束縛の針
私について少しだけ話しをしよう。生まれ故郷はパドキア共和国。ククルーマウンテンにある邸宅が私の実家だ。私はそこで普通とは違う環境で育てられた。早い話、家族そして親類に至る者全てが暗殺者であり、依頼を受けて人を殺す仕事をしている。
"ゾルディック"――。
その名を聞けば知らぬ者はいないだろうと言えるくらい、世界一有名な暗殺一家。それが私の生まれ落ちた家だった。
私の家族は寡黙な父、美しい母、優しい兄、そして下には4人の可愛い弟がいる。そう、兄弟の中で唯一、私だけが女という生き物に生まれてしまった。
そのせいか家族の皆から愛され、可愛がられた私は、人の殺し方を叩き込まれると同時に蝶よ花よと育てられた。
特に一つ上の兄、イルミからは異常なまでの愛情を注がれ続けている。
幼い頃は良かった。随分と甘やかしてくれる兄に懐き、どこに行くにもくっついて歩き、何でもイルミのマネをした。同じ黒髪を伸ばしたり、叶わなかったけど念能力も同じ操作系にしようとしたり、とにかく何でもイルミと同じが良かった。
今思えば自分でも少しおかしいと思うけど、イルミは私の全てを受けいれてくれた。
"はオレの分身みたいだね"
良くそう言ってくれたのが私は嬉しかった。
なのに――それが少しずつ形を変えていったのはいつからだろう。お互い大人になって、私もいい年頃になったせいかもしれない。なのにイルミはいつまで経っても変わらなかった。今も相変わらず、私のベッドに平気で潜り込んでくるし、今朝も目を覚ましたら隣には当たり前のようにイルミが寝ていた。
「イルミ、また夜中に忍び込んだの?」
「うん。何で?ダメだった?」
私を抱きしめながら寝ていたイルミは薄っすら目を開けた。ダメに決まってるでしょ、お互いいくつになったと思ってるの?と言ったところで、この兄には少しも響かない。むしろ「オマエはオレの一部なんだから傍にいるのは当たり前だろ」と、それはそれは魅力的な笑みを浮かべるのだ。
「おはよう、」
やっと目が覚めてきたらしいイルミは私を抱き寄せ、いつものように額へ口付ける。その優しい唇の熱のせいなのか。時々、胸の奥に針を刺されたような痛みが走るのだ。それがいつからか、まるでイルミに操作をされてるみたいに、酷く落ち着かない気持ちになるようになった。
「もう……ハタチ過ぎた兄妹が一緒に寝るなんておかしいんだから」
「それはアイツに言われたから?」
「そ、そういうわけじゃないけど……普通はそうだって――」
「普通って?誰の常識で?オレの中ではおかしくないし、他人の常識なんて知らないよ」
何を言っても結局はこうなるのだ。イルミに一般常識など昔から皆無。まあそれは私を含め、うちの家族全員にも当てはまるんだろうけど。
「私は恋人も作れなさそう」
冗談めかして言った言葉だった。額にキスをした後、イルミがもう少しだけ寝ようと言って、私を抱きしめたまま眠りにつこうとしたから――。
それは秒にも満たないほどの素早さで襲ってきた。朝日を浴びながらも、どす黒くねっとりとした重さの禍々しいオーラ。
イルミの全身から漏れ出てくる、狂気とも思えるほどの、殺気。
「恋人……?誰のこと言ってるの……?ヒソカ?クロロ?それとも――オレの知らない男?」
ベッドの上で重苦しいほどの殺気に中てられ、完全に私の身体も思考も固まった。
「だ……誰のことでもないってば。ただのたとえ、話だから……」
直にイルミの殺気に触れて呼吸が出来ない。どうにか言葉を吐き出せたけど、ちゃんと分ってくれただろうか。そう思った瞬間だった。空気が一気に軽くなり、イルミは殺気を収めたようだ。
「何だ……紛らわしい。下らない話なんかするなよ」
「……ご、ごめん」
震えている私の頭を抱き寄せながら、イルミはいつも通り淡々と言いながら笑った。けれど、いつの間にかイルミの手には彼の愛用している細い針が握られていて。私の心臓が大きな音を立てた。
