春の嵐、
到来D











『お前が好きだ』  


『お前のそういうところも……可愛いと思ってるしよ』


『お前が誰を好きだろうと俺は諦めねえ』


『だから…お前が俺を好きになるまで…待つっつってんだよ!』




夕べから、司に言われた言葉がぐるぐる頭を回ってる。

私は傷つけたんだ。

あんなに沢山の言葉を、くれた人を―――――。






「マジかよーー!!どこにもいねーよ、あいつ!」
「自家用ジェットもねぇぞ!」

今日は朝から大騒ぎだった。
総二郎とあきらが別荘内を捜索しても、司の姿はどこにもない。
その声を遠くで聞きながら、はゆっくりとベッドから起き上がった。

「あのバカ、何考えてやがんだっ!」
「どうすんだよ。どうやって帰る?」

窓を開けてみれば、ロッジの前で2人はイライラしたように歩き回っている。そこへ類が歩いて来た。

「お、類!司、見てねえか?」
「…いや」
「あいつ、どこにもいねぇんだよ。先に帰っちまったらしい」
「ったく!!どーして司はこうも勝手なんだっ。―――――あ、ちゃん!司、知らねえ?」

窓から覗いていたにあきらが気付き、問いかける。同時に類と目が合い、は小さく俯いた。

「…知らないわ」
「マジかぁ…。つか…どーする?とりあえず帰んねえと」
「でもジェット機ねえし」

総二郎とあきらがアレコレ考えていると、不意に類が口を開いた。

「クルーザーで近くの街まで行けるんじゃない?」
「おお!そうだ!それだ!」

類の提案に総二郎もホッとしたように指を鳴らす。
そしてすぐに荷造りしようと言いあいながら、それぞれの部屋へと戻って行った。
も話を聞いて、すぐに着替えだけ済ます。荷物は夕べのうちにまとめておいたのだ。

「司…。一人で帰ったんだ…」

その事実にも少しだけ動揺していた。本当は朝になれば自分が先に出て行こうと思っていたのだ。

「…大丈夫?

振り向けば、いつの間にかドアのところに類が立っている。その心配そうな表情に、は軽く頷いた。

「俺達も行こう」
「…うん」

類に手を引かれ、は立ちあがると、2人でクルーザーのあるところまで歩いて行った。


「―――――は〜。道明寺家のスタッフが残ってくれてて助かったぜ」

皆で船に乗り込むと、総二郎はソファに倒れ込んだ。
結局スタッフに操縦してもらい、近くの沖縄まで運んでもらう事にしたのだ。

「しっかし、これで沖縄行って、そっから飛行機に乗り換えかよ。面倒くせぇ。来る時と同じじゃねえか」
「だよなあ…。ジェット機に乗りゃソッコーなのによ〜」
「司くん、何かあったんですかー?私、自家用ジェット機に乗れるの楽しみにしてたのになぁ」

ブツブツ文句を言っている2人に、音大生の裕子も溜息をつく。

「知らね。あいつは気まぐれで我がままなんだよ。―――――って、そういやちゃん」

不意に名を呼ばれ、部屋の隅に立っていたはハッとしたように顔を上げた。

「あいつと何かあったの?ケンカしたとか…」
「あ、あの…うん…ちょっと…」

夕べの事をどう説明していいのか分からず、曖昧に応えれば、総二郎はウンザリしたように頭を掻いた。

「かーっ!やっぱりな!どーせ司の事だからちゃんとケンカしてブチ切れて一人で帰ったんだろ!」
「ったく…。たかがケンカの一つや二つで帰ってんじゃねえよ、あのバカっ」
「ご…ごめんなさい。私のせいで――――――」
「あーいいのいいの。ちゃんは悪くねぇんだろ?どーせ司の奴がまた怒らせるような事したに決まってる」

総二郎が呆れたように手を振り、ソファの上に寝転ぶ。しかしは何も言えず、一人で甲板へと出た。
昨日とは違い、少しだけ風が冷たい。この時期、この辺は梅雨入り間近とあり、気温の差も激しいようだ。
乱れる髪を手で押さえながら、は昨日と同じ場所で海を眺めていた。

「ここで司とワイン飲んだっけ…」

ふと後ろにあるテーブルを見て、昨日の事を思い出す。あの時に戻れるなら、と後悔しても今更遅いが、それでもつい考えてしまう。
もし戻れたなら私は花沢類に会いに行かなかったのか?と…。何度考えてみたところで、答えなんか出やしないのに。

「…、ここにいたんだ」

その声にハッとしたように振り向けば、類が隣へと歩いて来た。と並んで海を見つめながら、時折吹く風に顔をしかめる。


「少し寒いね。大丈夫?」
「……ん」
「でも…震えてる」
「………っ」

そう言われてドキっとした。夕べから体の震えが止まらないのだ。
類は小さく息を吐くと、の手を引いて椅子へと座らせ、自分も隣へと腰掛けた。

「これ着て」
「い、いいよ…。寒い訳じゃないし…」

自分のジャケットを脱ぎ、の肩にかけようとする類に、慌てて首を振る。
それでも類は無言のままジャケットを着せると、かすかに震えているの手を握りしめた。

「…は…花沢類――――――」

思わず鼓動が跳ね上がり、顔を上げれば、類は海を見つめたまま、呟いた。

「平気だよ」
「……え?」
「俺がいるよ」
「………っ」

その言葉で、の目に涙が溢れる。握られた手を、もそっと握り返した。
ひんやりとした冷たい手。司の体温の高い手とは違う、花沢類の手……私は――――この手を選んでしまったんだ。
もう二度と、あいつの笑顔は見られないんだ…

そう思えば思うほど、司の顔が思い浮かび、は強く、目を瞑った――――――













「―――――え?帰ってない?」

何とか船から飛行機に乗りかえ、昼過ぎに東京に戻って来たは、ドキドキしながら帰宅したが、司が帰ってないと言うタマの言葉に唖然とした。

「はい。と言っても今朝、一度戻られたようですがね。またプイっとどこかに行っちまいましたよ」
「そんな…」
「ところで今日は学校だというのに、お二人は一体どこで何をしてたんですか?」

タマに怖い顔で睨まれ、もぐっと言葉に詰まる。本当なら今朝早くに帰り、学校に行く予定だったのだ。

「ご、ごめんなさい。ちょっと司と南にある別荘に…」
「…別荘?もうすぐ連休だし、その時に行けば良かったのに。まあ別荘もたまには使ってやならないと痛みますからね。でも…なら何故司坊ちゃんは一人で帰って来たんですか」

