川べりを二人で並んで歩く。
外はすでに夕日も沈み、キラキラと光る星で輝いていた。
「あ、あの・・・・どこ、行くんですか?」
「決めてねぇつったろ。ただ歩いてるだけだぁ」
彼はそう言って私を見ると、「お前と、こうして歩きたいと思ってた」と一言、言った。
そして堤防の小さな階段に腰を下ろすと、かすかに吹いてくる風にあたり、気持ち良さそうに目を瞑っている。
風が吹くたび銀色の綺麗な髪が揺れて、つい見惚れてしまった。
「・・・・どういう、意味ですか?」
「ん?」
「私と・・・・歩きたいって・・・・」
そう尋ねながら、彼の隣に同じように座る。
彼は黙って川に映る月を見つめるだけで、私の問いに応えてはくれなかった。
その横顔を見ていると不思議な気分になってくる。
さっきまでヴァリアーのメンバーとして騒がれてた人と、こんな風に静かな時間を共有している事が・・・・・。
「お前、夢はあるか?」
「夢・・・・ですか?」
「ああ・・・・」
突然、そんな事を訊いて来る彼に、私は少し戸惑った。
「オレは・・・・ある」
私の返事を待たずに彼は一言、そう言った。
その横顔を見上げると、グレーの瞳に強い意志が宿っている。
その凛とした瞳がとても綺麗で、小さく胸が鳴った。
「オレはその夢を一人の男に託してる・・・・。そいつがいなくちゃオレの夢も実現しねぇ・・・・」
誰に言うでもなく、ただ言葉を繋ぐ彼の話を、私は黙って聞いていた。
ボンゴレ最強と謳われた暗殺部隊に属している男が、それ以上のどんな夢を持っているんだろうって知りたくなった。
「昔、誓ったんだ・・・・。そいつにな。今日まで忘れた事はねぇ。オレの一番大切な夢だ」
彼はそう言ってかすかに笑うと、不意に私を見た。
今まで見たことのない、切なげで今にも泣いてしまいそうな、そんな顔だった。
「でも、もう一つ・・・・」
「・・・・え?」
「夢が出来た・・・・」
「スクアーロ、さん・・・・?」
彼の手が頬を包み、ドキっとした。
もう一つの夢って?
そう聞きたかったのに、頬から手が離れた瞬間、彼は突然立ち上がり私の手を引っ張った。
「腹ぁ減ったな・・・・。何か食いに行くぞぉ」
「え、あ、あのっ」
「は何が食べたい?好きなものを言え」
私の手を引きながら、繁華街の方へ歩いていく彼はどこか楽しげで、先ほど一瞬だけ見せた悲しげな表情はそこにはもうなかった。
「・・・・本当にこんなもんでいいのかぁ?ったく変な女だぜ」
そう言いながらも、私を見る彼の瞳は優しい。
レストランへ入ろうとする彼を慌てて引きとめ、街中で売っているピザを買って広場でそれを食べた。
美味いもん食わせてやろうと思ったのに、と文句を言われたけど今の私にはこれで十分だ。
レストランで食事なんて贅沢な事はしなくていい。
こうして他愛もない話をしながら、外で食事をする方が、気も楽だ。
それにヴァリアーである彼にこんなに優しくしてもらっただけで、やっぱり十分過ぎるくらいなのだ。
「さて、と。次どこ行く?」
「え・・・・?」
「何だぁ?その顔は。まだ9時だぜ?帰るには早ぇーだろ」
「で、でも、そろそろお屋敷に――――」
「あんなとこ戻ってもする事ねぇよ」
彼はそう言って笑うと目の前にあるブランドショップの前で立ち止まり、中を覗き込んでいる。
私はその言葉に驚きながらも、彼は今日も私を抱く気がないのだ、と確信した。
「う゛お゛ぉい、何ボーっとしてんだぁ?ここ入るぞ」
「えっ?あ、待って下さい・・・・っ」
急に手を引っ張られ、高級ブランド品が並ぶ店内へと足を踏み入れる。
こんなお店に入るのは初めてで、私は一瞬で緊張した。
けど彼は慣れているのか、普通に店内を見渡しケースに並べられている宝石を眺めている。
「ス、スクアーロさん・・・・っ私、外で待ってますっ」