「でもそうか……もしにその気がなくても相手から言い寄って来ることもあるな。は世間知らずだから、うっかり騙されちゃう可能性もゼロじゃないよね」
「イルミ……?」
独り言のように抑揚のない声で話すイルミは漆黒の瞳をちらりと私に向けた。
「そうならないようコレで操作しとくか」
「ちょ……冗談……でしょ?」
「冗談?どうして?本気だけど」
思わず息を飲む。イルミの手に握られている小さな針が"ソレ用"の針だというのは嫌というほど知っている。それを刺されたら自分がどうなってしまうのかも。
「や、やめて」
「でもヒソカやクロロと連絡先は交換してたよね」
「それは勝手に登録されただけだもん」
ヒソカ――快楽殺人者。
クロロ――悪名高い盗賊集団のリーダー。
彼らと知り合ったのもイルミが依頼された仕事を手伝ったからなのに。
「どうだか。今もヒソカに付きまとわれてるんだろ?まだアイツと戦いたいの?」
「今はちゃんと遭遇したら逃げてる」
「それはオレが近づくなって言ったから?それともオレが言わなきゃデートくらいしてもいいとか思ってるんじゃないの」
「そんなこと思ってないってば――」
「信用できない」
イルミは私の方へ手を伸ばしてくる。針を刺されたら最後、その瞬間からイルミの木偶になってしまう。
私は咄嗟にイルミから距離を取ると自身の能力を発動した。具現化させた鍵を握り締めて《開け》と念じれば、私の領域である異空間――ドールハウスへの扉が開く。
イルミの表情のない顔が、一瞬だけ崩れたように見えた。
「危なかったぁ……」
"ドールハウス"へ入った瞬間、全身から汗が吹き出し、その場に座り込んだ。イルミは本気だった。本気で私を操ろうと―――。
「じょ、冗談じゃない……。絶対に嫌だ、あれだけは」
深い息を吐くと、部屋の中を見渡す。そこはびっしりとお気に入りのヌイグルミで埋め尽くされた私だけの空間。
幼い頃、ヌイグルミが大好きで大切にしていた。けれど「もういい歳なんだから捨てなさい」と母さんに言われて宝物を奪われそうになったのだ。その時、絶対に嫌だと強く念じた私は、咄嗟に大切なヌイグルミたちを異空間へと隠すことに成功した。初めて自分の念能力を使った瞬間でもある。
この力は私自身もその空間へ入ることが出来るし、他人は私の意志なくしては絶対に入れない、いわば私だけの絶対領域だ。この力を使えばどんな強者、例えば相手がイルミであっても阻止は出来ないし追っても来れない。
「はあ……朝から疲れた……」
"ドールハウス"内に作ったベッドに突っ伏しながら目を瞑る。家族の"眼"が届かない場所でしばし休息に入った。
「何よ……イルミのバカ。私は人形じゃないんだから……」
寝返りを打ち、仰向けになると隣に座ってる熊のヌイグルミをぎゅっと抱きしめた。
(分かってる……あれもイルミの愛情表現だっていうことは。ただ……真実を知ってしまった今は前のように甘えることが出来ない)
家族の中で一番の愛情を与えてくれてるのはイルミで間違いない。凄く嬉しいし幸せなことだとも思う。でも、私にだって意思はあるのだ。今までみたにイルミにばかり頼ってたらダメだと思った。
「……と言って念を消費するだけだから、いつまでもここにいるわけにもいかないし。でもイルミ、怒ってるよね、きっと」
最後、一瞬だけ見せたイルミの動揺した表情が頭から離れない。あの様子じゃ戻った瞬間、針を刺されそうだ。最悪、念を使えなくされてしまう。
となると出てくる答えは―――。
「彼に相談するしかないか……」
ケータイを取り出し、ある人物に連絡をしてみることにした。去年、任務中に知り合った彼なら頭はいいし、何かと助けになってくれるはずだ。イルミとも知り合いだし対処法を考えてくれるかもしれない。
"何か困ったことがあれば連絡してくるといい。俺がを助けてやる"
