Anche ora, lui e Lei―02









かすかな光を感じ、ゆっくりと目を開ける。
カーテンの隙間から太陽の日差しが伸びているのを見て、私は慌てて体を起こした。
同時に隣にいる存在へと目を向ける。そこには穏やかに眠る彼の姿。それを見てホっとするのを感じた。


(そうか・・・・帰ってきたんだっけ・・・・)


夕べの事を思い出し、ふと笑みが零れる。彼の綺麗な髪にそっと手を伸ばすと、柔らかな感触が指に伝わってきた。
サラサラと指から落ちていく髪を眺めながら、彼の頬に軽く口付ける。それでも起きる気配はない。


(スクアーロさん・・・・疲れてたんだ・・・・・)


半月ぶりに会った彼の顔には少し疲労の色が浮かんでいた。
にも関わらず、夕べは何度も求めてきて、私も素直にそれに応じた。
彼がいなかった分の寂しさを埋めたかったのもある。でも、もっと早くに寝かせてあげればよかった、と少しだけ後悔した。

安心しきったように眠る彼は、まるで子供のようだ。
ボンゴレ最強の暗殺部隊と謳われるヴァリアー。
そのメンバーである彼の、こんな安らかな寝顔を見れる人間は、きっとそんなにいないんだろう。
任務で世界中を駆け回り、いつも命の危険と隣り合わせの日々を過ごしている彼が、私の前ではこんなにも無防備になる。
その事が、少しだけ嬉しくて、彼が安心して休める場所を作ってあげたい、と心の底から思った。

そして・・・・それと同時に"こんな私でいいんだろうか"という苦い思いも――――


かつて、私はこの街の娼婦だった。
両親が多額の借金を作り、それを返すため、父と母はあっさりと私を売り払った。
そしてまだ17歳という幼かった私は、その現実を素直に受け入れるしか生きる術はなかった。
その先で私を待っていたのは、想像以上の地獄。
色んな男達が、女を金で買っていく。娼婦を物のように扱い、奴隷のように従わせる。
経験のない私は、あの中では赤子同然だった。愛してもいない男に、自分の身を差し出さなければならない自分の運命を呪った事もある。
その気持ちが、あの世界で生きていくと決めた心に僅かな躊躇いを生んだ。

綺麗に着飾り、色気を振りまき、男に選ばれなければいけない娼婦。
なのに、諦めが悪い私はどこかで男達に選ばれないように、と祈っていたのかもしれない。
いや、あえて目立たないよう、逃げていた気がする。
私は一ヶ月近くも、客を取ることができなかった。
客の取れない娼婦――――当然、雇い主は私を怒った。毎日毎日、怒鳴られ、なじられ、罰を与えられた。


「稼げない娼婦に食わせる飯はないよ」


そう言われ、何日も食べれない日が続いた。
他の娼婦達からもバカにされ、ひどいイジメも受けた。


「処女が娼婦?笑わせてくれるわね」


バカにされ、嘲笑される。そんな日々だった。


――――こんな場所から逃げだしたい。


気づけば、私もそこから抜け出す事に必死になっていた。
逃げるにはお金を返さなければいけない。お金を稼ぐには、客をとらなければいけない・・・・


誰でもいい。早く私を買って、そしてここから救い出して――――


そう願う自分に、また嫌悪感を抱いた。
少しづつ、自分が汚れていく気がして・・・・死にたくなった。


そんな暗闇から救い出してくれたのが――――当時からヴァリアーのメンバーだった二人の男。


初めて娼婦の私を一人の人間として扱ってくれたスクアーロ。
そして初めて身体を許した相手、ベルフェゴール。
二人はこんな私を・・・・娼婦だった私を、本気で愛してくれた。

初めての人は忘れられない、と人は言うけど、私にとってそれは二人いる。
結果、スクアーロを愛し、選んだけれど、こんな私をあの世界から救ってくれたベルには今でも、言葉では表せないほど感謝をしていた。
スクアーロには聞けないけど、ルッスーリアさんが気を遣ってくれているのか、時々会話の中にベルの話を出してくれて、
元気そうな様子を聞いてはホっとしている。
そして私はスクアーロとの生活に幸せを感じていた。

でも今になって、あの時の過去が私を苦しめていた。


"娼婦に本気になって引き受けまでしたバカな男"


この世界で彼が一部の人間からそう言われている事も知っている。
同じ宿で働いていた女性にバッタリ会った時、そう教えられ笑われた事もあった。


「あんたのせいでスクアーロほどの男がバカにされてるってのに、いい気なものね」


それを知った時、目の前が真っ暗になった。


"過去は消せない。どう取り繕っても・・・・"


