迷路A








「―――――――近々、上条氏の会社が倒産する。当然、あの話も白紙に戻す事にしたからな」


あの日、父である結城慶三にそう言われた時、大和は当然のように反発した。
兄の海斗が亡くなり、自分が結城グループを継ぐ時の唯一の条件として出したものがとの結婚だったからだ。

「親の会社が倒産したからってオレには関係ないやろ」

何度もそう訴えたが慶三は頑としてそれを許さなかった。
父親である前に大企業のトップである慶三としては少しでも会社の利益になるような相手を、と望んでいたし、最初はその相手が息子の想い人なら願ってもないと思っていた。
しかし相手に何の力もなくなってしまったとあれば、慶三としても首を縦に振るわけにはいかない。

「今までのようにお前を自由にさせとくわけにはいかんのや。まあさんがもう一度奮起して大会社をたちあげるか…もしくは娘さんが遠縁の道明寺の家に入るかすれば話は別やが…」

大和は慶三のその話を聞いてピンときた。
この頃、ちょうど道明寺グループの女社長から慶三に何度も合同事業の申し入れがあったのを聞かされていたからだ。
もちろん何度も一緒に仕事をした事がある慶三は、家が道明寺家の遠縁だと言う事も知っている。

「ほな、あの子が道明寺の家の子になればええんか?」

ふと思いつきで言った言葉に慶三は少し驚いたようだった。

「あの道明寺楓が何の得にもならん遠縁の子を家に入れるわけあらへん。あの女は自分の利益にならん事は一切せぇへん鉄の女やしな。今のはたとえ話や」
「利益でしか動かへんのはオヤジも同じやろ」

大和の嫌味に慶三は怒るでもなく苦笑いを浮かべ、目の前の息子を見上げた。

「せやから今の結城がある。それより大和…。何であの子に肩入れするんや?お前にならもっと、ええ家の子との縁談はぎょうさんくるんやで?」
「……他の女やったら意味がない」
「…せやから何でや?あの子は元々海斗が初恋の子や言うんでさんと仕事をした時に面白おかしく持ちかけた話で―――――――」

慶三はそこまで言いかけて僅かに息を呑んだ。

「お前まさか…その為に?海斗の想いを叶えるためにお前は…」
「…オヤジには関係あらへん。オレの中の問題や」
「大和…!お前は海斗と違う人間や…。何もそこまで―――――――」
「とにかく…!オレは他の女との縁談やったらお断りや。会社の為に一度しかない人生捧げるんや。結婚くらいはオレが望む子ぉとしたいしな」

その決心を聞き、慶三は何度も説得しようとしたが、大和は絶対に受け入れようとはしなかった。
だが振って沸いたように、道明寺楓から"ある話"を持ちかけて来たのは、それから一カ月後の事だった。

「近々わたくしの家に養女を迎える事にしてますの。その子の名前は―――――――――」










「―――――――っ」

一気に覚醒した瞬間、大和は反射的に起き上がり、部屋の中を見渡した。
部屋の空気を肌で感じ、自宅ではない事を一瞬にして理解する。同時に、大和の横で何かが動いた。

「…ん〜なあに?どうしたの…?」
「………っ?」

その声にドキっとして顔を向ければ、寝ぼけているのか目は瞑ったままの女がもぞもぞと布団から顔を出す。
薄暗い部屋の中、女の長い髪がかすかに見える。

「…もう朝…?」
「……ああ…でもまだ7時過ぎや」

多少の動揺はしながらも何とか応えると、女は安心したように再び布団へと潜る。
それを横目で見ながら大和は深い溜息をついた。
女の姿を見た瞬間、何故自分がここにいるのかを思い出したのだが、事の成り行き上、今はあまり起きて欲しくはない。
大和は女が寝入った事を確かめると、静かに枕へと凭れかかった。

(…何で今更あの時の夢なんか…)

半年以上も前、父である慶三との会話や、道明寺楓とのやりとりを思い出し、大和はクシャリと前髪を掻き上げた。
あの日、楓からの名を出された時、大和は柄にもなく運命というものが本当にあるんじゃないか、とさえ思った。
―――――――諦めかけていたものが手に入るかもしれない。
そんな思いが先に立ち、楓の企みにも気づかず、言われるまま慶三を説得してしまったのも、そんな純粋な気持ちがあったからだ。
だからこそ合同事業の話を、慶三に何度も持ちかけては平行線を辿っていた楓が、まさかと大和の婚約から解消に至るまでの裏を調べ上げ、それをネタにして来るとは思いつきもしなかった。
楓にとってみれば、という存在は救世主にも思えただろう。
自分の遠縁である少女が、道明寺グループの未来を大きく左右するのだから、楓こそ運命という言葉を、一瞬は信じたかもしれない。
だが計画を進める為、今から将来の勉強しろと言う父親の代わりに何度も楓に会っていた大和は、それが偶然でも何でもないと言う事実を知って行く事になった。

(まさか、あんな裏の裏があったとはな…。ほんま恐ろしいオバはんやわ…)

昨日、楓がニューヨークへ発つ前に一度会って話したいと言ってきたので、大和はわざわざ成田まで足を伸ばした。
その空港の駐車場で15分ほど立ち話をしたのだが、楓という存在がいかに恐ろしいか、と言う事を、大和は改めて思い知らされた。

"いい?ちゃんにはここまで話したわ。もし何か訊かれたらあなたも話を合わせておいて"

どうして今回の婚約話を結城の方から持ってきた、という事にしておきたいのか。
大和はそこに疑問を感じ、楓に問いかけた。

「あなたは知らない方がいいわ」

意味深な笑みを浮かべ、楓はそう言ったが、そんな言い方をされれば余計に気になる。
大和は更に楓に詰め寄った。話すまで絶対に引き下がらないといった様子の大和に、楓も辟易したようだ。
最後には渋々ながら事の成り行きを簡単に話しだした。

「――――――――分かった?そういう事だったの。でも私を責めないでね。そう望んだのは、、、、、、、、あなたなんだから」

思ってもみなかったその答えに、大和は少なからず驚愕し、同時にに対して何とも言えない罪悪感を持つ事になった。

"あなたの為にもちゃんには全てバレるような事は少しでも避けたいの。分かったわね?"

