鈍い女②



「テメェ、何ですぐに返信しねえんだよ」

顔を合わせた途端、春ちゃんはそれこそ親の仇みたいな目でわたしを睨んだ。竜胆さんの看病も終わって一緒に事務所にやってきた途端、春ちゃんの部屋に呼ばれたと思ったらこれだから嫌になる。

「ごめん……ちょっと他の仕事してて」
「他の仕事~?オレは何も聞いてねえぞ。オマエ、灰谷弟と一緒に来たようだけど、アイツに何か頼まれたのかよ」
「ま、まあ……。大した仕事じゃないよ。それより春ちゃんは何の用だったの?」

話を誤魔化すように尋ねると、春ちゃんは怪訝そうな顔つきでわたしを見ながら、「オマエ、今夜暇だろ?」と言ってきた。何か嫌な予感。

「ひ、暇って決めつけないでよ」
「暇じゃねーのかよ。つーか調べたらオマエ、今ひとつしか仕事受け持ってねーだろ」
「う……。ま、まあ。だって蘭さんも竜胆さんもそれ以外の仕事くれないし……」

そう言った途端、舌打ちが返ってきた。相変わらず怒りんぼな男だと思う。そもそも機嫌のいい時あるのかな、春ちゃんは。

「じゃあ今夜、7時にここへ来い」

そう言って春ちゃんがメモを渡してきた。それには高級ホテルの名前と大ホールの場所などが記されている。こんなホテルの大ホールで何をするんだ?

「え、何、これ?」
「オマエに仕事をやる。ああ、パーティだからドレスアップは必須な」
「えっ?ドレスって……パーティドレスのこと?」
「ああ。持ってねえのかよ。どうせオマエのことだから灰谷兄弟に色々買ってもらってんだろ?」

春ちゃんはどこか棘のある言い方をしながらフンっと鼻で笑う。ムっとしたものの。あながち間違ってないので言い返せないのが悔しい。(!)

「で、でもパーティで着るようなドレスなんて買ってもらわないよ。もっぱら普段着用だし……」

と言いかけて言葉を切る。春ちゃんがものすっごい怖い顔で睨んできたからだ。殺される、という危機感を覚えるくらいに目つきが悪い。

「テメェ、やっぱ買ってもらってんのかよ」
「え、うん、まあ……時々?」
「……チッ」

いきなり舌打ちをされた。自分で言ったくせに何で怒る?相変わらず春ちゃんの怒りのツボが謎すぎる。

「じゃあパーティ用は持ってねーんだな」
「うん。持ってない」

そもそもパーティなんて社交的な場所へ行ったこともなければ、今後も行く予定なんかないと思ってた。だいたい何でわたしが梵天の仕事でパーティに?と思うけど、また接待要員かもしれない。前にそこへ引っ張り出された時はカジュアルなものだったから、手持ちのドレスでどうにかなったのに。
春ちゃんはわたしがドレスを持ってないと知るや否や、仕方ねえなァ、と言って、どこか得意げな顔をする。

「じゃあオレが買ってやるから時間は6時に変更な」
「えっ?」
「何だよ」

あまりに驚くワードを耳にしたことで驚いていると、春ちゃんが片眉を上げて振り返った。

「春ちゃんが……ドレス買ってくれるの……?」
「だから何だよ。オマエ、持ってねーんだろが」
「う、な、ないけど……春千夜、そんなことしてくれるの珍しいなあと思って」
「……」

何でそこで赤くなる?何か春ちゃんが照れるようなこと言ったっけ?と首を傾げつつ、「ほんとにいいの?」と訊いてみた。一応確認しとかないと、実はからかっただけ、とかオチがあるかもしれないからだ。春ちゃんは意地悪だから大いにあり得る。
だけど、わたしが想像したような答えは返ってこなかった。

「いいも何も仕事で必要だから買うだけだ。他に意味なんかねェ」
「そっか。じゃあ……分かった。6時ね」
「……おう。そのホテルの近くにプラダあんだろ。そこに来い」
「えっ」
「あ?」
「う、ううん。何でもない。じゃあ6時にね」

慌てて首を振って笑顔で言うと、春ちゃんは「ああ」とだけ応えて、どこかに電話をかけだした。これで話は終了ということだから、すぐに部屋を出る。でも背中越しにドアを閉めた瞬間、顏が更に緩んでしまった。

「あの春千代がプラダって……嘘みたい」

いくら仕事用とはいえ、そんなハイブランドのドレスを買ってくれるとは思わない。当然、そこはウキウキしてしまう。
わたしの物欲もたいがいだなと思うけど、こればかりは仕方がないと思う。女の子なら誰しも大なり小なり、自分を着飾るグッズは欲しがるものだ。