それは今のには一番きつい質問だった。結局、総二郎とあきらにも何も言えないまま、2人と別れた。
タマには曖昧に誤魔化し、は早々に自分の部屋へ飛び込むと、荷物をしまうのもそこそこにベッドへ倒れ込んだ。
身心ともにクタクタだった。

司はどこに行ったんだろう。帰ったら会えると思っていたのに…。もう一度、きちんと説明して謝ろうと思ってたのに…。
――――――ううん。もうきっと許してもらえない。

『お前はその気持ちを…ズタズタに引き裂いてくれたよ』

あの時の顔が焼き付いて離れない。あの声が耳について離れない。あんなに、あんなに大切にしてくれたのに――――――。

(私は…司の気持ちを踏みにじったんだ…。謝らなきゃ…ちゃんと…今の自分の気持ちを話さなきゃ。誠心誠意を込めて、話さなきゃ…)

消したくても消えない痛みに耐えるように、は枕に顔を押し付けた。
泣いたって仕方がない。むしろ傷ついたのは司の方だ。そう言い聞かせながら、涙を堪える。

「…やだ…まだ震えが止まらない…」

気付けばかすかに震えている手をぎゅっと握りしめる。類が傍にいた時は一瞬止まったが、一人になった途端にこれだ。
何故こうなるのか、は分かっていた。怖いのだ。司が、ではなく。あれほど人を傷つけてしまった自分の行動が怖かった。
類に会いに行った事は後悔していない。後悔するならば、あの時、気持ちを抑えられなかった自分に対してだ。

「何で…受け入れちゃったんだろ…」

ふと唇に触れ、そんな言葉が洩れる。
拒否する事だって出来たはずなのだ。でも、それをしなかったのは類の事が好きだから。
それは変わらないのだから、いずれは司の事を傷つけていただろう。なのに――――――

「何で…こんなに胸が痛いの…?」

司の事を考えるたび、胸の奥がズキズキと音を立て、息苦しい。
とにかく今は、誰よりも司に会いたかった。

「…司…帰って来て…」

は祈るように呟きながら、強く両手を握りしめた。









次の日、は目覚ましの鳴る音で目が覚めた。司が帰るまで、と起きていたはずが、いつの間にか眠ってしまったようだ。

「いけない…寝ちゃったんだ…」

時計を確認し、急いでベッドを飛び出すと、すぐに司の部屋へと向かう。
だが、いつものようにノックをしても返事はなく、は恐る恐るドアを開けてみた。

「司…いる?」

しかし部屋の中はもぬけの殻で、ベッドにも寝た形跡がない。はガッカリして自室へと戻り、学校へ行く用意をした。

「おはようございます」

支度を終え、リビングへ降りると、タマが顔を出した。

「あ、おはよう、タマさん。―――――あ、あの…司、帰って来なかった?」

一応尋ねてみると、タマは少し呆れたように肩を竦め、

「ああ、気付きませんでしたか。坊ちゃんなら夕べも朝帰りでしたよ」
「え…っ?帰って来たの?」
「はい。でもまたすぐに着替えを済ませて出かけられました」
「どこ…どこに行くとか言ってた?」

司が一度戻って来た事を知り、の鼓動が速くなる。タマはそんなの慌てぶりに驚きながらも、かすかに苦笑いを零した。

「もちろん問い詰めましたよ。そしたら…学校に決まってんだろ、と」
「え…っ?が、学校…?」
「珍しい事を言うものだからタマも驚きましたよ。前なら朝帰りした次の日は昼まで寝てたものですけどねえ」

タマは不思議そうに首を振ると、「朝食出来てますよ」と、リビングから出て行った。
しかしは他の使用人に、「今日は朝食いらないです」とだけ告げ、急いで学校へ向かう。

(良かった…学校に行ったんだ…)

とりあえず、どこかへ姿を消したわけじゃないと知り、は少しだけホッとしていた。――――――司と会わなければ。
すぐにいつものリムジンで送ってもらい、挨拶もそこそこに飛び出す。
通常の時間よりも早い為、校門前は殆ど生徒は歩いていない。はその中を一気に走り、いつもF4が集まっているカフェテリアへと向かった。

「…いない…」

朝のカフェテリアも人がまばらで、あの目立つ司がいない事はすぐに分かった。
どこに行ったんだろう?と首を捻るが、司の場合、ここにいなければ他の行き場所など思い浮かばない。
そこで、自分は司の事を知っているようで何も知らないのかもしれない、とふと思った。
いつもの場所でF4と遊んでいる。そんな姿しか見ていなかった。
こんな時、司がどこへ行くのかも、は知らない。そんな自分に少しだけ呆れた。

「あーら、今日はお一人なのかしら」

その嫌な声に振り向けば、クラスメートの浅井達が、相変わらずの目つきで立っていた。

「こんな時間から、もうお茶しに来たの?」
「…司を…見なかった?探してるの」

嫌味を無視して尋ねれば、浅井は僅かに眉を上げ、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「あなたでも道明寺さんの居場所が分からない事あるのねぇ。一緒に暮らしてるのに」
「どうでもいいでしょ。急いでるの。知らないなら――――――」
「あら、知ってるわよ。道明寺さんの居場所」
「…え?」
「今、ここへ来る時に見かけたもの」

出て行きかけたに、浅井は得意げな顔で言った。

「ど、どこにいたの?」
「さあ?私はてっきりここへ来るのかと思って先回りしたんだけど…来てないみたいだし?」
「じゃあ、どこで見かけたの?教えて」
「何よ、一緒に住んでるんでしょ。学校に来てまで道明寺さんに何の用?」
「関係ないでしょ!いいから教えて!」
「な…わ、分かったわよ…」

の迫力に押され、浅井は顔を引きつらせると、軽く髪を掻き上げ、

「多分、中庭じゃないかしら。ここへ来る途中に西門さんや美作さんと――――――」
「分かった、中庭ね!ありがとう!」

が急いで走って行く。

「何よ、あれ…」

残された三人は唖然としながら、の後ろ姿を眺めていた。




カフェテリアを飛び出したは言われた通り、中庭へ続く道を走って行った。
もう後30分ほどで授業時間の為、さっきよりは生徒の数も増えているが、少し様子がおかしい気がした。
その場にいる生徒全員が立ち止まり、ある方向を見ている。そしてが走って行くと、皆が一斉に道を開けた。
何だろう?そう思いながらも歩いて行くと、すぐに理由が分かった。

