
06. 過去が優しく包む夜
「…あの…ありがとう」
13年前のあの夜、家に送ってくれたカカシさんにそう言えば、彼は何も応えないまま私の前から姿を消した。
でもそんな素っ気ない態度をされても、家までの短い距離に繋がれていた手に残るカカシの温もりが、彼の優しさを伝えてくれていて。
久しぶりに他人の体温を感じた夜だった。
その少年が"写輪眼のカカシ"と呼ばれるほど有名人になった時は、何故か少しだけ寂しく感じて。
一般人の私と、忍の彼とでは、住む世界が違うのだ、という現実を、突きつけられた気がしたから―――。
カカシが任務に出てから二日。
言われたとおりカカシの家から仕事へと通っていた。
帰りが遅くなった時は任務がない紅やアスマが送ってくれる事になっていて、二人が来れない時はイズモやコテツがを送っている。
そこまでしなくても、という思いもあるが、あの夜の恐怖は小さなトラウマになっていて、未だに背後で人の気配がしただけで勝手に体が硬直してしまうほどだった。
カカシやアスマに紅、それにイズモ達が、こんな緊張感の中で大変な任務をこなしているんだという事を、は少しだけ実感した。
同時に、ああいう敵を相手に、これまで戦って来たんだと思うと、忍という世界は本当に自分の住む世界とは全く違うものなんだと、改めて思い知らされた気がする。
「そう言えばカカシから報告が来てたみたいよ」
「え…?」
いつものように送ってくれた紅にお茶を出す手が僅かに止まる。
そんなを見て、紅は意味深に微笑んだ。
「今回のはCランクの簡単な護衛っていう任務だったんだけど、ちょっと手こずってるみたい」
「て、手こずってるって…」
「気になる?」
「…う」
ニッコリ微笑まれ、そんな言葉をぶつける紅に、は思い切り言葉に詰まった。
最近、この紅は、カカシとの事で、何かとをからかってくるのだ。
何度ただの知り合いだと言ってみても、全く聞く耳を持ってくれない。
「二人はお似合いだと思うんだけどな」なんて事まで言い出して、としてはどう応えていいのか分からなかった。
だいたい紅とアスマは互いに忍同士でエリート上忍で、大人のカップルって感じが凄くお似合いだけど、忍の、しかも超エリート上忍のカカシと、ただの庶民である自分が、お似合いなんてありえない、とは思った。
紅は黙ったままのを見て、業を煮やすように苦笑を浮かべながら紅茶のカップを口に運んだ。
「全く…。心配じゃないの?カカシのこと」
「心配するような…状況なんですか?」
「ま、詳しくは聞いてないけど…。今回の任務の内容が、ちょっと最初の依頼内容と条件が違ったみたいなの」
「え…違ったって…」
「簡単に言うと…Cランクの依頼だったはずが、実はAランクに近い内容だった。つまり、カカシ一人じゃ荷が重いってこと」
あっさりと言い切った紅は、「困った依頼主よねえ」と呑気に笑った。
「依頼主…?」
「お金がないから安いCランクを選んで依頼してきてたらしいわ。簡単な護衛だって嘘を言って」
「そんな…。じゃあ本当は…」
「その依頼主…危ない組織に命を狙われてるんだって。で、カカシの班が引き続き彼を護衛してるけど…他の三人はまだ下忍だし、実質カカシが一番大変よね」
「…他の方が援護に行かないんですか?」
「任務続行って決めたのはカカシよ。もしこれ以上危険だと思えば、依頼主の嘘が分かった時点で戻ってくるはずだし…大丈夫なんじゃない?」
「そんな呑気な…っ」
あまりにケロっと答える紅に、もついムキになってしまった。
そしてその事をすぐに後悔した。
紅は優雅に紅茶を飲みながら、クスクス笑っている。
「やっぱり心配なんじゃない」
「ち、違っ!違いますっ!私はただ―――」
「大丈夫よ。カカシはそこら辺の忍とは違うから」
「…え?」
「任務続行って決めたなら、それなりの理由があるはずだしね」
さっきまでとは違う紅の真剣な眼差しは、だから安心して、と言っているようで。
彼女のその瞳を見ていると、心配してるわけじゃないという小さな強がりは、喉の奥に引っ込んでしまった。
「じゃ、私は帰るけど、戸締りだけはちゃんとして寝てね。あと明日はアスマが迎えに来ると思うわ」
「あ…はい。ありがとう御座いました」
「お茶、ご馳走様」
