優しい嘘、悲しい嘘
太陽も落ち、薄暗くなって来た頃。司はボーっとした顔で渋谷を一人歩いていた。
着替えもせず、Tシャツと短パン姿のままだからか、すれ違う人達が皆、不思議そうに振り返っている。
そんな中で大学生くらいの男が三人、ゆっくりと司に近づいて行った。
「あいつ、どうよ」
「何かボーっとしてるし楽勝じゃね?」
「結構タッパあるけど大丈夫かな」
「バーカ、俺ら三人だぜ?あんなボーとした奴、いちころだぜ」
司の後をつけて行きながら、そんな事を言いあう。
しかし3人は今からカツアゲしようとしている相手の性質の悪さを、全く理解していなかった―――――。
その頃、道明寺家では椿が仕切った宴会の真っ最中だった。
「―――――――ほら!もっと食べて飲みなさい!」
どんどん料理や酒を運ばせ、張り切っている椿の様子に、総二郎は呆れ顔で肩を竦めた。
「もう食えねーよ。牛や豚じゃあるまいし」
「あんたは、そんなだから細っこい腰してんのよ!」
「いってえ!!」
椿に腰を思い切り叩かれ、総二郎が飛びあがる。
ワインのボトルを一本開けている為、すでに酔っているようだ。
「ったく、かなわねーよなぁ。姉ちゃんには…」
「酒飲むとテンション上がる上がる」
あきらとコソコソ避難しながら、苦笑いを浮かべる。その間に椿の攻撃は、今日の主役2人へと向けられた。
「ほら、ちゃんも食べて!類は酒つぐ!」
「ん」
見れば類もも顔が真っ赤に染まり、すでにかなり飲まされている様子だ。
類の注いだワインもどぼどぼとグラスからこぼれている。
「あーこぼしてるよ」
「類、お前、そうとう飲んだな…」
総二郎とあきらも苦笑しつつ、タオルを類に放ってやる。
「それにしても、あんなに小さかったあんた達が、こんなに大きくなるなんて、感動しちゃうわねえ」
椿は椿でそんな状態に気付きもせず、微笑ましいといったように息を吐いた。
「ガキの頃からお人形みたいに可愛くってさあ。××××なんてミミズみたいで――――――――」
「ね、姉ちゃん!!」
「頼むからやめてくれっ」
思い切り禁止音が入りそうな発言をした椿に、総二郎とあきらが真っ赤になったが、椿は気にも留めずに、「女の子を奪い合うような年頃になっちゃったのねぇ」とシミジミしている。
そんな話に耳を傾けながら、の目はふと類へと向いた。
流れ的にそんな状態に見えるのだろうが、としては未だに実感が沸かない。類が自分をどう思っているのかさえ、分からないのだ。
(…そうよ。一度も好きだって言われた事もないし…)
そう思いながらも、脳裏によぎるのは、バスケの時に類が言った言葉だった。
――――――俺が時間を止めてやる。
思いだすだけで胸の奥がきゅっと音を立てる。何て正直な心臓なんだろう、と少しの間、浸っていた。
しかし次に言った総二郎の言葉で、それは違うドキドキへと変わる。
「ところで司のバカは何してんだ。あいつがショボくれて帰ってくると思って、こうして盛り上げてんのに」
「どうせ街でブラブラ遊んでんでしょ。バカは気にしないで、もう一本開けましょ」
椿は呑気に言いながら新しいワインを出して来る。まだ飲むのか、と内心驚きつつ、はふと時計を見た。
午後の10時を回っているのに司の帰ってくる気配もなく、少し心配になってきた。
もういい、とは言われたが、あんな中途半端な結果では後味が悪い気がするし、司と類の関係があやふやのままなのはとしても嫌だった。
(…司…どこ行ったんだろう…)
そんな事を考えていると、総二郎が不意にと類を見た。
「そういや前から聞こうと思ってたんだけどさあ」
「え?」
「類とちゃん、2人っていったい、どこまで行ってんの?」
「……っ…えぇっ?!」
ニヤリと笑う総二郎とあきら。その問いには真っ赤になった。
が…もう一人の当事者である類はワインをグイっと飲み干すと、
「…ディズニーランド」
「………………」
「………………」
そのボケた一言に2人はピシリと固まる。顔が赤いところを見ると、どうやら類も相当酔っているようだ。
総二郎とあきらは盛大に溜息をつきながら、ぐいっと身を乗り出した。
「…あのなあ。デートの場所じゃないのよ、お兄さん達が聞いてるのはっ」
「エッチしたかどーかって聞いてんの!」
「………………」
「………………」
今度はと類が固まる番だった。その2人の様子にピンときたのか、総二郎とあきらは顔を見合わせると、
「マ、マジ…?」
「嘘だろ…?」
「信じらんねえーーっ!!」
「類、お前どっか悪いのかよ?!そりゃナイスバディーの静に比べたらちゃんは少しばかり色気が足んねーーけどっ!」
「……むっ(失礼ね、西門!!)」
「お前それでも健康な男子かっ?!」
総二郎とあきらは顔面蒼白になりながら類の額に手を置き、熱がないか調べている。
それにはも文句を言いかけたが、今まで黙って聞いていた椿が先に口を開いた。
「…そう言う事だったのね。だからどこか不自然な気がしたんだわ」
「え…つ、椿さん…?」
不意に会話に入って来た椿の様子に気付き、が顔を引きつらせた。
「2人がいつまでもグズグズしてるから司のような邪魔者が入りこもうとするのよ。――――――類!」
「………ん」
周りの雑音を気にせず、黙々とワインを飲んでいた類だが、いきなり名を呼ばれ、顔を上げる。
その類の前に椿が立ち、鼻先にビシッと指を突きつけた。
「今夜、うちの部屋を貸してあげる。男なら今夜決めなさい!私が許す!」
「そーだそーだ!やれやれー!」
「ちょ、ちょっと椿さ――――」
「そうと決まれば。総二郎!あきら!2人をサッサとベッドルームへ運んでちょうだい」
「おっしゃー!」
「きゃっちょ、ちょっと!!下ろしてよ!」
抗議しようとしただったが、椿の迫力に押されたあげく総二郎に抱えられパニックになった。
見れば類もあきらに拉致されている。酔っ払いの2人は、そのまま抵抗の甲斐なくベッドルームへと放り投げられた。
「朝まで出してやんねーからな!」
