甘いキスには裏がある



「蘭さんとちゅうしたい…」と可愛く言われた時。何気にその言葉の威力が凄かった。ここまで蘭の心を撃ち抜いた子はいなかったと言っても過言ではないくらい、どでかい矢に、心臓を攻撃された気がした。


先週、梵天の幹部に新しい顔が入った。三途があちこち探し回って彼女を見つけて来たらしい。確かに蘭は女が一人でもいれば楽だとは言った。それに対し、三途が「信用できる奴じゃねえとダメだ」と言いだした。その信用できる女が自分の幼馴染であり、マイキーの従妹というだったようだ。
身内を巻き込むことに最初はマイキーも渋い顔をしたらしいが、そこはマイキーを知り尽くしてる三途が「一度でも顔を見ちまえばマイキーはを受け入れる」と言った。
そして実際、見事にそうなったのだから、大したもんだと蘭は思った。どうやらマイキーの初恋がで、会いたい気持ちの方が勝った、ということらしい。
何とも単純な答えだった。

彼女の借金を返済する代わりに梵天に入れと言われ、素直に従ったは幹部それぞれが面倒を見ることになった。もちろんマイキーの命令だ。
そして今日、に簡単な仕事を頼んだ灰谷兄弟は、その帰りに歓迎会と称して彼女を飲みに連れて来た。

「好きなもん頼めよ」
「…え!いーんですか?ありがとう御座います、蘭さん、竜胆さん」

瞳をキラキラさせながら素直に喜ぶ姿に、兄弟の顔も次第に緩くなっていく。
はマイキーの従妹というだけあって文句なしの美人顔。細身で周りを元気にするような明るい笑顔が可愛らしい子だった。
そうなると多少の下心が湧くものの、やはりマイキーの従妹というブレーキがかかる。しかも初恋だったと聞かされれば、おのずと答えは見えてきた。
二人はを口説くのを諦めて、とりあえず好きなだけ食事やお酒を用意してやると、喜んだ彼女はよく食べ、そしてよく飲んだ。
見ていて気持ちがいいほど美味しそうに食べる姿も、まあ二人の中では好印象。男だらけの梵天なだけに、華やかで可愛い子が入って良かったな、くらいに思っていた。

そして宴もたけなわくらいになった頃、最初から飛ばして飲んでいたが酔い潰れ、蘭の膝を枕にして眠ってしまった。竜胆はちょうど仕事の電話で席を外しており、個室には蘭と眠っているの二人きり。一人ウイスキーを片手に飲みながら、蘭はさてどうしたものかと考えていた。
こんなに可愛い子と二人きりというこの状況。いつもなら速攻で口説いてお持ち帰りコース、なのだが、その相手が手を出せない女の子となると、どうしようもない。

「ったく…オレの膝枕で寝た女は初めてだな…」

これまで口説く為に色んな子をこうして食事に連れて来たり、飲みに連れて行ったりしてきたが、蘭に対してここまで警戒心もなく酔い潰れた子はいなかった。
どの女の子も蘭の前では上品に振舞い、自分を良く見せようとするからだ。蘭もそれを分かっていて気づかないフリをしている。そういう騙し合いみたいなのはお互い様だ。蘭自身、相手の子の裏の顔に興味はなく、見た目がそこそこ可愛ければ何でも良かった。
身近な女は全て口説いてきたし、また落としてきた。なのに今、口説けもしない女が自分の膝で眠っている。

「頭ちっさ…」

ただ酒を飲んでいるのも暇だと思い、の頭にそっと触れてみる。片手でつかめそうだと思いながら、髪に指を通してみた。
サラサラとしている黒髪は、昔から男の憧れの象徴みたいなものかもしれない。蘭自身、そこまで女の髪に拘りはない方なのに、やはり指から零れ落ちていく艶のある髪は好きだなと思う。指で髪をそっと耳にかけてやると、小さな口がむにゃむにゃと何かを呟いた。

「耳もちっさくね…?」

髪を避けることで露わになった小さな耳に少し驚きつつ、次に首から肩のラインへ視線を向けた。あまりに細く、少しでも力を込めて抱きしめたら、竜胆じゃないが絞め殺してしまいそうだと思った。

(女の子ってこんなに華奢で可愛かったっけ)

散々色んな女と関係を持ってきた蘭でも、自分の膝で眠る小柄なを見ていると自然と可愛い、という思いと、何故か守ってあげたいという初めての感情がこみ上げてくる。会ったばかりの男の膝で眠るなど、あまりに無防備すぎるせいかもしれない。しばらく飽きもせずの寝顔を眺めていた蘭だったが、ふとあることに気づいた。

「は…?よだれ?」

先ほど何か寝言のようなものを呟いた際、開いた口から垂れたのか、しっかりと蘭のズボンを濡らしている。身につけているのは蘭御用達のイタリア製高級スーツ。いつもなら確実にブチ切れて、そんな失礼な女は置いて帰るところだ。なのに蘭は怒るどころか小さく吹き出した。

