は何よりもゆく

Act.1



ポーラータンク号船内――。


*-*-*-*-


自分の部屋に戻ってきたわたしは「ローのばかちんっ」と文句を言いつつ、思い切りドアを閉めた。その勢いのままベッドへダイヴして天井を仰ぐ。自分でもあんなことでローに絡んだりして、子供みたいだって自分でも分かってるけど。

「名ばかりの副船長なんて言われなくても分かってるもん…」

そんなボヤキが零れ落ち、ちょっとだけ空しくなった。自分でも分かってることを言われるのは、地味に悲しい。まあ、あんなの今に始まったことじゃないけども。
子供の頃からローはしっかり者で、わたしはダメダメな甘えん坊。あの頃は病弱で畑仕事もあまり手伝えなかった。みんなの役に立ちたいのに、いつもローに「お前は何もすんな」と言われるばかりで、わたしは他人扱いなんだと悲しくなったこともあったっけ。
あの時のことを思い出して、つい笑みが零れた。
あれから13年。何だかんだ色んなことがあったけど、今も海賊として航海していられるのは、やっぱりローのおかげだと思う。

(それに…ミャウゾーもね)

心の中で付け足しながら、真っ白なもふもふを思い出す。それだけであの夜のようにミャウゾーの温もりを感じる気がした。
壁に貼った一枚の写真には、ローとわたしの隣に真っ白な猫が写っている。スワロー島を出る時に撮ったものだ。
きっとあの全ての出逢いがなければ、今のわたしはここにいない。

「元気かなぁ…ミャウゾー。半年前、いきなり会いに来て以来だもんね…」

わたしがロー達と海賊になって海へ出ると決めた時、ミャウゾーは笑顔で見送ってくれた。その後はまた放浪癖が出て、あちこち旅をしてると最後に会った時に教えてくれたっけ。あれから半年。ミャウゾーはどうしてるんだろう。

(会いたいなぁ…)

親に捨てられたわたしを、助けてくれた真っ白な猫に。ミャウゾーはわたしの親も同然だ。猫だけどね。

「ダメだ…もう子供じゃないのにってローに笑われちゃう」

じわり、と浮かんだ涙を慌てて拭う。こうして過去を思い出すたび、胸のどこかが苦しくなって、必ず切なさに襲われるのは、わたしがまだまだ弱いからかな。今はロー達がいるから寂しくなくなったのに。
それでもたまに孤独を感じてしまうのは、決まってローとケンカした時だ。

「う…マズい。"アレ"したくなってきた…」

ベッドの上でお腹を抱えて丸くなる。ローとケンカした後は、必ず起こる発作みたいなもの。でもあんな態度をとった手前、"アレ"をしてくれとは言いにくい。絶対怒ってるだろうし。
仏頂面のローの顔を想像して、がばりとベッドから起き上がった。

「…はぁ…やっぱ薬で我慢しとこ」

溜息を吐きつつ、ベッド脇にあるカラフルなチェストの引き出しへと手を伸ばす。そこには子供の頃から定期的に飲んでる薬が入ってる。一日一錠から二錠を二回に分けて飲まなくちゃいけない。新しい場所に来た高揚感で、すっかり今日の分を飲み忘れてた。子供の頃、一度は良くなったからしばらく飲んでなかったのに、不慣れな航海と栄養の偏りのせいか、ここ最近また少し症状が出てきてしまったから、ローに「ちゃんと飲め」と言われてるのだ。

「あ…でもご飯まだ食べてない」

この薬は副作用が強いから、食後に飲まないと気持ち悪くなってしまう。引き出しを開けたものの、一瞬だけ躊躇う。
その時、静かな部屋に控え目なノック音が響いた。

「べポかな?」

どうせローに言われて様子を見に来たんだろう。

「信用ないなー副船長…」

自嘲気味に言いつつ、ベッドから下りてドアの前に立つ。でも開ける前にドアの向こうから「、起きてるか?」という低音が聞こえてきた。

「え…ロー…?!」

まさかローが来てくれるとは思ってなかった。慌ててドアを開けると、そこには気まずそうに視線を反らしながら立ってるローの姿。その手には可愛らしいラッピングをされた箱を持ってる。

「ど…どうしたの?」
「入るぞ」

わたしの問いかけには答えずに、ローはスタスタと部屋へ入ってくる。そのまま真っすぐベッドへ向かうと、いつものように静かに腰を下ろした。
てっきり文句の一つでも言いに来たのかと思ったけど、特に何も言ってこない。代わりに持っていた箱をわたしの方へ差し出した。

「ん」
「え?」
「やる」

そっぽを向いたまま、手だけをわたしの方へ突き出す。普段以上に言葉足らずで分かりにくいけど、くれると言うのだからもらっておこう。そんなノリで差し出された箱を受けとって、飾りのようについているリボンをほどいていく。この時、中身の正体に気づいた。
蓋を開ける前からカカオの魅惑的な香りが、わたしの鼻を刺激してきたから。

「うわー!可愛い!」

箱の中には高級そうなチョコ。つるりと丸みを帯びた褐色の塊がずらりと並んでいて、わたしの頬が一気に高揚した。ふと、脳裏に過ぎったのは、さっき観光地で見かけたチョコレート専門店の看板だ。綿あめ屋の後に行こうと思ってたのに、その前に見つかったから、すっかり忘れてた。

(もしかして…わざわざ買ってきてくれたの…?)

