そして幕は上がった
「――――ねえ、聞いた?!あの話!」
昼休み。そんな女子生徒達の騒ぐ声で、はハッと目が覚めた。
どうやら前の授業中に居眠りをしていたらしい。机に肘をつき、頬を手で押さえていたが、いきなりの甲高い声にガクっと頭が垂れた。
(…いけない…寝ちゃったんだ…)
ボーっとした頭で教室を見渡し、すでに授業が終わっているのを確かめると、は小さく欠伸を噛み殺した。
夕べはあんな状態で一睡もしてなかった為、4時間目に入った辺りから急に睡魔が襲って来たのだ。
幸い先生には気付かれなかったみたいだ、とはホッと息をついた。
「あ…もうお昼かぁ…」
腕時計を見れば、昼休みに入ったばかりの時間。
はイスから立ち上がると、軽く体を伸ばし、廊下へと出た。
何だかあちこちから女子生徒達の甲高い声が響いているが、それはいつもの事だと気にせず歩いて行く。
(あ…そうだ…。今日はどこでお昼食べよう…)
自然といつもの方向へ歩いていたが、ふと足を止めて溜息をつく。
いつもなら売店で何か買って真っすぐ非常階段へ行くのだが、もし類がいた場合、今日はさすがに顔を合わせづらい。
(ダメだ…。今はまともに花沢類の顔、見れない。それに…振られたとはいえ、一瞬でもそうなりかけたんだし……)
夕べ、類にキスをされ、押し倒された時の事が頭に浮かび、一気に顔が赤くなる。
ついでに恥ずかしいところに触れられた感触までが蘇り、はぶんぶんと頭を振った。
(きゃー!ダメダメダメ…!!やっぱり花沢類と顔合わすなんて無理…っ!恥ずかしすぎるっ!!)
両手で頬を包めば、真っ赤になっているのが分かるくらいに火照っている。
「はあ…食欲もないなぁ…」
は屋上で風にでも当たろうと、そのまま歩きだした。その時―――――突然、「ちゃん!」と名前を呼ばれ、ビクっとなった。
「あ…大和…?」
振り返ると、大和が息をせき切ったように走って来る。
大和は時々のクラスにまで顔を出す事があった。今日もランチを誘いに来たのかと、は呆れ顔で見上げると、
「また上級生がこんなとこまで―――――」
「そ、そんな事より…ちゃん、知ってるんか?」
「……え?何を…?」
顔を合わした瞬間いきなり質問され、は戸惑い顔で眉をひそめた。
すると大和は、「皆が噂してる事や!」と慌てたように言った。
「へ?噂って…。ああ、そう言えばさっきから何か周りが騒がしかったような――――」
「…って、ちゃん知らんのかいな!道明寺クンが学校、休学してニューヨーク行く事…っ!」
「…………え…?」
「さっき急に校長室行って休学したいって言うたらしいで?」
大和のその言葉に、は唖然とした。
(何それ……。留学…って何?ニューヨークって…そんな話、何も聞いてない…)
は今朝、顔を合わせた時の司を思いだし、ぐっと拳を握りしめた。
「何やー。ちゃんにも言うてへんかったんや。――――って、ちゃんっ?」
はそのまま一気にカフェテリアに向かって走り出していた。それを見た大和も慌てて追いかけて行く。
「…ショックー!道明寺さんに会えなくなっちゃう!」
「どのくらい行ってるのかしら〜」
廊下でも騒いでいる生徒達の声に耳を傾ければ、確かに司の留学の事で嘆いているようだ。
「やーん!私もニューヨークに行くー!」
「道明寺さんがいない英徳なんて来る意味ないわー!」
あちこちでそんな事を言っている生徒達を見て、司の留学は事実なんだとは実感した。
だけど―――だから何だって言うんだろう?何で私はこんなに必死に走ってるの?別に司がどこへ行こうと、私には関係ないのに。
頭ではそう思うのに足は勝手に司の元へ向かう。は息を切らせながら、カフェテリアの中へと飛び込んだ。
「――――マジで言ってんのか?司!」
中へ入った途端、総二郎の声が響き渡り、はっと足を止める。見ればいつもの席にF4全員が揃っているようだ。
その中には類も見えては一瞬、行くのを躊躇したが、それでも気持ちを切り替えて皆の方へと歩いて行く。
総二郎達もちょうど留学の話を聞かされていたのか、かなり驚いているようだった。
「マジもマジだよ。そろそろオレも会社の事とか考えねーといけねしな」
「…ってか、すぐ帰ってくんだろ?」
「2年は帰らねえ」
「に、2年?!」
「明日の便で発つからよ」
驚く総二郎とあきらにそう言うと、司はふと類を見た。
「言っとくけど…お前のせいじゃねえからな。ババァからずっと、しつこく言われてたんだ」
「……司…」
「2年後、世界の道明寺になって帰ってくっからよ」
「司ぁ、考え直せって〜。――――あ、ちゃんっ!」
そこで気付いた総二郎が、神の助けと言わんばかりにの腕を引っ張った。
「ちゃんからも言ってやってくれよ〜!」
「………」
総二郎がを引っ張って行くと、司が無言のまま振り返る。その表情から感情は読みとれない。
は軽く深呼吸をするとゆっくり司の方へ歩いて行った。
「ほ…ほんとに行くの…?ニューヨークなんて…」
「…ああ」
あっさり応える司に胸の奥がぎゅっと苦しくなる。これまで司がどこか遠くへ行くなんて、考えもしなかったのだ。
(家でも学校でも、いつも傍にいて…顔を合わせばケンカばっかりして…そんな毎日がこれからも続くって、そう思ってた…)
司の顔を見上げながら、は何とも言えない喪失感に襲われた。
「ちゃんからも行くなって言ってよ。こいつ、言い出したらきかねーんだよ…」
何も言おうとしないに、総二郎が哀願する。だが司はそんな総二郎の頭を軽く殴ると、
「もう決めたんだよ!誰が止めようが明日、発つ」
「…あ…明日…?!司、嘘でしょ?」
そこまで決まっている事に、は更に驚いた。
「な、明日なんて…。私、何も聞いてない…。何で教えてくれないの?」
「そーだ、ちゃん、もっと言ってやれ!」
総二郎がそう言いながらを煽る。だが司は冷めた目でを見ると、小さく息を吐いた。
「何でお前に教えなきゃいけねーんだよ。邪魔もんがいなくなって、せーせーするんじゃねぇの?――――なあ?類」
と、司が類を見る。そしてに視線を移すと、
「土下座して"行かないで"とか言えば考えてやってもいいけどな」
「―――――っ」
「…司、やめろよ」
「何だよ、類。2人で仲良くやりゃーいいじゃん。オレも向こうでパツキンの彼女、見つけるし―――――」
その瞬間、カッとなったが司の頬を思い切りひっぱたいた。
パンっという渇いた音に、司も、そして他のF3も唖然とした顔でを見ている。
「ニューヨークでもアフリカでもインドでも……どこへでも好きなとこに行けばっ?」
「………っ」
「2年でも5年でも行ってくればいいじゃない!司がいなくいなってくれたら、ホント、せーせーする!」
感情的になっているの瞳には涙が溢れていた。それに気付いた総二郎、あきら、類が驚いたように目を見開く。
「……ちゃん…?」
「…………っ?」
溢れた涙が頬を伝って行った時、はハッとしたように慌てて涙を拭き、目の前の司を睨みつけた。
「い、言っとくけど、これは嬉し涙だから!――――じゃあね!…バイバイ」
一気にそこまで言うと、は踵を翻し、カフェテリアを飛び出した。その瞬間、ちょうど追いついた大和とぶつかりそうになる。
「―――お、っと…って、ちゃん…っ?何や泣いてんのか…?」
「……な…泣いてないっ」
目ざとい大和にそう言われ、は振り切るように中庭へと走って行った。
「ちょ、待ってえな!」
後ろから大和の呼ぶ声が聞こえたが、は立ち止まる事もなく走った。
涙がどんどん溢れて来て、喉の奥が痛い。
