-01-そこから始まる物語



今年の夏、オレの働いているジムに新しいバイトの子が入った。近くの大学に通うちゃん、ハタチの女子大生だ。最初に彼女を見た時は、冗談抜きでオレの時が一瞬止まった。その場に花が咲いたのかと思うほどに可愛らしい子だったから。これまでの自分の好みとは正反対の女の子なのに、心臓に矢が刺さったみたいに胸が疼いたのは、これまた人生で初めての一目惚れだったらしい。そのことに気づくのは、もう少し後のことだった。



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「――ってわけでよぉ。ワカのヤツ、面接の時からその子にデレデレで、結局ほとんど経験ないってのに雇ってるし、話すたびにデレデレで見てらんねえんだよ」
「はあ?ベンケイだって話しかけられたら鼻の下がラクダかっつーくらい伸びてたじゃねえかよ」
「誰がラクダだ、この野郎!」
「ああ、わり。ゴリラの間違いだったわ」
「あぁ?誰がゴリラだ、テメェ!ちょっとオレよりモテるからって調子に乗んなよ、コラァ!」
「あ?やんの?久しぶりに本気出してやろうか?」
「い、いや、ケンカすんなって、二人とも…!ここは二人の仕事場だろ?」

ベンケイといつものやり取りをしていると、ジムに入会しに来た真ちゃんが困ったように間に入って来た。何でもこの夏は体を鍛えて今度こそ彼女を作りたいらしい。

「お、おお。そうだった、そうだった。つい昔のノリでやっちまうんだよなあ…」
「こんなのいつものじゃれ合いだから。んで?書いた?入会申込書」

笑いながら真ちゃんの手元にある書面を覗き込むと、真ちゃんはホっとした様子でその紙をオレに差し出した。

「おぉ、これ。宜しくな」
「了解。まあ、みっちり鍛えてやるよ、真ちゃん」

そう言ってニッコリ微笑んでやったのに、真ちゃんは青い顔して「お手柔らかに」なんて温いことを言いだした。こうなったら、マジでビシバシ鍛えて真ちゃんをムキムキにしてやろう。オレとベンケイの間で無言のアイコンタクトが交わされた。その時、背後から「若狭さん」という鈴を転がしたような声に呼ばれて振り向けば、さっき話に出ていたバイトのちゃんがこっちに歩いて来た。今日もサラサラの綺麗な髪をポニーテールにして、淡いピンクベージュのウエアを着ている。大きな瞳を飾る長いまつ毛と ぷっくりした小さな唇は相変わらず艶々して美味しそう…もとい。可愛らしい。でも年下の彼女にデレるわけにもいかねえから、ちゃんと上司らしく「どうした?」と応えておく。隣でベンケイの溜息が聞こえたけど、そこはスルーしておいた。

「あの…斎藤さんがこの器具を使いたいって言ってるんですけど、どこに置いてるかわかんなくて」
「ああ、これか。最近使う人いないから倉庫の奥にしまってんだよ。一緒に行って教えるからちょっと待っててくれる?」
「はい。分かりました」

笑顔でハキハキと応える彼女が可愛くて、うっかり顔が緩みそうになるのを必死で堪えつつ、真ちゃんのところに戻った。

「じゃあ真ちゃん、早速ベンケイをトレーナーにつけるから――」

と言いかけて言葉を切る。肝心の真ちゃんの目はオレじゃなく、ベンケイでもなく。後ろに立っているちゃんに向けられているからだ。しかも目をハートにしているとこを見ると、真ちゃんの悪いクセが出たようだ。

「…可愛い。天使がいる♡」
「「……はあ」」

オレとベンケイが同時に溜息を吐いて、項垂れた瞬間だった。



*****




「ってか何で真ちゃんまでいんの…スタッフじゃねえくせに」

仕事の後は一ヶ月遅れでちゃんの歓迎会と称した飲み会だった。なのに部外者の真ちゃんがトレーニング後、「オレも参加する」と言い出して勝手にくっついて来た。あげくオレやベンケイといったトレーナーの席にちゃっかり座ってやがるんだから嫌になる。

「いいだろ、別に。オレも広い枠で言えば関係者だし」
「いや、ジムの会員だろ?」

ビールを煽りながら睨むと、真ちゃんはすでにオレのことなんか見ちゃいない。その視線の先にはバイトのちゃん。オレの嫌な予感が当たって真ちゃんは彼女に一目惚れをしたようだ。年齢差なんかお構いなしに惚れられる真ちゃんがある意味、羨ましい。

