が意識を取り戻してから、病室には絶え間なく見舞客が訪れていた。
親代わりであるお茶屋の源はもちろんのこと。
常連客のイズモやコテツ、ゲンマやライドウ、紅とアスマなどが入れ代わり立ち代わりで毎日のように顔を見せる。
そしてシカマルが顔を見せた時はもやっと安心したような笑みを浮かべた。

「何だ、元気そーじゃん」
「シカマルくんこそ…ほんと良かった」

ベッド脇の椅子へ腰をかけるシカマルを見て、はホっと息をついた。
あの夜、を守る為に必死で戦ってくれたシカマルには感謝しかない。
より一足先に退院したシカマルは、今日久しぶりの任務を終わらせてから来てくれたらしい。

「ほんとは動けるようになったから退院する前にも何度かさんの見舞いに来たんだけどさ」
「…え?」

苦笑いを浮かべながらガシガシと頭をかくシカマルの言葉に、は首を傾げた。
ここ最近は色んな人が見舞いに来てくれるが、その中にシカマルの姿はなかったからだ。
シカマルはの考えてる事を察したのか「いや、まあ、声かけるのは遠慮したっつーか」と肩を竦めた。

「え、どうして?」
「俺が来るたびカカシ先生がいたから?」
「………」

ニヤリと笑うシカマルに、の頬がかすかに赤くなる。
その表情を見る限り、もカカシの事を少なからず想っているように見えた。

(まあ…カカシ先生の不利にならないよう、あんな事までしたんだ。そりゃそうか…。もっと素直になりゃいーのに大人ってホントめんどくせぇ)

と、内心シカマルは苦笑した。
シカマルも意識を取り戻した後、歩けるようになる為のリハビリを毎日やっていた。
元々忍びになる為に修行していた身、一週間もするとだいぶ体力や筋力も戻り、車いすからも解放されたシカマルは一番にの元へやって来た。
守り切れなかったことを謝る為に。自らの命を投げ出したの事も心配だった。
だがドアをノックしようとした時、不意に病室の中から何かを叩く音とカカシの声がしてその手を止めた。

「俺の為だったって分かってる。だけど二度とあんなマネはしちゃダメだ」
には俺がいるデショ」

そのような台詞が漏れ聞こえて、さすがにシカマルもノックをするのを躊躇した。
これは完全に口説きモードかもしれない、と気を遣ったのだ。
まだガキと呼ばれる年頃のシカマルでも、それくらいの空気は読める。
シカマルの身近には同僚と恋愛中の大人、アスマがいるわけで。
時々自分達の目を盗んでこっそりと恋人に電話をしながら甘い言葉を吐いているのは何度か聞いた事もある。
だから恋愛に疎いシカマルでも男女の"そういった空気"には敏感になっていた。
ここは日を改めようと、その日は見舞いを断念した。
だが次の日も、また次の日も、シカマルがの病室へ行くたび、カカシが見舞いに来ている。
そして多分、教え子の前では決して見せないような優しさをに与えているのがドア越しでも伝わって来るのだ。

、リンゴとメロンどっちが食べたい?」

「今日は天気がいいから散歩に行こうか。―――はーい、つかまってー♡」

「あーダメでショ!無理に起き上がったら…。俺が取ってあげるから」

等々、カカシは甲斐甲斐しくの世話をしていて。
でもそのたび「自分で出来るってば」とに突き放されている。
まあ、それでもカカシは懲りないのだが、シカマルはエリートと呼ばれている上忍でも、好きな女の前だとこうなるのか、と複雑な思いで毎回病室を後にしていた。
その時はシカマルもてっきりカカシの片思いでにその気はないんだろう、と思っていたが、なかなかどうして。
今、目の前で頬を赤らめ、照れ臭そうに視線を反らしているを見ている限り、彼女もカカシにまんざらでもない様子だ。
二人の関係はよく知らないが、男女が両想いならアスマと紅先生みたいに恋人同士になるのが普通だと思っていた。
それとも好きだという想いを隠さなきゃいけないような複雑な問題が二人の間にあるんだろうか。