冷めた顔でそう言い捨て去って行く楓の姿に、大和はどこかうすら寒いものを感じ、どうしようもない空しさに襲われた――――――。


(結局…オレもあのオバはんの手の上で転がされてたっちゅーわけか…。情けな…)

深い溜息と共に、大和は額の上に腕を乗せ、失笑する。
やはり、道明寺楓という女社長は一筋縄ではいかないようだ。

「オレは…どないしたらええねん…」

会社の事、の事、色々な問題が頭の中をぐるぐると回っている。
自分一人の我がままのせいで周りを巻き込んでいる事だけはハッキリしていたが、その代償があまりに大きい事に、大和は今更ながらに気付いたのだ。

「…ん、…どうしたって…?」

その時、隣で寝ていた女が再び顔を出した。まだ眠いのか目を擦りながらゆっくりと瞬きをしている。

(…ヤバ…。目先の問題は、まずコレやったな…)

細い腕を伸ばし、大和の着ているシャツを軽く引っ張って来る女を見て、大和は天井を仰いだ。
頭がハッキリしてきたついでに、何故自分がここにいるのかという事も全て思い出していた。

彼女は六本木のクラブで働いているバーテンダーだ。
昨夜、楓を送った足で大和は真っすぐ帰る気にもならず、フラリとその店に入り、カウンターバーに一人座った。
ホテルのバーでも良かったのだが、気分的に同年代の若者達が集まる夜のクラブの方が気楽だと思ったのだ。
しかし元々が目立つ容姿の大和を放っておいてくれるような場所ではない。
何度か派手な少女達に「一人?一緒に飲もうよ」と誘われた。それを軽く断りながら酒を飲んでいると、声をかけて来たのがこの女だった。

「一人だからナンパ目的かと思って見てたけど、案外お固いんだ」

カクテルを出しながら笑う彼女に、大和も釣られて笑った。
長い髪をアップにしてスッキリした感じだが、くりっとした大きな瞳が印象的な女性だ。若く見えるが年齢でいえば大和よりも少し上だろう。
客ではなく、店の従業員という事で大和はほんの少し警戒心を解いた。

「お固いと言うより…声掛けて来るのが好みとちゃうだけ」
「あれ、君、関西の人?」

そんな流れから大和とバーテンダーの女は時折、言葉を交わし、最後の方で彼女の方から「店が終わった後に一杯飲まない?」と誘ってきた。
女の気さくな印象に好感を持ったのもあり、ちょうど気分的に落ちていた大和はその誘いを二つ返事でOKし、朝方、一緒に店を出た。
ただ思惑と違ったのは一緒に飲む、というのが彼女のマンションだった事だ。

「…ふぁぁぁ…。こんなに早く起きたの久しぶり…」

豪快に欠伸をすると女は大和の方へ手を伸ばし顔を寄せて来た。
そのまま肌蹴たシャツの合間へするりと手を入れる。

「ちょ…佳奈美さん…朝から何考えてんの」

胸元を撫でる彼女の手を、やんわりと掴む。
そう確かそんな名前だった、と大和は言ってから思い出した。
行為を邪魔された事で佳奈美は不満げに大和を見上げると、夕べと同じように無邪気な視線を向ける。

「ね…シない?」

そう訊きながらも大和の返事を待つ気はないらしく、彼女の手は更に下へと降りて行く。
下腹を撫でながらジーンズの中へ向かう彼女の指先を感じ、大和は慌てて体を引いた。

「ちょ、あかんて」
「…何で?さっきも最後までシなかったじゃん。少し寝たから大丈夫でしょ?」

そう言う佳奈美はまだアルコールが抜けていないようだ。大和の方へ再び体を摺り寄せると、そのまま覆いかぶさって来る。
これでは男と女、全く逆だ。大和が苦笑すると、佳奈美は僅かに目を細め、

「それとも…さっきの酔ってるからっていうのは、ただの言い訳?」
「…言い訳って事でもないんやけど…」

上から見下ろして来る佳奈美を見上げると、大和は困ったように笑顔を引きつらせた。
流されるまま、部屋に来たまでは良かったが、やはり若い男女が密室で酒を飲むとなれば、自然にそんな空気にもなる。
大和もだいぶ飲んではいたし、佳奈美の方からキスをしてきた時は一瞬その気にもなりかけた。
彼女をベッドへ押し倒し、その後は流れに任せるまま行為に及ぶ……はずだったのだが、その時の大和の脳裏に一瞬の顔が過った。

"綺麗なお姉さんにお持ち帰りされるかもしれん"

"どうぞご勝手に"

あの時は冗談半分で言った事なのだが、それと全く同じ事をしている自分の行動に呆れ、思い切り冷めてしまった。
途中で行為を中断した大和に、当然の如く佳奈美は訝しげな顔だったが、そこは飲みすぎて無理そうだ、と何とか誤魔化し、そのまま寝入ってしまって今に至る。
本当なら佳奈美がまだ寝ている間に帰ってしまえば良かったのかもしれない。こんな状況でも一応、婚約者のいる身なのだ。

(て、ゆーても…オレが操をたてたところでちゃんがあの調子やしな…)

あの夜のの態度を思い出し再び喪失感が襲ってくる。これまでは目的に向かって突っ走って来れた。
しかしゴールへと近づいた時、その達成感は一気に空しさという形へ姿を変えた。
それは大和の心の微妙な変化とも言える。

(今頃気付くなんて…遅いんやけどな…)

佳奈美の唇を首筋に感じながら、大和は自嘲気味に笑みを零すと、彼女の体を反転させた。
その突然の行動に驚くでもなく、佳奈美はちょっと笑うと、

「やっとその気になった?―――――――」
「オレ、学校行かな」

言われた事に応える事なく、時間を確認した大和がニッコリ微笑む。と、同時にキョトンとした表情を浮かべた瞳と目が合った。

「…学校…?って、大和くんだっけ…。君、大学生?」
「いや、高校生」
「……は?」

更に佳奈美の瞳は大きく見開かれる。そして次の瞬間、「えぇぇぇっ?」と素っ頓狂な声が室内に響いた。

「う、嘘…こ、高校生…?!私、てっきりフリーターか大学生くらいかと…っていうか20歳は過ぎてるかと―――――――」
「え〜オレそないにフケて見えるん?」

そう言いながら佳奈美が驚いている間に大和は服装を直し、素早くベッドから下りた。
そしてソファにかけておいたジャケットを羽織ると、再び佳奈美の方へ向く。
高校生を部屋に連れ込んだ事にショックを受けたのか、佳奈美は未だ唖然とした顔で大和を見上げていた。

「…ほな遅刻するしオレ行くわ」
「…本当に高校生…なの?」
「ほんまやってー。これでもピチピチの高校三年生やし」
「…やだ…。凄くタイプだったのに…」
「あれれ…年下嫌いなんや」

笑いながら返せば、「そういうんじゃないけど…」と佳奈美は溜息交じりでベッドに腰をかけた。

「高校生ってチャラいのしかいないしねえ…。いくらイケメンでもチャラいのは嫌いなの。夕べ大和くんに会った時は見た目と違って固そうだからチャンスだと思ったんだけどなあ」

