失恋の功名

Cry baby cry honey

 
わたしの彼氏はハッキリ言ってクソだ。家の中に入った瞬間、心の底からそう思った。
先ず玄関にわたしのじゃない女物のヒールがあった。普通なら入るのを躊躇うところだけど、わたしには一切の躊躇いがなかった。
ズカズカと廊下を歩き、リビングへ続くドアを開ける。そこには想像通りの光景があった。
最悪だ。わたしの彼氏の上に全く知らないお姉さんが跨っている。二人は素っ裸で、エッチの真っ最中。女性上位とは恐れ入る。っていうか処女のわたしには刺激が強すぎたけど、今は怒りのボルテージの方が羞恥心より勝っていた。

「げ…っ?」

さっきまで彼氏だと思っていた男、雄馬はわたしが入ってきたことに心底ビックリしている。鍵すらかかってなかったというのに、わたしが来ないとどうして思えるんだろう。バカかな?いや、バカだよね。合鍵すら使う必要なかったわ。
だいたい、わたしとの約束を忘れて、他の女を部屋に上げてセックスしてるって、コイツはもう彼氏でも何でもない、ただのやりチン野郎だ。

「…尻の軽い男は死ね!」

渾身の一撃とまではいかなかったけど、合鍵と共に最上級の言葉を雄馬にぶつけてやった。この最後の捨て台詞は我ながらに良かったと思う。
そもそも「尻の軽い女」とは聞くけど「尻の軽い男」とは誰も言わないのが不思議だ。「股の緩い男」も然り。
だいたい何が気に入らないって、尻が軽くて股の緩い女は軽蔑されるのに、男が同じことしても何も言われないってどうなの?同じでしょ?男だって彼女がいるのに、あっちの女、こっちの女と手を出すような男は、フツーに軽蔑するしキモいと思う。
まあ、あんな男を一時でも好きだったわたしもキモいけど。
厄介なことに、わたしは一人の男にのめり込み一途に尽くしてしまう性格だった。それが最大の間違いかもしれない。
何であんなウンコ野郎と付き合っちゃったのかな。

出逢いは普通にナンパだった。友達と学校サボって映画を観に行ったら、わたしの前の人がやたらと高身長の男で、これじゃ見えにくいね、なんて言いながら、空いてる席へ移ろうとした時だった。前の男が振り向いて「あーオレらが避けるから」と先に席を移動してくれようとした。
本当なら席はチケット買った時点で決まってるけど、この日は平日。しかも終わりかけの映画だったから、館内はスカスカだった。おかげで適当に好きな席に座れる状態だった。
でも前にいた男二人は何故かまた戻ってきて、わたしと友達の座る列へと移動してきた。確かに左右どちらも空いてたけど、いきなりのことに驚いていると「何かの縁だし一緒に見ねえ?」と男の一人が話しかけてきた。これがさっきまで彼氏――とは言いたくもないけど――だった雄馬だった。

積極的に誘ってきたのは雄馬の方だった。それで帰りがけに連絡先を交換して、違う日に遊びに誘われて、その流れで付き合うことになった。
ただ出会いがナンパだっただけに、雄馬は地味にチャラかったのはわたしの誤算だ。何度かエッチしたいって迫られたけど、彼に処女をあげてもいいものか思い悩み、そのうち焦らされてると思ったのか、そのことでケンカをするようになった。でもわたしは雄馬のことは好きだったし、向こうも同じ気持ちだと思ってから、わたしが決心するまで待ってくれるだろうと、信じてた部分がある。だからエッチが出来ない代わり、わたしなりに雄馬には尽くしてきたつもりだ。
いきなり夜中に呼び出されても会いに行ったし、雄馬が遊びでいなくても部屋の掃除をしておいてあげたり、頼まれたら洗濯も食事も全部やった。ゴミ出しまでやらされた時は家政婦か?と思わないでもなかったけど、雄馬の為に何かをするのは嫌じゃなかった。
そういうのを聞いて知っていたのか、付き合いだしてすぐの頃に紹介された、雄馬のツレの半間修二に偶然会った時は「オマエ、意外と男に尽くすいい女じゃん」なんてからかわれたことがあるけど――意外は余計だ――あの時は雄馬じゃなく半間くんを好きになれば良かったと一瞬だけ思ってしまった。尽くしていても尽くしてくれてると相手が感じなければ、それは何も意味のないことだけど、半間くんはそう言う言葉では言えないことも分かってくれそうだと思ったからだ。ただ半間くんは雄馬と違って新宿界隈で有名なほど危ない男だと聞いていたから、彼氏にしたら、きっとボロボロにされるんだろうな、なんて偏見を持って見てたかもしれない。両手には騒動なタトゥーまで入れてるし。