「どういう事だよ、類」
「聞いたぜ、司から。お前、そりゃーねぇだろうが。途中いなかったお前でも、司がちゃんに惚れてた事くらい知ってただろうよ。あ?」
「…知ってたよ」

総二郎とあきらに詰め寄られ、淡々と応えているのは類だった。
その光景を見て、は言葉もなく、ただ見ている事しかできない。

「知ってた、じゃねぇよ、お前…」
「俺だって他人の女、寝とった事、山ほどあるけど、親友の女はとんねえぞ、絶対」
「…司には悪いと思ってる」
「悪いと思ったらすんなよ。静がダメならちゃんって事もないだろーが」

「えー、F4がケンカしてるぜー」
「ひぇー初めてじゃん、こんなの」

話の内容が内容なだけに、周りの生徒達も興味津々で足を止め、遠巻きに眺めている。

(…どうしよう。私のせいでF4が―――――)

は間に入ろうと思ったが、とてもそんな状況じゃない気がした。今、ここで間に入れば、更に皆の興味を引く事になってしまう。
その時、少し離れたベンチに座っていた司がゆっくりと立ち上がるのが見えて、は小さく息を呑んだ。

「だいたいな、お前――――――」
「もういい、総二郎」
「…司、でも、いいって…」

そう言いかける総二郎を手で静止すると、司は類の前へ歩いて行った。

「司…」

一瞬、また類を殴るのでは、と心配しては歩きかけた。しかし司は冷めた目で類を見据え、

「類…。お前はもう幼馴染でも何でもねえ…ただの裏切り者だ。F4から外れてもらう。――――――お前はもう、仲間じゃねぇっ!」

その激しい怒りに、周りの野次馬達がざわめく。

「ちっと頭、冷やせよ。類」

総二郎はそう声をかけたが、司は無言のまま歩き出し他の2人もそれについて行く。はその光景に言葉を失った。

(…・嘘!花沢類が…F4を抜ける…?)

司の出した決断に、体中から血の気が引いて行く。
まさか、そこまで、と思っていた自分の甘さに気付き、は強く唇を噛みしめた。
―――――その時、司が真っすぐの方へ歩いて来た。鼓動が一瞬で速くなる。
どうしよう、謝らなきゃ…。我に返り、は司へ声をかけようと一歩、前へ踏み出した。

「つ、司――――――」
「…………」

しかし、司はを見ようともせず、そのまま通り過ぎて行く。
慌てて振り返ると、司はカフェテリアへと消えて行った。

(今…無視、された…?)

冷たい目、無表情な顔。それらが全て夢のように思える。
今の現実が信じられなくて、は唖然としたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。








「――――あ、やっぱり、ここにいた!」

はなるべく明るく言って、非常階段への扉を開けた。
類はいつもの場所に、ボーっとした顔で座っていたが、の姿を見て、かすかに微笑む。

「科学の授業、サボって来ちゃった。売店でサンドウィッチ買って来たの。花沢類、お昼まだだよね」
「うん」

類の返事に内心ホっとしながら、は教科書とノートを脇へ置き、隣へと座った。

「良かった。私、朝も抜いて来ちゃったからお腹空いちゃった。花沢類も寝坊して食べてないかなと思って。どれがいい?」

言いながら、ハムサンドと卵サンド、カツサンドを袋から出し、見せて行く。

「サンキュ。じゃあ…俺、卵…」
「じゃあ私はカツにしよ。ハムは半分こね。―――――はい、卵サンド」

が笑顔でサンドウィッチを渡すと、類は小さく噴き出した。

「な、何?」
「いや…今時、"半分こ"って…ぷ…くくく…」
「え…おかしい…かな?」

手で口を押さえ、横を向いて肩を揺らしている類に、の頬がかすかに赤くなる。
類はごめん、と言って涙を拭き、赤くなっているを見た。

「何か…可愛いなあと思って」
「か…っかわ…?」

思いがけない言葉に、は更に赤くなった。

「か、からかわないで」
「別にからかってないけど」

類はそう言うと、もらったサンドウィッチを口に運びながら、ふと空を見上げた。
朝からいい天気で、雲一つない晴天だった。心もこの空みたく、澄んでくれたらいいのに、とは思う。

「…あ、あの…花沢類…。ごめんね…私のせいで…」
「…?何?」
「さっき…見てたの…。司と、その…」

がそう言いながら俯く。
類は最後の一口を放り込んで、肩を竦めて見せた。

「…何でが謝るのさ」
「だって…私があの時、ビーチに行かなければ…」
「関係ないよ」
「え…?」

が顔を上げると、類は小さく息を吐き、僅かに目を伏せた。

「俺がにキスしたいと思ったからしたんだ。は悪くない」

ハッキリとそう言ってくれた類に、は胸が熱くなった。
辛い時だから気の迷いで、なんて言われたら立ち直れないところだった。

「ノートとシャーペン借りるね」

類は突然そんな事を言うと、のノートを開き、そこへ何かを描き始めた。
何を書いているのか、と覗いてみれば、そこには決して上手とは言えない絵が描かれている。

「司の奴、こんな顔してたな」
「…ぷ…それ司なんだ」

思い切り目を吊り上げた似顔絵に、小さく吹き出す。そしても同じようにペンを取ると、


"――――――もう二度と、俺に話しかけんな"


「花沢類、絵、へたくそー。あいつの眉毛ってもっとこんな山形になってるんだから…。髪だって、こーんなクリクリで…」


"――――――もう二度と、"


傷ついた顔。低い声。あの時のセリフが頭の奥で響いている。それを振り払うかのように、は絵を描き続けた。

「ほら、似てる!見て、花沢類。私って絵の才能、あるかも……」

あの時の司を思い出すと、声も、ペンを持つ手も震える。
黙って絵を見ていた類だったが、震えている手に気付いた時、ハッとしての顔を覗き込んだ。

「……?」
「………っ」

ビクリと肩を揺らし、も顔を上げれば、溢れた涙がノートにポツリポツリと落ちて行った。

「…ご、ごめん。私に泣く権利なんかないのに…。つ…司があんな顔する…から……」
「……泣くなよ」

類はそう呟いて、の頭を抱き寄せる。その温もりに顔を埋めると、かすかに甘い香りがした。
それがをホッとさせる。司の高級な香水とは違う、類だけが持つこの香りが、は前から好きだった。
なのに、不意に浮かぶのは司の笑顔。""―――――いつもそう呼んでくれてた司を思いだし、涙が止まらなくなった。