(――――どうして?どうして涙が出るの?私があんなに怒る権利なんかないのに…ただ教えてもらえなかった事が悲しくて…)
(花沢類の時は違った…。辛かったけど…選ぶ道はそれしかないと思って諦めた…。でも司が…どこかへ行っちゃうなんて考えた事もなかったから―――)
頭の中がグチャグチャで、どうしてこんなに胸が痛いのか分からない。
ただ息が切れて、呼吸するのさえ苦しくなった時、自分が無意識に非常階段へ来ている事に気付いて思い切りその場へ、へたり込んだ。
「…つ、疲れた…」
必死に走ったせいで、足ががくがくする。息が整うよう深呼吸を繰り返し、少しだけ落ち着いて来た。
「…司のせいで走り疲れたじゃない…」
汗ばんだ肌に、春の風が気持ちいい。壁にもたれながら空を見上げれば、涙は自然と引いて行った。
――――と、そこへ、中庭の方から大和が階段を駆け上がって来るのが見えた。
「やっと追い付いたぁ…」
と、フラフラしながらの隣にばったり倒れこむ。そのヨレヨレの姿には思わず噴き出してしまった。
「やだ…大和ってばフラフラじゃない…。追いかけて来たの?」
「…あ、あんなぁ…。さっきから追いかけまくってるっちゅうねん…。はあーめっちゃしんどー」
指で軽くネクタイを緩めると、大和は両手と両足を投げ出し、その場へ寝転んだ。
乱れた呼吸を整えるように息を吐く大和の額には薄っすらと汗が光っている。それに気付いたはポケットからハンカチを取り出した。
「汗、凄いよ」
そう言ってが拭こうとすると、大和は慌てたように体を起こした。
「え、ええよ…。そない可愛いハンカチ汚してもーたら悪いし」
「何言ってるのよ。また風邪引いちゃうでしょ」
はそう言いながら大和の汗をハンカチで拭く。
「サ、サンキュ…」
大和は少し照れくさそうに視線を反らしたが、「それより…」と、のその手を軽く掴んだ。
「な、何…?」
はドキっとして手を引きかけたが、大和はぎゅっとその手を握りしめた。
「さっき…泣いてたやろ?道明寺クンと何かあったん?」
「…あ…あれは…」
「また酷い事、言われたんか…?」
大和は優しい目でを見つめている。その視線にドキっとしては思い切り首を振った。
「…あ、あいつが口悪いのは今に始まった事じゃないし…」
「ほな…何で泣いてたん…?」
「そ、それは…その…」
まさか、留学の事を自分にだけ話してくれなかった事が悲しかったから、とは言えず、は言葉に詰まって俯いた。
(そう…それに司が普通に話してくれるようになったからって私のした事を許してくれたわけじゃない。さっきも花沢類の事であんな風に言ってたし…やっぱり私嫌われたんだよね)
ならいっそ離れて生活するのはいい事かもしれない、と思った。
道明寺家の養子になった今となっては、どんなに気まずくなったとしても同じ家にいれば必ず顔を合わせる事になる。
でも司がニューヨークへ行ってしまえば、気まずい思いも、無駄なケンカもしなくて済むのだ。
「ちゃん…もしかして道明寺クンがいなくなるのが寂しいんと違う?」
「…え…っ?」
大和が不意に言ってを見た。思いがけない言葉に、鼓動が一気に速くなる。
(―――寂しい…?私が…?)
は戸惑うように顔を上げ、何とか笑顔を見せた。
「ま、まさか!そんなはずないでしょ?司にも言ったけど…明日から理不尽な文句を言われなくなってせーせーするもん…」
「そらまあ…ちゃんにとっては平和になるやろうけど…」
「そうよ。やっと平和な生活が送れるんだから――――」
そう言いかけた時、階段を上がって来る足音がしてはふと振り向いた。
「……司…?」
そこには、少し息を切らした司が立っていて、は思わず立ち上がった。
「…やっぱ、ここにいたのか」
「な…何しに…」
「一応…ちゃんと別れぐらい言っとけって総二郎達にどやされてよ…」
「………っ」
(別れ…?わざわざそれを言いに…?)
その言葉に胸がズキンと痛む。目の前に歩いて来た司を見上げると、その痛みは徐々に大きくなっていった。
司は先ほどのような冷めた表情ではなく、少し気まずそうな顔をしている。それでも大和に気付くと、すぐに目を細め、不満げに睨みつけた。
「そない怖い顔せんでもええやん、道明寺クン」
司の露骨な態度に、大和も軽く苦笑いを浮かべている。司は軽く舌打ちすると、
「お前…まだコイツにちょっかい出してんのか」
「ちょ、やめて司…っ」
その険悪なムードに慌ててが間に入る。しかし大和は呑気に笑いながら肩を竦め、司を見据えた。
「サッサとちゃんを諦めてニューヨークに行く道明寺クンには、もう関係ないやろ」
「…っ…てめぇ…っ」
「オレはまだ諦めてへんから、こうしてちゃんの傍におるんや」
「―――――――っ」
挑発的な大和の態度に司はカッとなり、その胸倉に掴みかかると拳を振り上げた。
それを見たが「やめて!」と叫ぶ。
「…やめてよ、司!殴らないで…っ」
「うるせえっ!コイツとは一度ケリつけなきゃなんねえと思ってたんだよっ!」
「やだっやめて!大和は私が困ってる時、いつも助けてくれたの!お願いだからケンカしないで…っ」
「あぁ?!んなの知るか!放せよ!」
司は自分の腕を必死に掴んでいるを思い切り怒鳴りつける。しかしは首を振って真剣な顔で司を見上げた。
司と大和がすぐに打ち解けるとは思っていない。でもだからと言って、こんなケンカはして欲しくなかった。
「放せ!!」
「…嫌っ!」
「…く…っ」
強い眼差しで自分を見上げるに、司は軽く唇を噛みしめた。
は必死に司の振り上げた腕を抑えていて、決して放すまいと踏ん張っている。その姿を見て司は軽く舌打ちすると、力任せにの手を振り払った。
「…もういい」
「…つ、司…?」
不意に冷たい目で睨む司にはドキっとした。
「せめて別れぐらい言ってやろうかと思って来てやったけど…やめだ」
「司――――」
「…。オレはもう一生、帰ってこねーからな!!」
司はそれだけ言うと怒ったように歩いて行く。その後ろ姿を呆然と見ながら、は軽く唇を噛みしめた。
そんなつもりじゃなかったのに、何故いつもケンカになってしまうんだろう。そんな事を思いながら、溜息をついた。
「…ごめんな」
その時、ポンっと頭に手が乗せられ、振り返れば大和が困ったような顔で立っている。
は軽く首を振ると、いつもの笑顔を見せた。
「何で大和が謝るの?悪くないのに」
「いや…オレも軽く挑発してもーたし…。あかんなぁ思うねんけど道明寺クン相手やと、つい余計な口、叩いてまうねん」
「それは司が最初にケンカ売ってるような言い方するからでしょ?いいよ、もう。あいつなんかニューヨークでもどこでも行っちゃえばいいのよ」
「でも、もう二度と戻ってこない言うてたやん…?ほんま、ごめんな」
(――――――もう二度と…帰って来ない…)
大和に言われたその一言にハッとしたように、は目を伏せた。でもすぐに顔を上げると、「いいの、ホントに」と明るく笑う。
「思い返せば司にはいっぱい振り回されてばっかりで…。これでゆっくり習い事とか勉強にも集中出来るってものよ」
そう言っているは、無理に明るく振舞っているように見えて、大和は軽く息をついた。
しかし大和にもこの問題はどうする事も出来ない。
(まさか…道明寺クン自らニューヨークに行く言いだすとはなあ…。あのオバはん、どうする気や?とりあえず電話だけしとくか…)
司が発つのは明日。今後どうなるか見ものやな、と大和は乱れた前髪を軽く掻き上げた。
同時に午後の授業開始を告げるベルが鳴り響く。は慌てたように時計を見ると、