さすがに高校生は懲りたわ、と佳奈美は苦笑した。

「懲りた言う事は前に付き合うてたん?」
「実は前にも凄く大人っぽくて私好みのイケメンくんと店で知り合って少しの間付き合ったんだけどさー。物凄くチャラかったんだー」
「へえ。高校生は経験済みやったんや」
「そういう言い方しないでよ。彼、凄く金持ちで着てる服とかも高いのばっかだから最初は高校生にも見えなかったの。でもそれも隠してたわけじゃなかったみたいで、他の子から話を聞いてね。凄く有名な男だったから」
「…有名って?」

その話で多少興味が沸き尋ねると、佳奈美は苦笑交じりで肩を竦めた。

「ほら、金持ちの子しか通えない英徳ってあるじゃない?そこの生徒で、彼は六本木界隈を遊び歩いてたりしたから有名だったんだけどね、まあ、かなりいい男なんだけど家柄が変わってて――――――」
「………茶道の家元、とか…」
「え?何で知ってるの?もしかして総二郎と知り合いとか?」

佳奈美は驚いていたが大和の脳内にはあの挑むような目つきの男の顔が浮かび上がり溜息をつく。
"英徳の生徒"、"六本木界隈で有名"…そんな話を聞いていると、ふとF4の面々が思い浮かんだのだ。
想像通りの名前が上がり、大和は小さく溜息をついた。

「いや…噂で聞いたくらいや…」
「ふーん、なら良かった。あいつの知り合い家に連れ込んだなんてシャレにならないしー」

佳奈美は少しホッとしたような顔で笑っていたが、大和にとっても一歩間違えていたら面倒な事になっていたところだ。

(西門総二郎と兄弟、、なんて冗談にもならへんわ…。あげくちゃんにソッコーでバレそうやし)

とにかく佳奈美に手を出さなかったのは正解だった、と大和は心底ホッとした。

「っちゅう事でオレそろそろ行くわ」
「そう?まあ…残念だけど仕方ないかー」

佳奈美もその辺はドライなのか、割り切ったように立ち上がった。

「ま、変な事にならずに済んだし、気が向いたら、また店に来てよ」
「また佳奈美さんのオリジナルカクテル飲みたなったら顔出すわ」
「新作でも考えとく」

大和を玄関まで見送ると、佳奈美はそう言って明るく笑った。

「はあ……まさかあいつのお手付きにお持ち帰りされるとは思わへんかったわ…」

マンションを出ると、大和は頭を掻きつつ、すっかり日の上がった空を見上げる。
今朝がた来た時は気付かなかったが、佳奈美のマンションは大和のマンションと比較的近い場所にあったらしい。
ブラブラ歩いて行くと、ほんの数分で自宅へと着いた。

「ふあぁぁぁ…。あかん…寝不足やな…」

夕べの酒もさすがにまだ残っている。佳奈美には学校へ行くとは言ったものの、このまま少し眠りたい気もしていた。
そんな事を考えながら、マンションのエントランスへと入る。…が、インターフォンの前に立っている人物を見て、思い切り固まった。

「…おはよ」
「……」

目の前にはが呆れかえったような顔で立っていた。











「やっぱし、ここは一発、オレ達が何とかするっきゃねーな」
「ああ。オレあんま、あーゆー女、好みじゃねーけど、しゃーねーな」
「…………何の話?」

総二郎とあきらが真剣に話し込んでいると、それまで黙って話を聞いていた類が口を開いた。

「だから大河原滋をオレ達でゲットして司から遠ざけてやろうって話だよ!何、聞いてんだ、てめーはっ」

相変わらず、すっとぼけた類の態度にあきらが怒鳴る。
しかし類は今初めて聞いたかのように、「ああ、そういう事か…」とソファに凭れかかった。
今日は珍しく朝から道明寺家のリビングに集まっている。
と言うのも、昨日の夜に顔を合わせた時、司の様子がおかしいのが気になったからだ。(類は当然、総二郎とあきらに無理やり起こされ連れてこられた)

「類、もちろんお前も協力しろよ。三人いりゃ好みのタイプ、一人くらいいるだろ」
「やだよ」
「何でだよッ」
「そんなの司の家の問題じゃん。オレ達が入ると余計にややこしくなるよ」
「オレたちゃ、ややこしくしよーとしてんだよ!」

総二郎が思わず怒鳴る。その時、リビングへ司が入って来た。
いつもなら「てめーら、うるせーぞ!」と怒鳴るところだが、今日も明らかに様子がおかしい。
夕べは眠れなかったのか、うつろな目でソファに座ると、深い溜息をついた。

「ど、どうした?司…」
「寝てねーとか?」
「……お前らこそどうしたんだよ。朝っぱらから」

司は淡々とした表情で運ばれてきたコーヒーを飲む。その様子に総二郎とあきらは顔を見合わせた。

「いや…夕べお前ちょっと変だったろ?ちゃんと話すつって戻って来てからさ…。何も話さねーまま部屋にこもっちまったし」
「そもそもちゃんと話せたのか?まさかケンカしたとか――――――」

あきらのその問いには応えず、司は自分の掌を黙って見下ろした。

「また…やっちまった…」
「…え?」
「もう…マジでここいらが引き際かもな…」
「おい、司…」

その意味が分からず、総二郎は何があったのかを聞こうと身を乗り出した。
しかし類が無言のままそれを止め、ふと時計を見る。

「司、は?もう学校に行ったの?」

その問いに司の手がピクリと動く。そのまま静かに立ち上がると、

「知らね。つーか、眠いし寝るわ」
「おい、司――――――」

再びリビングを出て行く司に総二郎とあきらも困ったように息をつく。
類は無言のまま司の背中を見送っていたが、不意に立ち上がった。

「オレも帰って寝る」
「は?おい、類!さっきの話―――――――って、聞いてねーし!」

司に続き、類までもが寝に帰ってしまい、2人は盛大に溜息をついた。
まとまりがないのは昔からだが、当事者である司までもがあの調子ではどうしていいのか分からない。

「どうするよ…あきら」
「どうするっつっても…何があったのかすら言わねーし、何か司の様子もいつも以上に変じゃん」
「ま、どーせちゃんと話した際にケンカしたんだろうけど…どんくらいの規模かまでは分かんねーな」
「あれだけ落ち込んでるとこ見れば、かなりの大喧嘩かも…」

