貴重なデレを頂きました。
今日は年に一度のチョコ祭り……もとい。
大切な相手にチョコを送る特別な日、バレンタインデーだ。
彼氏のいない今年はすっかり忘れていて予約すらしてなかった。
どうしようと頭を抱える。いや、その前に……私は二日酔いで頭を抱える羽目になった。
「う……気持ち悪い」
夕べは仕事あけに春ちゃんと飲みにバーへ行った。そこでかなり飲み過ぎたらしい。昼に目覚めたらまだ普通に酔っていた。
酒臭い自分の匂いで更に二日酔いが加速するような気がして、私はフラつく足を何とか動かしバスルームへ飛び込んだ。バスタブに湯を溜めて、お気に入りのアロマバスソルトのケースから、今朝の気分に合わせたものを入れる。ミネラルウォーターとタブレットも準備して、完全に湯が溜まる間にシャワーを浴びながら体や髪を洗い終え、歯を磨いた後で湯船にゆっくりと浸かった。
「ふぁぁー生き返る……」
寝起きで冷えた体にじんわりと温めのお湯が体温を戻してくれる感じが気持ちいい。この朝のひと時がたまらなく好きなのだ。
ついでに水分補給をしながら防水ケースに入れたタブレットを使い、いつもチョコを買いに行く店のサイトを開く。
「仕方ない。今日でも買えるチョコの中から選ぶか……」
チョコのメニューを開き、予約なしでも買えるものを一つ一つ確認していく。前もって決めて行けば店に行って悩む必要もない。
あげるのは幹部の人達だけだから数もそんなに多くないので選ぶのも楽だった。
「上司に義理チョコあげるＯＬの気分……」
軽く苦笑しながら、マイキー、ココくんに鶴蝶さん、春ちゃん、望月さんに武臣さん、そして灰谷兄弟と、彼らの好きそうなチョコを選んでいく。
特にいつもお世話になっている蘭さんと竜胆さんだけは皆よりもいいチョコを選ぶ。他の幹部の人達はチョコに詳しくないだろうし、興味もそんなになさそうだけど、灰谷兄弟だけは違う。
常に美味しいものを吟味して口にしてるような二人は、なかなか舌も肥えてるからチョコひとつとっても何かと口うるさいのだ。
まあ、そのおかげで私まで美味しいスイーツを頂けてるからいいんだけども。
「ワイン飲む時、ビターチョコ好んで食べてたから……この辺の甘味少なめのがいいかなあ」
少しだけ奮発して高めのチョコを追加しておく。このお店はこうして事前注文しておけば店に行っても受け取るだけだから並ばずに済むので楽なのだ。
「あ、いけない……そろそろ出なくちゃ」
チョコを選びながらのんびり風呂に浸かっていたら一時間も経っていた。温いお風呂に長く浸かって汗を流したおかげか、夕べのお酒も抜けて頭もスッキリしている。
急いで風呂から出ると、化粧水と乳液、最後に美容クリームなどで顔を整えてから、いつものようにメイクを施す。最後にタオルで巻いていた髪を下ろして乾かし、身に着ける服や小物、靴などを選んだ。
「これでよし、と」
いつもの鎧を身に付けて、キャスケットとサングラスを手に家を出る。先にチョコを買って、それから事務所に向かおう。そう思いながら、マンションのエントランスを出ると、「はぇーじゃん」という声が聞こえてギョっとした。
「え……春ちゃん？」
ウチの前に止まっていた車の窓を開けて顔を出してるのは、今朝がた別れたばかりの春千夜だった。
「あ？何だよ、その顔は。午後になったら迎えに行ってやるつったろ。忘れたのかよ」
「そ、そうだっけ。っていうか春ちゃん、ちゃんと寝たの？」
「当たり前だろ。帰ってソッコー寝たよ」
「二日酔いは……？」
「んなもんねぇ」
「マジ……？」
シレっとした顔で言い切る春ちゃんに思わず目が細くなる。私なんか一時間もお風呂に入ってやっとお酒が抜けて来たというのに。
でも確かに朝の3時まで飲んでたわりに春ちゃんの顔はスッキリしてるし、お肌も相変わらずの艶々。
くそ、羨ましい奴め。
「ほら乗れよ」
「う、うん。あ、でも事務所に向かう前にちょっと寄って欲しいとこあって……」
「あぁ？どこだよ」
私の言葉に春ちゃんはあからさまに嫌な顔をした。別に急ぐ用もないくせに、いちいち文句を言いたがる奴だ。
「えっと……南青山」
「青山ぁ？何しに行くんだよ」
「ちょっと買い物に」
私が後部座席に乗りこむと、春ちゃんは溜息交じりで「だってよ」と運転手の部下に言ってくれた。
二十歳だという運転手の田代くんは気さくな感じの人で「了解っす」と快く返事をしてくれたからホっとする。春ちゃんに憧れてるらしく、見た目も春ちゃんに似て派手だけど顔はなかなか可愛い。
隣で偉そうにふんぞり返っている男を横目で見つつ、春ちゃんにもこれくらい気さくで優しいところがあればいいのにと思う。
「あ？何だよ、そのジト目は」
「今の私の素直な気持ち」
「はぁ？迎えに来てやったんだから愛想のいい顔できねぇのかよ」
「春ちゃんに愛想振っても仕方ないもん」
「……チッ。人を見てんじゃねえ」
そんな言い合いをしていると、目的の場所まであと数分。田代くんに目指すショコラトリーの場所を詳しく教えておく。でも見えてきた店の前は長蛇の列が出来ていた。ここは人気があるから普段も混んでるけど、さすがにバレンタインデー当日ともなると、来る人数が桁違いだ。