「そういや…今日は珍しくカカシ先生来てねーな」
「い、いつもいつも来てるわけじゃないってば…」
「いや来てるだろ。いつ来てもいるから俺はてっきりカカシ先生がここに住み込んでんのかって思ったくらいだし」
「ま、まさか…」

シカマルに笑われ、は更に頬を赤くしながら否定する。
だがその時、背後から「誰が住みこんでるって?」という冷ややかな声が聞こえて、シカマルは一瞬心臓が飛び出しかけたくらいに驚いた。

「カ、カカシ先生…っ?」
「カカシさん…?」

振り向けばドアは開いていて、そこに苦笑いを浮かべたカカシが寄り掛かるようにして立っている。
その様子だと少し前からそこにいたらしい。さすが上忍。全く気配がしなかった。

「今日は遅かったんスね。任務に手間取ったんですか?」

シカマルも苦笑交じりで尋ねると、カカシは盛大な溜息をついた。

「いや、それはすぐに終わったんだけど…ナルトのヤツがね…」
「ナルト?」
のお見舞いに俺も連れてけってしつこく追いかけて来るからまくのに手間取っちゃって」

ニッコリ微笑み、何気に酷いことを言うカカシに、とシカマルは互いに顔を見合わせた。

「ま…まいて来たって…どうして?」
「え、だって邪魔だし、アイツうるさいの知ってるデショ?も」
「そ、そりゃ大人しい子ではないけど、せっかくお見舞いに来てくれるなら―――」
「とか何とか言ってー。俺と二人きりになるより間にナルトがいた方がいいって思ってない?」
「…う…そ、そんな事は別に…」

目の前に歩いて来て目を細めながら見下ろしてくるカカシの鋭い突っ込みに、は言葉を詰まらせた。
シカマルの目から見ても図星といった顔なのだから、カカシにもバレバレだろう。

(ったく…素直じゃねーな)

照れ臭そうに布団へ潜ってしまったに困ったような笑みを浮かべるカカシを見て、シカマルは笑いを噛み殺した。
邪魔者は退散しますか、と、ここは気を利かせて帰る事にしたシカマルは椅子から立ち上がった。

「カカシ先生、さん。んじゃ俺はそろそろ帰ります」
「…え、もう?」

布団に潜っていたが慌てたように顔を出す。
シカマルが帰ってしまえばカカシと二人きりになってしまうとでも言いたそうだ。
シカマルは二人がどういった関係なのか詳しい事は何も知らない。
ただ最初にが音忍の侵入を受けて襲われそうになったのを、カカシが助け、そして自分の部屋を貸しているとしか聞いていない。
けど上忍の、それも暗部まで務めた木の葉のエリート忍者が、忍びでもない彼女を職権乱用とからかわれてもアスマに護衛を頼んだり、そこまでして守ろうとしているのは、きっとそういう事なんだろうと勝手に想像しているだけだ。
そしてそこまで守られているもきっと憎からずカカシの事を想っている。
素直にさえなれば答えはシンプルなはずなのに、大人はほんとめんどくせえ、とシカマルは思う。

(ま…素直になれない色んな事が、もしかしたら二人の間にあったのかもしれねえけどな…)

ガキの俺にはまだまだそんな男女の機微きびなど分かるはずもない、という結論に達した事でシカマルは己を納得させた。

さんも近々退院でしょ?それまでカカシ先生をコキ使っちゃえばいいんですよ」
「そ…そんなわけには―――」
「シカマルも言うねェ。上忍の俺を相手に。ま!にコキ使われるなら光栄ですヨ♡」
「カ、カカシさん…っ」

