甘い罠――07
『並盛駅、地下のショッピングモールへ来て下さい。一日だけ時間をあげます。誰にも見つからないようにして下さいね』
入江正一はそう告げると静かに電話を切った。
その瞬間、体中の力が抜けて深々と息を吐く。知らないうちに緊張していたようだ。
「どうしよう・・・」
言ってみたところで私に選択権はない。
今すぐ見つからないよう抜け出すのは無理だ、と言った私に一日だけ猶予が与えられたけど、結局24時間以内に彼のところへ行かないとお母さんが殺されてしまう。
誰にも相談できない・・・。言えばお母さんは殺され、次に前の学校の友人が殺される。
でも私さえいう事を聞けば、この無駄な争いは避けられるんだ・・・。
(そうよ・・・。過去へ帰る。こっちへ来て以来ずっとそれを望んでた。何も悩む必要なんかない。私が帰れば何もかも元通りになるんだ・・・)
ぎゅっと携帯を握り締め、それを荷物の中へと仕舞う。
他にも自分の持ち物を仕舞いながら、そっと廊下の様子を伺った。
誰もいないような静けさだけど、今ここから抜け出すというのは難しい気がする。
恭弥がいなくても草壁さんはいるはずだ。とにかく今すぐには動けないしゆっくり考えよう。
確かボンゴレのアジトの入り口はまだ修理中だったはずだ。
京子ちゃんが出て行ったあの扉・・・。もし上手くいけば、またあそこから出られるかもしれない。
「・・・・・・」
もし抜け出せたとしても。その後はもう二度とここへ戻ってくる事はない。
未来の恭弥ともお別れだ。それが少しだけ寂しい気がした――――。
(――――結局一睡も出来なかった・・・)
欠伸が出そうになって慌てて口を手で抑えると、目の前に座っている恭弥がふと私を見た。
「どうしたの?元気ないね」
「え?そ、そう?」
「食欲もないみたいだし・・・」
食事の手を止め、ジっと私を見つめる恭弥に笑顔が引きつった。
朝になって着替えているところに「朝食の用意が出来ました」と草壁さんが呼びに来た。
来てみると、いつの間に戻っていたのか、恭弥が昨日と同じように待っていたのだ。
「ちょっと眠れなくて・・・」
「一人で寂しかった?」
「そ、そんなんじゃ・・・」
クスっと笑う恭弥に頬が赤くなる。でも恭弥はふと真剣な顔になると「心配しないでいいよ」と微笑んだ。
「は安心して待っていればいいんだ」
「恭弥・・・」
「夕べ赤ん坊とも話してきたけど、僕はこれから沢田綱吉が力に目覚めるよう相手をする。上手く行けば少しはマシになるよ」
「うん・・・」
頷きながらもかすかに胸が痛んだ。恭弥は色々考えてくれているのに、私は内緒でここを出て行こうとしてる。
過去へ帰ろうとしている。そうすればこの戦いが止まると分かっていても、何となく裏切ってるような気持ちになった。
「・・・?」
「え?」
「少し顔色が悪いね」
恭弥はそう言うと、立ち上がって私の隣へと座った。私の頬を撫でる手の温もりが優しくてドキっとする。
「僕は言ったとおり今から向こうへ行くけど・・・は少し眠るといい」
「で、でも皆の様子も気になるし一緒に行く」
「皆?」
「うん。ジンとか・・・あと獄寺くん達の怪我の具合も心配だし――――」
そこで言葉を切った。恭弥の目が僅かに細められたからだ。
「別に死にはしない。アイツらなら夕べ意識を取り戻したよ」
「え、ホント?」
「ああ」
「そう・・・良かった」
「・・・・・」
ホっとしていると、恭弥は更に面白くなさそうな顔をした。
「アイツらの心配より、は自分の体の事を心配しなよ。少し体温が高い。寝不足だね」
「う、うん・・・」
優しく頭を抱き寄せられ、素直に恭弥の体に寄りかかる。彼にこうして抱きしめられるのも・・・これで最後だ。
ゆっくりと髪を撫でる彼の手が気持ちよくて、ゆっくりと目を瞑る。
何とも言えない安心感が私を包んで、つい眠ってしまいそうだ。
「ここで寝ちゃダメだよ」
クスっと笑い、恭弥はそっと私を離した。薄っすら目を開けると、すぐに重なる唇と唇。
優しく啄ばむキスが余計に私の体の力を抜いていく。
「・・・わ、」
突然体が浮いて驚いた。
「恭弥・・・?」
「このまま部屋に運んであげるから」
恭弥は優しく微笑むと、私を部屋まで抱えて連れて行ってくれた。
抵抗しようにも、本当に力が抜けてしまったように動く事が出来ない。ふわふわと心地いい感覚に、半分寝そうになっていた。
「じゃあ僕は行って来るし、は寝てて」
「ぅん・・・」
私を布団へ寝かせると、恭弥は額にキスを落としながらそう言った。
