
06.この"今"も、そのうちいつかは"過去"になってしまうのだろうか
今夜の食堂は珍しく静かだった。
ここへ来る常連さん達も任務に忙しく、殆どが里を出払っているらしい。
早い時間帯に来たのは残っている事務処理班の人たちくらいで、かなり楽な一日だった。
これからは任務を終えて帰ってきた人たちが、数人来るくらいだろう。
「さて、と。お茶でも飲もうかね」
それほど多くはなかった洗物を片付けたタマは、手を拭きながら椅子へ腰を掛けた。
もお皿を戻した後はタマの隣に座って一緒にお茶を飲む。時計を見れば、午前1時を回っていた。
「皆よっぽど忙しいみたいだねえ。久しぶりだよ、こんなに暇だったのは」
「そうですね。今は色んなところから依頼が来てるから人手が足りないなんて、紅さんもボヤいてたし」
「ま、暇じゃないだけいいこった。皆が頑張ってくれてるから、ここの運営資金も出てるわけだしね」
タマは豪快に笑いながら、お茶を飲み干した。
その時、店内の方で人の話し声がしたような気がして「誰か戻って来たのかしら」と覗いてみると、案の定、任務帰りだと思われる上忍らしきくの一達が三人ほどテーブルについていた。
がすぐに水を用意して運んでいくと、何故か彼女達から鋭い視線を向けられる。
内心驚いたが、そこは顔に出さず、普通に水を彼女達の前に置いた。
「お疲れ様でした。ご注文はお決まりですか?」
いつものように注文をとろうとした。でも彼女達は何の反応も示さず、ただジっとを見ている。
それも下から上まで品定めするように。
そして互いに顔を見合わせ、クスクスと笑い出した。
「あの…?」
「あなたが"お茶屋のちゃん"?」
「…え、と…そうですけど…」
突然名前を聞かれ、は戸惑った。どう見ても顔見知りではないし、店の客でもない。
でもその時、ある記憶の中の女性と、話しかけてきたくの一の顔が重なった。
「カカシがいつも入り浸ってるんですって?団子も食べないのに迷惑よねぇ」
「……あ、いえ…」
「あいつ、甘いもの嫌いなのに、よっぽど居心地いいみたいね。お茶屋のお座敷は」
少し棘のある言い方に、敵意むき出しの瞳。他の二人はクスクス笑いながら、メニューを眺めている。
は何も返す事が出来ず、ただ、ひたすら彼女の燃えるような視線を受け止めていた。
「それより…中忍の子が話してるのを聞いたんだけど…あなた今、カカシの部屋を借りてるって本当?」
「……え…」
「彼とはそんなに親しい関係なの?」
「まさか。彼とこの子じゃつりあわないじゃない」
が応える間もなく、他のくの一がバカにしたように笑い出す。
そこで彼女達の悪意に満ちた視線の意味を、は気づいた。
彼女達は誤解しているのだ。自分とカカシがそういう関係だと。
「あ、あの…カカシさんの部屋を借りてるのには事情があって…」
「ええ、その事情っていうのも聞いたわ。偵察に来てた忍に殺されそうになったんですって?」
「……はい」
「そこを通りがかったカカシが助けたのは、まだ分かるけど…だからって彼の家に住むなんておかしいわよねえ」
「それは…私は一人暮らしで危ないからって事で、カカシさんが任務から戻るまでの間だけ―――」
「だからカカシのとこじゃなくて、他の人の家にでも居候させてもらえばいいじゃないの」
弁解する余地もなくそう言われ、は言葉に詰まってしまった。
でも文句の一つも言いたい気持ちは何となく分かる。
目の前にいるくの一が、あの時の女性なら特に―――。
「…女ってこえぇ~」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、見た事もない男の子が呆れたような顔で立っている。
そしてその後ろからアスマが苦笑混じりで歩いて来た。
「こら、シカマル!仮にもお前の先輩達だろう。口を慎め」
「へいへい」