「ちょ、ちょっと待って!美作さ――――」
「類、頑張れよ!」
「に、西門さん…っ」
慌てて呼びとめたが、無情にも扉は閉められ、ガチャリと外からカギをかける音が室内に響く。
それにはも唖然として、しばし薄暗い部屋の中、固まっていた。
「…う、嘘でしょ…」
先ほどまでの酔いが一気に冷め、突然の展開に思わず呟く。そしてハッとしたように振り返れば後ろにはダブルベッド。
そしてそこに類が寄りかかるようにして座っている。ほんのり顔が赤い類は、未だ酔っているように見えた。
「…ど、どうしよ…。外から鍵が…これじゃ出られなぃ――――」
「……いいけど。俺は」
「え―――っ?」
一人慌てるをよそに、類はニヤリと笑った。
その意味深な言葉に、の顔までが別の意味で赤くなる。一度は冷めた酔いが、また復活しそうなくらい顔全体が熱い。
(お、俺はいいけどって…どういう意味?!ま、まさか…ベッドもあるし…朝まで誰も入って来ないし…そ、そういう………)
ちらりと見ればベッドが視界に入り、は凄い速さで心臓が動くのを感じた。
確かに類の事は好きだが、この急展開にはもさすがに動揺を隠せない。
あまりに静か過ぎる事も緊張を煽り、はパッと頭に浮かんだ事を口にした。
「そ、そう言えば修学旅行、思い出さない?!」
「?…しゅ…?」
「そう!ホラ、皆で泊っておしゃべりしたり…まくら投げしたり?中等部の頃、行ったでしょ?は、花沢類はどこ行ったの?」
「……ヨーロッパ五カ国」
「あ、そう…さすが…英徳ねっ」
無理やりテンションを上げて話し続けながら、少しづつ距離を開けて行く。
しかし類は逆にその距離を縮めをジッと見つめてきた。
「な、何――――」
「何で逃げるのさ」
「…へ?に、逃げてなんか――――」
言った瞬間、背中に壁が当たり、逃げ場を失う。
それを見て、類はニヤリと笑みを浮かべながら、またゆっくりと距離を縮めた。
「ちょ…花沢類…」
近づいて来る類に鼓動が速くなっていく。
しかし壁に追い詰められたはそれ以上逃げられず、ぎゅっと目を瞑った。
「目、開けてよ」
「……や、あ、あの…」
「顔、上げて」
類のその言葉に、心臓が更に速くなる。
ゆっくりと目を開け、おずおずと顔を上げれば、薄茶色の大きな瞳がを見つめていた。
類は逃げ道を塞ぐように左右の壁へ手をついている。
至近距離で見つめ合っている状況に、は一気に首まで赤くなった。
さっきとは違う、真剣なまなざしに鼓動がどんどん加速していく。
「な…何…?」
「そうやって…逃げられると…意地悪したくなる」
「――――え、」
不意に強い力で腕を引き寄せられたと思った瞬間、の体は柔らかいベッドの上に投げ出されていた。
「…は…花沢類…?」
酔っている体を急に動かされたせいで頭がクラクラした。同時に視界に入る類の顔。
それを見上げている状況に、自分が今、ベッドに押し倒されたんだと気付き、鼓動がまたドクンと音を立てる。
上から見つめて来る類の瞳は今まで見た事がないくらいに熱く、男の人なんだ、と改めて実感した。
(…花沢類のこんな顔…見た事ない…まさか…本気で…?)
ふわふわした頭でそんな事を考えながら、まるで夢を見ているような感覚の中、ゆっくりと近づいて来る類を見上げていた。
「…ひゃ…っ」
不意に頬へ触れる類の唇。僅かに体が跳ね、その感触で一気に現実へと引き戻される。
「…ちょ、花沢…類……っ」
気持ちとは裏腹に無意識のうち、手で類を押し戻そうとした。だがその両手をアッサリ拘束され、
「あ、あの―――――」
今の状況に戸惑い、口を開きかけた。その唇に類の唇がゆっくりと重なる。柔らかいその感触に思わず目をつぶり、全身に力が入った。
ついでに反動で動いた手首を強く抑えられ、更に深く交わる唇。この前とは違う、少し強引なキスには頭の芯が痺れてきた。
「…ん、っ」
その時、類の舌が唇を掠め、の体がビクリと跳ねる。
同時に拘束されていた右手が自由になったと思った時、類の手が太腿を滑り、制服のスカートを軽くたくし上げてきた。
「…ん…ゃ…っ」
太腿、そして誰も触れた事のない場所に類の指が触れる。その瞬間、全身が跳ねた。
恥ずかしさと初めての行為に恐怖を感じ、は自由になった手で、類のその腕を慌てて掴む。
「…や…だっ」
唇が僅かに離れた瞬間、顔をそむけて何とか声を出すと、類は少しだけ体を浮かせ、を見つめる。
そして目じりに浮かんだ涙をそっと指で拭った。
「…、顔…真っ赤」
類はそう呟くと、くすくす笑いながら体を起こす。
そんな類を見上げながら、は今のうちと言わんばかりに自由になった体を起こして類から距離を取った。
「…ど…どうしたの…?花沢類…いつもと違う…。酔ってるの…?」
壁にピタリと背中をつけてドキドキうるさい胸を抑える。
類は黙ってそんなを見ていたが、「酔ってるかも…」と僅かに微笑んだ。
そしてゆっくりとへ近づき、距離を縮めて行く。
「は…花沢類…っ私…」
片手を壁のつき、顔を近づけて来るのを見て、は一瞬、キスをされるのかと思った。
が、しかし。類はジッとを見つめた後、不意に――――
「…ぶす」
「――――っ」
この状況の中での、その一言に思わずズッコケたは、後ろの壁にゴンッと後頭部をぶつけ、類はそれを見て小さく吹き出した。
「……ぷくくく…。うそうそ」
「…………」
(そ、そうだった…。この人、酔っ払いすぎると人格変わるんだった…っ)
以前、カナダでも垣間見た事がある類のおかしな反応に、は口元が引きつった。
しかし類はかすかに微笑むと、壁についた手を外し、小さく息を吐いた。
「ごめん。意地悪しすぎた」
「…へ…?い、意地悪…?」
ふと呟く類に、ドキっとする。類はかすかに笑みを浮かべると、立てた膝に腕を乗せ、軽く髪を掻き上げた。
「…ってさ…。元はお嬢様だったクセに司を殴れるくらい男勝りで、中身は本当ドン臭いし…色気もないしさ」
「……な…何それ――――」
