
ポカポカとした春の陽気の中、は街へ買い出しに出ていた。
お茶屋で出す甘味の材料を買ってきてくれと主である源に頼まれたからだ。
少し前までは肌寒い日が多かったものの、だいぶ気温が上がって来たせいで街中は人で溢れかえっていた。
色々な店が立ち並ぶメイン通りでは左右から呼び込みの声が響いて来る。
今日も賑やかだな、と思いながらは人混みをかき分け、いくつか店をまわると目当ての材料を全て買い揃えた。
「買い忘れたものは…ないよね」
メモを見て買った品物をチェックしながら、店へ戻る前に少し休憩していこうと脇道へ入り裏通りを歩いて行く。
この裏通りにもメイン通りほどではないが色んな店があり、中にはが働いているようなお茶屋が数件ある。
こちらはメインより人も少なく、いつ行っても座れる店が多いのも裏通りの良いところだ。
その中のお目当てのお茶屋は洋菓子が置いてあり、はそれが気に入っている。
和菓子がメインの自分の店では食べられないものだからかもしれない。
買い出しに来た時はだいたいその店へ寄っていくのがルーティーンになっていた。
「今日は何にしようかな。この前はイチゴのケーキだったから今日は栗にしようかなぁ」
買い出しで疲れている時は甘い物が一番、と思いながら、いつもの道を歩いて行く。
その時、目の前を見た事のある銀髪が横切った事に気づき、は足を止めた。
「今の…カカシさん?」
そう気づいた時には足が勝手に動いていた。カカシが向かった方向へひたすら歩いていく。
追いかけたところでどうするというのは考えていなかった。
どうせまた話しかけても素っ気なく返されるのがオチだ。
でもはカカシを見かけると声をかけずにはいられないのだ。
素っ気ないけど、他愛もないの話に、カカシは黙って耳を傾けてくれるから。
それだけでは満足だった。
(そう言えば最近は顔を合わせてなかった…元気かな、カカシさん…)
の知る限り、見かけるたびカカシはいつも一人でいる。
その顔は決まって、どこか寂しそうな顔だった。
なのに忍び仲間とはつるまず、むしろ仲間ですら自分に近寄らせようとはしていないように見えた。
いつだったか眉の太い忍びの子がやたらとカカシに絡んでいたのをも見かけた事があったが、対応は冷たいものだった気がする。
忍び仲間にでさえ、あんな態度なのだから忍びでもない自分に素っ気ないのは当たり前なのかもしれない。
でもいつかまた、最初に会った時のように僅かでも笑顔を見せてくれたら。
そんな期待をしながらはカカシに声をかけるのだ。
「…あ…いた」
カカシを追いかけ、角を曲がったところで細い路地を歩く見知った背中を見つけて、は笑顔になった。
自然と足も速くなり、気づけば走っていた。
そしてもう少しでカカシの肩をポンと叩けそうなほどの距離まで近づいた時、前を歩くカカシが不意に振り向いた。
「―――ッ?」
振り向いた人物はカカシであってカカシじゃなかった。
見慣れないものを見たはビクリと首を窄めて、伸ばした手を引っ込める。
「……?」
くぐもった声が自分の名を呼ぶ。その声は間違いなくカカシのもの。
でも顔は不気味な動物の面で隠れている。
カカシはに気づいてすぐ、それを外した。
(ああ…カカシさんだ…)
いつもの額当てと口布で顔の殆どを覆っているの知った顔が現れ、ホっと安堵の息を漏らす。
「こ、こんにちは…」
「………」
いつもならここでぶっきらぼうに「ああ」くらいは返してくれるカカシが、今日はどこか気まずそうな顔をしてそっぽを向いている。
その拒否とも取れる態度に一瞬ひるみそうになったが、はいつものように笑顔でカカシに話しかけた。
「カカシさん、何してるんですか?任務中?」
「……いや」
「あ、任務帰りにお茶屋に来たとか」
「………」
カカシは何も応えない。は少し寂しくなって僅かに俯き、手をぎゅっと握り締めた。
「カカシさん…暗部に入ったんですね」
カカシが付けていた面。それは暗部の証でもある。
暗部は火影直属の暗殺精鋭部隊であり、忍びの世界でエリートと呼ばれているのはでも知っていた。
その暗部に若干13歳のカカシが選ばれたのは凄い事だ。
ただ暗殺部隊と言われるだけに、極秘の任務が多い。だから最近みかけなくなったんだ、とは気づく。
「あ、あの…おめでとう…御座います」
「……別にめでたくなんかない」
「で、でも凄いです。カカシさんの歳で暗部なんて―――」
「やめろ」
「…え?」
「もう前とは違う。―――俺に近づくな」
「え、カカシさ―――」
再び面をつけたカカシは素早い動きで建物の上へと移動し、去っていく。
その後ろ姿を追いかけながら、は何度もカカシの名を呼んだ。
行かないで、カカシさん―――!
