妹の心境
「ハル兄、ただいまー」
リビングに入る前、玄関からわざと大きく声をかけた。一応、彼女の靴がないのは確認済みだけど、万が一ってこともある。
というのも、冬休みも後半になった昨日「明日からが泊まりに来っから」と突然言われて驚いた。まさか遂に二人は大人への階段を上ってしまうのか?と変な想像すらしてしまったのは内緒の話。
でもよくよく聞いてみればちゃんの親が彼女を置いて旅行に行ってしまったらしく、家に一人で置いておくのは心配だから、という名目でハル兄から誘ったらしい。
ついでに「変な想像すんじゃねえ」と睨まれてしまった。ジブンが話を聞いてる間中、ニヤニヤしてしまったからだろうけど、何もゲンコツまで落とさなくても!
とまあ、そういうことなら…とハル兄に気を遣って、ジブンは友達の家に泊まりに行くことにした。ちゃんが家に来る時はジブンも一緒にお土産のケーキとか食べながらお喋りすることもあるけど、今回は3日ほど泊りに来るということだし、二人きりにしてあげようと思ったからだ。
そして彼女が帰る日の今日、夕方近くになって、そろそろ帰っても良い頃合いだろうと一応電話をしてから帰宅した。
「うわ、何か綺麗になってる…」
数日ぶりに見たリビングはちゃんが掃除をしてくれたのか、置きっぱなしにしてた雑誌や漫画(主にジブンのだけど)や、ペットボトルの類が綺麗に片付けられてる。
「あー…が片付けてくれた」
ジブンが驚いてキョロキョロとリビングを見渡してると、ハル兄が苦笑交じりで言った。
「今度会ったらちゃんとお礼言っとけよ」
「う、うん…分かった」
そう言いながらもハル兄の機嫌は悪くなさそうだ。
着ていたコートを脱いでるとこを見れば、きっとハル兄も彼女を送ってちょうど帰ってきたとこなんだろう。部屋に戻ろうと歩いて行くハル兄の後からジブンもくっついて行ったのはちゃんと何か進展でもあったのか探りを入れようと思ったからだ。
「え…何だよ、それ」
ハル兄の部屋を覗いた瞬間、黒で統一されてる室内に明らか浮いてる物が目に入った。別にそれ自体は珍しいものじゃないけど、ハル兄の部屋、それもベッドの枕元に置いてあるのがめちゃくちゃ不釣り合いで、ジブンはポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「あー…これは…が動物園に行きてぇって言うから…そこで買ったやつ」
「ど、動物園…?」
このハル兄が?と今度こそ絶句した。似合わないにもほどがある。それに――。
「だからって…何でレッサーパンダのヌイグルミ?」
「…が欲しいっつーから」
ハル兄のベッドに置かれていたのは未だに人気のあるレッサーパンダのヌイグルミだった。しかも地味に大きい。それがやけに存在感を放ってる一方で、確実にハル兄の部屋からは浮いていた。きっとマイキーとか場地にこれを見られたら大笑いする前にジブンと同じく驚愕するはずだ。それほどまでハル兄のイメージからヌイグルミという存在は想像もできない。
「で、でも…何でここにあんの?あ、忘れてったとか?」
「…いや。がオレの部屋に置いておいてっつーから。アイツの部屋には他のヌイグルミがあるからって」
「へえ…(まさかそれもハル兄が買ってやったもんじゃないよな?)」
と相槌を打ちつつ、あることに気づいた。ハル兄の部屋には久しぶりに入ったけど、明らかにちゃんの存在を感じるようなものがいくつかあることに。
絶対ハル兄は履かないような猫のモコモコスリッパや、レディース物のブランケットまでが当然のように置かれている
ハル兄がちゃんのために普段なら絶対に行かないような動物園に付き合ったことも驚いたけど、こうして自分の部屋に合わない物を置くことを許すなんて前のハル兄なら考えられない。
東卍の特服に合わせて黒に統一された部屋は、言ってみればハル兄の拘りだったはずなのに。
ただ、ハル兄のちゃんに対する態度を見ていると本気なんだろうなということは何度も実感させられてきたし、遂にハル兄も好きになれる女の子が見つかったのかと、少しだけ感動してしまった。
これまで言い寄ってくる女たちに見向きもしてなかった時は、このまま一生彼女なんて出来ないんじゃないかって心配したこともあったけど。
「何だよ、その顏」
よほど唖然としてたらしい。ハル兄はジブンの方へ振り返ると、普段のように大きな目を半分にまで細めて睨んでくる。
「いや、何でもない…それより…夕飯どうする?お腹空いちゃったし」
これ以上、不機嫌になられても困るから、すぐに話題を変えると、更に驚きの返しが待っていた、
「ああ、それだけど…が作ってくれたシチューがキッチンにあるわ」
「マジで?!食べていい?」
誰かが作ったシチューなんて数年ぶりかもしれない。
なんて出来た彼女なんだとジブンまで嬉しくなった。
「がオマエにも食わせてって言ってたし。あーでも全部食うなよ?オレも後で食うんだから」
ハル兄がすぐに忠告してきたのは、ジブンに前科があるせいだ。前に一度、ちゃんが買って来てくれたケーキをハル兄の分まで食べてしまった時があって、その時は散々だった。
「分かってるよ」
と答えて部屋を出て行こうとした時、ドアの陰に何かが落ちてるのを見つけた。それはエマが好んでつけてるリップで、最近はちゃんも付けてたことを思い出す。
「ハル兄、これちゃんのじゃないの」
「あ?」
拾ったものをハル兄に渡すと「ああ、やっぱ落としてたのか」と苦笑交じりに言った。
「風呂上りにないないって探してたやつだわ、きっと」
「…へえ」
風呂上り…と訊いてイケナイ妄想をしそうになったけど、ハル兄の様子を見てれば多分それはない。
もし二人の関係が今より進んだのなら、ハル兄は絶対に顔や態度に出るはずだからだ。
(まあ…ちゃん、初心そうだし、何日か泊ったからといってまだ早いかあ)
ガキでもそんな知識だけはあるわけで、何となくハル兄に同情してしまう。きっとこの3日間、悶々としたんだろうな、と想像するとつい吹き出してしまいそうになった。殴られたくないから必死でこらえたけど。
ハル兄はリップを受け取ると、すぐに電話をかけはじめた。どうせちゃんに「見つかった」報告の電話だろうな。そんなの次のデートの時にでも渡せばいいのに、わざわざ電話してあげるなんて、ハル兄も随分と優しい男になったもんだ。好きな子が出来ただけで、こうも豹変(表現が違うかもだけど、ジブンからするとそんな感じ)するもんなのか。
まあ浮かれた様子で電話してるハル兄の姿を見てたら、こっちも何となくほっこりするからいいけど。
今度からハル兄が機嫌悪い時は、ちゃんの話題を出すことにしよう。
彼女が作ってくれたというシチューを温めながら、ふとそう思った。