突然キスまでした相手から色気もないと言われ、は思わず顔が真っ赤になって反論しようとした。
だが類は苦笑混じりに溜息をつくと、優しい目でを見つめ、
「でも…今日バスケやってる時も一生懸命でさ…。男の中で対等に頑張ってたり、絶対に媚びないしさ。俺が知ってる女達とは全然違うんだよね」
「……え…」
「あの司に食ってかかって泣いたり怒ったり…親の事で悩んだり…。一秒ごとに表情が変わるし、とにかく賑やかでさ。だから最初は物珍しい気持ちが大きかったんだ」
「…め、珍しいって…」
「きっと司も同じなんだろうなって思ったけど…。今は司がに本気になった気持ちが…何となく分かった」
淡々と話す類の横顔を見ながら、は顔が赤くなった。こんな風に類の気持ちを聞くのは初めてだ。
しかし類は軽く息を吐くと、柔らかそうな前髪をそっと掻き上げた。
「さっき…あんな事しといて言うのも何だけどさ…。正直オレ…の事どう思ってんのかまだ分からないんだ。けど…何にでも必死な見てるといじらしい気持ちになる時もあって…」
「………っ…」
「…総二郎達に…静がダメならっつー事もねえだろって言われて…確かにに甘えて忘れようとしてるとこもあったかもしんねえし…忘れられら…」
そこで類は、「いけね、ロレツまわんね…」と笑いながら、を見た。
「忘れられるかも…って思ったりもしたし…の事、放っておけないって思う時もある。今も…本気で抱いちまおうかって思った。でもまだ―――――ごめん…」
そう呟く表情を見て、は類の気持ちがハッキリと分かった。
類の中で、静は今も一番なのだ。―――――――花沢類は…自分の正直な気持ちを誠意を持って伝えようとしてくれてる…。
分かっていた事だった。それでも、もしかしたら…とほんの短い間でも、期待していたかったのだ。
「俺が…帰って来なければは司と…」
「あ…謝らないで。私は後悔してないから…。少しでも花沢類の役に立てたなら嬉しいし…私は花沢類が笑っていてくれたら…それでいい」
最初の頃と少しも変わっていない。の想いは、常にそこからがスタートだった。
たまに見せる類の笑顔が見たくて、自分に笑いかけてくれる事が嬉しくて、はいつも類の事を真っすぐに見つめていたから。
類は優しい笑みを浮かべ、そっと屈むとの額へ唇をつけた。
「…は、花沢類…?」
「……ありがとう」
真っ赤になったの頭を優しく抱き寄せ、類は小さく呟いた―――――
「――――ただいま!」
先ほど街中で絡んできた男達を思い切り殴って(!)スッキリした司は、晴れやかな顔で自宅へと戻った。
「お帰りなさいませ、司坊ちゃん」
「皆さま、テラスへお集まりです」
使用人がすぐに出迎えると、司は一瞬首を傾げ、「ああ、あいつら来てんのか」と足取りも軽くテラスへ向かう。
その頃、総二郎とあきら、そして椿は司が戻った事も知らず、宴会の続きを始めていた。
「なあなあ、あの2人、もう始めてると思う?」
「どーかな。2人ともオクテっぽいじゃん」
類とをベッドルームへ押し込んだ総二郎とあきらは、ワインを飲みながらニヤケている。
そんな2人に椿は、「下世話な言い方するんじゃない!」と目を吊り上げた。
「でも類も男だろー?女と2人で密室に入りゃートーゼン…」
「あんたと一緒にしないっ」
「何だよ、姉ちゃん」
「私はねー。同じ女としてちゃんにキレーなキレーな思い出を作ってあげたいの!どっかの誰かに無理やり襲われそうになる前に」
「キレーな思い出ってやり方じゃねえよ、コレ」
「おだまり!」
「……………………」
「ったく、女ってヤツはすぐ思い出作りたがるんだから……」
そこへ、まさにどっかの誰かが顔を出した事に、誰も気づかなかった。
が、ふとあきらが背後の気配に気づき、
「…っ!(ぎょ)って、おい!総二郎…つ、司――――!」
「司ぁ〜?司が相手だったらキレーな思い出っつーよりも、コメディー…」
「バ、バカ!」
「何だようるせーな」
「う、後ろ!」
「あ〜?後ろぉ?」
あきらの青い顔を見て、総二郎もそのまま振り返る。その瞬間、僅かコンマ何秒かで固まった。
「つ…っ司…っ」
無表情でドアのところに突っ立っている司を見た総二郎とあきらの額に、じわりと汗が浮かぶ。
今の状況がバレて暴れ出しても大変とばかりに、2人は慌てて司に駆け寄った。
「ど、どうしたんだよ!んなとこ突っ立って!ま、まだそんな格好してんのか」
「つ、疲れただろ。今日はゆっくり休め!な?」
2人はそう言いながら司を部屋へ連れて行こうと肩を抱く。そこへ椿がゆっくりと立ち上がった。
「ダメよ。こういう事は隠しちゃダメ」
「ね、姉ちゃん…っ」
顔面蒼白の2人を無視して、椿は真っすぐ司の方へ歩いて来ると、真剣な顔で弟を見つめた。
「司…。今、類とちゃん、ベッドルームに2人でいるの。たぶん朝まで出てこないわよ」
「……………」
「あんたも男だったら…男らしく見守ってあげなさい。分かってんでしょ?」
言いにくい事をズバっと口にした椿に、総二郎とあきらの顔から血の気が引く。司の無表情な顔からは、その感情は読みとれない。
が、しかし終始無言だった司が不意に口元を緩め、
「類も………なかなかやるじゃねえか」
と、ソファにどっかり腰を下ろす。
「なあ?上等上等」
司のその発言に総二郎とあきらは一瞬驚いたが、怒りもせず冷静なその態度に、思わずホッと息を吐きだした。
「…つ、司…」
「お前そこまできたのかっ!お兄さんは嬉しいよッ」
やっと大人になってくれたか、と2人が嬉し泣きをしている。椿も小さく息を吐くと、「…やっぱ、あんた…いい男になったかも」と安心したように言った。
が、当の本人だけは周りの大げさな態度に顔をしかめつつ、
「うるせぇな!俺は腹が減ってんだよ!何か食わせろ!」
「よし来た!シェフ呼べ!」
「今夜は飲み明かそうぜー!」
いつもの調子に戻った司に、総二郎とあきらも手放しに喜んでいる。
椿は苦笑いを浮かべると、「私は先に休むわ。安心したら眠くなっちゃった」と言い、部屋へと戻って行った。