必死に手を伸ばした。
だが、カカシが振り返る事は、なかった。

「……待っ…て、カカシ…さ…ん―――」
どんどん遠ざかる背中に必死で手を伸ばす。行かないで、と叫んだ、つもりだった。
その時、伸ばした指先にふわりと温もりを感じて、は安堵したかのように微笑むと、ゆっくり目を開けた。
最初に視界に入ったのは白い天井、そして遠くで聞こえる人の行きかうざわざわとした音。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
必死でカカシを追いかけてたはずなのに、とぼやけた頭を動かし、ふと右へ顔を向ける。
するとそこには今まさに追いかけていたはずの、大好きだった人の姿があった。
「…っ?」
「……っカカシ…さ…ん?」
目が合うとカカシは酷く狼狽したように座っていた椅子から僅かに腰を上げ、の顔を覗き込む。
彼の手に自分の手が握られている、と気づいた時、は驚きで目を何度か瞬かせた。
目の前で安堵の表情を浮かべているカカシは、が追いかけていたあの頃のカカシではない。
大人になった26歳のはたけカカシだった。
「…な…んで……ここは…」
少し混乱していた。夢と現実の区別がつかない。
(さっきのは…昔の…夢…?夢にしては何てリアルな…それに本物のカカシさんまでいるなんて…)
何故カカシが傍にいて自分の手を握り締めているのか、には分からなかった。
これも夢の続きなんだろうか、と思いながら目の前のカカシを見上げる。
「本…物…?夢にしたら…すごくリアル…」
握られた手から伝わるカカシの手の熱さに、はふと笑みを零した。
カカシは握った手に少しだけ力を籠めると「夢じゃないよ」と苦笑いを浮かべて、もう片方の手で優しくの頬を撫でる。
その感触に、が小さく息を呑み、驚いたようにカカシを見上げた。
少しずつ頭がハッキリして来たようだ。
「な…何で…」
「…ここは病院。君は…音の忍びに襲われ怪我をした。一週間も意識がなかったんだ」
「……音の…忍び?」
カカシの説明を聞いて、ゆっくりと記憶を辿っていく。
夜、食堂、仕事、アスマさん、シカマル―――。
一番新しい記憶なのか、頭がハッキリしてくると一つずつ思い出していく。
そして最後に襲われた時の光景が突然脳内に映し出された。
「……シカマルくん!」
シカマルが血まみれで倒れていた姿を思い出し、体を起こそうとした。
だがそれを見たカカシが慌てて静止する。
「動いちゃダ~メ。傷口は塞がってるけど起きたばかりなんだから…」
「カカシさん…シカマルくんは?!無事なの…?!」
寝かせようとするカカシにしがみついて、は涙目になりながら必死に尋ねる。
カカシはふと笑みを零すと動揺しているを腕の中に収めて、そっと抱きしめた。
「カカシさ…ん?」
「だいじょーぶ。シカマルも無事だ。傷は深かったけどアイツはすぐに医療忍者の治療を受けられたからね」
混乱しているを落ち着かせるように背中をポンポンと叩きながら、カカシは簡潔に説明する。
はシカマルが無事と聞いてホっとしたようだった。
すると今度はこの状況が理解できないのか、カカシの腕の中でモゾモゾと体を動かしている。
「あ、あの…何でカカシさんが…いるの…?」
「…何でって…心配だからに決まってるデショ」