「いけない…。次の準備してなかった」
「ほな、急いで戻り」
「うん。大和は?」
「オレは…もう少しここにおるわ。午後は体育やねんけど今はそんな体力あらへんから」
「あー。さっき走りまわったせい?なら昼寝してれば?ここ、結構ポカポカして良く眠れるって花沢類が良く言ってるし―――――」
はそこでハッとしたように言葉を切ると、「じゃ、じゃあ私、行くね」とだけ言って急いで校舎へと戻って行く。
大和は苦笑交じりでそれを見送りながら、再びその場に寝転がった。
「…"花沢類が"ねぇ…。ま、ここは彼の特等席やからなぁ…。―――オレとしては……はよ忘れて欲しいわ」
見上げれば、少し傾いた太陽の日差しが目に沁みて、大和はゆっくりと目を瞑った。
翌日―――司を見送る為、類と総二郎、そしてあきらの三人は成田空港へと来ていた。
「んじゃ元気でな、司」
「おお」
「今度帰って来る時はアメリカかぶれしてっかもなあ」
総二郎とあきらはそう言いながらも寂しそうだ。
そこへ荷物を預けて椿が戻って来た。
「司ってあんた達三人と離れるの初めてじゃない?」
「そーいや、そーだな。でもオレ、司と離れるより姉ちゃんと離れる方が寂しいかも」
「ニューヨークに司送ったら、ロスに帰るんだろ?」
「まあねえ、ちょっと遊んでからね」
椿はそう言いながら、ふと司の方へ振り向いた。
「そうだ。あんた、ちゃんにお別れ言ったの?せっかく夕べのディナーをセッティングしたのに、あんた来ないんだから」
「……っうるせえな!どうでもいいよ、あんなドブス!!」
「「………姉ちゃん、それ禁句…」」
の事を持ち出され、いちいち反応する司に、総二郎とあきらも顔が引きつる。
しかし類だけは無言のまま、司を見ていた。
「あ、もう時間よ。そろそろ行きましょ、司」
腕時計を確認し、椿が搭乗口へと歩いて行く。司もその後から行こうとしたその時、類が「司」とこの日初めて声をかけた。
「あ?何だよ、類」
「ちょっと」
類はそう言いながら手招きをしている。司は軽く息を吐くと、「何だよ…」と仏頂面で歩いて行く。
そんな司の耳元に口を寄せ、類は何やら囁いた。
「…って事だから」
「な…っ?!」
司の顔が一気に強張り、すぐに真っ赤に染まって行く。何事かと総二郎達も首を傾げたが、そこで椿がイライラしたように戻って来た。
「何してるの!早く来なさいよっ」
「……っ……っ」
口をパクパクさせ、何かを言おうとしている司の腕を、椿は無理やり引っ張って行く。
そんな2人に類は笑顔で手を振った。
「何か司の奴、金縛りにあってたけど、どうしたんだ?」
「おい、類…。お前、司に何言ったんだよ」
総二郎とあきらは訝しげな顔で問いかける。類はニコニコしながら搭乗口を指差し、
「多分、司すぐ戻って来ると思うよ」
「えっ?あ!お前、まさか、あの話――――――」
総二郎の驚く顔を見ながら、類は笑顔でピースを見せる。それには2人も苦笑するしかない。
「今日に限って一般ジェット機…こりゃ他の客にも影響でるな…」
「ああ…。あの猛獣抑えるにゃ、相当苦労すんだろうし…クルーの皆さんには同情するぜ…」
物騒な事を言いながら、出口へと歩いて行く。が、その後ろから歩いて来た類がふと顔を上げ、
「もしかしたら暴れすぎて墜落、とかしたりして」
「……………」
「……………」
そのシャレにならない類の一言に、総二郎とあきらが、青い顔で空を見上げれば―――今まさに司を乗せたジェット機が、大空へと飛び立っていくのが見えた。
そしてその頃、三人の不安は――――現実のものとなっていた。
『――――あの夜、とは何もなかったんだ。オレはあいつを抱けなかった。今日まで教えなかったのはヌイグルミのしかえしだよ』
「…く…っ類…」
『…あとオレの勘だけど……も司のこと、ホントは好きなんじゃないかな。本人が気付いてないだけかもよ』
「あの野郎…………。――――やりゃあがったなぁ…っっ!」
先ほど、類に耳打ちされた言葉を一つ一つ思い出し、ついに司の怒りが頂点に達した。
突然ベルトを外し立ち上がった司に、隣で雑誌を読んでいた椿もギョっとしたように顔を上げる。
「…司?どうしたの。まだ座ってなきゃダメ―――――――」
「うるせえ!ニューヨークなんかやめだ!おろせっ!止めろぉ!!!」
いきなり叫び出した司に、椿の顔から血の気が引き、CA数人が慌てたようにすっ飛んで来る。
「お客様!危険です!お座り下さい!!」
「うっせえ、ブス!!オレは道明寺司だぁぁ!この飛行機を止めろ!!」
「ちょ、司?!大人しくしなさい!!」
「類だけは一発殴らねえと気が済まねえ!いいから早くオレをおろせー!!」
椿も慌てて立ち上がったが、司は完全に頭に血が上っているのか、スタッフ達を押しのけ歩いて行く。
それを見た椿は、担当のCAに「ロープとガムテープ持ってきて!」と叫んだ。
「ロ、ロープ、ですか?!」
「こいつ、一度暴れ出したら猛獣と一緒なのよ!人間と思わないで、早く!!」
とても実の姉の発言とは思えない事を言いながら、椿は男性スタッフにも司を取り押さえるよう頼んだ。
この非常事態を聞き付け、すぐに男性スタッフが飛んでくる。
しかし数人がかりで司の体を抑え込もうとすれば蹴りやパンチ攻撃に合い、ついでに罵声が機内中に響き渡った。
「オレにこんな事していいと思ってんのか?!こんな航空会社なんてひとひねりにしてやる―――――んぐっ」
その時、僅かな隙を見つけ先ほどよりも倍の数の男性スタッフが飛びかかった。同時に椿が司の口をガムテープで塞ぐ。
全員の連携プレーで見事、猛獣を確保(!)ではなく、司の拘束に成功した。
「ったく、世話の焼ける…」
司の両手両足までもを縛り上げると(!)椿は肩で息をしながらグッタリと席へ凭れかかった。
「本当にありがとう。このお礼は後日改めて」
椿がファーストクラスのスタッフにそう声をかけると、皆が一様に困惑した表情で、笑顔を引きつらせている。
例えどんな理不尽な客でも、相手は道明寺財閥の御曹司だ。その司をロープで縛りあげ、座席に転がしている姉の強さに、内心ビクビクしていた。
「で、では只今お飲み物をお持ちいたします」
今の騒動で疲れた様子ながらも、そこはプロとして仕事を再開し、スタッフ全員が自分の持ち場へと戻って行く。
それを見ながら椿は後ろの座席で、うんうん唸っている司を睨んだ。
「…諦めてニューヨークへ行きなさい。ホント往生際が悪いんだから」
そこへサービスのシャンパンが運ばれて来て、椿はやっと一息つくと、気を取り直して再び雑誌へと目を向ける。
司の拘束は当然…長時間、解かれる事はなかった……。
司がニューヨークへと旅立ったその当日、英徳学園のあちこちで、涙声が聞こえた。
「もう…信じられない…道明寺さんが行っちゃうなんて…」
「お昼の便だって…。もう行っちゃったかも…」
泣きながら、そんな事を言いあっている女子生徒を眺めながら、はランチを取る為、廊下をゆっくりと歩きだした。
F3の皆も今日だけは司の見送りの為、学校を休んでいる。そのせいもあってか、妙に校内が暗いムードに包まれているように見えた。
「…さん」
と、屋上へ続く階段の手前で呼ばれ、はドキっとしながら振り向いた。
そこには以前、に文句を言ってきた女子生徒の中の一人が涙目で立っている。
そう、確か隣のクラスの生徒だ。この前とは違い、今日はその女の子だけだった。
"―――――道明寺さんの好意で家に置いてもらってるクセに、2人を騙して傷つけるなんて最低!"
