迷路B








あの日から、司は私をずっと避けている――――。



「え、今日も司、いないのー?」
「…………」

学校から家に戻ると、そこで待っていたのは大河原滋さんだった。
一緒に買い物した日から、彼女は学校や家にしょっちゅう顔を見せるようになっていた。

「どこに行ったの?」
「さあ……。私もここのとこ会ってないし……」
「え、同じ家に住んでて?」

滋さんは驚いた顔をしてたけど、司がどこかへ姿を隠すのは良くある事だ。
司がいなくなってから一週間。
おおかた、どこかの別荘に行ってるんだろう、と西門さん達も言っていた。

「一緒に住んでても司の行動全て分かるわけじゃないんだ。あいつ時々どっかへフラっと行っちゃう事あるから……」
「そっかぁ。今日こそ会いたかったのになぁ……」

滋さんは少し寂しそうな顔で呟いている。その様子を見ていると、本気で司に恋しているみたいだ。

「あ、じゃあはこれから用事ある?一緒に夕飯でもどう?」
「あ……ごめんね、今からピアノの先生が来るの」
「……そうなんだ。ま、私はお稽古サボって来ちゃったんだけどさ〜。そっかぁ、残念……」

見るからに落ち込んでいく滋さんを見て、私は申し訳ない気持ちになった。
司に会っていない事でも、ここ最近は彼女も元気がないようだし、もしかしたら話を聞いて欲しいのかもしれない。

(昨日もお茶に誘われたの断っちゃったし……)

ふと罪悪感を感じ、私は時計を確認した。ピアノのレッスンは二時間ほどで終わるはずだ。

「じゃあ……今日は帰るね」

そう言って帰りかけた滋さんの腕を、私はとっさに掴んだ。

「待って!あ、あの……ピアノのレッスン、二時間くらいなの。その後で良ければ――――」
「ほんとに?!」
「う、うん……わっ」

ぱっと笑顔になった滋さんがいきなり抱きついて来て、私は後ろへのけ反った。

「ありがとう、!じゃあ私、その辺で時間潰してくるね」
「う、うん。7時には終わると思うから」
「OK!じゃあ7時にまた来る!」

滋さんは満面の笑みを浮かべて車の方へと走っていく。まさか、こんなに喜んでくれるなんて思わなかった。
その後ろ姿を見送りながら、私は少しだけ複雑な気持ちになった。
司の婚約者と、こんな風に友達づきあいしててもいいものか、とも思うけど、滋さんは何だか憎めない性格なのだ。

「はあ……。でもまた司の話をあれこれ聞かされるのかな……」

それだけが少し憂鬱だった。でも彼女の事は嫌いじゃない。
最初はあの強引なところが苦手だったけど、話をしてみると、単に自分の感情に物凄く素直な人なんだ、と分かって来たから。
でも今の私には、司の事で相談されるのは少しきつい。
司が姿を消してしまったのは私のせいなのに、滋さんの相談に乗るのは気が引けるのだ。

司を傷つけてしまった罪悪感は日増しに大きくなっていく。
ぶたれた頬の痛みは消えても、胸の痛みは一向に消えてくれない。
花沢類の事でもあんなに傷つけたのに、私の為を思ってニューヨークへ行った事、私を心配して帰国した事。
西門さん達にその話を聞いて、司がどれほど私の事を大切にしてくれていたか、こうなって改めて思い知らされた気がした。

それに……もう一つ気になるのは大和のこと。
大和からもあの日から連絡がなかった。やっぱり愛想をつかされたのかもしれない。
といって、私からも連絡する事が出来ず、婚約の話だけが宙ぶらりんのままだ。
道明寺家の、ううん、楓おば様の為になるなら、なんて考えて、安易に決めた結果がこれだ。
もう、私にはどうしていいのか良く分からなかった。

「いけない……。ピアノの先生が来ちゃう」

ふと時間を思い出し、急いで部屋へと戻る。
最近は稽古事に忙しく、時間にただ流されている毎日で、決められたスケジュールを淡々とこなしていた。
でもその事が返って今の私には良かった。忙しくしていれば、あれこれと悩むこともない。
いつまでも逃げてばかりじゃいられないのは分かっている。だけど今は、何も考えたくなかった――――。










「で、司がどこ行ったか分かったの?」

類は家に来た総二郎とあきらを部屋へ通し、開口一番訊ねた。

「いや、全然わかんね。都内近郊にある別荘、かたっぱしに行ってみたけどいねえんだよ。もしかしたら地方か海外に行っちまったのかも」
「ったく、あいつどこ行ったんだ?携帯の電源も切ったままだし……」

二人は溜息交じりで肩を竦めると、キングサイズのベッドへと腰を掛けた。

「しっかし相変わらず何もねえ部屋だな」
「色々あっても邪魔だし。それより……、ほんとに結城と婚約する気なのかな」

運ばれてきた紅茶を飲みながら、類はふと思い出したように聞いた。
総二郎とあきらからがそう言ってたとは聞いたが、類としてはどうしても納得がいかないのだ。

ちゃんは司の母ちゃんに恩感じてっからなあ……。だから一応は婚約話を進めるって事だったぜ」
「ふーん……。それで司は傷ついて消えたってわけか」
「あいつらしくねえだろ?まあ惚れてる女から、あの滋って女を勧められたショックもあったんだろうけど……」
「そういや最後に会った時も、何か真剣な顔して潮時かも……つってたもんなぁ。ちゃんの事は完璧に諦めたって事かもよ」

総二郎とあきらは溜息交じりで項垂れている。しかし類だけは不満げな顔で深く溜息をついた。

「それでいいのかな」
「え?」
「司もも……好きでもない相手と会社の為に結婚なんて。俺は嫌だけど」
「類……」
「でも俺達みんな、将来はそうなるだろ」
「ああ……。だから今のうちに遊んでんだし」