慣れない場所、その高級感の溢れる雰囲気に耐え切れなくなり、思わず繋いでいた手を離した。
それには彼も驚いたように振り向き、出て行こうとする私の腕を慌てて掴む。
「何でだぁ?一緒にいろぉ」
「で、でも私、場違いですし・・・・」
「あぁ?何言ってやがんだ」
訝しげな顔で私を見ると、彼は再びケースの中を覗き込んだ。
その中から一つのネックレスを見つけると、思いついたように店員を呼ぶ。
「これをくれ」
「ありがとう御座います」
店員の女性は少し驚いたようだったけど、すぐに満面の笑みを浮かべて奥へと飛んで行った。
どんなものを買ったんだろう、と多少気になり、ケースから出されたそのネックレスを後ろからコッソリ覗いてみる。
その時、値札に目が行き、私は思わず息を呑んだ。
ゼロが多すぎて一瞬では分からないほどの値段、とりあえず物凄く高価だという事はネックレスを見ても分かった。
天然のダイヤは綺麗なカットを施され、照明の光によってキラキラと光っている。
でも、それはどう見ても女性がつけるものだ。
ここに入ったのはてっきり彼が欲しいものがあると思ったからだけど、それを見るとどうもそうではないらしい。
彼は不思議そうにネックレスを見ている私にちょっと微笑むと、すっ飛んできた支配人だと名乗る男性に平気な顔でカードを差し出した。
「しょ、少々お待ちください」
プロ中のプロに見える支配人でもそのカードの色を見て息を呑んだ。
そして慌てて奥へ引っ込むと、その後から綺麗な女性が二人出てきて私と彼を奥の部屋へと連れて行く。
彼はそれが当然とでも言いたげに涼しい顔をしていたけど、私は何が何だか分からないまま着いていき、気づけば美味しいコーヒーをもらっていた。
「あ、あの・・・・スクアーロさん・・・・」
「何だぁ?」
「こういうとこ・・・・よく来るんですか?」
「まさか。殆ど来ねぇよ。オレはブランドもんに興味はねぇ」
「え、じゃあ、どうして――――」
「大変お待たせしました!」
疑問を口にしようとしたその時、先ほどの支配人が小走りで戻ってきてソファに座っている彼の前に跪いた。
そのしもべのような行動に内心ギョっとしていると、支配人は預かっていた黒い色の――私は見た事もない――カードを彼へと返した。
「で、では、こちらにサインを」
ニコニコしながらバカ丁寧にサインを書く場所を手で示す。
彼は普通の顔でさらさらとサインを書きなぐり、それを支配人へと突っ返した。
「で、ではこちらになります」
膝をついたまま両手にラッピングされた箱を乗せ、彼に差し出すさまはどこか滑稽で、思わず目が丸くなった。
彼だけは特に変わらずそれを奪うように取ると、サッサと私の手を引いて歩き出した。
「ま、またのお越しをお待ちしております!」
まさかすぐに帰るとは思ってなかったのだろう。
支配人は慌てて追いかけてくると店を出て行く彼に、後ろからそう叫んでいる。
あんな高級ショップの、それも支配人があんなに丁寧に扱ってくれるなんて、彼はどれほどの買い物をしたんだろう。
そんな事を思いながら、私の手を引く彼を見上げた。
「あ、あのスクアーロさん・・・・どこ行くんですか?」
店を出てからも、街中を歩いていく彼に、そう声をかける。
すると彼は楽しげに、「そうだなぁ・・・・」と笑いながら、
「お前の家、行ってもいいか?」
「え!わ、私の家って――――」
「さっき言ってただろう?一人部屋になったって」
「あ、で、でもスクアーロさんに見せれるような部屋じゃ・・・・」
「関係ねぇ。オレがお前の住んでるところを見たいだけだ。それじゃダメか?」
そう言ってふと立ち止まると、彼は私に微笑んだ。
その瞳が優しくてまた胸の奥が痛くなる。
どうして彼は普通の男と違うんだろう。
その辺の男と同じだったら、こんなに惹かれる事はないのに――――
「ダ、ダメじゃないですけど・・・・」