シカマルと呼ばれた男の子は大きな溜息をつくと、軽く欠伸を噛み殺している。
が呆気にとられていると、それまで強気だったくの一達が慌てて立ち上がった。
「アスマ先輩。お疲れ様です」
「おう。お前らも無事に任務から戻ったか。ご苦労さん」
アスマは煙草に火をつけながらそう言うと、ふとを見た。
「この子はカカシの幼馴染でもある子なんだ。まあ、そうイジメなさんな」
「イ、イジメてなんか……失礼します」
三人のくの一達はバツの悪そうな顔をすると、注文もせずアスマから逃げるようにして食堂から出て行ってしまった。
が唖然として見送っていると、アスマは苦笑しながら、目の前の椅子へ腰を掛けた。
「悪かったな。あいつらは紅の後輩なんだが、少々…いやかなり気が強くてな」
「え?あ、いえ…私は別に…」
「まあ…それ以外にも色々事情もあるというか……」
アスマは言いにくそうに頭をかいている。その姿に苦笑しつつも、つい「知ってます」と言ってしまった。
彼女達の中で最初に声をかけてきたくの一。彼女は見覚えがある。
自分に文句を言いたくなる理由があるのも何となく分かっていた。
「え、知ってるって…」
目を丸くするアスマに、はは軽く肩を竦めてみせた。
「あの髪の長い人…カカシさんの元恋人ですよね。前に一緒にいるところを見かけた事があるんです」
「……………」
アスマは目をぱちくりさせて、何度か瞬きをすると、盛大に煙草の煙を吐き出し、テーブルの上に突っ伏した。
この様子だとアスマは何故かに気を遣っていたらしい。
「何だ…そっか。知ってたんだ。ちゃんは」
「ええ。というか最初は分からなかったんですけど思い出して…。彼女、綺麗だし目立つから印象にあって」
「いや、そうか…。なら尚更嫌だったろう。変な誤解されて文句言われたんじゃ気分も悪いよな」
「気にしてません。私とカカシさんは本当に何でもないし、彼女もきっと誤解だってすぐに分かると思うから」
「ああ、いやまあ…それはそうなんだが…」
アスマは複雑そうな顔で、頭をかいている。その時、アスマと来た少年が、呆れたように溜息をついた。
「つーかイジメの原因は嫉妬かよ。ホント女ってめんどくせえ……」
「こら、シカマル!」
「……シカマル…?」
アスマ以上に落ち着いた様子の少年は、また欠伸をしながら椅子に座ると「腹減ったぁ」と、テーブルに倒れこんだ。
その姿に、アスマは困り顔のまま苦笑いを浮かべている。
「こいつは俺の部下で奈良シカマルってんだ。まあ見ての通りオッサン臭い奴なんだが…腹が減ったっていうし、ちゃんを迎えに来たついでにメシでも食わせてやろうかと思ってな」
「あ、そうなんですか。じゃあ、すぐに用意します。何がいいですか?」
「そうだなぁ…。おい、シカマル!何食うんだよ」
「……サバの味噌煮…」
顔を上げないまま応えるシカマルに、アスマは、「またかよ」と思い切り目を細める。
その二人の関係がおかしくて、軽く噴出した。とても上司と部下には見えない。
(そう言えばカカシさんも、あのナルトくんやサスケくんに手こずってたっけ…。部下を持つって大変なのね)
ふと先日紹介された二人の事を思い出し、目の前でグッタリしているシカマルを見た。
彼はあの二人ともまた違うタイプで、あまり忍らしくない子のようだ。
「分かりました。すぐに持ってきますね。アスマさんは?」
「そうだな、俺は…とろろ蕎麦くれるか?」
「はい。じゃあちょっと待ってて下さいね」
注文を聞くと、厨房に戻ってタマにそれを告げる。
タマはすぐに準備にとりかかり、はお皿の用意をした。
「ところで、さっきのくの一は何だったんだい?」
タマが手を動かしながら尋ねてきた。きっといつ注文が来るかと様子を伺っていたんだろう。
「…さあ。アスマさんが来たら帰っちゃって…」
「フン。どーせカカシの事で嫌味でも言いに来たんだろう?そんな感じだったよ」
なかなか鋭いタマに、は返事に困った。
