-02-されたい彼女と出来ない彼氏



本当のことを言えば、最初からワカくんのことが好きだった。
たまたま大学の近くにバイトを募集してるジムがあって、仕事内容よりも大学から近いということを優先したら申し分のない立地だった。そこで面接をしてくれたのがワカくんだ。ベンケイさんもいたらしいけど、正直そこは覚えてないくらい、ワカくんに目が釘付けだった。ド派手な髪型はびっくりしたけど、ワカくんには奇抜なそのヘアスタイルが似合っていて、何より気だるそうな視線がどこか色っぽくて、男の人であんなに色気のある人は初めて会ったかもしれない。あの瞳に見られると心臓がドキドキして、声を聞くだけで胸の奥がキュンと鳴った。言ってみれば一目惚れに近かったかもしれない。出来れば受かりたいと思うくらい、不純な動機も入り混じった面接だった。ただ経験がないからてっきり雇ってはもらえないだろうと思ったけど、スタッフの補助的な雑用ということで「採用」してもらえることになったのはラッキーだったかもしれない。

一緒に仕事をするようになって思ったのは、ワカくんは最初の印象よりもずっとずっと優しいということだ。困っていると必ず手を貸してくれるし、わたしの下らない悩みを真剣に聞いてくれたりもする。気づけばカッコいいな、という軽いミーハー的なノリだったのが、好きに変わってた。だから――。

――3人の中なら誰と付き合う?

あの質問をされた時、真っ先にワカくんを見てしまった。好き好きオーラを出しすぎたかなと思ったけど、ワカくんはちっとも分かってくれないし、お酒でほろ酔いだったこともあって、思い切って告白めいたことを言ってしまった。でもあの場でワカくんを選んだことがキッカケで、年下の女なんて相手にしてくれないだろうな、と半分諦めていた恋が、一気に動きだした。

――じゃあ、オレと付き合う?

その場のノリで言った冗談かもしれない。ワカくんは随分と女慣れしているとは感じてたし、本気にしたらきっと痛い目をみる。そう思ったけど、オレと付き合う?と聞かれたら、やっぱり「はい」と言わずにはいられなかった。もしかしたら、その場限りの冗談かとも思ったけど、ワカくんはちゃんと連絡先を教えてくれて、その後は家まで送ってくれた。

でも意外だったことが一つ。女慣れしてるワカくんはてっきり手が早いだろうと思ったのにそんなことはなく。付き合いだして一ヶ月が過ぎてもホッペに軽いキスとか手を繋ぐくらいしかしてこない。やっぱり年下のわたしには色気が足りないのかも、と心配になった。だからワカくんと付き合いの長い佐野真一郎くん――通称、真ちゃんに相談してみた。真ちゃんの家はちょうどワカくんとわたしの家の間にあるから、デートの時は自然と待ち合わせ場所みたいになっていて、今日もワカくんが迎えにくる間、真ちゃんのお家にお邪魔していた。佐野家には可愛い男の子の万次郎くんと、エマちゃんという兄妹がいる。結構賑やかな家で、一人っ子のわたしとしては羨ましいくらいにアットホームな雰囲気が気に入っていた。

「…ってことなんだけど…どう思う?真ちゃん」
「えっ?あ、いや……そんなの聞かれてもオレには何とも」
「ぶははっ。そもそも人の相談に乗れるほど経験ねえもんな、シンイチロー」
「うっせえぞ、マンジロー!」

いつの間に学校から帰って来たのか、真ちゃんの隣には真ちゃんより10歳年下の弟、万次郎くんが座っていた。真ちゃんがわたしに出してくれたどら焼きを美味しそうにパクパク食べている。っというか小学生に今の話を聞かせていいのかなぁと、ちょっとだけ心配になった。

「でもあのワカがちゃんにはまだ手を出してねえって話はオレも地味に衝撃的だったわ」
「おい、耳を塞ぐな、シンイチロー!」

小学生の弟の両耳をしっかり手で塞ぎながら、真ちゃんが苦笑いを零した。

「え…じゃあ、やっぱりワカくん、手が早い方なんだ…」
「え?!い、いや、そーいう意味じゃ……」
「いいの…気を遣わないで。何となくわたしも分かってたし…ただ、じゃあ何でわたしにはキスもしてくれないのかな…何でだと思う?真ちゃん…」
「えっ、いや、そんな目をウルウルされても可愛いだけ…」
「え?」
「な、何でもねえよっ」
「つーか、いい加減手を放せよ、シンイチローっ!ガキ扱いすんなっ」

耳を塞がれたままの万次郎くんはジタバタ暴れ出して真ちゃんの手を振りほどいている。真ちゃんは真ちゃんで「だいぶ力強くなったな、オマエ」と嬉しそうに笑った。。ワカくん曰く、真ちゃんはこの年の離れた弟を大層可愛がってるとかで、父親代わりもかねている真ちゃんは佐野家の大黒柱らしい。