ニコニコしながら言ってのけるカカシに、の頬が赤く染まる。
そんな二人のやり取りを見ながら、シカマルは病室を後にした。

「ふあぁぁ…」

いつものように欠伸をしながら、のんびりした足取りで家路につく。
だが少し行ったところで、前から聞き覚えのある賑やかな声が聞こえて来て、ふと足を止めた。

「もぉぉ!カカシ先生どこ行ったってばよ!すっかり見失っちゃったじゃんかー!」

カカシが先ほどまいて来たと言っていたナルトが、辺りをキョロキョロしながら走り回っている。
そしてシカマルを見つけると猛然とダッシュで近づいて来た。

「オマエ、シカマルだっけ?あのさ、あのさ!カカシ先生見かけなかった?!額当てでこう左目隠してて口元も殆ど布で隠してる―――」
「…見てねぇけど」

相変わらずドタバタとうるさい男だと思いながら、シカマルはシレっと応える。
今、ナルトがのところへ行ってしまえば、二人の邪魔になるのは間違いない。
ナルトはシカマルの言葉を信じたのか「そっかあ…」と落胆した顔で、今度は「じゃあさ、じゃあさ!この辺に病院あんだろ?」と場所について訊いて来た。

「そこに知り合いの姉ちゃんが入院してるんだってばよ!俺、お見舞い行きたいのに置いてかれてさ!シカマル、場所知らねえ?」
「あー…」

ガシガシと頭をかきつつ、シカマルは「あっちに真っすぐ」と病院とは反対側を指さした。
それもすぐに信じたナルトは「おぉ!助かった!サンキューな!」と笑顔で手を振り、素直に教えて貰った方向へと走っていく。
あんなに嬉しそうな顔をされると、あまり物事に頓着しないシカマルも多少の罪悪感を覚えた。

「てか、仮にも忍びやってるヤツが、良く知らない俺のこと信用しすぎだろ。大丈夫か?アイツ」

と、溜息交じりで真っすぐ走っていくナルトの後ろ姿を見送る。
多分、近々中忍試験が始まるだろうが、真っ先に脱落しそうだ。

「試験かあ…めんどくせぇ…」

余計な事を思い出しちまった、と項垂れつつ、シカマルは今度こそ家路へとついた。








シカマルが帰った途端、急に病室が静かになった気がした。
決してシカマルが賑やかというわけではなく、むしろ静かな方なのだが、たった一人いなくなっただけで、こうも空気が変わるのか、とは少々気まずい気持ちになりながら廊下の方へ視線を向ける。
カカシは花瓶の水を変えて来ると言って先ほど病室を出て行ったままだ。

(いいのかな、ほんと…忙しいはずなのにカカシさんに甘えてばかりで)

先ほどシカマルに言われた通り、カカシは任務のない時や終わった後は必ずここへ来てくれる。
そして何だかんだ楽しそうに世話をして帰っていくのだ。
もう一人で出来ると言っても「俺が世話したいんだよ」とが照れるような事をサラリと言う。
が一度は自らの手で死を選んだ事がよほど懲りたのか、心配そうな顔をする事も増えた。

(あまり優しくされると…前みたいに戻れなくなりそうで怖い…)

せっかく長い年月をかけて、出会った頃よりも酷く他人行儀になったカカシとの距離に慣れて来たはずなのに。
今頃になってその距離が一気に近づいた気がして落ち着かない。
何とか割り切って、カカシとの接し方も自然と変わっていけたはずなのに、また近づいて来るからどういう顔をしていいのか分からないのだ。

「ねー。ちょっと屋上行かない?夕日がめちゃくちゃ綺麗だよ」

そこへカカシが戻って来ると、花瓶を窓際に置いてカーテンを開けた。

「うわ…凄いオレンジ…」

窓から見える眩しいほどの夕日に、は僅かに目を細めた。

「ね?屋上の方がよく見えるから行こう」
「え?ちょ、カカシさん?」

不意に布団をまくられたかと思えば、カカシは軽々との体を抱き上げ、車いすへと座らせた。

「自分で乗れるのに…」
「いいから、いいから。俺がいない時にリハビリ頑張ってるんだから俺がいる時は甘えてよ」
「……これ以上、甘えるわけには―――」
「さぁー出発!」