総二郎とあきらはすでに諦めているのか、そういった環境を受け入れている。
でも類は家の為に、良く知らない相手と婚約をし、結婚させられるなんてまっぴらだ、と思った。
静をずっと想い続けていた頃は、もし政略結婚をさせられるような事になったら本気で家を出ようかと考えた事もある。
でも相手が静だったからなのか。それとも厳しくしつけたせいで類が小さい頃、屈折してしまったからなのか。
昔よりは厳しい事を言ってくる事もなく、今は意外と類の好きなようにさせてくれていた。

「でも……最近の、元気ないんだ」
「え?」
「今日も学校で会った時、どこか疲れてる感じだったし……」

類はふと、非常階段で会った時の事を思い出した。
いつものように他愛もない話をしただけだが、は時々ひどく疲れたような顔で遠くを見ている事が多かった。

「そういやちゃん、最近は忙しいつってたよな」
「ああ、毎日色々な稽古させられてるみたいだし。明日は総二郎のとこ茶道習いに行くんだろ?」
「道明寺家の養女として頑張らなきゃって思ってんだろうな。それに精神的にもきついんじゃね?司やあの結城大和のこと、傷つけたって落ち込んでたし」

総二郎とあきらもの様子には気づいていた。
前に総二郎とあきらの前で、強引で勝手な事を言う司と大和に対して怒っていただったが、心の中では自分の出した結論に罪悪感を感じているようだ。
総二郎も、が茶道を習いに来た時、時々は愚痴を聞いたりもしていたし、それとなく励ましてはいる。
ただ今のは自分の意思で動けないジレンマみたいなものを感じてて、それがストレスになってるようだった。

は優しいから……」

ふと類が呟いた。

「俺が静との事で落ち込んでた時、いつも励ましてくれたのはだったんだ」
「……類」
「パリに行くと決心できたのも、離れるのが嫌なら俺が静の傍に行けばいいんだって、が背中押してくれたおかげだしね」

総二郎とあきらは、類の話を黙って聞いていた。
類は思いだしているのか、どこか優しい顔で言葉を紡いでいる。

は人の気持ちを考えすぎるところがあるからさ。司の母ちゃんや司の事、それに結城の事も、そうやって素直に受け止めちゃうから苦しくなるのかもしれない」
「まあ、なあ…。司の母ちゃんも司も、かなり強引なとこあっから、自然とちゃんが流されちまうのは仕方ねぇけど……」
「そこに結城大和まで割り込んできたんだから、ちゃんとしては頭が混乱するだろうな。どうしたらいいのか分からないって前に言ってたし」
「で、悩んだあげく、結局は司の母ちゃんに恩返しの為って理由で、結城大和との婚約決めちゃったってわけだ」

総二郎、あきらは深々と溜息をついたが、類だけは何やら考え込みながら、ベッドへと寝転がった。

「でもさ……。俺、が婚約決めたって聞いてからずっと考えてたんだけど……」
「何を?」
「現状だけみると、司の母ちゃんが何もかも自分の思い通りに話を進めて行ってる感じがしない?」
「え?どういう意味だよ、類」

総二郎が訝しげな顔で振り返ると、類は天井を見つめながら、「だって、おかしいじゃん」と僅かに顔を顰めた。

の親の借金を立て替えて、その娘を家に引き取るってとこからして何か今思えばちょっと、いやかなり怪しくない?」

類の一言に、総二郎とあきらも顔を見合わせた。

「まあ。そこまでする事もないっつーか、あの母ちゃんが遠い親戚の借金を立て替えてやったとこからして疑問に思えてくるな」
「だろ?俺、の立場からずっと考えてたけど、司の母ちゃん側から考えてみると…今回の件で得してるのって司の母ちゃんじゃん」
「言われてみると……」
「確かに」

楓の側から、と言われてみれば、総二郎とあきらも納得したように頷いた。
と大和の婚約が、結城グループと道明寺グループの提携に大きく関わってくるのは総二郎たちも理解している。

を引き取ってから、色々な事が一気に動いた気がしてさ」

借金の立て替えだけじゃなく、を道明寺家に引き取り、まるで我が娘のようにいたれりつくせりの環境を整えた楓。
その後にふって湧いたような養女の話、そして突然現れた婚約者の存在。
しかも、その相手は前からを追いかけまわしていた結城大和なのだから、偶然の一言で済ませるには少し無理がある。

「そもそもが英徳に転校してきてすぐ、あの結城が大阪からわざわざ英徳に転校してきたのも変じゃない?」
「そ、そう言われてみりゃなあ……」
「まあ今回の婚約相手が結城大和って聞いて、俺もちょっと違和感を感じたっつーか、そんな偶然ってあるか?くらいは思ったけど」
「それにさっきは司の母ちゃんが一番得してるって言ったけど、結城大和も何気に、得している気がするだろ」

類の話にあきらも頷きながら、ふと顔を上げた。

「もしかして……類は最初から司の母ちゃんが何やら企んで計画したって言いたいのか?結城との合同事業を考えて……」
「だって、あの鉄の女だよ?何の得にもならない事、やると思う?」
「「……………」」

ずばり言った類の言葉に、総二郎とあきらは一瞬だけ黙り込み、その後深々と頭を項垂れた。
小さい頃から楓のやり方は散々見て知っている。あの女社長の恐ろしさは嫌というほど理解していた。

「そういや姉ちゃんが類と同じようなこと言ってたな」
「ああ。ちゃんを道明寺家で引き取ったって聞いた時から、あれこれ心配してたし…養女の話が出た時も散々おかしいって言ってたっけ」

そこでふと思い出した総二郎、そしてあきらは暗い表情で黙り込む。
もし全てが楓の計画のうちだったとしたなら、は最初から利用する為に道明寺家へ呼ばれた事になってしまう。

