吐きだし頷いた。

「じゃな。腹出して寝んなよ」
「…わ、分かってるわよ。あんたじゃあるまいし」
「鍵ちゃんとかけとけよ」
「…うん。お休み」

そう返事をすると司は軽く手をあげ部屋を出て行った。
一人になると一気に体の力が抜けてベッドへとダイヴする。かすかに鼓動が速くなっていて、どこか息苦しい。
司はいつだってストレートで、強引に私の中に入って来る。
ああいうところは羨ましいけど、油断してると流されてしまいそうで時々怖くなる事があった。
今の私は自分の事で精一杯で、余裕なんかないはずなのに。

「…暑い…」

仰向けになり両手で頬を包むと、かすかに火照っている。
仕方なくベッドから降りると空気を入れ替える為に窓を開けた。

「はあ…気持ちいい」

別荘の裏手にあるせいで、波の音までは聞こえてこないけど、かすかに潮の香りが漂ってきて、思いきり息を吸い込む。
そこでふと花沢類の事が気になった。彼の部屋を見てみれば、未だに明りはついてなくて暗いままだ。

「…まさか…まだ浜辺にいるのかな…」

"俺一人じゃ何も出来ないって――――――"

何で花沢類はあんな事を言ったんだろう?考えてみたところで分かるはずもないけど、彼が何かに傷ついている事くらいは分かる。
ハッキリ言えるのは、花沢類のあんな顔なんか見たくないって事だけ。
だからこそ静さんのところへ行って幸せになって欲しいと願ったのに。

「諦めたはずだったのにな…。何でこんなに気になるんだろ」

私の周りにはあんな人いなくて、彼の独特な空気が凄く心地良かった。
傍にいると何かに包まれているかのように心があったかくなるのだ。

「…大丈夫かな」

今もあの暗い浜辺で海を見ながら、あんなに寂しそうな顔をしてるんだろうか。
そう思えば思うほど心配になった。
私はそのまま鍵を手にすると、静かに部屋を抜け出し浜辺へ向かった。
すでに部屋に戻って寝ているならいい。そうであって欲しい、と思いながらも気持ちが急き、足が速まる。
正面の庭を突っ切り、海が見えて来た頃には足が勝手に走りだしていた。

「…やっぱり…」

いなければいい。そう思ったのに、花沢類はそこに、いた。
さっきと同じように浜辺に座りながら、ボーっとした顔で夜の海を見つめている。
でも私の気配に気づいたのか、ふと顔をあげてこっちを見た時、驚いたように目を見開いた。

「………?」
「…まだ…いたんだ」

なるべく明るく、笑顔を見せながら、私は彼の方へと歩いて行った。
そしてさっきと同じように花沢類の隣へと座る。彼は戸惑ったように私の顔を覗き込んでいた。

「…どうしたの?また司とケンカでもした?」
「…ううん。部屋には行ったよ。でもちょっと寝付けなくて…」
「…そう。俺も昼間、寝すぎちゃって」

言いながら笑う花沢類はやっぱり少し元気がないように見えて、胸が痛む。
さらさら風に揺れている花沢類の髪は本当に綺麗で、以前寝ている彼の髪に触れた時の事を思いだした。

「さっきの…話の続き、していい?」
「え…?続きって…何だっけ」

ふと私が見上げると、花沢類はキョトンとした顔で私を見た。
彼の周りには静かな時間が流れている。その空気感が私にはホッとするのかもしれない。

「…花沢類に…助けてもらったって話」
「ああ…。でも俺ホントに何も――――――」
「それは花沢類が気付いてないだけ。でも私は…いつもあなたの存在に癒されてた」
「……え…?」

真っすぐに、彼の顔を見ながら告げれば、花沢類は大きな瞳を更に大きくして驚いている。
彼のこういう鈍感なところも、私は好きだ。

「家の事とか…友達の事とか…色んな事で辛かった時に、花沢類が傍にいてくれて…私が勝手にそう感じてただけなんだけど…」
「………」
「だから"何も出来ない"なんて思わないで。花沢類じゃないと…ダメな人もいるんだから」
「……?」
「…静さんだって…きっとそうだよ。だから早く彼女のところに―――――――」

そう言いかけた時、花沢類の指が私の唇に触れて、ドキっとした。彼はどことなく泣いているような笑顔で、私に微笑んでいる。

「…いいんだ、もう」
「…え…いいって…」
「終わった事だから」
「終わったって…何が?」

その意味が分からず問いかければ、花沢類は髪をクシャリとかきあげ、天を仰いだ。

「俺…向こうに行った最初の方は凄く幸せだった。でも…毎日毎日静がいない時間、一人で彼女を待つだけの生活をしてて、分かったんだ」
「分かった…?…」
「俺って何も出来ないんだーってさ。思ってた以上に俺は一人じゃ何も出来ない奴なんだって思い知らされて…彼女のお荷物にしかならなかった」
「…まさか…静さんだってそんな風に思ってないと思う。ちゃんと話したの?彼女はきっと花沢類の事を今も待って――――――」
「待ってないよ。それにこれは静の問題じゃなくて、俺自身の問題なんだ…。情けないけど…俺は静に何もしてやれなかった。ただ好きだって気持ちをぶつける事しか――――――」
「それの何がいけないの?好きってだけで充分じゃないの?」

花沢類の言葉が、何故かひどく悲しかった。静さんを好きだと話していた時の彼は、もっと穏やかで優しい顔をしていたから。
静さんの事をどれほど想っていたか、知っているから。なのに何も出来ないだなんて、そんな悲しい事ってない。

「ダメなんだ。好きってだけじゃ…。が前、司に言ってたじゃん。"自分で稼いだお金じゃない"ってさ。俺も似たようなもんだしね。親がいなければ何も出来ないガキだって事」
「そんな事…」
「同じだよ。俺も恵まれすぎの、ただの世間知らずな人間だったって気付かされたんだから」
「…違う!」

泣きそうになった。ううん、花沢類が驚いたような顔で私を見ているから、多分泣いてたんだろう。
自分でも何故こんなに胸が痛いのか、よく分からない。諦めたはずなのに、とか、彼は他の人が好きなのに、とか頭の隅では分かっているのに。
そんな事は、もうどうでもいい気がした。

「何で…が泣くのさ」
「…だって…花沢類のそんな悲しい顔なんか見たくない…。少なくとも…花沢類は私にとって凄く…大切な人だから」
「……え…?」
「…凄く大切で…必要な人だもん…。あなたじゃなきゃダメなくらい…必要なんだから…」
「……」

思わず口をついて出た告白ともとれる言葉に、頭の隅で"しまった"と思ったけど、彼の腕が優しく私の体を抱き寄せたから―――――――そんな小さな後悔も消し飛んでしまった。

「……ありがとう…慰めてくれて」
「…違う…そうじゃなくて…。花沢類は……ダメなんかじゃないよ…」
「分かったから…泣かないで」

耳元を掠めた、宥めるような彼の声と、背中を抱く腕の力が少しだけ強くなったのを感じ、余計に涙が止まらなくなった。
花沢類の胸は暖かくて、他の事など考えられなくなる。
同時に、私は今も彼の事が好きなんだ、と、混乱した頭の隅で、再確認した――――――










久々の更新になりました〜(土下座);;