幼馴染の話をしよう



「でね、イザナったら真っ赤になって逃げるの。何でだと思う?」

今日も私の幼馴染は愛しい恋人の話に余念がない。大学で顔を合わせたと思えば、すぐに"彼"の話が始まる。もうこれは挨拶みたいなものだと思うことにした。
この可愛らしい幼馴染、とは小学5年の頃からの付き合いだ。元々孤児の子が入る施設にいたという話も聞いている。そこで出会った黒川イザナくんが初恋だということも。でもだけが今のご両親に引き取られることになって、そのことで「お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌だ」とが愚図っている間に、お兄さんとイザナくんは施設から忽然と姿を消してしまったそうだ。

「きっとお兄ちゃんはわたしの為に施設を出たんだと思う。わたしが養子に行きやすいように」

いつかがそう話してた。お兄さんからは今の家の方へ定期的に連絡がきてたようで、晴れてが高校を卒業した時、久しぶりに再会したらしい。お兄さんはやっぱりイザナくんと一緒にいたようで、二人で何かチームを作ろうとしてたみたいだ。そこではお兄さんに無理やり頼み込んでイザナくんとも再会することに成功。子供の頃からずっと彼のことを想っていたはその日から彼に猛アタックを開始した。私もその都度、相談に乗ったり、愚痴を聞いたりしてきたから、二人がつき合いだした時は、本当に嬉しかった。でもつき合ったら付き合ったで、今度は「イザナ、わたしに何もしてくれないの」と、とんでもない相談を受ける羽目になり、その後も色々紆余曲折あって、やっと今の関係になったのは、私にとっても感慨深いものがある。まあ、これはこれで惚気話を毎日聞かされるようになったんだけど、幸せそうにイザナくんの話をしてるを見てると、こっちまで幸せな気分になるから、ありよりのありなんだけどね。

「男の子ってエッチなことしてあげたら喜ぶって雑誌に書いてたのになぁ…」
「…ぶはっ」
「きゃーっ!ヨリちゃん大丈夫?」

飲んでいたコーヒーを吹きだすと、は慌てて自分のミニタオルを私に手渡した。因みに"ヨリちゃん"というのは私のことだ。本名は織家ヨリナ。は昔から私のことをヨリちゃんと呼ぶ。

「だ、大丈夫…ちょっと驚いただけだから」
「そう?もービックリしたー」

は無邪気に笑いながら濡れたテーブルを拭いている。でもビックリしたのは私の方だ。キスしてくれないと悩んでいた頃を思えば、今の悩みはもっと更に濃いものになっているんだから。

ってばそんな雑誌読んで参考にしてるわけ?」
「だって…わたしはイザナしか男の子は知らないし、男の子が何をしたら喜んでくれるのか分かんないんだもん」
「ま、まあ…は昔からイザナくん一筋だったもんね。高校の時だってモテてたのに"わたしには将来を誓った相手がいるから"なんて言ってたし。まだ再会すらしてなかったのに」
「そ…そうだっけ…」
「そうだよ。まあ…実際その夢が叶いつつあるんだし、のそういうとこ凄いと思うけど」
「それは…イザナがわたしを受け入れてくれたからだよ」

そう言って笑うは本当に幸せそうだ。

「イザナくんものこと、ずっと忘れてなかったんでしょ。いいよね、そういうの。幼い頃からお互いが初恋で、大人になって結婚を前提につき合うって凄いと思う」
「…うん。わたし、今すごく幸せ」
「そんな顔してるよ」
「えーどんな顏?」
「締りのないデレデレの顔ー」

そう言って笑うとは自分の両頬を手で隠して赤くなった。

「一年前に付き合い始めてからも色々あったもんね。特に半年前とかはイザナくんがあの男を殴って捕まりそうになったりしたし」
「…あ。あったね、そんなこと!あの時はホント怖かったなぁ…」

は遠い目をしてふと笑みを零した。あの時はキスしてくれないと悩んでたが、イザナくんとファーストキスをして舞い上がってたっけ。付き合って半年も待ってたイザナくんは何気に凄いと思う。
でもそんな頃だった。あの事件があったのは。
あれはウチの大学祭にがイザナくんを連れて来たのがキッカケだった。