(こんなにも…キスの罪が重いなんて思わなかった。あいつに無視されるのが、こんなに辛いなんて思わなかった…)

は強く唇を噛みしめると、類の胸からそっと離れた。

「ご…ごめんね…。取り乱しちゃって、ほんとバカみたい――――――」
…」

類はの言葉を遮ると、濡れた頬を両手で包んで顔を上げさせた。

「…明後日から連休だし…2人でどこか行こう」
「………え…?」

至近距離に見える薄茶色の瞳にドキリとしながら、思いがけない言葉に驚いた。
類に、こんな風に改めて誘われた事など一度もない。

「どこかっ…て…」
「どこでもいいよ。の行きたいとこ行こう」

そう言って涙で濡れたの頬を、そっと指で拭う。
それだけで鼓動が一瞬で速くなり、こんな時なのに心臓はとても正直だ、とは思った。

「…うん」

が頷くと、類はかすかに微笑み、そっと頭を撫でた。
司の事や、今後の事を考えれば、そんな時ではないのかもしれない。
でも、少しの間だけ、類の優しさに甘えたかった。

「…ありがとう、花沢類」

がそう呟けば、類は優しい笑みを浮かべ、空を見上げる。今は少しだけ、この青空に心が近づいた気がした。













連休初日。は類との待ち合わせ場所に向かう為、道明寺家を出た。
司とはあれ以来、顔を合わせていない。タマに聞けば、司の帰って来る時間帯がいつも夜中から朝方にかけて、との事だった。
と会わないよう、避けているようで、帰って来ても着替えをして、またすぐどこかへ出かけると言う。
としては司と直接会って話をしたかったが、類に相談したら「少し時間を置いた方がいい」と言われ、その方がいいのかも、と思い始めていた。

『…少し時間があけば司も落ち着いてくると思うし、熱くなってる今は冷静じゃなくなってるから無理に会わない方がいいと思うよ』

夕べ、今日の待ち合わせ時間と場所を決めるのに電話で話していた時、類にそう言われ、も納得したのだ。
――――――確かにキレてる時のあいつは手に負えない。猛獣よりも性質が悪いんだから。
はそう思いながら、時計を確認して、駅へと急いだ。
類は車で迎えに行くと言ったのだが、一度くらい普通に待ち合わせをして会ってみたいと思ったのだ。
「何で?」と類も最初は不思議がっていたが、結局がそれでいいなら、とOKしてくれた。

(こんなデート、司だったら絶対に文句言いそうだわ)

『ああ?何で俺さまが待ち合わせなんて、かったりい事しなくちゃなんねえんだよ!』

目を吊り上げながら、そんな事を言う司を想像し、は軽く吹き出した。が、すぐ我に返り、ダメダメと首を振る。

(今日だけは司の事忘れなくちゃ…。花沢類との初デートなんだから…)

そう気持ちを切り替え、待ち合わせた場所へ急ぐ。電車を乗り継ぎ、ちょうど時間10分前に着いたが、類はまだ来ていなかった。

「はあ…さすが連休初日なだけあって凄い人…」

次から次へとやってくる人を見て、は溜息交じりに目の前の入口を見ていた。

「やっぱディズニーランドは失敗だったかなぁ…。かなり並びそう…」

ついボヤいてはみたものの、好きな人と一緒にディズニーランドへ来る事は、何気にの夢でもあった。
類に、「の行きたいところへ行こう」と言われた時、ふとそれを思いだし、悩んだ末、ここを指定したのだ。
といって、類とのイメージには合わないかも、と少しだけ後悔していた。

(人ごみ嫌いそうだしなぁ…)

そんな事を考えていると、見覚えのあるベンツが視界に入り、は慌てて髪型を軽く整えた。
すぐに運転手がドアを開けに行き、そこから類が降りて来るのを見ると、自然に胸がドキドキしてくる。
スラリとした長身の類は、どんなに人が多くても、かなり目立つ存在だった。

「ちょっとー見て、あの人!超イケメンじゃない?しかもベンツに運転手つきって!」
「うっそ!ヤバい、マジでカッコいい〜!ってか、あの顔、一般ピーじゃなくない?もしかしてモデルか何かかな」

隣にいる女子大生風の子達の、そんな会話が聞こえて来る。
は2人が言っているのが類の事だと気付き、何故か照れ臭くなった。

(…って、私が照れてどーするっ)

そんな自分に内心苦笑していると、2人の声が更に高くなった。

「ね、こっち来るんだけど!」
「うわ、マジ背たかーい。ってかキレーな男の子ー」
「私、あの子にナンパされたら、今日の約束すっぽかして絶対ついてくんだけど!」
「って、ディズニーランドに一人じゃ来ないでしょ。絶対彼女とデートだってー」
「…だよねー。でも男同士かもしれないじゃん?」

その会話の内容に複雑な気持ちなっただったが、自分の事を騒がれている事も知らない類は、相変わらず欠伸をしながら歩いて来る。
そしてを見つけると、笑顔で手を上げた。

「ごめん、待った?」
「う、ううん…。私も今さっき来たとこ」

恋人同士の待ち合わせで良く聞くような定番のやり取りに、は多少照れながらも何とか笑顔を見せた。
同時に、隣で騒いでいた女の子2人が、「なーんだ、やっぱ彼女持ちかー」と呟くのが聞こえ、僅かに頬が赤くなる。

(か、彼女…私が花沢類の?そりゃ周りからはそう見えるんだろうけど…何か複雑…)

現実はそんな微笑ましいものではない。それでも目の前で自分を見つめる類に、の胸は正直に反応する。

「どしたの?入らないの?」
「えっ?あ、は、入るわよ、もちろん」

不意に顔を覗きこむ類に、更に赤くなった顔を見られないよう、は慌てて門の方へ歩いて行く。
学校で類が女の子達に騒がれてるのを良く見ていたが、こうして全く知らない人達からも注目されているのを見ると、改めて凄い人だなあと実感し、余計に照れ臭くなったのだ。