紅は笑顔で手を振って帰って行った。
彼女もこれから任務の準備があると言っていたし、色々と忙しいんだろう。
交代で送ってくれる他の皆も、それは同じはずだ。
(…それなのに毎日送ってもらったりしていいのかな…)
紅に出したカップを片付けながら、小さな溜息がの口から洩れる。
本来なら、上忍や中忍クラスの忍を、自分のような一般人の護衛につけるなんてありえない事だ。
でもカカシは彼らにそれを頼んだ。
(あの私を襲った忍が、よほど危険だという事なんだろうか…)
前にアスマが「相手は上忍だったみたいだし用心に越した事はねえだろ」なとど笑って言っていた。
「はあ…考えても仕方ないか…私に何が出来るわけでもないし…」
溜息交じりでベッドに座ると、は何冊かの雑誌を手にした。
それには、この地域の空き室情報が載っている。
カカシが任務から帰ってくるまでに、新しい部屋を借りなくてはならないのだ。
でもこの時期はいい物件情報がなかなか見つからない。
安くても遠かったり、日当たりの悪い一階だったりして、条件から程遠いものばかりだった。
「…どっかに近くて安くて日当たりのいい部屋、ないかなぁ…」
そんな事をぼやきながら、ふと窓の外を見れば、雲ひとつない夜空に綺麗な満月が光っていた。
カカシさんも今頃この月を見ているのかな、と想像しながら、ふと紅が言っていた事を思い出す。
"大丈夫よ。カカシはそこら辺の忍とは違うから"
あれは同じ忍としての、彼女のカカシへの信頼ともとれる言葉だった。
それが少しだけ羨ましいとさえ思う。
いくらがカカシの事を心配したところで、彼が危険な目にあった時、助けてあげられるのは同じ忍である仲間だ。
には何も出来ない。してあげられる事は何も、ない。
「全然お似合いじゃないよ、紅さん…」
その事実に、またカカシとの距離を感じて、小さな溜息が零れた。

修行から戻ってこない二人が気になって外に出れば、雲ひとつない夜空に、綺麗な満月が光っていた。
暫し足を止め、月を見つめる。
一瞬、脳裏にの顔が過ぎり、元気にしているかと心配になった。
アスマと紅に頼んできたのだから危ない事はないだろうが、他にも色々と心配はある。
(――ま、アスマはともかくとして…彼女のファンにまで頼む事はなかったかな)
の誕生日に花束を抱えて店に来ていた二人の事を思い出す。
アスマにの事を頼んだのはいいが、いくらなんでも任務を放り出してまで守ってくれとは言えない。
そこで後輩であるイズモとコテツにも頼んでおいたのだ。
―――二人は何故がカカシの家にいるのか、しつこく聞いてきたが、音忍の事を話したら納得してくれた。
もともとのファンだった二人が断るはずもなく、逆に張り切っていたくらいだ。
(オレのいない間にヌケガケされちゃいそーね)
僅かに苦笑を零し、溜息をつく。でも今はそんな事よりも彼女の安全の方が優先だ。
木の葉へ偵察に来ていた音忍が何を仕掛けてくるか分からない。
目撃者である彼女にも危険がないとは言い切れないのだ。なりふり構っていられない。
"こういうのを職権乱用ってんじゃねぇのか?"
笑いながらそんな事を言ってきたアスマの言葉を思い出し、カカシは苦笑した。
確かにそう言われても仕方がない事を、仲間に頼んできた。
(…オヤジが生きてたら、それこそどやされそうだ)
満月を見ていると、ふと懐かしい顔を思い出した。そう言えば、もうすぐ命日がくる。
父なら"仲間を私用で使うな!"と、でも怒鳴るだろうか。
それとも大切な人を守るためなら、と笑って許してくれるだろうか。
"木の葉の白い牙"と呼ばれたカカシの父、はたけサクモは、誰もが認める優秀な忍だった。
でも命令に背いて、ある任務に失敗し、それを仲間にまで中傷され、心身ともにボロボロになったサクモは、自らその命を絶った。
父を心から尊敬し、自慢に思っていたからこそ、子供の頃はそんな父を恨んだ事もある。
何故、ルールを破ったのか。何故、命令に背き、仲間を助けたのか。
自業自得だ、と墓に向かって詰った事もある。
自分は父さんのような忍にはならないと、心に固く誓った事も…
でもオビトという、一人の忍と出会い、彼の言葉で救われた。
"俺は白い牙を本当の英雄だと思っている。仲間を大切にしない奴は、それ以上にクズだ!"