連休明け、学校に来た時そう言われた事をは思い出した。あの時は類がかばってくれたのだ。
そんな事まで鮮明に思い出され、かすかに胸が痛んだ。
「…今度は何…?」
あまり相手にする気にもなれず、素っ気なく応える。
その女子生徒は潤んだ瞳で真っすぐにを見ると、「見送りに…行かないの?」と一言、言った。
「え…?」
「もう2年は会えないのに」
その子はさっきまで泣いていたのか、目が真っ赤に充血していた。
(そっか…。この子は司の事…)
だからあんなに怒ってたんだ、と今更ながらに気付き、は溜息をついた。
「――――行かないわ」
そう言って屋上へと歩きだす。今は誰とも話したくない気分だった。
「私…!さんは道明寺さんの事、好きだと思ってた…!」
突然、背後からそんな言葉をぶつけられ、は思わず振り向いた。
「…っ?な、何で私が――――――」
「花沢さんを選んだって聞いても…本当は道明寺さんの事、好きだって…思って…」
「…………っ」
「あなたしか道明寺さんを引きとめられる人はいないのに…!どうして…?!」
その女子生徒は、そう言ってその場に泣き崩れた。はそれ以上、何も言えず、そのまま屋上へと出る。
外は、少しだけ湿った風が吹いていて、春の終わりが近い事を告げていた。
(引きとめる…?私が…?)
空を見上げながら、今言われた言葉の意味を考える。
そんな事、考えた事もなかったは、少しだけ動揺していた。
(引きとめるなんて…そんな気はおきなかった…。ただ少し寂しいだけで…)
そんな事を考えていると、司との日々が脳裏に浮かんだ。
道明寺家、そしてこの学園に来てから、色んな事があったなあ、とシミジミ思う。
最初に道明寺家に行った日の事は今でもよく覚えている。
あの日から特に付き合いもなかった親戚、しかも大財閥の家に住む事になった私は、楓おば様に会うのでさえ、ひどく緊張していた。
そして突然、帰宅した跡取り息子。ひときわ輝くモデルのような美少年集団。
最初の出会いは最悪だった。私がお風呂に入ってたとこへ司が乱入してきて、思わずお風呂のお湯をかけたんだっけ…。
「…ぶ…っ。あの時の司の顔ってば…今思い出しても笑っちゃう…」
いきなり怒鳴りつけて来る司が怖くて、ただ心細くて。
このままずっと、居候!なんてなじられて惨めな生活を送るのかと思うと凄く怖かった。
「あの頃はただ司の事が嫌いで…近寄りたくもなかった…。―――こんな風になるなんて思いもしなかったな…」
そう…ここに来る前の私は…ただの弱虫な女の子だった。
上辺だけの友達を失くしただけで…この世でたった一人ぼっちだなんて思ってしまうくらい…弱虫で、非力な。
心の中で変わりたいと叫びながら…どうする事も出来ないダメな子。
でもそんな私を変えたのは――――あいつなのかもしれない。
「…あの飛行機かな…」
ふと顔を上げれば、遥か遠くにジェット機が飛んで行くのが見えて、はふと笑みを浮かべた。
「椿さんを困らせてなきゃいいけど…」
まさか本当に困らせているとは思いもせず、は苦笑いを浮かべる。
ロスに帰るから、と、椿がレストランでのディナーを誘ってくれたのは夕べの事だった。
"困った事があればすぐに電話してね。飛んで帰って来るから。それ以外でも連絡ちょうだいね。ちゃんは私の可愛い妹なんだから――――"
そう言ってくれた椿の優しさに、は胸が熱くなった。
一人っ子で育ったせいか、何でも一人でこなして来たにとって、誰かを頼れるというのはとても心強い事なのだ。
「…私も椿さんや司に負けないように…勉強と習い事、頑張らなくちゃ…。恋愛なんかしてる場合じゃないもんね」
飛行機が空の彼方へ姿を消したのを見届けると、は思い切り両腕を伸ばし、そう呟く。
その顔は、何かが吹っ切れたような、そんな晴れやかな表情だった。
その頃、ニューヨークでは――――
「…ったく…。あんなに恥ずかしい思いしたの初めてよ。もう二度と司とは乗らないから。――――って、司、聞いてんの?」
「…あ?ああ…わーってるよ、るせえな…。だいたい7時間以上縛り上げやがって信じられねえ空港会社だぜ」
「それ言うなら航空会社ね…。っていうか司がバカみたく暴れるからでしょ?ありえないわ、ホント。我が弟ながら恥ずかしいったら」
「るせえっ。人を猛獣扱いしやがって…。おかげで体中が痛てぇっつーの!」
「最後は解いてあげたでしょ?それにサービス料より高い迷惑料まで払ってあげたんだから感謝くらいしなさい」
椿はブツブツ文句を言いながら、運ばれてきたコーヒーを飲む。
今はニューヨーク、マンハッタンにあるホテルのラウンジに到着し、休んでいるところだ。
司もさすがに7時間近くも拘束されていたせいで、類への怒りも萎えたのか、とんぼ帰りをする元気もない。
椿に言われるまま、今夜宿泊するホテルへと連れて来られてしまった。
「そう言えば…今頃…日本にいる皆は何してるのかしらねえ…。こっちが昼過ぎだから…日本は真夜中か…」
ふと椿が外を眺めながら呟く。同時に、司の脳裏にはの笑顔が過っていった。
「あ、そうだ。私これからティファニーで買い物してくるから、あんた…って、ちょっと、聞いてるの?司」
「え?あ…」
ボーっと外を眺めている司に、椿が呆れたように溜息をつく。
司は頭の中にある面影を振り払うようにコーヒーをがぶ飲みすると、「で?何だよ」と無理やり笑顔を作った。
「…はあ。あのね、私これから買い物に行ってくるから別行動しましょ」
「…は?」
「お互い夜まで遊んでホテルで合流すればいいじゃない。明日には家に向かうんだし。ほら、行くわよ」
「な…」
司が唖然としている間に、椿はサッサと支払いを済ませ、店を出て行く。
司も慌てて追いかけ外へ出れば、椿はすでにタクシーに手を挙げていた。
「お、おい姉ちゃん…!可愛い弟を見知らぬ街に一人置いて行くのかっ?!」
「あら、見知らぬ街じゃないじゃない。前にも何度か来てるでしょ」
「ガキの頃の話だろ!それに、あん時はタマとかが一緒だったじゃねえかっ」
「何言ってるの。こっちで生活するって決めたなら街くらい一人で覚えなさいよ。私よりは下手でも英語なら話せるでしょ?」
椿はそう言ってサッサとタクシーに乗り込み、「じゃあ後でね〜」と笑顔で手を振り、そのまま走り去って行く。
司はその場に取り残され、唖然とした顔でそれを見送っていた。
「…ってか、ここどこだよっ!」
今いる場所すら分からず、司は辺りをキョロキョロと見渡した。
さすがニューヨークというだけあり、街を闊歩する人達も色んな人種が混ざり合っている。
司はとりあえず歩きだしながら、話しかけやすそうなタイプの人間を探していった。
すると、目の前からメガネをかけた真面目そうな男が司の方へ歩いて来る
目ざとくそれを見つけた司は、そのメガネ男の方へとずんずん歩いて行った。
「おい、外人!」
"ここじゃお前が外人だよ!"と、もし総二郎かあきらがいれば確実に突っ込まずにはいられないような一言を吐いて、司は男を呼びとめる。