「っていうか、花沢類、髪切ったのっ?」

園内に入り、やっと類をまともに見たは、先日までの髪型と大きく変わっている事に気付き少しだけ驚いた。
フランスから帰った時は以前よりも伸びていて耳が隠れるくらいの長さだったが、今はかなり短くなっている。

「ああ…昨日切ったんだ。長くなっちゃって、うっとーしかったから」
「そ、そうなんだ。でも凄く似合っててカッコいい。長いのも良かったけど短い方が花沢類っぽいっていうか…良く似合ってる」
「……あんま言うなよ。照れ臭いから」

の言葉に、不機嫌そうな顔をする。そんな類を見上げながら、は軽く笑いを噛み殺した。
最近気付いたのだが、類は人から褒められると決まってこういう顔をする。彼のそういうシャイなところがは好きだった。

(ホント、綺麗な顔立ち…。司も相当な美形ではあるけど、あの髪型が笑かすし…って、何こんな時に思いだしてんのよ。やめやめ)

気付けば司の顔を思い出していた事に気付き、は慌てて頭を振った。
今日は何もかも忘れて楽しむと決めたのだ。

「ね、花沢類は何から乗りたい?やっぱり絶叫系がいい?」
「…うーん。特にないし何でも。は?」
「わ、私?私は何でも乗れるし、何から乗ってもOKだけど」
「…そっか」
「…………」

と、そこで会話が終わってしまい、は一瞬困ったが、何でも、と言うのなら絶叫系から乗ってしまおう、と勝手に決めた。
といっても類がどこまで乗り物に強いのか分からず、は試しにビックサンダーマウンテンを指差した。

「よし、じゃあまずはジェットコースターから」
「…うん、いいけど」
「花沢類…随分、簡単に言うけど…花沢類ってそういう乗り物、平気なの?男の子って苦手な人も多いのに」

その問いに、類はキョトンとした顔でを見た。

「あ〜俺、そういうの意外と平気な方。スピード出る乗り物、好きだし」
「へえ、そうなんだ。ホント意外」
「どっちかと言うと、司とかあきらが苦手だったけど。あ、総二郎も意外とダメな方かな」
「…そ、そうなんだ。それも意外…。つ、司なんてバカだから高いとこ好きそうなのに」

司の話題になり、は顔を引きつらせながらも何とか笑って誤魔化した。
類はそんなを黙って見ていたが、不意に手を差し出し、

「…え?」
「手、貸して。これだけ混んでたら、迷子になりそうだし」
「…ま、迷子って…子供じゃ――――――」
「いーから。ほら」

差し出される手に、鼓動が一気に加速して、またしても顔が赤くなる。
それでも気持ちが嬉しくて、はそっと類の手を取った。

「じゃあ、行こう」

類は軽く笑みを漏らすと、の手を握ってゆっくりと歩き出した。










「はぁ〜楽しかった!ね?花沢類」

最初のコースターを堪能したは、少し興奮したように振り返った。
類は相変わらずのテンションで、「少し物足りないくらいかな」と言いながらハンカチを出し、の髪を拭く。
途中のコースで水しぶきがあがる場所があり、その際に濡れたのだ。

「あ…ありがと…」

は照れたように俯くと、

「は、花沢類は全然、絶叫してなかったもんね」
「怖くないし。で、次は何に乗る?」

会った時は少し眠そうな類だったが、今のコースターですっかり眠気も覚めたらしい。
他のアトラクションを眺めながら、園内の地図へ目をやった。

「やっぱりスペースマウンテン?」
「決まり」

そう言って類は先ほどと同じようにの手を繋ぐ。
類と手を繋ぐのは初めてではないが、改めてデートをしている今は妙に照れ臭い。
の鼓動が自然と速くなり、手に心臓があるみたいだ、と思った。

(変なの…。この前はキスまでしたのに…こんな事くらいでドキドキするなんて…)

あの花沢類とデートをしているという事がどこか不思議な感覚で、は確認するように隣を歩く類を見上げる。
数ヶ月前の大阪で自分の気持ちを押し殺し、類が静の元へ行くのを見送ったあの夜が、今では嘘のようだ。

「やっぱ結構並んでるね」

少し歩くとスペースマウンテンのある巨大なドーム型の建物が見えてきた。
中に入ると、さすがに人気の乗り物だけあって、先ほどよりも並んでいる人が多い。
時間も昼近くになると、2人の後ろにも並ぶ人が増えて行った。

「凄い人だねえ。あと30分以上は待ちそう」
「連休だし仕方ないよ。、足は痛くない?」
「うん。私は大丈夫。一応、低いヒールにしてきたし。花沢類は?疲れない?」
「俺は平気。ボーっとしてる時間も嫌いじゃないし…」
「そ、そっか…」

いつものテンションで言われ、は笑顔が引きつった。
普通はこういう時、待ち時間のおしゃべりも楽しかったりする。
しかし類は特に何を話すでもなく、言葉通りボーっとした様子で順番が来るのを待っているようだ。
――――――この沈黙ってちょっと緊張する。何かしゃべんなきゃって思うけど…話しかけていいのかな。
そう思いながら、はふと、こういう時、司なら散々文句を言うんだろうな、と思った。

(私が話しかけなくても司なら"何で俺が並ばなくちゃいけねぇんだ!"だの、"貸し切りにしろ"だの、ずっと文句言ってるんだろうな…)

そんな想像をしながら、小さく笑いを噛み殺す。同時に、またしても思い出したくない顔が浮かび、慌ててそれを打ち消した。

「…どうかした?」
「う、ううん。何でもない」

不意に類がの顔を覗きこみ、すぐに笑顔で誤魔化す。その時、遥か後方で怒鳴り声が聞えて来た。

「――――――あぁ?これに並べっつーのかよ!ふざけんな!貸し切りにしろっ!」

その怒号に、並んでる人達も何事かと振り返り、後ろを見ている。
も振り向いては見たが、あまりの人の多さに声の主は見えない。
未だギャーギャーと文句を言っているが、次第に声が遠ざかって行くところを見れば、待つのが嫌で乗るのを諦め出て行ったのだろう。

(…他にも司みたいに非常識な奴っているのね…)

内心そう呆れつつ、それでもふと、今の声、どっかで聞いたような…と首を捻る。
と言って、再び脳裏を掠めた人物が、連休初日の混雑した遊園地にいるわけがない。
―――――まさかね。あいつがこんなとこに来るわけないし。

