迷路@
「―――――――あんたの事、気に入っちゃった」
司を殴った後、滋は爽やかな笑顔で言いのけた。
「……は?」
殴られたショックと、今の一言で司の口元がピクピク動く。
だが滋は全く動じず、
「ま、どーせ結婚するんだから恋愛してやってもいーよ」
と、ニッコリ。
これには司の額に怒りマークがくっきりと浮かぶ。
「…結婚…?…してやってもいい………?」
わなわなと震えだした司に気付き、総二郎とあきらはハッと我に返った。
2人はすぐに司の体を拘束すると、
「司、手は出すなよ…っ」
「相手は女だ…!」
しかし司は僅かに笑みを浮かべると、「オレが女を殴るわきゃねーだろ」と2人の腕を振り切ろうとする。
それを必死で止めながら、総二郎がまともに突っ込んだ。
「世の中でお前のその言葉ほど信用できねえもんはねーよ!何度も殴ってんだろっ」
「うるせえ!――――――おい、お前!!」
司は拘束されたまま滋へと歩み寄ろうとする。それでも滋は平然と、いや少しだけ口をとがらせ、目を細めると、
「お前じゃないよ。滋だよ」
「知るか!てめーの名前なんぞ、どうでもいい!!オレは結婚する気も恋愛する気も爪のアカほどもねーからなっ!」
「爪の先、でしょ?」
いつもの司の天然に滋が鼻で笑いながら突っ込む。
当然、司は更にキレて真っ赤な顔で怒りだした。
「てめえ…!!ってか、お前らもいい加減放せ!その猿女、一発殴らねえと気が済まねえ!」
「うわ、やべえ!ってか、ちゃん、その子どっか連れてって!」
司の暴れように、総二郎もたまらず叫ぶ。
「早く!」
しかし、それまで呆れ顔で眺めていたはムッとしたように目を細めると、プイっと顔を反らし一人スタスタ歩いて行く。
それには暴れていた司、必死で押さえていた総二郎とあきらも一瞬唖然とする。
「おい!、どこ行くんだよ!!」
突然、一人で去って行くに、司も慌てて怒鳴る。それでもは振り向きもせず、その場を後にした。
「ったく…!何だってのよ!」
背中に司の声を聞きながら、は足を速めた。
無性に苛立ち、あの場にいるのがバカらしくなったのだ。
(ばっかじゃない!勝手にやってればいいのよ。私には関係ないし、耳をかむぐらいの関係のクセに間違えたなんて嘘までついて!冗談じゃないんだからっ)
考えれば考えるほど腹が立ってきて、は一人家に向かって歩いて行く。
しかし角を曲がろうとした瞬間、「ねえ!」と滋がひょっこり顔を出し、はその場で飛びあがった。
「……きゃっ!!な…っし…滋さん?!ど、どっから沸いて…っ!」
「道を回って追いかけて来たの。それより…お茶しない?」
腰を抜かしたなどお構いなしといった様子で、滋が言った。
その脈絡のない誘いにも目が点になる。
「お…お茶…?い、いいです、私…家で習い事が…」
「えー?だって今日はキャンセルしたんでしょ?それに茶道も終わったみたいだし暇なんじゃないのー?」
「…ひ、暇じゃありません!他にもやる事、考える事がいっぱい―――――――」
「いいじゃなーい。ねえ、行こうよー」
「…嫌です」
無邪気に誘って来る滋を無視してはそのまま歩きだす。
夕べもこの調子で捕まったのだ。このままでは夕べの二の舞だ、と追いかけて来る滋を振り切るように足を速めた。
しかし滋は一向に諦める気配もなく、
「そんな事、言わないでさー。ねえってばー。喉渇いたー!ねぇ〜!」
「……………」
の周りをまとわりつくように歩きだし、これにはも降参した。
結局そのまま滋に引きずられるようにして近所のカフェへと入る。
そこは住宅街にあるオシャレなオープンカフェだった。
「んー美味しい!ずっと外をうろうろしてたから体が冷えちゃって」
「……」
「ほらー来て良かったでしょ?」
「何でそうなるんですかっ?あなたが家までついて来たからでしょっ」
滋のすっとぼけた言葉に、さすがのも声を荒げる。
それでも滋は動じない。
「まあまあ。お茶する時、争うのはネズミよりバカっていうでしょ?」
「……それ、どこのコトワザですか?」
「今私が作ったのー」
「………」
滋は満足そうに紅茶を飲んでいる。それを半ば呆れ顔では見ていた。
(この人絶対に変…。あのバカを気に入るはずだわ…)
そんな事を思いながら自分も紅茶を口に運ぶ。
そしてふと疑問を口にした。
「でも…滋さん、どうして西門さんの家の前にいたの?」
「やだ、滋でいいって言ったじゃん。他人行儀だなー」
「……」
他人ですから。とよっぽど言いたかったが、そこはぐっと堪える。
滋はカップを手に包むようにしながら、
「今日、が帰った後、司の家に電話したらお手伝いさんが教えてくれたの。そこでもその家に行くって言ってたなと思いだしてね」
「……だからって何で…」
「うーん、司にも会いたかったしにも会いたかったから」
「……私とは今朝、別れたばかりですよ」
「でもちょっと聞きそびれた事あったし――――――――」
「…聞きそびれた事…?」
がふと顔を上げると、滋は嬉しそうに身を乗り出して来た。
「ね、は道明寺司ってどう思う?」
「…どうって…」
その問いに首を傾げながら、はすぐにピンときた。
(…やっぱり"義理の妹"に探りを入れに来たってわけか…)
「さあ…私も司の事は良く知らないし…養子になったのも、つい最近で…滋さんの方が知ってるんじゃないですか?」
「そうじゃなくてー!」
「……え?」
の説明に滋は思い切り首を振ると、更に身を乗り出し、
「あの男、エッチすんの上手?」
「…ぶっ…!!」
その強烈な問いかけに、は飲みかけの紅茶を噴き出し、ついでにテーブルにもゴンっと額をぶつけた。
「し、しし知りません!!な…ななな何を言うんですかっ!この真昼間に…!」
あっけらかんとしている滋とは対照的に、は首まで真っ赤になって首を振る。
それでも滋は真面目な顔で、
「だって大事な事じゃん。私達、結婚するんだもん」
「た…試してみればいいじゃないですか!耳かむ間柄なんだし!」
「ああ…耳は感じるみたいね」(!)