タマは慣れた手つきで定食の準備をしながら、呆れたように息を吐いた。
「さっきのくの一とカカシが付き合ってたのは知ってるしね。ちゃんが今カカシのところに住んでるから気に入らないんだろうさ」
「…はあ」
「ったく…。カカシもろくな女と付き合わないねぇ。小さい頃はあんなに軽くなかったのに…」
「え、タマさん、そんな前からカカシさんを知ってるの?」
「ああ。カカシの父親が生きてた頃からね」
その話を聞いて驚いた。
カカシがこの食堂に来た時、タマと親しげに話していたから顔見知りだというのは知っていたが、そんなに昔から知り合いだとは思ってなかったのだ。
「私の旦那は今でこそ飲んだくれ野郎だけど…前はこういった食堂をやってたんだよ」
「…そうなんですか?」
「私も店を手伝ってた。まあ…娘の事故の後に閉めちまったけどねえ…」
タマは事故で娘さんを亡くしている。
そのショックで夫は酒に溺れ、今じゃ仕事もせずに家でゴロゴロしている、と前に聞いたことがあった。
「まあその店に、カカシ親子もよく来てたんだよ」
「…え、親子って…」
「ああ。カカシと、カカシの父親であるサクモさんさ。よく二人で来てくれてね。カカシとはその頃からの知り合いさ」
「そうだったんですか…」
「まあ…カカシも今じゃ部下を持つ上忍にまでなった。サクモさんにも見せてやりたかったねぇ」
"はたけサクモ"という彼の父親も、有名な忍だったとは噂で聞いた事がある。
確か不慮の事故で亡くなった、という話だった。
「あんな事がなけりゃねぇ…」
「…あんな事…?」
表情を曇らせるタマさんに、は首を傾げた。
「サクモさんさ…。まさか、あの人が自ら命を絶つなんて…カカシも辛かったと思うよ」
「…な……自らって……じゃあカカシさんのお父さんは事故じゃなくて―――」
「あれ…カカシから何も聞いてなかったのかい?」
タマは驚くを見て、言いにくそうに溜息をついた。

「ふあぁぁぁ…」
を送る帰り道、シカマルが大欠伸をするのを見て、アスマは苦笑いを零した。
「ったく…。あいつは緊張感がねーな」
「何か面白い子ですね」
後ろをノンビリ歩くシカマルを見てが素直に感じた事を口にすると、アスマは徐に顔をしかめた。
「面白いっつーか…。まあ、あれでも頭は切れる奴なんだが、どうもやる気がないというか…」
「でも何だか落ち着いてるし…ああいう子の方が実は大物になるかもしれないじゃないですか」
「…大物…?シカマルが…?」
の言葉に驚いたように目を丸くしたアスマは、その後、豪快に笑い出した。
あまりに大きな声だからか、ボーっと歩いていたシカマルもギョっとしたように足を止める。
「何だよ…驚くだろ」
「大物?こいつが?うははははっ」
「何だよっ!」
自分の事を笑っている事に気づいたのか、シカマルはムっとしたように目を細めている。
「ったく…。大人ってワケわかんねえ…つーか、めんどくせえ」
頭をかきつつボヤきながらシカマルは溜息をついている。
その姿はアスマが言ってたように、やっぱりどこかオジサン臭くて、も思わず噴出した。
「あいつが大物なら、カカシんとこのサスケは火影になれるな」
「サスケくん?ああ、あの黒髪の…」
「知ってるのか?」
「前にカカシさんと一緒に食堂に来たんです。ナルトくんという子と三人で」
ラーメンが大好きと言っていた明るい笑顔を思い出す。今頃はカカシと任務の真っ最中だろう。
「あの二人にゃ、さすがのカカシも手を焼いてるみたいだな。ま、特にナルトには」
「そんなに問題児なんですか?」
苦笑交じりのアスマに、は首を傾げた。話した感じだと凄く素直そうな子だと思ったのだ。
「まあある意味、問題児だろうな。意外性がありすぎて。サスケの方が優等生だろう。何て言っても"うちは一族"唯一の生き残りだ」
「うちは一族…。聞いた事があります。木の葉の中でも最も優秀な一族だったって…」