私の頭をそっと撫でる彼の手を感じながら、だんだんと体の力が抜けて一気に睡魔が襲ってくる。
夕べ眠れなかった分の眠気が今更ながらに来たようだ。
暫くして恭弥の温もりが途絶え、部屋を出て行った気配がした。
「・・・後の事は頼むよ。殆ど食べてないしが起きたら食事、また作ってあげて」
「分かりました」
半分眠りに落ちそうになっている私の耳に恭弥と草壁さんの声が聞こえてきたけど、それもすぐに聞こえなくなる。
(――――ああ、寝ちゃダメ・・・。行かなくちゃ・・・いけないのに・・・)
そんな事を過ぎった次の瞬間には、私は深い眠りの中へ落ちていった。
「・・・あれ・・・」
少しづつ意識がハッキリしてきて思い切り目を開けた瞬間。自分がどこにいるのか分からなかった。
ガバっと体を起こし部屋の中を見渡しながら、自分が布団の中で寝ていた事に気づいた時、今朝の事を一気に思い出した。
(そうだ・・・。今朝、一睡もしてなかったから食事してる最中に眠くなって・・・恭弥がここへ運んでくれたんだっけ)
「――――って、今、何時?!」
そこで全てを思い出した。24時間以内に入江正一の下へ行かなくちゃならない事も。
こんな時に寝ちゃうなんて、と後悔しながらも慌てて時計を確認する。
思ったよりも長く寝てたようだけど、午後6時過ぎと知って心の底から安堵した。
「良かったぁ・・・。まだ何時間かある・・・」
ホっと息を吐いて起き上がると、ここへ来た時に着ていた制服に着替えて荷物を確認した。
と言って一日二日で荷物が増えることもなく。
未来の自分の服を布団と一緒に畳んで置いておけば、過去に持って帰る物はそれほど多くはない。
「・・・今日でここともお別れか」
部屋を見渡しながらそんな事を呟く。と言っても、ここに来たのは一昨日なのだから特に思い入れもない。
でも恭弥の事を考えると、少しばかり事情も違ってくる。
突然、未来に来て戸惑っていた私を助けてくれたのも、励まして守ってくれたのも彼だ。
そう思うと、こんな裏切るような形で出て行くのはやっぱり心苦しかった。
それも皆が必死に探している入江正一に内緒で会いに行くなんて・・・。
出来れば皆にこの事を話して、同意の上で過去へ帰りたかった。
でもそれは入江正一にとっての危険を招く事になる。
敵だとはいえ、同じように戦争を止めようと思っている人だと思えば、彼を危険にさらすわけにもいかない。
「悩んでても仕方ないか・・・」
疑いがないわけじゃない。これが罠なら私は彼らに捕まり、殺されるだろう。
でも行かなければお母さんが殺される。それだけは避けなければならない。
それに私一人を殺すために、わざわざこんな手の込んだ事はしないだろう。
ボンゴレの関係者を消す事だけが目的なら、もっと上手くやるはずだ。
入江正一の頭の良さ――タイムトラベルなんてものを作ったのだから――なら、それくらい簡単に出来るだろう。
でもそれをせずに私にだけ連絡してきたところをみると、本当に自分の身に危険を感じているからかもしれない。
「よし・・・。行こう」
何とか決心して部屋を出る。草壁さんに見つからないよう、足音を忍ばせながら廊下を進んだ。
ちょうどお風呂の前を通った時、中から草壁さんの鼻歌が聞こえてドキッとしたけど、気付いた気配はない。
私はそのまま静かに歩いてボンゴレのアジトまで向かった。
「はあ・・・。まずは最初の難関クリアね」
ボンゴレのアジトへ続く扉は草壁さんが話してた通り、封鎖されてはいなかった。
通れた事でホっと息をつき、目的の場所まで向かう。
その途中、医務室の前を通り、私はそこで足を止めた。
(そうだ・・・。ジンにだけは会っていこう)
入江正一の話では、私が戻ればそのすぐ後に沢田くん達も戻ってこれると言っていた。
だけどジンだけはホントにサヨナラだ。過去に戻ればジンはまだほんの5歳の男の子にすぎない。
最悪の出会いではあったけど、こっちでは色々とお世話になったし顔くらいは見て行きたい。
ドアの前に立ち深呼吸すると、軽くドアをノックした。
「どうぞ」
「ジン?体調の方はどう――――」
ドアを開けて中を覗く。が、その瞬間、ギョっとした。
「おう、か」
「ど、どうしたの?何か・・・・怪我増えてない?」
ベッドに横たわるジンを見て驚いた。昨日とは明らかに異なるくらい、頭以外に腕まで包帯が巻かれている。
そもそもジンは打撲と脳震盪だけで済んだはずだ。
「どうしたの、それ・・・」
「分かるだろ・・・?制裁だよ・・・・」