あの言葉で、それまで虚勢を張っていた自分がバカらしく思えた。
何て簡単な答えだったんだろう、と涙が溢れた。
うちはオビトという一人の若者に、カカシは大切な事を教えられ、そして変わったのだ。
ルールや掟なんかよりも、もっと大切なものがある、という事を、カカシは身をもって実感した。
しかし、そのオビトも"神無毘橋の戦い"で死んでしまった。カカシに、形見とも言える"写輪眼"を託して。
(あの後…すぐだったな…。彼女と出逢ったのは…)
オビトを失い、悔やんでいた毎日。
あの時もっと他に方法はあったんじゃないか。もっと自分に何か出来たはずではないか。
そんな事ばかりを考え、慰霊碑に彫られたオビトの名を見るたび、悔しさが込み上げた。
あの雨の夜も同じように、ただあの場所へ立ち尽くし、オビトの最後の言葉を思い出していた。
でもと出逢い、なついてくる彼女を見ているうちに、気づけば後悔の念は消えていた。
素っ気なくしても懲りずになついてくる彼女のペースに流されていたのか。
捨て猫を拾った気持ちと多少は似ていたのかもしれない。
自分を慕い、頼ってくれる存在が、いつの間にかなくてはならない存在へと変わっていた。
父、オビト、リン、そして"木の葉の黄色い閃光"と呼ばれた、里の英雄である己の師…四代目。
忍をしていれば大切な人たちとの別れが必ずついてまわる。
その寂しさを、はその存在で癒してくれた。
いつだったか、そんな気持ちを四代目に話した事がある。
その時、四代目は笑いながら、こう言った。
"ん!それって、その子の事が好きって事だよね"
そう言われた時は「まさか」なんて応えたけど、後に自分の気持ちと素直に向き合ってみれば四代目の言うとおりだったと気づいた。
素っ気ない態度で接しながらも彼女と会うのが、気づけば楽しみになっていて。
任務に疲れて帰った時は、自然と彼女のいそうな場所へ足が向く事もあった。
あの頃の感情に名をつけるとしたなら……「初恋」きっと、そう呼ぶんだろう。
"ん!それって、その子の事が好きって事だよね"――とぼけた顔で、四代目はいつも的確な事を言う。
"女の子には素直が一番だよ、カカシ"
優しい笑顔を向けて、そう言ってくれた英雄も、今はもういない。
今、もし彼がこの場にいてくれてたら、どんな言葉をくれたんだろう、とふと思う。
(…ま、どーせ"先手必勝"とか言ってけしかけるんでしょーね)
四代目の明るい笑顔を思い出し、カカシは苦笑した。
「カカシせーんせ。こんなトコで何してんだってばよ」
二人の気配には気づいていた。
振り返ると、英雄を思い出させる少年と、オビトと同じ"血"を持つ少年が、傷だらけの姿で立っている。
月を見上げ、一人苦笑いを浮かべている自分達の師を、訝しげな顔で見つめる二人に、カカシは優しく微笑んだ。
「月が綺麗だから夜の散歩。ところで…その様子だと今日もダメだったみたいねぇ~」
「でもさでもさ!今日はいいとこまで行ったんだぜ?明日にはぜってー上まで上ってやるってばよ!」
「フン…オレもそのつもりだ」
闘志むき出しの二人を交互に見ながら、カカシは満足げに微笑んだ。
時は流れ、血の繋がりは確実に次の世代へと受け継がれてゆく。
(この二人とチームを組む事になったのも、また運命、か)
そう思いながら夜空を見上げた。こんな夜は懐かしい記憶が蘇る。
彼らがいたから、今の自分がある。その事実だけは消えない。
たとえ、どれだけの年月が経とうとも。
「さて、と。そろそろ帰ろうか。夕飯の時間だしね」
「やったー!俺ってば腹ぺこだってばよ!」
「うるさいぞ、ウスラトンカチ。疲れてるんだから騒ぐな」
「なんだと、サスケ!」
「まあまあ…。いちいちケンカしなーいの。サクラが待ってるし、サッサと帰るぞ」
いつものように始まった二人の言い合いに苦笑いを浮かべ、カカシは歩き出す。
その先には、優しく照らす月明かりがあった。
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ちょっと遅くなりましたが、カカシ先生、お誕生日おめでとう。
原作ではあんな結末になり号泣…映画もなかなか面白そうだし観に行きたいな。
でも最近のNARUTOはシリアス過ぎて重たい空気…ショック続きな出来事ばかりです。