カカシはの言葉を遮るように言うと、車いすを押して病院のエレベーターへ向かった。
そこで最上階のボタンを押すと、の足元にブランケットをかけてくれる。
もうすぐ七月になるが、まだ夕方は少し風が冷たいからなのか、気を遣ってくれたようだ。

「あ…ありがとう」
「どういたしまして」

素直にお礼を言えば、カカシも嬉しそうに微笑む。
こんな空気はやはり慣れなくて、はまた少し落ちつかない気持ちになってきた。
エレベーターが静かに上がっていき、屋上に到着すると、カカシは再び車いすを押していく。
外へ出るとやはり冷えた風が頬を撫でていく感触に、は思い切り深呼吸をした。
一日病室にいると、外の空気が新鮮に感じる。

「はぁ…気持ちいい…」
「でしょ。ずっとベッドの上とリハビリテーションセンターの往復だけじゃ体に悪い」

カカシは車いすを屋上の柵前に押していき、ストッパーをオンにして固定してから手を離した。

「ほら、ここからなら良く見える」
「…うん」

カカシは柵に手を置いて目の前に広がる夕焼けを眩しそうに眺めた。
も空一面をオレンジに染め上げている幻想的な夕焼けを見つめながら、ふと隣に立つカカシを見上げる。
こんな風にゆっくりとした時間の中、横に並ぶのは初めてだった。
子供の頃はいつもカカシの背中を追いかけていたけど、少しずつ関係性が変わって行って、大人になってからは遠いと思っていたカカシが、今はこんなにも近いところにいる。
それが嬉しいと言えるほど、素直じゃなくなってしまった今の自分が、少しだけ寂しく感じた。

「懐かしいな。とこうして夕焼け見るのは」
「…え?」

不意にカカシが何かを思い出したように呟いた。
真っすぐ夕焼けを見つめたまま「覚えてない?」とに問いかける。
そう言われて、はもう一度空一面のオレンジを見上げた。

(懐かしい…?カカシさんと…夕焼けを見た事が前にもあるってこと…?)

過去の記憶の引き出しを開けながら、暫し考える。
カカシとこんな風に二人で過ごした時間など、本当に数えるくらいしかないはずだ。
順番に一つ一つ思い出していくと、それは楽しい思い出の最後の方にしまってあった。

「あ…」
「思い出した?」

カカシが嬉しそうな笑顔で振り返る。
その柔らかい笑みを、は記憶の箱の奥の奥へと隠した事を思い出す。
あの頃は、その笑顔さえ思い出すのがツラかったから。

あれはカカシが暗部に入る少し前。
夕方、仕事終わりにはカカシに夕飯の差し入れを持って彼の家に行った事がある。
両親のいなくなった家で、カカシが一人暮らしをしているのは知っていたからだ。
前に自炊していると話していたのは覚えていたが、任務や修行で疲れた後で作るのも大変だろうと思ったは、少しでもカカシの助けになりたくて、思いつきでした事だ。
でも家にカカシは帰っておらず、は仕方なく家路につこうとした。
でも帰りがけ、もしかして、と近くの空き地を覗いてみたら、そこで一人、体術の訓練をしているカカシを見つけた。

「カカシさん、差し入れ持ってきたの」

そう声をかけたを見て、カカシは少し驚いたような顔をしていたのも覚えている。
いつもは素っ気ないカカシが、その時はが作ったおにぎりや卵焼きを美味しそうに食べてくれた事も。
その時、沈み始めていた太陽が空き地をオレンジ色に染めたのだ。
しばし食事の手を止め、視界に広がる夕焼けを二人で見つめてた。