ジンはゲンナリした顔で溜息をついた。その一言にさっと青ざめる。
「まさか・・・恭弥が?」
「そ・・・。勝手にアジト抜け出したあげく、を巻き込んだ事にいたくお怒りでさ、オレの従兄弟さまは」
「・・・だ、大丈夫?」
思わず顔が引きつったけど、ジンは「こんなの慣れてるし」と苦笑いを零している。
よほど普段から恭弥に制裁を加えられてるようだ。
「それより・・・どうした?んな恰好して・・・。恭弥がは部屋で休んでるって言ってたけど――――」
「あ、うん・・・。目が覚めたから様子を見に来たの。浴衣に着替えるのも面倒だからすぐに着れるの着てきちゃった」
「そっか。ああ、恭弥ならB9Fにいるぜ?十代目の修行だって言ってたし」
「あ、うん。聞いてる。まだ・・・やってるのかな」
「多分ね。恭弥の事だから夜中までは休みなしだろ」
「そっか・・・」
なら今、抜け出せる。そう思いながら時計を見た。
「ああ、でもが会いに行けば中断すんじゃね?十代目の為にも行ってやれば?」
「あ・・・うん。そうしてみる。――――ジンは・・・大丈夫?」
「オレ?オレは平気だって。まあ動けないけどさ」
ジンは包帯だらけの腕を上げて苦笑した。
頭にも巻かれている包帯を見ているとかすかに胸が痛む。
あのガンマという男から私を助けてくれようとして受けた傷だ。
「ジン・・・」
「ん?」
「色々と・・・ごめんね」
「へ?」
「それと、ありがとう。ジンのおかげで未来の恭弥にも会えたし・・・ホント感謝してる」
「どうしたんだ?今生の別れじゃあるまいし・・・オレはまだ生きてっけど?」
「・・・そうだよね。でも・・・言っておきたかったの」
「・・・?」
「じゃ・・・私、ちょっと恭弥のトコ行って来るね」
「あ、おい――――」
訝しげな顔をしているジンに笑顔で手を振って、私は廊下へと出た。
そのまま辺りの様子を伺いながら、Dハッチへと急ぐ。
(そう・・・。今生の別れじゃない。今と歳は異なっても、過去へ戻ればまた会える)
未来で出会った人たちを思いながら、私は外への扉を一気に開けた――――。
「・・・恭弥、いる?」
恐る恐る扉を開けると、キイィィ!という甲高い鳴き声が耳を劈き、ジンは思わず顔を顰めた。
中を見れば、沢田綱吉が床に倒れている。
「――――悲観する事はないよ。大空専用のボックスも存在するらしい」
その声にハッと顔を上げると、雲雀恭弥が扉の方へと歩いてくる。
そこでジンの存在に気づき、僅かに眉を上げた。
「何してるの、ジン」
「あ、恭弥・・・。もう終わった?十代目との修行・・・」
「修行なんてしてないよ。殺し合いをしてただけだ。で、何?覗き見かい?」
相変わらず怖い雲雀の言葉に、ジンは顔を引きつらせながらも笑った。
そしてトレーニングルーム内をさっと見渡す。
だがその場にいるのはラル・ミルチ、リボーン、そしてランボを抱っこしているフウ太だけだ。
「あれ・・・、こっちに来なかった?」
「・・・え?」
「さっきオレんトコに顔だして恭弥のトコ行ってくるって言ってたんだけど・・・」
「・・・いつ?」
「いやだから・・・20分前くらい?でも少し様子がおかしかったから気になってオレも来てみたんだ」
この怪我だからここまで降りてくるの大変だったんだぜ、とジンは笑った。
が・・・雲雀の顔は微妙に強張っている。
「の様子がおかしかったって、どんな風に?」
「え?ああ・・・。何か・・・色々とありがとう、とか何とか・・・。オレのお陰で恭弥に会えて感謝してるとか言い出してさ」
「・・・・・ッ」
「それにあいつ何でか、こっちに来た時に着てた制服着てたし――――。あ、おい恭弥!」
雲雀はジンを押しのけ、廊下に飛び出した。何故か嫌な予感がする。
万が一の為に草壁を残してきてるが、彼女が目を覚ましてこっちへ向かった事は報告もなかった。
草壁にはが起きたら電話を入れるよう言ってある。
なのにそれがないという事は草壁はが出かけた事を知らないという事だ。
念のため京子達がいる部屋へ行ってみたが、そこにも姿がなく、「ちゃん?今日は見てないです」と言われた。
他にもキッチンや獄寺たちのいる医療室へ行ってみたが結果は同じで、どこにもの姿はない。
そのまま自分のアジトへ向かうと大広間へ足を向けた。
「・・・!」
襖を開け放ち名前を呼んでみる。だが気配すらなく、雲雀は軽く唇を噛み締めた。
そして彼女に与えた部屋に向かう途中、草壁が驚いたように風呂場から飛び出してきた。
何故か頭にはタオルを巻き、手にはタワシを持っている。(!)