あの人の声が今も胸に刺さったまま。

自分は何を言われてもいい。それだけの事をしてきたのは事実だから。
でも…自分のせいで彼が悪く言われるのはたまらないのだ。
彼と過ごしてきた幸せな10年の中で、その思いは日増しに強くなっていく。
彼がヴァリアーで活躍すればするほど―――――こんな私でいいのか、と。


「・・・・ごめんなさい」


彼の寝顔を見つめていると、不意に涙が浮かんだ。
彼が大切にしてくれればくれるほど、幸せの中に罪悪感も生まれる。

彼の安らかな寝顔を見つめながら――――改めて、自分の運命を呪った。











「・・・・・ん・・・・」


かすかに寝返りを打ち、伸ばした指の先が、いるはずの存在を探す。
だが触れるはずの体温がなく、オレはゆっくりと目を開けた。


「……?」


案の定、隣は蛻の殻で、僅かに顔を上げて室内を見渡したが、彼女の姿はどこにもなかった。
先に起きたのか、と溜息をつきながら、静かに起き上がると、小さく欠伸を噛み殺す。
久しぶりに熟睡したせいか、身体も少し軽い気がする。
彼女が傍にいてくれるだけでこうも違うのか、と内心苦笑した。

ヴァリアーにいる限り、安息の時間などないに等しい。
いつでも死と隣り合わせで、安心して眠れる日など一日だってない。
でも彼女が隣にいてくれるだけで、オレは全ての警戒心を解き放ち、安らかに眠れるのだ。


「こんなとこ襲われたらひとたまりもねぇな・・・・」


一人呟き失笑する。が、そこでふとミルフィオーレの事が気にかかった。
ボンゴレの関係者を全て抹殺しているミルフィオーレに、彼女の存在がバレたら、と不安になる。
ウァリアーは表舞台には殆ど姿を見せない。そのため、オレ達の情報は簡単には漏れないはず。
だがそれも決して安全とは言いがたい。今のこの状況なら尚更だ。


「しばらく安全なところにを隠すか・・・・」


そう思いながらどこがいいか考えをめぐらせる。そのままベッドを抜け出し、裸の上からバスローブを羽織った。
気づけば、リビングの方からいい香りが漂ってくる。


「カプチーノか・・・・。そういや腹減ったな」


その香りに刺激されてか、夕べ散々食べたにも関わらず、腹がなる。
彼女が朝食を用意してくれてるんだろうと思いながら、リビングへと向かった。


「・・・・?」


テーブルの上にはパンやサラダが並んでいるが、そこに彼女の姿はない。
だがキッチンの方で人の気配がして、オレはそっちへ先に足を向けた。


・・・・?先に起きたのかぁ?起こしてくれれば――――」


そこで言葉を切った。振り向いたのは可愛い笑顔の彼女・・・・ではなく。


「あらぁ、おはよ♪ スクちゃんてばお寝坊さんねー」


夕べ帰ったはずの赤と緑の派手な髪色をした、オカマだった――――!



「て、て、てめぇ!!ルッスーリアっ?!」


驚きのあまり足がよろける。その拍子に壁にぶつかり、オレは後頭部をしたたか打った。


「やーねー何してるのよ、スクちゃんてば♪ ドジねぇ」
「うるせえ!つか、な、何でてめえが――――」
「あらやだ!夕べは泊まったじゃない?ほら私ってばワイン飲みすぎて酔っちゃったから♪」
「なっ!・・・・んだとぅ?!泊まったなんてオレはそんな話聞いて――――」


そこまで言いかけ、ふと思い出した。
夕べ、オレは飯を食った後、風呂に入り真っ直ぐに寝室へと向かった。
その時にはすでにルッスーリアの姿はなかったし、オレはてっきり帰ったものだと思っていた。
その間、は洗物をして後片付けを終えた後、寝室へと戻ってきた・・・・。


「って事はオレが風呂に入ってる時に・・・・」
「そうよ〜♪ ゲストルームを借りたの。ちゃんが酔ってるし今夜は泊まって行ってくださいって言うものだから、ついお言葉に甘えちゃって――うごっ!


間髪入れずに一発キツイのをお見舞いすると、オカマは見事にひっくり返った。
そんな事は気にせず、オレは姿の見えないが気になり、リビングへと戻る。
そこへ頬をさすりながらルッスーリアが歩いて来た。


「全くー!いきなり殴るなんてひどいじゃないのー」
「うるせえ!!つーかはどうしたぁ?!」


朝食の用意はされているが、彼女の姿がどこにも見当たらず、イライラしながら叫ぶ。
ルッスーリアは苦笑しながらソファに座ると、飲みかけのカプチーノをゆっくりと口に運んだ(ずーずーしいオカマだ)