「……か…っっ!!!(感じる…?!)」
滋の話す言葉が過激すぎて、の顔が更に熱くなる。
そもそも司には無理やりキスはされたものの、そんな深いところまで知る関係ではない。
そんな質問をされても困るだけだ。だが滋は至って真面目な顔でを見ると、小さく息を吐いた。
「私さーまだちゃんとした恋愛した事ないのよね。どうせ、うちなんて政略結婚だと思ってたし…親が連れて来る人なんてコテコテのお坊ちゃんだと信じて疑わなかったけど…。 道明寺司って結構いい男じゃない?品はあるけどガサツっぽいし、私の人生捨てたもんじゃないなーと思って、ここいらでちゃんと恋愛しておこうかと―――――」
そこまで話を聞いていたは何故かいたたまれない気持ちになり、カップを乱暴にソーサーへと置いた。
カチャンっと思ったよりも大きな音を立て、その音で滋が顔を上げる。
「…?」
「恋愛すればいいじゃないですか。でも義理の兄妹だからって司と滋さんの事は私には関係ない事だし…」
と、そこまで言ってハッと口を閉じた。滋が僅かに悲しげな顔をしたのだ。
その表情を見た時、言いすぎたかな、とは少し後悔した。
「あ、あの…だから私が言いたいのは――――」
「…そうか…そうよね。ごめんね。私一人っ子だから、どこか独りよがりで…こうだから友達も出来ないのよね」
「あ、いや…私も元々は一人っ子だし英徳にも前の学校にも本当の友達と呼べる子はいません…けど…」
「…でも私、迷惑かけてるよね…」
「い、いえ…迷惑…の時もありますけど(!)それほどでもないというか…」
次第にシュンとしていく滋を見て、ついそんな事を言う。自分の素っ気ない態度が彼女を傷つけたと思ったのだ。
が、その瞬間、滋は笑顔で顔を上げると、がしっとの両手を握って来た。
「ほんと?じゃあ協力してくれる?」
「…はい、もちろん!……え?」
思わず頷いてしまったが「協力」と聞いて固まった。
そんなをよそに、滋は「やったー!」と大喜びしている。
「こういうの夢だったの!」
「あ、あの…ちょっと…」
「良く小説とかドラマであるじゃなーい?恋の悩みを友達に相談したりするの!あ〜ゆ〜の一回やってみたかったのよね〜!」
「と…友達って………(いつから…?)」
「嬉しいなー!ありがとー!これから宜しくねっ」
「……や…えっと…あはは…」
どんどん話を進めて行く滋に、の笑顔も引きつる。
そして、ふと彼女の言った協力の意味を考えた。
(って、ちょっと待って…。って言う事は私が彼女と司の間を取り持つとか…そんな話…?!)
の脳内でおかしな図式が浮かび、少しだけ不安になって来た。
そもそも司はの事を好きだと言っている相手だ。そして返事を待つとも言っている。
確かに類との事があって、この前まではおかしな事になっていたが、昨日再会した時の司はに対し、少なくともキスをしようとまでした。
ニューヨークに行く前は「もう好きじゃない」という態度ではあったが、どうも昨日の様子を見れば違う気もしてくる。
はどうしたものかと考え、小さく溜息をついた。
「ん?どうしたの?」
「え?あ、いや…あの…ね…?言いづらいし、私も今の司の気持ちは分からないんだけど…、少し前にあいつに好きだと言われた事があって…」
そこを伝えて協力するというのを撤回しようかと、そう言ってみた。
だがやはり大河原滋は動じなかった(!)
キョトンとした顔でを見ると、
「マジ?でも義理の兄妹なのに?」
「あ、いや…元々は遠い親戚で幼い頃から知ってて…」
「あー子供の頃の初恋ってやつー?だったら気にしないし、だって司の事、好きじゃないんでしょー?」
「わ、私はもう!全然好きじゃないと言うか…っ」
「なら、いーじゃん!私を勧めて司には諦めてもらお!一石二鳥よ!」
言いながら滋が思い切りの背中を叩く。
その痛みに顔をしかめつつ、はどこか胸の奥がモヤモヤするようで何も言えなくなった。
「じゃ、また連絡するねー」
それから少しだけ雑談した後、滋とはそこで別れ、は重たい足取りで家に向かう。
何となく気分が晴れず、重苦しい気分だった。
「一石二鳥…かあ…。そういう問題なのかな…」
(私はそんな風にドライには割り切れない気がするけど…)
あんな簡単に恋なんて出来るのかな…と思いながら家路に着く。
司は当然いなくて。夜になっても帰ってくる気配がなかった―――――――。
次の日の朝、目が覚めたは司の部屋を覗いた。
だが、ベッドに寝た形跡はない。夕べは戻らなかったようだ。