「で、でも任務は…?」
「ちゃんと行きましたよ?で、終わってソッコーで来たの。ここんとこずっとそんな感じ」
「ず…ずっと…っ?」
驚いた声を上げると、不意に体が離れた。
ゆっくり視線を上げれば、そこには優しい眼差しを向けるカカシの右目と目が合う。
「だってがいつ目を覚ますか分からないデショ?」
カカシはさらりとそんな台詞を吐き、ニッコリ微笑んだ。
よくよく室内を見渡せば、の腕には点滴用の針が刺さっている。
そして何故自分が病院で寝かされているのかという事も少しずつ思い出して来た。
音忍の男に襲われ、あの洞窟へさらわれた事も、カカシの足手まといになりたくなくて自ら命を投げ出した事も、は思い出した。
「私…助かったんだ…」
胸の辺りに手を当て、ポツリと呟く。
するとカカシが「…」と静かに名前を呼んだ。ふと顔を上げるとパチンという軽い衝撃が頬に走る。
何度か瞬きをしてじんわりと熱くなった頬を手で触れた時、やっとそこで叩かれたのだと理解した。
カカシは今まで見せていた優しい顔ではなく、真剣でいて少し怒ったような顔でを見ている。
「俺の為だったって分かってる。だけど二度とあんなマネはしちゃダメだ」
「…カカシさん」
こんな風にカカシから真剣に叱られたのは初めてだった。
でもカカシが怒るのは当然だと思った。
もし自分がカカシの立場だったなら、きっと同じ事をする。同じように怒ると思う。
でもあの時は冷静に考えられなかった。
そして自身、生きる事にそれほど執着もしていなかったのだ。
きっとカカシはその事を怒っている。気づいているのだ、とは思った。
「…ごめんなさい」
目を伏せ、小さな声で謝るに、カカシはふっと笑みを浮かべた。
そして叩いた頬へそっと手を伸ばす。
「俺もごめん。乱暴な事して…」
「……」
俯いたままは何度も左右に首を振った。
こんな風に、真剣に自分の事を叱ってくれる人など、もういないと思っていた。
人の温かみを久しぶりに思い出す。
「には俺がいるデショ」
「……え?」
「一人で逝こうとするなよ…」
カカシは泣きそうな顔で微笑むと、をもう一度、今度は強く抱きしめた。
抱きしめられながら、は心の中で勝手な人だ、と思った。
あの時、冷たく私を突き放したのはカカシさんの方じゃないか、と。
なのに、嫌いになれなかった。
どんなに冷たくされても、突き放されても、本当は忘れる事など出来なくて。
隣で綺麗な人が笑っていても、目をそらされても、寂しさに溺れそうになっても、
貴方をいつも見ていた―――。
だからこそ、急に近づかれて戸惑った。
どこまで本心なのか分からなくて。
もう期待したくないと思った。
あんな寂しさなど二度と味わいたくなかった。
だから、この世から消えたい、と一瞬だけそう思った。
幸せの次に不幸が来るのなら、その幸せさえいらないと思ってしまった。
何度も傷つけられるのは、もうたくさんだと…全て捨てたくなった。
でも本当は、傍にいさせて欲しかった。
幼馴染じゃなくていい。
従業員と常連さま。
そんな小さな繋がりでもいいから。
貴方が居てくれるなら、他の事なんて
どうなったって良かったのに。
どうなったって良かったのに。
他は器用なのに恋愛に不器用な人って意外と好きです。