ちゃんなら仕事よ」
「あぁ?!」
「何でも今日は人が足りなくて休みが取れなかったんですって。だから午前中だけ出なきゃいけないからって」
「チッ。そういう事かぁ・・・・」


事情が分かり、一先ずホっとすると、オレはソファに腰を下ろし、溜息をついた。
オレが久しぶりに任務から帰ろうと、彼女には彼女の生活がある。
それはそれで仕方のない事だ。


ちゃん、まだカフェで働いてるんだっけ?」
「・・・・ああ」
「そう・・・・。続けてるのね。ベルちゃんへの返済」
「・・・・・」


ルッスーリアはそう呟くと溜息をつきつつ、オレにもカプチーノを淹れてくれた。
特製のカプチーノは、オレもルッスーリアも大好きだった。


「前にベルちゃんが一度ボヤいてたわ。"勝手に振り込んでくる"って・・・・」
「・・・・がそうしたいって言うんだから仕方ねえ」
「まあ・・・・そうよね。ベルちゃんが借金を全額払った事、凄く気にしてたし・・・・」
「そんなにしてくれたのに・・・・ベルを選ばずオレを選んだっていう罪悪感が残ってるんだろうなぁ」
「でもそれは仕方ない事よ?ベルちゃんが身を引いたんだから・・・・」
の気持ちを優先させて、な・・・・。はそれを分かっている。だから――――」


そこまで言って言葉を切った。
本来ならその金は、オレがベルに返したかった。自由になった彼女を手に入れたんだから当然だと思っていた。
だが彼女はそれを拒否した。
それだけは自分で働いて返したいと、泣きながら言われれば、オレも頷くしか出来なかった。
オレが月々の生活費を面倒見ることにすら、彼女はいい顔をしない。
でもそこは何とか説得し、彼女も渋々ながら受け入れてくれた。
ベルへの借金を返しながら、日々の生活費も一人で負担する事になれば、それこそ彼女は働きづめになってしまう。
それではオレも安心して任務をこなせない。
だからベルへの返金を許す代わり、そこは彼女に納得させた。


「・・・・今時珍しいくらい、いい子よね」
「・・・・ああ」


はあっと溜息をつくルッスーリアの言葉に、素直に頷く。
彼女は本当にオレなんかにはもったいないくらい、純粋で愛しい存在だ。
柄にもなく、しみじみと思いながら、カプチーノを口に運ぶ。その時、ルッスーリアが身を乗り出した。


「ねえ、いっその事、サッサと結婚しちゃったら?」
「・・・・ぶほっっっ


その一言に思わずカプチーノを噴出すと、ルッスーリアは「いやねえ汚いわぁ」とタオルを持ってくる。

(っていうか、てめえのせいだ、このオカマ!)

「そんなに動揺するって事は…少なからずスクちゃんも考えてるんでしょ?結婚 ♡」
「う゛お゛ぉい!てめえには関係ねぇぞぉっ」


濡れた髪やバスローブを拭きながら睨むと、ルッスーリアは楽しげに笑い転げている。


「スクちゃんてば顔、真っ赤よぉ〜♪かーわいい ♡♡」
「・・・・て、てめぇ・・・・。本気でおろされてえらしいなあっっ!」


恥ずかしさのあまり怒りが頂点に達し、思い切り立ち上がり、テーブルへドンっと足を乗せる。
だが目の前のオカマは何故か目を「♡」にしながらオレを見た。
その意味深な視線に、変な気でも起こされたかと悪寒が走る。
いや・・・・違う。ルッスーリアはオレの顔ではなく、その視線の先はオレの――――


「あらやだ、ラッキー♡ ちょー刺激的♪」
「―――――ッッ?!」


ルッスーリアは頬を赤く染めて、嬉しそうに体をくねらせる。その視線の先を見てギョっとした。
勢い良く立ち上がったせいか、バスローブの紐がほどけ、前が全開になっている(!)
慌てて隠すと、「あら隠しちゃうの?もっと見せてくれてもいいのに〜 ♡♡」と変態よろしく手を伸ばして捲ろうとした。
それには一気に全身の鳥肌が立つ。


「う゛お゛ぉい!見んじゃねえ!!つーか気色わりぃぞぉ!!」
「いやあねえ。冗談よ♪ って、でも目の保養になったわあ ♡」
「ああっ?」
「スクちゃんて案外いいモノ持ってんのね ♡」
「――――ッ」
「あ〜ちゃんが羨まし――――」
「こんの変態がぁっっっ!!」
「・・・・・ほごぁっ!!


ウットリしながら腰をくねらせるオカマにゾっとし、いつものように顔面キックを食らわす。
それでもMっ気のあるオカマは懲りないからたちが悪い。
鼻血が出た鼻にティッシュをつめながら(!)苦笑いを浮かべている。(さすがハードM!)(!)