こういう時、司の傍にいるのは付き合いの長い幼馴染の方がいいと思ったのだ。
「んじゃー今夜は久しぶりに男同士で飲もうぜ」
2人は大急ぎで料理を作らせ酒を用意させると、先ほどの宴会の続きとばかりに飲み始めた。
「何も女はちゃんだけじゃねーぞ、司!」
「そうそう。俺達がいい女、紹介してやっから」
「いらねーよ、バカ」
「何言ってんだよ。天下の道明寺司がいつまでも童貞じゃ――――」
「うっせえ!その話はすんなっ!」
「まあまあま。もうケンカはなし!無駄なエネルギーは酒で発散しようぜ」
そんな事を言いあいながら、司を囲んでいつものように飲みまくる。
今日まであれこれ心配していた重荷がすっかりとれたせいか、総二郎とあきらはいつも以上にテンションが高い。
だが更にワインとシャンパンを飲みまくったおかげで、日付が変わる頃には―――2人が先に酔いつぶれて眠ってしまった。
「ったく…人の気も知らねーで…」
散々騒いだあげく、ソファの上で眠りこけている2人を暫く眺めていた司は、苦笑交じりに呟き深い息を吐く。
一睡もしないまま、かなりの量を飲んだはずなのに、やけに頭は冴えていた。
テラスの外へ出れば空が白々と明けて、もうすぐ朝の5時になろうとしている。
ゆっくりと顔を出す太陽を眺める司の瞳は、何かを決心したかのようにスッキリとしていた。
「…ん…あれ…司、起きてたのか…?」
窓から入る朝の風に、ふと総二郎が目を覚まし、大きな欠伸をしながら起き上った。
「ふあぁぁ…飲み過ぎた…。あったまいてぇ…」
思い切り体を伸ばした総二郎はミネラルウォーターを手に、司の隣へと歩いて来る。
司は水を煽っている総二郎を黙って見ていたが、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「お前さ。俺が類のすっげー大事にしてたオモチャ取り上げたの覚えてるか?」
「…は?何だよ突然…。ってかいつの話だそりゃ」
朝っぱらから訳の分からない話をされ、総二郎も首を捻る。司は構わず話し始めた。
「幼稚舎の一年の頃、類が大事にしてた製造ナンバーつきのテディベアが欲しくてよ。あんなもん、親父に頼めばイギリスでいくらでも買ってもらえんのに…類のが欲しくてさ。大事にしてればしてるほど、すげー欲しくて」
"くれよ!"
"やだ!"
ふと、その頃の事を思い出し、司は苦笑いを零す。
「しまいにゃ俺と類の引っ張り合いになって…最後は引きちぎれちまった…。とんでもねー事やっちまったって思ったよ。でも俺は謝りもせずに…類をなじった」
"類が悪いんだ!類がいつまでも手を離さないから!"
「その夜、眠れなくてよ。次の日会ったらアイツ絶対怒ってると思ってさ。そしたらお前ら2人味方につけて類を仲間外れにしてやろうと企んでたんだ」
「……司らしい発想だな」
「うるせ。―――でもよ、次の日会ったらアイツ……笑ったんだ。一言も文句なんか言わず…"司、おはよう"ってさ。こいつには勝てないって思ったよ」
司はそう言いながら明るくなった青空を見上げた。
「今でもその事には触れてねえ。奴は忘れてんだろーけど…俺は類に借りがあるとはずっと思ってた。…そんでよ。今がその借りを返す時かもなってよ…」
「…ちゃんの事か…」
総二郎の言葉に、司は軽く笑みを浮かべ、髪をクシャリと掻き上げた。
「………あん時のクマの人形みてーに…をボロボロにするわけにはいかねーからさ…」
「司……」
「ま……しゃーねーわな」
そう言って笑う司に、総二郎は何も言えず、ただ黙って肩を抱く。今はただ、幼馴染の存在が司にはありがたかった。
「――――良かった。開いてる…」
夕べ鍵をかけられたドアが開く事に気付き、はホッと息をついた。
そして一度ベッドの方へ戻ると、すやすやと眠っている類の寝顔を覗きこむ。
思った以上に飲んでいたのか、あれから話をしている最中にコテっと寝てしまったのだ。
「いつ見てもキレーな寝顔…赤ちゃんみたいに気持ちよさそうに寝ちゃって」
以前もそうしたように、薄茶色の髪にそっと触れてみれば、痛む胸がまだ類の事を好きだと言っている。
だけど、これ以上どうする事も出来ない。夕べ、ハッキリと振られたのだから。
「ありがとう…花沢類…。本当のこと言ってくれて…」
そう呟いて、はゆっくりと立ち上がった。
静さん…私はやっぱり、あなたには勝てないみたい。
まだ胸は痛むけど…でも大丈夫。花沢類が正直に話してくれたから…凄く悲しいけど…凄く嬉しいんだ――――
類の寝顔を見つめ、うっすらと浮かんだ涙を拭うと、は振り切るように歩きだす。
(バイバイ、花沢類…。次に会う時は…笑顔になってるから)
そう決心しながら、は静かに廊下へ出ると重たい足取りで自分の部屋へと向かった。
しかし部屋へ入る前に、ふと隣のドアへ視線を向ける。司の部屋からは相変わらず、いる気配が感じられなかった。
「…司…帰って来なかったのかな」
類と閉じ込められた後の経緯を知らないは、軽く息を吐いて部屋へと入る。
少し早いが学校へ行く用意をしよう。昨日の今日だから色々言われるだろうな、と憂鬱になりながら、はシャワーを浴びた。
「…いたた…っ。やっぱ筋肉痛だ…」
着替えを済ました後、階段を降りたところで顔をしかめる。体のあちこちが痛いのは昨日のバスケのせいだろう。
寝る前に湿布でも貼っておけば少しはマシだったのかもしれないが、昨日はそれどころじゃなかったのだから仕方がない。
「はあ…ちょっと運動不足かな。足腰なまってる」
ギシギシと痛む足を引きずり、朝食を取る為ダイニングへ向かう。時計を見ればちょうどいい時間になっていた。
(夕べは椿さんもかなり飲んでいたから今はまだ寝てるだろうし…どうせ今日も一人で食事するんだろうな…)
そんな事を考えながらダイニングルームのドアを開ける。その時――――
「おせえ!何モタモタしてやがんだ!」
「な――――」
突然聞こえて来た、聞きなれた怒鳴り声に、は瞬時に固まった。