~半年前~


「ねーねーお願い~!」
「…ヤダ」
「何でぇ?」
「…怠い。面倒」

そう応えながら、オレは飼っている熱帯魚のベタに餌を落としていく。その横で肉まんみたいにホッペを膨らませてるを見て、吹き出しそうになった。

「わたしはイザナにも来て欲しいんだもん。一緒に大学祭まわりたい」
「そんな学生の祭りにオレが行ったら浮くだろ」
「そんなことないよ。きっとイケメンが来たー!って大騒ぎになっちゃう」
「……じゃあ尚更ヤダ」
「もーっ」

今度はタコかってくらい口を尖らせてるを見て、遂に我慢も限界がきた。

「ぶは…っ」
「……な、何で笑うの?」
「いや、だってオマエの顏…コロコロ表情変わるからおもしれーし」
「酷い…女の子の顔見て笑うなんて…」

今度は見事に萎んだ風船みたいになった。仕方ねえから腕を引き寄せて抱きしめると、耳まで真っ赤になっている。つい先月、やっとキスを交わしたというのに、その後一週間は「顔を合わせるのが恥ずかしい」という理由でオレのことを避けるくらいはシャイだった。今もちょっと抱き寄せただけなのに、ぶっ倒れるんじゃないかってくらい体温が高い。オレとしては遅すぎるほどのキスを済ませたし、そろそろ次の段階へふたりの関係を進めたいと思ってるのに、のこの様子じゃ次なんてまだまだ先の話になりそうだ。まあ、でもこの先ずっと一緒にいるつもりだから焦る必要もねえんだけど。

「カフェオレでも飲む?」
「う…うん」

ぶっ倒れちゃ困るから仕方なく体を解放してキッチンへ立つ。オレが腕を離したことで、は明らかにホっとした様子で息を吐き出した。

「でも困ったなぁ…」
「何が」
「イザナが来てくれないなら、井口くんたちと回ることになりそうだし…」
「あ?誰だよ、井口」

の口から男の名前が出たことで、少しムっとしつつ振り返ると、は「大学の男の子で前サークルが同じだったの」と説明した。オレと再会する前、は半ば無理やりテニスサークルに入れられたようだが、オレと付き合いだしてすぐやめたと話していた。

「少しでもイザナとの時間を多くしたい」

という可愛い理由を聞かされた時は、オレもガラにもなく嬉しくなったもんだった。でもそのサークルで一緒だった男がと大学祭を回るなんて話は聞いてない。

「当日一緒に回ろうってしつこくて…だから彼氏と回るしって言ったんだけど、イザナ来れないなら――」
「行く」
「…え?」
「行ってやるよ、大学祭」
「えっ!ほんと?」
「ああ。その日、特に用もねえし」
「でもさっき面倒だって…」
「うるせーなぁ。行くって言ってんだろ。それともオレが行くのイヤなのかよ」

ジロっと睨めばは慌てて首を振って、満面の笑みを見せてくれた。

「ううん、すっごく嬉しい!ありがとう、イザナ!」

は大喜びでオレに抱き着いて来た。それが可愛くてぎゅっと抱きしめると、またすぐ茹蛸みたいになったから笑ったけど。

当日は最寄りの駅で待ち合わせをして二人で彼女の通う大学へと向かった。殆ど学校なんて場所に縁のなかったオレは、初めて入る大学構内が新鮮に映って、結構あちこちに案内をしてもらった。そこで気づいたのは、は男にかなりモテるということだ。オレが隣にいようと平気でに声をかけてくる男が後を絶たない。やっぱりオレが来て正解だった。

「え、ちゃんの彼氏?」
「か、彼氏いたんだ…」

男どもは様々な反応を見せながら、最後はオレをチラっと見ては溜息を吐いて去っていく。何とも分かりやすい奴らだ。

「…オマエ、普段からあんな男どもに話しかけられてんの」
「え?あーうん。何かしら誘われることはよくあるかなぁ。映画とか、後は飲み会とか」
「へえ…そんなもん行ってんのかよ」

声が一気に低音になったのは自分でも分かった。オレのいないところでが男どもに誘われてるという現実にやたらとイラつく。

「え、行かないよ。わたしにはイザナがいるもん」
「……ふーん」
「イザナ…?」

内心ホっとしたくせに、オレもとことん捻くれてるから素っ気ない態度しか出来ない。の周りにいる男ども全員ぶっ飛ばしたい気分だった。でも今日ここへ来ることを鶴蝶に話したら「暴れんなよ」と釘を刺されたからしねえけど。