?次、俺達の番だよ」
「えっ?あ…うん」

そんな事を考えていると、不意に手を引かれ、はすぐに笑顔を見せた――――――。


「あー面白かったぁーって、花沢類、大丈夫?」

言って振り返ると、大欠伸をしている類に、は軽く吹き出した。

「いや…薄暗い中にいたから眠くなっちゃって」
「やだ、スペースマウンテンに乗って居眠りしかける人なんて、花沢類だけだよ」

乗って少しすると、類の頭がフラフラ揺れている事に気付いてかなり驚いたのだ。
が笑うと、類は少しだけ目を細め、「うるさいな」とスネた顔をする。
その表情がおかしくて、はまた小さく噴き出すと、

「じゃあ次は眠くならないような物に乗ろっか」
「…あい」

類も軽く手を上げ頷くと、マップを手に2人で他のアトラクション乗り場へと向かう。
それから、ガジェットのゴーコースター、ジャングルクルーズ、空飛ぶダンボ、と乗ったところで、時間は午後3時を回っていた。

「ぷふふ…っ」
「…何笑ってるのさ」

アトラクションを降り、歩き出したところで笑いだしたに、類は訝しげな顔で首を傾げた。

「だ、だって…花沢類がダンボに乗ったとこ思い出すとおかしくて…。何か合成写真みたいなんだもん」
「………悪かったな」
「こんなとこ英徳の皆が見たら、絶対驚くね」
「…、笑いすぎ」

くすくすと笑うの額を、類が不満げな顔でつつく。
そしてふと時計に目をやり、「もうこんな時間だし…何か食べる?」と言った。

「あ、そうだね。そう言えばお腹空いたかも」
「じゃあレストランに行こう。は何が食べたい?」
「何でもいいけど…って言っても…花沢類の食べられる物じゃないとね」

はそう言いながらレストランマップを開く。
類がF4の中でも特に好き嫌いが多い事はでも知っている。
普通の人なら好むようなファーストフードも、類は「食べ付けない」と殆ど口にしないのだ。
大阪で食べ歩きをしたお好み焼きやたこ焼きを食べた事が、今ではの中で珍事件の一つになっているくらいだった。

「あ…ここは?フレンチだし」
「俺はいいけど…はいいの?」
「うん。他は軽めのメニューみたいなの」

はどんなジャンルでも良かったが、まさか類にカレーやハンバーガーなどを食べろというわけにもいかない。
マップに載っている店の中で一番良さそうなものを選び、2人でそこへと向かった。

「―――――わ、結構、混んでるね」

そのレストランは園内の中でも大人向けなメニューで、平日などは案外空いている店だが、今日はさすがに混み合っている。
それでも2人分の席を確保してもらい、と類は案内されたテーブルへとついた。
静かな入り江に面したガーデンレストランともあって、客はカップルが多いようだ。
料理は一番高くても5千円もいかないくらいで、フレンチとは言っても、そう高級ではないから入りやすいのだろう。
2人はオマール海老と帆立のボワレ、サラダや飲み物を注文し、やっと一息ついた。

「はあ…何かこうして座ると、結構足が疲れてるね。花沢類は大丈夫?」
「うん…少しダルイかな。普段こんなに歩かないし」
「いつもは車ばっかり乗ってるもんね。ごめんね、人混みも嫌いそうなのにディズニーランドに行きたいなんて言っちゃって…」
「いいよ。楽しいから」

類はそう言って、先に運ばれてきた紅茶を口に運ぶ。
ぼんやりと外を眺めている横顔は、以前と少しも変わらない。その横顔を見ていると、何故かは胸が苦しくなった。

「…ジロジロ見るなよ」
「…え?あ…ご、ごめん」

その声にハッとすれば、類が照れ臭そうに目を細めている。知らないうちに、ボーっと彼の顔を見つめていたようだ。

「あ、あの…カナダでもこうして2人でお茶した事あったなぁって思いだして…」
「…ああ。そう言えばそうだね。あの時はの元彼に会ったりハプニング続きだったけど」
「い、嫌な事まで思い出さないでよ」

くすくす笑う類に、思わずも目を細める。

「でも…今思えば、あのカナダ旅行も結構楽しかっ―――――」

そこまで言いかけ、ハッとした。
類にとってカナダは、静と想いが通じあい、そして一度は別れる道を選んだ場所なのだ。
カナダでの話をすれば、嫌でも思い出してしまうだろう、とは誤魔化すように、紅茶を呑んだ。

「こ、紅茶はやっぱり、ここの方がまだ美味しいね」
「……そうだね」

の気持ちを察したのか、黙って聞いていた類も軽く頷く。
何となく2人の間に気まずい空気が流れ、少しばかり沈黙が続いた。―――――と、そこへ料理が運ばれて来て、とりあえずはホッと息をつく。

「わ、美味しそう。ね?」
「…うん」

類は淡々と応え、黙って食事を始める。
それを見ても食べ始めたが、またしても続く沈黙が更に緊張を加速させ、何か話さなきゃ、という気持ちになって来る。
と言って、良く考えてみれば、と類の共通の話題は司や静の事くらいしか思い浮かばない。
しきりにナイフを動かしながら、が何の話題にしようか考えていると、類の方が先に口を開いた。

「…見た目ほど美味しくないかも…」
「…えっ?あ、ああ…そ、そうだね。花沢類の口には合わないかも…。普段はもっといい物、食べてるもんね」
「…そうでもないけど…ソースが濃すぎるかなと思って。食べられなくはないけど」
「言われてみれば確かに…。って、でもこれがもし司だったら凄い文句言ってシェフを呼べ!とか言いそう」

つい、そんな事を言ってしまったが、類は特に気にした様子もなく、「あ〜」と苦笑いを浮かべた。

「司なら言うだろうな。あいつは普段からお抱えシェフの料理を食べてるし」
「確かに道明寺家の料理はどれも美味しいかも…。でも、あれだけ舌が肥えてたら司の奴、こういうとこには来れないわよね」
「来たとしても司なら貸し切りにして、料理も運ばせるかもね」
「あ〜あいつならやりそう!っていうか絶対やる」