「んもぉーすぐ暴力に訴えるんだから・・・・そういうとこボスそっくり ♡」
「(語尾にハートつけんなっ) ざけんなぁ!サッサと帰れぇ!いつまでいやがんだぁ!!」


ルッスーリアの鼻先に剣を突きつける。これにはオカマもホールドアップしながら肩を竦めた。


ちゃんが帰るまでいるわよー」
「あぁ?!!」
「だってちゃんに"ズコットの作り方、教えて下さい"って頼まれちゃってぇ」
「ズコットだぁ?」
「そうよぉ。スクちゃんに作ってあげたいんですって ♡」
「・・・・ぐっ」
ちゃん可愛いわよね♪」


そう言われてしまうとオレも立場が弱くなる。こんなお邪魔虫はとっとと追い返したいが、彼女と約束してるとなると・・・・
しかもそれはオレの為という理由がある。


「チッ!勝手にしろぉ!」
「ま♪ スクちゃんてば優しい ♡」
「ぶっ殺すぞぉ?!」


すっかりオカマのペースにはまり、オレはグッタリとソファに身を沈めた。
そんなオレをよそに、ルッスーリアは鼻歌交じりで、「ちゃんが帰ってくるまでに簡単に準備始めるわ♪」とキッチンへ向かう。


(まるで小姑だな・・・・)


オカマの鼻歌が漏れてくるのを聞きながら、溜息をつくと窓の外を見た。
今まで騒々しくて気づかなかったが、夕べの雨が今もまだ窓を濡らしている。
この雨の中、仕事へ向かった彼女の事が少しだけ心配だった。


(終わったら迎えに行ってやるか・・・・)


時計を見れば、まだ午前10時半。彼女が戻るまで、もう少しかかりそうだ。

"仕事が終わったら電話しろ。迎えに行く"

簡単な文を打つと、そのメールを彼女宛に送信する。
普段、傍にいてやれない分、一緒にいる時くらいは、こういう小さな事でも何かしてやりたかった。


(シャワーでも入って目を覚ますか)


軽く息をつくと重たい体を起こし、バスルームへと向かう。


キッチンからは楽しげな鼻歌が、まだ聞こえていた。










「いらっしゃいませー」
「ありがとう御座いましたー」


その店員の元気な声を何度聞いたんだろう。
繰り返し聞いていると、つい引き寄せられてしまう自分がいて、オレは再び踵を翻した。


「・・・・・・」


が、いざその店を目の前にすると、どうしてもそれ以上進めなくなり、また方向転換する。
さっきからこれの繰り返しだった。


「チッ。何やってンだオレ・・・・」


自嘲気味に笑いながら静かに降りそそぐ足元の雨粒を見つめる。
せっかく早起きして、バカガエルが起きないよう、こっそりとホテルの部屋を抜け出して来たというのに。
来たら来たで金縛りにあったかのようにこの場所から動けない。目的の場所はすぐ目の前だというのに。


この街の中心にあるカフェテリア"モンタヌッチ"。イタリアで最も美しいカフェとして有名な店だ。
そこに彼女がいる、と聞いたのは、ほんの偶然で。
ルッスーリアが電話で話しているのを通りすがりに耳にしただけだった。


「あらちゃん、あのモンタヌッチで働く事になったの?やだーじゃあ今度絶対食べに行くわね♪」


そんな会話を聞いて、少しばかり心がざわついた。
今、彼女がどんなところに住んでいるのかなんて、オレは知らない。
いやスクアーロと半同棲生活をしている家なんか知りたくもない。
だから時々襲ってくる、"に会いたい"という衝動も、何とか抑えてこれた。
だけど・・・・彼女が確実にいる場所を知ってしまった時、その衝動を抑えるブレーキはオレが思っている以上に簡単に壊れてしまった。
ここへ足を運んだのは一度や二度じゃない。普段、他の事で夢中になっている時ならいい。
任務で敵と戦っている時。どこぞの国で好みの女を抱いている時。仲間とバカみたいに騒いでいる時・・・・・。
でもそんな日々の合間に襲ってくる孤独と空しさ。それを感じた時、気づけばここへ足が向いていた。

声をかけるなんて事は一度もした事はない。話せなくてもいい。気づかれなくてもいい。
ただ遠くで彼女が元気にしている姿を見るだけで、心が洗われたような気持ちになった。

最初は何故スクアーロがいるのに彼女が働いてるんだろう、と疑問に思った。
でも、ある時から振り込まれるようになった金に気づいた時、その理由を知った。

"オレに金を返すために、彼女は働いている"

それを知った時、やっぱり胸が痛くなって…。
そんなものはいらないのに、律儀に自分で稼いだ金を振り込んでくる彼女に、また愛しさを感じた。
「こんな金はいらない」と送り返せば、彼女もそのうち諦めるかもしれない。でもオレはそれをしなかった。

理由は一つ。
下らない、でもオレにとっては大切な、彼女との小さな繋がり。
それを断ち切ってしまえば、彼女とオレは本当に何の関係もない赤の他人になってしまう。
それが何より・・・・寂しかった。


(マジ、オレってダサくね?)