でも結局、雄馬に気持ちをボロボロにされたんだから、見た目は関係なかったかもしれない。彼の為に色々尽くしたところで、浮気されたら意味がないのだ。別に見返りを求めるとかじゃなく。感謝されるどころか、都合よく使われてしまうだけだから。
雄馬んちからの帰り道。自分が情けなくなって無性に泣きたくなった。でもこんな人の多い新宿で、泣きながら歩くなんて痛い女にはなりたくない。

「…お酒買って帰ろうかな」

ふといつもの遊び場近くまで来た時、コンビニがあるのを思い出して立ち止まる。やけ酒なんてベタ過ぎるけど、この怒りをアルコールで消化したいと思った。その欲求のままコンビニに入って手あたり次第ビールや酎ハイといった酒類をカゴへブッ込んでいく。後は適当にチータラとか、唐揚げとかツマミも買い、サッサと支払いを済ませて店を出た時だった。目の前を良く知った顔が横切って行ったのを見た時、わたしはつい声をかけてしまった。

「…半間くん!」
「おーじゃん」

愛煙家の半間修二は、咥え煙草のまま気怠そうに振り向いて、足を止めてくれた。

「どした?一人かよ」
「うん、まあ」
「今日は雄馬と遊ぶつってなかったっけ」

半間くんとは一昨日も、この辺でバッタリ会って、その時に今日の約束のことを話した気がする。そこで思った。関係のない半間くんが約束を覚えていたのに、彼氏だったあの男は、わたしとの約束を綺麗さっぱり忘れ去り、家に女を連れこんでたことになる。そう思ったら再び怒りが再燃してきた。

「半間くん、今、時間ある?」
「あ?まあ、暇だからパチンコでも行こうかなーって思ってたけど」
「じゃあ、ちょっと付き合って欲しい」
「は?お、おい…」

半間くんの腕を掴んで、コンビニ前にある小さな公園に入って行く。こうなったら彼に愚痴を聞いてもらおう。
やっぱり今夜は一人でいたくない。半間くんの顔を見たら、ふとそう思った。


△▼△


「でね…酷いんだよ、アイツってば…!わたしと約束してたその日に他の女部屋に連れ込んでたの!って聞いてる?半間くん!」

人が傷心だっていうのに、目の前の男はブランコを揺らしながら大欠伸をかましているから思わずムっとした。
半間くんに愚痴を聞いてもらおうと思ったのに、ちっとも聞いてくれない。あげく欠伸ってホントに彼はいつも眠そうなんだから。

「そんなのぶん殴ってやりゃーいーんじゃね?つーか、そもそもあんなチャラい男と付き合ったオマエもアホだけどなぁ」

半間くんはバカにしたように笑いながら煙草に火をつけた。そんな彼を睨みつつ、コンビニで買って来た缶ビールを開ける。それをグビグビと喉を通るだけ流し込んだ。

「おま、一気飲みして大丈夫かよ?」
「平気!半間くんも付き合ってよ。たくさん買って来たんだから」

コンビニ袋から缶ビールを取って渡すと、半間くんもだいぶ目が覚めて来たのか「ひゃは♡ 公園で酒盛りかよ」と楽しそうにはしゃぎだした。

「今日は朝まで付き合ってもらうからねー」
「朝までって…だりぃ~。まあ…別に用もねえからいいけど」

てっきり断られるかと思ったのに意外とあっさりOKしてくれて拍子抜けした。半間くんって案外いいヤツかもしれない。相変わらず見た目はかなり悪そうだけど。
この新宿の死神と呼ばれる男と知り合ったのは、さっきまで彼氏だった男を通じて知り合ったけど、最近、半間くんと雄馬は急につるまなくなった。その理由は知らないけど、わたしは別に半間くんとケンカしたわけでもないから、こうして偶然会ったりすると、時々は話し相手になってもらってる。彼氏の友達と彼氏抜きであまり仲良くするのは良くないかな、と思ったりもしてたけど、まあアイツとは別れたんだし、もう関係ない。

「そう言えば…」
「んー?」
「さっき半間くん、あんなチャラい男って言ってたけど…アイツって前から浮気してたとか?」
「………」
「それでそのこと、半間くんも前から知ってたとか…言う?」

隣のブランコをこぎながらビールを煽っている半間くんをちらっと見れば、ゆっくりと視線を反らされた。この顔は図星だったみたいだ。何となく分かってはいたんだけど、現実を目の前に突きつけられるとやっぱり落ち込む。もうあんなヤツ、好きでもないけど、知らないところでずっと裏切られてたんだと思うと急に空しさと寂しさが綯い交ぜになって襲ってきた。さっきまでは我慢出来てたのに。

