迷路C







「――――追いかけないの?」

不意に類が口を開き、ボーっと裏門の方を見ていた司はハッとしたように顔を上げた。

「あ?」
、あいつと行かせていいのかって聞いてんの」

真っ直ぐ司を見つめながら、類は裏門の方へ親指を向ける。
類の一言に司は一瞬、戸惑うように視線を反らしたが、溜息交じりで頭を掻いた。

「何で俺が行かなくちゃいけねえんだよ。あいつらがどこに行こうが俺には関係ねえ」
「ふーん。司はそれでいいんだ」
「い、いいも悪いもねえっ!何が言いてえんだよ、類」

ムッとしたように顔を顰める司に、類もまた不機嫌そうに目を細めた。

「司、あの滋って子に付き合おうって言ったみたいだけど……本当に好きなわけ?」
「……あ?んなもん……。こ、これから好きになる予定、、なんだよっ」
「何だよ、それ。じゃ結局の事、まだ好きって事だろ?」
「ああ?!好きじゃねえよ、あんな馬鹿女!お笑い芸人にくれてやるってんだ」

顔を真っ赤にして怒鳴る司を見て、類は深々と息を吐き出した。
司が素直じゃないのは昔からだ。これ以上何か言ってもケンカになるだけだと、類も分かっている。
しかし司がニューヨークから戻るよう仕向けたのは類だ。
せっかくお膳立てしたのに帰国早々おかしな展開になっている現状に、類も多少の苛立ちがあった。

「あっそ。ならが結城と結婚してもいいんだ。じゃあ司も滋って子を大事にしてあげなよ。少なくとも向こうは本気みたいだし」
「い、言われなくても分かってるよ!きょ、今日だってこれからデートすんだからよっ」
「ふーん……」

類は目を細めたまま、ジッと司を見つめていたが、ふと溜息をついて立ち上がった。

「……でも……俺は司だから、にも手を出さなかった。結城に譲るためじゃないよ」
「……ぐっ」

類は真剣な顔で司を見ると、手をひらひら振りながら歩き出す。
その背中を見送りながら、司は軽く拳を握りしめた。

「んなの……分かってんだよ……」

小さく呟かれた言葉は力なく、湿った風にかき消されていった――――。











唇に大和の吐息を感じて、強く目を瞑った。キスされる――――そう覚悟した時。

ふと頬を包んでいた手が離れ、慌てて目を開ければ、大和は私の後ろへ、苦笑交じりに視線を向けた。

「……何か用なん?花沢クン」
「―――――ッ」

驚いて振り向くと、そこには花沢類が不機嫌そうな顔で立っている。

、返してもらおうかと思って」
「……花沢類……」

真面目な顔でそんな事を言う花沢類に、何故か泣きそうになった。
大和は明らかに不満そうな顔で肩を竦めてみせると、

「せやからは俺の婚約者やっちゅうねん。返す返さへんいうのは筋違いやろ」
「その前に俺の大事な友達だから」
「……へえ」

大和の頬が僅かに引きつる。

「友達やから、何やねん」
「迷ってる子相手に無理強いするような奴には渡せないだろ?」
「は、花沢類……?」

彼は不意に私の腕を引っ張り、自分の方へと引き寄せる。それを見た大和の顔が更に引きつった。
花沢類は戸惑う私を自分の背後へと押しやり、目の前でムッとしている大和を真っ直ぐに見返す。
いつもより少し強気な花沢類に、大和も驚いたような顔をしていたけど、すぐに目を細めて溜息をついた。

「……何や、気分がそがれたわ」
「ちょ、ちょっと大和……どこ行くの?」

そのまま歩いて行く大和を見て声をかけると、大和は振り向きもせずに手を軽く上げて見せた。

「腹減ったゆーたやろー?しゃーないから一人寂しくランチ行ってくるわ」
「え、一人でって――――」
「……ほな、またな」

大和はそう言いながら、通りがかったタクシーへと手を上げ、サッサと乗り込んでしまった。
仕方なくそれを見送っていると、隣にいた花沢類が溜息をつくのが分かり、ドキっとする。
どうして追いかけて来てくれたんだろう?と思いながら恐る恐る見上げると、花沢類もまた、私を見下ろしていた。
その顔は若干、呆れているように見える。

「あ、あの……」
「何してんだよ」
「何って……」

そこは口ごもると、花沢類は溜息交じりで私の頭にそっと手を置いた。

「総二郎たちから言われなかった?ハッキリするまで結城と二人きりになるなって」
「い、言われたけど、でも……」
「俺が来なかったら、あのままキスされてたかもしれないってのに、それでいいんだ」
「い、いいとか思ってたわけじゃないけど…っ」

花沢類に変なところを見られた事が恥ずかしくて、顔が赤くなっていくのが分かった。

(……っていうか、何でこんなに不機嫌そうなの?)

どうしようか困っていると、花沢類は苦笑交じりで頭を掻きながら、私の手を引いて歩き出した。

「……ホントはさ、さっき司が止めるの待ってたんだ」
「え?」
「司も追いかけたそうな顔してたし……。でもあいつ、一度意地張ると、なかなか素直になんねえから……」
「だから……花沢類が来てくれたの……?」
「……まあ。総二郎も心配してたし、俺にの傍にいてやれって」
「に、西門さんてば心配しすぎ……。本気で大和がおば様とグルだと思ってるのかな……」
「……そういうは人を信用しすぎ。平気で人を騙せる人間がいるってこと、もう少し理解した方がいいよ」
「お、大げさだよ、花沢類は……」

そう言いかけた時、花沢類がふと真剣な顔で私を見た。

さ、」
「え……?」
「……司のこと、どう思ってる?」
「ど、どうって――――」
「俺は……司だからをゆずった」
「……え?」

いきなりの発言にドキっとした私を見つめながら、花沢類は小さく溜息をついた。

「俺が言えた義理じゃないけど……司のこと、あんまり傷つけんなよ」
「花沢類……?」
「……なんて、ほんと勝手な言い分だよな」

花沢類は苦笑気味に言って、「ごめん」と私の頭を撫でた。
でも私は何も言えず、ただ俯くことしかできない。
そんな事を言われたって、私にもどうしていいのか分からないのに。
傷つけたくて傷つけたわけじゃない。
それに私が好きだったのは花沢類だったわけで、司だってそれを知ってたし――――。

(って、ちょっと待って……。い、今、花沢類ってば、司だから私をゆずったって……言った?)