「ちょっくら…調べてみるか」
「調べるって…何を調べるんだよ、総二郎」
「先ず道明寺グループと結城グループの関係だよ」
「それ調べてどうするのさ」

類も話に興味を持ったのか、体を起こして総二郎の方へ身を乗り出した。
総二郎は類とあきらの顔を交互に見ると、

「ほら、正月に合同事業の話を結城大和がしてただろ。で、その後の婚約…。それ思い出したら、最初から何か怪しい気がしてきたんだよ」
「そっか!合同事業の方が先だと思ってたけど……もしかしたらちゃんに惚れてる結城大和が合同事業を餌に婚約話を司の母ちゃんに提案したとか?」
「でも結城は跡取りだけど、まだ継いだわけじゃないよ。大事な事業なのに結城グループの社長がそんな理由でOKするかな」

類が最もな事を指摘して、総二郎もう〜ん、と考え込んだ。

「その辺は分からねえけど……あの口がうまい結城の坊ちゃんの事だ。父親をうまく言いくるめたのかもしれねえ」
「まあ、ありえるけど」

大和が、あの調子のいい態度で周りを煙に巻くところを何度か見て知っている類は、納得したように頷いた。

「で、だ。先ずはあの合同事業の話をどちらが先に提案したのか、いつ頃そんな話が出たのか。それを調べてみる」
「それで何が分かるのさ」
「分かんねえけど……何かその辺が引っかかるしな。二つのグループの動向を調べりゃ何か分かるかもしれねえし」

総二郎の提案に類は暫く考え込んでいたが、ふと思い出したように顔を上げた。

「じゃあ……のご両親の会社の事も調べられるかな」
「え?そこまで調べんのか?」
「だって……親の会社の倒産がキッカケでは道明寺家に来る事になったんだし、全てそこから始まってる気がしてこない?」
「そりゃあ、そうだけど……」
「何で倒産したのかは多少から聞いたけどさ。それまでは上手くいってたとも話してたし、急に倒産するのっておかしくないかな」
「…………」
「…………」

類の話を聞いて、総二郎とあきらは顔を見合わせ、僅かに口元を引きつらせた。

「……もしそっから始まってたら……」
「マジで怖ぇ……」
「司の姉ちゃんが結婚する前だって、それくらいの事、平気でしてたじゃん」
「…まあ、確かにそうだな」
「実の娘にまで、あんな酷い事するんだし……遠い親戚になら平気でやるかもしれねえな」

総二郎とあきらは顔を引きつらせながらも頷くと、「よし、分かった」と類の肩を叩いた。

「そっちも調べてみるよ」
「ああ。スッキリしないのに司とちゃんの婚約なんて祝えねえしな」
「じゃあ俺も一緒に――――」
「いや、類はちゃんの傍にいてやれ」
「え?」

総二郎に言われ、類はキョトンとしたように顔を上げた。

ちゃん、かなり疲れてるようだしさ。時々話を聞いてやれよ」
「それはいいけど。総二郎たちは?」
「俺とあきらはさっき言った事を調べてみる。ついでに司の事も探すから暫く学校には行けないしな」
「そっか。分かった」
「んじゃあ早速動くとしますか」
「おう」

あきらと総二郎は立ち上がると、再びベッドへ寝転がった類へ、「後の事は任せたぜ」と言って部屋を出て行く。
それを見送った類は、「ふぁぁぁ」と欠伸を咬み殺す。
一応話がまとまったおかげで、緊張感が解けたのか、いつものように睡魔が襲ってくる。
とりあえず明日になったらの様子を見に行こうと考えながら、類は布団の中へと潜って行った――――。










「…ん、大和……?帰るの?」

太陽が沈みかけた頃、目を覚ました佳奈美は、大和がジャケットを着こむのを見て、体を起こした。
床の上に寝ていたせいか、体の節々が痛み、顔を顰めながら時計を確認する。

「やだ、もうこんな時間?」
「ああ、佳奈美さん、仕事やろ?」
「うん、ふぁぁぁ……。面倒だなぁ……。休み明けって仕事行きたくなくなるわ」

佳奈美はそう言いながら欠伸をすると、不意に大和の手を掴んだ。

「今日も来るでしょ?」
「いや……俺、ヘトヘトやし」
「あらあ、あんなんで疲れたの?若いのに」
「あのな…。毎晩っちゅうか毎朝、やっててんで?疲れて当たり前や。もうさすがに指が動かへんし!」
「ふーん。でもまだ勝負ついてないのに」

佳奈美は不満げに言って、大和の手を引っ張ると、「あともう一勝負する?」と手にコントローラーを持った。
大和は顔を引きつらせ、それを佳奈美から奪うと、「あかんて。もう限界」と苦笑いを零す。

あの夜、「そのつもりで来てね」という甘い誘い文句にビビりながらも佳奈美のマンションに来た大和は、てっきり佳奈美がそのつもりで誘ったのだと思った。
しかしマンションに来た瞬間、「これ買ったんだけど一人じゃつまんなくて」とゲームソフトを見せられた。

「一緒に対戦しよう」

という佳奈美の言葉に呆気にとられながらも、内心どこかでホッとしたのも事実。
迷いながらも誘いに乗った大和の気持ちを、佳奈美はとっくに見抜いていたらしい。

「好きな子いても婚約者がいてもいいんだけど……迷いながら私を抱く男なんてごめんだわ」

大和が「てっきり誘われたのかと思った」と苦笑した際、佳奈美にさらりとそう言われ、大和も笑うしかなかった。
言われてみれば失礼な話だ、と大和も多少反省し、「んじゃあお詫びにゲームつきおうたるわ」と佳奈美の誘いに乗った。
そして延々ゲームに熱中した佳奈美に誘われ、一週間も連続で通っていたのだ。(夜は佳奈美が仕事に行く為、自宅に帰って寝ていた)