たやすく想像できる話に、は楽しげに笑う。そんなを類はジッと見つめ、ふと笑みを零した。

「な、何?」

急に笑みを浮かべた類に、がドキっとして顔を上げる。何かおかしな事でも言ったのかと気になったのだ。
しかし類は軽く首を振って、切り分けた料理を口に運ぶと、

は司の話をすると元気になるよね」
「…え…?ま、まさか…」
「いいよ。俺は面白い話もしてあげられないし」
「そんな事ないよ!私は――――――」

そう言いかけた時、類がふっと優しく微笑み、はドキっとした。

「俺さ、女の子とまともに出かけんのって初めてなんだ。いっつも、あいつらとつるんでたから…。だから退屈な思いさせたらごめんな」

類の言葉に、は無言のまま首を振った。
退屈なはずがない。花沢類と一緒にいるだけで楽しい。そう言おうと思っていたのに。

「考えてみれば俺、あいつらくらいしか友達いなかったんだよな。まあ、奴らも同じだけど…」
「は、花沢類はF4の中で誰より性格いいもん。友達なんか他にいっぱい出来る――――――」
「類でいいよ」
「…え…?」

唐突にそう言われ、ドキっとして顔を上げれば、類は真っすぐな目でを見ていた。

って何故か俺の事、フルネームで呼ぶだろ。類でいいよ」
「……え、いや…急に言われても…」

顔が一気に熱くなっていくのが分かり、は慌てて俯いた。だが類は「いいから呼んでみてよ」と顔を覗き込む。
おずおずと顔を上げれば、薄茶色の瞳と目が合い、また鼓動が跳ねた。

「…る…類…?」
「もっと普通に」
「…る……類」
「もう一回」
「………類っ」

思い切って名前を呼ぶと、類は軽く吹き出してから、

「そうそう、いい感じ」

と、の頭を撫でる。そんな些細な事でさえ、の胸がキュっと音を立てた。
同時に痛みが走るのは、彼の事を「類」と自然に呼んでいた、彼女を思いだしたから――――――

『……類』

あの優しい声で、そう呼んでいた静の顔が不意に浮かび、は軽く頭を振った。

「ちょ、ちょっとお手洗い…」
「うん」

一通り食事を終えた後、はそう言って席を立った。
ふと時計を見れば4時になろうとしている。

「嘘、もうこんな時間…?これから他の見て回ったら夜になっちゃうかな…」

明日も連休で休みだし、今日はデートなのだから気にする事はない。
前は良く皆で夜遅くまで遊んだりもしていた。でも類と2人きりで夜まで、という事はなく、はどうしよう、と考えた。
その時、店内の方で、「シェフを呼べ!!」などという声が響いて来て、はトイレ手前で、ふと足を止める。
今の声が先ほど、スペースマウンテンのところで騒いでいた声と似ている気がしたのだ。

「やだ…。さっきの人かな…。ホント司にそっくり…」

おおかた料理がまずいと騒いでいるんだろう。は内心呆れつつ、トイレの中に入った。

(そう言えば…大阪のバーで一緒に飲んだ時も、司は花沢類のネギ焼きを奪って食べたクセに、「ネギ臭い!」と文句言って、マスターとケンカしてたっけ…)

そんな事を考えながら、思い出したのは司に助けてもらった時の事。

チンピラに浚われた時、大金を用意してまで助けに来てくれた…。
嫌いなはずの大和にまで手伝ってもらって…頭に怪我までして…。あの頃から少しづつ…あいつの気持ちに気付いていたのに。
今なら…良く分かる。司がどんなに私を想っていてくれたのか。そして――――――どんなに司を傷つけたのか。

手を洗いながら、いつの間にかボーっとしていたらしい。トイレのドアが開く音で、ハッと我に返った。

「あら…?ちゃんじゃない?」
「……っえ?」

不意に名前を呼ばれ、顔を上げると、そこには裕子が驚いた顔で立っていた。あの島へ行った時、総二郎達が呼んだ音大生の一人だ。

「あ…裕子さん…?」
「うっそー。凄い偶然!ちゃんまでいるなんて。あ…もしかして…彼の事が心配で来たの?」
「え…私まで…え、彼って…?」

いきなり訳の分からない話をされキョトンとしていると、裕子は苦笑気味に肩を竦めた。

「ごめんね。実はあの時の埋め合わせをさせるって、総二郎くんが言ってくれて、今日は司くんも一緒にダブルデートする事になったの」
「……つ、司…?あ、あの…それって、どういう…」
「ほら、私と一緒にいた法子っているでしょ?あの子がね。今度は司くんがいいって言って…。ほら類くんはダメだったじゃない?それでね」

その説明に、混乱していたの頭も徐々にハッキリしてきた。―――――と、いう事はやっぱりさっきの怒鳴り声は……

「あ、でもちゃんと彼、別に付き合ってなかったんですってね。だからいいと思ったんだけど―――――――」
「そ、そんな事より…!じゃあ今ここに、つ、司がいるって事ですか…っ?」
「え、ええ…。え?ちゃん知らないで来たの?あ、じゃあ、もしかしてちゃんもデート?」
「……………」

その問いに応える事も出来ず、は唖然とした顔で固まった。
まさか本当に司が来ているなんて思いもしなかったのだ。

(何で…何で今日に限って、こんなとこで…!っていうか、花沢類と来てるってバレたらまずいかも…っ!)

「あ、あの…ちゃん?顔が真っ青だけど…大丈夫――――――」
「あの!すみませんけど、私とここで会った事、誰にも言わないでくれますか?!」
「ええ?ど、どうして?あ…やっぱり司くんと何か…?」
「い、いえ!けど…でも私がいるってバレたら更にややこしくなるんで…お願いします…!」

そう言って必死に頭を下げると、裕子は訝しげな顔ながら何とか頷いてくれた。
そこでは挨拶もそこそこにトイレを飛び出すと、類の待つテーブルへと急ぐ。
司に見つかる前にここを出なければ――――――
それだけを考えて店内に戻ると、自分達とは反対側の一番奥の席に、見慣れた髪型を見つけドキっとした。
間に大きな柱がある為、互いに気付かなかったらしい。

「もうーホントにシェフ呼ぶんだもん。驚いちゃったぁ」
「ったりめーだろ。こんなクソ不味いフレンチなんか食えるかっ」
「えーでも結構、美味しかったよ。司くんてば舌が肥えすぎ」
「お前の舌がおかしいんだろ?良くあんな不味いもん全部食えたな。デザートまで平らげやがって太るぞ」
「えーひっどーい!デザートは別腹だって言うじゃない」
「あー?お前も別に腹があんのかっ!」
「何よ〜。私もって、他に誰の事言ってるの〜?」
「…う…うるせえなっ。つーか語尾伸ばしてしゃべるな。気持ちわりー」

そんな会話が耳に入って来て、は軽く拳を握りしめた。
司が普通に女の子と話している。そんな光景に、多少なりともショックを受けたのだ。

(あんな風に司と言いあうのは…私だけだったのに…)

ふと、そんな事を考え、空しくなる。
ひどく傷つけ、落ち込んでいるかと思っていた司が、自分の知らないところで女の子とデートをしていたというのもショックだった。

(…何でこんな気持ちになるの…?司が誰とデートしようが関係ないはずなのに…私だって…花沢類とデートしてるのに…)
(…法子さんだって、あの島では花沢類の事が凄くタイプだって言ってたのに、どうして今さら司をデートに誘うの?)