「ったく司の奴…私が外泊した時はブチブチうるさいクセに…」
文句を言いながら学校に向かう。
夕べは寝つきも悪く、少し寝不足気味だった。
あれこれ考えすぎて眠れなかったせいか、午前中の授業も殆ど頭に入らず、昼休みになっては気分転換をしに、いつもの非常階段へと顔を出した。
「ふあぁぁ…。考える事いっぱいありすぎて、頭が疲れちゃった…」
欠伸を噛み殺し、誰もいない事を確認すると、はその場に軽く寝転んだ。
太陽は傾きかけているが、ポカポカとして気持ちのいい陽気だ。
(おば様が日本にいる間に早く婚約の件、話さなきゃ…。司は…どうするのかな…。滋さんはあの様子だとOKっぽいけど…って、そっちは私に関係ないか…)
ゆっくりと目を開け、陽射しの眩しさで僅かに目を細める。
(滋さん…司に恋しちゃったのかな…っていうか恋かぁ…。振られたばかりの今の私には考えられない響きっていうか…眩しい水面を見るような感じだな…)
「……眩しい…かぁ…」
小さく呟きながら空の上の太陽を見上げる。その瞬間、ふと顔に影が落ちて、
「何が眩しい?」
「――――――ッ!」
突然、目の前に類の顔が現れ、は驚きのあまり飛び起きた。
「は…花沢類…っ?」
「…ハゲ?」
相変わらず類ワールド全開の返答に、は一瞬首を傾げる。
「い、いやハゲじゃなくて…恋の…」
「コイ?池の…?」
「……い、いえ…何でも…それより――――――今来たの?」
類に説明するのも難しい事に気付いたは、苦笑交じりで尋ねた。
一瞬、夕べは司達と会っていたせいで寝坊したのかと思ったが、類は半分眠そうな顔で頭を掻くと、
「そう…。何か春先は冬眠するように寝すぎちゃって…」
「あ…分かる。ちょうど寝やすい気候になるから。っていうか、花沢類は冬でも春でも関係なく寝すぎてるよね」
笑いながら言えばスネたように花沢類は目を細める。
「あ〜…頭がボーっとする…」
「あ、揉んであげようか?前は良くお父さんの揉んでたから上手いよ?」
「揉む?頭を?」
の申し出に類は訝しげに眉を寄せて顔を上げた。
「そうよ。良く美容室とかでも頭皮をマッサージしたりするでしょ?あれ血行が良くなってスッキリするのよ」
「あ〜。でも…痛くしない?」
「痛くないってば。気持ちいいの」
不安げな類には笑うと、優しく彼の頭に指を伸ばした。
「あ…気持ちいー」
「でしょ?」
類の背中に回って後ろから優しく頭を揉む。類は子供のようにジっとしていて、は笑いを噛み殺した。
(…お父さんよりずっと頭小さい…。っていうか…変な感じ。私が花沢類の頭を揉んでるなんて…)
ふと、そんな事を考えていると胸の奥が小さく鳴る。
辺りは休み時間とは思えないほどに静かで、柔らかい風が類の髪を揺らしていった。
「…いい天気だね」
「…うん」
そんな他愛もないやり取りさえにとっては凄い進歩のように思えた。
(…ああ…やっぱりいいな…この空気…。花沢類だけが持つ独特の空気…)
誰にも真似出来ない類の持つそれは、確かにを癒してくれていたものだ。
出逢った頃は今よりも少し無愛想で近寄りがたい雰囲気だったけど、それでも落ち込んだ時に会うと、必ずの心に水を与えてくれる、そんな存在だった。
(いつも会いたくて…静さんの存在を知っても傍にいたくて…グレーの気持ちに風を送り込んだ。確かに私は少し前まで、眩しい水面を見るような瞳で、この人を見ていた…)
ふと、そんな想いを思い出し、マッサージをしていた指が止まる。類がそれに気付いてを見上げた。
「……?」
「………っ」
綺麗な瞳で見上げられ一気に頬が熱くなる。
(…やだっ!何で今更、赤面なんてしてるわけ?!)
類を好きだった頃の自分の気持ちを思い出して赤面した自分自身に驚き、は僅かに類から離れる。
その様子に首を傾げながら、類はの顔を覗き込んだ。
「あれ…顔真っ赤だよ…?熱あんじゃないの?」
「…へ?ね、熱…?そ…っそーなの…。何かだるくって…。っていうか、そんな整った顔で近寄らないで………」
と、咄嗟に言い訳をしつつ、は次第にアップになって来る類の顔に、顔を引きつらせた。
だが類はお構いなしで更に顔を覗き込むと、
「あ…今度は青くなった。おもしろい…」
「…ひゃっ!」
あんたが近寄るからよ、とは言えず固まっていると、類の手がそっとの額に触れる。
「だ、大丈夫だから…っ!(それ以上、近寄らないでー!)」
触れられた事でパニックになったは、その瞬間、咄嗟に足で類の胸を押した(!)