「綺麗…」
「…ああ、綺麗だな」

いつもは素っ気ないカカシが、ふとそう呟いて、そして。
普段は見せないような柔らかい笑みを、ほんの一瞬だけに向けてくれた。
それはの記憶に鮮やかに刻み込まれ、一つの思い出として残されたのだ。
でもこの後すぐだった。カカシが暗部に入り、とのささやかな関係すら断ち切ったのは。
それから約10年以上、はカカシと言葉すら交わさなくなった。
元々隠密性の高い暗部だけに前ほど里の中で見かける事もなくなった。
時々見かけて最初の内は前のように話しかけたりもしていたが、冷たい目で睨まれるだけで応えてくれようともしないカカシに、から声をかける事もなくなった。
その悲しい思い出の方が強くなったからか、一緒に夕焼けを見た記憶は奥のまた奥に封印されたまま。
今日まで思い出す事すらなかった、優しい記憶だった。

「あの時のが作ってくれたご飯、ほんと美味しかった」
「…え?」
「あの頃は…俺も捻くれてて素直に言えなかったけど…本当は凄く嬉しかったんだ」
「カカシさん…?」

ふと顔を上げると、夕日を背に柵へ背中を預けたカカシは、優しい眼差しをに向けていた。
あの頃よりも大人びたその眼差しは、でも初めて見るもので。
封印していた想いが、僅かな隙に溢れ出てしまいそうになるほど、それは優しさに溢れている。

「分かってるんだ、本当はさ」
「…え、」
「俺、ズルいよね。自分から突き放しておいて…もそう思ってるでショ」
「………」

何も言えず、は静かに目を伏せた。
確かに思っている。あれほど冷たく突き放しておいて。長い間、何の音沙汰もなくて。
何故、今頃になって近づいて来るのか。何故、意味深な言葉や態度で心を乱してくるのか。
今更、何だというんだ、と何度も心の中で責めた事もある。

カカシが暗部を離れたと知ったのは、が二十歳の誕生日を迎えて少し経った頃だった。
ふらりとお茶屋へやって来たカカシは、今よりはまだ少し昔の面影を残すくらいには不愛想で。
だんごを勧める源を軽くあしらいつつ、お茶だけを注文しては座敷で寛ぐようになった。
はカカシが顔を見せた事に酷く驚いて、その時は声をかける事すら出来なかったし、またカカシも特に話しかけて来る事もなかった。
でもまた暫く来なくなり、数か月後久しぶりにお茶屋へ顔を見せた時には、その顔に暗部の頃の暗い面影を見せる事はなくなっていた。
きっとその時一緒に連れて来た、昔カカシに絡んでいるのを見かけた事のある眉の太い忍び、マイト・ガイが、カカシの変わるキッカケをくれたんだろうと思った。
あの頃からだ。カカシがその手に愛読書を持って現れるようになったのは。
それから少しずつ、最初は挨拶から。二人は昔のように言葉を交わすようになって言った。
でもにとったら、カカシの行動は戸惑いでしかなく。
勝手に突き放したクセに、何故また近づいて来るのか、と思わせるに十分な行動だったのだ。

「その理由を…これから時間をかけてに話していきたいと思ってるんだけど…ダメかな」
「…理由?」
も知っての通り、出会った頃の俺は仲間を次々に失って、自暴自棄になりかけてた」
「……」
「あの時、ああしていれば良かった、こうしていれば助けられたんじゃないかってウジウジ悩んでるような暗いガキでさ。ハッキリ言って今でも思い出したくない過去の一つなんだ」

ゆっくりと思い出すように、一言一言、噛み締めるようなカカシの静かな声が、心地よくの耳に届く。
それは初めて聞く、カカシの本心だった。
が一度も見せて貰えなかった、一番見せて欲しかったものだ。

「でもそんな暗い過去の自分の傍には気づけばが寄り添ってくれてた」
「…え、私…?」
「そ。あんな俺を慕って、いつも明るい笑顔を見せてくれてたでショ。あの笑顔にどれだけ癒されてたか…」
「嘘…いつも迷惑そうだったよ、カカシさんは…」
「だーから、言ったでショ?素直じゃなかっただーけ」