そこを思い出し、心臓が急にバクバクと脈を打ち出したような気がした。
花沢類が私を振ったのは、まだ静さんの事が忘れられないからだと、そう思ってた。
でも今の発言だと、そうじゃないようにも聞こえる。今のはどういう意味で言ったんだろう。

そんな事が頭の中をぐるぐると回り出して自然と顔が赤くなっていく。
花沢類は少し屈むと、「どしたの?耳まで真っ赤だけど……」と私の顔を覗き込んできた。
今の私にとって、至近距離で見る花沢類の綺麗な顔は心臓にとてつもなく負担がかかる気がした。

「な、何でもない……。(っていうか顔、ちか!)」
「……、タコみたいだよ」
「な……タ、タコって何よ!もっと他に言い方ないわけっ?」

ボーっとしながら何気に酷い事を言う花沢類に文句を言えば、彼は楽しそうに笑う。
その笑顔が眩しくて、胸の奥が小さく鳴った。
時々私の方が意識しすぎて緊張することも多かったけど、でも彼の持つ独特の空気が凄く好きだった――――。

(……って、な、何思い出して赤面してんの、私ってば!もう吹っ切ったはずなのにっ!)

花沢類の笑顔を惚けて見ている自分に気づき、慌てて思考を断ち切る。

(花沢類が変なこと言うからよ……)

思い出に浸ってあの時の気持ちまで蘇ったせいか、急に心臓がドキドキしてきた。

(し、しかも何気に手つないでるし!)

そこに気づき手に力が入ってしまったらしい。
不意に花沢類が立ち止まり、私の顔をマジマジと見ながら、

、まだ顔赤い……」
「な、何でもない!あ、あの……私なら一人で教室戻れるし大丈夫だから」

そう言って繋いでいる手を離そうとする私を、花沢類はキョトンとした顔で見つめている。
ついでに手をしっかり握ったまま離してもくれない。困っていると、背後から「……!」と呼ばれ、ドキっとした。

「し、滋さん?」
「やっほー!」

庭先の方から滋さんが司と腕を組んで歩いてくるのが見えて、私は慌てて繋いでいる手を離した。

「ど、どうしたの?滋さん……学校は――――」
「うーん、一度司を送った後で行こうと思ったんだけど、すぐ会いたくなって一時間で戻って来ちゃったの」
「そ、そうなんだ……(相変わらず積極的だわ…)」
「これからデートなんだ♪」
「お、おいサル!余計なことベラベラしゃべってんじゃねえっ」

急に司が真っ赤になって怒鳴りだし、滋さんは不満げに頬を膨らましている。

「何よー司。サルじゃなくて滋って呼んでよ。――――あ、もサボって彼とデート?」
「へ?あ、ち、違うよ。彼は花沢類って言って司の……」

友達、と言おうとした時。さっき離した手が再び繋がれてドキっとした。

「そう、デート」
「……な、何言ってんの?花沢類……っ」

その発言にギョっとして顔を上げると、花沢類は嘘くさい笑顔を浮かべている。
これまでの経験上、この顔は何か企んでいる時の顔だ。

「今から俺んちに行って昼寝しようかって言ってたんだ」
「は?(何、その花沢類らしい変なデート!)」

花沢類の天然(?)な発言に唖然としていると、何も知らない滋さんは楽しげに笑いだした。

「やーだ、何かほのぼのしてていいね!私と司は映画見に行くんだ。ね?司」
「…………」
「何よ、司。怖い顔しちゃって」

その声にふと司を見れば、確かに怖い顔をしている。
しかも何故か私のことをジっと見ている(睨んでる?)から顔が引きつった。
司が戻って来てくれたことは嬉しいけど、こうして顔を合わせるとやっぱり気まずい。

「じゃあ、また電話するね」
「え?あ、う、うん……。またね」

滋さんはウキウキした様子で司の腕を引っ張っていく。
司は怖い目つきで私を睨んでいたけど、最後には滋さんに引かれるまま、歩いて行った。

「はあぁぁ……」

一気に緊張した気がして盛大に溜息をつけば、花沢類は僅かに目を細め、私を睨んでいる。

「な、何?――――」
「何で慌ててたの?」
「え……?」
「さっき。慌てて手、離したじゃん」
「だ、だって……」

司が来たから、と言いかけて止めておいた。
前はああいう事で司に散々怒鳴られたから条件反射みたいなものだ。

「そ、それより何でデートなんて嘘言ったの?」

呆れたように見上げれば、花沢類は軽く笑みを浮かべ、肩を竦めた。

「ああ言ったら司はどんな顔するかなあと思って」
「は?」
「思った通りの反応だっただろ?」
「お、思った通りって……」
「目なんか、こーんな吊り上げて怒ってたじゃん。やっぱのこと、まだ好きなんじゃない?」
「ま、まさか!だったら何で滋さんに付き合おうなんて――――」
「だからそれはが結城と婚約するって言ったから、司も意地張って言っただけじゃないの」
「……な、それじゃ滋さんに失礼じゃないの」
「何で?だって結城に同じようなことしてんじゃん」
「……う」

綺麗な顔をして、花沢類は時々キツイことをさらりと言う。
触れられたくない事をハッキリと言われ、私は言葉に詰まった。
確かに私も大和に対して失礼かつ酷い事をしてると思う。
再び罪悪感に襲われて項垂れると、花沢類は溜息をつきながら私の頭を軽く撫でた。

「ごめん。別にを責めてるわけじゃないんだ」
「いいの……。ホントの事だし」
……」
「司がね、滋さんに、"好きになるよう努力する"って言ったんだって」
「…………」
「私も……そうしなきゃいけないよね」

そう言って顔を上げると、花沢類は呆れたように息をついた。

「人なんか努力して好きになるものじゃないだろ」
「そうかもしれないけど……でも大和の事は元々好きだし、もしかしたら一緒に過ごしてる間に本当に好きになれる――――」
「ま、そうすぐに結論出すなって。まだ結城と正式に婚約したわけじゃないんだしさ」
「……うん、そうだね」

花沢類が私の頭をぐりぐりと撫でて優しい笑顔をくれるから、性懲りもなく胸の奥がきゅっと音を立てる。
この人の存在は私にとって、いつまで経っても"特別"で、こうして傍にいてくれるだけでも幸せな気分になれるんだ。

「あれ……授業終わっちゃったかも」
「あ、ほんとだ」

遠くでチャイムの鳴る音が聞こえて、互いに顔を見合わせ苦笑する。
結局、午後の授業はサボる運命だったようだ。

「はあ。仕方ない。帰ってから今日の授業内容チェックしとかなきゃ」
、ちゃんと寝てる?稽古に勉強に、最近つめすぎじゃん」
「だ、大丈夫。これでも合間にちゃんと寝てるから」
「ならいいけどさ。司の母ちゃんに言われるまま習い事とか無理にやらなくていいのに」
「そういうわけにはいかないよ。道明寺家の名を背負ってるんだから、その名前に泥は塗れないって言うか…」
は変なとこで頑固だよね。そういうとこ、司にそっくり」
「何それ…。司とだけは一緒にされたくない……」