「けど・・・・何だぁ?いつもはオレの部屋に来るじゃねーかぁ。それと同じだ」
「スクアーロさん・・・・」
「つーか、お前のその呼び方、すっかり定着しちまったなぁ。気色悪いったらないぜ」
「ご、ごめんなさい」
「別にいいけどよ・・・・。んじゃ行こうぜ」
「え、ホ、ホントに?!」
「当たり前だろ?オレは嘘なんかつかねぇ」
そう言って再び歩き出す彼に慌てて着いていく。
確かに一人部屋にはなったけど、自分の住んでる空間に男の人を入れたことは一度もないから何だか緊張してきた。
それに・・・・彼は私にとって、特別な人だから。
でも・・・・そこでなら抱いてくれるかもしれない――――
ふと、そんな思いが過ぎる。
そうしてくれたらいい。
これ以上、変に期待をしないで済む。
こんな風に手を繋いで歩いていたら、周りからは恋人同士に見えるかもしれない――――
チラっとそんな事を思った自分に腹が立った。
彼と私は、客と娼婦。
それ以上でも以下でもない。
ちょっと優しくしてもらったくらいで、心を動かされる方がバカなのだ。
「・・・・ここです」
裏通りに入り、自分のマンションへと入っていく。
彼はキョロキョロしながら着いてくると、「治安悪そうなとこだな」と小さく呟いた。
「ここもあのババァの持ちもんかぁ?」
「はい。ここ一帯はそうです。――――あ、ここが私の部屋です」
エレベーターを出て廊下を歩いて行くと、一番奥に私の与えてもらった部屋がある。
他の部屋にも娼婦のお姉さん達が住んでいるが、今は仕事の時間だからか、いる気配はまったくない。
マフィアの屋敷に行っても客が取れなかった人はその辺で客引きをして、ラブホテルへ行くからここへ戻ってくる人もいなかった。
「どうぞ・・・・。あ、あの今日、引越したばかりで片付いてないんですけど・・・・」
「気にしねぇよ、そんなの」
そう言って笑うと、彼は部屋の中へと入って来た。
「へぇ、何か想像してたのより広いじゃねぇか」
「あ、座ってて下さい。今お茶淹れます。あ、それともビールとかの方が・・・・私、すぐに買って――――」
「どこにも行かなくていいから、ここにいろぉ」
出て行こうとした私の腕を引っ張り、彼は強く抱きしめた。
その突然の行動にドキっとして顔を上げると、彼が優しい瞳で私を見ている。
「あ、あの・・・・」
「コーヒー」
「え?」
「淹れてくれるか?」
そう言ってそっと腕を離す彼に、私も笑顔で頷いた。
幸い食器類やそういったものは最初から用意されている。
私はすぐにお湯を沸かすと、二人分のコーヒーを淹れた。
「お待たせしました」
そう言ってキッチンからリビングに戻ると、彼の姿がない。
どこへ行ったんだろうと、カップをテーブルに置くと、ベランダを覗いてみた。
「スクアーロさん・・・・?」
彼はそこにいた。
「・・・・ああ、ちょっと風に当たりたくてな」
「コーヒー飲みますか?」
「ん?ああ、もらう」
風になびく長い髪を押さえながら、彼は微笑んだ。
そして中へ戻るとソファに座り、コーヒーを口に運ぶ。
その姿を見ながら、さっき感じた感覚が再び襲う。
自分の世界の中に彼がいる。
それが何だか凄く不思議で、隣に座りながら何度も彼の存在を確認するように視線を向ける。
その時、ふと目が合った。
「何だぁ?ジロジロ見て・・・・」
「あ・・・・ごめんなさい・・・・」
「別に謝らなくていいけどよ・・・・オレの顔に何かついてんのかぁ?」
「い、いえ・・・・」
訝しげな顔をする彼に、私は慌てて首を振った。
何だろう・・・・。屋敷で会っている時よりも、ずっとドキドキする。
ううん、彼と出会ってから・・・・私は少しおかしい。
コーヒーを口に運びながら、この動揺がバレないようにと祈っていた。
そんな私を見ながら、彼はふと、思い出したように、
「そういや・・・・勢いで連れてけって言っちまったけど・・・・。オレがここに来ても大丈夫なのか?」