目の前の大きなテーブルには、いつもの席に司、そして何故か総二郎とあきらまでいる。
「あ、あの…え…?」
「なーに鳩が豆食ったようなツラしてんだ。早く座れ!」
「いや司。それ言うなら"鳩が豆鉄砲"ね。豆は普通に食うから」
「う、うるせえな!総二郎!」
いつものノリで突っ込まれ、司が真っ赤になる。
ついでに、「でも良かったじゃん。フツーに話しかけられて。練習した甲斐があったな」とまで言われ、「うっせえ!」と更に赤くなった。
しかし唖然としているは、そういったやり取りすら気付かずフラフラと自分の席へ座る。
つい半月くらい前まで普通に見て来た光景が、今また当たり前のようにある事がまるで夢のように感じたのだ。
そこへ総二郎が意味深な笑みを浮かべ尋ねて来た。
「そういや類は?一緒じゃねーの?」
「え…あ…ま、まだ寝てる…かも」
この状況に動揺していたは、総二郎の微妙なニュアンスにすら気付かず、普通に答える。
「まーだ寝てんの?ったく…こんな時でも普段と同じかよ。――――ってか、司、お前はいちいちピクっと反応すんな」
「し、してねえよ!」
出される朝食を次々に口へ放り込みながら、司は思い切り目を吊り上げた。
が、何も手をつけていないに、「食わねえのか?」と眉をひそめる。
それには答えず、は無言で目の前にある紅茶を一口飲むと、すぐに立ち上がった。
「て、ていうか…私、学校行かなきゃ…」
「…あ?まだそんな時間じゃ――――」
「き、昨日の課題やってないの!だから早めに行ってやらないと!――――じゃ、じゃね!お先に!」
「あ、おい――――」
それだけ言ってダイニングを飛び出していくに、司は唖然としたまま固まった。
総二郎とあきらはやれやれといったように首を振ると、
「ったく。お前がいちいち反応して怖い顔すっから逃げられんだよ。まだ気まずいんじゃねえの?」
「でも走って逃げるこたーねーのになぁ。よっぽどイ・ヤなんだな」
「て、てめえら…!!うるせえんだよっ!!」
「ぎゃっ!!」
「八つ当たりすんじゃねーよっ」
呑気に笑う2人に、司の拳がさく裂する。その理不尽な光景に、朝食を運んで来た使用人は青い顔で飛び出して行った。
その頃、家を出て学校へと向かったは、校門が見えて来たところでピタリと足を止めた。
気付けば車にも乗らず、走って学校まで来てしまったらしい。少しだけ乱れた息を整えていると、ついでに思い出したように体の節々が痛みだす。
そこで筋肉痛だった事を思い出した。
(…っていうか…さっき司もいたよね…。凄い普通に話したけど…)
自分がどれだけ不自然に飛び出して来たか、という事はすっかり忘れ、司が以前と同じように声をかけてきたという事実には胸が熱くなった。
(嘘…何か凄く嬉しいかも…!やっぱり司とはあんなノリじゃなくちゃ…。私達…あの頃に戻れるのかな…)
前もあれはあれで大変だった。それでも最近の冷えた関係よりはずっといい。
(…良かった…。これできっと司と花沢類も前みたいに戻れるよね…)
そう思いながら浸っていると、いきなり後頭部をポンと殴られドキっとした。
「おはよーさん。ってか早いなあ、ちゃん」
「あ…や、大和…おはよ」
振り返ればそこには大和がいつもの笑顔で立っていた。この間とは違い、今日はきちんと制服を着ている。
「大和も早いじゃない」
「んあ〜昨日久々にバスケなんちゅーハードなスポーツやったから何や目が冴えて眠れなかってん」
「そ、そっか…。私はちょっと筋肉痛」
が今朝の状態を話すと大和は軽く吹き出して、ふと時計を見た。
「まだ始業ベルまで時間あるし…その辺でお茶でもせぇへん?あれからの事も聞きたいし」
「え…?あ……そう、だね」
そう言われドキっとした。
知らないうちに巻き込まれていた大和にとっても、やはり類とどうなったか、司との事は解決したのか、聞きたい事は沢山あるだろう。
2人はまだ誰もいない中庭へ移動し、近くに設置されている自動販売機で飲み物を買った。
「さすがにこの時間は誰もおらんなあ」
「まだ7時過ぎたばかりだもん。あと30分は経たないと登校してこないわよ」
「おかげでゆっくり話出来るわ」
大和はそう言いながら缶コーヒーに口をつけ、軽く息を吐いた。
「で…?昨日は道明寺クンと話せたんか?」
「あ、あのそれが…昨日はその…話せなかったけど…今朝はちょっとだけ」
「ふーん。ほな仲直り出来たんや」
「な、仲直りっていうか…」
「花沢クンとの事も許してくれたとか…?」
「ゆ、許してくれた…のかは知らないけど…」
類の話をされ、思わず言葉に詰まる。類とのささやかな関係は夕べ、ハッキリと終わったのだ。
本当なら今も辛くて人に話す気分じゃない。でも迷惑をかけた大和にはきちんと話すべきだと思った。
は分かりやすいように順を追って事の発端を説明し、昨日起きた事、朝には司が帰っていて普通に話しかけてくれた事をきちんと話した。
「…だから…司が許してくれてたとしても…私、花沢類とはもう……」
話をしながら、徐々に声が震えて行くのが分かった。やはり昨日の今日では気持ちが割り切れるはずもない。
それでも大和の前で辛い顔など見せられず、何とか涙を堪える。その時、大和が手の中の缶コーヒーをグシャリと潰し、ビクっとした。
「…ふーん…そういう感じになったんや」
「や、大和…?」
怒ったように溜息をつき、そのまま空を仰ぐ大和の姿に、は僅かに俯いた。
「ま、俺としては喜ぶとこなんやろうけど…何や、花沢クンがちゃんの事をほんまに利用したんなら…腹立つなぁ」
「そ、そんなんじゃないの…!花沢類はホントに私と向き合おうとしてくれて―――――――」
「そうやってちゃんがかばうんも気に入らんけど…」
「……ご…ごめん。でも…っ」
「わーった、わーった!」
もう一度きちんと説明しようと口を開きかけたに、大和は苦情交じりで降参するように両手をあげた。
「ちゃんがそれでええならオレも何も言わん。まあ花沢クンがちゃんを傷つけよう思てした事やないのは分かるし…」
