※軽めの匂わせ表現あり
夜、門前でタクシーを降りると大きな扉がゆっくりと開かれ、そこから黒スーツに強面の男達が数人顔を出した。
「お帰りなさい!お嬢さん!」
一同全員が頭を下げた先にいたのは。この極道一家の一人娘だ。父は表向き引退はしたが裏の世界への影響力は未だ健在。自分のシマや息のかかった枝の組織は全て梵天に任せて悠々自適の日々を送っているものの、現役の頃とさして変わらないほど組員が家の敷地内をうろついている。
「ただいま!」
子供の頃からこの出迎えは変わらない。はいつも通りの挨拶をしながらも頭を下げている組員たちの間を一気に走り抜けて母屋の方へ向かった。ヒールを穿いて走ったせいか、途中足がもつれそうになるが、「お嬢さん!大丈夫ですか!」と何故か後ろから走って追いかけて来る組員が一斉に手を差し出す。
「だ、大丈夫!持ち場に戻って」
「「「「「「はい!!」」」」」」
の一声で組員たちも素直に戻っていく。それを見てホっとしつつ、相変わらず過保護な組員たちだと苦笑した。ああいうところは父にそっくりだ。しかしはその父にお願いをする為、急いで母屋である自宅に入り、すぐに大広間へと向かった。
「お父さん、いる?!」
「何だ、騒々しい」
がらりと障子を開け放てば、大きなソファにゆったりと腰をかけた着流し姿の男が振り返る。Vシネマにでも登場しそうないかつい顔には深い皺が刻まれているものの、大柄でガッチリとした筋肉質な体形は未だに現役を思わせるほど若々しい。可愛らしい顔をしたとは似ても似つかないのは、が早くに亡くなった母親似だからだ。
「お願いがあるの」
「帰って早々、何だ、改まって。ああ、前に欲しがってたゲーミングチェアのことか?オマエ専用にカッシーナで作らせた立派な椅子があるだろう。そもそもあんな俗物的なデザインの椅子など我が家には合わん」
「いつの話をしてるの、お父さん。そんなものとっくに買ったわよ」
「な、何?!オマエ、オレに内緒で勝手に買ったのかっ」
ノンビリとテレビを見ていた父が慌てたように振り返る。だがの恰好を見て「何だ、その趣味の悪い服は。みっともない」と顔をしかめた。
「これは友達に借りたの!電話で説明したでしょ?ワインをかけられたからって」
「ああ…そう言えば夕べそんなこと言ってたか…」
「もう…お父さん、夕べもどうせ飲んで酔っ払ってたんでしょ」
「いいだろ、別に。可愛い娘が友達と飲みに行くと言うからオレだって寂しかったんだ。だいたい泊って来るなら彼氏の家とかにしてもらいたいもんだな」
「またそれ……っていうか、そんな話をしたいわけじゃないの!」
どんどん話が反れていくことに気づいて、は父の前に正座をした。
「お父さん。今すぐ梵天をやめさせて」
「……何?どうしてだ。オマエはよくやってくれて優秀だと、今日も九井から連絡を受けたとこだぞ」
「そ、それは有難いけど!わたしはすぐにでも辞めたいの。お願い、お父さんから九井さんにそう伝えて」
「…理由は?」
ぐぐっと目を細める父に、もさすがに言葉を詰まらせた。まさか上司になった男に襲われかけたとは言えない。今や梵天と父の組は持ちつ持たれつの関係であり、一心同体で共存している。その関係を壊すことにもなりかねない原因を作るべきじゃないのはでも分かる。だがしかし。このまま梵天に居続け、蘭の下で働くことはにとって最悪の状況であることは間違いない。何せ、これまで隠し通して来た秘密が暴かれてしまったのだから。
「何だ、理由も言えないのか。なら辞める話はなしだ」
「お父さん…!梵天以外でなら、いくらでも働くからお願いっ」
「ダメだ。オレがせっかく九井に頼み込んでオマエを雇ってもらったんだ。最初はオレの娘をコキ使えないと渋られて、そこを何とかと頭を下げたんだぞ、このオレが!」
父は当然これまで人に頭を下げる生き方をしてこなかった。でも今回、愛しい我が子の為に半分以上歳の離れた九井に頭を下げたと言うのだから、よほどのことだと言うのは分かっている。でもその理由が「女として目覚めさせてやってくれ」というのはも納得していなかった。
「幹部の奴らはいい男揃いだし腕っぷしも強い。オマエの男にするには最高じゃないか」
「…男とか言わないでよ。それに向こうにだって選ぶ権利はあるでしょ。わたしみたいな地味な女を押し付けちゃ気の毒じゃない」