「あ、トキコさん!お疲れ様です。はい、これあげる」
「……?どうも」

そこで廊下を掃除していた雑用係のトキコさんに春ちゃんの部屋からくすねてきた高級チョコレートを3個ほどあげると、ギョっとした顔をされた。
丸い顔につぶらな瞳のトキコさんは、いつも事務所を綺麗にしてくれるから助かってるし、時々こうして彼女が大好きそうなチョコをあげているのだ。
人見知りなのか、あまり愛想は良くないけど、こっそり見てるとわたしがいなくなった後で美味しそうにチョコを食べてるから、きっとトキコさんもわたしと同じ甘党なんだと思う。

「はあ~早く6時にならないかな」

春ちゃんの仕事だと思うと憂鬱ではあるけど、そこはドレスの為に頑張ろうと、ゲンキンなわたしはウキウキしながら自分の仕事へ出かけた。


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約束通り6時に店へ行ったら春ちゃんはシックな大人っぽいスーツでビシっと決めて、わたしを待っていた。
口は最悪だけど、ムカつくことに見た目だけは超絶イケメンだから、かなり目立つしサマになっている。

「うわ、春ちゃん、カッコいいじゃん」
「……あ?うるせえな。いいから行くぞ」
「何よ、褒めたのにー」

と文句を言いつつ見上げると、色白な春ちゃんの頬が薄っすら赤いことに気づく。そこで思い出した。春ちゃんは昔から誉めても怒るし、けなしても怒る面倒くさい性格だけど、実は物凄く照れ屋な一面があることを。

(嬉しいならそういう顔すればいいのに、ほんと照れ屋なとこ直ってないんだから)

素直じゃない幼馴染を持つと苦労するなあと苦笑しつつ後をついて行くと、気づけば綺麗なお姉さんたちに囲まれていた。この店のスタッフさんたちだ。蘭さんと竜胆さんもそうだけど、春ちゃんもどうやら常連のようだ。

「いらっしゃいませ。三途さま。今日はどのような物をお探しですか?」
「ああ……コイツに似合うパーティドレス、選んでやってくれ」
「かしこまりました」

店長らしき女性が言った瞬間、周りに立ってた人達がわたしを拉致して奥へと連れていく。よく分からないまま沢山のドレスをあてがわれ、さあここから選べというような圧をかけてきた。

(選べと言われてもどれが正解なのか分からないんだよなぁ……)

パーティなんてものにあまり出たことがないので、しばし考えた結果、今日の春ちゃんのスーツと合うように黒のミニドレスにした。ワンショルダーの部分が胸元を飾る装飾と一体になってる可愛いデザインだけど、そこまで派手過ぎずちょうどいいんじゃないかと思った。

「決まったかよ」

そこへ春ちゃんが歩いて来た。

「うん。これなんかどう?」
「ああ、それいいんじゃね。着てみろよ」
「うん。じゃあ待ってて」

春ちゃんのOKも出たことで、わたしはそのドレスを持って試着室へと入った。その時「ここはもういいから向こうでアクセサリー適当に出しておいてくれ」という春ちゃんの声が聞こえて、急に辺りが静かになった気配がする。きっとこのドレスに合うアクセサリーも買ってくれる気なんだろうなと思った。
仕事が絡むと、ケチな春ちゃんもだいぶ気前が良くなるようだ。

「このドレスならプライベートの集まりでも着れそうだしいいな」

下着を外してドレスを身につけ、鏡に映った自分を眺める。髪の毛は先にセットしてもらってあるから、このまま着て行っても大丈夫そうだ。

「うん、これにしよ」

適度な長さのミニワンピを気に入って、背中のファスナーを上げようとした。でも半分まで上げたところでファスナーが止まる。どうやら周りの生地を巻き込んでしまったようだ。

「え、うそ……」

上にも下にもいかず、わたしは中途半端に上がったままの背中を鏡で映してみた。強引にあげれば破けてしまうかもしれない。仕方がないからスタッフを呼ぼうと思った時、目の前のドアがノックされた。

「着たか?」
「あ、ねえ春ちゃん。そこに店の人いる?」
「あ?いねえけど」
「えー?じゃあ呼んで来てよ」
「あ?なんでだよ」
「背中のファスナー引っ掛けて動かなくなったの」
「はあ?」

という声と共にいきなりドアが開けられ、ギョっとした。

「ちょ、ちょっと!勝手に開けないで」
「引っ掛けたんだろ?見せてみろよ」
「え、ちょっと……っ」

強引に入って来た春ちゃんはわたしの肩を掴んで無理やり鏡の方へ向ける。下着も付けていない背中を晒してるのかと思うと恥ずかしさで一気に顔が熱くなった。いくら幼馴染とはいえ、大人になってからは肌を晒したことがない。

「あ~ジッパーが生地少しだけかんでる。ちょっと待ってろ」
「う、うん……」

前をしっかり押さえつつ、恥ずかしいけどここは春ちゃんに任せることにしてジっとしてると、背中の辺りでモゾモゾしていた春ちゃんが「外れたし上げるぞ」と言った。とりあえずホっとして「お願い」と応えた時だった。ファスナーを上げる感覚と共に、背中の肩甲骨の辺りに何か柔らかいものを押し付けられた気がしてビクっと肩が跳ねる。目の前の鏡には春千夜が身を屈めて、わたしの背中へ顔を埋めてる姿が映っていた。