「あ、イザナ。たこ焼き食べよ」
「たこ焼きー?ビール飲みたくなんじゃん」
「ビールも買う?」
「オマエ、ビール嫌いだろ?苦いから」
「う…で、でもイザナと同じの飲みたい」
「………(クソ可愛いな、おい)」

腕をぎゅっと掴んで見上げてくるはむちゃくちゃ可愛いしかねえ。ガキの頃からはこんな風にオレにベッタリだった。あの頃のオレも、そんなが可愛くてしかたなかったっけ。こんなオレを頼ってくれる女の子は、だけだから。

「んじゃあオレはビール買ってくっからはたこ焼き担当な」
「うん、分かった」

は笑顔で頷いてたこ焼きの出店まで走っていく。オレは人混みの中、辺りを見渡してビールが売ってるところを探した。

「お、あったあった」

さすが大学祭。アルコールも売ってるのはオレとしても有難い。っていうか意外と大学の祭りも本格的なんだなと感心した。門から大学までの一本道にズラリと並んだ出店を見ると、本物の祭りに来てるような気分になってくる。こんな雰囲気は久しぶりだ。

(来年の花火大会、も連れてってやるか)

そんなことを考えながらビールを買ってと別れた場所まで戻る。でも混雑した人混みの中に、彼女の姿はなかった。

(どこまで買いに行ったんだ?のヤツ…)

仕方なく、たこ焼きの売ってる出店の方へ歩いて行く。でも店の前まで来てもはいなかった。途中で入れ違いになったか?と思って元の場所へ戻ってみるも、やはり彼女の姿は見えない。少しだけ嫌な予感がした時、不意に肩を掴まれた。

「あの」
「あ?」

振り向くと、そこにはさっきに話しかけて来た男の一人が立っていて、どこか落ち着かない様子で視線を忙しなく動かしていた。

「何だよ」
「あ、あの…さんが…」
「あ?がどーした」

気弱な男なのか、オレが凄むとビクリと肩を揺らして口ごもる。こういう奴は見ていてイライラするものの、の行き先を知ってるのか気になった。

「早く言えよ。がどうした?」
「そ、それがさっき彼女のこと強引に連れて行った奴が…」
「は…?」
「あれは…井口くんだったと思います」
「…井口?」

どっかで聞いた名だと思った。

「ア、アイツ、前からさんにしつこく言い寄っててオレ達も心配してたんです」
「オレ達…?」
「あ…オレ、さんのファンクラブ会長で、アイツらは会員です」

その男が後ろを見ると、そこにはやはりに話しかけてきた男ども数人が立っていて心配そうな顔で辺りをキョロキョロしている。

の…ファンクラブ…?」
「あ、いえ!別に変な会じゃなくて…さんオレらみたいな地味な男にも優しいから憧れ的なもので作ったんです。でも決して口説こうとか大それたこと考えてたわけじゃなく――」
「あーオマエらがのファンだってのは分かった。で?が連れてかれたってどーいうことだよ」
「あ!そ、そうだった!それで…井口がさんを強引に校舎の裏側へ引っ張っていくの見ちゃって…追いかけたんですけど見失って――」
「……っ」

が強引に連れて行かれた。そう聞いた途端、全身が総毛だつ感覚に襲われた。

「裏ってどこだ」
「あ、あっちの脇道を入ったとこに――」

そこまで聞くとオレは手にしていたビールをその男に押し付け、走りだしていた。一人にするべきじゃなかった。そう後悔しながら必死で走る。

(井口…がしつこく誘われてるって言ってた男だ…)

ふと先日の会話を思い出し、更に頭に血が上った。そばにいたのに他の男にさらわれるなんて、怒りで理性なんか一瞬で消し飛んだ。人混みをかき分け、脇道にそれて校舎裏へと走る。井口がどういうつもりか知らねえが、に何かしたら死ぬほど後悔させてやる。

「……ゃあっ」

「―――ッ?」

その時、奥の方からの声が聞こえて来て、オレは急いでその場所へ走って行った。そして角を曲がった瞬間、校舎の壁と壁の間にあるくぼみで、を壁に押し付けキスをしようとしている男の姿を捉えた。