「それはオマエがいっつも地味な格好してるからだろうが。もっとお洒落して着飾れば最高の美女になるはずだ。母さんの娘なんだからな」
父はそう言いながら居間に飾ってある特大の母の写真を見て涙ぐむ。母を溺愛しすぎたせいで、この部屋には特大サイズにまで引き延ばした亡き妻の写真を飾っているのだから娘としては何とも言えない気持ちになる。
「とにかく!辞めるのは許さん。辞めるなら誰か一人、モノにしてからにしろ」
「…モ、モノって…」
「ああ、オマエの上司になった灰谷蘭なら最高なんだがな。男前の上に六本木を仕切ってるカリスマ性と知力がある。あの男なら――」
「もういい!お父さんのバカっ」
「バカあぁ?おい、!待て!お父さんに向かってバカとは何だ!」
居間を飛び出せば後ろから父の怒鳴り声が追いかけてきたものの、それを振り切るように自室へ向かう。
「全く…蘭さんならいいって何それ…。その蘭さんに娘が襲われかけたって言うのにっ」
ブツブツ言いながら離れにある部屋へ飛び込むと、手に持っていた荷物を放り投げてベッドへダイヴする。
「はあぁぁ……最悪」
ごろりと寝返りを打ちながら溜息を吐き出せば、どっと疲れが出て来た。サッサとシャワーに入って寝てしまおうと、服を脱ぎながらバスルームへと向かう。母屋から庭を挟んで向かい側にある離れは専用の邸宅で、平屋造りだが普通の一軒家と変わらない。も普段はこの家で生活をしていた。
(お父さんのあの様子じゃ当分辞めさせてもらえそうにない……どうしよう、明日から…)
素っ裸でシャワーブースに入ると、頭からシャワーを浴びる。今日一日の汗を流しながら、先ほど蘭に触れられた場所も念入りに、痕跡を消すように洗った。なのに気づけばその時の光景が頭に浮かび、慌てて顔からシャワーを浴びる。あんな強引なことをされたにも関わらず、最後は流されてしまいそうになった自分自身に困惑していた。
「はあ…絶対…バレてたよね…」
洗った髪をバスタオルで巻きながら、バスローブを着て部屋へ戻る。蘭のことを考えると憂鬱な気分と変なドキドキが襲ってきて溜息が洩れた。
自分の体が人よりも感度がいいと知ったのは初体験の時だった。元々酷いくすぐったがりで、軽く肩をポンとされるくらいならまだマシなのだが、手や指に触れられたり、肩や腰を抱かれると何とも言えないむず痒さが襲ってきて、過剰に反応してしまう。特に性感帯と呼ばれている部分に触れられると、脳天まで突き抜けるほどの快感に襲われ、立っていられなくなるほどだ。それを指摘してきたのは初めて付き合った恋人だった。
――オマエ、本当に処女?
初めて恋人と関係を持った時、あまりに感じ過ぎたせいで、実は遊んでるだろと疑われた。性交をした際、濡れすぎたせいで思っていたより痛みもなく、また出血もしなかったことから誤解をされたのだ。「嘘つき」と言われ、勝手に尻の軽い女だと決めつけられたあげくにフラれてしまった時は、も酷くショックを受けて、もう二度と誰も好きにはならないと決めた。また誰かを好きになって、関係を持った時。体質のせいで遊んでる女だと思われたくなかったからだ。
(なのにまさか蘭さんにバレるなんて……最悪だ)
父の思惑に乗っかるのも嫌で、極力目立たないようにして働いていたのに、あんな風に手を出されるとは思いもしなかった。
(九井さんがわたしは彼のタイプじゃないって言ってたのに…何で?)
蘭が派手でセクシーな女が好きだと聞いた時は好都合だと思ったし、何なら不愛想に接してきたつもりだ。なのに予想に反した行動をしてきた蘭に、も戸惑っていた。ただ、驚いたことに、あんなひどいことをされたのに不快には思わなかったこと。不快になるどころか、気持ち良すぎて――。
「いやいや違う!流されるな、わたしっ」
鏡台の前に座り、思い切り頭を振ると、ドキドキしている鼓動を静める為に深呼吸をする。今日まで意識をしないよう努めて来たのに、たった一度触れられたせいで蘭を男として見てしまいそうで怖い。
(あの人が無駄にいい男すぎるのがいけない…)
欲情した時の熱い瞳も、耳に心地よく響く低音の声も、身体に触れて来る細く長い綺麗な指先も、全てが淫靡で五感が刺激されてしまう。
(こんなんで明日から一緒に仕事なんて……出来るの…?)