「きょ、恭さん、どうしたんですか?!」
突然戻ってきた雲雀の後を、草壁も慌てて追いかけていく。
「がジンのところに来たらしい。気づかなかったの?」
「えっ!!い、いえ私は・・・お風呂掃除をしてたもので・・・・」(!)
雲雀にジロっと睨まれ、草壁が慌てて足を止める。
「彼女のこと見張っててって言ったよね」
「は、はい・・・。ですがグッスリ眠っておられるようでしたので起きた時の為にお風呂を沸かそうと・・・それにどこへ行くにもこの前を通るので安心して――――」
「もういいよ・・・」
雲雀はそう言っての部屋の襖を開け放った。
そこにあったはずの荷物はなく、借りてた服と敷いてあった布団が綺麗に畳んである。
「こ、これは――――」
「自分のは全て・・・持って出たみたいだね」
「す、すみません!!私がついていながらとんだ失態を――――」
草壁は頭のタオルを外して投げ捨てると、その場にいきなり土下座した。
あろう事か雲雀に頼まれていたから目を離し、あげく彼女が出て行ったのを気づけなかった事は万死に値する、と言いたげだ。
いつもの雲雀なら失態を犯した部下を無言のまま咬み殺しただろう。しかしこの時ばかりはそんな余裕もなかった。
「謝罪は後でいいよ。それよりを探すんだ」
「は、はい!恭さんは――――」
「僕は外を探してくる。哲は衛星で彼女を探して。まだ遠くへは行ってないはずだ」
「分かりました!」
雲雀から指示を受け、草壁はモニタールームへと走っていく。
それを確認すると、雲雀も急いで外へと飛び出していった。
「・・・ここら辺かなぁ」
言われたショッピングモールのところまで何とか無事に辿り着き、私は辺りをキョロキョロと見渡した。
アジトからここまで来る間、敵に見つかったらどうしようとビクビクしながら来たのに、昨日のように危ない人種とは会うこともなくホっとする。
「ここの地下って言ってたけど・・・どこから入ればいいのよ」
入江正一もその辺は警戒したのか、「貴女だけ来てくれた時には迎えに行く」としか言わなかったのだ。
でもショッピングモールは広い。
どこに行けば迎えに来てくれるのかサッパリ分からない。
どうしようかと考えていると、突然携帯が鳴ってドキっとした。電源を切るのを忘れてたみたいだ。
――――もし恭弥だったら・・・・
そう思いながら携帯を開くと、そこには夕べと同じように"非通知"という文字が点滅している。
私はホっと息を吐き出しながら通話ボタンを押した。
「もしもし・・・」
『どうやら一人で来てくれたみたいですね』
「・・・言われたとおりにしたわ。で、どこから入ればいいの?」
『目の前にあるビルとビルの間を入ってください』
そう言われて目の前のビルを見上げる。そのビルと隣のビルの間には、確かに細い路地があった。
言われたとおり路地へ入りながら、辺りに視線を配る。入江正一はどこかから私を見ているようだ。
という事はこの一帯に隠しカメラがあるのかもしれない。
『そこで止まって』
彼の言う通り足を止める。
『では携帯の電源を必ず切って、そこで待っていてください』
「あ・・・ちょ――――」
どこが入り口なのか聞く暇もない。一方的に電話を切られ、私は溜息をついた。
仕方なく携帯の電源を切って制服のポケットへしまう。その瞬間――――突如背後から口を塞がれ、目を見開いた。
「――――誰・・・」
叫ぼうとしても口を塞がれ声が出ない。その時、首の後ろに衝撃を感じて急激に意識が遠くなった私の思考は、そこで遮断された。
「・・・ゃあ後の事は僕がやるから。うん・・・」
「・・・ん、」
朦朧とする意識の中、誰かの声が聞こえてきて、私は僅かに目を開けた。
でも視界が歪んで、自分がどこにいるのかすら分からない。
ただ、すぐ近くで聞こえる声が電話で話した入江正一のものだと気づいていた。
「・・・あ、気がついた?」
「・・・あ・・・あなた・・・」
不意に視界が遮られ、ぼんやりと誰かの顔が見える。
それが少しづつ形になっていった時、目の前には眼鏡をかけた、見知らぬ男が私の顔を覗きこんでいた。
「・・・つっ」
「ああ、いきなり起き上がらない方がいいよ。オレの部下が少し強めに殴ちゃったようだから」
「・・・な、何・・・」
次第に視界もハッキリしてきて、私はソファに横になっている事が分かった。
目の前にはテーブルがあり、そこには沢山の白い花が飾られている。
「手荒なマネをしてごめんね。念のためなんだ」
「・・・あなた・・・入江正一・・・?」
