拗らせたのは全部きみのせい



最近どうも灰谷兄弟の様子がおかしい。そう感じた時、春千夜はその理由にすぐ気が付いた。
幼馴染のは昔から甘え上手で相手の懐に入るのが上手い。そのわりに一線をきちんと引くところがある。相手からすればゴロゴロと甘えていた野良猫から急にそっぽを向かれたような気持ちになり、ついまた甘えて欲しくて手を伸ばしてしまいたくなるのだ。
昔、春千夜もそれで痛い目を見た一人だった。

子供の頃ならまだ良かったが、お互い年頃になるとそうもいかない。中学三年のある日、暇だった春千夜がの家に遊びに行った。
と言って何をするでもなく、お喋りに飽きた二人は読書を始めた。まだまだ小学生からの延長。春千夜にとってはそんな感じのノリだった。
でもその頃のはだいぶ色気づいて来た時期。メイクなどにも興味を持ち始め、女子が好みそうなファッション雑誌を読んでいる。
男の春千夜はそんなものに興味はなく、当時人気のあったヤンキー漫画を読んでいた。
すると――が突然、「ねえ、春ちゃん」と甘えた声で体をぴたりと寄せてきた。

「これ、買って」
「あ?」

何事かと思った春千夜の視界に、が読んでいた雑誌が飛び込んできた。春千夜が読んでいた漫画の上にが雑誌を置いたのだ。その開かれたページには可愛らしいマニキュアが載っていた。

「これ、欲しいの。春ちゃん買ってくれる?」
「は?何でオレが?」

のおねだり癖は子供の頃から見ていて知っていた春千夜は、その雑誌を煩わしいとばかりに放り投げた。するとは悲しげに瞳を揺らし、「だって他に頼れる人いないし…」と春千夜の腕にしがみつく。不覚にもドキっとしてしまったのは、やはり思春期真っ盛りな年頃だったからかもしれない。

「どうしてもダメ…?」
「…う…い、いいから離れろって――」
「じゃあ、ちゅーしたら買ってくれる?」
「は…?」

この時の春千夜の脳裏に、をたっぷり甘やかしたマイキーの兄で、今は亡き真一郎の顏が過ぎった。子供の時に何度となく見せられてきた真一郎のデレた姿だ。
あの頃はマイキーと「バカだなー」なんて笑っていたが、少しだけ大人になってみると、の甘え顔の威力はすさまじかった。目の前で潤んだ瞳を向けられ、心臓が壊れるかと思うほどに早鐘を打つ。幼馴染という古い情報の上から、完全にという存在が一人の女の子として上書きされた瞬間、固まって動けない春千夜の口元に、の唇がゆっくりと近づき――むにゅっとしたものが押しつけられた。
ちゅっという可愛いリップ音と共にそれが離れていった時、春千夜の残り10%まで削られていた理性が0%になる。
だが、もう一度、今度は自分からキスをしようと唇を近づけると、は「だーめ」と言って春千夜から距離をとった。

「何だよ…オマエからしてきたんだろ」
「マニキュア買ってくれたらしてあげる」

春千夜がもう一度唇を近づけると、今度はそう言いながら春千夜の胸元を突き放してくる。にとってキスをするのは最初にした真一郎が喜んだからで、あまり深く考えてしてるわけじゃない。思春期の男の子にキスをしたらどうなる、とかも考えていなかった。でもこれが焦らされてると感じた春千夜は若気の至りで実力行使に出た。

…!」
「…ひゃっ」

完全にオスとして目覚めてしまった春千夜が、をその場に押し倒し、今度は自分から強引に唇を塞ぐ。
この時の春千夜の脳内は脱・童貞一色といっても過言ではなかった。
キスをしてきたのだからも自分のことが好きなはず。なら何をしてもいいんじゃないか。そんな男の子らしい受け止め方だった。
だがしかし――脱・童貞への道はそんなに甘いものではなく。のささやかな膨らみに手を伸ばした瞬間、物凄い力で突き飛ばされ、驚く間もなく今度は平手が飛んできた。ばちん、という衝撃の後に、ジンジンとした痛みと熱が顔の半分を占めていく。
ケンカで男に殴られるよりも遥かに痛いと感じたのは、心にもダメージを負ったせいかもしれない。

「どこ触ってるのよ!春千夜のエッチ!」

そう怒りながら更に雑誌でバシバシと頭を叩かれ、かといってやり返すことも出来ない春千夜は、慌てての家から逃げだした――そんな苦い記憶。
あの時のことは思い出したら今でも腹立たしい+かなり恥ずかしい。結局あの後は悶々とした日々を過ごし、適当に尻の軽い女子高生をナンパして初体験を済ませてしまったというオチまでついてしまった。それもこれものおねだりとキスですっかり目覚めさせられたせいだ。
女という生き物に何も期待しなくなったのも、自分の性格が拗れに拗れたのも、いま目の前にいる幼馴染が原因だと春千夜は確信していた。
なのに、嫌いになれないのだから嫌になる。

「ねえ、春ちゃん」
「あ?何だよ」
「わたし、この黒のフェラーリ欲しいの」
「………」

(このウルウル攻撃がやべえ。ついうっかり――)

「仕方ねえなぁ。じゃあオレが買ってやる……って言うと思ってンのか!んなの扱いきれずにまた事故るだけだろ!」
「でも今度こそ上手く乗れる気がするの」
「その根拠のねえ自信どっからくんだよ?どーせ操作ミスってどっかの店に突っ込む未来しか見えねえ。オマエ、それで前はフェラーリ廃車にしたあげく、建物破壊して借金まみれになったんじゃねーかっ!」
「よ…よくご存じで」

春千夜のツッコミにの顏が引きつる。

「だいたいオマエの細腕で扱える車じゃねーんだから、は大人しくKワゴンにでも乗っとけ」
「えー…じゃあ春ちゃんがフェラーリ買って、わたしを助手席に乗せてよ」
「…………」

春千夜の腕に自分の腕を絡ませながら、可愛い顔で言われた瞬間――フェラーリ買うか!と決心する、何ともちょろい春千夜がいた。



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