そう不安に思いながら、メイクを落とした顔を化粧水で整えていく。でもその時、はたっと手が止まった。
「な…何これ…っ」
鏡に映った自分の首筋に、数か所赤くなっている場所がある。その意味に気づいた時、カッと頬が熱くなった。そこは全て蘭の唇が触れた場所であり、何をされたかは明白だった。
「…な…何でこんなの付けるのよ、蘭さんってば…っ」
やけに顔が熱く、胸がドキドキしてしまう。久しぶりのときめきにも似たそれは、明らかに蘭を男として意識してしまった瞬間だった。
*
「おいおい、蘭。寝不足か?」
昼すぎ、事務所に顔を出した蘭が欠伸を押した途端、背後から声をかけられた。振り向かずとも分かるこの無駄に元気な声は梵天No.3の鶴蝶だ。
「ただの二日酔い」
「ハァ?なのに何しに来たんだよ。いつもなら呼びつけるまで家で寝てるクセして。ここにはオマエを癒すようなもんは何もねえだろが」
鶴蝶は皮肉たっぷりの顔で笑っている。内心(ごもっとも)と思いつつ、事務所内を見渡した蘭は「オレの秘書知らね?」と尋ねた。
「秘書ぉ?あ~、なら一時間ほど前に竜胆と二人で出てったけど?」
「……は?どこに」
「オレが知るか。どうせランチだろ。その辺で。時々二人で飯食いに行ってるの見かけるしな」
「あ?んなの初耳だけど」
「そりゃこの時間、蘭が事務所に来ねえからだろ」
鶴蝶はそれだけ言うと、「竜胆のヤツ、あの子を口説いてんじゃねーの」と笑いながら歩いて行く。それを見送りながら蘭は唖然としていた。竜胆がを口説いてる?ありえねえ、と苦笑が洩れる。だがふと思い出したのは、竜胆はどちらかと言えば素人っぽい女が好きだということだ。
(確かアイツ、の写真を見た時、可愛いとか言ってたよな…まさかマジで口説こうとしてんのか?夕べもケーキ差し入れしてたみたいだし…)
色々思いだした途端モヤっとして、蘭は舌打ちをした。別にが誰とランチに行こうが知ったこっちゃない。そう頭では思うのに、胸の奥に生まれたモヤモヤは次第に大きくなっていく。その時、エレベーターのドアが開いて竜胆の声が聞こえて来た。
「マジかー。じゃあ次はそこの店のランチ、ご馳走するわ。色々お礼もかねて」
「え、いいんですか?楽しみです」
「…………」
そんな会話をしながら二人で事務所内に入って来るのを見て、蘭の瞳がかすかに細められた。すると竜胆が「あれ、兄貴?」と少し驚いた顔で立ち止まる。
「珍しいじゃん。こんな時間に事務所来てんの。何か急ぎの仕事?」
「……いや。つーかそんな仕事あったら呑気にランチなんかしてねえよなァ?も」
「………っ」
自分を見た途端、ビクリとしてさり気なく竜胆の後ろに隠れたに気づき、蘭は口元が引きつった。確かに夕べ、強引に手を出しかけたのは自分で、がそういう反応をするのは何となく想像はしていたものの。実際にされると思ってた以上にイラっとした。
「ちょっと来い、」
「え…な…何…ですか」
「いいから」
「ひゃ…」
「あ、おい、兄貴!」
の腕を掴んで歩き出すと竜胆が驚いた様子で叫んでいる。その声を無視して歩いて行くと、蘭は自分専用の部屋に入りすぐにドアの鍵を閉めた。
「な、何ですか、蘭さん…放して下さ…あっ」
掴んでいた蘭の手を振り払おうとするの腕を、逆に引っ張りソファの上に押し倒せば、の瞳が驚愕したように見開かれた。
「な…何するの…」
「オマエ、オレの弟に口説かれてんの?」
「……え?」
「随分と仲良さそうじゃん」
「…ゃ…っん、」
ツツツ…っと指での頬を撫で、最後に形のいい唇をなぞるように触れると、の肩が小さく跳ねたのが分かった。
「夕べ、オレのことは放置して帰ったクセに、竜胆とは仲良くランチかよ。結構したたかな女だなァ?」
「な…ゆ、夕べは蘭さんが無理やりあんなことするから――」
「あ?じゃあ無理やりじゃなきゃいいのかよ。っつーか…まさか竜胆とランチなんて言って、実はホテル行ってたとかじゃねえの?」
「…い、行ってませんっ」