「俺、一生分ゲームした気分やわ……」
「あら、気が紛れたでしょ?悩み多きお年頃の大和くん」
「…まあなぁ」

確かにゲーム中は集中している為、余計な事は一切考える余裕もなかった。
ここからほど近い自宅マンションに帰った後は、疲れ切って爆睡してしまう。
おかげで佳奈美の言う通り、嫌な事を考えこむ暇もなく、いい気分転換になったと思う。

「ってえ事でスッキリしたし俺は帰って寝かせてもらうわー」
「なーんだ、残念。じゃあ、この勝負は今度って事で――――」

と佳奈美が言いかけた時、大和はその唇を優しく塞いだ。

「…ん、な、何よ、急に……」
「俺、もう佳奈美さんには会わへん」
「え……?」

唇を離し、不意に真面目な顔で言う大和に、佳奈美は戸惑うように瞳を揺らした。

「佳奈美さん、ええ女やから、落ち込んだ時に来て、こんな風にまた触れてまうかもしれへんし……」
「大和……」
「他の女の事でへこんだ男に甘えられるの、佳奈美さんも嫌やろ?俺も佳奈美さんの優しさに付け込むの嫌やねん」

大和はそう言って微笑むと、佳奈美の頭を優しく撫でた。

「佳奈美さんは俺みたいな弱い男に利用されるような女とちゃうし。もっとええ男、いくらでも捕まえられるやろ」
「……バカね、そんなの気にしないでいいのに」
「お、バカは関西人に禁句やで」

佳奈美の一言で笑う大和に、佳奈美もまたつられて笑った。

「佳奈美さんにはほんまに感謝してる。俺のしょーもない悩み聞いてくれて……」
「もう……吹っ切れたの?」
「聞いてもらえた事で……そうやなあ。少しスッキリしたわ。ってか悩んでも答えなんか出えへんから、いい意味で開き直れたゆーか」
「そう…。なら良かった」

佳奈美が笑顔を見せると、大和も微笑み返し、ゆっくりと立ち上がる。
この一週間、無心になれた事で、頭を切り替えられた気がした。

「んじゃあ……元気で」
「うん。大和も……。好きな子と上手く行くといいね。本当の意味で」
「ああ……。そうやな」

大和が頷くと、佳奈美は最後に大和を抱きしめ、自分から口づけた。
大和もそれに応え、暫し唇が交わる。
別に恋愛感情などお互いあったわけでもないのに、別れのキスは、ほんの少しほろ苦い味がした――――。


「来週、かあ……」

佳奈美のマンションを出ると、大和は携帯を取り出しメールをチェックした。
そこには道明寺楓の秘書、西田から婚約発表をする、という報告メールが届いていた。
来週、メープルホテルの会場で大々的に婚約発表をするパーティを開くようだ。
そのパーティには道明寺、そして結城と大河原グループに関係のある取引先の社長、他にもマスコミなどを呼び、正式に合同事業の事も発表するつもりだろう。

「とことん派手好きやな、あのおばはん……」

道明寺家と結城家、そして大河原との婚約発表だけでも話題になるが、その裏で大きな事業を展開するとなればマスコミも放ってはおかない。

はこの事、知ってるんかな……)

ふと、の事を思い出し、胸が痛んだ。
あの日以来、声すら聞いていないが、元気にしているんだろうか。

「連絡一つよこさへんし……冷たい女やわ……」

からメールもなく、着信もない事で、大和はふと空しさを覚えた。
それでも、今ここで何もかもなかった事には出来ない。そういうところまで話は進んでいるのだ。

『気持ちはなくても、婚約した後で大和の事、好きにさせたらいいんじゃない?』

夕べ、佳奈美に言われた事を思い出し、大和は溜息をついた。
本当にこのまま婚約していいのか、と悩んでいた大和にとって、その一言は心を少しだけ軽くしてくれたのだ。

「まだ……分からへんしな」

そう気持ちを切り替え、大和はゆっくりと歩き出した――――。











「つ、疲れた……」

私は重い体を引きずるように車から降りると、何とかエントランスまでたどり着いて息を吐き出した。
ピアノのレッスンの後、約束通り迎えに来た滋さんと夕食をしに行ったはいいが、案の定、司の事を延々相談され、あげくは二人きりで会えるように協力してほしいとまで頼まれたのだ。

(そんな協力したら、また司に何を言われるか分かったものじゃない……)

あの日以来、顔を合わせていないから、司が今、何を思っているのかは分からない。
だけど、前に司を怒らせた時は姿は見せなくとも、ちゃんと家には帰って来ていた。
なのに今は西門さん達までが司の居所を知らないという。こんな事は今までになかった。

(よっぽど怒ってるのかな……)

でもそれも当然かもしれない。
司への返事を保留にしていたくせに、ライバルである大和とあっさり婚約すると言ったのだから。

「はあ…ダメだ……」

ついでに大和の事まで思い出し、二重の罪悪感に潰されそうになりながら、家へと入る。
今日はこのまま寝てしまおうか。そう思った時、リビングから「お帰り!」という明るい声が聞こえて来て、ふと顔を上げた。

「に、西門さん?!」
「よ!」
「美作さんまで…ど、どうしたんですか?」

意外な顔に出迎えられ、私は唖然としながらもリビングへ歩いて行った。

「いや、元気かなーと思って」
「へ?だって今日も学校で会いましたよね」
「いやまあ……そうなんだけどさ」
「あ、もしかして司の居場所、分かったとか……」
「あ、ああ。いや違うんだ。それはまだ分かんねえ」
「じゃあ……」