内心、苦笑しながら彼女の働くカフェを見つめる。時折、店員の姿が窓ごしに見えるたび、鼓動が早まった。


(これじゃストーカーと同じじゃん・・・・。最悪ーオレ)


溜息交じりで傘を肩に乗せると、どんよりと曇った空を見上げる。
その灰色の空を見ながら、まるで今の自分だ、とまた苦笑いが零れた。


「――――っ」


その時、ふとカフェに視線を戻せば、見覚えのある姿が目に留まった。
ドクンと大きく鼓動が波打つ。


「ありがとうございましたー」


帰る客にあの笑顔を向けて頭を下げる店員。それは数ヶ月ぶりに見た彼女だった。


「・・・・・・・・」


思わずその名を呟く。だがその瞬間――――背後に嫌な気配がして、僅かに息を呑んだ。


「へえーあれがベルセンパイを振ったっていう女性ですかー。確かに可愛らしい方ですねー」
「・・・・・っっ?!!て、て、てめえ・・・・っ!」


肩越しにヌっと現れたデカイ顔(カエル)にオレは心臓が止まるかと思った。


「な・・・・何でここにっっ!」


相変わらずの無表情で店の方を眺めている後輩に、オレは本気で驚いた。
確かにホテルを出る時は爆睡してたはずなのに。


「やだなーセンパイ。ミーはずっとセンパイの後ろからついてきてたのにー」
「はあ?!」
「センパイ、心ここにあらずといった顔で全然気づいてくれないんだから冷たいですよねー」
「ふざけんな!つーか、ついてくんなっ!」
「だって、もしかしたらミーのこと置いてきぼり作戦かなーとか思って。置いてかれたらミーお金ないから困っちゃうしー」
「・・・・ッ!(マジでこいつ殺してえ)」


すっとぼけた後輩の言い分に、オレは怒りが込み上げてきた。
こんな所を見られたってーのも、極限に恥ずかしい。(オカマの変な友人、ボクシングバカ風に)


「やっぱり未練あるんじゃないですかー。やだなーセンパイってば」
「うるせえよ!ほっとけ!これからデカイ任務があるし、その前にパワー補給にきたんだよっ」
「あーなるほど。愛しい彼女の顔を遠くでこっそり見てパワーもらってるなんて…ってそれってストーカーですよねセンパイ」
「・・・・殺されたいの?穴あきガエルにすんぜ?」


あまりの怒りに額がピクピクする。素早くナイフを抜いてフランの鼻っ面に突きつけた。
その時、カエルがマヌケな顔で「あ」と声を発した。


「センパイ!」
「あ?てめえだきゃ土下座してオレの靴舐めるまで許さねーよ」
「やだなー汚い。っていうか、彼女、ほら。こっち見てますよ!」


フランがグイグイとオレの服を引っ張る。でもこれもコイツの逃げ口上だろうと、軽く無視した。


「あ?その手はくわねぇって――――」

「・・・・ベル・・・・?」

「――――ッ」



突然、そう本当に突然、懐かしい声で名を呼ばれ、オレは思わず息を呑んだ。
背後に誰かが歩いてくる気配がする。でも体は金縛りにあったみたいに動かない。


「・・・・もしかして・・・・ベル?」
・・・・」


手に握っていたナイフがカシャンという金属音と共に、足元へと転がった――――








「ご注文は?」
「ミーはこのチョッコラータ・コン・パンナ!生クリームたっぷりでー」
「オレは・・・・カプチーノでいいよ」
「はい」


彼女は注文を聞くと、嬉しそうに微笑んで店の奥へと歩いていく。
その姿を見ながらオレは大きく息を吐き出し、頭を抱えた。


「何やってんだオレ・・・・」
「カフェでお茶?」
「・・・・・てめ、後で覚えてろよ?」


向かいで呑気に答えるフランに、オレは本気で殺意を覚えた。
そもそも、彼女の姿を一目見るだけだったはずが、コイツのせいで見つかり、あげくコイツは「チョコラータが飲みたいなー」と言ってサッサと店の中へと入ってしまった。
それにはギョっとしたが、フラン一人を置いていくわけにもいかず――彼女に何を言われるか分かったもんじゃないし――渋々オレも彼女に促されるまま、店へと足を踏み入れてしまった。
今更どんな顔をして会えばいいのか分からない。いや、きっと彼女もそうだろう。
それでも――――あの頃と変わりない笑顔を向けてくれた事は、嬉しかった。