「え?」
「あのババァに文句言われたりとか――――」
「い、いえ・・・・むしろ、でかしたって誉められるかも・・・・」
「あぁ?何だぁそれ」
「ドナおばさん、ヴァリアーの人たちの事は大切にしてるし・・・・。ここにまで来てくれたって知ったら喜んで飛んできちゃうと思います」
そう言ってクスクス笑うと、彼は徐に顔を引きつらせ、「う゛お゛ぉい、頼むから呼ぶんじゃねぇぞぉ?」と言った。
その顔がおかしくて、つい噴出してしまう。
「何笑ってんだぁ?」
「だって・・・・スクアーロさんのそんな顔、あまり見られないから・・・・」
「どんな顔だよ・・・・」
「こんな顔です」
そう言って今の彼の表情をマネすると、彼も思い切り噴出した。
「何だぁそれ。そんな顔してねーぞぉ?」
「しましたよ?こんなに引きつらせて」
「バーカ。お前がやっても可愛いだけだぁ」
「・・・・・ッ」
不意にそんな事を言われてドキっとした。
そんな私に気づき、彼の顔からも笑みが消える。
それまでとは違う、少し真剣な瞳で私を見つめる彼に、鼓動が少しづつ早くなって行った。
「なあ、・・・・」
「・・・・は、はい」
「こんな事を聞くのは・・・・ルール違反かもしれねぇ」
「・・・・え?」
僅かに視線を反らしながら、彼は小さく息を吐き出した。
「ベルの奴とは・・・・その・・・・」
「え・・・・ベルって・・・・ベルフェゴール様・・・・・ですか?」
「・・・・ああ。その"ベルフェゴール様"、だ」
何故か面白くなさげに目を細める彼に、私は何が言いたいんだろうと首を傾げた。
「お前・・・・アイツのこと・・・・」
「・・・・・?」
「・・・・好きか?」
「え・・・・?」
その問いに驚いて顔を上げると、彼は困ったように頭をかきながら、「やっぱいい・・・・忘れてくれ」と顔を背けた。
彼の真意が分からず、「どうして、そんな事を?」と尋ねれば、言葉を詰まらせ私を見る。
その瞳は少し揺れていて、何か言いたい事があるのを我慢しているように見えた。
「あの・・・・」
「アイツもオレも・・・・お前の客だ。そんな事は分かってる」
「・・・・・・?」
「オレだって・・・・よく分からねぇ・・・・。こんな感情をお前に――――」
そこで言葉を切ると、彼は私を片手で抱き寄せ肩越しに顔を埋めてきた。
その行為に鼓動が跳ねる。
壁にあるスタンドライトの明かりが私達を照らして、その影が壁に揺れていた。
彼の腕に私がスッポリ納まっている。
その彼の肩が・・・・かすかに震えていた。
「スクアーロ・・・・さん?」
彼の腕がかすかに動き、私の首にまわる。
その時、髪を持ち上げられ、冷たいものが首筋に触れた。
「こ、これ・・・・っ」
何だろう、と視線を向けた時、思わず息を呑んだ。
鎖骨の辺りでキラキラと光るダイヤが見えて、驚いて彼を見上げる。
「お前にやる」
「・・・・え?」
「つーか・・・・似合うと思って・・・・その、何だぁ・・・・。買ったっつーか・・・・」
彼はどこか照れ臭そうに視線を反らしている。
でも私は先ほどの高価なネックレスが自分の首に下がっているのかと思うと、身体が固まった。
「も、もらえません、こんな高価な物――――」
「何でだぁ?別に報酬以外の物をやっちゃダメなんて事、ねぇーだろぉ」
「で、でも私、スクアーロさんに何も――――」
「いいから黙ってもらっとけぇ!男に恥かかせる気かぁ?」
「・・・・・・ッ」
スネたように目を細める彼に、ドキっとして言葉を切った。
こういう時どうしていいのか、経験すらないから分からない。
男の人からこういうプレゼントをされたのは初めてなのだ。
「ご、ごめんなさい・・・・。でも・・・・仕事もしてないのに――――」
「してんだろ?こうしてオレはお前といる時間を買ってる。セックスしようがしまいが、それは同じだろーが」