そのメガネの男は愛想よく、司の方へ笑顔を向けた。
「ここからメープルホテルは近いか?」
いきなり日本語で質問しても、相手には全く通じない。英語でペラペラ返され、司は聞きとる作業にすらイライラしてきた。
もちろん英語も話せるし聞きとれるのだが、暫く使っていないと脳内の切り替えがスムーズに行かない事がある。
今の司もまさしくその状態だった。
「あーもっとゆっくり、しゃべりやがれっ」
人当たりのいい笑顔を見せながらペラペラ話し続けるメガネ男にウンザリしつつ、司はサンクス、とだけ告げると、てっとり早くタクシーを探した。
そのまま少し歩いて行くと、周りが黒人だらけの場所に出る。そこはストリートダンサー達が集まる広場らしかった。
あげく踊っているドレッドヘアーの黒人たちが、司を見かけるたび、明るいノリで話しかけて来る。
「Same hair!Same hair!」
「はあ?何が同じ髪だって――――」
「Friend、Friend!」
「何が友達だ!オレは天下の道明寺司――――ええい、なれなれしい奴らめっ」
黒人数人に囲まれた司は、肩を抱いてくる男に思い切り怒鳴りつける。
しかし相手は全く動じず、音楽を鳴らしながら司に踊ろうと誘っているようだ。
そのニュアンスは分かるのだが、司はそんな事をしている暇はない、とばかりにその男を振り切ろうとした。
だがその時、ふと近くにある売店に目が行った。何か見覚えのある顔が視界に入った気がしたのだ。
「…あれは…」
ダンサー達に、「Later…」と告げ、解放された司は、フラフラとその売店へ歩いて行く。
そして先ほど視界を掠めた雑誌を見つけ、思わず手に取った。
「あの野郎…表紙なんか飾りやがって何さまだぁ?」
それは司も良く知る経済誌だった。司もこの雑誌には何度も載った事がある。
しかし今は他の、それも司の嫌いな顔がデカデカと表紙になっていて、思わず手の中でグシャリと握りつぶした。
その瞬間、売店の売り子である老婆が、ものすごい剣幕で文句を言ってきた。
「あーあーうるせえババァだなっ!タマみたいな顔しやがって…。What?!OH…OK!OK!買えばいーんだろ?」
司はポケットから何枚か札を出すと、売店のおばさんへと渡す。その多さに老婆は急に態度を変え、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「チッ。それで文句ねえだろ?これもらってくぜ…。――――っつーか何でオレがこいつの載ってる雑誌なんか買わなきゃならねーんだよ…」
ブツブツ言いながら雑誌を受け取ると、そのまま近くのベンチへ腰をかけた。
目の前の広場では先ほどの外人たちが楽しそうに踊っている。
「…ホント陽気な奴らだぜ」
司に気付くと色んなダンサー達が手を振って来るが、司は苦笑交じりにそれを軽く交わしながら手の中の雑誌を眺めた。
「けっ…。澄ました顔で写ってやがる…。どんなツラ下げてインタビューに応えてんだ?あいつは…」
指で写真を弾き、面白くなさげに呟く。だが表紙に飾られた文字列の中に気になる一文を見つけ、司は訝しげに眉を寄せた。
「えっと……"I Announcement the Fiance late this week"…。っつー事は……」
久しぶりに英文の記事を読んだせいで意味を理解するのに暫し時間がかかる。
だがそれを理解した瞬間、司は「はあ?!」と叫んで雑誌を開いた。
「これか…」
今月号の特集を組まれていた目的の記事を見つけると、今度は頭をフル活動させて、それを読んでいく。
少し時間はかかったが、それでも記事の内容を把握した時、雑誌はさっき以上にグシャリと潰された。
「……あんの…野郎〜〜〜っ!!」
司は手を震わせながら立ち上がると、「こうしちゃいられねえっ」と叫び、大通まで走って行く。
「おい、タクシー!!」
タクシーを止める為、思い切り手を振れば、すぐに一台の車が目の前に停車する。
その時、不意に司の携帯が鳴りだし、軽く舌打ちをした。
「…クソババァ?ったく、こんな非常事態の時に何の用だ…」
携帯の表示名を見て徐に顔をしかめる。おおかた司がニューヨークへ来た事が耳に入ったんだろう。
出ればまた、あれやこれやと説教されるかもしれない。
司は特に気にするでもなく、携帯をそのまましまうと、目の前に止まったタクシーへと乗り込んだ――――。
「明日の土曜、午後6時に六本木のメープルホテル新館に来てもらえるかしら」
前日の金曜日。急きょ帰宅した楓に呼び出されたは、いきなりそう言われて少しだけ驚いた。
しかし楓が帰国した際は良く大きなパーティに呼ばれている為、今日の事もその一つだと特に深く考える事もなく、すんなり了承した。
「わ…素敵…」
楓から「明日はこれを着てくれる?」と渡されたドレスを身につけたは鏡の前へと立ち、思わず笑顔になった。
シックな黒のドレスは胸元が大胆に開いていて、ひざ丈とはいえ、両サイドに軽くスリットが入っている。
髪もドレスに似合うようアップにされ、メイクも普段より大人っぽい雰囲気に仕上がっていた。
「まあまあ、とても綺麗で御座いますよ、お嬢様。若かりし頃の私を見てるようですねえ」
着付けを手伝ったタマも、鏡に映るを見て、楽しげに笑う。(ここに司がいたら猛烈な抗議がきそうだ)
他の使用人達もタマの発言に微妙な表情を見せながら、のドレスアップした姿に、「とてもお似合いですわ、お嬢様」と嬉しそうに言った。
「司坊ちゃんが見たらきっと見惚れるでしょうねえ。もう少し行くのを引きのばせば良かったのに」
「な…何で司が…。あいつは今頃ニューヨークでハメ外してるわよ。おば様が日本に帰ってるんだからお目付け役もいないし」
それを聞いてタマは苦笑しながら、「まあ、そうかもしれませんね」と言って、ふとを見上げた。
「ところで…奥様は何で司坊ちゃんがせっかくニューヨークへ行ったのに入れ替わるように急きょ、帰国したんです?」
「さあ…?私もそう思ったけど聞けなかったわ。おば様忙しそうで、私と話した後はすぐに出かけられたし…」
「そうですか。じゃあ今日ホテルで何のパーティがあるかも聞いてないんですか?」
「それが…おば様は何も教えてくれなくて。行けば分かるわよって言うだけで」
「…そうですか。おかしいですねえ…」
タマはそう言いながら、出かける用意をしているを見た。
今まで公の場に楓自らを連れて行った事はない。なのに急に帰って来たかと思えばを着飾らせ、それが何の為だか教えてくれないと言う。
あれほど司をニューヨークに呼びたがっていたはずなのに、司が行った途端、それを放ってまで帰国したのはタマも少々気になっていた。
(…まあ今回は坊ちゃんが勝手にニューヨーク行きを決めたんだし、奥様のスケジュールの都合がつかなかったのかもしれないが…少し気になるね…)
タマは使用人達に褒められ、恥ずかしそうにしているを見つめながら、後で椿に連絡してみよう、と考えていた。
「じゃあ行ってきます、タマさん」