目を細めながら苦情を言えば、花沢類も小さく噴き出す。
その時、私の携帯が鳴り出した。

「わ、おば様からだ」

ポケットから携帯を出して相手を確認した私は、急いで電話に出た。

「もしもし、おば様?」
ちゃん、まだ学校かしら?』
「あ…はい。ちょうど終わったところです」

まさかサボったとも言えず、そう応えれば、隣で花沢類が笑いを咬み殺している。
そんな彼を睨みつつ、「どうしたんですか?」と尋ねると、

『じゃあ悪いんだけど、帰りに会社へ寄れるかしら。ちょっとお話があるの』
「はい、分かりました。じゃあ、これから向かいます」
『宜しくね』

そこで電話が切れて、ほっと息をつく。
会社にいる、という事は、おば様も日本へ帰って来たらしい。

「司の母ちゃん、何だって?」
「あ、今から会社に来れるかって。何かお話があるみたい」
「ふーん。もう帰国したんだ……」

花沢類は何やら考え込みながら溜息をついた。

「あ、あの…じゃあ私、行かなくちゃ」
「ああ、うん」
「花沢類は……真っ直ぐ帰るの?」
「うん。総二郎たちもいないし、司はデートだし…俺は暇だからね」
「そっか……。じゃあ、また明日」

というと、花沢類は軽く手を上げた。

「あ……あのさ。司の母ちゃんの話、ちょっと気になるから何の用だったのか後でメールしてよ」
「え?あ、それはいいけど……」
「寝てるかもしれないから返信は出来るか分かんないけど」
「分かった。それじゃ後でメールするね」

何とも花沢類らしいと思いながら、私は彼に手を振って車が待っているところへ走っていく。
とはいえ、花沢類にああ言われると、私もおば様の話というのが、だんだん気になって来た。

(もしかして……大和のことかな)

ふとそんな事がよぎり、少しだけ憂鬱になってくる。
最近の大和の態度では、この話を進めていくのも自信がなくなって来たのだ。

「……自分の意志で決められないのって、こんなにきついんだ」

西門さん達が良く「仕方ない」とは言っているけど、思ってた以上にお金持ちの人達は大変なんだ、と改めて実感していた。












「司ぁ〜!待ってよぉ!何でそんなに早く歩くのよ!競歩の大会やってんじゃないんだから、せかせか歩かないでっ」
「うるせぇ!タラタラ歩くのきれーなんだよっ」

滋が怒鳴りながら追いかけて行くと、司が怖い顔で振り向く。
その態度にぴたりと足を止めた滋は、「う…」と瞳に涙を浮かべた。

「こんなのデートじゃないわよ〜っ。付き合う前と変わんないじゃない……。楽しみにしてたのに……」
「……な、泣くなよっ」

司は慌てたように足を止めたが、滋は不満が一気に出たのか、そこから動こうとはしない。

「さっきから、ろくに話もしないし、全然目も合わせないし、何の為に一緒に歩いてんのか分からない……」
「…………」

滋の言い分に司は困ったように頭を掻くと、「分かったよ……」とため息をついた。

「どうすりゃいーんだよ」

その一言にパっと顔を上げた滋は、「まず横に来て」と口を尖らせた。

「歩調合せて。笑って世間話して」
「めんどくせ……って、あ、てめえっ。どさくさにまぎれて腕組むな!さっきも勝手に組みやがって――――」
「いいじゃない。恋人同士なんだから」
「……ぐ…っ」

その一言に司が黙ると、滋はぎゅっと腕にしがみついてきた。

「ねえ、司…。凄く嬉しかったの。好きになるって言ってくれて……。信じていいよね」
「し、しつけーなっ。なるって言ってんだろっ」
「いつ?」
「知るか!そのうちだよっ」

滋の直球に、さすがの司もタジタジになる。
それでも滋は嬉しそうな笑みを見せると、司の方へ体を寄せた。

「あ、あんまくっつくなっ」
「だって、こうした方があったかいもん」
「あ?今日は寒くねーだろっ!」
「そお?ちょっと風が強くて肌寒い感じしない?今の季節って、まだまだ不安定だし」
「チッ。知るか」
「あ、また歩くの早くなってる!」
「……うるせえな、ったく」

滋の歩調に合わせながら、司は溜息をついた。デートをOKしたはいいが何となく気分が乗らない。
これから映画を見て、その後は食事……と滋が勝手に決めてはいるが、司としては早々に帰って休みたかった。

(ったく……こっちは帰国したばかりで時差ボケだっつーの……)

類ではないが小さく欠伸を咬み殺す。
と喧嘩をした次の日の夜、急に思い立ち日本を脱出したまでは良かったが、そこで出した結論を、すでに後悔し始めていた。
から大和と婚約すると言われ、ついでに滋とお似合いだと突き放された時、司の中で何かが壊れて。
あのままの傍にいるのがつらくなって逃げ出した。
考えてみれば、自分とはいつも同じことの繰り返しだったと思う。手が届きそうで届かない。
そんな心の距離がもどかしくて、それでもの事を諦めきれない自分にほとほと嫌気がさしたというのに。

の奴……マジで類とデートすんのかよ……。結城大和と婚約しても、まだ類のこと…?)

凝りもせず、気付けばこんな風にの事を考えている。
今でもまだ類の事を好きなのか、と思えば思うほど、胸の奥が焼けるように痛む。

(どうして…あいつなんだろうな。例えば滋の事を好きになれれば、こんなに悩む事もねえのによ)

そんな事を思いながら、寄り添ってくる滋を見る。
滋は本当に嬉しそうな顔で、あれやこれやと司の興味をひくような話題を振ってくる。
その姿がいじらしいとは思うが、を想う時のように胸の奥を熱くすることはない。
この時点で答えは見えていたはずなのに、司は敢えて気づかないふりをした。

「…でね…って聞いてる?司」
「あ?あ、ああ……」

不意に顔を覗き込まれ、司はハッとしたように頷いて見せた。
しかし滋は不満そうに「その顔は聞いてなかったな」と唇を尖らせる。

「うるせえな。つーか映画の時間に間に合わなくなるし急ごうぜ」
「え?あ、いけない!あと20分で始まっちゃうじゃない!せっかくVIPルームおさえたのに!」

滋も腕時計を見ると慌てたように走り出す。
司も腕を引かれるままついて行ったが、の事が頭から離れる事は一度もなかった――――。











「久しぶりね、ちゃん。少しやせた?」
「そ、そうですか?自分じゃ分かりませんけど……」

社長室へ入るなり、楓おば様にハグされた私は、やせたと聞かれてドキっとした。
確かに最近は忙しくて食欲もあまりなかったせいで、4キロほど体重が落ちていたのだ。
でもそれを言えば心配をかけると、あえて大丈夫です、と言っておく。
楓おば様は私にソファを進めると、秘書の人に紅茶を運ばせた。