「これロン毛隊長にバレたらまずいですかねー」
「ったりめーだバカガエル」
「まーでも会っちゃったものは仕方ないですしー。せっかくだから有名なチョコラータ飲みたいじゃないですかー」
「カエルは雨水でも飲んでろよ」
「だから、これかぶせたのはセンパイでしょー?」


そう言って不満気に目を細める。コイツのこのトボケた性格は本気でオレの神経を逆なでする。
オレにストレスを溜めさせるためだけに存在しているような奴だ。
でも・・・・コイツがいなければ、オレは彼女と顔を合わせる事も、言葉を交わすこともなかった。


「お待たせしました」
「あ・・・・」


そこへ彼女がオレ達の飲み物を運んで来てくれた。慣れた手つきでテーブルにセットする姿は、意外とさまになっている。
本来彼女はこういう仕事の方が向いていると思った。


「えっと・・・・。サンキュ」
「いえ・・・・仕事ですから」


彼女はそう言って微笑むと、「元気そうですね」とオレを見た。
不意に目が合い、言葉を失う。それでも何とか笑顔を作ると、「まあ相変わらず」とだけ答えておいた。


「初めましてー。ミーはベルセンパイの後輩でフランと言いますー」


そこへ口を挟んできたのは、場の空気が読めないアホな後輩だった。


「後輩・・・・?」
「え?あーまあ・・・・コーハイっつーか・・・・。ただのカエルだけどね、しし♪」
「え?」


オレの説明に、彼女は一瞬目を丸くして、それからかすかに噴出した。
その笑顔すら、懐かしい。


「ひどいと思いませーん?可愛い後輩にこんなかぶりもの強制するんですよー?」
「うるせ!お前が好きでかぶってんだろ?」
「そんなわけないじゃないですかー。常識で考えて下さいよー。ねー?さん」
「・・・・え、私の名前・・・・」


彼女は少し驚いたようにオレを見た。が、説明する前に、フランが先に口を開く。


「スクアーロ隊長の恋人・・・・なんですよね、さん」
「え・・・・っと・・・・その・・・・はい・・・・」


急にスクアーロの名前を出され、彼女はドキっとしたようにオレを見た。
一瞬気まずい空気が流れ、オレはテーブルの下で思い切りフランの足を蹴っ飛ばした。


「・・・・でっ!」
「え?」
「何でもないって。コイツ突然、叫ぶクセがあってさ」


笑って誤魔化すオレを、フランはジトっとした目で睨んでくる。
でもこれ以上コイツが口を挟むと、余計な事まで言いかねない。
今のはオレなりの忠告だ。


ちゃん、そろそろ上がっていいよ」


そこへ店のマスターらしき男が声をかけてきて、彼女はハッとしたように振り向いた。


「あ・・・・もうこんな時間だ」
「仕事は終わり?」
「あ、はい。今日は午前中だけで」
「そっか・・・・。じゃあ帰るんだ」


一瞬、家で彼女の帰りを待つスクアーロの姿が浮かび、かすかに胸が痛んだ。
出来ればもう少しだけ話していたい。でもオレに彼女を引き止める権利も勇気もなかった。


「あ、じゃあ・・・・」
「あーさん、時間あるなら一緒にお茶でもどうですかー?」
「フラン・・・・?!」


ギョっとした。
帰りかける彼女を見て、不意に引き止めたのはバカガエルだった。彼女は驚いたように足を止めて振り返る。
けどその表情は拒絶している風でもない。フランがオレに意味深な視線を送る。
その視線の意味が何となく分かり、オレは小さく息を吸い込んだ。


「仕事終わったんなら・・・・少し話さねぇ?」
「え?」
「いや・・・・まあ・・・・。早く帰りたいってんならいーけど」


夕べ久しぶりにスクアーロに会ったはずだ。出来れば今日だって早く帰りたいだろう。
誘ったはいいけど、そこに気づき、ついそう言ってしまった。
フランがそんなオレを見て、溜息をついている(生意気な)でも彼女は意外にも、「じゃあ少しだけ」と微笑んだ。


「えーいいんですかー?」
「はい。あ、その前に着替えてきます」


彼女はそう言って店の奥へと入っていく。それと同時に、オレは一気に体の力が抜けた気がした。


「はあ・・・・てめ、何言い出してんだよ」
「ミーはセンパイの気持ちを代弁してあげただけですけどー」
「・・・・ホント、てめえはいい性格してるよ」
「それいい意味ですかー?それとも――――」
「悪い意味に決まってんだろ?バカガエル!」
「はーホント、ひどいですー。ヴァリアーの人はみーんな意地悪ですよねー。って事でミーは先にホテルに帰ってますんで後は二人仲良くどうぞー」
「はあ?って、おいバカガエル!」