と首を傾げると、西門さんと美作さんはニッコリ微笑んだ。

ちゃんさ、今もまだ結城と婚約する決心は鈍ってない?」
「え……?」
「いや、このままホントに婚約していいのかなーと思ってさ」
「どういう……意味ですか?」

私はソファに腰掛けながら、訝しげに二人の顔を見た。

「実は俺ら考えたんだけどさ。この話、何かおかしくねえ?」
「おかしいって……何がですか?」
「全部だよ。ちゃんがこの家に来てから色々とありすぎだろ」
「色々……」
「そ、養女の件の次は結城グループの御曹司との婚約話。しかも事業絡みとくれば何か偶然にしちゃ変だなとか思わなかった?」
「え……?」

西門さんにそう問われ、私は一瞬、言葉を失った。
養女の件は考えてなかったが、婚約の件は楓おば様から多少は聞いていたからだ。

「えっと……この前おば様から婚約の件は結城の社長から話が来て、それを条件に合同事業も出来るようになったって聞いたの……」
「は?マジ?」
「う、うん。大和も……そう言ってたし」

あの話は多少の疑問もあったが、結局どちらが話を出したかなんて分かっても、私にとっては同じことだ。
しかし西門さんたちには違うようだ。私の話を聞いて、明らかに表情が変わった。

「やっぱ裏でそんな事になってたのか」
「って事は養女の方も怪しくなってくるな」
「え、どうして……?」

私が訪ねると、西門さんは呆れたように溜息をついた。

「だってそうだろ。ちゃんが養女になったのを知って結城が婚約話を持ち出したってより、そう仕向けるために養女にしたって方がしっくりこねえ?」
「え、ま、まさか……。それじゃおば様が私を養女にしたのは、結城グループとの事業の為って事?」
「十分あり得る話だよ」

そこで美作さんが真剣な顔で言った。

「おば様が……会社の為に私を……?」
ちゃんの夢を応援したいとか色々言ってたみたいだけど……俺はそんな理由よりも事業の為に敢えて養女にしたって言われた方が、あの鉄の女らしいと思うぜ」
「……西門さん…」
「司の姉ちゃんもそう言ってたしな」

美作さんまでがそんな事を言いだし、私は少し驚いていた。
でも、おば様がそんな理由で私を利用したとしても、それはそれで仕方のない事のようにも思う。
どんな理由にしろ、私や両親を救ってくれた事には変わらないのだ。

ちゃんは、まだ司の母ちゃんに恩を感じてそうだな」

私の表情を見て、美作さんが苦笑した。
すると西門さんが身を乗り出し、

「でもさ、類が言ってたんだ。この婚約までの流れがおかしいって」
「花沢類が……?」
「普段ボーッとしてる奴だけど意外と類は周りをよく見てんだよな」

美作さんもそう言いながら苦笑いを浮かべている。

「婚約の件は結城が絡んでたって事だけで済めばいいけどさ。それ以前に色々と気になる事はまだあんだよね」
「だから俺達でちょっと調べてみようかと思ってさ」
「調べるって…何を…?」
「道明寺グループと結城グループの合同事業の話がいつ頃から出てたかって辺り?」
「それ調べて……何か分かるんですか?」
「ま、ハッキリしたら教えるよ。他にも色々気になる事が出て来て、その辺含めて調べるつもりだけど」
「…………」

何も言えずにいる私を、西門さんはふと真面目な顔で見つめた。

「前にも言ったけど……司の母ちゃんが全て計画したって可能性は大いにあるし、またその疑いも出てきた。だから調べんの」
「で、でも調べてどうするんですか?例えおば様が私を利用しようと思ったとしても、私はそれで役に立てるならいいと思って――――」
「婚約も受ける事にしたんだろ?けどさ…もっと裏がありそうな気がするんだよ」
「裏……?」
「そ。その辺ハッキリさせてからでも遅くないんじゃね?正式に婚約するのはさ」

美作さんまでが真剣な顔でそんな事を言いだし、私は少し戸惑っていた。
いきなり裏があると言われても、話が大きすぎて良く分からない。

「まあホントは司がやるべき事なんだけど、あいつ姿消したまま連絡すらつかねえし、仕方ないから俺達が動くってわけ」
「で、でもどうして二人がそこまで…?司の為ですか?」

二人は司と私がくっつけばいいと思っている。
だから大和との婚約を成立させたくないのかと思った。
でも二人は互いに顔を見合わせると、私を真っ直ぐに見て、「それは違う」とハッキリ言った。

「司の事もそりゃあるけど……」
ちゃんがもし騙されて利用されてるんだとしたら許せねえじゃん」
「美作さん……」
「もし司の母ちゃんが恩を感じるに値しない人間だったら?」
「え……?」
ちゃんのその優しさを利用して、今回の全ての事を企んでるかもしれないってこと」
「西門さん、それって……」
「まあ、いきなりこんな話されても分からないだろうし悩ませちゃうかもしれないけどさ。ハッキリするまで待っててよ」
「で、でも……二人はどこに行くの?」
「うーん、まずは大阪だな」
「大阪……?」
「結城を調べるにはまず大阪だろ。俺の親は裏業界にも顔効くし、それ使ってバレないよう上手く調べるさ。だから心配しないで」

西門さんはそう言って立ち上がると、私の頭へポンと手を乗せた。
美作さんも同じように立ち上がると、

「それまでは結城大和とも二人きりでは会わないように」
「……え、」
「あいつもグルかもしれねえからさ」
「………っ」

西門さんの一言に驚いて顔を上げる。
大和もグルというのは楓おば様と、という意味だろう。
まさか、とは思ったが、少なくとも二人はそう思っているようだ。

「大和は確かにおちゃらけてるとこあるけど……人を騙すような人じゃ……」
「だーから。それも調べりゃ分かる事だろ?とにかく、ハッキリするまであいつとは関わらないこと。分かった?」
「う、うん…」
「んで、もし万が一、結城大和がグルだった場合、婚約なんてバカな事はやめて、司の気持ちを受け入れるって手もあるし?」
「……結局それ言いたかっただけとか?」
「そうとも言うけど……結城の事はマジだから。自分を騙した男と婚約なんて嫌だろ?」
「それは…」
「そうそう。それにそんな状況で司とあの滋って子までが婚約成立したら、ちゃんも後悔するかもしれないじゃん」
「こ、後悔って…」