「ええ、お気をつけて」
は用意されたリムジンに乗り込み、タマへと手を振った。静かに車が動き出し、はシートへと身を沈め、軽く息をつく。
司がニューヨークへと発ってから三日。は毎日、学校が終わった後で習い事をしに行き、夜は遅くまで外国語の勉強をしていた。
少し寝不足だったが、忙しくしていれば余計な事は考えないで済む。類の事も、やけに静かになった家に一人でいる寂しさも――――――
(あいつがいないだけで家があんなに静かになるのね…)
もちろん使用人はいるのだが、司がいなくなってから屋敷の中は妙に静かで、は時々、あの家にたった一人ぽっちでいるような、そんな気持ちになる事があった。
(そっか…。このリムジンも広く感じるのは、あいつがいないからなんだ…)
ふと隣を見て溜息をつく。そこは司の指定席で、いつも偉そうにふんぞり返っていたのを思い出す。
広い後部座席に、こうして一人で乗っていると、司はもういないんだ、と嫌でも実感させられる。
「…なんてバカみたい。やっと落ち着いて生活出来るようになったのに…」
気付けば、あちらこちらで司の存在を探している気がして、は自嘲気味に笑った。
(今は余計な事を考えている暇はない。少しでも多く色んな事を学んで身につけ、将来は絶対おば様の役に立てるような大人にならなきゃ…)
そこでふと、明日の苦手な茶道を、教えてくれるという総二郎との約束を思いだした。
習い事の中で、茶道の先生だけはが苦手なタイプの人で、なかなか上達しない、と愚痴を零した時、「オレで良ければ苦手なとこ優しく教えてあげようか?」と総二郎が言ってくれたのだ。
F4きってのプレイボーイではあっても時期家元の助っ人は頼もしい、とはその申し出を喜んで受けた。
「えっと…明日の午後3時に西門さんの家だっけ…」
携帯に入れた連絡先を確認し、忘れないうちにスケジュール機能に時間を入れておく。
総二郎との約束は午後だが、明日は朝から生け花の先生が来る事になっている。
今日のパーティがあまり遅くならなきゃいいな、と思いながら、は窓の外を眺めた。
司がニューヨークに行ってからも、F3との交流は続いていた。
と言って、今はの方が忙しい事もあり、普段はランチを取る時くらいしか三人と会う時間はない。
類も普通に接してくれるし、総二郎やあきらも事情を知っていてもそれに触れて来る事はなく、には居心地のいい関係になりつつあった。
それでも時折、三人が司の話題で盛り上がってるところを見ると、その中にいるはずの存在を嫌でも思い出してしまう。
最後はケンカ別れのままだった事もあり、はその事を少しだけ後悔していた。
「お嬢様、ホテルに到着いたしました。思っていたほどの渋滞はなく少し早めになってしまいましたが」
「あ…ありがとう。いいわ、ロビーで待ってるから」
運転手にお礼を言って降りようとしたその時、ホテルのボーイが車のドアを開けてくれた。
は少し気恥ずかしい気持ちになりながら車を降りると、支配人らしき人が歩いて来てへ頭を下げる。
こんなに仰々しく出迎えられ、までがつい頭を下げそうになった。
「お嬢様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。ご案内致します」
「あ、はい。あの…楓おば様は…」
「社長はまだお見えではありません。多分お時間ピッタリに来られるかと…」
「そ、そうですか…」
が早く着いてしまったのだが、楓がまだ来ていない事を知り、少しだけ心細くなる。
先に来ている知らない人達ばかりのところへ一人で行くのは嫌だな、と思いながら、案内されるまま支配人の後からついて行った。
――――――だが、次の瞬間、支配人の言った一言に、は唖然とした。
「ああ、それと――――――司坊ちゃんも今ご到着され、控室にて着替えておられます」
「……え?」
あれこれ考えていたせいで、つい聞き間違えたんだと思った。
けどその事を確かめる前に支配人はある部屋の前で止まり、「こちらが桔梗の間で御座います」と、その大きな扉を開ける。
「こちらでお待ち下さいませ」
さっきの事を訊く間もなく、支配人はを部屋の中へ案内して、すぐに行ってしまった。
その場に取り残されたは入り口前で困ったように立ちつくしていたが、ふと辺りを見渡し、そこに誰もいない事に驚いていた。
「な、何で誰もいないの…?今日はパーティなんじゃないの…?」
無駄に広い部屋を進みながら、あちこち見て回る。が、どこを探しても誰もいない。
しかし奥のダイニングスペースには料理のセットがされているのだから誰かは必ず来るんだろう。
それを見る限りでは少なくともの他に8人は来る事になっているようだ。
「…8人分のセット…?何か中途半端な人数だけど…ホントにパーティなのかな…」
とは言え、楓にパーティだと言われたわけではない。
このドレスを見た時、タマが「何のパーティなんです?」と聞いて来たから何となくそうだと勝手に思ってたのだ。
「もしかして…違うのかな…」
少しだけ不安になりながらも、時計に目をやる。少し早く着きすぎた為、6時までにはあと20分ほどあった。
「そう言えば…さっきあの支配人、司って言った気がするんだけど……聞き間違いかな…」
ふと思い出し、溜息をつく。現にこの部屋には誰もいないし、ニューヨークへ行った司がこんな場所に来るはずもない。
(はあ…ここ最近、気付けば司の事を考えてるから、きっと聞き間違えたのね…。一瞬驚いたけど…)
そう思いなおし、部屋の中をぷらぷらと歩く。慣れないヒールを履いているせいか、少しだけ足が痛い。
なるべく不自然にならないよう、普段から高いヒールを履く練習はしているが、今日のは特別高くて、すでに疲れて来た。
「皆、こんなの普通に履いて良くパーティなんか行けるなあ…」
財閥にとってパーティはなくてはならないもの、と楓から教えられ、招待された時の為の習い事もしているが、はどうも華やかな場が苦手なようだ。
それもこれも英徳でお嬢様に囲まれ、色々と嫌な部分を見せられたからかもしれない。
「はあ…何かおば様が来るまでに疲れちゃいそう…」
はそう言いながら、目の前にあるソファへと腰を下ろす。が、次の瞬間、廊下の方から騒がしい声が響いて来て、ドキっとした。
「――――なせってんだよ…!!てめえら全員クビにするぞっ!!」
「――――っ?」
その声に驚き、は慌てて立ち上がると、ドアの方へ歩いて行く。
聞き覚えのあるその声は、少しづつのいる部屋の方へ近づいているようだった。
「お願いですから、お静かに――――」
「は・な・せっっ!ぶっ殺すぞ!!だいたい、こんなもん無理やり着せやがってオレをどうしようってんだ?!」
「と、とりあえず、こちらでお待ちを…!先にお嬢様も来てらっしゃいますので――――」
そんな会話がすぐ近くで聞こえたかと思うと、あの大きな扉が再び開く。
はその光景を唖然とした表情で見つめていた。
「ああ?いったい誰が来てるって――――」