「ところで、どう?習い事は楽しい?」
「あ、はい。あの、ありがとう御座います。色々と勉強させて頂いて」
「嫌ね、他人行儀なこと言わないでちょうだい。私とちゃんはもう家族なんだから」

楓おば様はそう言いながらニッコリ微笑むと、

「それで……司と滋さんはどうかしら」
「え?」
「上手く行っているの?」
「あ……えっと……今日デートに行ったみたいです」
「まあ、そう!なら良かったわ。ちゃんは滋さんとも仲がいいのよね」
「ま、まあ。時々食事に行ったりしてます」
「じゃあ滋さんから色々聞いてる?司のこと」
「……そ、そうですね」

色々、と言っても、つい先日までは報われない恋の相談ばかりだった。
でも、これからは惚気なんかも聞かされるかもしれない。

「滋さんは……司のこと凄く好きみたいです」
「そうなの?じゃあ上手く行きそうね、あの二人も」

おば様は嬉しそうに言うと、紅茶を口へと運んだ。
が、ふと私を見て、

ちゃんは?大和くんと会ってるのかしら」
「え?あ……そ、そう…ですね。今日も……というか、さっき学校で会いました」
「あら、じゃあ一緒に来てくれたら良かったのに。大和くんにも聞かせたい話だったんだから」
「え……?」

私が顔を上げると、楓おば様はニッコリと微笑み、身を乗り出した。

「来週の週末にね。婚約発表する事にしたのよ」
「こ、婚約発表……?」
「ええ。道明寺家と結城家、大河原家で婚約披露パーティを開こうと思って」
「合同でパーティ、ですか?」
「そうよ。今回は事業の話も関わってくるから、わが社と関係ある方を呼んで報告もかねたパーティになると思うわ」
「そ…そうですか……」

それを聞いて鼓動が一気に早くなる。
婚約発表するという事は大和と正式に婚約する、ということだ。
覚悟は決めていたはずなのに、それが現実になると思うと、やっぱり少しは動揺してしまう。

「この前も言っていたけど、ちゃんも心を決めてくれたと思っていいのよね?」
「え?あ……」

一瞬返事に困り言葉が詰まった。でも一度は自分で決めたことなのだ。
今更、無理ですと言えるはずもない。 それに婚約披露パーティをすると決めているなら、すでに準備段階に入っているという事だ。

「……はい」
「良かったわ。この前電話で話した時も大和くん、凄く喜んでいたのよ?」

おば様は機嫌よく話しているが、そこでふと違和感を覚えた。
大和と電話で話したという事は個人的に連絡を取り合ったという事だろうか。
こういう事は普通、道明寺グループの社長であるおば様と、結城グループの社長である大和のお父さんがするものなんじゃないかと思ったのだ。
なのにおば様はよく大和の話をするけど、大和のお父さんのことは殆ど話に出てこない。

(という事は……おば様は大和と直接こんな話をしているのかな……)

でもいくら大和が結城グループの跡継ぎとはいえ、泣く子も黙る道明寺グループの女社長とじかに話したりするのか、私は疑問だった。
そこで何となく西門さん達に言われた事を思い出す。

(でも、まさか…ね。おば様と大和がグルなんてあるはずないもの)

心のどこかで不安になりながらも、二人の事を信じたい、という思いがある。
それに西門さん達が調べても何も出なければそれでいいのだ。

「当日はちゃんのご両親も上京するし、久しぶりに会えるわね」
「はあ……」

ふと、婚約の話を聞いて電話してきた時のお父さんの反応を思い出し、顔が引きつる。
どうして相談もなしに了承したんだと、最初は戸惑っていたようだったけど、相手が大和だと知って酷く驚いていた。
それも当然だ。前に勝手に婚約話を進めていた相手なのだから。(お父さんは大和と変わってたのは知らないだろうけど)
そこで簡単に説明したけど、結局は私が道明寺家の為に政略結婚するはめになったのは自分のせいだと、お父さんは悲しそうに言っていた。
でも私はお父さんのせいだとは思っていない。私にできる事をしたいと思っただけだ。
ただ、一つ後悔している事があるとすれば、司と大和を傷つけたこと――――。


「じゃあ来週、また会いましょうね」

あれこれ考えていると、不意におば様が立ち上がった。

「あ、あの、おば様、どこかへ行かれるんですか?」
「大事な契約が三日後にあるから、一度ニューヨークに戻らなければならないの。でもパーティ当日までには戻るわ」
「そ、そうですか。お忙しいんですね……」
「忙しいのはいい事よ。ちゃんも習い事と勉強の両立は大変だろうけど、将来必ず役に立つんだし頑張ってね」
「はい」

楓おば様は常に仕事の事を考えているようだ。
いつも今よりずっと前を、未来を見て生きている。
そうでなければ、この道明寺グループという巨大な会社の経営など出来ないのだろう。
けど、そのせいで司や椿さんは寂しい思いをしてきたんだな、と何故かそんな事を思った。

「それじゃちゃん。大和くんと仲良くしててね」
「は、はい。おば様もお気をつけて」
「ああ、それとパーティ用のドレスは来週半ばまでに出来上がるから、大和くんのスーツも届くと思うし一度合わせてみてくれる?」
「え?ドレス…」
「ちゃんと二人のは色も合わせてオーダーしたの。きっと似合うと思うわ」

その徹底ぶりに驚きつつ、笑顔で頷いておく。
そこへ秘書の西田さんが時間を知らせに来た事で話が中断し、私はおば様に挨拶をして社長室を出た。
緊張していたせいか、一気に体の力が抜けた気がする。

「はあぁ…。やっぱり久しぶりに会うと緊張しちゃう。ホントは私なんか会えないような人なのよね、おば様って」

そんな人の義理の娘となったのだから、やはり手は抜けない。
時計を見れば午後5時になろうとしている。今日は6時から料理教室へと行く予定だった。
花嫁修業として行かされた教室だったが、料理の苦手な私にとってはそれなりに大変だ。
明後日の土曜には作った料理を先生に味見してもらう"食事会"がある。
今日は最終的な味付けや盛り付けを考えなくてはいけない。

(家に帰ろうかと思ったけど、そのまま行った方が良さそうだな)

待っていてくれた運転手さんに行き先を告げながら、夜は今日出られなかった授業の内容をチェックして勉強しておかなければ、と溜息をつく。
一応、携帯のスケジュール機能に予定を書き込み、シートへともたれ掛かった。
最近はやることが多すぎて、いちいち書き込んでおかないと忘れてしまう事があるのだ。

「あ、そうだ。花沢類にメールしてって言われたんだっけ……」

ポケットにしまいかけた携帯をもう一度出して、私はおば様から聞いた話をメールに打ち込んだ。
内容が内容だけに何となく送りにくかったが、花沢類も心配してくれてるし、
今日の話は大和も関わってくる事だから、このメールを見たら西門さん達に連絡するかもしれないな、と思った。