私に後悔する権利なんかない。あんなに司を傷つけたのに。だから、後悔なんて――――していいわけがない。

「って事で、明日の茶道の稽古は中止って事にしておいてくれる?家にもしばらく戻らないからさ」
「…それはいいですけど…」
「あ、あと万が一、司が戻って来たら俺達に電話しろって伝えておいて。まあ俺達もしつこく電話はかけてみるけど」
「わ、分かりました」
「んじゃあ、そういう事で、ちゃんも無理して習い事ばっかしないように」
「そうそう。手を抜いて息抜きするのも大事だぜ?」

二人はそんな事を言い残し、早々に帰って行った。
まるで台風のように謎だけ残して行った二人に、私は何となく不安になって言われた事を考えてみた。
私が道明寺家にお世話になってから今日まであった事。
確かに言われてみれば偶然では考えられないような出来事がいくつもある。

「でもまさか、おば様が私を騙すなんて…」

今回の婚約の件では利用したのかもしれない。
けど養女にしてくれた事まで裏がある、と西門さん達は思っているんだろうか。

「はあ…もう分かんない…」

結局それが分かったところで、おば様が私達家族を助けてくれた事には変わらないし…と思いながら、ふと先ほど西門さんに言われた言葉を思い出した。

『もし司の母ちゃんが恩を感じるに値にしない人間だったら?』

あれはどういう意味だろう?

「ダメだ…。ますます分からなくなってきた……」

私は溜息交じりで立ち上がると、自分の部屋へ戻って寝る事にした。
途中、「お食事は?」と使用人に聞かれたが、今は食欲すらわかない。
食事を断り、そのまま部屋へ戻ると、軽くシャワーを浴びて、すぐにベッドへ潜り込む。
だけど、眠ってしまいたいのに、頭の中で西門さん達に言われた言葉がぐるぐると回っていて、私は強く目を瞑った。

『――――ちゃんも後悔するかもしれないじゃん』

(後悔なんて……出来ないよ…)

その前に、私は司の事をどう思っているのか、今でも良く分からない。
二人の持ってくる答えがどんな内容だったとしても、私がハッキリしないのなら同じことの繰り返しになってしまう。
ただ……以前と少し違うのは、司がいないこの家は、何となく寂しくて居心地が悪い、ということ。
それを感じた時、私の中で司は、いつの間にか傍にいるのが当たり前の存在になっていたんだ、と気づかされた気がした。

(私に怒っててもいいから……早く……戻って来て…司……)

少しづつ睡魔が襲ってくる中、司の顔が脳裏を掠めていく。
酷く疲れた一日だったせいか、次第に夢の中へと引きずり込まれ、次の日の朝、内線の電話で起こされるまで目が覚めなかった。








RRRRRRRRRRR……RRRRRRRRR……


「ん…うるさ……」

部屋の中に鳴り響く内線の音に、私は重たい瞼を開けて布団から顔を出した。
司以外から内線がかかる事は滅多にない。使用人達は起こすのにも部屋へ直接来るからだ。

「いったい誰……?」

とボヤきながらも、そこで「まさか司……っ?」と思い、慌てて体を起こした。
そしてすぐに電話へ手を伸ばすと、

「もしもし……!司?!」

と開口一番その名を呼んだ。
が、返って来たのは――――

『あ、あのお嬢様。お友達が見えておりますが…お部屋へお通ししてもよろしいでしょうか』
「へ?あ、は、はい…」

電話は司ではなく、使用人の人からで私はがっくりしつつ受話器を置いた。
が、ふと今の言葉を思い出し、

「……って、今お友達が来てるって言った?」

しかもお通ししていいか、と聞かれたような――――。

と、そこへドアをノックする音がしてドキっとした。

「え、嘘。誰?って、まだ朝の7時じゃないの!」

そこで時計を見て驚いた。
丁度起きて学校へ行く用意をする時間だったが、こんな時間に迎えに来る友達なんて心当たりもない、と慌ててカーディガンを羽織った。

「まさかF3の誰かじゃ……」

と一瞬そう思ったが、西門さんと美作さんは当分戻らないような事を言っていた事を思い出す。
となると残りは一人しか思い浮かばない。

「まさか花沢類……?」

彼がこんな時間に起きているなんてありえないけど、時々訳の分からない行動をする人だ。
いきなり訪ねて来ても不思議じゃないけど……。

そんな事を考えていると、ノックの音と共に、「?起きてるっ?」と聞きなれた声が聞こえ、さすがに驚いた。

「し、滋さん?!」

何で彼女が?とは思ったが、急いでドアを開けに行く。
しかし開けた瞬間、滋さんが思い切り抱きついて来た。

「……!」
「ちょ、ちょっと滋さん…?!ど、どうしたの?こんな朝から……っ」

夕べは長々と夕食に付き合ったばかりだ。
何故、また朝一番で彼女が家まで来たのか分からずに戸惑っていると、滋さんが不意に顔を上げた。

「………っ?」

彼女の顔を見て驚いた。滋さんの顔は真っ赤に染まり、その瞳が涙で潤んでいる。

……」
「な、ど、どうして泣いてるの?何かあった?」

そう聞きながらも彼女の体が震えている事に気づき、心配になった。
滋さんは涙を浮かべながら私の腕をぎゅっと掴んでくる。

「し、滋さ・・・」
「私…」
「え…?」
「司に……付き合おうって言われたの……」
「――――――っ」

その言葉は耳に入って来たのに、すぐには理解が出来ず、私は何も応える事が出来ないでいた。

「嬉しくて……。もう、いてもたってもいられなくて――――」

滋さんは零れ落ちた涙を拭いながら、私に微笑んだ。

「今朝……庭のお花に水をあげようと思って外に出たら、門のところに司が立ってて……」


"サル…じゃなくて……滋。――――俺とつきあってくれ"