やっと戻った視界に映る男は、獄寺くんが持っていた写真に映っていた男と同一人物だ。
入江正一は苦笑いを浮かべると、向かいのソファに座った。
「初めまして、かな?さん」
「・・・っここは・・・あなたのアジト?」
見える範囲にはたくさんの本が散乱し、大きなコンピューターシステムのようなものがある。
「うん。ああ、散らかしてるけど気にしないで」
入江正一は笑みを浮かべたまま、私を見た。
私も彼を見ながら、素早く出入り口の位置を確認する。
特に拘束はされていないが何となく落ち着かない。
「あれ、まだ警戒してるのかい?」
「・・・別に」
「君を殺すために呼んだのならとっくに殺してるさ。そうだろ?」
「そんな事より・・・早く過去へ帰して。その為に来たのよ」
「誰にも言わなかった?」
「・・・言ってない。だからお母さんの事もちゃんとリストから外して」
「ああ、それはもう外しておいたよ。君が来た時にすぐね」
「え、ホント?」
「うん」
「良かった・・・」
彼の言葉にホっとして、まだ少し痺れる体を起こした。
そんな私を見て彼はクスクス笑っている。
「何か変な気がするよ。中学生の君とこうして向かい合ってるなんて」
「・・・え?」
「10年後の君も良く知ってるから」
「私を・・・?」
「そうだよ?10年前は知らなかったけどね」
入江正一はそう言ってニッコリ微笑んだ。
この男が未来の私を知っていたのは"霧の守護者"である恭弥の恋人として、殺す対象に入ってたからだろうか。
彼のどこか含んだモノの言い方が気になった。
「何もかもあなたの言うとおりにした。早く私を過去に戻して」
今のボスである白蘭を止めようとしているとはいえ、この男は敵だ。あまり向かい合っていたくはない。
戻るなら早く戻りたかった。なのに入江正一は肩を竦めると「せっかちだなぁ」と苦笑いを零した。
「お茶くらい飲んでいきなよ」
そう言いながらテーブルの上に用意されていたポットから紅茶を注いでいる。
そして砂糖やミルクの入ったピッチャーを私の前に置いた。
「・・・どうしたの?飲みなよ。別に毒なんか入ってないから」
「・・・・・・」
「ボスはこういう物にうるさいから美味しい茶葉を使ってるんだ。きっと口に合うと思うよ」
クスクス笑う入江正一にムッとしながらも、仕方なく紅茶に砂糖とミルクを入れる。
確かに言うだけあって紅茶は美味しかった。
かなりの覚悟を決めて出向いてきたいうのに、目の前にいる男からは特に私に対する殺気も感じられない。
それはそれでホっとしたけど、何かが気になっていた。だいたい呑気に紅茶を飲んでる気分でもない。
今のこの瞬間にも、ボンゴレファミリーの人たちは危険にさらされてるのだ。
敵の目的であるボンゴレリングをこれ以上、未来に留めておきたくはない。
「ん?どうしたの?怖い顔して」
「あなたのボスは・・・どうしてボンゴレリングを狙ってるの?わざわざ過去から皆を呼んでまで・・・」
「さあ?僕も詳しい事までは聞いてない」
「ホントに?あなたは隊長さんなんでしょう?だったらボスの狙いくらい――――」
「隊長と言っても僕の他にも数人いるし、皆だって詳しい事なんか聞かされてないさ」
「でも皆はあなたの事を重要視してた・・・。それってただの部下じゃないって事じゃないの?」
私の問いに入江正一は僅かに眉を上げた。私だって分かってるわけじゃない。
ただ、この人は何か重要な何かを握っている気がした。だからこそ、この先の戦いを止めたいと私に――――。
「――――っ」
そこでさっきから感じている違和感に気づいた。
入江正一は昨日、私に電話をかけてきた時、この戦いを止めたいと言った。
時間はない、と私を脅してまでここへ来させようとした。
なのに今のこの落ち着きようは何だろう。あれほど焦っていた様子だったのに、今は呑気に紅茶なんか飲んでいる。
昨日の様子では一分一秒も惜しいと言いたげだった。だったら私がここへ来た時点で、すぐに過去へ帰すはずだ。
こんな風に呑気に構えているなんて・・・おかしい。
「あな・・・た・・・」
「どうしたの?少しフらついているけど」
「な・・・に・・・?」
言葉を発しようとしても上手く呂律が回らない。それ以前に目の前にいる入江正一の顔が歪んで見える。
(ま さ か――――)
「こ・・・の紅茶・・・何か・・・入れた・・・のね・・・」
「毒は入ってないよ。ただ少し多めに・・・睡眠薬が入ってるけどね」
「・・・・っ」
「心配しないで。僕が作った薬は多めに飲んでも一、二回なら副作用もないんだ」