カカシは苦笑しながらも言葉を続けた。

「あの頃はホント病んでたっていうか…後悔ばかりでさ。仲間の声も届かないくらい。そんな俺を見かねて恩師でもある四代目が暗部にって声をかけてくれたんだ」
「…四代目が?」

波風ミナト―――。
"木ノ葉の黄色い閃光"の異名を持つ天才忍者で、四代目火影まで務めたほどの忍び。
そのミナトがカカシの担当上忍だった事はも知っている。

「四代目は俺に大事な事を気づかせようと暗部に呼んでくれたんだろうけど、当時の俺はそんな気持ちに気付けないほど闇に落ちててね…。酷い戦い方をしてた時期もある」

カカシは過去の自分を戒めるかのように深い息を吐いた。
思い出したくない過去、と言っていたが、確かに話すだけで辛そうに見える。

「だから、さ」
「え?」
「だからの傍から離れようと思った」
「…な…何で…」
「俺なんかがの優しさに甘えて傍にいれば…きっと君を悲しませるだけだと思ったから」

ふとカカシは真剣な目でを見つめた。
悲しませるだなんて、何故そんな事を思うんだろう、と胸の奥に隠した思いが、疑問を投げかける。
その答えを、カカシは静かに話し始めた。

「あの頃のは忍びだった両親を失って悲しんでた。そして俺もきっと傍にいれば同じように悲しませる事になると思った。俺も忍びだから。いつ何があるか分からない」

カカシの話を聞いて、少なからずは驚いた。

「…カカシさん…まさか…その事を気にして…?」
「そりゃー気にするでショ。やっと笑顔が戻って来たを、また孤独にするかもしれないと思ったら」
「そ、それって…」
「あの頃の俺はガキで、自分の心の傷を持て余してて、それも大きかった。そんな男が不幸にすると分かってて好きな子の傍にいれるわけないじゃない」

カカシのその言葉を聞いて、は一瞬だけ思考が固まった。
本気で空耳かと思ったくらいに、驚いた。

「…す…き…?」
「え、あれ?もしかして…気づいて…なかった…?」

驚いたような顔で自分を見上げるを見て、カカシはギョっとしたように目を瞬かせた。

「き…気づくわけないじゃない…。だってカカシさんはいつも不愛想で…声をかけても素っ気なくて…」
「…俺は気づいてたよ?の気持ちに」
「………ッ?」

ふっと笑みを零したカカシはの目線までしゃがみ、ゆらゆらと戸惑いで揺れているの瞳を見つめた。

「気づいて…た…?」
「ま、気づくよねェ…。会うたびにあんなに嬉しそうな顔で話しかけてくれるんだから。俺が軽く頭を撫でるだけで真っ赤になっちゃうし、ほんと可愛かったな~♡」
「……ッ!!」

思い出したのか、くつくつと笑うカカシを見て、の頬が一瞬で朱に染まる。
あの頃のカカシはにとって初恋の相手であり、その自分の心に素直に行動してたというのは自覚がある。
確かにカカシが気づくくらい、自分は恋する瞳でカカシを見つめていたんだろう。
改めて昔の自分を思い出すと、は穴があったら入りたいくらいに恥ずかしくなって来た。
それでも、カカシまでが自分の事を好きだと思っていてくれた事は、自分でも驚くほどに嬉しいと思ってしまった。

「ま!だからこそ、あれ以上に近づいたらダメだって思っちゃったんだよ」

ごめーんね、とカカシは悲しそうな表情で、それでも笑顔を見せながらその言葉を言った。
両想いだったのに、カカシが自分から離れるという選択をした理由を知って、は目頭が熱くなった。

(あの冷たい目も、素っ気ない言葉も、全て私を傷つけない為だったの…?でもじゃあどうして今頃―――)