「…足…」
「…え?あ、ご、ごめん!」
その、とんでもない格好に気付き、自身ギョッとして下ろそうとした。
しかし類は淡々とした顔で、
「…っていうかパンツ…見えてるよ」
「…きゃっ!!!」
冷静に言われた事で更に赤面したは、慌ててスカートを両手で押さえる。
だが不自然な格好のままバランスを崩したは、そのまま後方へと体が傾いた。
「わ…っ」
「…あ…っ」
が後ろへ倒れそうになったのを見て、類も素早く手を伸ばす。
間一髪のところでの頭を片手で押えた。
「…っぶねえな…。もう少しで壁に激突する―――――――」
「……っ…」
首の後ろに腕をまわして起こそうとした類は、至近距離でと目が合い、言葉を切る。
が、突然パッと腕を放し、支えを失ったは再び後ろへ傾いて壁に後頭部をゴンっとぶつけた。
「…いたっ」
「…バカ。んな顔するな」
体を起こし頭をさするに、類は僅かに頬を赤らめ言い放つと、すぐにその場から去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、は胸の鼓動を押さえる為に何度か深呼吸をする。
「…ホント…バカ。どうかしてる……何やってんのよ…」
そう言いながら熱くなった頬を両手で包む。
頬に触れると、先ほど類と至近距離で目が合った時には真っ赤だったのが分かるくらいに熱を帯びていた。
(最低…花沢類にこんな顔見せちゃうなんて…。せっかく普通に接する事が出来るようになって来てたのに…)
あの夜から、諦めると決めた時から、自分の中でも終わらせた恋のはずなのに。
(ふとした事でこんなにも心がざわつくなんて…)
「まだまだ修行が足りないのかな…」
なんて呟いてはみたものの、失恋の修行をどこでやるのかすら知らない。
「はあぁぁ…ダメだ。今日は早退しよ…」
何となく授業に出る気分でもない。
は早退届を担任に渡すと帰り支度を済ませ、学校を出た。
予定外の行動なので迎えの車はない。呼ぶ気分でもないのではのんびり歩いて帰る事にした。
その時、背後からポンと肩を叩かれ――――――
「!」
「…し…滋さん?!」
振り向いてギョっとした。
そこには満面の笑みで大河原滋が立っている。
「な、何で…学校は…?」
「早退して来ちゃったの」
「あ…そ、そうですか…。っていうか司なら来てないですよ?夕べも家に帰って来なくて―――――――」
「あ〜違うの。今日はに会いたくて来ちゃった」
「わ、私…?ですか…。って、何でっ?」
「一緒に買い物に行こうと思って」
「………」
アッサリと用件を伝えられ、は絶句した。
「か、買い物…?って、でも私、今日は凄く疲れてて、だから早退して寝ようかと………」
「協力するって言ったよね」
「…う」
痛いところをつかれ、言葉に詰まる。しかし、ここで負けてはいけない、とも引きつった笑顔を見せた。
「い、言いましたけど、でもあれは言葉のあやで……」
「じゃあ、いーじゃん!ほら、行こ!向こうでうちの車、待たせてるんだ」
「え、ってちょっと滋さん!!」
の言い分など聞く耳すら持たず。
滋はいつものように強引な手口でを車に押し込んだ。
そのままヒルズ内のショップへ無理やりを連れて行くと、今度は凄い数の洋服をとっかえひっかえ試着しては、意見を求めて来る。
「どう?何かいまいちじゃない?」
「…いえ…お似合いですけど…」
「やっぱ、あっちのも着てみよ」
「………」
…数分後、再びフィッテングルームから出て来ると、
「これも、いまいち似合わなくない?」
「……全部よくお似合いですけど…」
は店内にあるソファにグッタリと座りながら、半目の状態で滋を見上げた。
「それより、まだ買う気ですか?」
「だーって、司に可愛いと思われたいじゃん。ねー、あいつってさ、ボーイッシュなのが好き?それともセクシーなやつ?」
「……あいつは自分が一番好きだから女の子の服なんてどうでもいいんじゃないですか」
淡々と答えれば、滋は意外にも楽しそうに笑った。
「おもしろーい!そういうトコが気に入ったのよ。あんな男、あんまりいないよねえ。もう意地でも落としたるわ。あ、今度こっちの着て来る」
「…………」
またしても他の洋服を手にフィッテングルームへと消える滋は凄く楽しそうだ。
その様子を見ながらは深い溜息をついた。
(確かに…司みたいなの他にはいないわ…。だいたい、あんなのばっかだったら人類滅亡ってものよ)(酷)
は楽しげに服を選んでいる滋を眺めながら、ふとそんな事を思う。
鏡の前で様々な服をあてる滋は本当にスタイルが良く、お世辞抜きで、どんな洋服も似合っていた。
(すらっとしてるのに出てるとこ出てるし…こんな子に好きだなんて言われたら、どんな男もいちころだよ…。っていうか何で私、彼女に付き合ってんだろ…)
自分で自分に呆れながら、断りきれない性格を恨む。
再び溜息をつきながら店内をボーっと見渡していると、マネキンが着ているワンピースに目が止まった。
(あのワンピ、可愛い。レトロな感じでヒラヒラした袖も私好みだなあ…。なかなか、ああいうデザインて見つからないし私も買っちゃおうかな…)
そんな事を考えたが同時に財布を置いて来た事を思い出す。ランチを食べようとして先ほど気付いたのだ。(おかげでお昼抜き)
(いっか…。家にもおば様が用意してくれた服や椿さんがくれた服もあるんだし…。まあ私に似合わない大人っぽいのばかりだから着てないんだけど…)
仕方なく、そのワンピースを眺めるだけにしておく。
そこへ滋が戻って来た。
「どうしたの?」
「え?あ、何でもない」
「そう…?――――――あ、すみませーん。あと、このワンピースも欲しいんだけどー」
滋はそう言って店員を呼び、が眺めていたワンピースまで外させている。
その光景を見て、今度買いに来ようかな、という小さな思いつきも、はすぐに消し去った。
「あー楽しかった!買い物ってストレス解消になるわよねー」
店を出ると滋は心底嬉しそうに笑った。
その隣を歩きながらは苦笑すると、
「滋さんもストレスなんてたまるんですか?」
と尋ねる。
嫌味ではなく、いつも自分のしたいように行動している彼女を見ていると、そんな風には感じないからだ。
しかし滋はスネたように唇を尖らせ、を見た。
「たまるわよっ。家にいれば習い事の嵐だしさ。学校は最低だし。でも好きな人作ったから、これで気分転換、楽しみ増えたって感じ」
「…楽しみ?」
「そうっ!楽しみ!あーいう難攻不落の男を落とすのって女冥利に尽きるわよねっ!燃えるわ!」
「…そうですか…?猛獣趣味とか…」(!)