扉が開いた事でその怒鳴り声が直に耳へ響く。――――いや、最初に聞こえた時から、それが誰のものなのか、分かっていた気がした。
「な………っ?何でお前がここに――――」
は、目の前に立っている、ここにはいないはずの人物を見て、思い切り固まった。
「では司坊ちゃん。お嬢様とこちらでお待ち下さい」
今の今まで司を拘束していたボディガードは、を見て急に大人しくなった司をアッサリ解放し、部屋をでて行ってしまった。
いきなり2人きりにされ、司は気まずそうにしていたが、は何故ここに司がいるのかすら理解出来ず、徐々に目が半目になって行く。
「お、おう…ひ、久しぶり…だな」
頭を掻きつつ、そんなベタな挨拶をする司に、は深々と息を吐き出した。
「何で司がここにいるの?ここ、日本だけど」
「あ?何でって…帰って来たからいるに決まってんだろ」
「答えになってない。だいたいニューヨーク行ったのって三日前だよね。確か行く前、二度と戻らねえとか言ってなかったっけ」
の強気の攻めに、司もぐっと言葉が詰まる。
そもそも、どこから話していいのか分からず、司は溜息交じりでソファに座ると、目の前に立つを見上げた。
「……聞いたんだよ。類に…」
「え…?」
「ニューヨークに発つ直前……」
「…聞いた…って…何を…?」
「だから…」
気まずそうに視線を反らす司に、は訝しげな顔で詰め寄る。司は頭をガシガシ掻きつつ、ふとを見つめた。
「お前が…類とは何もしてねえって事…」
「…………っ?」
それがあの夜の事を言ってるんだと分かり、は顔が真っ赤になった。
「だ…だから何…?それと司が戻って来た事と何が関係ある――――」
「大ありだろが。ったく…。もっと早く類が教えてくれてりゃ、ニューヨークなんか行かなかったのによ…っ」
「…はあ?」
「行く直前に言いやがるから下ろせって言ったんだけど無理やりニューヨークまで連れてかれちまったし…だから着いてその日のうちに戻って来たんだよ」
「な……」
あっけらかんと言い放ったが、司のその行動力にはも唖然とする。
じゃあ何しにニューヨークまで行ったんだ、と言いたくなったが、その前には気になっていた事を口にした。
「理由はともかく…司が戻って来た経緯は分かったけど…。でもじゃあ何で今日ここに来たの?それもそんなスーツなんか着ちゃって」
司はアルマーニのソリッドブラックスーツを見事に着こなしている。長身だから余計に似合っていて、まるでモデルのようだ。
の目から見ても悔しいけどカッコいい、と思うほど、その姿はさまになっていた。
しかし司は窮屈そうなネクタイを軽く指で緩めると、の格好を見上げ、かすかに頬を赤くした。
「あ?そりゃお前もだろが。何だよ、そのドレス」
「こ、これはおば様がくれて――――」
「オレもだよ。今日、帰国して早々、ババァのボディガードに拉致られてよ…。ここに連れてこられたかと思えば大人数でこんな格好させやがって」
司はそう言いながら不機嫌そうに目を細める。だがはそれを聞いて更に疑問が沸いた。
「じゃあ…司もおば様に呼ばれたって事…?」
「まあ…電話で話しただけだけどよ。オレがニューヨークに行くってババァには話してなかったし」
「えぇ?じゃあおば様は司がニューヨーク行ったの知らなかったの?」
「おう。どうせ向こうに行きゃ会うんだし、いちいち言わなくてもいいと思ってよ」
「な…何それ…。じゃあおば様は司が急にニューヨークに行ったから驚いてたんじゃ…。だって入れ違いでしょ?」
「ああ、帰るのに向こうの空港ついた時、ババァがしつこく電話かけてきて、すげー剣幕で日本に戻って来いとか言いやがるから、今から帰るっつって切ったんだけど、成田ついたらいきなり拉致だよ」
はその話を聞いて思い切り溜息をついた。
もしかしたら今日のこの会も司と一緒にと予定していたのかもしれない。
なのに司が勝手に日本を離れた事で予定が狂った楓は、仕方なくそんな強引なやり方をしたのだろう。
「はあ…ホント司って人騒がせ…」
「あぁ?どういう意味だよ。だいたいオレが戻って来てやったんだぜ?もっと嬉しそうな顔しろってんだ」
「何言ってんの?!散々怒って勝手に決めて行ったクセに!」
「だ、だからそれはお前と類が…!そ、その…アレだと思ったし邪魔しねえように……っつーか決めたのはオレなんだから戻ってくんのだってオレの勝手じゃねえかっ」
司は相変わらず理不尽な事を言うと、そこで改めて室内を見渡した。
「んで…今日は何だよ。家族でディナーってか?」
「わ、私にも分からないの…。ただ今日の6時にここへ来てって言われて…。てっきり何かのパーティに呼ばれたんだと思ったんだけど」
「ふーん。で、そのドレスってわけ」
司はそう言って立ち上がると、の方へ歩いて行った。
それにはもドキっとして一歩だけ後ずさる。
「…な、何よ…」
目の前に立ち、じっと見下ろして来る司に、は顔が赤くなった。
良く考えれば、司とこんな風に向き合うのはあのバスケの前日、家の前で会って以来、久しぶりなのだ。
類の事で傷つけた事もあり、は未だ司の目を真っすぐ見れずにいた。
だが司はどこか優しい眼差しでを見ると、
「…似合うじゃん」
「……え?」
「そのドレス…。すげー可愛い」
「――――――っ」
突然そんな事を言われ、は一気に顔が赤くなるのが分かった。
司もかすかに頬を赤くしつつ、「ま、ババァが選んだっつーのは気に入らねえけど…」と笑い、そっとの頬へ手を添える。
その感触にドキっとして顔を上げると、司は真剣な顔でを見つめていた。
「…メイク…してんだな」
「う…うん…あの…皆がドレスに合うようにって…」
頬に添えられた手の熱さで鼓動が勝手に早くなっていくのを感じながら、は僅かに目を伏せた。
「そっか…」
司はそう呟きながら、頬からその手を離す。
が、がホッとしたのもつかの間、今度は口紅を塗った唇に司の指が触れ、ビクっと肩が跳ねた。
「…何か…やらしい色だな、これ」
「……な…何言って…」
カッと頬が熱くなり、は顔を上げて文句を言おうとした。その瞬間、至近距離で司と目が合い、言葉が途切れる。
唇に触れた指の感触と、司の熱を持った瞳に、は顔全体が熱くなってきた。
「だってのここ、柔らけーし…美味そうな色だし」
「…ちょ、」
司の言葉にドキっとした瞬間、顎を持ちあげられ、腰を抱き寄せられた。同時に司が屈んで唇を寄せて来る。
それにはもギョっとして、司の胸元を思い切り押し戻した。
「何だよ…?」
「な、何だよじゃない!あ、あんた今、何しようと――――」
「何って…キスだろ」
「キ…キスって…当然のように言うな!っていうか勝手にしようとしないでよっ」
「あ?んじゃあ、今からキスさせてって頼めばいいのかよ」
「そ、そういう問題じゃなくて――――」
「じゃあ、どういう問題だよ」
ムキになるに対し、司は溜息交じりでを見下ろす。その余裕の態度には軽い眩暈を感じた。
(っていうか何考えてんの?司は!私の事、怒ってたクセに…もう好きじゃないって言ったクセに何で普通にこんな事できるわけ?)