彼の言葉に驚き、それと同時に自分の甘さを呪った。罠だ――――。この男は最初から私を罠にハメようとしてたのだ。
「君はとっくに抹殺するリストから外されてるんだ。だから僕も殺せない。何故だか分かる?」
「・・・・・?」
頭がぐわん、とする感覚で、私はソファの上に力なく倒れた。どこかフワフワと夢の中を漂っているようで何も感じない。
「君はこれから長い旅に出るんだ。その間は少し眠っててもらわないとならない。――――答えは・・・行った先にあるよ」
朦朧とした意識の中、彼の言葉が途切れ途切れに聞こえる。
「君はプレゼントなんだ。僕が受け取った・・・この花と同じようにね」
テーブルの上に飾られた白いアネモネを手に取り、入江正一はかすかに笑う。
手足の感覚すらなくなって瞼も重たく、私は静かに目を閉じた。
「行ってらっしゃい、さん。って・・・・もう聞こえないか」
その時、すでに私の意識は深い深い眠りの底へと落ちて、何も考えられなくなっていた。
『留守番伝言サービスに・・・』
「・・・チッ」
何度かけても留守電に切り替わる携帯に、雲雀は苛立ったように舌打ちをした。
アジトの近辺、並盛中、の実家、二人のマンション・・・。思いつくところは全て探した。だがどこにもの姿はない。
(いったい、どこへ・・・)
昨日の様子では何も変わった事などなかった。
一人で出歩かないよう言った時は多少、気持ちのすれ違いで彼女を怒らせたが、その後はの方から謝罪してきたくらいだ。が一人で出て行く理由などなかったはずだ。
それに今朝会った時も少し元気がなかったくらいで、怒っている様子もなかった。
『恭さん・・・!!』
並盛神社まで引き返してきた時、無線から草壁が呼びかけてきた。
「・・・っ見つけたかっ?」
『さんが衛星カメラに映ってました!』
「どこにいたんだ?!」
草壁の言葉に珍しく取り乱す。
『とにかく戻って来て下さい!映像を見せます』
「今、上にいるからすぐ戻る」
無線を切り雲雀は急いでアジトへと向かった。その足で草壁の待つモニタールームへと走る。
そこはボンゴレのアジトに引けを取らないくらいのシステムが導入されている。
「恭さん!これを――――」
雲雀が戻ったのを見て、草壁がすぐに映像を大きなモニターに映し出す。
それを見て雲雀は思わず息を呑んだ。
「・・・」
「間違いないですよね」
「ああ・・・」
雲雀はモニターに映るを見ながら、小さく頷いた。
その映像には並盛のショッピングモールが映っていて、はその中をキョロキョロしながら歩いている。
「さんは何故こんな場所に――――」
「しっ!電話だ・・・」
雲雀は草壁の言葉を遮ると、その映像を食い入るように見つめた。
ゆっくりと歩いていたが突然、立ち止まり、バッグから携帯を取り出している。
そして難しい顔で何やら話した後、ビルとビルの間に入っていくのが映っていた。
とはいえ、映像はそこで途切れていた。
「すみません・・・。この先の映像は死角になっていて映ってませんでした・・・」
「・・・いいよ。彼女の行き先が分かったから」
「でも何故ここを出てこんな場所に・・・。電話だって誰からのものだったのか・・・」
「沢田綱吉の仲間じゃないって事だけは確かだね。もしそうなら今頃、大騒ぎしているはずだ」
この危機的状況の中、一人で外に出るのは自殺行為だ。ボンゴレの連中はそれを分かっている。
「とにかくこの一帯をしらみつぶしに手分けして探しましょう!彼らにも伝えて来ます!」
「いや・・・それは僕が行く」
「え、恭さんが?」
部屋を出て行きかけた草壁は驚いたように振り返った。
雲雀はボンゴレの連中を仲間と思っていない。沢田綱吉の修行に付き合っているのだって、自分やの為だ。
ゆえにこんな場合でも協力を仰ぐような事は嫌うと、草壁は思っていた。
今、彼らの元へ行こうとしたのも草壁の独断でそうした方がいいと思っただけだ。
なのに雲雀が自ら行くと言い出したことで、草壁はかなり驚いていた。
「何、その顔」
「い、いえ・・・!では私も彼らと捜索を――――」
「いや・・・それより哲にはやって欲しい事がある」
「・・・何ですか?」
「・・・昨日、の母親を保護した」
「えっ?」
「急だったから都内のホテルに昨日は泊めたけど、今日は移動させようと思ってたんだ」
「そ、そうだったんですか」(さすがは恭さん)
雲雀の行動の早さに驚いたが、草壁は内心、感動していた。
昨日、単独で出かけた時、雲雀はの母親を保護しに行ってたのだ。
それをに告げない辺りが憎い、と草壁は心の中で涙を流した(!)