「まだ大阪なのかなあ、あの二人」

何をどう調べるのかは分からないけど、何となくハッキリしないことには落ち着かない。
出来れば何も怪しい事なんかなければいい、とさえ思う。
大和が私を騙すなんて考えたくなかった。

(大和はあれからどうしたんだろう。また気まずいまま別れちゃったけど……)

さっきは強引な態度を見せた大和には驚いたけど、それも私が曖昧な態度で、大和を傷つけているせいかもしれない。
だけど……出来る事なら以前の大和に戻って欲しかった。

「大丈夫かな…。婚約発表……」

正式な場での発表となれば、もう後戻りはできない。
なのに大和とは具体的なことは一切話し合ってないのだ。
それに司と滋さんみたいに、ハッキリ付き合うといった形をとったわけでもない――――。

「……そっか、合同でパーティするなら司も滋さんと正式に婚約するって事なんだ……」

そこに気づいた時、何とも言えない思いが溢れてきた。
道明寺家に来て半年と少し。司に好きだと言われたのが、ずいぶんと昔に思えた。
結局、司とも気まずいまま、お互いに別々の道を歩んでいく事になるんだろうか――――。
ふと、そんな事を考えて、急に寂しさを感じた。
少しづつ、周りの人達との関係が変わっていくような、そんな寂しさだった――――。






夜――――習い事を終えて帰宅すると、またしても滋さんが待ち構えていた。

「お帰り〜!!」

リビングのソファに座り、呑気にケーキを食べている滋さんを見て、私は一瞬ずっこけそうになった。

「ど、どうしたの?司とデートなんじゃ……」
「してきたよー?あれから街をブラついて、映画見て、食事に行って……」
「そ、そうなんだ。でも、じゃあ……司は?一緒に帰って来たんでしょ?」

周りを見渡し司がいない事を疑問に思いながらソファに座ると、滋さんは急に「聞いてよ、!」と不機嫌そうな声を上げた。

「夕食を終えてレストランを出た後でね、少し酔いを覚まそうかって言って公園に誘ったの」
「……公園?食事の後に?」
「そうよ!ムード出るじゃない?普通。ワインも多少飲んでほろ酔いの男女が夜の公園歩いてるのよ?」
「う、うん……」
「男ならムラムラっとくるはずじゃないっ」
「……っム、村?(違)」

滋さんの迫力にタジタジとなりつつ、話の内容にドキっとしていると、彼女は更にエキサイトしながら私の方へと詰め寄って来た。

「なのにあの男、キスもしてこないのよ〜〜?!信じられる?!」
「………キ…っ?!」

その一言に本気でずっこけた私は、一瞬で顔が赤くなってしまった。
何が悲しくてこんな話を聞かなくちゃいけないんだ、と自分の立場を呪いたくなる。
そんな私の心情も知らない滋さんは、更に司への不満をぶちまけた。

「そればかりか、ただ黙ってベンチに座ってるだけなのよっ。これが恋人同士って言える?!」
「そ……そうだね……。司、ああ見えてシャイなとこあったりするから……照れてただけじゃない……?」
「そうかなぁ……そんな風には見えなかったけど……」

頬が微妙に引きつるのを感じながらも何とか応えると、滋さんは首を傾げながら唇をとがらせている。
そして突然、私の手をぎゅっと握ると、

は司とキスしたことある?!」

「……っぶほっ

いきなり変な質問をされ、私は飲んでいた紅茶を思い切り吹き出してしまった。
滋さんはそんな私の反応を見て察したのか、

「あ!あるんだ!いいなぁ!いいなあ!」
「……うっ。い、いいなあって言われても……」

びしっと指をさされ、更に顔が赤くなった私は、慌てて口元をハンカチで拭いながら、いったい司は何をしてるんだ、と二階へ視線を送る。
仮にもデートした相手を家に連れて来たんじゃないのか、と思いながら、「あ、あの司は上ですか?」と聞いてみた。

「ああ、司は用事があるって言って私を運転手に任せて、途中で降りちゃったの。それもひどくないっ?」
「え、そ、そうですね……(って、司の奴、何してんのよっ)」
「それで真っ直ぐ帰る気にもなれないからに会いに来たってわけ」
「は、はあ……」

要は愚痴りにきたってわけか、と納得しながらも苦笑していると、滋さんは、ふと悲しげな顔で私を見た。

「でも…司、まだのこと好きなのかな……」
「え……っ?」
「だって……私には態度も素っ気ないし腕を組んだだけで怒るの……」

どんどん落ち込んでいく滋さんを見ていると、女心の分からない司に腹が立ってきた。

「キスもしてくれないし、私の事なんか好きじゃないのかも……」
「そ、そんなことないよっ」

何とか励まそうと、私は滋さんの手を握りしめた。

「あいつが女の子に"付き合ってくれ"って言った事だけでも奇跡に近いんだから」
「……そうなの?」
「そうよっ!しかも腕組んで街を歩くなんて、西門さんと美作さんが知ったらビックリ仰天してショック死するかも!」
「……ほんと?」
「ホント、ホント!」

無駄に張り切って応えると、滋さんはどこかホっとしたように微笑んでくれた。

「そっか……。そうだよね。ごめん、。私……何かあせってる。今まで恵まれすぎてて……」
「滋さん……」
「思い通りにならない事、いっこもなかったから……結構苦しい……」

滋さんがつらそうに呟くから、私はそれ以上何も言えなくなった。
本当に司のことが好きなんだな、と、滋さんの心が伝わって来て、私もほんの少し苦しくなった――――。











「え?昨日も来たの?司の彼女が?」

昼休み、花沢類が「ランチ行こ」と教室まで迎えに来て――クラス中の女子が大騒ぎで大変だった――そのまま非常階段へとやって来た。
ホントは婚約披露パーティの件を話すつもりが、夕べの今日という事もあり、自然と滋さんの話になってしまった。

「うん、何か司に振り回されてるの見てると放っておけなくて……」
「……自分のこと思い出す?」
「そ、そういうんじゃないけど…っ」

にやりと笑う花沢類に、私は僅かに顔が赤くなった。

「でも面倒くさいね。しょっちゅう相談なんかされてたら」
「だから花沢類から司に言って――――」
「いやだ」
「そ、即答っ?」
「言って聞くような男かよ。それに第三者が立ち入る問題じゃないだろ」
「そ、そうだけど……」
「くっつく時はくっつく。ダメな時はダメ。どうしようもない事だってあんだよ」

こういう時の花沢類は本当に素っ気ない。というか冷たく突き放したような言い方をする。
でも実際その通りだから、私も何も言えなくなるんだ。

(でもやけに実感こもってるな……。静さんとは本当にダメになっちゃったのかな…)

そんな事を考えていると、下の方で「つかさ〜!」という聞きなれた声がしてきた。
慌てて覗いてみれば、校舎裏の庭先を滋さんが走っている。そしてその前には司が歩いていた。