そこまで言って2人は顔を見合わせると、

「やっぱ邪魔者がいるからダメなんじゃね?」
「だな…。さっきの話、仕方ねーからオレ達2人で何とかしようぜ」
「っつー事で早速仕掛けるか」

総二郎とあきらは勢い良く立ちあがると、先ほどの計画を実行すべく、軽い足取りでリビングから飛び出した。












「…お待たせ」

濡れた髪を拭きながらバスルームを出ると、は呆れたような顔で大和を見上げた。

「朝帰りして早々、人を待たせてシャワーなんて優雅でいいね」
「……そっちが勝手に来たんやん」

大和はそう言いながら紅茶を淹れると、にカップを手渡した。

「ほんで?どないしたん?こんな朝っぱらから」

の隣に腰をおろし、大和も紅茶を口へと運ぶ。
朝帰りを見られた事で少し気まずかったが、今はやましい気持ちになるような関係でもない。
なるべく普通に尋ねたが、は溜息交じりで大和を見ると、

「…何って…大和、昨日は学校に来なかったし今日も休む気なのかなって思って…」
「せやから何で?何か用事やったん?」
「用事っていうか…。どうしたの?大和…何か機嫌悪いみたいだけど…」

先ほどから目を合わせようとしない大和の態度に、は首を傾げた。
いつもなら軽い冗談くらいは言いそうなものだ。しかし今日の大和はやけに素っ気なく見える。

「眠いだけやから…」

と、大和は欠伸を噛み殺した。

「特に用がないんやったらオレは寝るけど…。学校は明日ちゃんと行くし」

そう言って立ち上がろうとした大和の手を、は慌てて掴んだ。

「待ってよ…。話があるの」
「…話?」
「うん…この間の…」

がそう言いかけると、大和は小さく息をついて浮かせかけた腰をソファへと戻す。

「婚約の話…?」
「…うん」

は少し気まずそうに目を伏せたが、ふと思いきったように大和を見た。

「この前はああ言ったけど…婚約の話、このまま進めようかと思って…」
「……え?」

思ってもみなかった展開に、大和は本気で驚いたように一瞬、瞬きをしてを見た。

「進めるて…オレと婚約するいう事か…?」
「…するっていうか…大和が言ってたでしょ?返事は保留でいいから真剣に考えてくれって」
「……ああ…まあ言うたけど…」
「だから考えてみようかと思ったの」
「本気で言うてるん?」

頷くの顔を伺うように、大和は眉をひそめた。
はもう一度頷くと、

「本気だよ。おば様ともきちんと話して私なりに考えてみたの…」
「……どんな風に?」
「どんな風にって…」
「…つい三日前までは断って欲しそうやったのに、急に進めてもええ思うくらい何を考えたんかて聞いてんねん」

想像していた反応と違う事に戸惑い、は困ったように大和を見た。
目を合わせようとはしないその横顔に苛立ちがハッキリ見てとれる。こんな大和を見るのは初めてだった。

「どうしたの…?やっぱり怒ってるみたい…」
「…別に怒ってへん。ただ婚約の話を考えてみるて決心した理由を聞いてるだけやん」
「理由って…」
「ないんか?なら、あのオバはんに言いくるめられただけっちゅう事なん?」

大和は呆れたような目つきでを見た。

「そんな言い方…」
「ま、オレは何でもええけど。――――――ほな、婚約の話は進める方向って事でオヤジにも言うとくわ」
「ちょっと、大和…!」

不意に立ち上がり、サッサと寝室へ入って行く大和に、も慌てて立ち上がる。

「待ってよ…っ。まだ訊きたい事があるの」

後を追って寝室に入ると、大和はすでにベッドへと潜り込んでいた。
バスローブが床に放り投げられている。

「…訊きたい事て?」

大和はに背中を向けたまま訊いた。
やはり今日は機嫌が悪いようだ、と思いながら、は床に落ちているバスローブを拾った。

「大和、この前…この婚約話を持ちかけたのは楓おば様からだったって言ってたよね」
「………そうやった?」
「言ったじゃない。食事してた時に」

しばしの沈黙の後、大和は小さく息を吐いたようだった。

「…ああ…あれ…。あれは嘘や」
「え…?」

の方を見ようとはしないまま、大和はそう応えた。

「嘘って…何で――――――――」
「…話を持ちかけたのが結城の方からや言えば、またオレの印象が悪なるやろ?せやから言うただけ」
「…ホントに?」

は探るように訊いた。そんな事を気にして嘘をつくのは大和らしくないと思ったからだ。
大和は相変わらず背中を向けたままで、表情すら分からない。

「ほんまや。他に何がある言うねん」
「そうだけど…」

はどうもしっくりこなかった。今日の大和の態度といい、何かおかしい。
でもハッキリと何が、と言えるほど確証があるわけでもなく、はどうしたものかと立ちすくんでいた。

「ほな、もう寝かせてもーてもええ?今日オレ寝不足やねん」

その声にハッと顔を上げれば、先ほどまで背中を向けていた大和が上半身だけ起こしを見上げていた。
先ほどまでとは違い、大和の表情も幾分和らいでいる。それを感じた瞬間、は知らずホッとしている自分に気付いた。
普段とは違う大和の態度に、少なからず緊張していたらしい。

「あ…うん…ごめんね、急に押しかけてきちゃって…」
「ええよ。ああ、それとも一緒に寝る?名実ともに婚約者になってんから」
「な…何言ってんの…っ?」

ニヤリと笑う大和を見て、の頬が僅かに赤くなった。

「こんなんで慌ててどないすんねん。ちゃんはオレの婚約者やねんから、これから何されても文句は言えへんで?―――――ああ、あと婚約者に"ちゃん付け"も変やし今後は呼び捨てするわ」
「な…名前はどう呼んでくれてもいいけど……。何する気よ…」
「フツーに婚約者同士がする事」

言った瞬間、大和はの手を勢いよく引っ張り、自分の方へと寄せた。
避ける間もない。気付けばは大和の腕に抱きしめられていた。
裸の胸元からはかすかにボディシャンプーの香りがする。

「―――――ちょっと…っ」

いきなりの行動に抗議しようと顔を上げれば、至近距離で目が合う。
大和はニヤリと笑みを浮かべ、

「こんなんで赤なってたら身が持たんのとちゃう?オレ達、結婚するかもしれへん仲やねんから」

軽く苦笑いを浮かべながら顔を近づけて来る大和には驚き、慌てて顔を背けた。

「ふざけないで…っ。それに私はまだ結婚すると決めたわけじゃ―――――――」

と、言いかけたその時。大和が小さく吹き出した。

「やーっと本音が出た」
「……っ?」
「やっぱ、あのオバはんに説得されて渋々OKしたんやん」

腕を放し、大和は改めてを見た。その目はどことなく冷たい。
は心の中を見透かされたような気がして言葉に詰まったが、同時に大和を傷つけたのでは、という思いがこみ上げて来た。
先日も別れ際、似たような気持ちになった事を思い出す。