真っ赤な顔で蘭を睨むように見上げると、は「放してっ」と必死に逃げようとする。
「あー暴れんな」
自分を押しのけようとするの両手を片手で拘束して、蘭は上からを見下ろした。今日は昨日と違い、サイズのあった服を着ている。しかも昨日よりは露出の少ないVネックのカットソーにワイドパンツといった格好だ。
「今日はサイズも合ってるみてーだな」
蘭が笑うとの頬がかすかに赤くなる。地味で大人しい女だと思っていたが、今は蘭を睨みつけるように見上げてくる辺り、気の強い女だということが分かった。従順な女には飽き飽きしていたところだ。自分を睨みつけるよう見上げて来る部下を見て、蘭は楽しげな笑みを浮かべた。
「へえ…やっぱおやっさんの娘だな。しっかり受け継がれてんじゃん」
「は…放して下さい…」
「嫌だつったら?大声でも出すか?あいにくここは一般企業でもねえし、梵天の事務所だ。幹部のオレが自分の部下に何しようが止める奴はいねえけど」
そう言いながら身を屈めると、鼻先が触れあうほどに顔を近づける。は困惑したように瞳を揺らし、その中に意地悪な顔をした蘭が映っていた。互いの吐息が交じり合うほど、唇が近い。もう少しで触れそうな距離になり、は慌てて顔を背けた。
「ど…どうして…わたしに構うの…?蘭さん、女には困ってないでしょ…」
「あー…困ってはねえな…。でもオレを突き飛ばして逃げた女はオマエが初めて」
「…そ…それは…謝ります…夕べは混乱してて…」
「あ~オレは謝って欲しいわけじゃねえの」
「…え?」
ニヤリと口元に弧を描く蘭に、が戸惑いながら視線を上げた。
「言ったろ?抱かせろって。忘れたのかよ」
「…だ…抱かせろって…何で…わたし…?蘭さんの好みは色っぽい人だって聞いてますけど…」
「夕べのはめちゃくちゃ色っぽかったけど?オレがその気になるくらい」
「………っ」
「まあ…今は…夕べの半分も色気はねえけど…」
「……んっ」
言いながら蘭の指がの胸の先端を服の上からこするように弄る。その刺激での背中がビクンと跳ねた。
「こうして触れると一気にエロくなるとことか…すげーそそられる」
「…ちょ…っやめて…んぁっ」
カットソーをまくり上げ、脇から手を侵入させた蘭の手がブラジャーの上から胸に触れる。ついでに先端をカリッとひっかくようにされるだけで、甘い刺激がビリビリと広がっていく。
「やっぱここ弱いなーは」
「ダ、ダメ…やめて」
「無理。夕べお預け喰らって今は絶賛欲求不満中」
「…え、ぁっ」
「ちっちぇーけど感度良すぎてコーフンするわ。なあ…ここで抱かれるか、それともホテルに行くか。どっちがいい?」
「……な、何、その二択…んんっ」
話してる間もブラジャーの上から好き勝手に胸を弄られ、は少しずつ息を乱していく。その姿がやたらとエロいと蘭は思った。
「のここ、下着の上からでも硬くなってんの分かるし…どんだけ感じてんの?」
「…ぁ…や、やめ…て…こ、こんなとこで…」
「はー…マジ、かわい」
蘭が言葉通り興奮したようなうっとりとした顔で微笑む。きゅっと乳首のある場所を指でつままれ、ビクビクと体を跳ねさせながら、いやいやと頭を振ることしか出来ない。なのに気持ちとは裏腹に体は勝手に押し上げられ、すでに濡れて来たのが自分でも分かった。
「なあ…マジでダメ…?」
「……っ…んっ」
「言わないならここで抱くけど…」
耳元でそう囁かれ、慌てて首を振ると、蘭はの頬にちゅっとキスを落とした。
「じゃあ…ホテル行く?」
普段よりも低い声で訊かれた時、思わず頷いてしまったのは、一度でも抱けは蘭は自分に飽きるだろうと思ったからだ。そして同時に、蘭のような男なら自分の中にあるトラウマを消し去ってくれるかもしれないと思ったのが一つ。あとは一度でいいから、蘭のような男に抱かれてみたいと一瞬でも思ってしまったからかもしれない。
「一度…だけです」
「…りょーかい」
真っ赤に頬を染めたの一言に、蘭は艶めいた笑みを浮かべてもう一度、その頬に優しく口付けた。