「……それも今じゃサスケ一人だけだ。空しいよな」
アスマは遠くを見ながら、ポツリと呟いた。
そう言えばカカシが言っていた。サスケもナルトも、家族はいないと。
まだ子供なのに家族もなく、一人で頑張っている二人が、自分の過去と重なって、は胸が痛くなった。
(そしてカカシさんもまた、あんな悲しい出来事で親を亡くしていたなんて…)
「カカシさんも…同じだったんですね」
「え…?」
「さっきタマさんから聞いて…」
「ああ……そうか」
アスマはすぐに気づいたのか、小さく息を吐くと、煙草に火をつけた。
その白い煙が、夜風にふわりと吹かれて舞い上がる。
「忍の親を持つ子供は…多かれ少なかれ悲しい別れを経験してる…」
「…そうですね」
「だからカカシは…ちゃんの事も放っておけなかったのかもしれねえなあ…」
「…え?」
その言葉に驚いて顔をあげると、アスマは優しい笑みを浮かべていた。
「出逢った頃…なついてくるちゃんにどう接していいのか分からずに戸惑いながらも…あいつなりに見守って来たのかもな」
「…私…を…?」
「あいつも昔は今より不器用だったからな…って、勝手にこんな話しちゃ~まーたカカシに余計な事を言うなとか怒られちまうな」
アスマは笑いながらそう言うと、それ以上カカシの話をする事はなかった。
ただ、あのカカシが、もしそんな思いで自分を見てくれていたんだとしたら、もしあの頃の自分がカカシのそんな優しさに気づいていたなら。
この13年間で二人の関係が、少しは変わっていたんだろうか。
ふとそんな事を思いながらは、無性にカカシに会いたくなった。

「…ごめんね。代わりに送ってもらっちゃって…」
「いいっスよ。急いで帰ったところでする事もねーし」
何度も眠そうに欠伸をするシカマルにが謝ると、意外にも優しい言葉が返ってきた。
常にダルそうにしているものだから、内心"めんどくせえ"なんて思われてるのかと思えば、そうでもないみたいだ。
「でもアスマ先生も困ったもんっスよねぇ。今日の任務報告書、書くの忘れてたなんて」
先ほど途中まで送ってもらったものの、アスマが「報告書、書くの忘れてた」と慌てだし、
今日中に提出しなくちゃならないというアスマの代わりにシカマルが送ってくれる事になったのだ。
「忘れてたなんて今日はかなり忙しかったのかなぁ…。そんな時に送ってもらうなんて悪い事しちゃった」
「いや…つーか半分俺達のせいっつーか…」
「え?」
「実は今日の任務が終わった後、アスマ先生から俺達全員、説教くらってて…」
「説教…?」
「"お前らやる気あんのか!"って」
そう言ってシカマルは苦笑いを浮かべた。
「同じ班のいのとチョウジって奴も、寝不足だの腹が減っただの言い出して、予定の時間より任務終えるのが遅れたんスよ。で…」
「説教された…って事?」
「まあ…。アスマ先生も今日までの分が一気にキレたのか、その説教っつーのがなかなか終わらなくて」
苦笑交じりにそう言うと、シカマルは深々と溜息をついた。
「まあでもさんを迎えに行く事を思い出したから途中で終わったけど…それがなきゃ、今頃まだ怒られてたかもしれないっスね」
「へえ…アスマさんって意外と熱血漢なのね。そうは見えないけど…」
「いや結構、溜めるタイプですよ、あの人。溜めて溜めてドカーンと」
「爆発しちゃうタイプだ」
そう言って互いに顔を見合わせ笑う。最初の印象よりも、かなり話しやすい子だなと思った。
面倒臭がりに見えて、なかなか人をよく見ているし話す印象もシッカリしているように思う。
意外に自分が先ほどアスマに言った事が当たるかも、なんて事を思いながら、本日何度目か分からない欠伸をするシカマルを眺めた。
「そう言えばさん、カカシ先生の幼馴染って本当っスか」
「え?あ…まあ…幼馴染というか…知り合いというか…」