「だから哲はの母親を迎えに行って欲しい。そして安全な場所・・・そうだな。都心から離れた温泉街にでも連れて行ってくれる?」
「え・・・ここへ連れて来てはダメなんですか?」
草壁の問いに雲雀は僅かに顔を顰めた。
「他に連れがいたんだ。彼女の母親一人ならそうするけど、全く無関係の人間をここへ連れては来れない」
「え、連れ・・・ですか」
「・・・彼と一緒じゃなきゃ嫌だって言うからホテルをとってそこへ泊めた」
雲雀の説明に草壁も事情を察し、「そうでしたか」と頭をかいた。
どうやら母親は恋人と一緒らしい。
確か――もちろん未来の――が「また彼が変わってた」と前にボヤいていた事がある。
「・・・分かりました。ではすぐに迎えに行きます」
「頼むね。二人はここにいるから」
雲雀はホテルの名前と住所の書かれたメモを草壁に渡すと、一人、ボンゴレのアジトへと歩いて行った。
それを見届け、草壁も急いで母親を迎えに行く為、駐車場へと走る。
まさにこの瞬間、眠らされたが何者かによって運び出された事など、まだ誰も知らなかった――――。
「――――えっ!さんがっ?!!」
最初に声を上げたのは沢田綱吉だった。
先ほどの雲雀との修行でボロボロになり、先ほどまで眠っていた(気絶していた?)が、ラル・ミルチに叩き起こされ、やっと目が覚めたところだ。
突然戻ってきた雲雀にギョっとしたものの、いつになく覇気のない顔で「がいなくなった」と言われて更に驚いた。
「な、何で?」
「おいてめぇ・・・。またに何かひどい事でもしたんじゃねぇのかぁ?」
「ご、獄寺くん!」
獄寺の態度に綱吉の顔から血の気が引いた。
「また?人聞きが悪い。僕が彼女にどんなひどい事をするって言うの」
「とぼけんじゃねぇよ!お前は以前、変な女と婚約までしてを悲しませただろうが!お前、今回もまた――――」
「それ以上、話の邪魔をすると咬み殺すよ?」
一気に緊迫した空気が流れ、綱吉は慌てて雲雀と獄寺の間に入ろうとした。その時――――。
「やめろ、獄寺。今はケンカしてる時じゃねぇだろ」
「リボーン!」
リボーンが来た事で綱吉もホっと息をつく。何だかんだ言って、リボーンがいると雲雀も暴れたりはしない。
「詳しく話してくれるか?ヒバリ」
「詳しくも何も僕にだって分からない。何故彼女が一人でここを出て行ったのか・・・。今朝一緒に食事をした時は普通だったしね」
「そうか・・・。で、どこへ行ったのか分からないのか」
「さっき哲が衛星で追った映像にが映ってた。場所は――――並盛ショッピングモール」
「何?」
その一言でその場に緊張が走った。
その場所は昨日、調査から戻ってきたフウ太とビアンキが「入江正一のアジト」と言っていた場所だったからだ。
「赤ん坊。何か知ってるの?」
「・・・ああ。お前は興味ないと思って言ってなかったが・・・並盛ショッピングモールの地下には入江正一のアジトがあるらしいんだ」
「・・・・・っ?!」
「何か・・・心当たりでもあるのか?」
リボーンは雲雀の様子がおかしい事に気づいて尋ねた。皆も驚いて雲雀に視線を送る。
だがその瞬間、全員が目を見張った。雲雀の体から恐ろしいくらいの殺気が放たれていたからだ。
その殺気を先ほど戦った時に嫌というほど感じた綱吉でも、まだあれは全然本気じゃなかったんだ、と思った。
今の雲雀はそれほど恐ろしく禍禍しいオーラを放っている。どうやら心の底から怒っているようだ。
「ヒバリ・・・何か知ってるなら教えろ」
リボーンの言葉に雲雀は思い切り拳を握り締めた。
「・・・は・・・狙われてるんだよ」
「お前の恋人って事でミルフィオーレに命を狙われてるのは知ってるぞ。ここにいる全員が狙われてるんだからな」
「そうじゃない・・・」
「そうじゃない?どういう意味だ?」
リボーンは訝しげに眉を寄せ、他の皆は互いに顔を見合わせた。
「を狙ってるのは白蘭・・・・」
「白蘭・・・っ?」