それに気づいた春ちゃんがギョっとしたように身を乗り出した。
「何でこんな並んでんだよ。つーか、あそこ何の店だ？」
「ここはチョコ専門店だよ」
「チョコの専門店だぁ？たかがチョコ買うためにこんなに並んでんのか、この女どもは」
春ちゃんは信じられないと言った顔で並んでいる女の子達を眺めている。そんな春ちゃんを見た田代くんが「春千夜さん。今日バレンタインっすよ」と言って笑った。
「あ？バレンタイン？ってことは……もチョコ買いに来たのかよ」
「もちろん。あ、じゃあ待ってて。注文済ませてあるから受けとって来るだけだし」
呆れ顔の春ちゃんに声をかけ、私はすぐに店へ向かった。そこにも5人ほど並んでたものの、皆すぐにチョコを受けとって出て行くから流れも速い。一分もしないうちに私の番になり、予約しておいた人数分のチョコを受けとる。
「ありがとう御座いました」
丁寧な挨拶を背中に受けながら車へ戻ると、春ちゃんは私が抱えている袋を見て「すげえチョコだな」と苦笑いを浮かべた。
「女って何で本命以外にまでチョコとかやんの？」
「そりゃー友チョコとかもあるし」
「言い方変えただけで、実際は義理チョコだろーが」
「そうでもないよ。お世話になった人に感謝チョコとかもあげるし……ってことで、春ちゃんにはこれね」
「……は？」
私がチョコの入った手提げ袋の一つを差し出すと、春ちゃんは鳩が豆鉄砲という形容詞がぴったりの顏になっている。てっきり「うぜぇ」とか「いらねぇ」と言われるのを覚悟をしていた私も、春ちゃんのその反応は予想外だった。
「……何だよ、これ」
「だから春ちゃんのチョコだよ」
「……い、いらねぇよっ。そんな義理チョコなんて」
「だから義理チョコじゃなくて感謝チョコだってば」
「同じだろがっ」
「じゃあ春ちゃんは私から本命チョコ欲しいわけ？」
「……ぐっ」
義理が嫌なら本命チョコが欲しいんだろうか？と若干気になって訊いただけなのに、春ちゃんは意外にも言葉を詰まらせ、ついでに色白の頬が赤みを差した。それには私もギョっとしたけど、春ちゃんが照れるなんて今夜は大雪になるんじゃ……と失礼な想像も頭に浮かぶ。
「い、いるわけねえだろ。オマエからの本命チョコなんて！」
「あっそ。じゃあ、これもいらないなら田代くんにあげちゃうけど」
「えっマジすか？！ここのショコラトリーのチョコって人気あるんスよねぇ」
「そーなの。美味しいんだよねー？」
そう言いながら私がチョコの袋を田代くんに渡そうとした瞬間だった。いきなり春ちゃんの手が伸びて、私の手から袋を無理やり奪い去って行く。
「オレに買って来たもん勝手に人にやるんじゃねぇよ！」
「えー？だって春ちゃんがいらないって言ったんじゃない。面倒くさいヤツだなぁ」
「あ？！面倒くさいだあ？」
「はー田代くん、ごめんね。あ、実は田代くんには別に買って来たの。レジ横に売ってた小ぶりのヤツだけど」
ギャンギャンうるさい春ちゃんをスルーして、会計ついでに買ったミニケースのチョコを渡すと、田代くんはそれでも喜んでくれた。
「さんからもらえるなら義理チョコでも嬉しーっす！」
「なら良かったー！」
「……」
やっぱりこんな風に喜んでくれる人ならプレゼントのしがいもあるってものだ。なのに隣の男ときたら、今もジトっとした目で私を睨んでいる。でもその両腕にはしっかりチョコの袋を抱きしめているから、ちょっとだけ笑えた。
「テメェ、田代の分も買ってんじゃねぇか」
「そりゃこの場にいるのにあげないのは失礼じゃない」
「……ったく、あっちにもこっちにもいい顔しやがって……男好きかよ」
「はあ？失礼なこと言わないでよ。そんなこと言うならチョコ返せ」
「バ、テメェ、放せよ！オレにくれたもんだろ？」
袋を引っ張ると目に見えて春ちゃんが慌てだした。欲しいのか欲しくないのかどっちなんだと呆れつつも、あまり見られない春千夜の焦った姿は地味にジワる。
「欲しいなら最初から素直に受け取ればいいのに」
「……うるせぇな」
溜息交じりで言えば、春ちゃんはやっぱり頬を赤らめて睨んでくる。かなりツン多めの男だと分かってはいるけど、こういう時くらいは素直になればいいのに。
……なんて思っていたら少し経った頃、春ちゃんはそっぽを向いたまま小さな声で「……さんきゅ」と呟いた。
「……ぇ」
前言撤回。今夜は大雪どころか、地球が爆発するかもしれない。そんなアホなことを考えてしまうくらい自分の耳を疑ってしまった。
「何だよ、そのアホ面は」
「だって……春ちゃんはツンしかないのかと思ってた」
「ああっ？！」
「いだだだっ」
本音をぽろりとしてしまった瞬間、春ちゃんに思い切りほっぺを抓られた。女の子の顏になんてことをしてくれてんだ、このジャンキーは！
でもまあ……三途春千夜の貴重なデレを貰ったから今日のところは許してやろう。
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