一人エキサイトしている滋に、も唖然としたように呟く。
その時不意に滋がを見て微笑んだ。
「は?好きな人はいないの?」
「え…ああ…。今は…いません」
「今は…って…前はいたんだ。どんな人?」
「ど…どんなって…ボーっとした人…」
僅かにドキリとしたが嘘をつく事もない。が正直に答えると、滋は途端に笑いだした。
「ボーっとって、何それ!変な趣味!」
「……あなたの趣味も相当なものだと思いますけど…」
徐に目を細め言いながら、ふと類の顔が脳裏によぎった。
「ボーっとしてるというか…私がボーっと出来るのかも。その人と一緒にいると…」
そう言ったに、滋はふと笑うのをやめ、優しい目で振り向いた。
「安らぐって事ね。一番、大事な事だよね」
「…うん」
「元気出してよ!なら、もっといい男いるって!私が男だったらみたいな女の子がいいもん」
滋はの肩を抱くと元気よく笑う。そんな彼女を見ていると、も自然に笑顔になった。
「…ありがとう」
「その代わり、が男に生まれたら私を選んでね」
「……え?」
思わず言葉に詰まると、滋がその場にしゃがみこみ、大げさに叫び始めた。
「ひどーい!何よ、その間はー!」
「ちょ、ちょっと…冗談だってば…っ」
大通りの真ん中で大騒ぎをする滋に、道行く人が訝しげに振り返る。
すると滋は慌てふためくを見上げ、「うそ」と言いながらニッコリ微笑んだ。
その自然な笑顔を見て、は何となく滋の事を憎めない人だな、と思った。
(変わった人…こんなお嬢様もいるんだ…)
最初は苦手だと感じていたが、滋のあまりに自然な言動を見て行くうちに、嫌いじゃないかも、と思い始めた。
これまで会ったことのないタイプだ。
「ね、ホントに乗って行かないの?」
「うん。ちょっと寄りたいところがあって」
「そう?なら私は帰るけど…」
滋はそう言って車の前まで歩いて行くと、不意に振り向き、に持っていた手提げ袋を差し出した。
「これ、今日付き合ってくれたお礼」
「…え?これ、さっきのワンピース……」
袋の中に見えるのは、先ほどが見ていたワンピースだった。
「そんな…もらえないわ…っ」
「いーの!に似合いそうだったから買ったの!じゃーね、また遊ぼうね!」
「あ、滋さん―――――――」
滋は笑顔で手を振ると、素早く車へと乗り込んでしまい、は手に残った袋を困ったように見下ろした。
「嘘…どうしよう…」
去って行くリムジンを見送りながら溜息をつき、ゆっくりと歩きだす。
きっと滋はがこのワンピースを見ていた事に気付いていたんだろう。
「嬉しいけど…確かコレ、9万円はしたような…」
やっぱり返そうかな、と思いながら、目的地の前まで来ていた事に気付き、ふと足を止めて顔を上げる。
目の前には道明寺グループの本社ビルがそびえていた。
先ほど滋の買い物に付きあって待っている時に、楓のスケジュールを聞いておいたのだ。
(まだ会議中だって言ってたけど…おば様が日本にる今しか話すチャンスはないもんね…)
時計を確認しながらエントランスホールへと入る。
天井の高い広々としたホール奥にエレベーター通路があり、手前にあるカウンターには受付嬢が数人座っているのが見えた。
常に機械的な対応をするその空間は何度来ても馴染めない。
「あの…」
がおずおず声をかけると、受付嬢の一人がすぐに立ち上がり一礼をした。
「これはお嬢様」
「あ、こ、こんにちは…。えっと…楓おば…じゃなくて…社長に会いに来たんですが…」
「かしこまりました。では専用エレベーターでご案内致します」
通常ならアポイントメントのない来客はこの場で帰される。特に会議中の時はよほどの急用や大物相手ではない限り、電話すら取り次いでもらえない。
しかしの存在は当然知らされているので顔パスで社長室までは通してもらえる。
「こちらで御座います」
妙にかしこまった受付嬢の案内でエレベーター前まで歩いて行く。
受付嬢は社長室直行のエレベーター前に立つと、ボタンの下に設置してあるモニターをに示し、
「こちらに暗証番号を入力しておあがり下さい」
「は、はい。ありがとう御座いました…」
がお礼を言うと、受付嬢は再び一礼して自分の席へと戻って行く。
一つしかない社長室専用のエレベーターには、こうしたロックがされていて暗証番号は万が一の場合を考え受付嬢にも知らされていない。
本人にその意思がなくとも、脅されて口にしてしまう事もあるからという事らしい。
暗証番号は社長の楓やその家族、そして秘書の西田、後は数人の重役達くらいしか知らないのだ、と前に椿が教えてくれた。
「確か番号は…これだったかな」
以前、椿と一緒に何度か訪れた事があるのでも暗証番号は知っている。
8ケタの数字を入力すると、エレベーターの扉がゆっくりと開いた。
それに乗り込むと、ふわりと浮くような感覚を受け、エレベーターの速度が上がって行く。
そして数秒という短い時間で到着すると、は軽く深呼吸をしながら社長室前のホールへと出た。
「お嬢様、お久しぶりで御座います」
社長室の前には秘書が座っていて、その女性がすぐに立ち上がる。
彼女は楓の第4秘書で西田の部下でもあった。
「こんにちは、牧さん。あの…おば様は…」
「先ほどお電話でも申し上げましたが…早くてもあと30分はかかると思います。どうぞ、こちらでお待ち下さいませ」
牧という秘書は言いながらを社長室へと通し、同時に内線でお茶を頼んでいる。
その素早い対応に感心しながら、は大きな応接スペースのソファに腰をかけた。
身内でなければ社長不在の時にこうして部屋へ通される事は殆どない。他の来客時用の応接室が社長室の前にあるので、普通ならそこで待たされる事になる。
「失礼します」
ノックの後、が返事をすると、何番目かの女性秘書が紅茶を運んで来てくれた。
こう言った仕事をするのも女性秘書の仕事らしく、連行序列で下の者がやるらしい。
「ありがとう御座います」