「…大和…」
「オレも花沢クンの事は認めてるしな」
そう言っての頭にポンっと手を乗せる。大和の気遣いが伝わって、は「ありがとう」と笑顔を見せた。
「ま、でも…良かったやん。道明寺クンとも普通に話せて、花沢クンともケリがついたっちゅう事で」
「そ…そんな簡単じゃないけど…」
「ほな、まだ諦めてへんって事なん?」
大和に痛いとこを突っ込まれ、はぐっと言葉に詰まった。
夕べハッキリ言われたのだから、本当ならきっぱり諦めた方がいいと分かってる。
でも心はそんなに単純には出来ていないのだ。
「…き、昨日の今日なんだから、すぐに忘れるとか諦めるとか考えられないよ…」
思わず零れた本音。
言葉にした事で逆に実感した。もう、前のように類の事を見てはいけないんだという事を。
大和はのそんな気持ちを察したように、優しく頭を撫でると、「ええんちゃう?」と一言、呟いた。
「忘れられへんのに無理に忘れる事ないしな」
「…大和…」
「相手に惚れてもらえんからて、すぐ諦める言うのもおかしな話や。オレかてちゃんの事、諦めてへんしな」
「…う…っ」
またしても痛いとこをつかれ、言葉に詰まる。
でもそこで初めて大和の芯の強さを感じた。失恋したからこそ分かる。今の自分は類の事で挫けそうになっている。
なのに大和はこれまで何度に振られようと、諦めずに傍にいてくれた。
(もしかしたら…大和もこんな痛くて苦しい思いをしてたのかな…。私なんかの為に…)
そこに気付いて、改めて大和という人間が理解出来た気がした。
普段どんなにおちゃらけていようと、大和は自分をしっかりと持っている。だから周りに流されない。決して、ぶれない。
きっと最初からそうではなかっただろう。でも家族との不協和音、最愛の兄の死――――。
それらを乗り越えてきているからこそ今の大和があるんだ、とは思った。
「…大和って…凄いよね」
「…な、何やねん、急に…」
シミジミと呟いたに、大和はギョっとしたように顔を向ける。は軽く息を吐くと、雲が流れていく青い空を見上げた。
「強いなあと思って」
「は…?」
「尊敬しちゃう…」
「せ、せやから何の話やねん…」
いきなりからそう言われ、大和は薄っすらと顔を赤くした。いつもの軽口が叩けないのは、の顔が真剣だからだ。
「今の私は…大和が私にしてくれるみたいに笑顔で花沢類と向き合う自信がない。でも…それじゃいけないんだなあって思って」
「…ちゃん…」
「そう…それに司も普通に接してくれたのに…私だけウジウジ悩んでるのもダメだよね」
言いながら、何か吹っ切れたように微笑むに、大和は胸の奥がかすかに痛くなった。
会うたび少しづつ大人になって行くに、また一つ想いが深くなっていく。
(オレが強くいられるのは…揺るがないもんを持ってるからや…。オレはそれを手にするまで…諦めへん)
手を伸ばせば届く距離にいるを見つめながら、大和は軽く拳を握りしめ、ふと笑みを見せた。
「オレとしては…尊敬されるより、ちゃんに"大和って男前やわ〜"言われた方が嬉しいねんけどなあ」
「な…何言ってんの…?」
「あ〜それか、"セクシ〜!大和になら抱かれてもええわあ"とか、そんなん言われた方が嬉しいわぁ」
体をくねらせ、ふざけた調子で言う大和に、は慌てて立ち上がった。
「…はあ…何がセクシーよ…っ」
突然いつもの調子に戻った大和に、は薄っすら顔を赤くしつつ、思い切り半目になっている。
ムキになるを見て、大和も苦笑交じりで立ち上がった。
「そうかー?大阪では中高と、"抱かれたい先輩NO.1"やってんけどなあ」
「良かったわね、後輩からモテモテで!なら英徳でもNO.1とれるように頑張ればいいじゃない」
「あれれ。もしかしてジェラシー?でも心配せんで大丈夫やで?どんなに可愛い子が"先輩、抱いてぇ〜"言うて来ても、オレはちゃん一筋やから」
「…はいはい」
「あー何やそのやる気のない突っ込みは!」
「あ、いけない。そろそろ教室行かなくちゃ」
ふざける大和をまるきり無視して、は腕時計に目をやった。
見れば始業時間も迫っていて、他の生徒達も徐々に登校し始めている。
「冷たいなあ、相変わらず」
サッサと教室に行く準備をしているに、大和は苦笑いを浮かべながら空き缶をゴミ箱へと放る。
はでそんな大和を見上げ、「自称セクシー男の大和クン、遅刻しちゃうよ」と笑いながら走って行く。
「うわ、自称って酷いなあ…ほんまの事やのに〜」
前を走って行く背中を見ながら、大和はそうボヤくと、不意にが振り向いた。
「大和ー!昨日はホントにありがとね!」
朝日が降り注ぐ中、眩しいくらいの笑顔で叫ぶに、大和は僅かに手を翳し、目を細めた。
応える代わりに軽く手を上げれば、は「またね!」と言って校舎の方へ走って行く。
その姿が見えなくなるまで、大和はずっと見送っていた。―――と、その時、不意に携帯が震えだし、大和はポケットからゆっくりとそれを出した。
「…ったく…、ええ気分が台無しや…。―――――もしもし〜」
小さくボヤきながら、通話ボタンを押せば、すぐに不機嫌そうな声が聞こえて来た。
『…今週末に決まったわよ』
いきなり用件だけを言うその態度に苦笑しながら、待ちわびていた朗報に大和は軽く息をついた。
「そら良かった。そろそろ我慢の限界やってん。で?場所と時間は」
『土曜日、六本木のメープルホテル新館、桔梗の間に午後6時よ』
「…了解」
『それで…そっちは上手くいってるの?』
「…完璧とは言えへんけど…。まあ、考えようによっちゃ、ええタイミングかもしれへんな」
『そう。それなら良かったわ。じゃあ土曜は遅れないようにしてちょうだい』
「…分かってるわ。そっちこそ彼女にちゃーんと上手く伝えてや」
『…言われなくても』
その言葉を最後に電話が唐突に切れる。相変わらずの態度に軽く舌打ちをした大和は、それでも嬉しそうな笑みを漏らした。
ここまで来たら後戻りはできない。またする気もなかった。