「…ち、違うよ…。渋々なんて…」
「ほな今ここでオレが押し倒したとしても抵抗せえへんか?」
「…な…何でそうなるのよっ」
「渋々やないなら自分の意思やろ?ほなら婚約者のオレが何したってええやん」
「そ、そんなわけないでしょっ」

は頭に来て立ちあがったが、大和は特に止めるでもなく再びベッドへ寝転がった。

「心構えの問題や。まあ別に今日、無理やりしよーとは思ってへんし。これから、いくらでもチャンスはあるんやから」
「チャ…チャンスって…」
「オレは…名ばかりの婚約者なんていらんねん」

不意に口調が変わり、真剣な顔で見つめる大和に、はドキっとした。

「ほんまにオレとの話を進めてええ思うてんなら、その心構えでいとき。見せかけだけの決心なら、この話じたい白紙になった方がマシや」
「………」
「分かったなら、そろそろ寝かせてくれへん?めっちゃ眠たいねん」

大和はそう言って布団に潜りこんだ。
その態度には何かを言いかけたが、今は言っても無駄だ、と思いなおし素直に寝室を出る。

「ほな、またな。――――――お休み、

ドアを閉める瞬間、大和の冷めた声がの耳に届いた。














「…雨…?」

大和のマンションを出て、表通りまで歩いて来たは、頬に水滴が当たるのを感じて空を見上げた。
先ほどまで見えていた太陽は分厚い雲に覆われ、どんよりとした雨雲が広がっている。
まだ五月とはいえ、すでに半ば過ぎ。春は終わり、そろそろ季節は梅雨に入る頃だ。

「…予報じゃ雨なんて言ってなかったのに」

そう愚痴ってみたところで、この時期の天気は変わりやすい。
最初はポツポツとした水滴が、次第に激しくなるのを感じて、は仕方なく目の前にあったカフェへと飛び込んだ。

「いっらっしゃいませー」

店員がに気付き、声をかける。そのまま窓際の席まで案内され、ハンカチで軽く肩を拭きながら腰を下ろした。

「ミルクティー下さい」

そう注文してから携帯の時計を確認する。
このまま学校へ行こうと思っていたが、この雨ではタクシーを拾いに行くまでにびしょ濡れになりそうだ。
本当なら家に電話をして迎えに来てもらえばいい。ついでに傘も持ってきてもらえる。
しかしそんな気分でもなく、は雨粒の当たる窓を暫く眺めていた。
脳裏に浮かぶのは、先ほど見せた大和の不自然な態度。まるでいつもと様子が違っていた。
その事が引っ掛かり、は何となく気持ちが沈んでいた。

(…大和、どうしたのかな…。普段の明るい大和じゃなかった…)

明らかに不機嫌そうだったし、どこか苛立っていたように思う。
――――――婚約話を進めてくれと言った事が気に入らなかったのだろうか。
ふと、そんな事を考える。でも先日までは大和の方が考えてくれと言っていたのだ。それなのに…。

"あのオバはんに言いくるめられただけっちゅう事なん?"

大和にそう言われた時、少なからずドキっとした。
全て自分だけの意思で、と言うのは、あまりに白々しい。
大和もその辺を感じ取っていたのかもしれない、と思った。
とすれば、やはりが自分の意思で婚約を決めたわけじゃないという雰囲気が伝わり、それが大和には気に入らなかったのだろう。

(そりゃそうか…。誰でも頭に来るよね…。それでなくても今回の話は事業がらみなんだし…)

忙しい、とか夢の為に、と何だかんだ言い訳した割に、結局も楓の仕事の事を考え、言いなりになった、と思われたのかもしれない。
誰でも好きな相手からそんな事をされたら幻滅するだろうし、も自分の本心から決めたわけじゃない、という負い目を感じていた。
楓の為に、と思った事だが、大和の気持ちなど全く考えてなかった自分に腹が立つ。
少なくとも大和を傷つけたのは間違いなかった。

(嫌われちゃったかな…)

ふとそんな思いが過り、胸の奥が痛くなった。
恋愛感情と違うところではあっても、は大和が好きだったし、これまで色々と助けてもらったという思いはある。
それなのに自分は大和に何をしてあげただろう?
運ばれてきたミルクティーを口にしながら、小さく息を吐く。―――――――最近の私は誰かを傷つけてばかりだ。
司にぶたれた頬にそっと触れ、は軽く唇を噛みしめた。

"……ふざけんな…。そんな話、聞くためにニューヨークから戻ったわけじゃねえ"

去り際に言われた言葉が今も耳に残っている。殴られた自分よりも、殴った司の方が辛そうな、そんな響きだった。

(ダメだな…私…。何してるんだろう…)

司も大和も精一杯ぶつかって来てくれたのに、自分はただ2人を傷つけただけ。
心は自分のものでも、自由に動かせるものではない。でもそんなものは言い訳にもならない気がした。

「…あれ…止んでる」

二杯目のミルクティーを飲んでいると、徐々に弱まって来た雨が上がっている事に気付き、は時計を確認した。
午後12時半過ぎ。学校ではとっくに昼休みの時間だろう。
今から行く気にもなれず、はこのまま家に帰って最近さぼっていた習い事の練習でもしようか、と思った。
何だかんだと面倒な事に巻き込まれ、ここのところ勉強すらまともに出来ていない。

(結局、西門さんにも茶道、教えてもらい損ねちゃったしなあ…。また改めて頼まないと…。今日、空いてるかな)

ふと思い出し、携帯に登録してある総二郎の番号を表示した。
…が、その時、良く見知った顔が窓の外を過った気がして、思わず立ち上がる。

「…っあれは…」

その三人連れを視界に入れた瞬間、思わず目の錯覚かと思った。
考えるよりも体が動き、すぐにレジで支払いを済ませカフェを出る。そのまま小走りに前方に見える背中に声をかけた。

「滋さん…!」
「…?!」

嬉しそうに振り返ったのは、やはり大河原滋その人だった。そして彼女と一緒にいたのは――――――

「西門さん…美作さんも…!何してるんですか?三人で」

何故か総二郎とあきらもいる。しかし2人は疲れ切った顔で振り返ると、

「何って…デート…」

と、青ざめた顔で呟いた。

「は?デートって…」

このおかしな組み合わせには思い切り首を捻った。

「…何で?このメンバーで?」

その問いには滋がにこやかに応えた。

「うん。あのねー。この人達が学校まで迎えに来たのよー。遊ぼーって」
「あ、遊ぼうって?2人が?」
「そ!それでねー。お台場行って、ゆりかもめ乗って、遊園地行って、お茶4回して、雨降って来たからデパート2つ回って、雨やんだし渋谷に来てここまで歩いて来たのー」
「………そ、そう…なんだ…。でも何で2人が滋さんを…」