フランは勝手にそう言うとサッサと席を立ち、店を出て行く。その後姿を見送り、呆気にとられた。


「な・・・・何だ?アイツ・・・・」


勝手についてくるわ勝手に帰るわ、ワケわかんねえ。
引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、自分はサッサと逃げんのかよ。


呆れつつフランの飲んでたカップを見ると、甘そうなチョコラータは綺麗に飲み干されていた。


「はあ・・・・。つか急に二人きりにされても・・・・」


予想外の展開で一気に緊張してきた。
気分を落ち着かせるためにカプチーノを飲んで、いつもの自分を取り戻そうと深呼吸をする。
でもそんな事をしている時点で普段のオレじゃない。
この10年、忘れられなかった彼女と、またこうして向かい合える日が来るなんて、思いもしなかった――――。




「あれ・・・・後輩の方は?」


数分もしないうちに、彼女は着替えて戻ってきた。


「あ、ああ・・・・。先に・・・・帰った」
「そうですか」


彼女は不思議そうな顔をしていたが、それでも椅子に座ると、「面白い方ですね、フランさんて」と笑った。


「別に面白くねーし・・・・つーか生意気?」
「そうなんですか?」


くすくすと笑う彼女の笑顔につられ、オレも自然と笑顔になる。こんな事にすら胸が熱くなる。


「はい、ちゃん」
「あ、ありがとう御座います。マスター」


店の人に事情を話したのか、先ほど声をかけてきた男が、彼女にもカプチーノを運んでくる。
そしてオレに視線を向けると、


「彼、ちゃんの恋人かい?カッコいいね」
「え?!あ、あの」
「つれの子は何か変わった格好してたけど・・・・(!)」
「はあ」
「まあ邪魔はしないよ。ごゆっくり」


マスターと呼ばれた男は思い切り誤解をしたのか、ニコニコしながら歩いて行ってしまった。
彼女は気まずそうに目を伏せると、「すみません」と一言、口にする。
でもオレは彼女の恋人に間違われた事が、素直に嬉しかった。もちろん、そんな事は口に出来ないけど。


「いーって。そんな事より・・・・久しぶりじゃん。もう10年近い?」
「え?あ・・・・もうそんなに経つんですね・・・・」


そんな気はしないけど、と彼女は苦笑した。
でもオレもそう感じていて、こんな風に二人で向かい合っていると、あの頃の気持ちに引き戻される気がする。


「元気だった?」
「はい・・・・。ベルは?」
「ちょー元気。しし♪」


いつもの笑顔を見せると、彼女もホっとしたように微笑む。この笑顔に癒されていた時期があった。
あの頃のオレはガキだったから、彼女を独り占めしたくて、オレだけの女にしたくて、勝手に借金を払い、強引に彼女を手に入れた。
想い合う、二人の気持ちに気づかないフリをして――――。


「あの、さ」
「はい」
「金のことなんだけど・・・・」


ふと思い出し口にすると、彼女はハッとしたように顔を上げた。
彼女は昔、オレが払った彼女の借金を返そうと、こうして働きに出ている。


「いいって言ったのに」
「そういうわけには・・・・かなりの金額だし」
「だから言ってンの!オレ、別に金に困ってねーし、いーよ無理して返さないでも」
「い、いえ。きちんと全額返します。ただ・・・・何年かかるか分からないけど・・・・。あの・・・・えっと・・・・気長に待ってくれると助かります」


言いにくそうに話す彼女の表情が可愛くて、オレは小さく噴出した。
もう27歳にはなっているはずなのに、どうして彼女はいつまで経っても少女のままなんだろう。


「何で笑うんですか・・・・?」
「だって・・・・ってば昔とぜーんぜん変わってねーし?」
「か、変わりましたよ・・・・。あの頃は・・・・私も子供だったし」
「ま、オレも16のガキだったしね〜」
「ガ、ガキって・・・・そういう風には見えなかったですけど・・・・」
「あ〜早熟だったからさ、オレ。イ・ロ・イ・ロと ♡」


そう言っておどけると、すぐに頬を染める。彼女はやっぱり、あの頃のまま。
それから二人で他愛もない話をして、雨がやんだ頃に店を出た。


「悪かったな。引き止めて・・・・大丈夫?」
「はい。まだ1時半だし・・・・」
「そっか。まあ今ぐらいの時間じゃスクアーロもまだ寝てっかもなー」


そう言ってから少しだけ後悔した。
アイツの名を出すと彼女は困ったように俯いて、その顔が昨日のスクアーロの表情と重なった。


「そんな顔すんなって!今、幸せなんだろ?だったらオレも嬉しいし――――」


慌てて言って彼女の頭を軽く撫でる。オレとしては彼女に笑って欲しかった。変な罪悪感なんて感じて欲しくなかったから。
なのに・・・・俯いた彼女は小さく肩を震わせて、泣きそうな顔でオレを見た。