色んな思いが込み上げて来て、は目の前の光景から視線を反らし、自分の席へと戻った。

「あ、。遅かった――――――」
「か、帰ろう、花沢類」
「…どうした?何かあった?」
「な、何でもないけど…ほら、もうお腹いっぱいだし」

不思議そうな顔で立ち上がる類に―――――司がいる事に全く気付いていない―――――は何とか笑顔を見せて入口へと急ぐ。
司に見つかる前に、一刻も早くここを出たかった。

「まだデザートあったのに」
「ご、ごめんね。それも入りそうになくて…。あ、ご馳走様でした」

急ぎ足でレストランの外へ出たは、そう言って振り返ろうとした。
――――――が、動揺していたせいで、入り口前の段差を忘れ、思い切り足を踏み外す。

「きゃ…っ」
――――――」

類も驚いて咄嗟に手を伸ばしたが間に合わず、は前のめりに地面へと倒れ込み、ドタンという派手な音が響いた。

「い…ったぁ…」
!大丈夫?」
「だ、大丈夫……」

駆け寄る類に、恥ずかしさのあまりも慌てて体を起こす。
しかし、その時、自分のスカートの後ろが思い切り目くれている事に気付き、真っ赤になった。

「きゃぁぁっ」

急いでスカートを元に戻したが、後ろにいた類にはバッチリ下着を見られてしまった事で、は涙目になった。

「み、見た…?」
「……そんな事、言ってる場合じゃないだろ。いいから立って。怪我してない?」
「う…い、痛い……」

類に支えられながら、よろよろと立ちあがったは、左膝に痛みが走り、顔をしかめた。

「あ〜すり向けて血が出てる…」
「え…っ嘘!」

しゃがみ込み、の膝を確認した類は、困ったように息をついた。

「これじゃ歩けないだろうし、もう帰ろう」
「え…で、でも…」
「すぐに手当てしないと」

類はそう言って立ち上がると、徐にの前に屈んで、

「ほら」
「……へ?」
「おんぶしてって上げるから乗りなよ」
「…え、い、いいよ!」

突然の行動には真っ赤になったが、類は「いいから早く」と、横目で見上げる。

「駐車場まで距離あるし、そんな足で歩けないだろ」
「で、でも…恥ずかしいよ…」
「恥ずかしいのは俺も同じだって。いいから、ほら」

そういって類は渋るの腕を自分の肩に乗せると、無理やり彼女をおんぶした。
長身の類がそんな事をしたせいで更に目立ち、周りの客達もくすくす笑いながら2人の事を振り返って行く。
は駐車場に着くまで、恥かしくて顔を上げられなかった。

「ぼ、坊ちゃん、どうされたんです?」

駐車場まで何とか歩いて行くと、運転手が慌てたように降りて来た。

「転んで足を怪我したんだ。後ろ開けてくれる?」
「か、かしこまりました。さ、どうぞ」

運転手はすぐに後部座席のドアを開け、急いで運転席へと戻って行く。
類はを上手く座らせると、自分もすぐに車へ乗り込み、車内にあるボックスの中からばんそうこうを取りだした。

「とりあえず、これ貼っておくから」
「う…うん…。ありがとう……ごめんね、迷惑掛けて」
「別に。ちょっと驚いたけど。雪もない場所で転ぶとは思わなかったし」
「う…ご、ごめん…」

苦笑気味に言う類に、の顔も赤くなる。ついでにパンツを見られた事を思い出し、恥ずかしさのあまり涙が浮かんできた。

「…何、どうしたの?痛む?」

運転手に車を出して、と頼んでから、ふとの様子がおかしい事に気付き、類は顔を覗き込んだ。
だがは慌てて顔を反らし、

「ち、違…。恥ずかしくて」
「…別に転んだくらいで――――――」
「それもあるけど…そうじゃなくて…!」
「じゃあ何?ああ…スカートがめくれた事?」
「…………っ」

やけにアッサリと言われ、は耳まで赤くしながら言葉に詰まった。
不可抗力とは言え、仮にも好きな相手にあんな姿を見られたのだから、女の子として恥ずかしいのは当然だ。
しかし類は呆れたように息をつくと、

「言っとくけど俺のせいじゃないからな。が転んで見えちゃっただけだし」
「そ…それはそうだけど…っ」
「いーじゃん。パンツくらい。もろにお尻を出してたわけじゃないんだから――――――」
「お尻見られてたら、とっくに飛び降りて死んでるもんっ」

「………………(お、お尻?見られた?…坊ちゃんはいったい何を――――)」

類の発言に真っ赤になって反論した後、はハッと我に返った。
この車には運転席と後部座席の仕切りはなく、今の会話は当然、運転手にも聞こえている。
そこに気付いた時、は首まで赤くなり、類は類で思い切り噴き出した。

「…ぷっ…うくくく…」
「…………(最悪…)」

ガックリ項垂れたとは裏腹に、類は一人、楽しそうに笑っている。

「…くくく…おもしろ…ってホントおもしれー」
「お、面白くない…っ」
「いや面白いって。前から思ってたけどさ。ますます気に入ったよ」
「…………っ」

その一言に、がドキっとして顔を上げると、類はスッキリしたような笑顔を見せ、運転手へと声をかけた。

「今から家に戻ってくれるかな」
「はい、坊ちゃん」
「……?」

何事かと首を捻るに、類はかすかに微笑むと、

「2人になれるとこへ行こう」
「―――――――っ」

その一言に、は本気で固まってしまった。










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