「ただの知り合いに自分の部屋なんか貸さないっスよ」
シカマルに笑われ、応えることも出来ないまま、も曖昧な笑みを返した。
「カカシ先生ってどんな人っスか?俺、噂しか聞いた事なくて。いつも飄々としてるから何考えてんのか分からないっつーか」
「…私にもそうだよ?昔から知ってるけど…私も彼が何を考えてるのかまでは分からないし…」
「へえ、そうなんスか?元カノが嫌味を言いに来るくらい、カカシ先生とは仲がいいのかと思ったんスけど」
「あ…あれはただの誤解で―――」
「――――!」
そう言い澱んだ時だった。シカマルの表情が一瞬で変わり、素早い動きでを抱えて後ろへと飛びのいた。
何が起きたのかを考える暇もなく、声を上げる暇もない。
ただ達が今までいた場所には沢山のクナイが刺さっていて。
それを見た時、あの夜の恐怖が足元から這い上がってきた。
「―――やっと上忍の護衛がいなくなってチャンスかと思えば…」
暗闇から聞こえてきた声にはドキリとした。
全身に走る緊張感。この声、は―――。
「ガキかと思えば、なかなか鋭い」
「…誰だ!」
シカマルはを背後に押しやりながら、暗闇へと叫ぶ。
そこへ音もなく現れたのは、が想像していた通りの人物だった。
口元を布で覆い、額には、あの音忍の額あて―――。
「…あなた…あの時の…?」
「覚えててくれたとは光栄だね。お嬢さん」
男が一歩近づく。
同時にシカマルくんは数歩、後ろへと下がり、をかばうように前へ立ち塞がった。
「…アンタ…前に偵察に来たっていう音忍か…?」
「フン…お前はどう見ても下忍だな。そこの女を護衛するよう言われたのか?」
「チッ…。一度ならず二度も木の葉に何の用だよ」
「お前には関係ない。大人しくそこの女をこっちに渡すんだな」
「何…っ?」
その言葉には思わず息を呑んだ。この男は自分を狙っている。でも、何故―――。
「…彼女に何の用だ」
「ガキには関係のない事だ。いいから渡せ」
「そう言われて、ハイそうですかって渡すと思うのか?」
そう言った瞬間、シカマルは印を結んだ。が、数秒早く、相手の男が視界から消えた。
「ちぃっ!―――さん、俺から離れちゃダメっスよ!」
「…う、うん…」
は何とか頷くと強張った足で僅かに後ずさる。
あの男が何故自分を狙っているのか、と考えるだけでも体が震えた。
でも目の前で守ってくれているシカマルは、忍とはいえよりも遥かに年下だ。
彼まで巻き込んでしまった以上、足手まといにだけはなるまい、という思いから、は何とか気持ちを奮い立たせた。
その時、僅かに空気が動き、ハッと空を見上げた瞬間、シカマルがを後ろへ押しやり、自分は真横へと飛んだ。
「フン…逃げるのだけは上手いな…」
空を切った男の右腕が異様に膨らんでいる。
背後にあった塀を見れば、細かく切り刻まれていて、シカマルがいなければも粉々になっていたかもしれない。
「筋肉を伸縮自在に操って空気圧での攻撃…。いや空気すら切る…ってとこか?」
「ほう。本当に鋭いな、ガキ。今は手を抜いたが、その通り、逃げても範囲内であれば、その肉体はバラバラになるぞ」
そう言いながら歩いてくる男の腕は、更に膨れ上がり、筋肉が異常なほど盛り上がっている。
あれを揮われたら、例え逃げてもその圧だけで体が切り刻まれてしまうだろう。
「…さあ次は手加減なしだ。バラバラが嫌なら女を渡せ」
「冗談じゃねえ…。彼女の事はアスマ先生とカカシ先生に頼まれてんだ…誰が渡すかよ」
「シカマルくん…」
さっきとは全く違う、真剣な顔。シカマルは本気で自分を守ろうとしてくれている。
よりも全然若いのに、その姿は忍そのものだった。
(…彼を…こんなところで…私なんかのために死なせたらダメだ)
ジリジリと足を進め、距離をとろうとするシカマルめがけ、男が近づき腕を振り上げる。
そして素早く空中へと飛び上がった。
「粉々になれぇガキィ!!」