テーブルへ丁寧にセットされた紅茶とケーキを見て、はお礼を言った。
女性秘書は軽く笑みを受かべると、そのまま一礼して社長室を出て行く。
その仕草までが完璧で、かなり厳しく研修を受けたのだろうと思わせた。
「はあ…」
一人になった後、は小さく息を吐きだした。
何度か来た事はあるものの、この堅苦しい空気がを疲れさせるのだ。
ああいった秘書たちは余計な言動は一切しない為、の方が緊張してしまう。
(でも将来、私もここで働くかもしれないのよね…。この空気にも慣れておかないと…)
広々とした社長室を眺めながら、ふと思う。正面に見える重厚な机の向こうには沈みかけた太陽が綺麗に反射して見えた。
そこへ不意に話声が聞え、は僅かに腰を浮かせる。どうやら思ったよりも早く会議が終わったらしい。
「…って言っておいたでしょう!」
「ですが社長、あの件は―――――――」
「とにかく!お話にならないわ。先方にもそう伝えて。来月、私が帰国するまでに、もう一度まともな案を出すよう言いなさい!分かった?」
厳しい楓の一喝に、相手が黙る。同時に社長室のドアが大きく開いた。
「あら、ちゃん!来てたのね」
「おば様…ごめんなさい、忙しい時に」
がソファから立ち上がると、楓は数秒前まで怒鳴っていた人間とは思えないほど、にこやかな笑顔で歩いて来た。
「いいのよ。ちょうど終わったところだから。それよりどうしたの?急に」
の事は牧と言う秘書から西田へ、その後で楓に伝わっていたのだろう。
突然の来訪にさして驚くでもなく、楓はの隣へと座り、彼女の肩を抱き寄せた。
その間も西田は書類を楓の机に並べ、に一礼してから、
「社長。あと15分後には出ないと間に合いません」
「…分かってるわ。車を回しておいて。あと荷物は――――――――」
「すでに積んであります」
「そう、なら、いいわ。時間が来たら呼びに来て」
「はい」
西田はもう一度2人に一礼すると、静かに部屋を出て行く。その会話を聞けば、楓にゆっくりと話す時間などない事はにも理解出来た。
「ごめんなさいね。これから急きょニューヨークに戻る事になったの」
「え…?もう戻られるんですか?」
「ええ…。大きな契約があってね。それが早まったの。―――――――それで…どうしたの?急用だった?」
楓はもう一つのカップに自ら紅茶を注ぎ、口へと運ぶ。その忙しない様子を見ていると、婚約解消の話を切り出しにくくなってしまった。
たった15分の時間では、楓が納得するような理由を上手く伝えられそうにない。
「…どうしたの?ちゃん」
無言のまま俯いたに気付き、楓はにこやかな顔で尋ねた。
そして静かにカップを置くと、
「そういえば…あの夜はどうだったの?大和くんとの食事は楽しかったかしら」
「え?あ、はあ…」
「そう。なら良かったわ。彼、なかなか好青年だし、ちゃんとも前から仲が良かったと聞いてたから心配はしてなかったんだけど」
「まあ…。あ、あのでも私―――――――」
「…もしかして…今日はその話をしに?」
の気まずそうな顔を見て、楓は僅かに首を傾げた。
楓から話を振ってくれたおかげでは少しホッとすると、
「はい…。実は…婚約の話は凄くありがたいんですけど、やっぱりまだ高校生ですし…その…」
「…彼の事、気に入らなかった?」
「え?あ、いえ…そういうのとも違うんですけど…。でも私、今は自分の事で精いっぱいで…婚約とか結婚とか考える余裕はないんです」
「…そう…」
「はい…。なので今回の話は出来れば――――――――」
そう言いかけた時、楓が不意に立ち上がり、はドキっとしたように顔を上げた。
楓はに背を向けたまま小さく息を吐くと、
「そうなの…。それは困ったわね…」
「…す、すみません…」
明らかに残念そうな声のトーンに、は思わず俯く。
「おば様には本当に感謝してます。私を養子にまでして下さって勉強する機会を与えてくれた事も…。おば様の役に立ちたいという気持ちも変わってません。でも――――――」
「会社のために結婚は出来ない、そう言う事ね」
「………っ…」
一瞬、楓の口調に普段とは違う冷たさを感じ、はハっとしたように顔を上げた。
同時に振り向いた楓の顔には困ったような笑みが浮かんでいる。
楓はそのままの隣に腰を下ろすと、そっと彼女の手を握った。
「ちゃんの気持ちは良く分かったわ…。でも会社にとっては今、結城グループとの関係を悪化させる事は出来ないの…」
「……え…」
「先方はちゃんの事を凄く気に入ってるようだし今回の婚約の件も乗り気なのよ。もちろん大和くんだけじゃなく、彼の父親である結城グループの社長もね」
「…おば様…」
「この話がまとまれば道明寺グループと結城グループの合同事業は本格化するわ。そうなれば道明寺グループにとっても大きな力になる…」
楓はそう語りながらの顔を優しく見つめた。
「結城と大河原財閥…そして道明寺が組めば世界でも類を見ない大きな業績を生む事が可能なの。分かる?」
「……はい」
「その為に私は何年も前から結城社長と話し合ってきたわ。でも今までライバルとして戦ってきた者同士、そう簡単に話は進まなかった」
「………」
「でもね、そんな時、結城社長の方からこの婚約話を持って来てくれたのよ」
「…え…?」
その言葉には少し驚き、目を見開いた。
「私が養子をもらった事を聞きつけたらしくて、しかもその子が自分の息子の惚れてる子だから、と言って」
「…結城社長が…?」
その話には僅かに疑問を持った。あの大和が不仲だった父親にそんな話までしたのだろうか。
今では関係も良くなったとは言っていたが、それはごく最近の事だ。
「…本当に結城社長が大和から私の事を聞いたと言ったんですか?」
「ええ、そうよ。だから私も条件付きでその話を聞いたの」
「…条件…?今回の合同事業の件ですか?」