「"お前を好きになるように努力する"……って…」
「…………」
「私…嬉しくて気が変になりそう…。涙が止まんない…。こんなに司を好きになってたなんて…。、どうしよう……」


――――後悔なんて、しない。


「おめでとう……。滋さん――――」


――――出来ないよ。西門さん。



震える声で言った"おめでとう"は、私の本心なのか。

目の前で泣く滋さんを見ていると、自分でも、良く分からなくなった―――――。








「でね、めちゃくちゃ可愛く泣くの。肩を震わせて顔くしゃくしゃにして」
「……………」
「私、滋さんてもっとあっけらかんとしたタイプだと思ってたからビックリした。凄く女の子っぽい人だったの」

いつもの非常階段、ではなく。今日は天気もいいという事で学校の庭先で花沢類と二人、日向ぼっこをしていた。
花沢類は寝転びながら私の話を黙って聞いていたけど、徐に体を起こし、ガシガシと頭を掻いた。
相変わらず眠そうな顔だったけど、今は驚きのせいか、少し目が覚めたようだ。

「何か信じられねえ。マジで司が付き合おうなんて言ったの?」
「滋さんがそう言ってたけど……」
「司にそんなこと言えんのかな……」
「じゃあ本人に聞いてみれば?私はまだ会ってないけど、司、戻って来てるみたいだし」
「……………」

私がそう言うと、花沢類は暫し考え込み、突然「ぷっ」と吹き出し、笑い出した。

「ダメだ……。司が女に"つきあおう"なんて言ってるとこ、全然想像できないし」
「……何でよ。喜んであげたらいいのに。F4のリーダーが一歩大人になったんだから」

ゲラゲラ笑いだす花沢類にそう言えば、彼は僅かに顔を顰めて私を見た。

「何で余裕なの?は」
「え?」
「ショックじゃないの?」
「な、何で私がショック受けるわけ?司と滋さんの事で……」
「さあね、自分で考えてみたら」
「……何よ。何で花沢類がムキになるの?」
「寝る」
「あ!誤魔化してるっ」

再び寝転がる花沢類の背中を軽く叩いてみても、彼は無視を決め込み、目を瞑ったままだ。
その態度に少し動揺しながらも、小さく息を吐き出した。

「無視……しないでよ……」

何となく寂しくなってそう呟けば、花沢類がそっと目を開ける。
そのビー玉みたいに綺麗な瞳に見つめられると、心の奥まで見透かされてしまうような、そんな気がした。

「あーらら、俺の婚約者が他の男と見つめあってる〜」
「……っ大和?!」

背後から突然そんな声が聞こえて、私は慌てて振り向いた。
そこにはいつもの笑顔を浮かべた大和が立っている。こうして顔を合わせるのは、大和の部屋に行った日以来だ。

「久しぶりやん、
「……な、何でずっと学校休んでたの?」
「あれ、心配してくれてたん?ほなら電話くれたら良かったのに。俺の婚約者やねんから」
「ふざけないでよ」
「ふざけてへんで〜。ほんまの事やん?」

大和はそう言いながら隣に座ると、徐に私の肩を抱き寄せて来た。
花沢類の前でそんな事をされ、驚いて離れようとする私に、大和はすぐに不機嫌そうな顔をした。

「何で逃げるん?」
「だ、だって――――」
「ああ、花沢クンには見られたないって事?」
「ちょ、ちょっと大和――――」

その言い方に腹が立ち怒鳴ろうとしたその時。
反対側へ、ぐいっと腕を引っ張られ、私は驚いた。

「馴れ馴れしくに触らないでくれる?」
「……花沢類っ」

花沢類は私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
その行動に驚いていると、大和が僅かに目を細め、「俺の婚約者やで?」と一言、言った。
大和はこの前会った時のように、どこか雰囲気が違う。まだ私に怒っているのかもしれない。

「まだ正式に婚約発表してないじゃん」
「それでもが了承してくれてんからハッキリしてるやん。それに花沢クンは戦線離脱してんから、もうには関わってほしないなあ」
「ちょ、ちょっと大和!いい加減に――――」

そう言いかけた時、またしても背後から「こんなとこにいたのかよ、類」という声がして、私は息を呑んだ。

「あれ、司……っ?」

花沢類も驚いたように目を丸くしている。恐る恐る振り向くと、そこには仏頂面をした司が立っていた。
こうして皆で顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。

「へえ、珍しい顔ぶれじゃねえか」
「……ってか司、今までどこに行ってたんだよ。携帯の電源まで切って」
「おう。ちょっとオーストラリアの別荘までな。急にコアラが見たくなってよ」
「コアラ……?!(何?その変な理由!)」

それには驚いたものの、司ならあり得る事だ、と納得した。
どおりで西門さん達が関東近辺を探しても見当たらなかったはずだ。

「んで……総二郎たちはどこだよ。家に行ったら昨日から戻ってねえって言ってたけど」
「ああ……ちょっと野暮用でしばらくは戻らない」

花沢類はそう言いながら、ちらりと大和の方へ視線を向けた。
私も夕べの話を思いだし、何となく気まずい気持ちになる。
こっそり大和の事を調べてるなんて言えるはずもない。

「あ、そ、そうだ。西門さんが司に、戻ったら連絡くれって言ってた」
「……ふーん。分かった」

初めて司と目が合った。案外普通に話しかけられてホっとしたけど、やっぱり司は素っ気ない態度だ。
多少の気まずさを感じていると、不意に大和が「おーそう言えば……」と楽しげな様子で身を乗り出した。

「みんなが騒いどったけど、道明寺クン、彼女できたて、ほんま?さっき校門のとこまで見送りに来てたらしいやん」
「―――――っ(大和!)