「何だよっ。こんなとこにまで来んなよっ」

司は話に聞いてた通り、滋さんに対して冷たい態度だ。

「また来たんだね、あの滋って子」
「う、うん……」

花沢類と二人、並んで下を覗き込んでいると、二人は何やらモメだした。

「帰れよっ!」
「いやっ」
「帰れっ」
「やだっ」

「…………」
「……これが恋人同士?」

二人の様子を見て、花沢類が訝しげな顔で私を見る。
それには何も言い返せずに黙っていると、その間も二人は言い合いを続けている。

「……何なんだよ、お前。いい加減にしねえとマジで怒るぞ」

引き下がらない滋さんを見て、司がイライラしているのが分かった。

「ど、どうしよう……。緊迫してるし……見てちゃ悪いんじゃない?」
「いいんじゃない?別に」

おろおろする私に対して、花沢類は至って冷静に二人のやり取りを見ている。
私は司がキレて滋さんに何かしないか心配になった。その時――――。

「キスしてよ」

「―――――っ」

滋さんの一言に、私は固まった。(なんて積極的なの!)
司も驚いたように立ち止まり、呆気にとられた顔で振り向いている。

「キス…だぁ?」
「そう。もうを好きじゃないって証拠、見せて」

「………っ(何でそこで私の名前だすかな!)」

突然私の話題を出され、軽い眩暈に襲われた。
でも滋さんは本気のようで、涙目のまま、司を見つめている。

「司は私といる時、いつも何か考えてる。付き合ってる相手にそんな不安を抱かせるなんて失礼だよ」
「…………」
「もう何とも思ってないなら出来るでしょ?」

必死に想いを伝えている滋さんを見て、私は鼓動が一気に早くなっていくのが分かった。
滋さんみたいな綺麗な人にここまで言われたら、誰だって絆されるんじゃないか、とすら思う。
司は黙って滋さんを見ている。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
でも、不意に司が滋さんの方へと歩いて行った。


「目、つぶれ」


「―――――」


そこからは、まるでスローモーションのように見えた。
司が滋さんの腰を抱き寄せ、ゆっくりと身を屈めていく。そして触れ合う唇と唇――――。

それを見た瞬間、胸の奥が何かで貫かれたような痛みが走った。

「これでいいんだろ?」
「ま、待ってよ、司!」

二人がどこかへ歩いて行くのを呆然と見ていると、隣にいた花沢類が小さく息を吐き出した。

「すげ……。珍しいもん見た」
「う、うん……」

心臓がドキドキして息苦しい。そう思っていると、花沢類がひょいと私の顔を覗き込んできた。

「ショック?」
「な、何で?誰がショック受けんの?」

花沢類の一言で思った以上に動揺して、それを誤魔化すために私は慌てて立ち上がった。

「こ、これで良かったのよ。滋さんの想いも報われたって事でしょ?私としてはお祝いしてあげたい気分だもん」
「ふーん」
「な、何よ」

じぃっと私を見つめる花沢類の真っ直ぐな瞳に、私は顔が赤くなっていくのが分かった。

ってさ、動揺すると良くしゃべんのな」
「………っ」

図星を刺されて更に動揺した私は、思わず彼めがけてランチの後に食べようと買ったプリンを投げてしまった。
それは花沢類の背中に当たり、ボコっと小気味いい音を出しながら床へと落ちる。

「…いて」
「ど、動揺なんかしてないってばっ」

何でこんなに慌ててるんだろう、と自分でも不思議に思いながら、目の前でプリンを拾っている花沢類を睨んだ。
花沢類はキョトンとした顔で私を見たまま、

「……ぷっ!やっぱっておもしれー」
「……っ面白くない!」

突然噴き出した花沢類に耳まで赤くなる。
そのまま非常階段から逃げ出すと、後ろから花沢類の笑い声がかすかに聞こえてきた。

(何よ!花沢類のバカっ。何もかも見透かしたような顔して頭にくる……っ)

あの花沢類にプリンをぶつけてしまった驚きよりも、どっちかと言えば自分がこんなにも動揺している事の方が驚きだった。
司と滋さんのキスシーンをみたくらいで、何でこんなにも自分の感情をコントロールできなくなるのか良く分からない。
息を切らしながら教室へ戻り、自分の席へ着くと、自然に深い溜息が洩れた。
次の授業の用意をしながらも頭の中はさっきのキスシーンがぐるぐると回っている。

(こ、腰なんか抱き寄せちゃって……)

思い出すだけで顔が赤くなっていく。
キスした後、二人が見つめあっていたような気さえしてきて、ペンを持つ手に知らず知らず力が入っていた。

なんて目じゃねえよ。今はお前だけだぜ、べいべー』(※こんなこと言ってない)

『あんな貧弱女、好きだと思った俺がどうかしてたぜ、ハニー』(※こんなことも言ってない)

司と滋さんのラブシーンに、おかしな台詞までがついて、同じ光景が何度も脳内で上映されている。

「……っ」

めきっという嫌な音がして、ペンが気持ち曲がったのも気づかずに、私は思い切り頭を振った。

(いいのよ……。これで丸くおさまるんだし……どうせ来週末には婚約披露パーティがあるんだもの)

何とか現実を思い出し冷静になろうと深呼吸をする。なのに、胸の奥は何故か痛いまま。
司を受け入れなかったのは自分のクセに、どうして傷ついたような気持ちになるのか。
司にとって、しょせん私はその程度のものだったのか、と少しショックだったのかもしれない。
何て勝手な女なんだ、と自分自身にも腹が立つ。ううん、そんな自分が一番、嫌い――――。

「あらぁ、何か機嫌が悪そうねぇ」
「ほーんと。花沢さんと喧嘩でもしたのかしらぁ?」
「それとも道明寺さんに彼女が出来たからかしらあ」

「…………」

イライラしているところへ嫌味な女が二人歩いて来て、私は持っていたペンをさらに強く握った。

「道明寺さんと花沢さんを天秤にかけるからよ」
「しょせん遊ばれてたのに、それすらも分からないなんて可哀想な方――――」

「ねえ……浅井さん、鮎原さん。最近、ムカつくクラスメートを刺したって事件あったの知ってる?」

「「……ひっ」」

ペンを持ったまま立ち上がる私を見て、二人はぎょっとしたように後ずさっていく。

「私も今、何か刺したい気分なんだけど――――」

「「ぎゃ、ぎゃぁぁぁっ」」

何ともお嬢様らしかぬ叫び声をあげて逃げていく二人に、軽く舌を出す。
この英徳に来てから色々と鍛えられたから、随分と強くなった。あんな嫌味にはもう傷つかない。

(そうよ!私には他にいっぱい考えなくちゃいけないことが山積みなんだから!)

