序章―交わした誓い 
新世界――とある島、スフィンクス。その近くに位置する場所に、小さな離島があった。一面草木に覆われ、風の吹く丘には無数の墓。それぞれには剣が立てられ、中央には海風になびく"世界最強"と恐れられた海賊旗。
その海賊旗が見守るように、足元には大きな墓がふたつ。墓には白いロングコートと巨大な薙刀。そして、隣の墓にはオレンジ色のテンガロンハットと赤い首飾り、ナイフが一本飾られている。墓石にはそれぞれ"エドワード・ニューゲート"と、"ポートガス・D・エース"の名が刻まれていた。
常に海風が吹きつけるその場所へ、一人の女が近づいてきた。ゆっくりと、躊躇うような足取りで歩く。その手には真っ白な花と、黒い実の果実。
彼女は墓の前まで歩いて来ると、身を屈めてその場へ座りこんだ。
右の墓石へ白い花を、左の墓石には黒い果実を置く。
「"バカ親父"…エース…。遅くなってごめん。来たよ…」
涙を堪える彼女の顔には、痛々しい傷跡。細い腕には包帯が無数に巻かれている。戦いの傷はまだ癒えてすらいない。それでも来ずにはいられなかった。
彼女の名前は。白ひげが愛してやまなかった、実の一人娘だ。
「本当に…私だけ置いて行かれちゃったんだね…」
父の名を指でなぞり、声を詰まらせたは、隣の墓石に刻まれたエースの名にもそっと触れて「嘘つき…」と呟いた。
「あの日…死ぬ時は一緒にって約束したじゃない…なのに何で…っ」
溜まらず嗚咽が漏れて、の頬に涙がつたっていく。エースの墓に添えたマルベリーの実。あの日、エースが見つけてにくれたものだ。ふたりで食べて「マズい」と笑い合った優しい時間が、脳裏に浮かんでは消えていく。
――でもこれ花はふわふわした見た目で可愛いんだよ。
――へえ。それも食えんのか?
――食べられないから!全く…何でも食べ物に結び付けるんだから…っていうかお花は咲いてなかったの?普通こういう時はお花をくれるものでしょ。
――腹の足しにもなんねェ花に興味ねェ…
――何か言った?…って…な、何よ…
――いや、そのうるせェ口を塞ごうかと…いってぇ!
あの時、エースの頬を殴った手の痛みも、力強く抱きしめてくれた腕の感触も、まだはっきりと覚えてるのに。
興味はないと言ってたエースが、あの後に白い花のついた実を取って来てくれた時は、凄く嬉しかったことも鮮明に思い出せる。
――ねえ、マルベリーには花言葉もあるの知ってた?
――いや…おれが知るわけねェだろ。
――なーんだ…
――んなガッカリしなくても…つーか、どんな花言葉なんだ?
――ひとつは…"彼女の全てが好き"。知っててこれをくれたなら嬉しかったのになぁ…。
――ぐ…っ
真っ赤になったエースを見て、も急に恥ずかしくなった。だから、マルベリーにはもう一つ、花言葉があるという話をしたのだ。それは――。
「…寒くねェか?」
不意に背後から声をかけられ、我に返った。振り向けば、そこには案内人として同行してくれた人物、シャンクスが立っている。小さく頷くと、シャンクスは彼女の隣に胡坐をかいて座った。
"四皇"の一人、赤髪のシャンクスは、白ひげ海賊団の敵であるものの。互いに認め合い、時には酒を酌み交わすくらいの親交があった相手。も子供の頃からよく知る男だった。気のいい性格で、白ひげに土産を持参する際、にも必ず何かしらの土産を持って来る。だからというわけではないが、はシャンクスに懐いていた時期もあった。
「邪魔しちまったか?」
「…ううん。…我がまま言ってごめんね、シャンクス…」
「何を水臭い。ただ体に響かねェか心配しただけだ」
「…ありがとう」
かすかに身を震わせるの肩を、シャンクスは無言のまま、そっと抱き寄せた。
ひとりで泣かせるには忍びない。胸を貸すくらいはいいだろう?
エースの墓を見上げながら、心の中で語りかける。
「…これは…マルベリーの実か?」
ふと目に止まった黒い果実。シャンクスが訊ねると、は「うん」と頷きながら鼻をすすった。
「何故、これを?エースが好きだったのか」
墓に供えるには似つかわしくない。だからそう思ったのだが、は静かに首を振って、供えたばかりの実を手にとった。
「前にこの実の花言葉を教えてあげた時に、その言葉に倣ってエースと約束したの…」
「…約束?」
「…うん。だけど…守れなかった」
消え入りそうな声で呟き、は唇を噛みしめた。抱いている肩に、僅かながら力が入ったことに気づいたシャンクスは、彼女の横顔を黙って見つめた。この数日の間にすっかりとやつれた頬に、一筋の涙が零れ落ち、が心身ともに衰弱しているのは間違いなく。どう声をかけてやればよいのかも分からない。
連れてくるのは、まだ早かったか――。
傷ついた体を押してでも「連れてって」と縋りつくの頼みを、無下には断れなかったのだ。
彼女の大切な者たちを奪った頂上戦争は、実質海軍勝利となり、世の中は喝采と称賛の声で溢れている。けれど、戦争の裏ではこうして悲しむ人間がいるのも、また事実。身内だけではない。白ひげの威光で守られていた多くの島の者たちも、娘のと同じように、皆が嘆き悲しんでるのをシャンクスは知っていた。
しかしは偉大な父親だけでなく、愛する男をも、あの戦争によって失ってしまった。どれほどの痛みを抱えて今、この場にいるんだろう。察するに余りある。
「少し…風が強くなってきた。もう戻るか?」
海風は体を冷やす。弱ったを長くこの場所へ居させるのは心配だった。だがは首を振るばかりで、一向に動こうとしない。
――ふたりと離れたくないのか…。
言葉にはしなくとも分かってしまうだけに、それ以上は何も言えなくなった。
は手のひらに乗せた実を、黙って見つめている。エースと過ごした時間に思いを馳せているのかもしれない。
「…どんな…花言葉なんだ?それは」
ふと気になって尋ねた。先ほど、は花言葉に倣ってエースと約束をしたと言っていた。そして、その約束を守れなかった、とも。
シャンクスの問いに、は目の前の墓を見上げた。その瞳には、仄かに暗い影を落としている。シャンクスの目にはそう映った。
「この実の花言葉は二つある。一つは…"彼女の全てが好き"…。そして、もう一つは――」
「もう、一つは…?」
よく分からない焦燥と共に、の肩を抱く手に力が入る。
「――"ともに死のう"」
シャンクスが息を吞んだその時、一陣の風が吹いて、ふたりの髪を攫っていった。


頂上決戦の結末にショックを受けて、だいぶ前に断念したエースのお話です笑。
軸はマリンフォードですが、過去話としてエースとの日常や旅をするのがメインとなります。
これを書いてた頃には明らかになっていなかった話もあるのですが、現在は原作がだいぶ進んでるので内容を少し手直しして再掲。
最初はハッピーエンドになる予定で書いてましたが、新たに書き直すラストは原作通りの流れになると思うので、死ネタが苦手な方はご注意下さい。