滋の説明に引きつりながら、隣にいる2人を交互に見る。しかし総二郎とあきらは青い顔のまま、

ちゃん助けて…」
「オレなんかジェットコースター五回も付き合わされたんだぜ…。吐きそう…」

あきらは手で口元を押さえながら涙目で言う。
確かに滋の行動力の凄さは身を持って実感しているので、も内心同情はしたが、疑問は残る。

「でも…何で2人が?」

再び同じ事を尋ねると、2人の代わりに滋が応えた。

「私も不思議に思ったわけよ。どうやらこの2人、私に司を諦めさせようとしてるみたいなの」
「ええっ?」

「「って、気付いてたんかっ!」」

が驚くと同時に総二郎とあきらも驚きの声を上げる。
滋は2人のその反応を見て、人差し指を軽く振って見せた。

「ちっちっち。滋さんを侮っちゃいけませんよ。あなた方の考えてる事はお見通し!でも2人とも好みじゃないのよねえ〜」

「「――――っ?」」

「体力ないしー!だいたい、ここまで整い過ぎてる男ってつまんないしー」

「「―――っっ?!!」」

総二郎とあきらは滋の発する一言、一言に驚愕の表情を浮かべ、少しづつ項垂れて行く。
どうやら激しくプライドが傷ついた…いや押しつぶされたほどのショックを受けたらしい。
滋の発言と2人の過剰な落ち込みぶりを見て、も絶句していた。

(あの2人が…こんなにボロクソ言われるとは…。やっぱり滋さん恐るべし…!)

完全に膝落ちしている2人に、は心から同情したが、言った本人はケロリとしている。

「やっぱり私は司一筋よ!って事で、私この後、バイオリンのお稽古なのー。付き合ってくれてサンキュ〜。―――あ、、またね!電話するからー」

笑顔で去って行く滋に、も引きつった笑顔で手を振る。そして後ろでへこんでいる総二郎とあきらに、

「…大丈夫?」

と、恐る恐る尋ねた…。











「…ったく、まだ目が回る…」

言いながら、あきらは額に手を当て、大げさに息を吐く。そこへ注文したコーラが運ばれてきた。
今はが先ほどいたカフェへと来ている。2人がどこかで休みたいと言ったので、当然のように目の前にあったカフェに入った。

「何なんだ、あの女…。バケモンか。オレ、好みじゃねえって言われて嬉しいの初めてだよ」

総二郎が顔をしかめながら飲み物を口に運ぶ。散々滋に付き合わされ、喉が渇いていたようだ。

(でもホント、遊び人の2人がここまで振り回されるなんて…)

もコーラを飲みつつ、内心苦笑した。と、同時に小さな疑問が浮かび、ふと総二郎を見る。

「で、でも…どうして2人はそこまでして司の為に…?」

言った瞬間、総二郎が怖い顔でを見た。細められたその目は明らかにを非難している。

ちゃんがハッキリしないからだよ」
「……っ…?」

その一言にドキっとした。に対し常に優しかった総二郎が、こんな言い方をしたのは初めてだ。

「オレ達は司に婚約者がいるのは知ってたけど、ちゃんがその気にさえなりゃ、いつでもぶっ壊せるって思ってたしよ。駆け落ちでも何でもして」
「…か、駆け落ち…っ?」
「確かに義理の兄妹かもしんねーけど前にも言ったように元に戻せんだしさ。要はちゃんの気持ち次第なんだよ」
「そうそう。第三者のオレらじゃどうにもなんねーよ」
「…………」

は無言のまま俯いた。2人の言いたい事は分かる。しかし――――

「あの司が、ちゃんの事あんなに想ってんだぜ?そりゃ凶暴だしバカだし先は大変かもだけど」
「オレ達もそろそろ見ちゃいらんなくてさ。どうにかならないの?」

あきら、そして総二郎に問われ、も言葉に詰まる。総二郎は小さく息を吐いて僅かに身を乗り出した。

「そういや今朝、司の奴すっげー落ち込んでたけど……。昨日何かあった?あいつちゃん探しに行くつってたんだけど……会えたんだろ?」

昨日の事を訊かれ、はドキっとした。司が家の近くで待っていた時の事だ。
思い出した途端、司に殴られた頬がまた痛みだした。

「うん…会った」
「何があったんだよ」

は話していいものか一瞬だけ迷った。しかしこの2人に話さなければ余計な気を遣わせてしまう。
今日みたいに滋にまで迷惑がかかるかもしれない。ならいっそ自分の出した答えを、総二郎とあきらにも話しておくべきだと思った。

「…私、大和との婚約話を進めるって言ったの」
「「…は?」」
「…それと…司には…滋さんのような人が似合うって言ったわ」

の言葉に、総二郎とあきらは驚愕した顔で声を荒げた。

「な…っそりゃねーだろっ」
「そうだよ…!少しは司の気持ちも考えてやってくれよ…っ」

2人から一斉に責められる。その時、の中で何かが切れたような気がした。これまで必死に抑えてきたものが。

「じゃあ西門さん、美作さん訊くけどっ!私の気持ち考えてくれた事、ある?」
「「…………っ?」」

司は例外として。はこれまで2人にこんな口を利いた事はない。
総二郎とあきらもまた、の感情的な物言いに困惑しながら顔を見合わせた。

「2人はいつも好きな事、言いたい放題だけど…!私にだって感情はあるの!司を傷つけてる事も分かってる…!でも自分の気持ちもハッキリしないのに応える事なんか出来ないし、 なのに司は待つとか言ってもいつも強引だし…っ。大和だってそうよ…!考えろって言うから考えて応えたのに責めるような事言うし…!」
「や…大和?」
「…って結城の坊ちゃんか…?」

突然、今の話と関係のない名前が飛び出し、総二郎とあきらはギョっとした。
しかしは2人の様子にも気付かず、

「私はおば様に恩だってあるし、その恩をあだで返したくないから決心したのに…!そりゃそういう気持ちが大和を傷つけてるって事も分かってるけど、でもじゃあ私はどうしたらいいのよっ」

だんだん白熱してきたに、総二郎とあきらも口を挟む事が出来ない。
司の話をしていたはずが、途中で大和への怒りに変わった事を突っ込む隙さえないほど、今のは頭に血が上っているようだ。

「だいたい男って何なの?好きだとか何だとか言うクセに私の気持ちなんかお構いなしなんだから!金持ちのボンボンは皆そうなの?人の気持ちまで買えるとか思っちゃってるわけ?何で勝手で強引なの?」