…?どうした?何か――――」
「な、何でもないです・・・・。ただベルが優しいから・・・・」
・・・・?」
「ごめんなさい・・・・。ちょっと昔を思い出しちゃって・・・・」
「・・・・え?」
「私が泣くと・・・・ベルはいつも優しく頭を撫でて、元気付けてくれたから・・・・」
「・・・・」


その一言にオレが泣きそうだ。
彼女が、そんな風に思っていてくれたなんて――――


「・・・・ったりめーじゃん?王子は可愛い子には優しいんだっつーの」


声が震えるのを誤魔化す為に、笑いながら彼女の額を指で軽く押した。
そこで彼女も笑顔を見せる。それはそれでホっとしたが、でもさっきの彼女の様子が気になった。


「あのさ・・・・。オレ、あのホテルに今、泊まってんだ」
「え・・・・?ホテルって・・・・」


通り沿いに見える建物を指差すと、彼女は驚いた顔をした。


「まあスクアーロからも多少は聞いてるかもしんねーけど、今、オレら事情があってアジトの類には近寄れなくてさ」
「え、また・・・・抗争、とか・・・・」
「あーまあ・・・・。聞いてないなら知らないフリしてて欲しいんだけどさ」
「は、はい・・・・」


余計な事を言ったと後悔した。彼女が不安げな顔で俯くから、慌てて顔を覗きこむ。


「あ、いや、そんな心配そうな顔すんなって!大した抗争じゃねーし」


オレの言葉に、彼女は小さく頷いた。
でも心配するな、と言っても無理な話かもしれない。
10年前、あのリング争奪戦の時にスクアーロが瀕死の重傷を負った。
その事でもきっと彼女はたくさん心配したんだろう、とこの時思った。


「すぐ終わるから。そんな顔すんなよ」


彼女の頭を撫でながら微笑む。そうする事で少しでも彼女の不安を取り除いてやりたかった。


「・・・・はい」


オレの言葉に、彼女も少し安心したのか、やっと笑顔を見せてくれてホっとする。


「でさ・・・・話は戻るんだけど」
「え?あ・・・・」
「とりあえず今週いっぱいはオレ、あのホテルにいるし、もし何か困った事でもあれば・・・・会いに来てよ」
「・・・・え?」


思い切ってそう告げると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
オレの思いすごしならそれでいい。でもさっきの彼女は、何かに悩んでいるように見えたから少しだけ心配になった。


「何もないならいーけど、さ。まあ・・・・スクアーロにも言えないような事とかもしあるなら・・・・オレが聞いてやるからさ」
「で、でも――――」
「昔の事なんかもう忘れろって。オレはお前が幸せならそれでいーし?って何かオレ、カッコいいんじゃね?さすが王子♪」


言ってる傍から照れ臭くなり、軽くおどけると、彼女は小さく噴出して、可愛い笑顔を見せてくれた。


「ありがとう・・・・」
「バーカ。礼なんかいーよ。つーか言葉より、ここに軽くちゅってしてくれればそれでいーし?」
「・・・・っ」
「バカ・・・・。冗談だし赤くなるなっつーの」


想像通りの反応に苦笑すると、彼女はますます赤くなった。こういうところも、愛しいとか思ってしまう。


「んじゃ・・・・マジ何かあったら連絡して。一人で抱え込むなよ?」
「はい・・・・。ホントに・・・・ありがとう」


彼女がそう言って微笑んだその時、携帯の着信音が鳴り響いた。


「あ・・・・」
「もしかしてスクアーロ?」
「は、はい・・・・。仕事終わったら電話しろってメールがあって」
「あちゃー。そういう事ならオレは退散すっかなー」


そう言って笑うと、彼女は困ったように微笑む。
でも彼女は今、アイツのもんだ。この10年で、嫌ってほどそれを思い知らされた。


「オレは帰るから、早く電話出ろよ」


それだけ告げると、オレは彼女に背を向けた。アイツと話している彼女を見たくはないから。


「・・・・ベル!」


その呼び声に僅かに足が止まる。ゆっくり振り向くと、彼女はあの頃のように可愛い笑顔でこう言った。


「――――ありがとう」


その言葉に答えるよう、軽く手を振ると、オレはまた静かに歩き出した。


少し、ほんの少しだけ、昨日よりも心が軽くなった気がして、雨の上がった空を見上げる。


青い空は、今のオレを現してるかのように、澄み切っていた。














何となくベル夢に近い番外編かもですね;;
久しぶりに書くせいか、ベルもスクも似非になるわ…