席に座り、そう思い直すと、明日、料理教室で作る案を書いた紙を見直した。
花見もとっくに終わり、少々時期外れだったが、今回の題材は花見弁当にしてみたのだ。
色合いも華やかになるし、見た目もいいと、自分であれこれデザインを考えた。
ただ絵は上手く描けたものの、これを実際の形に出来るかどうかが不安だった。

(大丈夫……。夕べもタマさんに教えてもらってコツは掴んだし……あとは味だけよ)

今夜、実際に作ってみて味を調整する予定だった。

(そう、今の私には他の事で悩んでる暇なんかないんだ……)

そう言い聞かせて、私は胸の奥に残る痛みに、気づかないふりをした――――。










「よお」

学校帰り、校門を出ると、そこには大和が待っていた。
でもいつもの制服ではなく、何故かスーツを着込んでいる。

「大和……どうしたの?」
を待っててん。今からちょっと付き合うてくれへん?」
「え、今から……?」

突然の誘いに驚いたけど、昨日も気まずい別れ方をしたばかりだ。
断るのも気が引けるけど、西門さんや花沢類には、大和と二人きりで会うなと言われている。
どうしようかと悩んでいると、大和は「もしかして今日も習い事か?」と聞いてきた。

「あ……ううん。今日はないよ。西門さんに茶道習う日だけど今いないから……」
「ああ、そう言えば最近、見かけへんけど、どっか行っとるん?」
「う、うん……。旅行……って言ってた、かな?」

まさか大阪へ行ってますとは言えず、笑って誤魔化したが、大和は特に気にした様子もなかった。

「へえ、ま、ほなら何も予定ないっちゅう事か?」
「うん…まあ。でも何?何か用事?」

この間よりは比較的、機嫌もいいのか、大和が普通に話してくれる事にホッとしながら訪ねた。

「ああ、実は今、俺の親父とおかんが東京来てんねん」
「へ?大和の……お父さんと…お母さん?」
「ああ、親父は見合いの席で会うたやろ?」
「あ、うん……。あの時は簡単な挨拶しか出来なかったけど……」

あの日は楓おば様に「二人きりで食事に行って来なさい」と言われ、大人組はついて来なかった。
なので大和のお父さんとも、「初めまして」くらいの挨拶しか出来なかったのだ。
顔は怖そうだったけど、話すとどこか大和に似ていて面白い印象を受けたのを覚えている。

「お父さんとお母さん、お仕事で?」
「いや、時々俺の様子見に来んねん。んで今夜、最終で大阪に戻るらしいねんけど、帰る前にと少し話したい言いだしてな」
「え、私と……?」
「お前も聞いてるやろ?来週末の婚約披露パーティ」
「う、うん……」
「おかんもその前に一度、ちゃんと会って挨拶しておきたい言うねん」
「あ、そ、そっか……そう、よね。お母さんには大阪行った時も会えなかったし……」
「せやし迎えに来てん。付き合うてくれる?」
「うん、そういう事なら……。あ、でも一度着替えに行きたいんだけど……制服のままじゃなんだし」

ご両親もいるなら二人きりじゃないしいいか。と私は行くことに決めた。
どっちにしろ、西門さん達が帰ってくるまで答えなんか出ないのだ。

「助かるわ。ほな送るし」

大和はホっとしたように言うと車の方へ歩き出した。
私もその後に続き、追いかけて行くと、周りの生徒たちから好奇の視線が注がれる。

「嘘、あれ、結城くんじゃない?」
「一緒にいるのってって子よね」
「今は道明寺でしょ?まだ結城くんと仲いいんだ。最近は一緒にいなかったからホっとしてたのにー」
「やだ、もしかして結城くん狙いなの?前は西門さんだったクセに〜」
「だって西門さんは気軽に話しかけられないじゃない。そのてん結城くんは話しかけやすいし面白いし、それ以上にカッコいいんだもん」
「なるほどねー、しかも愛車はポルシェの新車よー。見て、あれ」

「…………」

そんな会話が聞こえて来て、私は思わず俯いてしまった。
大和が自分の車で来たせいで、かなり目立っているのだ。(目立ってるのは車だけじゃないけど)

?どないしたん?猫背になってんで」
「……っていうか目立ちすぎ。何でこの車で来たのよ」
「あ?何でて、せっかく大阪から運んでんから乗らな可哀想やん」
「く、車に可愛そうも何もあるわけないでしょっ。せめて学校来る時は地味なので来てよ……」
「何でやねん。俺にちっこい軽自動車にでも乗れってか?ムリやで。俺、めっちゃ足長いから」
「………ぷっ!確かにそれは似合わないかも」

大和が窮屈そうに軽自動車に乗ってるところを想像して軽く噴き出した。
足が長いというのも否定はしないが、その前に頭が天井にくっつきそうだ。

「せやろー?」

大和は苦笑交じりで言いながらも、助手席のドアを開けてくれた。
そんな事でさえ、周りから歓声が上がっている。

「いやーん、さんばかり助手席に乗せるなんてずるーい」
「結城くーん、今度私も乗せてね〜」

そんな声まで飛んできて、私は慌てて車に乗り込んだ。
これ以上あの視線にさらされるのは耐えられない。
なのに大和は無駄に愛想のいい笑顔で、彼女たちに手を振っている。

「何や、俺もまだまだ捨てたもんやないなあ」
「…………(この八方美人め)」

そんな事を言いながら運転席へと乗り込んできた大和に、思わず冷たい視線を向ける。
こういうところはあまり変わってないらしい。

「お、何やねん。その怖い顔。ああ〜もしかしてジェラシー?」
「……あのね。いいから早く出してよ……。みんな見てるんだから」
「はいはい。相変わらず素っ気ない女やわ」
「大和のアホさ加減も相変わらずだけどね」

大和がエンジンをふかして車を出すのを見ながら、思わず本音が零れる。
幸いエンジン音で聞こえなかったのか、大和は外にいる彼女たちに笑顔で手を振りながら、ハンドルを切った。
それから一度、家に送ってもらい、私は軽めのワンピースドレスに着替え、再び大和の車へと乗り込む。
大和は私を見た瞬間、満面の笑みで「やっぱ、かわええなー、は」と照れるようなことを、さらりと言って来た。

「制服もええけど、そういうのんも似合うな、は」
「そ、そう……?椿さんがいつもくれるんだけど……私にはちょっと上品すぎない?」
「いや、雰囲気に合うてるで?まあ、しゃべるとアレやけど」
「ア、アレって何よ!どうせ私は上品に話せませんよーっ」
「ぷ……っスネてんのか?まあ、そこもかわええけど」
「…………」