司や大和だけでなく、"金持ちのボンボン"という括りで2人にまで被害が及んできて総二郎とあきらは困ったように頭を掻いている。
しかし怒っていたはずのは少々感情的になりすぎたのか、いつしか大きな瞳に涙を浮かべていた。

「私が何したって言うのよ…。もう放っておいて…責めないでよ…」

ぐす…っと鼻をすするを見て、総二郎は苦笑いを浮かべた後、軽く息をついた。

「よっしゃ、分かった。もう言わねー」
「……っ?」
「泣くなよ」
「な、泣いてない…っ」

あきらに頭を撫でられ、は慌てて涙を拭った。

「そーだよな…。ちゃんも色々抱えてんだよなァ…。これ以上、司みたいな大荷物増やしても潰れちまうか」
「まあ、その点、司と滋も案外合うかもしんねーな。アブノーマル同士」

総二郎はそう言いながらニヤリと笑う。

「つってもちゃんの相手が結城大和かと思うと許せねえ気持ちは残るけど…ちゃんの立場上、アッサリ断るわけにもいかなそうだし?万が一あいつに傷つけられたらオレが慰めてやるよ」
「…い、いい。西門さんの方が危ない気がするし」
「お、言うねえ。ま、それは冗談として…。ホント、何かされたらオレらに言いな。倍返しにしてやっから」
「そーそー。ちゃんは唯一無二、F4のお姫様なんだから、そのちゃんと婚約するなら、それなりの覚悟をしといてもらわねえとな」
「西門さん…美作さん…」

2人の言葉に、はさっきまで昂ぶっていた気持ちが次第に落ち着いて来るのを感じた。
本音で伝えた事を相手に全て理解してもらうという事は、簡単なようでいて難しい。
自分がストレートに言ったつもりでも、相手の受け取り方次第で、それは全く違う形になる事もある。
は2人が気持ちをくんでくれた事、理解しようとしてくれた事が素直に嬉しかった。

「…ありがとう」

総二郎はそんなに微笑むと、

「オレらは司の親友だけど…ちゃんの事も同じように大事に思ってっから。迷ってるならまだしも…ちゃんが考えて決めたんなら…もう何も言わねえよ」
「そう言う事。類もきっと同じように言うと思うぜ」
「…花沢類も?」
「あいつ、口下手だけどさ。ちゃんの事は大事に思ってるの分かるから」

総二郎のその言葉に、また涙が溢れた。その言葉だけで充分だと思った――――。












「―――あれえ?どうしたの?」

六本木のクラブ、"Zee"。
そこのカウンターバーで注文されたカクテルを作っていた佳奈美は、ふらりと目の前に座った人物に目をやり、驚いた顔をした。

「また来る言うたやん」

大和は言いながらカウンターに肘をつくと、「佳奈美さんおススメの一杯、作ってぇな」と言った。

「いいけど…。もうだいぶ出来あがってるみたいじゃない?」
「家でちょっと飲んでただけやし大丈夫」
「そう?ならちょっと待って。これ作っちゃうから」

だるそうに頬杖をつく大和を見ながら、佳奈美は先に注文のきていたカクテルを仕上げ、ウエイターに渡した。

「大和くんは甘めのよりさっぱり系が良かったのよね」
「そやなあ〜。ま、佳奈美さんに任せるわ」
「OK」

言いながらもリキュールやライムといった材料を手早く揃えて行く。
そして材料が揃うと慣れた動作で準備しだした。それを眺めながら、大和は深い息を吐く。
昨日(今朝?)の今日でまた来るとも思わなかったが、今夜も何となく一人でいたくない気分だった。

「はい、モヒート」
「お〜。オレこれ好き〜」
「だと思った」

グラスを受け取ると、すぐに口をつけ、「美味い」と連呼する大和に、佳奈美は苦笑を洩らした。

「で?どうしたの?まさかこんなにすぐ来るとは思わなかったわ」
「来たらあかんかった?ああ…オレ、佳奈美さんの苦手な高校生やもんなぁ」
「意地悪だなあ。まあでも大和ならいいかなって、あれからちょっと後悔しちゃったんだけどね」
「お、ほな今日も佳奈美さん家に行こーかな」
「いいけど、どうせ、また清い、、お付き合いなんでしょ」

今使った材料を冷蔵庫に仕舞いながら佳奈美が笑う。大和はふと顔をあげて、

「オレは清くない不純なお付き合いの方が好きやけどなー」
「私は最初からそう思ってたけど?」

佳奈美は意味深な笑みを浮かべ、大和の方へ身を乗り出す。だが、不意に肩を竦めてみせた。

「でも今夜もなーんか心ここにあらずって顔してるし無理しないでいいわよ」
「…そうかー?陽気に酔うてるやん」
「そう?でも何だか…失恋したような顔してる」

その一言に、グラスを口に運ぶ大和の手が僅かに止まった。

「失恋て…オレ、これでも結構モテモテやねんけどな〜」
「そうだと思うけど!何となくそんな顔してる。寂しいって顔」
「ほな慰めてくれるー?」
「モテモテなら慰めてくれる相手くらい沢山いるんじゃないの?」

佳奈美が笑いながら応えると、大和の顔からふと笑顔が消えた。
それに気付いた佳奈美は、黙ってカクテルのお代わりを作る。

「やだ。ホントに失恋したの?」
「…あれも失恋ゆーんかなぁ…」

昼間の事を思い出しながら、大和はフロアで楽しげに踊る男女を眺める。
頭が割れそうなほど大きな音量も、この空間でなら心地よく耳に響く気がした。

「…どういう事?」

ボーっとフロアを眺めている大和の表情を見て、佳奈美は僅かに首を傾げた。

「…オレ…婚約者がおんねん」
「…えっ?」

さらりと言われ佳奈美が驚きの声を上げる。大和はフロアを見つめたまま、言葉を続けた。

「その子の事はガキの頃から知ってて…。オレと双子の兄貴の…初恋の子やった。兄貴ともしかしたら結婚してたかもしれへん」
「…そう。複雑なの?」
「…まあ。複雑と言えば複雑な関係やな」

まるで独り言のように大和は呟くと、苦笑いを浮かべた。

「…じゃあお兄さんとその子を取り合ってるとか…」
「いや…兄貴は事故で死んだ」

佳奈美が息を呑む。

「そう…変な事訊いてごめんなさい」
「謝る事あらへんよ」

大和は軽く息を吐くと、カクテルグラスを口に運ぶ。

「ま…色々あって…オレが兄貴の代わりにその子と…って思ったんが悪かったんかもしれん」
「代わりって…」
「オレはガキの頃から兄貴…海斗に…なりたかった。憧れてた。何でも出来る海斗の真似ばかりしてたわ」