初めてカカシの本音を聞かされ、頑なだった心が癒されて行くのに、ふと小さな疑問が湧いた。

「じゃ…じゃあ何で…また会いに…来てくれたの…?暗部を辞めたから…?」
「それもある。暗部を辞めてすぐは少し引きずってたんだけどね。ま、幸いにも俺の周りには落ち込んでいられないくらい明るいバカがまとわりついてたから」
「…ガイ…先生?」
「ぷ、ははは!それ失礼だよ。バカですぐガイを思い出すなんて」
「だ、だって…!」

不意に爆笑しだしたカカシに、も慌てて首を振る。
ガイはだんご好きらしく、たまにお茶屋に来る客でもあり、も言葉くらいは交わした事があるのだ。
あの一風変わった明るい性格は、見てるだけで飽きない人だと思っていた。

「そのガイのおかげもあってか、仲間の大事さとか改めて思い出して…んで下忍の担当やってる内にもっと大事なものを取り戻したくなった」
「もっと…大事なもの…?」

ふとカカシを見上げれば、ぶつかった視線にドキリと心臓が音を立てる。

「…だよ」
「わた…し…?」
「まあ、これは俺の勝手な想いだから、きっともう嫌われてるだろうなーとビクビクしながらお茶屋に行ったら…案の定、めちゃくちゃ塩対応であの夜、俺は枕を濡らしたね…うん」
「な…だ、だってそれは…っ」

泣き真似をするカカシを見て、の顏が真っ赤になっていく。
でもすぐに笑顔を見せると「分かってるよ。俺が悪いんだってことは」との頭をクシャリと撫でた。

「で…ざっと簡単に今までの事や俺の気持ちは話したけど…他に訊きたい事は?」
「え…あ、あの…」
「ないなら……」
「……?」
「もうキスしていーい?」
「……は?」

ニコニコしながら、とんでもない事を訊いて来るカカシに、の時が一瞬止まる。

「な…何言って…ダ、ダメに決まってるでしょ!」
「えっダメなの?!」

殊の外驚くカカシに、も驚いた。
そこで我に返り、身の危険を感じたは、慌ててカカシから距離を取ろうと車いすのストッパーをオフにした。
だが動く前にカカシが車いすをガシっと掴む。

「ちょ…放して―――」
「え、やだよ」
「や、って言われても…って言うか何で今の流れでOKだと思うのっ?」
「え、だっても俺のこと、まだ好きでいてくれたんでショ?」
「……う…自惚れないでよ…」

カカシの予想は大いに当たっているのだが、素直じゃないは恥ずかしいのもあり、つい今までのような素っ気ない言葉が出てしまう。
こんな性格にした張本人は今、目の前にいる、このエリート忍者なのだ。
それでもカカシは少し不満げな顔で、その唯一見えている右目をすっと細めた。

「自惚れ、か…」
「……ッ(こ、怖い)」
「ま、じゃあ俺が自惚れるくらい勘違いさせたも悪いから責任取ってもらおうかな」
「……な…責任って…何を―――」

と口を開いた瞬間、言葉はカカシの唇に呑み込まれた。それも、布越しで。
驚いての全身が硬直する。
唇からゆっくりと離れたカカシは真っ赤になって固まっているを見て、満足そうに目を細めた。

「今はこれで勘弁してあげようかな」
「な…何する…」
「何ってキス。でも直接触れてないでショ?」

そう言って笑うと、カカシは指での唇をむにゅっと押した。

「だ、だからって…」
「素直じゃないなあ…は。ま、でも俺の自惚れじゃないってハッキリしたら…今度は直にさせてもらうから」
「……ッ」

満面の笑みで言い切ったカカシは耳まで赤くなったをそっと抱き寄せ、耳元で優しく呟いた―――。



長所も短所も全て含んだ貴女を

 全部、全部 愛してる。






本編は完結ですが番外編でたまに書きます。