またしても照れるような事を口にする大和に、思わず目が細くなった。

「……今日は機嫌がいいんだね、大和」
「え?何が?」
「大和、最近いつも不機嫌そうだったし」

そう言って視線を向ければ、大和は軽く苦笑している。

「別に不機嫌やったわけとちゃうけど」
「嘘ばっかり。急に冷たくなったもん」
「そらー俺かていっつもいっつもヘラヘラしてられへんわ。これでも色々悩んでんねん」
「悩み?」
「結城大和クン、最近の悩み第一位は、惚れてる子ぉに男として見てもらえへん事らしいでー?可哀想やろ?」
「…………(自分で言うな…っ)」

やぶへび、とはこういう事を言うんだろうな、と私は少々後悔しながら俯けば、大和は「ほら、すぐそれや」と目を細めた。

「そ、それって?」
「俺が素直な気持ちを言うてもはいっつも、そうやって困った顔するやろー?」
「そ、そんな事は……あ、あるかもしれないけど、」
「ほらみい。最初はそない顔させてる俺が悪いんかなあとか悩んだりしてん。けど好きなもんは好きやし」
「………」
「自分の気持ち正直に伝えてるだけやのに、はいつも困った顔しよるし、最後は友達、友達ゆうやん」

大和は溜息交じりで言いながら、ちらりと私を見た。

「そのくせ人の為に好きでもない俺とあっさり婚約OKしたやん?それが何や……めっちゃ空しなってん」
「ご、ごめん……」
「ここ謝るとこやないで。ごめん言われたら俺の立場ないやろ」
「だ、だって……」
「それに……この前言った事もほんまの気持ちや」
「え?」
「いつもの俺で接したところでは俺のこと友達としてしか見てくれへんし……そういうのも何や……しんどくなってんなあ」
「……大和……」
「ま、ちょっとスネてただけや。悪かったな。この前、花沢クンに無理強いしてる言われて反省してん」

ぼそっと呟いた今の言葉が、きっと本音なんだろうな、と思うと、私は余計に何も言えなくなった。
じゃあ、どうしたらいいんだろう?どうしたら誰も傷つかずに、全てが丸く収まるんだろう。

「何や、また俺、困らせてる?」
「そ、そうじゃないけど……」
「ほな、何?」

優しく聞いてくる大和の顔を、今度は真っ直ぐに見つめた。

「大和は……ホントに私でいいの?私だって大和を悩ませてるんだよね」
「何や、急に」
「だって……私はきっと大和のこといっぱい…傷つけてたでしょう?」

私の問いに、大和は応えなかった。視線を戻し、ただ、前を見つめながら黙って車を走らせている。
車内は大和の香水の香りと静寂に包まれている。それがほんの少し、私を緊張させた。
車はどうやらメープルホテル・赤坂へと向かっているようだ。
目的地が見えたところでスピードが落ち、車はホテルの駐車場へと入っていく。
ブォォンというエンジン音と共に空いたスペースへ停車させると、大和は車のエンジンを切った。

「こ、ここにいるの?大和のご両親」

これ以上の沈黙に耐えきれず、私から口を開けば、大和はハンドルに両肘を置いてもたれたまま、ふと私を見た。
その顔が思った以上に真剣で、更に緊張感がアップしていく。

「あ、あの――――」


私が口を開いた瞬間、大和が私の名前を呼んだ。

「な、何?」

何とも言えない空気が漂い、更に緊張感が増していく。
大和は徐に私の方へ向き直ると、軽く深呼吸をした。


「――――俺たち、最初からやり直さへん?」

「……へ?」


思ってもみない言葉を言われ、私は間抜けた声を返してしまった。
それでも大和は普段と違い、今も真剣な顔で私を見つめている。

「さ、最初からって……?」
「せやから……面倒なこと考えんと、一から付き合おう言うてんねん」
「つ、付き合う……って……」

もうすぐ婚約するのに?と思いながらも、大和の真意が分からず黙っていると、大和は困ったような顔で髪をくしゃりと掻き上げた。

「俺、考えてんけど、俺たち、違う出会い方してたらどないなってたんやろ思てな」
「違う出会い……」
「兄貴の事とかもなくて、ただ普通に出会うてたら、何か少し違ったんかなって……でも会う前になんか戻られへんし無理やろ?せやから気持ち的にというか…」

大和はどこか照れくさそうな顔で一生懸命、説明してくれてる。
その言葉を聞きながら、大和が何を言いたいのか、少し分かった気がした。

「今度の婚約かて順序が逆やん。今更なんは分かってるけど……婚約とか何も考えんと普通に俺と……付き合うてみいひん?」
「大和……」
「今まで俺もかなり強引な事してきたのは分かってんねん。せやしが俺んこと傷つけたて罪悪感とか持つ必要ないから」

さっきの答えが今の言葉なんだろうと思った。
大和もまた、私の気持ちを考えてくれてたんだと気づき、それは素直に嬉しかった。

「……な、何か言うてえな」
「え、え?」
「え?やあらへん。今の……返事いうか……はどう思たんか聞いてへんし」

いつもの大和らしくない、歯切れの悪い様子に、私はふと顔を上げた。
見れば大和の顔が薄っすらと赤くなっている。こんな大和は見たことがなかった。
それだけに、今言った事は本気なんだと分かる。

「あ、あの…えっと……」

返事、と言われて何と答えていいのか分からなかった。
付き合ってくれ、と言った事に対してなのか、それとも今の案に対してなんだろうか。
どっちにしろ同じ事だけど、大和が言ってるのは気持ちの問題であって、きちんと男と女として向き合ってみないかという事だろう。
そんな事を考えていると、大和が深々と溜息をついた。

「そない悩まんでも……」
「え?あ、ち、違うの。悩んでるとかじゃなくて……」
「まあ、ええわ。今の今日で返事もらおうとか思てたわけとちゃうし」
「え?」
「せやから……少し考えてみて。ああ、婚約披露とか、そんなんは無視してええから」
「む、無視って、そういうわけには……」
「俺はあんな形だけの事なんかどうでもええねん。名ばかりの婚約者なんかいらんて前も言うたやろ?」
「うん……」
「そう言う面倒なもんとっぱらって……俺との事、ちゃんと考えてほしい」

大和はそう言って照れくさそうに笑うと、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

その子供みたいな笑顔が、最初に出会った頃の大和みたいで、ひどく懐かしい気がした――――。











長くなったので一旦切ります。原作でいうと17巻辺りで御座います。
花男は後半にいくにつれ、好きなエピソードが多い管理人です。
絵もかっこよくなっているのもありますけど(笑)

実は前回辺りに、ちょいと大和の過去話とか入れようと思ってたんですが、まあオリキャラなので、一旦保留にしました。
とりあえずなくても話は繋がりそうなので(笑)そのうちオマケでどこかに載せるかも…(ーー;




Q(投票処)にコメント、ありがとう御座います<(_ _)>


◆「君に花束をの更新楽しみにしています。(社会人)」
(ありがとう御座います!またまた更新したので楽しんで頂けたら嬉しいです!)



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