「泣くなよ、だりぃ…」
「ご、ごめん…」

煙草の煙を吹かしながら半間くんがこっちを見た気配がした。だけどわたしは彼の方を見れない。今にも零れ落ちそうな涙を止める為に、星すら見えない濁った新宿の空を見上げた。
そう言えばこんな歌があったような気がする。"上を向いて歩こう"だっけ。涙が零れ落ちないように。
だけど空を見上げたって涙は零れるじゃないか。
結局、わたしの頬を濡らして涙は顎からポトリと膝に落ちた。ブランコをこぐ元気もない。そう思った時、目の前がふと翳ってくちびるに何か柔らかいものが押しつけられた。かすかに煙草の香りが鼻腔を刺激して、何度か瞬きをしている間に、それはゆっくり離れていった。

「ひゃは♡ の顏、おもしれー」

今、わたしのくちびるを奪った半間くんはいつものように意地悪な笑みを浮かべて笑っている。何をされたのか脳にまで到達した瞬間、一気に頬が熱くなった。

「お、今度は赤くなった」
「な…何すんのよ…っ」
「何ってキスだろ?」
「シレっとさも当然のように言うなっ!何でそんな――」

と怒ってブランコから立ち上がった時、半間くんも立ち上がって、わたしの腕を強引に引き寄せた。あげくその長い腕が背中に回ってぎゅっと抱きしめられる。あまりに突然のことで固まっていると、頭上から「オレにしとけばー?」という間延びしたいつもの怠そうな声が降って来た。

「…なに…言ってんの…」

半間くんのお腹付近に顔を押し付けられてるから、くぐもった声しか出ない。でも半間くんには届いていたのか「分かってるクセに」と今度は苦笑いしてる。

「オレはアイツみたいに浮気はしねえけど?」
「…う…嘘ばっかり。男なんてみんな同じだよ。ちょっと可愛い子や綺麗な子を見たらすぐやりたがるんだから――」
「オレはしねえって。こう見えて意外と一途だし」
「い、一途って…」
「知らんかった?会った頃からオレがオマエを見てたの」
「……」

知らなかった。だって半間くんはアイツの遊び仲間で、そういう認識だったから。まさか半間くんがそんな風にわたしを見てたことも何も知らない。そりゃ最初に紹介された時は悪そうだけど、なかなかイケメンだし、ちょっとドキっとはしたけど。でもあの時はまだアイツのことが好きだったから半間くんの気持ちに気づくほどよそ見もしていなかった。

もオレに負けず劣らず一途じゃん。アイツは散々浮気してんのにオマエは一生懸命あのバカに尽くしてるし、そーいうのいいなーと思ってた」
「そ、それってただの鈍感女じゃない…」
「そこが可愛いんじゃん?のいいところ」
「バカにしてる」
「してねえよ」

急に声のトーンが変わって最後は真剣な声だった。思わず顔を上げると、意外にも真面目な顔をした半間くんと目が合う。不覚にも心臓が鳴ってしまった。

「あんなヤツ、サッサと忘れてオレにしとけよ。いっぱい可愛がってやっから」
「……半間くん…」

言いながら本当に頭を撫でてくる半間くんの笑顔は、殊の外優しい。また違う意味で泣きそうになった。物騒なタトゥーを入れてる手が、まさかこんなに優しいなんて思わなかった。

「返事はー?」
「え…い、今…?」
「オレ、せっかちだから今から一分だけ待つわ」

半間くんが言いながら笑う。不思議なくらい誰も通らない小さな公園で、友達だと思ってた男に抱きしめられてるおかしな状況なのに、しっかり癒されてるわたしがいた。

「で、オレの彼女になる覚悟は出来た?」

きっかり一分後、半間くんが言いながらわたしの顔を見下ろしてくる。その言葉に頷いて、もう一度半間くんのくちびるを受け止めたら、"意外と一途"な半間くんはわたしの新しい彼氏になっていた。

「そう言えば…雄馬と何でつるまなくなったの?」

照れ隠しでどうでもいいことを尋ねると、半間くんは「あー…」と困ったような顔で笑った。

「…アイツが他の女と歩いてるとこ見かけて、頭にきたからぶん殴った」
「え…何で…」
「あ?だってオレが好きな女と付き合ってるクセに、浮気とか許せねえじゃん」

彼は真顔でそんな恥ずかしい台詞をさらりと言いのけた。
半間くんは意外にも…理想の彼氏かもしれない。

※半分「SSS」で掲載してる短編と同じですが一部書き直してあります。