「ええ。互いの利益も大事だもの。ただ…ちゃんにギリギリまで内緒にしてた事は悪かったと思ってるわ。でも…私にとっても正念場なの。分かって」
「おば様…」
「もちろんちゃんが本気で大和くんの事を嫌なら断っていいのよ?でもそうじゃなくて少しでも好意があるのなら…私の力になって欲しいの…」
楓はそう言って真剣な顔でを見つめた。それにはも言葉に詰まる。
「…そんな…本気で嫌ってわけじゃないけど、でも…」
「ならお願い。すぐに結論を出さないで少しの間でも彼の婚約者として過ごしてみてくれないかしら。それで上手く行くかもしれないでしょう?」
「う…上手く行くって…それは…」
「お願いよ、ちゃん…。すぐに断れば角が立って事業も失敗するかもしれないわ…。私を助けると思って…もう暫くは先方に返事を出さないで欲しいの」
楓に強く手を握られ、は何も言葉が出てこなかった。
確かに楓の言うとおり、自分との婚約を条件に出して来たのであれば、すぐには断れない。
断れば楓と結城社長の間に深い溝ができるだろう。当然その後の事業も失敗する可能性だってある。
個人の我がままだけで、契約を壊すにはリスクが大きすぎる事をにも理解出来た。
(おば様はこの事業に懸けている。それを邪魔するなんて私にはやっぱり……)
そもそも、こんな生活をしていられるのも、夢を追いかけられるのも、楓が手を差し伸べてくれたからだ。
なのに自分だけ好きな事をして、楓の頼みを聞かないなんて恩をあだで返すようなものだ、と思った。
は楓の手を軽く握り返すと、
「分かり…ました…」
「…え…?」
「大和と…婚約したままでいいです。おば様は結城社長との仕事の話を進めて下さい」
「ちゃん…分かってくれたのね」
楓はを強く抱きしめ、「ありがとう…」と呟いた。
「あなたは必ず私の事を助けてくれると思っていたわ」
楓はふとを見つめ、微笑む。
その言葉には胸の奥がかすかに痛んだ。
(おば様…本当に困っていたのかも…)
そんな事を考えながら、ふと先日の滋の言葉を思い出した。
"どうせ、うちなんて政略結婚だと思ってたし…親が連れて来る人なんてコテコテのお坊ちゃんだと信じて疑わなかったけど…"
お金持ちという恵まれた世界に生まれたら、少なくともこんな話は当たり前の事なのだろう。
(皆…家の為に政略結婚は普通だと思ってるんだ…。西門さんや美作さんもそんな事言ってたっけ…)
そう考えると自分の生まれた環境もそれほど大差はない。最初は確かにの知らないところで大和の兄と結婚の約束が交わされていたのだ。
"道明寺司って結構いい男じゃない?品はあるけどガサツっぽいし、私の人生捨てたもんじゃないなーと思って、ここいらでちゃんと恋愛しておこうかと思ってさ"
滋の言葉を借りれば、自分の相手が大和だったというのも案外ラッキーだったのかもしれない、と思った。
見知らぬ相手よりも、心おきなく話せて少なくとも一緒にいて楽しい相手だ。楓の言うように、どうしても嫌だというわけでもない。
(そう…それに私は滋さんと違って、ちゃんと恋愛をした。本気で花沢類の事を好きになった。その分、幸せなのかもしれない)
今はまだ大和と結婚、とまでは本気で考えられない。
もし事業が上手くまとまれば、また別の答えが出てくるかもしれない。
だけど今、少しでも楓の役に立つなら、婚約者として大和と過ごすのもいいかもしれない、とは思った。
(そう…それに大和だって今はああ言ってたけど、もしかしたら政略結婚が空しくなってやめようと思うかもしれないし…)
そんな淡い期待も持ちつつ、それでも自分が本気で大和の事を異性として好きになれれば、それが一番いいんだろうな、とは感じていた。
「――――――社長、そろそろお時間です」
そこへ西田が顔を出し、楓は静かに立ち上がった。
「じゃあちゃん。私は暫くニューヨークにいるけど…何か困った事があれば、いつでも連絡してね」
「はい」
「ああ、それと…先方には伝えておくし、大和くんとも仲良く、ちゃんとデートもして彼の事も見る努力はしてみてちょうだい」
「はい。でも大和の事は今でも良く知ってるつもりですけど…」
「あら、それなら心配はいらないわね」
楓はそう言って笑いながら、ふと思い出したように振り向いた。
「そうそう。それと…司と大河原滋さんの事も宜しく頼むわ」
「え…?」
「ほら、司はあんなでしょう?だからちゃん、2人がちゃんと会う時間を取るよう助言してやって欲しいの」
「はあ…」
思わず笑顔が引きつる。自分と大和は何とかなるとして、あの司と滋の仲まで取り持つ自信はなかった。(特に司)
「あの…滋さんの方は乗り気みたいなので…彼女にも積極的に行くよう言ってはみます」
「まあ、そうなの?ちゃんてば滋さんともすぐに親しくなったのね。今後はそういった社交的な部分も大切になるのよ」
「はあ…でもどちらかと言えば滋さんの方が社交的で…」
「え?」
「い、いえ。何でもありません」
は笑って誤魔化すと、そのまま楓と一緒に本社ビルを出た。
「本当に車を回さないでいいの?」
「はい。ちょっと…歩きたいんで」
「…そう。なら気をつけるのよ?もうすぐ暗くなるから」
「はい。おば様もお体に気をつけて」
「ありがとう。ああ、何なら大和くんに迎えに来てもらえばいいのに」
「え…っ?」
驚くに楓は軽く笑みを浮かべ、颯爽とリムジンへ乗り込む。
そして窓を開けると、「それじゃ、色々と頼むわ」とへ声をかける。
も頷いて、「行ってらっしゃい」と手を振った。
「………はあ…」
リムジンが遠ざかると、は思い切り息を吐いた。
結局、婚約を破棄する事は叶わなかった。
とはいえ、楓の話を聞けば確かにやすやすと婚約破棄など出来そうにない。
ならば今すぐ迷惑をかけるより少し様子を見た方がいいと思った。
「もう、どうにでもなれだわ…」
少々ヤケクソ気味に呟きながら、は家に向かって歩き出した。
すっかり日も落ち、夕焼けで辺りがオレンジ色に染まっている。