「スクアーロさん・・・・・」
彼の言葉に、胸が熱くなった。
どうして彼はこんなにも――――。
「どうして・・・・私に優しくしてくれるんですか・・・・?私は・・・・ただの娼婦なのに・・・・」
「あ?オレは別に優しくした覚えは――――」
「優しいです、凄く・・・・。で、でも・・・・こんなに優しくされたら私・・・・」
「な、何で泣くんだぁっ?」
堪えていたものがポロポロと頬に落ちていく。
それを見て、彼はギョっとしたように私を解放した。
「う゛お゛ぉい、泣くなぁっ意味わかんねーぞぉ?」
「苦しい・・・・です・・・・。スクアーロさんは優しすぎるから・・・・私・・・・」
「何だぁ?・・・・いいから泣くなっ」
ポロポロと止まらない涙を、彼は何度も手で拭ってくれた。
それでも止まらないと分かると、「ハンカチなんか持ってねぇぞぉ?」と、今度は自分の着ていたコートの袖で必死に拭いてくれる。
でもそれがまた涙の溢れる原因だって気づいていない。
胸が、痛い――――どうしようもないほど。
「・・・・チッ拭いてもキリがねぇぞぉ」
「や、優しくしないでくださ・・・・い・・・・。じゃないと私・・・・」
「あぁ?何言ってんだぁ?ったく、めんどくせぇ女だなぁ・・・・っ」
そう言いながらも、涙を拭く彼の手は優しい。
私を心配そうに見つめる瞳も優しい。
「や・・・優しく・・・・しないで・・・・くださ――――」
「あーもう、黙れっ」
グスグスと泣いている私の顔を無理やり上げると、彼は少し強引に唇を重ねた。
その行為に一瞬で涙が止まる。
「・・・・やっと泣き止んだなぁ」
僅かに唇を離し、至近距離で彼が笑う。
自らの唇をぺロリと舐めると、もう一度、今度は優しく唇を重ねた。
「・・・・ん、」
ゆっくりと唇を慣らされ、何度も角度を変えながら触れ合う唇に、身体の中が熱くなってくる。
こんな感覚は初めてで、鼓動がやけにうるさい。
僅かな隙間から熱い舌が押し入ってきて、身体がビクリと跳ねれば腰を抱き寄せられ、唇は更に深く繋がりあった。
「・・・・ん・・・・ぁ・・・・」
私をソファに押し付けながら、彼が覆いかぶさってくる。
妖しく動く舌がその分、奥へと入り込み、口内をあますところなく愛撫していった。
唇が解放された時には身体が燃えるように熱くて、額には汗が浮かんでいる。
「・・・・涙、止まったようだなぁ」
あんなキスの後に、彼はそんな事を言って笑った。
全身の力を全て彼に持っていかれたように、惚けて動けない私の頬に軽くキスを落とすと、彼は不意に真剣な顔になった。
「何で泣いた?オレが悪いのかぁ?」
「・・・・・・」
その問いにまた涙が浮かんでくる。
小さく首を振れば、彼はホっとしたように息を吐いた。
「女にプレゼントして泣かれたのは初めてだぁ・・・・ったく。驚かせるな」
「ご・・・・ごめんなさ・・・・」
「お、う゛お゛ぉい、また泣く気かぁ?」
潤んでいる私の瞳を見て、彼が慌てている。
オロオロするその姿に、押し殺していた想いが一気に溢れてきた。
何度も消そうとした、淡い想いが。
ああ――――この人は本当に、最初から私に優しかった。
それが凄く嬉しくて、だから仕事も頑張れた。
でも、嬉しいのに、苦しい。
だって私は娼婦だから。
どんなに優しくされても、高価なものをもらっても、嬉しいけど、つらい。
だって私はこの人を好きになることは許されないから――――この感情は気のせいだと、気づかないフリをしてきた。
専属の契約を渋っていたのも、一人の人専用になってしまえば、彼と、こうして会えなくなるから・・・・。
自分の気持ちに気づかないフリをしながら、こんなささやかな時間を守りたかったのだ。
でも、もう限界なんだろう。
心が痛くてたまらない。
触れてはくれない彼に、私は――――報われない恋をしていた。