「…海斗…見とるか?―――――こっからが本番や」
意味深に呟くと、大和は足取りも軽く、校舎へと歩きだす。その顔に迷いはなかった――――。
「――――あら、まだ学校に行ってなかったの?」
リビングに顔を出した椿は、ボーっとした顔で庭を眺めている司に気付き、テラスへと歩いて行った。
「ああ…これから行く」
「もうお昼じゃない。相変わらずね。総二郎とあきらは?」
「先に行った」
「そう…類は?会ったの?」
椿の問いに、司は軽く息を吐くと、
「総二郎とあきらが部屋に見に行ったら、すでにいなかったらしい。どうせ家に帰ってまた寝てんだろ」
「…そう。じゃあちゃんは?」
その名を出すと、司は僅かに口元を引きつらせた。
「オレの事、避けるようにして朝早くに学校行きやがったよ」
「そうなの?まあ…仕方ないわよね。あんた、あれだけ酷い事したんだし」
「…ぐっ」
あっけらかんと言い放つ椿に、司も言葉に詰まる。
今朝、その事をきちんと謝ろうと思っていたのだ。だががあの調子で出て行ってしまい、言いそびれてしまった。
おかげで司の気持ちは固まった。
「なあ、姉ちゃん…」
「ん?」
「…オレ…暫くの間、ニューヨークに行こうかと思ってよ」
「え?ニューヨークってあんた…」
思いがけない発言に、さすがの椿も驚き、隣に立つ司を見上げる。
ニューヨークに行く。――――イコール、会社を継ぐ準備をしに行く、という事だと、椿は分かっていた。
楓が以前から一度ニューヨークに来て経営の勉強をしろ、と言っていたのは知っている。
だが司は、「大学卒業してからでいいだろ」と、のらりくらり楓の命令を無視していたのだ。
「…まさかお母様にまた何か――――」
「ちげーよ。オレが自分で考えて決めた事だ」
「だって司、あんなに嫌がってたじゃないの。何で急に…」
と、そこまで言ってハッとした。
「もしかして…ちゃんの事があったから…?」
「…気が変わったんだよ!つーかバスケの試合前に決めてたんだ。勝っても負けても――――ニューヨークに留学しようと思ってた」
「…司…あんた…」
いつになく真剣な顔で話す弟に、椿はかすかに胸が痛くなった。
(司も考えてたのね…。自分が傍にいる事でちゃんと類が気兼ねしてしまうかもしれないって事を…。だから自ら遠くへ行こうとしてる…)
司のそんな気持ちに気付き、椿は小さく息をついた。
仕方のない事だったとしても、と類のお膳立てをしたのは椿なのだ。
そのせいで弟が傷ついていると思うと、少しやるせない気持ちになった。
「ホントにいいの?お母様とあっちで暮らせば半年やそこらで戻って来れないわよ?」
「いいんだよ」
「だけど――――」
「うるせえな!いいって言ってんだろ…っ?」
司は一瞬、声を荒げ、すぐに溜息をついた。
「悪い…。つか、チケット手配してくれよ。発つのは明日でも明後日でもいい」
その言葉に椿は暫く黙っていたが、不意に頷き、司を見上げた。
「分かった…。それで私も一緒にロスへ帰るわ」
椿がそう言うと司はホッとしたように頼む、とだけ言ってリビングへと入る。
「んじゃ、ちょっくら学校行って、あいつらと話して来るわ」
「…分かった。行ってらっしゃい」
司が軽く手を振ると、椿も黙ってその姿を見送る。
司の後ろ姿を見ながら、椿は自分がした事を少しだけ後悔していた。
「――――よお、やっと来たのか」
司が学校へ顔を出すと、総二郎とあきらは呆れ顔で歩いて来た。
「丁度良かった。今からカフェテリアに行くとこだったんだ」
「司も行くだろ?」
「ああ」
司も合流して三人はカフェテリアへと歩きだす。その間も周りの生徒達から黄色い声が飛ぶ。
「きゃー道明寺さーん!昨日の試合、カッコ良かったです〜!」
「西門さーんっ!カッコいい〜」
「美作さ〜ん、今日も素敵ですー!」
カフェテリアへと歩いている間、そんな声が飛び交い、総二郎とあきらは愛想よく応えていたが、司だけは不機嫌そうに無視していた。
「そういや昨日の試合で、すでに学園中、ちゃんと類の話で持ち切りだったぜ」
カフェテリアのいつもの席に座り、総二郎が笑う。一瞬、司の口元がヒクっと動いたのは誰も気づかなかった。
「そうそう。しっかし司もやるときゃやるよな。ちゃんの事はすっぱり諦めたんだろ?」
「…おう、あたぼーよ。あんな女、類に海苔つけて送ってやるぜ」
「あのな…。それ言うなら"のし"だろ。海苔つけてどーすんだよ。おにぎりかっつーの」
司のいつものボケに笑いつつ、総二郎がカフェの入口に目を向ければ、ちょうど類が歩いて来るのが見えた。
「お、噂をすれば」
「―――類!」
あきらが声をかけ手を振ると、類は三人の方へと歩いて来た。
「何だよ、類。今頃、登校か?」
「こっち来いよ」
いつものノリで話しかける2人に対し、司だけは何故か目が細くなっている。と言うより類をジトっと睨みつけていた。
それに気付いた総二郎とあきらも僅かに顔を引きつらせると、
「司…何で青スジ立ててんだよ。お前、もういーんだろ?」
「ほら、スマイル、スマイル」
「………う…うっせぇっ」
2人のフォローも空しく、司はいきなり立ち上がると、「トイレ!」と、だけ叫び、ずんずん大股で歩いて行く。
その後ろ姿を唖然としながら見送っていると、司は前から歩いて来た他の生徒にぶつかっているのが見えた。
「てめえ、この野郎!誰にぶつかってやがる!!ぶっ殺す!!」
「ひぃぃぃっ!すみません、道明寺さ――――あぐっ…!」
「………………」
「………………」
「………………」
その理不尽な光景に総二郎とあきらは溜息をつくと、ボケっと司を見ている類を見上げた。
「ったく、しょーがねーな、あいつは…。類、いいから座れよ」
「と、ところで!夕べはどうだったんだ?」
「そーそー。それ聞いておかなきゃな」
類がイスに座った瞬間、2人が身を乗り出す。
しかし類は無表情のまま、「夕べ?」と首を傾げた。
「とぼけんなよ!」