(それにしても…大和のお父さんてば何を考えてるのかな…。前はお兄さんと婚約、なんて話をしてたのに、大和の気持ちを聞いたからって、おば様にそんな話持ちかけるなんて…)
にしたら今回の話は偶然だと思っていた。
仕事の話が先で婚約話は、更に互いの関係を深める為の、いわば後付けのようなものだと思っていたのだ。
それが合同事業の条件になっていたなんて信じられない、と溜息をつく。
(それも大和のお父さんから……って、ちょっと待って…)
ふと昨日、大和と食事をした時に話した内容を思い出し、は足を止めた。
(あれ…?大和は確か、この話は合同事業の話が出た頃、おば様から婚約話を持って来たって…そう言ってなかったっけ…?でもさっき、おば様は大和のお父さんから持ちかけて来たって…)
その事を思い出し、は胸の奥がかすかにざわついた。
大和も楓も、互いに間逆の事を言っている。
「どっちが本当なの…?」
大和が嘘をついていたようにも見えない。
では楓が?とは思ったが、にとって楓があんな嘘をつく意味が分からなかった。
一瞬、本当に大和へ電話して呼び出そうかとも思ったが、気付けば家の近くまで来ている。
「はあ…もう疲れた…。大和には明日にでも聞いてみよう…。っていうか、あいつ学校来るかな…」
そう言いながら今日は大和が来ていなかった事を思い出す。
「絶対、銀座で豪遊して二日酔いコースだわ、大和のバカちんは」
あの夜、別れ際にそんな事を言ってたな、とは呆れたように首を振りながら、近道でもある公園を横切ろうと中へ入った。
が、その時、「…遅かったな」という聞きなれた声がして足を止める。顔を上げれば目の前には司が仏頂面で立っていた。
「…司…?」
「ちょっと付き合えよ」
司は不機嫌そうに言って公園の中を歩いて行く。
今日は良く待ち伏せされる日だ、と思いつつ、は仕方なしに着いて行った。
「…どうしたの?今日は学校にも来ないで。昨日あのまま西門さん達と六本木で飲んだとか?」
「まあな…そのまま、あきらん家に泊った。でも今日は午後から行ったぜ?お前こそ何で早退なんかしたんだよ。電話も繋がらねーし」
「あ…電源切ったままかも…」
言われて気付き、はすぐにポケットから携帯を出す。
それを見て司は呆れたように溜息をつくと、ベンチへと腰をかけた。
もその隣に座ると、
「帰らないの?」
「……お前さ、何か誤解してんだろ」
「え?」
不意にそんな事を言われ、はドキっとした。
「な、何を…?」
「あの猿女の事だよ」
「あのね…仮にもあんたの婚約者でしょ?滋さんは―――――――」
「オレは認めてねえ!それにあの夜は本当に何もなかったし…あの女とも二度と会わねーよ」
「………」
「だからお前もお笑い芸人との婚約なんか断れ。いいな?」
それを聞いては一瞬、言葉に詰まった。
先ほど楓からも宜しく頼むと言われたばかりだ。それに滋はすでに司の事を好きになり始めている。
「お前、聞いてんのかよ?!」
「き、聞いてるよ…」
「何だよ、その仏頂面…。人が恥を忍んで待っててやったのに、もっと嬉しそうな顔とか出来ねえのかよ」
「な、何で私が嬉しがらなきゃ……くしゅっ!」
文句を言いかけた時、派手にクシャミが出ては鼻を押さえた。
春先とは言え、夕方にもなると少しだけ気温が下がる。
「ったく、しょうがねえな…」
司は呆れ顔ながらも自分のジャケットを脱ぎ、の肩へとかけてやる。
しかしは戸惑うように司を見て、「いらない…」と顔をそむけた。
素っ気ないながらも優しい今の態度で、司がまだ自分の事を好きなのだ、とハッキリ感じたのだ。
の心に罪悪感がこみ上げて来る。
今の自分では司に何もしてやれない。告白された時と今では状況が大きく変わったのだ。
「私なら大丈夫だから…返す」
「あほ!着てろ。風邪引く――――――」
「いいの!いらない…っ!」
「………っ」
驚いたような司の顔を見て更に罪悪感があふれだす。
滋の事、大和の事、そして…先ほど類に感じた想い…色んな感情が溢れて来る。
「…どうしたんだよ…。お前…どっか調子悪いんじゃねーか?」
司が心配そうな顔でを見つめる。その優しい瞳を振り切るようには顔をそむけた。
「…私…さっきまで滋さんと一緒にいたの」
「…猿女と?」
「あの人ね、最初は強引で何て人の気持ちが分からない人なんだろって思ったんだけど、実はすごく気を遣う人だったの」
「…お前、何言って…」
「スタイル抜群だし、凄く胸も大きくて、やっぱりグラマーな子っていいよね!だから―――――――」
「だから…?」
最初は訝しげな顔をしていた司だったが、次第に目がすわってくる。
それでもは言葉を続けた。
「だから…司にも凄く似合ってると思う…」
「…言いたい事はそれだけか?」
徐々に声が小さくなるに、司は真っすぐな瞳で尋ねた。
も負けないよう、その瞳を真っすぐに見返す。
「…私も…大和との婚約話、進めるから、司も滋さんと――――――――」
そう口にした瞬間、パンッという渇いた音が辺りに響き、の頬が熱を帯びた。
「……ふざけんな…。そんな話、聞くためにニューヨークから戻ったわけじゃねえ」
冷たい夜風がぶたれた頬を冷やしていくのを感じながら、かすかに司の声を聞いていた。
気付けば涙で曇って視界がぼやけている。
遠ざかる足音を聞きながら、はベンチの上で膝を抱えた。
「これで何度目かな…。司を傷つけたの…」
暴力を振るう男は嫌い。
だけど、私はそれに値する仕打ちを、司にしている――――――――。
これでいいんだ。
これで楓おば様にも迷惑をかけずに済むし、司も私に愛想をつかして、また別の人に恋をする。
それが滋さんであってくれればいいな、と、彼女の無邪気な笑顔を思い出しながら、混乱している頭の隅でふと思った。

またしても波乱の予感でありんす…(苦笑)
そして来週も頑張れそうな気がする…(多分)