「ああ。でも殺すのが理由じゃない」
「え?じゃあ・・・なんでさんを・・・?」
雲雀の説明に綱吉が首を傾げながら訪ねる。
その問いに雲雀は凍るような目を綱吉に向けた。
「・・・傍に・・・置く為だよ。あいつはを――――」
ゆらゆらと揺れている。何だろう、凄く心地いい・・・。まるで揺りかごの中にでもいるみたいだ。
ゆらゆら・・・ゆらゆら。
その揺れに体を委ねていると、また深い眠りに引き込まれそうになる。
気持ち、いい――――
「・・・・・ん、」
ピクリと指先が動いた。その瞬間、急激に意識が戻っていくのを感じた。
「・・・つぅ・・・」
少しづつ体の感覚が戻ってくると、先ほどまで感じていた気持ちよさとは逆にひどい頭痛がして顔を顰めた。
(――――何だろう・・・。風邪かな・・・?体も凄くダルい・・・)
「・・・恭・・・弥・・・?」
優しく頭を撫でられていた。当然、恭弥だろうと掠れた声で呼びかける。だが不意にその手が止まった。
「今・・・何時・・・?」
目を瞑ったまま問いかけると、再び頭を撫でられ僅かに目を開けた。
ガンガンと殴られたような頭痛に辟易しながら、傍にいるであろう、彼に手を伸ばそうとした――――。
「・・・今、夜中の11時だよ、ちゃん」
「――――ッ」
伸ばしかけた手が固まった。――――この声・・・違う、恭弥じゃない!
瞑りかけた目を開けると、ぼやけた視界に誰かが映った。
「・・・だ・・・れ?」
明かりの眩しさに目を細めながら私を覗き込む影を見上げる。
その人物は微笑んだように見えた。
「・・・目が覚めた?」
「・・・・・ゃっ!」
頭を撫でるその手を振り払い、ダルい体を何とか起こす。でも体を支える腕に力が入らない。
それに動くだけで頭が割れるように痛む。
「ダメだよ。まだ薬が効いてるんだ。無理に動かない方がいい。正ちゃんの作った薬は強力だから」
「あ・・・あなた・・・誰?」
私が今まで寝ていたのはキングサイズはある大きなベッドだった。煌びやかで広い部屋も何もかも見た事がない。
そしてベッドの端に腰をかけている、目の前の男も――――。
「僕は白蘭。君と会うのは初めてだよね」
「・・・・・っ」
(――――白蘭?!)
その男の名前を聞いて言葉を失う。
それは皆の口から何度も聞いた敵の組織、ミルフィオーレ・ファミリーのボスの名前だった。
(という事は・・・この男が?!ミルフィオーレのボスだっていうの?)
「な、何で・・・ここはどこっ?!入江って人は――――」
声を荒げた瞬間、ズキンと頭が痛む。まるでハンマーか何かで殴られてるみたいだ。
何が何だか分からなかった。入江正一に過去へ帰してやると言われて出てきたのに、気づけば敵のボスと二人きりという状況。
一瞬、彼の裏切りがバレて私も一緒に捕まったのかと思った。でもすぐにそれも違うと悟る。
思い出したのだ。入江正一に出された紅茶を飲んで、急に眠くなった事を――――。
「・・・騙したのね。入江正一は・・・私を過去へ帰す気はなかった・・・」
「その通り。正ちゃんは僕の命令を忠実に実行しただけ♪」
「・・・・・っ?」
「正ちゃんに頼んだんだ。君を――――僕のもとへ送って欲しい、ってね」
「な・・・・?」
白蘭という男はニコニコしながら私を見ている。何故この男が私を騙したのかワケが分からず、ますます混乱した。
「ど、どういう・・・こと?何で私を・・・。」
「何でって・・・・」
白蘭はクックックと声を潜めて笑いながら、ゆっくりと私の方へ近づいてきた。
警戒して後ろに下がると、背中に壁が当たる。
笑みを浮かべながら、百蘭はそっと手を伸ばし私の髪に、触れた。
「・・・決まってるだろ?君が――――欲しいから」
怪しく微笑む白蘭に、私は言葉を失った――――。
アニメでも白蘭登場しましたね〜彼は何気にかっこいいよね(笑)
声はちょっとイメージと違ったけど特に違和感もなかったです。
雲雀が早く登場しないかと心待ちにしてますよ★