「…逃げて、シカマルくん!」
その瞬間、は思わず走り出していた。
「―――ッ?!」
大きな腕がまさに振り下ろされようとしていた次の瞬間、男の表情が驚愕するものへと変わったのを見て、は息を呑んだ。
「…ふう…"影真似の術"、成功…」
いつの間にか印を結んでいたシカマルを見て、は目を見開いた。
目の前にいる男は、着地した後ピクリともせず、腕を振り上げたまま固まっている。
「…くっ!体が動かない…!!」
男がそう呟くのを聞いて、いったい何が起きたのかとシカマルを見れば、彼は苦笑交じりで息をついた。
「無理に動かそうとしても無駄だぜ、オッサン。これはウチに伝わる影真似の術ってやつだ。俺の意志でしか動かねえよ」
「な、何だと…?」
「シカマルくん、それ…」
彼の足元を見て孫は驚いた。
街灯の明かりで出来た影が伸びて、目の前の男のものと繋がっている。
「…街灯の下に来させりゃこっちのもんだぜ…」
「…チッ、お前わざと俺を煽って攻撃させたな…」
「アンタの技は多少距離があっても届くからな…。少しでも俺の方へ来させた方が簡単なんだよ」
「…ガキだと思って侮った。下忍にしちゃやるな…」
「フン…そんな事よりアンタ、彼女に何の用だよ」
「…………」
「簡単にゃ話さない、か。まあいいさ。俺の仕事はここまでだ。後は上忍にアンタ引き渡して終わりだよ」
シカマルはそう言うと、の方へ振り返った。
「さん、悪りぃけどアスマ先生呼んで来てくれますか。たぶん紅先生のとこに戻ってるはずだから」
「…わ、分かった。でもシカマルくん一人で大丈夫?」
「俺はこのまま、コイツを拘束しときます。―――でも長い時間は無理っスから」
男に聞こえないよう小声でそう言うシカマルの顔は少し辛そうに見えた。
この術は多少負担がかかるらしい。なら急がないとならない。
「待ってて。すぐ連れて来るから」
「頼みます」
シカマルの言葉を背中越しに聞きながら、はすぐに走り出した。
多分あの術はあと数分くらいしかもたないのだろう。
ならば術が切れる前にアスマを呼んでこないとシカマルが危険だ。
(私のせいだ…。こんな事に巻き込んでしまって…)
よく分からないが、あの男が狙っているのは自分だ。
は泣きそうになるのを堪えながら、強く唇を噛んだ。
(こんな時、カカシさんがいてくれたら…)
そんな弱い心が溢れそうになった、その時―――ドォォンっという凄まじい音が辺りに響いた。
「――――ッ?」
その爆音を聞いて弾かれたように振り返る。
「…シカマルくん!」
頭の中が真っ白になった瞬間、はもと来た道を引き返していた。
忍でもない自分が戻ったところで何が出来るわけでもない。そう分かっていても、ただ必死に走る。
一瞬だけ、カカシの顔が脳裏を過ぎった―――。

真夜中、ふと目が覚めたカカシは、ゆっくりと起き上がった。
鬼人・再不斬との戦いで消耗した体力、チャクラともに戻ってきたようで、今朝よりも体が軽く、神経も研ぎ澄まされている。
だからなのか、目が覚めた瞬間の嫌な感覚が気になり、カカシは窓の外へと目を向けた。
今夜は星一つ見えない。
(まさか…彼女に何か…?)
ふとの顔が過ぎり、心がざわつく。
だがアスマや紅といった上忍に彼女を任せてきたのだ。
よほどの事がない限りは大丈夫だろう、と、その不安を打ち消した。
再不斬の件で思った以上に時間がかかってしまったが全て解決した。
明日にも波の国を出発し、木の葉へと帰る予定だった。
(俺が戻るまで…何事も起きなければいいが…)
なかなか消えてくれない、かすかな不安を振り払うように、カカシは暗い夜空を見上げた。
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本日、ブリーチ&リボーンの新刊を買ってきました。
どっちとも最近は見てないので久々に堪能しようかな。