「ちゃんとだよ、ちゃん!どうだった?もち彼女は初めてだったんだろ?」
「…ああ…」
「ああ…って感動薄いな、類!」
「くっそー。羨ましいぜ〜!」
総二郎はそう言うと、いきなり隣にいるあきらの肩を抱き寄せた。
「…"思った通り華奢な体なんだな"」
「…"やだ、もう恥ずかしい…"」
「"オレがずっと守ってやるよ…。司のバカから"…。―――なーんつって…」
「………………(面白い、この2人…)」
総二郎&あきらお得意の再現漫才を見ながら内心苦笑すると、類はガシガシと頭を掻いた。
「何もなかったよ」
「…………へ……?」
「…………は……?」
アッサリ言い切った類に、今までノリノリだった2人の顔が固まる。
「な…」
「何にも…ない?」
「うん」
「マ、マジで…シテない?」
「うん」
「う…嘘だろ…。あんな可愛い子と一晩同じ部屋にいて……エッチなし…?」
「うん」
口を開けて唖然としている総二郎とあきらを見て、類は軽く苦笑いを零すと、ソファのシートに凭れかかった。
「って言うか…ホントはよっぽど抱いちまおうって思ったんだけどさ」
「だ、だったら―――――」
「最初は…素直に反応するとこが面白くて…少し気の強いドジな妹、くらいに思ってた。でもあいつ結構いい女でさ…。こっちもマジになりそうになった時もあったし…」
「類…」
「だから夕べもホント、キスして押し倒して…このまま抱いちまえって…思ったんだけど…。何か急に歯止めがかかったっつーか…」
そこで類が軽く息をつく。その表情を見て、総二郎とあきらは互いに顔を見合わせた。
「類…お前もしかして、まだ静の事――――」
「それも少しあるけど…それはもう忘れなきゃいけないから」
「じゃあ他に何があんだよ!そこまでしておいて――――」
「オレ、やっぱり…司を裏切れないから」
類の静かな一言に、総二郎とあきらもハッと息を呑んだ。
「ガキの頃から13年間…ずっと一緒だった司をさ…」
類の真剣な顔を見て、総二郎とあきらは軽く息を吐き、ガックリと頭を項垂れた。
「そうか…そう言う事か…」
「司が完璧にちゃんを諦めるまで…お預けってやつか」
お前も損な役回りだよなあ、と総二郎は苦笑した。
「でもそれ司に言ったら逆さ踊りして喜ぶぜ、あいつ」
「だろうなあ。類にくれてやるっつってたけど、強がりだってバレバレだし――――」
2人がそんな話で盛り上がっていると、類がかすかに噴き出した。
「司にはまだ教えないよ」
「え…?」
「何でだよ」
キョトンとする総二郎とあきらに、類はニヤリと笑った。
「あいつさ、昔――――オレがすっげー大事にしてたクマのぬいぐるみ、ちぎったから」
「あ…そ、それって――――」
その話に総二郎が口を開きかけた時、司が戻って来るのが見えて言葉を切った。
「…ったく、どいつもこいつもギャーギャーうるせえつったらないぜ」
司はいっそう不機嫌になって帰って来ると、ソファにどっかり腰を下ろす。
が、その場の微妙な空気に気付き、「何だよ?」と三人を睨んだ。
「い、いや…」
「何でもねえよ…うん。ってか、トイレは済んだのか?」
「あ?トイレぇ?」
「行くって言っただろ」
何の事だというような顔で眉をひそめる司に、総二郎が苦笑する。
が、当の本人は、「トイレなんか行ってねえ」とふんぞり返った。自分でトイレに行くと言った事すら忘れているようだ。
それには総二郎も苦笑いを浮かべたが、あきらだけは何となく違和感を感じ、首を傾げた。
「んじゃ、どこ行ってたんだ?」
「…校長室」
「は?何しに…?」
何の気なしに訊いたのに、思ってもいない応えが返って来て、あきらが身を乗り出した。
「まさか、またお前、類を退学にしろって言いに行ったんじゃ――――」
「ち、ちげーよ!もう終わった話だろ、それはっ」
その話はぶり返すなとでも言いたげに、あきらの頭を殴る。
が、司はふと真面目な顔で三人を見渡し、軽く深呼吸をした。
「――――オレ、ニューヨークに行く事にしたからよ」
その一言に言葉を失い、固まった三人を満足げに見ると、司はゆっくり紅茶を飲みほした―――――。

長くなったので、ここで一区切り。微妙なとこ、原作と少し変えてみました(笑)
こちらの作品も投票処やメールフォームにて励みになるコメントを頂いております!いつもありがとう御座います!
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【メールフォーム・メッセージへのお返事】
◆ちあ様 『感想メール、ありがとう御座いました〜!いやー思わず足をぶつけたくらい喜んで頂けて良かったです!(笑)怪我などしませんでしたか?
この作品をまた一話から読み返して下さったり、書いてる方としましてはとても励みになります。
私のつたない文章で映像化されるなんて言って頂けて感激で御座いますよ〜!
今後はオリジナル多めの原作混じりで進んでいくと思いますが、楽しめるような作品を描けるよう頑張りますね! 本当にありがとうございました(^^)/』
◆shioriさま 『メールありがとう御座いました!続き気になって頂けてるようで嬉しい限りです。これからも頑張りますね!』
◆リナさま 『感想メールありがとうございました!急に花男モードな気分になりまして書けるとこまで書いております(笑)
類ファンの方にも喜んでもらえて嬉しい限りです!いや私も類、好きなんですけどね(笑)
大和まで好きになってもらえてホントに感激☆これからも楽しんでい頂けるよう頑張ります!』
【投票処コメントへのお返事】
■こちらの小説で花男に再燃しました!(フリーター)
(おお〜当サイトのドリで再燃して頂けて感激です!これからも頑張ります!)
■もうすっごく面白いです!キャラクターがみんなそれらしくて、オリキャラの大和もすごく素敵ですv(社会人)
(面白いと言って頂けてありがとう御座います!その一言が励みになっております〜!大和まで褒めて頂けるなんて感激!)