あなたを好きになって良かった

Cry baby cry honey


"今夜会える?"とわたしから初めて修二を誘ってみた。その後に"ごめん"…と修二からの返信が届いて少しガッカリしたけど、メッセージの最後、土下座の絵文字を見て軽く吹き出した。友達になった稀咲くんにチームへ勧誘されて、今度メンバーに紹介されると話してたから、それが今日になったのかもしれない。それなら我慢しなくちゃなと思って「また今度ね」とハート付きで返信しておく。そのままケータイを枕の下へ突っ込むと布団を頭まで被った。それでもゾクゾクとした悪寒がするんだから嫌になる。

「ゴホッゴホ…あー…また熱が上がってきたかも…」

咳込みながら火照った頬へ触れると、普段の数倍は熱を発してる気がする。昨夜から続いた頭痛と寒気。一応、薬を飲んで寝たけど手遅れだった。今朝起きたら頭痛が消えてた代わりに、寒気が悪化していて、熱を測ったら37度8分。ちょっとだけ熱が上がってて、でもこれくらいならすぐ下がるだろうと思ってたのに、時間が経つにつれ、体中がギシギシしてきた。楽しかった夏休みも終わって、残暑も緩み、少し涼しくなってきた頃だったのに、まだ暑いからと油断して薄着で寝てしまったのもいけない。しかもこういう時でも親は仕事でいないし、家に一人ぼっち。さすがに心細くて修二に会いたくなった。昨日会ったばかりで「会いたい」なんて恥ずかしいと思ったけど、やっぱり寂しい気持ちには勝てず、聞くだけ聞いてみようと思ってメールしたのだ。

(とにかく熱が下がるまで寝てよう…)

本当は喉も乾いてるし、お腹も空いてる。でもベッドから出る気にもなれない。次第に頭がボーっとしてきて、わたしはぎゅっと目を瞑った。
どれくらい眠っていたのか。ふと意識が戻ってきた時、かすかに聞こえたバイクの排気音と、室内の薄暗さでパチっと目を開けた。眠りに落ちた時は明るかった部屋が、今はすっかり夜色に染まって、カーテンの開けられた室内には外灯の明かりが差し込んでいる。

「…あー…かなり寝ちゃったのかな…ゴホッ…」

とはいえ、眠った時と同様、あまり症状に違いはない。ただ酷く汗をかいていた。初秋ということで暖房なんかもちろん付けてないし、室内も寒いというほどじゃない。でも熱で火照った身体を冷まそうした汗の感触が気持ち悪くて、わたしはゆっくりと起き上がった。
そう言えば、さっき目が覚める瞬間、バイクの音が聞こえた気がした。だけど今は何も聞こえないからどうやら気のせいだったらしい。修二に会いたいと思いながら寝たから、そんな夢でも見たのかなと苦笑が漏れた。

「さむ…」

布団から出た途端、ゾクゾクとして汗で濡れたTシャツが冷たく感じる。出来ればシャワーで汗を流したかったけど、熱がある中でそんなものを浴びれば悪化しそうだ。仕方ないと、ここは着替えるだけにしておいた。汗が引いた肌に真新しいリネンのシャツが心地いい。

「はあ…少しスッキリしたぁ…」

ホっとしたところで新しい冷えピタをオデコに貼り直す。そのままベッドへ戻ろうとした時、お腹が派手に鳴った。そう言えば朝から何も食べてない。一瞬、迷ったものの何かレトルトの物がないかキッチンに探しに行こうとした時だった。かすかにケータイの鳴る音がして足を止めた。

「あれ…ケータイ、どこ置いたっけ…」

いつもハッキリ聞こえる着信音が微妙に小さい。でもベッドの方から音がすると気づいて戻ってみた。そこで枕の下へ突っ込んだことを思い出す。慌てて枕を取り払い、ケータイを見ると、そこに表示されていたのは修二の名前。驚いてすぐに「もしもし」と電話に出てみた。

『あー?オマエ、今どこにいんだよ』
「え…どこって家、だけど…」

開口一番、居場所を聞かれて戸惑いつつも応えると、修二に『マジで?部屋真っ暗じゃん』と驚いた様子で言われた。その言葉にはわたしも驚く。電気がついていないと分かるのは部屋の見える位置に修二が来てるということだからだ。