海斗の目に映るもの全て、自分のものにしたかった。
同じものを見て、同じものを感じて、元々は一つの魂だから、そうする事が心地よかった。そうする事で海斗が自分の一部だと感じる事が出来た。

「あいつだけがオレの家族やねん。半分づつ分かち合った命やから」

そう言いながら、大和は何故こんな話を会ったばかりの佳奈美にしているのかすら分からなかった。
海斗を失ってから消えない胸の奥の鈍い痛みを、誰かに打ち明けたかったのかもしれない。

「…だから代わりなの…?婚約もお兄さんが好きだった子だからしたってわけ?自分が好きなわけでもないのに…」
「…好きやったで」
「え?」
「…最初は"海斗の好きな子"って認識で話を聞いたりしてた。でも…聞いてるうちにオレも多分、その子の事が好きになっててんなぁ、きっと。
でも…海斗から奪おうとかは思わへんかった。その子の話を聞いたり写真を見たり、それだけで楽しかったし」

大和は自嘲気味に笑うと、

「でも海斗が死んで少し経った頃…その子の写真を見返してたら…無償に手にいれたくなった」
「…それは…お兄さんの代わりにって事?」
「初めはそうやったかもしれん。海斗はその子と再会出来るの楽しみにしてたしな…。そやから代わりにオレが…って気持ちもあった。でも…」
「…実際に会ったら…本気になっちゃった?」

その問いに大和は答えなかった。ただ、悲しげに笑みを浮かべグラスを傾ける。

「オレはその子に酷い事した…」
「…え?」
「本人はまだ気付いてへんけど…知られたらきっと一生…許してもらえへんやろなあ…」
「…だから"失恋"なの?」

新しいカクテルを作りながら、佳奈美はさりげなく訊いた。

「いや…元々その子はオレの事、友達としてしか見てくれてへんし最初から失恋してたようなもんや。今回それを更に実感したゆうか…自分でもどうしたらええのか分からんようなって」
「…なら、やめちゃえば?婚約なんて。相手がそうなら大和くんが傷つくだけじゃない」
「そないに簡単にはいかんとこまで来てんねん」

大和はそう言うと出されたカクテルを一気に飲みほした。

「ここで投げ出したら…その子を傷つけた意味がなくなるところまで来てもーたしな…」
「良く分かんないけど…大和くんはそれでいいの?」
「ええ事ないよ。でも…矛盾してんねん。彼女を自由にしてやりたい気持ちと…手に入れたい気持ち…。何や今のオレは頭ん中ゴチャゴチャで前のように接する事が出来んようなって…」

俯いて髪をクシャリと掻き上げる。そんな大和を見つめながら、佳奈美はふと微笑んだ。

「ホントに好きなのね、その子の事」
「…え?」
「恋愛なんてね。矛盾だらけなんだよ」

佳奈美が苦笑気味に大和の額をつつく。

「答えなんかないの。好きな相手にも同じように自分を見て欲しい。自然にそう思っちゃうもので本来は我がままな感情だと思う」
「…そうかもしれへんなあ…。今回の事でオレもまだまだガキやなって思い知らされたわ…」
「でもね、それを通り越すと相手の気持ちになって考えられる時が来るわ。それに気付くまで…少し距離を置いてみたら?」
「…距離…?」
「そう。相手にも少し考える時間をあげるの。その子にも自分の気持ちと向きあう時間が必要かもしれないし。それでダメならキッパリ諦めるとか」
「…向こうは婚約OKしてくれてんけど」
「でも納得いかないから大和くんはそんなにモヤモヤしてるんでしょ?まあ…詳しい事情は知らない私が言うのもアレだけどさ」
「……………」

佳奈美に言われて気付いた。そう、納得はしていない。
自分で仕掛けた事なのに、がすんなりOKした事が少なからずショックだった。
いや、ショックを受けた自分自身に、大和は多少なりとも動揺し、混乱していた。
を手に入れる為だけに動いていたはずなのに。

最初は海斗の為だったと思う。海斗が好きだった女の子。その想いをどうしても消したくなかった。叶えてやりたかった。
兄に迷惑をかけてばかりだった弟の、弔いにも似た感情だったのかもしれない。
なのに実際にと会い、接している内に、は"海斗の好きな子"ではなくなっていった。
に好きだと言っているうちに、それは大和本人の言葉に変化していったのかもしれない。
だからこそ以前のように素顔を隠し、ひょうきんな顔で相手をけむに巻く、という事が出来なくなっている。
思わぬところで本音が零れ、素顔をさらけ出してしまいそうになるのだ。
楓に恩を感じて婚約を承諾したであろうに対し、苛立ち、それを誤魔化す事さえ出来ないほど―――――――――
自分自身でそう仕向けたはずのに何とも勝手な話だ。

「…アホやなぁ、オレは」

そう呟き失笑する大和に、佳奈美は最後の一杯ね、と新しいカクテルを出す。
琥珀色の綺麗なそのカクテルの名は"ファラオの涙"だと佳奈美は言った。

「私のオリジナル。恋をしたら誰でもそうなるの。例えどれほどの権力者でもね。そういう意味合いを込めて作ったんだ」
「…さすが。年上のお姉さまは言う事がちゃうな」
「失礼な。たった6歳しか違わないっての」

からかう大和に佳奈美が目を細める。
そんな他愛もないやり取りが、今の大和には心地良かった。

「…で?どうする?」
「…ん?」
「今夜…うち、来る?」

そう訊いて来る佳奈美の瞳は女のそれだった。

「婚約者の子に操を立てるってんなら別にそれでもいいけど」

大和はカクテルを一口飲むと、

「…何時頃、出れそう?」
「昨日よりは暇だから…4時には」
「ほな待ってるわ」

佳奈美は嬉しそうな笑みを浮かべ、ついでに大和の手からグラスを奪う。
代わりに水の入ったグラスを前に置かれ、大和は驚いたように顔を上げた。

「何で水?」
「飲み過ぎて今夜もダメって言い訳出来ないようにしとくの」
「……こわ。オレ無事に帰れるんか心配なってきたわ」
「少なくとも今夜はそのつもりで来てね」
「…マジで?」

一瞬、顔を引きつらせた大和に色っぽい笑みを浮かべ身を乗り出すと、佳奈美は大和の唇へ軽くキスを落とした―――――――。















長くなったので一度、区切ります〜




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◆ちあ様◆
『フォームからコメントを送って下さり、ありがとう御座いました!
紅白は嵐と真央ちゃんになりましたねー(^^)久しぶりの花男コンビ楽しそうです。
今後も原作沿いながらオリジナルな展開も混ざった感じで進めて行くかと思われ…ちょっと大人な展開もあるかなあ?(笑)とにかく頑張ります〜(^^)/』





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