そう言われたことを思い出し、彼の番号へ電話をかける。とりあえずイルミの怒りが落ち着くまで顔を合わせてはいけない。
「イルミには近づくなって言われてるけど……口止めしとけば大丈夫よね」
かくして私、・ゾルディックは、この後生まれて初めての家出を決行することになる。
太陽が顔を隠し、黒いカーテンのような闇が空を覆う頃、私はいつもの仕事着を身につけた。夜に紛れる上下黒のピッタリとしたパンツスーツは多少の攻撃にも耐えうる生地で出来ている。この服は念能力者の手で作られていて、頑丈な割に着心地は軽くとても動きやすい。デザインも自分の好みを伝えれば考慮してくれるところも気に入ってる。
「出かけるのか?」
長い髪をゴムで縛りながら寝室を出ると、リビングのソファに座って読書をしていたクロロがふと顔を上げた。
彼は世界一有名な盗賊集団のリーダーということだけど、イルミに仕事の依頼をしてきたり何かと懇意にしているようだ。
以前、イルミが受けた殺しの依頼を私が手伝った時に知り合った。
恐ろしいともっぱら評判の幻影旅団のリーダーが、まさか自分達と歳も近い男とは思わなかったから、意外すぎて驚いたのは覚えてる。
あの時は依頼者の為に戦ったけど、その後は旅団にスカウトしてくるようになって、何だかんだと友達付き合いをしていた。イルミには内緒にしてたけど。
今回、イルミのことを相談したら「家を出て来い。俺がかくまってやる」というので言われた通り、藁にも縋る思いで家を出て来た。私に寝床を提供してくれた恩人でもあるし、イルミを敵に回すことを恐れない、数少ない人間でもある。
「ちょっと仕事に行ってくるね」
「仕事?依頼が入ったの?」
「うん、仕事用のアドレスに依頼があったから」
これは本当のことだ。ただし、私専用ではなく、この依頼はゾルディック家全員で共有しているサーバーに来ていたものだ。こっそり依頼がないか調べて誰もチェックをしていない新しいメッセージの中から適当なのを見つけた私は、受けた後ですぐにその依頼だけを削除しておいた。もちろん家族にバレないようにするためだ。
「そこからイルミにバレることは?」
「ないと思う。まあ依頼人が家族の誰かに連絡したらバレるけど、普通は一度依頼を受けたら向こうから連絡してくることはないし」
「そうか。なら行き先を教えておけ。帰りは迎えに行ってやる」
クロロはそこで本を読んでいた目を私に向けた。冷酷非道と聞いていたけど、意外と面倒見の良い性格らしい。
「場所はここ。でも迎えなんていいよ」
ターゲットのいる住所と地図の書かれたメモをクロロに見せると、彼は一瞥したあとでもう一度私を見上げた。会った時から思っていたけど、吸い込まれそうなほど大きな黒目が魅力的だ。でも私はもうひとり、そんな瞳を持っている男を知っている。
「万が一ということもある。迎えに行くよ」
「え……?」
クロロはその端正な顔立ちに柔らかな笑みを浮かべている。普通の女であれば必ず恋に落ちてしまいそうなほどの魅惑的なそれは、男の色香すら漂わせている気がした。
きっと女に困ったことなんかないんだろうなと思う。そんな男が何で私の家出にここまで親身になって協力してくれるんだろう。
旅団に引き入れる作戦とか?イルミだけじゃなく、お父さんも「幻影旅団には関わるな」と以前、兄弟全員に言い聞かせていたし、やっぱり危険なんだろうか。
「何を考えてる?」
黙ったままの私に気づき、クロロが僅かに眉根を寄せた。彼の真意を聞いてみたいけれど今は時間がない。
「ううん。じゃあ、お願いしようかな。あ、ならターゲットのいるビルの傍に駅があるの。そこで待ち合わせしない?」
「分かった」
クロロは頷くと、再び本に視線を戻し「行ってらっしゃい」と片手を上げた。
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