「な、何したの?春ちゃんっ」
「別にいいだろ……キスくらい」
「は?」

あまりに悪びれた様子もなく言ってのけるからビックリした。春ちゃんは何事もなく背中のファスナーを全て上げると、またわたしを振り向かせる。でも目が合った瞬間、「ぷ」と吹き出された。

「……なに真っ赤になってんだよ」
「だ、だって……今のセクハラ!」
「あ?オマエだってウチの幹部にセクハラしてんだろーが。知ってんだぞ?真一郎にやってたみてーにアイツら転がしてんだろ?」
「な……こ、転がしてないよ!ちょこっとお願いしてるだけだし」
のちょっとはキスすることも入んのかよ」

春ちゃんは目を細めて詰め寄ってくる。狭い試着室の中では逃げ場もなく、鏡に背中を押し付ける形になってしまった。

「そんなの春ちゃんに関係ないじゃない……。いいから出てってよ、もう」

何気に壁ドンをされてる状態で落ち着かない。視線を上げると春ちゃんの大きな瞳が細められ、怖い顔で睥睨してくる。胸元の大きく開いたドレスだから、上から見下ろされると胸元を覗かれるようで落ち着かない気分になった。そんな気持ちを知ってか知らずか、春ちゃんが不意に口端を僅かに上げて意地悪な顔を見せる。

「そーいや、このドレス買ってやる報酬、まだ貰ってなかったな」
「……え?ほ、報酬って?」
「オマエの得意なもんだよ」

と言った瞬間、春ちゃんは身を屈めて顔を近づけてきた。驚いて逃げようとしても、もう片方の腕が腰に巻き付く。あっと思った時には唇を塞がれていた。

「……んんっ」

強引に唇を割って侵入してきた舌が、逃げ惑うわたしの舌を器用に絡めとっていく。春ちゃんにこんなキスをされたのは初めてで、びっくりして胸元を押してみたもののびくともしない。すぐに手首を掴まれてそれも鏡に押し付けられた。
春ちゃんの舌は口内を余すことなく貪って、息が苦しくなってきた頃、やっと解放された。

「ど、どういうつもり……」
「あ?このドレスの分、回収しただけだろーが。オマエがいつも灰谷にしてることだろ」
「な……だからってこんなとこでいきなりする?」
「じゃあ別の場所ならいいのかよ」
「う……」

ニヤニヤしてくる春ちゃんが憎たらしい。だいたい、あんなエッチなキスをどこで覚えたんだ、この男は。
思えば春ちゃんのファーストキスはわたしが奪ってしまったようなものだ。あれ以来春ちゃんは色んな女の子と噂になってたことを思い出した。
わたしが春ちゃんのオスの部分を目覚めさせてしまった気もするけど、あれから一体何人の女とキスしたんだろう?
そんなことを考えてしまうくらいには慣れたキスだった。

「ほら、着たなら行くぞ。時間がねえ」
「わ、分かってるよ……」

春ちゃんが試着室を出て行こうとするのを見て、わたしは脱いだものをまとめて紙袋へしまう。それを持って立ち上がった時、春ちゃんはふと振り返った。

「な、何……?」

何となく視線に嫌なものを感じて紙袋を胸元で抱きしめる。そんなことは意に介さず、春ちゃんはわたしの耳元に口を寄せた。

「今の続きして欲しかったらホテルに部屋、とるけど」
「……は?」
、物足りなさそうな顔してんじゃん」

ギョっとして顔を上げると、春ちゃんがニヤっと笑った。その意外な物言いにちょっとだけビビる。
昔はもっと不器用だったはずの春ちゃんが、今ではすっかり"女たらし"みたいな台詞を言うようになってしまったからだ。

「してませんっ」
「……てぇ!」

頭にきて足を思い切り踏んでやると、春ちゃんは「何すんだ、テメェ!」と怒りだした。

「そんなのこっちの台詞!ドレスは仕事で使うんだし経費で落ちるでしょっ?なのに何で春ちゃんにちゅーされなくちゃならないの?しかもあんなエロいやつ!どうせするなら経費で落としてくれるココちゃんにするもん」
「あぁ?テメェ、経費って何言ってんだ。それはオレがオマエにプレ――」
「あ、すみませーん。このドレスに合うアクセサリー見せて下さ~い」

春ちゃんを押しのけて試着室を出ると、すぐにスタッフの人達がいる店内へ歩いて行く。後ろで春ちゃんが文句を言っていたけど聞こえないふりをした。
あんな可愛くなくなった幼馴染なんて、もう幼馴染じゃない。三途春千代という見知らぬ反社の男だと思うことにする。まあ、わたしも反社の女なんだけど。
とりあえずは、この可愛いドレスにあうとびきりのアクセサリーを選ぶとしよう。さっきのキスの分を回収できるうんと高いやつにしてやる。
それを買ってくれたら――また幼馴染に戻してあげてもいいかな。


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