「え…修二…今どこ?」
『あー…今、オマエんちの近く。帰りにちょっとだけ顔見ていこうと思ってさ~』

苦笑交じりで応える修二の言葉を聞いて、わたしはすぐ部屋の窓を開けた。すると少し先の角のところにシートの背もたれが長い独特のデザインをしたバイクが見える。バイクにまたがっていた修二は顔を出したわたしに気づいて手を振ってきた。

『今、そっち行くわ。こっからじゃ顔見えねえし』

修二は言いながらバイクを降りたようだった。気を遣ってか、夜うちに来る際、修二は家から少し離れたところにバイクを止めている。修二がそのまま家の方へ歩いてくるのが見えて、わたしは慌てて身を乗り出した。熱のある体に夜風が響いて酷い寒気がする。

「あ、ちょ、ちょっと待って――」

何か羽織ろうと思って言ったけど、修二は『別に家に上がろうとは思ってねーよ』と笑っている。

「そ、そうじゃなくてね。わたし、実は――」
『あれ…、オデコに何貼ってんの』

事情を話す前に修二が窓の下へついてしまった。オデコの冷えピタが見えたのか、見下ろすと怪訝そうな顔の修二と目が合う。

「えっと…実は熱が出て…ずっと寝てたの…」
『は…?マジで?熱って…どのくらい?』
「さっき測った時は38度近くあったかな…」
『は?結構あんじゃん。大丈夫かよ』

修二は急に慌てだした様子でわたしを見上げている。正直、あまり大丈夫とは言えないくらい体調が悪くて、応える代わりに軽く首を振ると『薬は?飲んだ?』と訊かれた。

「夕べ飲んだけど…今日はまだ…ご飯食べてなくて」
『マジか…何してんだよ…親は?また仕事でいねーの?』
「うん、まあ…」

応えた瞬間、修二が溜息を吐くのが分かった。

『…もしかして…具合悪いからさっきメッセージくれた?』
「…う…」
『ったく…言えよ、そういうことは。そしたらオレもあっち断ったのに』
「ご、ごめん…」

そう言いながら目を細める修二は少し拗ねてるようだ。でもわたしはそう言ってくれただけで嬉しさがこみ上げてくる。友達との約束より、わたしを優先してくれる人なんだと思ったからかもしれない。でもその気持ちが分かっただけで十分だ。わたしのことで友達との約束を破って欲しくはないから。

『…ちょっと待ってろ』
「え…?」

修二は不意に踵を翻し、バイクの方へ戻って行く。

『何か消化にいいもん買ってくっからは寝てろ』
「え、でも…」
『…それくらいさせろよ。可愛い彼女が熱だしてんのに放って帰れるわけねーじゃん』
「…修二…」

修二はバイクにまたがると『また電話すっからオマエはあったかくして寝てろよ』とそれだけ言って電話を切った。その瞬間、ブォォンと大きな排気音が聞こえてきた。走り去っていく修二の姿が見えなくなるまで見送りながら、ちょっとだけ泣きそうになる。さっきまで心細かったはずなのに、今はほんわか心があったかくなったような、そんな気分だ。だけど――。

「…ックシュ!」

夜風に当たり過ぎたのか、ゾクリとした瞬間、クシャミが出てしまった。慌てて窓を閉めてクローゼットから部屋着のカーディガンを出して羽織る。とりあえずキッチンまで行くと乾いた喉を潤すのに水を飲んでから、洗面台で顔をチェックすると、かなりひどい有様だった。熱で赤いのはもちろんだけど、寝起きだから目が腫れぼったい気がする。修二に見られても平気なように冷えピタを剥がしてすぐに顔を洗ってから化粧水やクリームなどで整える。ついでにしっかり歯を磨いて、潤いのなくなってた唇にもリップを薄っすら塗っておいた。これでだいぶ病人特有の寝ぼけた顔がマシになったと思う。髪は…仕方ないから軽く梳かすだけに止めておいた。
そんなことをしてたら、家のインターフォンが鳴った。