そう思ったら目の前で未だにそっぽを向いているローに思い切り抱き着いていた。

「ローありがとー!嬉しい!」
「…っうぉ」

その勢いのまま、ふたりして後ろへ倒れ込む。ローは驚いた声を上げて「急に飛び掛かるなっ」と文句を言ってるけど、そんなの気にならないくらいに嬉しかった。

「これ、買ってきてくれたの?」
「…別に。偵察に出たついでに寄っただけ…っつーか、そろそろ避けろ。重てぇ」
「ねえ、食べてもいい?」
「…っ人の話を聞け!」
「ん~!!美味ひ~い!」
「…っ!おいっ」

寝転がったまま…と言うよりはローの上に乗っかったまま、綺麗に象られたチョコを一粒、口へ放り込む。ローが目を吊り上げて怒ってるけど気にしない。香ばしさと共に、最上級の甘味が口内に広がっていく感覚に、わたしはジタバタ身悶えた。

「蕩ける~!」
「おい、…っ人の腹の上で暴れんなっ」
「あ、ローも食べる?」

つかさずローの口元にチョコを一粒持っていけば、「いらねえ」なんて可愛くない言葉が返ってきた。なら全部わたしが食べちゃおう。
ローの硬い胸板を枕代わりにチョコを食べ始めると、頭の上から呆れたような溜息が聞こえてきた。いつものことだし、この際聞こえなかったことにする。ほんとはべポの方が寝心地はいいんだけど、ローの体温はホっとするから好き。
ローは諦めたのか、静かになった。でも不意にチェストの引き出しが開けっぱなしなのを見て「薬、飲んだのか」と、その錠剤を手にした。

「ああ…それ飲もうと思ってたんだけど…」

と言いつつ、体勢を変えてうつ伏せになると、ローの顔を覗き込む。至近距離で目が合って、ローはギョっとしたように眉根を寄せた。きっとわたしの哀願する視線に気づいたんだろう。

「…おい…まさか」
「うん。そのまさか」
「……マジか」

ニッコリ微笑んで頷くと、ローは擡げていた頭をベッドへ倒して天井を仰いでいる。大げさな。
つかさず、ここで畳みかけるように「"アレ"…お願い」とおねだりすると、ローは僅かに目を細めて、わたしを真っすぐ見上げた。

「何でわざわざ…その薬飲めばすぐに済むだろが」
「…そうだけど…」
「ったく…」

呆れ顔で溜息を吐きつつも、あのローが「ダメだ」と即答しないのは、わたしがそれを頼む時、どういう状態か分かってるからかもしれない。

「はぁ…分かったよ」
「ほんと?」
「ああ。だからサッサとベッドに横になれ」
「ありがとう、ロー」

がばりと身体を起こし、すぐにベッドへ横になる。逆にローはベッドから下りると、クローゼット部分を開けて、そこから輸血セットを取り出した。導入針や静脈針、他に点滴筒やチューブなどがある。
ローは海賊だけど名医でもある。最近じゃ「死の外科医」なんて世間で呼ばれて恐れられてるみたいだけど、それはまた別の能力で、実際は腕のいいホントのお医者さんなんだ。

「じゃあ、刺すぞ」
「うん」

準備を終えたローはわたしの腕に針を刺し、器用に自分の腕にも針を刺して、わたしの隣へ横になった。ふたり分の体重に負けて、狭いベッドが苦しげな音を立てる。

「ごめんね。我がまま言って」
「…別に。今更だろ」

お互い天井を見つめながらの会話。こうして繋がるのは何度目だろう。ローから血を分けてもらう行為は、わたしなりの理由がある。
わたしは子供の頃に病気になって、勝手に絶望した親に知らない島へ捨てられた。そのせいで飲まず食わず、雪山を彷徨ってた過去がある。それが原因で栄養失調になり、後々には鉄欠乏性貧血というものになってしまった。だから病状が悪化した時は今もこうして輸血をしてもらうか、薬を飲まないと極度の貧血状態になってしまう。
本来なら、ローの言う通り薬を飲めばいいだけのこと。でもわたしはローから輸血をしてもらうのが好きだった。深く繋がれる気がするから。

"ほら、これでお前とおれは血の繋がった家族だ"

あの言葉に、わたしの孤独が救われたから――。