(だいたい私だって司を傷つけた事、すっごい気にしてたのに…。なのにこいつと来たら、何でこう余裕の態度で――――)
頭の中であれこれ怒りをぶつけていると、司は大きく息を吐き出し、の体を強引に引き寄せた。
「ひゃ…ちょっと――――」
「何か複雑に考えてるとこわりいけど…我慢も限界なんでキスしていい?」
「な…っ!な…んで…っ?」
「何でって…したいから」
「…っ!ダ、ダメ…っ」
「…何でだよ…。ちゃんと聞いただろが」
「だから、そういう問題じゃないってばっ!だいたい私とあんたはそういう仲でも何でもないでしょっ」
いつになく強引な司に、は必死で叫んだ。そもそも前に好きだと言われた時も、司は「待つ」と言っていたのだ。
なのに何故今、こんなに強気で強引な態度に出て来るのか、はさっぱり分からず動揺していた。
しかし司は司での頑ななその態度を見て、呆れたように溜息をついた。
「…な、何よ、その顔…」
「つーかお前さ。オレのこと――――」
そう言いかけた時だった。再び廊下の方が騒がしくなり、と司はドキっとしたように体を離す。
「社長!司坊ちゃんとお嬢様がすでに中でお待ちです」
「そう。先方は?まだ見えてないの?」
「はっ。それがまだ――――」
そんな会話が聞こえて来て、は慌てて司から距離をとる。
司も仕方ないと言った顔で頭を掻くと、ゆっくりと開かれる扉を、冷めた目つきで眺めていた。
「司さん、ちゃん。2人とも早かったのね」
開けられた扉から入って来たのは、普段のスーツとは違う、和服姿の楓だった。
その堂々たる着こなしは、さすが道明寺財閥を背負っている女社長の貫録十分だ。
「は、早く着いてしまって…」
「そう。――――ああ、司も間に合って良かったわ」
に優しく微笑みながら、ふと司へ視線を向ける。その楓の態度に、司はムッとしたように目を細めた。
「るせーんだよ。帰国早々、ふざけた真似しやがって。いったいどういうつもりだ?ここで何があんだよ」
「ちょ、ちょっと司…っ」
楓に対し横柄な態度を取る司のスーツを,がグイっと引っ張る。
だが楓は怒るでもなく、珍しいくらいにこやかな笑みを見せた。
「それはお客様が来てから話すわ。――――ああ、もう来たようね」
「…によ!何なのよ!こんな格好させて!!何にも聞いてないわよ!」
「…………っ?」
「……な、何だ…?」
突然廊下の方で怒鳴り声が聞えて来て、と司は互いに顔を見合わせた。
すると、「お待たせしました!」と見知らぬ男性が顔を出し、その後ろからは――――
「嫌だってば!ヒールで殴るわよ!!放して!!…痛い、痛いってばっっ」
少女は大きな声で叫びながら、ボディガードらしき2人に羽交い締めにされ、部屋の中へと連れてこられた。
その異様な光景に、そして司も唖然としている。
だがその中で一人冷静だったのは、道明寺楓だった。
「この方は大河原滋さん。司――――」
楓は不意に司を見ると、
「あなたの婚約者です」
その一言にその場がシーンと静まり返る。は驚愕したように立ちつくし、未だ羽交い締めされている少女を見た。
(この人が…司の……)
「こ、婚約者だぁ……?」
最初に静寂を破ったのは当事者である司本人だった。
見れば思いきり口元が引きつっている。が、司が怒鳴る前に、再び誰かが入って来た。
「やあ、遅れて申し訳ありません」
「お久しぶりで御座います、大河原さん」
「こちらこそ、ご無沙汰しまして…」
それは少女の両親なのか、年配の男性と女性が笑顔で楓と挨拶を交わしている。
そしてふと司へ笑顔を向け、夫婦そろって2人の方へ歩いて来た。
「こちらが司さんとさんでらっしゃいますか」
「まあ、背の高い素敵な方。お嬢さんも本当に可愛らしくて」
「ど、どうも初めまして…。道明寺…と申します」
「初めまして。滋の両親でございます」
「………………」
は何とか笑顔を取り繕い挨拶をしたが、司の方は完全に固まり、石化している。
それを横目で見ながらは肘で司を突いたが、その時、あの少女がボディガードから解放されて皆の方へ大股で歩いて来た。
「パパ!ママ!何なのよ、いったい!!」
「滋、あなたは黙ってなさい」
母親はビシっと言って、もう一度司へ笑顔を向けた。
「この通りお転婆な娘ですけど、これから宜しくお願い致しますわね」
だが、次第に石化がとれてきた司は、徐々に目を吊り上げ、
「………………ぶっ殺す」
「は…?ぶ…?」
少女の両親はその聞き慣れない言葉に、キョトンとしている。
それを無視して司は楓を睨みつけた。
「冗談じゃねえんだよ!そんな事、勝手に決められてたまるかっ!!」
「そうよ!何で18で婚約者なんか決められなくちゃいけないのよ!!」
司と一緒に少女も叫ぶ。しかし楓、そして少女の両親は怒るでもなく、逆に、「まあ仲の良い事」と言って笑いだした。
「最初は皆さん、そうおっしゃるみたいよ?」
「そうですわね。実際、式を上げるのは大学卒業後になるでしょうから4年間はお付き合いと言う事で」
「まあ4年とは若い方には長いですわね。宅は学生結婚でもかまいません事よ」
「そうですわね。その辺は2人に任せて―――――」
「ふ、ふざけんなぁあっ!」
司の意見などまるで無視して進められる話に、は唖然としながら眺めていた。
ここまで来れば何の集まりなのか、嫌でも分かる。
(これは…お見合いだ。ううん…でも婚約者って言ってたから、今夜は顔合わせって事…?)
不意に胸の奥がずくんと痛み出し、は合わせた手をぎゅっと握りしめた。
(じゃあ私は?私は何の為にこの場に呼ばれたの…?養女だからってこの人達に紹介する為に呼んだの…?司の婚約者を――――)
その時、不意に楓がを見て、ニッコリと微笑んだ。
「ちゃん、あなたにも紹介したい方がいるのよ」
「……え…?」
その言葉の意味を理解する前に、楓は入口の方へと振り返り、「あら、やっとご到着のようね」と意味ありげに笑った。
「親父、はよ〜!10分も遅れてもーてるやないかー」
「そんなん言うても道が混んどってんからしゃーないやろ」
そんな声が廊下に響き、少しづつ近づいて来る。は自然と鼓動が速くなるのを感じ、無意識のうちに司を見上げていた。
司も今は無言のまま、怖い顔で入口をじっと見つめている。その瞬間、その声の主が部屋へと入って来た。
「いやぁ、皆さん、もうついてましたか。遅れて申し訳ありません!渋滞に巻き込まれてしまいまして――――」
「これは結城さん、構いません事よ。今ちょうど揃ったところで――――」
最初に入って来た貫録のある年配の男性に、楓がにこやかに応対している。そして次に姿を見せたのは――――
「せやから言うたやん。もう一便、早いのに乗りぃてー」
「おい、大和。ええから皆さんに挨拶しなさい」
「ああ、どうも初めまして。結城大和と申します」
「やあ、君が結城社長ご自慢のご子息か。いやホントに美少年だね」
「いえいえ…大河原さんのお嬢さんもとてもべっぴんさんでー。お嬢さんと婚約できるやなんて道明寺クンも幸せもんですよね」
「そう言えば君たちは同じ学園だったね。普段から仲がいいのかな?」
「まあ、それなりに。なあ?道明寺クン――――って、何や怒ってはるみたいやわ」
は、スーツを着込んだ大和がいつもとは違う、大人びた顔を見せながら皆に挨拶しているところを呆然としながら見つめていた。
大和はそんなに気付き、ニッと笑いながら小さくピースをしている。
それを見ていた司は、手が赤くなるほど拳を握りしめた。
「…っだよ、これ!!どういう事か説明しろよ!!」
「司さん!!いい加減にしなさい。何ですか、その口のきき方は。皆さんに失礼ですよ!」
「うるせえ!何でそいつがここにいるんだっ?――――あぁ?!結城大和…!!」
司の鋭い視線が大和へと向けられ、その場にいた全員が2人を交互に見ている。
しかし大和は動じることなく歩いて来ると、司の前で立ち止まり、両手をポケットへと突っ込んだ。
「おーおー。相変わらず熱いなあ、道明寺クンは」
「うるせえっつってんだよ!何でてめえがここにいんのか――――」
「説明しろて?ほな、したるわ」
先ほどの態度とは違う、普段の顔に戻った大和は、意味深な笑みを浮かべ、司の隣にいるを見た。
「……オレが、ちゃんの婚約者、やから」
その一言が、の耳に突き刺さる。司は言葉もなく、ただその場に立ちつくしていた―――――。

やっと動き始めたかしら…(え、遅い?)(汗)