ココ、オマエもか
この日、オレは自分が管轄である店舗の売り上げのことについてココと話すべく、夜になって事務所に戻って来た。
ここ最近は部下がかなり稼いでくれるおかげで、組織への上納金はほぼ満額クリア。ココも上機嫌のはずだ。
今夜は久しぶりに飲みにでも誘ってやるかと思いながら、最上階でエレベーターを降りる。するとココの部屋のドアが開くのが見えた。
「じゃあ、ココちゃん、またね」
この声はだなと気づいて。オレはそのまま廊下を歩いて行く。
それにしても――いつから「ココちゃん」なんて呼ぶようになったんだ？しかも甘えたような可愛い声で。
「あ、蘭さん、お疲れ様です」
「おう」
がオレに気づいて手に持っていた何かを慌ててバッグに突っ込むのが見えた。でもその顔は機嫌が良さそうにニコニコしている。
「ココに何の用だったん？」
「…え？あ、明日の仕事の確認に…」
「んなもん電話で済むだろ」
「そ、そうなんですけど、あと、ほら、ココちゃんに差し入れ買ってきたんで渡しにきたんです」
「へえーいつの間にそんな仲良くなったんだよ。つーかオレには差し入れないの？」
の手を引き寄せ、耳元で尋ねると、は明らかに動揺した顔でオレを見上げた。至近距離で目が合ってしまうと、あの夜のことを思い出す。
「ちょ、何ですか、蘭さん」
敢えて顔を近づけるとは警戒したように体を硬くした。んなビビらなくてもいーのに。
「んー？何って…差し入れはのキスでいいかなと」
「きょ、今日はダメです」
「じゃあ、いつならいいんだよ」
「い…いつとか、そんなの決めてませんてば。だいたい蘭さんはちゅーしてくれる女の人、たくさんいるでしょ？」
「オレはにして欲しい。この前みたいに」
最後は耳元で囁くように言うと、の頬がふんわり赤くなった。何、この可愛い反応。
「あ、あれは…よく覚えてないし…」
「ふーん。オレの膝枕で寝たのも覚えてないんだー」
「お…覚えて…ない」
「スーツによだれ垂らしたことも？」
「えっ嘘」
「ほんとー」
「す、すみません。弁償します…おいくらですか」
がわたわたとしながらバッグを開けて財布を出す。
「40万」
「よ…っ40万…」
の顏が青くなった。彼女は確か借金まみれで、それを三途が返済したって話だった。何に使ったのかは知らないが、今だってかなり散財してる感じがする。なら40万くらいの金も厳しいだろう。まあ、別に金をとる気ははなからねえけど。
「別にいいよ。オレは優しいから弁償しろとは言わねえし」
「え、蘭さん天使ですか」
青ざめていたの顏が一気に赤みをさして瞳をキラキラさせてる。あまりに素直すぎる性格に吹き出しそうになった。
こんなんじゃ悪い男に簡単に騙されそうだ。特に……オレとか。
「その代わりといっちゃーあれだけど…」
「…う…な、何ですか、そのニヤケ顔は…」
「ん。からちゅーして」
の目線まで身を屈めて目を瞑ると、慌てた気配が伝わってくる。まあ40万のスーツ弁償させるより、キス一つでいいって言ってんだから、オレって案外優しい男なんじゃね？
「まだー？」
「…う…わ…分かりましたっ」
散々迷っていたも覚悟を決めたように言うと、オレのネクタイをグイっと引っ張ってきた。そうして更にオレの顔を下げたはつま先立ちで顔を近づけると、ちゅっと軽めのキスをしてくる。その柔らかい感触はすぐに離れていった。
「こ、これでいいですか…？」
「んーちょっと物足りねえ」
「蘭さん、欲しがりですか」
「ふはっ…そーかもなぁ」
言いながら、今度はオレの方から口を寄せての頭を引き寄せると、その小さな唇をやんわり塞ぐ。柔らかい感触を味わうように食むと、はかすかに体を震わせた。この前も思ったけど、彼女とのキスは悪くない。
悪くないどころか、やっぱり触れるだけでも腰が疼いてくるから不思議でならない。舌先で唇を軽く舐めればは驚いたように目を見開いて、グイっとオレの胸元を手で押してきた。んーもう少し味わいたかったんだけど。
「も、もう十分…ですよね」
「…オレ的には足りねえけど…まぁ、続きはまた別の機会にとっておくか」