「大丈夫か?」
「修二…!」

ドアを開けた瞬間、修二の顔を見たら我慢出来なくて思わず抱き着いてしまった。修二もぎゅっと抱きしめ返してくれたけど、そこで昨日からお風呂に入ってないことを思い出した。

「何だよ」
「お、お風呂入ってないから…汗くさいかもだし…」

慌てて離れたわたしを見て驚く修二に説明すると、彼は一瞬キョトンとした顔をした。

「ばはっ。変なこと気にすんなー?」
「ひゃ」

修二は軽く吹き出すとわたしの腕を強引に引き寄せた。

「そんなの熱だして寝てりゃ普通のことじゃん」
「で、でも…」
「つーか臭くねえし」

修二は笑いながら言うと、もう一度わたしをぎゅぅっと抱きしめてくれた。自分でも驚くくらい、その腕の強さにホっとしてしまう。修二の手がわたしの髪を優しく撫でていった。

「やっぱ体、あちーな、オマエ…」
「う…また少し熱が上がったみたいで寒気するの…」
「げ、ヤベえじゃん」
「わ」

修二は言うや否や軽々とわたしを抱き上げると、部屋のベッドまで運んでくれた。体がしんどくて参っているせいか、こんな風にされると、やっぱり修二は頼りがいがある彼氏だぁとシミジミ思う。同時に好きだという想いが溢れてきた。

「キッチン借りていい?レトルトだけどお粥買ってきたからあっためてくるわ」
「あ…ありがとう…」
「とりあえずそれ食って薬飲まなきゃな。オマエの顏、すげー熱いし」
「…うん」

修二はわたしの額に口付けながら火照った頬へ手を添えた。バイクを飛ばしてくれたのか、修二の手は冷んやりしていて気持ちがいい。その手に自分のを重ねると、修二と目が合った。何となくそんな空気になった気がして心臓が変な音を立てる。案の定、自然に修二の顔が近づいてくるのを見て、わたしは「ダメ」と慌てて顔を背けた。

「か、風邪移っちゃう」
「いいって、そんなの」
「よ、良くないよ…修二まで熱だしたら――」

と言いかけた瞬間、ちゅっと唇を啄まれて、熱とは違うもので頬が熱くなった。修二はいたずらっ子のような笑みを浮かべて、もう一度、今度は優しく唇を塞いでくる。ただでさえ熱で頭がふわふわしてるのに、修二のキスがあまりに優しいから余計に熱が上がった気がした。

「つーかさー。オマエ、こういう時は遠慮しねえで、今度からはオレにちゃんと言えよ」

ゆっくりと唇を離した修二はわたしの熱い額に自分のをくっつけながらも真顔でそう言ってくれた。いつもと変わらないように見えて修二なりに心配してくれてるみたいだ。その気持ちが伝わって、具合が悪いはずなのに何故か心が満たされていく。こんな時、いつも一人で耐えることに慣れていたから、寄り掛かれる人がいるというだけで幸せだと思う。それが大好きな人なら尚更だ。

「ありがとう…修二」
「お礼言うとこじゃねーよ」

じわりと溢れた涙を拭いながら言えば、修二は照れ臭そうに笑った。その笑顔を見て、また好きが溢れてくる。

「じゃあ…大好き」
「…可愛いかよ、オマエ」

修二の手がまたわたしの頬へ触れる。物騒なタトゥーが彫られた手のはずなのに、わたしへ触れる指先だけは泣きたくなるほど優しい。修二は常に愛情表現を惜しみなくしてくれるから不安になりようがないくらい、わたしを幸せにしてくれる人だ。

「わたし…修二のこと好きになって良かった」

普段ならこんな恥ずかしいこと口になんて出来ない。だけど今だけは熱のせいにして、心の内を素直に伝えたくなった。
修二は少し驚いた顔でわたしを見つめて、それから嬉しそうな無邪気な笑みを浮かべた。

「それ、オレの台詞だわ」

大きな手でわたしの頭を撫でながら、修二が「オレのこと好きになってくれてサンキューな…」と呟く。その時の修二の顔が少しだけ泣きそうに見えて、胸が痛くなった。もしかしたら、修二の方がわたしなんかより何倍も孤独だったのかもしれない。この時、ふとそんな気がした。