「……っ!」

に触れようとしている男の姿を見て、体中の血液が沸騰した。ぞわっとしたものがこみ上げて毛が逆立つ感覚に襲われる。でも二人の方へ走りかけたその時。バチンという派手な音が聞こえて足を止めた。

「何すんのよー!イザナにも触らせてないのにっ!!」

は見事な平手を井口にかまし、殴られた井口は唖然とした顔で突っ立っている。その時、がふとこっちを見てオレに気づいた。

「イザナ!」

嬉しそうに走り寄って来たを思いきり抱き締めると、彼女は目に涙を浮かべた見上げて来た。

「イザナ…ご、ごめんね…わたし――」
「オマエは悪くねえ…悪いのはアイツだろ」
「あ…」

そこでを放すと、オレはこっそり逃げようとしている井口の腕を掴んで思い切り顔面を殴りつけた。

「イザナ…!」

の声は聞こえてた。でもオレの中に溢れかえった怒りが止められない。それでも暴れて逃げようとする井口を後ろから蹴り飛ばすと、呆気ないくらい吹っ飛んでその場で気絶した。

「イザナ…!」

後ろからオレに抱き着いて来たは「っもういいから殴らないで…」と涙声で呟いた。

「こんな人、放っておこ?」
「……

ムリに笑顔を作ってオレの袖を引っ張って来るの手を掴むと 「帰るぞ…」と歩き出した。元来た道を歩き、人混みを抜けて、大学敷地内を抜け出す。他の男がに少しでも触れたことが想像以上に不快だった。

「イザナ…?わたしなら平気だから…」
「平気じゃねえだろ。襲われかけたんだぞ」
「でも…イザナが来てくれたもん」
「バカかよ?オレが間に合わなかったら…」

と言いかけて言葉を切る。が笑みを浮かべてオレを見上げてた。

「わたしも一発殴ってやったし、イザナも殴ってくれたからスッキリしたよ」
「……あんなもんじゃ足りねえ」
「でもあれ以上殴ってたらイザナが悪者になっちゃうもん。そんなのイヤだよ…」

悲しそうに俯くを見て、オレはそこで初めて怒りが静まっていくのを感じた。いつものようにやれば、あんな普通の大学生なんてすぐに病院送りになる。の為にはあれくらいで済んで良かったのかもしれない。

「助けてくれてありがとう…」

がそう呟くのを聞きながらも、オレは何も応えられなかった。
オレはどうしたら良かったんだろう。手を繋いでやれば良かったのか。それとも一人で行かせるべきじゃなかったのか。他の男に触れられる前に、抱いてしまえば良かったか?いや――そうじゃない。やっぱりオレがそばにいてやるべきだった。大事にすると、決めていたのに。

「イザナ…大好きだよ」

がポツリと呟く。その言葉がやけに胸に沁みて。

「……オレも」
「え…?」
が好きだ」

初めて、にその言葉を言えた気がした――。






「でもあの時はイザナに初めて好きだって言ってもらえて、アイツに襲われそうになった恐怖なんて消し飛んじゃったんだ」

懐かしい思い出話をしながら、は嬉しそうに笑った。
結局、井口がの彼氏に殴られたって騒いでたけど、先にを襲おうとしたのは井口だと、のファンクラブの子達も証言してくれて、イザナくんは警察に捕まることはなかった。それには心底ホっとしたし、もきっと同じだったと思う。その後は井口も大学にいづらくなったのか、自主退学をしてしまったけど、あれで良かったんだ。

「あの時のイザナ、カッコ良かったなー♡」
「はいはい」
「あ、ヨリちゃん、呆れてる?」
「んー。少し」
「あー酷い!」
「うそ、うそ。羨ましいなーっていつも思いながら聞いてるよ。今夜もイザナくんのとこでしょ?」
「うん。さっきお兄ちゃんに邪魔されたから続きしてあげないとイザナ可哀そうだし」
「……続き?」

何のことかと首を傾げる私に、が顔を近づけて来て耳元でゴニョゴニョと説明してくれた時、私はまたしてもコーヒーを吹きだしてしまった。
彼氏いない歴〇〇年の初心者になんて話を聞かせるんだ!とは思ったものの、大事なが幸せそうで何よりだ。