いきなり確信をつく発言をした大和に、私はぎょっとした。
でも司の方を見れば、怒った様子もなく、真っ直ぐ大和を見返している。

「……おう」
「わお、マジやったんや!相手の子ぉて、あの大河原滋っちゅう子やろ?」
「……まあな」
「へえ。ほなの事はもう諦めたって事で――――ぁいたっ!」

余計な事を言おうとした大和の頭を軽く殴ると、「何でしばくねん」と抗議の声。
それを無視して司を見れば、司もまた、私を見ていた。
目が合った事で一瞬ドキっとしたけど、それを悟られないよう笑顔を見せる。

「あ、あの……今朝……滋さんが私のとこに来て言ってたの……。凄く……喜んでたよ」
「……ああ」
「あ、あの……おめでとう」
「………………」

思い切って言葉にすると、司は僅かに視線を反らした。

「お前に言われたかねえよ」

またしても素っ気なく返され、私はそれ以上何も言えなくなったけど、確かに司の言う通りだ、と胸が痛くなった。

"おめでとう"と言った瞬間、何かが終わった。
あんなに悩んだ事も、何度もキスされた事も、抱きしめられたことも……全部、終わっていくんだ。
そして私は、私の決めた道を歩んでいくんだ。
そう思うと、妙な寂しさが、私を襲った――――。


「ほな、行こか」
「え……?」

不意に大和が立ち上がり、私の腕を引っ張った。

「や、大和……?」
「俺、腹減ってん。ランチ付き合うて」
「ラ、ランチって……。でも昼休み終わっちゃう――――」
「サボればええやん。前はようF4の皆さんとサボってたやろ?」
「そ、そうだけど……」

言いながら司を見た。でも司は私達から顔を反らしたまま、こっちを見ようともしない。
前みたいに、怒ってもくれない。
花沢類もそんな司を見て、軽く溜息をついたまま、さっきのように庇ってはくれなかった。

「ほら、道明寺クンも花沢クンもええ言うてるやん。はよ行こ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、大和……っ」

強引に腕を引いて行く大和に戸惑いつつ、もう一度だけ振り返る。
でも司は最後まで私を見ようとはしなかった。

「ちょ、ちょっと、どこ行くの?」

裏門から出て行こうとする大和に驚き、足を止めると、大和は不機嫌そうな顔で立ち止まった。

「ショック?」
「え?」
「道明寺クンが前みたいに追いかけてきてくれへんこと」
「な、何でよ……」
「そないな顔しとるやん」
「してないよ。するわけないでしょ」
「ふーん……」

大和は目を細めながら私を見下ろすと、「ほな、彼女が出来たことも平気なんや」と言った。
その言葉にドキっとした私を見て、大和は僅かに苦笑いを浮かべている。
何となく見透かされてる気がして、私は顔を反らした。

「まあ、ええわ。これで互いに仲良く婚約発表も出来そうやん」
「……………」
「あれ、何や嫌そうやな。やっぱ俺と婚約話すすめるの嫌になったん?」
「そ、そうじゃないけど……」
「けど。何?」
「……大和、この間から態度が違うし……何か怖いよ……」

思った事を口にすると、大和は僅かに眉をよせ、私の顔を覗き込んできた。
その鋭い瞳にドキっとして後ろへ下がると、大和はどこか冷めた目で私を見つめている。

「態度て……どんな態度?」
「ど、どんなって……。前より……冷たいし……意地悪になったから……」
「ほな聞くけど……前の俺ってから見てどんなんやったん?」
「え?」
「おちゃらけてて明るくて、人のいい兄ちゃんみたいな感じ?」
「大和……」
「友達としてええ人〜ってノリで、にとったら都合のいい俺やろ?」

大和はそう言いながら不意に私を抱き寄せた。驚いてもがく私を、それでも大和は強い力で抱きしめてくる。
司とは違う、大和の香水の香りが鼻をついた。

「ちょ、ちょっと大和――――」
「俺、そういう自分はやめにしてん」
「…………っ?」
「あんなんしてても……は俺の事、いつまで経っても男として見てくれへんやろ……?」
「大…和……?」

真剣な顔でそんな事を言う大和に、言葉を失った。
私は大和の事を友達だと思ってて。きっと大和にもそういう態度をしてきた。
でもそれが、大和を少しづつ傷つけていたのかもしれない。
婚約を了承したのだって、大和は私の意志じゃないことに気づいているから――――。

「……や、大和……?」

不意に顎を持ち上げられ、ドキっとした。
目の前には大和の真剣でいて、強い瞳が私を見つめている。
その眼差しが、怖いと感じた。

「婚約者なんやから、キスくらいしてもええやろ」
「…………っ」

大和の顔が近づいてくるのを見て心臓が飛び跳ねたかと思うくらいに早鐘を打つ。
顔中が真っ赤になっていくのを自分でも感じる。
今までの大和だったら、ここで笑いだし、「冗談やって」と言ってくれてた。
だけど――――今の大和は怖いくらいに、真剣だった。

「………っ」

互いの唇が触れ合うくらいの距離に近づき、大和の吐息を感じた時、私は観念して強く目を瞑った―――――。










ものっそい久々の更新です(滝汗)
ずっと続きを書かなくちゃーと思ってたのですが、最近またドラマが再放送されてて、気分を高めるために再び録画して鑑賞(笑)
やっぱり見てしまうと気分も盛り上がりますよね。漫画もいいけどドラマもいい!
そこでこの作品を一から読み直し、少しおかしな箇所を直しつつ(大変)花男の本も引っ張り出し、話の流れを思い出しながら書きました〜(疲)
この先もプロット考えてたんですが、改めて確認してみれば非常に長くなると思われ……。
気長に最後までお付き合い下さると嬉しいです(^^)




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