「ガキかよ…」

この場に竜胆がいれば驚愕していたかもしれない。

「仕方ねぇなぁ…」

と、の口から垂れているよだれを新しいおしぼりでそっと拭いてやった。するとその刺激で目が覚めたのか、の目が薄っすらと開く。

「…んあ…あれ…?」
「起きたかー?」

ガバリと上半身を起こし、キョロキョロしていたは、ふと目の前で呆れ顔の蘭に気づいた途端、「蘭さんだー」と笑顔を見せた。その無邪気な顔を見た瞬間に蘭の胸が変な音を立てた。
彼女はまだ酔っているのか、「蘭さーん、今日は歓迎会ありがとー」と言いながら、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくる猫の如く抱き着いてくる。蘭の首に腕を回し、ぎゅうっとされると、ちょうど顔が柔らかいものへ押し付けられた。ラッキーと思う前に一瞬呆気にとられたものの、つい条件反射で、離れていくの背中に腕を回してしまった。
と言ってもフラフラしているが後ろへ倒れないように背中を支えたと言った方が正しい。

「オマエ、酔い過ぎ」

背中を支えながら、とろんとした瞳を向けてくるを見下ろす。その眠そうな潤んだ瞳を見ていると、少しばかりおかしな気分になってきて、これはマズいと腕を放そうとした、その時。の手が蘭の頬に伸び、気づいた時には唇にちゅうっと軽くキスをされていた。

「…は?オマエ、何してんの」

がキス魔だということを一切知らない蘭は、ギョっとしながら離れようとした。しかし再び首に腕を回され、「蘭さんとちゅうしたい」と可愛く言われた時、その言葉の威力が凄かった。ここまで蘭の心を撃ち抜いた子は今まで一人もいなかったと言っても過言ではないくらい、どでかい矢で心臓を攻撃された気がした。

「蘭さん…」

潤んだ瞳で見つめられ、ガラにもなくドキドキしている自分に気づく。たかがキスをされただけで、こんなに心臓が反応したこともない。
あれこれ考えてる間に、またしても柔らかいものが唇に押しつけられ、ちゅっと啄まれる。

「…

この時、蘭の心臓はきゅんの大渋滞。こうなればマイキーの従妹だろうと関係ない。このままを抱いてもいいくらいの勢いで本能のままキスを返しそうになった時。
がふと蘭の手元にあるバッグのカタログへ視線を向けた。

「え…蘭さん…これ買うの?」
「え?あー…これは取引先の娘が欲しがってるっつーから手に入れようかと思って確認のためにちょっとな。それより――」

と蘭はの唇に自分の唇を寄せていく。こんなに誰かのキスを欲しがったことが、かつてあっただろうか、というくらいに今の蘭はにキスがしたかった。なのに――。

「わたしもコレ、前から欲しかったの…」
「……え?」
「蘭さん、わたしにも買ってー」

頬を染め、潤んだ瞳で可愛くおねだりをされた瞬間、蘭の脳内で「何個でも買ってやるよ」という答えしか浮かんで来なかったのは、愚かな男の性だったかもしれない。
こうしてはこの日、蘭が席を外した僅かな隙に、同じ手口で竜胆をも落とし、結果的に高級バッグを二個も手に入れるという快挙を成し遂げた。


||| OMAKE |||


「オマエ、相変わらずキス魔じゃねーかっ!」

例の高級バッグを持って会いに来たら、事情を聞いた春ちゃんは案の定、その大きな目を吊り上げた。でも春ちゃんがいくら怒っても特に怖くはない。小さな頃からよく知ってる相手だからだ。

「そーいうわけだから、蘭さんも竜胆さんも優しくしてくれてるし春ちゃんも心配しないで」
「…べ、別にオレは心配なんかしてねーよ!ただアイツらにそこまでしなくても、そんなバッグくらいオレが買ってやるわ!」
「え、春ちゃんも買ってくれるの?何で?」

ちょっと驚いて隣に座ると、何故か春ちゃんの色白のホッペがほんのり赤くなった。どうした?風邪か?

「だ…だから…灰谷にキスして強請るくらいならって話だよっ」

プイっとそっぽを向く春ちゃんは相変わらず怒りんぼだと思う。でもそうか。春ちゃんはいつも意地悪なくせに、わたしに高級バッグを買ってやると言いたくなるくらい、灰谷兄弟に対抗心メラメラなんだ。男ってそういうとこあるよね。

「じゃあ…何か欲しいものが出来たら春ちゃんにおねだりしよーかな」
「……あ?テメェ、オレにはタダで貢がせる気じゃねーだろうな」

急にわたしの方へ迫って来た春ちゃんは、いきなり壁ドンの如く、ソファの背もたれに両手をつきながら怖い顔で見下ろしてくる。わたしは後ろへぐぐっとのけぞったけど、背もたれが邪魔で逃げ場はなかった。
わあ、相変わらず美人顔、なんて思いつつ、言われた言葉を考える。

「え、タダじゃないなら…何かわたしにして欲しいことでもあるの?春ちゃん」
「………」

急にむっつりと黙り込んでしまった春ちゃんは怖い顔でわたしを見下ろすと、「オマエ、今日残業な」とパワハラとも取れることを言ってきた。
長い付き合いだけど……春ちゃんの怒りのツボが未だに分からない。


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