「言っとくけどちゃんには手を出すなよ」
「あ?何でだよ。彼女はワカのもんじゃねえだろ」
「そりゃそーだけど。普通の彼女と真ちゃんやオレ達が釣り合うと思うわけ?」
「んなの告ってみなきゃ分かんねえだろ」

真ちゃんもビールをグビグビ飲みながらだんだん目が座ってきている。ベンケイはベンケイで「また連敗更新する気かよ」なんて呑気に笑ってっけど、オレは笑えねえ。さっきから何か胸の奥がモヤモヤして、真ちゃんがちゃんを見るたび、イラっとする。真ちゃんの一目惚れ病はいつものことなのに今回だけは応援する気にもならねえのは何なんだろう。

ちゃんは確かに経験もなくて仕事を覚えるのも遅いし失敗も多い。だけどやる気だけは凄くて、そろそろ一人暮らしをしたいとバイトの面接に来たようだ。親から仕送りを貰うのも断って自分の足で立とうとしてる姿は健気に映った。末っ子の甘えん坊タイプだからついつい頼まれごとをすると手を貸しちまって、ベンケイに甘やかしすぎだろって突っ込まれたりするが、よちよち歩きの子がいたらベンケイだってホイホイ手を貸すだろって言い返したら「確かに」と変に納得してんのは笑った。まあでも、オレからすると、そんな感じだから、真ちゃんがちゃんに告白するとか考えると、それはもう保護者気分で反対したくなる。

「保護者かよ」
「うっせえなあ…オレだって保護者よりは彼氏になりたいっつーの」
「あ?オマエも真ちゃんと同じじゃねえか」
「いや、一緒にしないで。あの万年フラれ男と」
「おい!目の前に本人いるのに、よくもそこまでディスれんな?」

オレとベンケイのやり取りを聞いて、真ちゃんが怒りだすのはデフォルトだ。でもそこへ「お疲れ様です」とちゃんが挨拶に来た瞬間、ピタリと会話が止まった。

「あ、あの…お邪魔でしたか?」

ちゃんは微妙な空気を感じたのか、慌てた様子でオレを見ている。そこはすぐに笑顔を見せて「いや全然」と応えた。

「座る?」
「いいんですか?」
「もちろん。好きなとこ座って。ああ、酒はそんな強くないんだっけ」
「えっと…サワー系なら大丈夫です」

恥ずかしそうに言う姿はホントに可愛い。思わず頬が緩みそうになったのを必死で誤魔化しつつ、彼女の為に好きだという青りんごサワー―可愛いかよ――を追加で注文した。チラっと見れば真ちゃんはすでに真っ赤になっていて、隣でベンケイが笑いを噛み殺している。そうだ、この問題があったのを忘れてた。でも真ちゃんが「ちゃん、だっけ。ここ空いてる――」と言いかけた時、ちゃんは何故か当然のような感じでオレの隣へ座った。

「え?あ、すみません。若狭さんの隣、空いてたから…座って良かったですか?」
「いや、オレは全然いいけど…」

と言いつつ目の前の真ちゃんを見れば、口元が僅かに引きつっている。オレがニヤっと笑えば、ムっとしたようにビールを一気飲みしだした。

「えっと…会員の佐野さんは若狭さんや荒師さんとお友達なんですか?」
「ああ、うん。昔からの腐れ縁ってやつ。なあ?真ちゃん」
「腐ってて悪かったな…」
「いやスネんなよ、大人なんだから」

真ちゃんはすでに弟の万次郎みたいに口を尖らせて酒を煽っている。オレは気づかないフリをして、運ばれて来た青りんごサワーを彼女の前に置いた。

「あの、じゃあ改めて宜しくお願いします」
「よろしくー」
「おう」
ちゃんは彼氏とかいる?」

乾杯したのと同時に真ちゃんがいきなりブッ込んで来て酒を吹き出しそうになった。もうすでにほろ酔いらしい。隣のベンケイと同じペースで飲んでるせいかもしれない。

「え、彼氏…いません」
「え、そんなに可愛いのに?!」
「おい、真ちゃん。いきなりその質問はセクハラじゃねえの」

ベンケイが苦笑交じりで突っ込んだものの、当のちゃんは「いえ、全然」と笑っている。その笑顔も可愛い…なんて言ってる場合じゃねえけど。

「大学じゃ出会いも沢山ありそうだけどなあ」

真ちゃんの言葉にオレも内心確かに、と頷いた。彼女にプライベートな話は聞いたことがない。大学での話を聞くこともなかった。その理由としてはちゃんの男関連の話を聞きたくなかったってのもある。でも彼氏いないのか、と何故かホッとしてるオレがいた。