「まだ取り立てる気だ…」
「最初に仕掛けてきたのはじゃん」
「…あ、あれは…その…よ、酔ってたし…」
右へ左へ視線の泳がせるの頬は薄っすら赤みを帯びて美味しそうだ。こういう反応してくるから、こっちも構いたくなるってのに、は全然その辺を分かってない。
「へえ。ああ…そのバッグ、欲しかったんだっけ？」
が今、手にしているのはオレが買わされたバッグだ。買ったやったあと、一瞬だけ自分用、というより、質やにでも売る気じゃねえのかと疑ったけど、ちゃんと使ってるようだ。
「その節は…ありがとう御座いました」
「んな水臭ぇ言い方しなくても。他にも好きなもんあるなら買ってやるけど？」
懲りたはずが、気づけばまたあり得ない言葉が口から零れ落ちて自分でも苦笑した。はオレのそんな誘惑に「ほんとですか」と素直に瞳を輝かせるんだから、それもどうなんだとガラにもなく心配になる。甘えて男におねだりすんのもいいけど、マジでそのうち変な野郎に引っかかるんじゃねえか、こいつは。
「ベッドの中まで付き合ってくれたら、だけど」
だから教訓としてわざとそう言えば、の顏から笑みが消えた。
「どこのスケベジジイですか、それ」
「ぶはっ確かに。まあ、今のは冗談半分、本気半分ってとこだけど…それより――」
「…え？」
「ほんとはココにどんな用事だったん？」
「あ！いけない！もうこんな時間だ」
オレが核心をついたからか、はわざとらしく腕時計を見る――って腕時計してねえじゃん――フリをして、そそくさと廊下を歩いて行く。その後ろ姿を見送りながら「またなー」と声をかけると、は笑顔を引きつらせながらエレベーターへ乗り込んだ。
「ふーん…カマかけただけなんだけど…ありゃもしかして…」
踵を翻して速攻でココの部屋へ向かうと、ノックをしないままドアを開けた。その瞬間、ガタガタっという音を立ててココが椅子から立ち上がった気配がする。
「ら、蘭さん…？」
「あー…オマエもか…」
少し慌てたようなココを見て、オレは全てを悟った。ってか、悟る以前に、はばっちり証拠を残してってんだから笑えねえ。
「ここ、口紅ついてんぞー」
「……っ？！」
口元を指して苦笑すれば、ココが更に慌てたように手で口元を隠す。のヤツ、まさかココにまで何か強請ったのかよ。ったく、大した女だわ。そこが、まあ可愛いと思っちまうオレもどうかしてんだけど。
「で、オマエは何を強請られたんだよ」
「…え、いや…ちょっと給料を少し前借りさせて欲しいと頼まれただけで、強請られたわけじゃ…」
「金ぇ？あー…そういやアイツ、何かバッグにしまってたな…。あれ金だったんか」
「今夜、飲みに行きたいけどお財布忘れちゃって…って言ってましたけど」
「ふーん…」
と言いつつ、確かアイツ、さっき財布持ってたよな…？と気づく。でも、まあ…ココの為にそこは黙っておいた。それより――。
「で、にちゅーされてお金を貸したと」
「…い、いや…逆です。飲みに行くくらいの金ならオレが貸すからって言ったら、ありがとーって言って…その…ちゅっと…されて」
口についた口紅を拭きつつ、ココがは目を泳がせている。マイキーの従妹にキスされたなんて内心じゃマズいと思ってんだろうけど。
「へえ…」
がココにキスしてる光景が頭に浮かんで、またしてもモヤっとした。
"ココちゃん、またね"
ついでにさっきの甘えた声まで思いだしてイラっとする。別にアイツが誰におねだりしようと、お礼のキスをしようと、オレには関係ねえのに。
「ところで…蘭さん、さっき"オマエもか"って言ってたけど…もしかして――」
「それ……聞いちゃう？」
苦笑交じりで言えば、ココも何かを察したようだ。「そこは聞かないでおきます」と生意気にも気を遣ってくれた。
梵天幹部が揃いも揃って、年下の女に振り回されるなんて笑い話にもならない。
なのに少しだけ――それを楽しんでるオレがいた。
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