「大学の男に口説かれたりしねえの?」

いい質問だ、ベンケイと思わず言いそうになった。彼氏がいないなら尚更、ちゃんは大勢の男に口説かれてそうだ。なのに彼女は「それが…」と口ごもって、ふとオレを見た。

「わたし、同じ歳とか歳の近い人は苦手で…」
「え、何でだよ。今時の話とか合うだろ?歳の近い方が」

つい突っ込んでしまった。でも彼女は首を振って「わたし、年上の人が好きだから」とひとこと言った。その瞬間、真ちゃん、ついでに何故かベンケイまで身を乗り出した。

「え、ちゃんって年上好き?」
「は、はい」
「じゃあオレでもチャンスあるじゃん」
「は?真ちゃん今日会ったばっかだろが」

先に口説かれちゃかなわないとばかりにツッコむと、「別にこういう出会いもいいじゃねえか」と言い返してくる。酔ってるからいつもより強気だ。

「そもそも年上好きって言ってもさすがにオレ達はちゃんの恋愛対象から外れんじゃねえの」
「え、そうなの?」
「え?いえ…!そんなことないです…」

ちゃんは恥ずかしそうに言いながら、またオレのことを見上げた。薄っすら頬を赤く染めた彼女は猛烈に可愛い。っていうかそんな顔されると勘違いしそうになるからやめて。

「じゃあオレなんてどう?今ちょうどフリーなんだけど」

ここで真ちゃんが酒の力を発揮させてちゃんを口説きだした。いつものパターンだ。さすがにそれは聞き捨てならない。

「ってかちょうど、じゃなくて常に、フリーだろが、真ちゃんは」
「うるせえな、ベンケイ。あ、じゃあ…オレ達3人の中なら誰と付き合いたい?」
「えっ」
「おい、真ちゃん…変なこと聞くなって。ちゃん困ってんだろ?」
「あ?邪魔すんなよ、ワカ」
「ワカ…っていつも呼ばれてますけど、あだ名ですか?」

その時、ちゃんが不思議そうにオレを見上げた。

「え?ああ、オレ若狭だから昔の仲間にはワカって呼ばれてんだよ。ちゃんもワカでいいから。若狭さんってガラじゃねえし」
「え、いいんですか?」
「いいよ」

そう言うと、ちゃんは殊の外嬉しそうな笑みを見せて、「じゃあ…ワカくん」と言って来た。あまりの不意打ちで更にガラにもないくらい心臓が跳ねてしまった。

「なーに照れてんだよ、ワカ~」
「うっせえな。ベンケイ」
「ベンケイ…それもあだ名ですか?」

オレ達の会話を聞いてたちゃんがキョトンとした顔で首を傾げてる。その仕草も胸にキュンキュン来るくらいに可愛い。ってオレも酔っ払って来たかも。

「そーだよ。オレとワカ、真ちゃんは昔同じチームで――」
「チーム…?」
「おい、ベンケイ!余計なこと言わなくていいから。ちゃんが怖がんだろーが」
「あ、そっか…わりい」
「え、何ですか…?」
「いや…」

不思議そうな顔で見られて頬が引きつる。どう見ても普通の人生を歩んで来たようにしか見えない彼女に、暴走族の話は刺激が強すぎる気がした。
その時、自分の質問を流された形になった真ちゃんが、「そんなことより…」と会話を遮った。

「さっきの話だけど…マジな話、誰?」
「え…?」
「オレ達の中だと誰と付き合うって話」
「え…」

真ちゃんはニコニコしながら聞いている。でもいきなりそんなことを訊かれても応えられるはずがない。

「いや、オレも聞きてえなあ、それは」
「え、えっと…」

急に参戦してきたベンケイの言葉に、ちゃんは急に頬を赤らめてモジモジしはじめた。まさかベンケイを選ぶってわけじゃねえよな…と不安になった時だった。ちゃんがふとオレを見て、「ワカくん…です」と呟いた。

「は…?ワカ?」
「……マジか」

ポカンとしたベンケイと、真ちゃんが仏頂面でオレを睨んだ。でもオレは今の彼女の言葉に呆気に取られて何も言えなかった。ちゃんがオレを選んでくれるとかも思ってなかった。結局誰も選ばないパターンだと思ってたからだ。でも、ふと我に返る。酔ってたってのもあるが、このチャンスを逃す手はない。

「じゃあ……オレと付き合う?」

その場のノリでさり気なくアピールをしてみた。いつもより、だいぶ引き気味のアピールだ。ダメなら笑い話で済むし、もし彼女がOKしてくれるなら――。

「…はい」

――思い切り愛せる気しかしない。

こうして、バイトで入った可愛いちゃんはオレの最愛の恋人になった。――という話。