「ごめんね、真ちゃん…わたしの下らない相談に付き合ってもらって…休憩に戻って来たんでしょ?」

真ちゃんは最寄りの駅前通りで"SS・モータース"というバイク屋さんを営んでいる。何でもわたしくらいの年齢の時は黒龍というチームの総長さんだったらしく、ワカくんもそのチームの特攻隊長だったとかで、聞いた時はすんごく驚いたけど、真ちゃんがこっそり見せてくれた昔のワカくんもめちゃくちゃカッコ良かった。特攻服というのは初めて見たけど、それを着て映っているワカくんは凄くキラキラしていた。暴走族って怖いイメージしかなかったのに、ワカくんは蕩けるくらいに優しいし、総長だったという真ちゃんも――。

「いや、いーよ。それにちゃんからしたら真剣に悩んでるんだし下らなくねえだろ」
「真ちゃん…」

――物凄く優しい人だった。最初の印象はちょっとチャラいお兄さんってイメージだったのに、今はわたしの良き相談相手だ。

「真ちゃん、優しいね」
「ん?そうか?あ、オレにしときゃ良かったなあとか思ってたり?」
「え?」
「あるわきゃねーだろ」

その瞬間、背後で声がして振り向くと、庭に回って来たのか縁側からワカくんが顔を見せた。

「ワカくん!」

今の今まで鬱々と悩みを吐き散らかしていたのに、ゲンキンなものでワカくんの顔を見た瞬間、そんな小さな悩みは吹っ飛んでしまった。茶の間に上がって来たワカくんに本能のまま抱き着くと、すぐに大きな手で頭を撫でられる。これが幸せの瞬間だ。

「オレがいない間になに、を口説こうとしてんだよ、真ちゃん」
「い、いや、口説こうとしたわけじゃ――」
「口説いてたぞ、シンイチローは」
「万次郎!オマエは外で遊んで来い!」

言った瞬間、ワカくんの後ろから「マイキー!遊びに行こうぜ!」と元気な声が聞こえて来た。万次郎くんのお友達のドラケンくんだ。小6なのに頭の横に龍のタトゥーをしているのを見た時は心底びっくりしたけど、見慣れると彼に似合っててカッコいいと思ってしまうから不思議だ。だいぶ彼らに感化されてきてるかもしれない。
とりあえず万次郎くんがドラケンくんと出かけたので、急に大人空間になった。

「で…なんて口説かれたんだよ」

ソファに座ったワカくんはわたしをひょいっと担ぐと、自分の膝の上に座らせて、頬に軽くちゅっとキスをした。やっぱり子供扱いされてる感が否めない。

「く、口説かれてない」
「ホントかよ。真ちゃんは油断も隙もねえからなー」
「人聞き悪いこと言うな。オレは相談に乗ってただけ――」

と言いかけて、真ちゃんは「あ」と言いながらわたしを見た。でもわたしが何か言う前に、ワカくんは怪訝そうな顔で真ちゃんを見ると「あ?相談って?」と少し不機嫌そうに目を細めた。内容が内容だけに、わたしの頬が一気に熱くなる。

「オ、オレの口からは言えねえよ」
「は?何でだよ」

プイっと顔を反らす真ちゃんに、ワカくんはますます眉間に皺を寄せている。わたしはわたしで変な汗が出そうになった。まさか本人に「何で何もしてくれないの」とは言えないし、でも真ちゃんが追及されるのも見てられない。すると変な空気を感じたのか、ワカくんが今度はわたしに不機嫌そうな視線を向けた。

「真ちゃんに何を相談してたんだよ」
「え…えっと…」
「オレに言えねえようなこと?」
「そ…そんなことはない…けど…」
「じゃあ言えよ」

ワカくんはわたしを抱え直すと、至近距離で見つめて来る。この瞳に見つめられると、勝手に頬の熱が上がってしまう。

「だ、だから…」
「だから?」
「ワカくんが…」
「オレが…なに?」

わたしが言葉を紡ぐ間、ワカくんはだんだんいつものような優しい眼差しに戻っていく。わたしはやっぱり、この瞳に凄く弱い。

「な、何で…キスとか…」
「…は?」
「してくれないのかなぁ…と…思いまして」
「……いや、何でそこ敬語?可愛いけど」

ぷっと吹き出したワカくんは、苦笑交じりでわたしの頭を撫でてくれた。やっぱり子供と思ってるのかなと、いつもなら嬉しいそれも今はちょっとだけ悲しくなる。この前チラっとベンケイさんに聞いたら、ワカくんの元カノは色っぽい人が多かったっていうし、それはそれで気になってしまうのだ。
優しい笑みを浮かべてワカくんはわたしを見つめてたけど、不意に我に返ったように眉間を寄せた。

「え、ってか、危うく聞き逃すとこだったけど…、そんな相談を真ちゃんにしたわけ」
「…う…だ、だって…」

と言葉に詰まったわたしを見かねてか、「そんだけ悩んでたんだよ、ちゃんは」と真ちゃんが代弁してくれた。こういうところはお兄さん気質だなあと思うし、わたしも真ちゃんみたいなお兄さんが欲しかった。
真ちゃんの言葉を聞いて、ワカくんは再びわたしを見ると、ふっと笑みを浮かべて鼻先にちゅっと口付ける。それだけで頬が真っ赤になったのが分かった。

「こんなことくらいで真っ赤になる見てたら、簡単に手が出せねえんだよ」
「え…?」
「怖がらせたらどうしようって情けねえこと考えんの、オレでも。そんくらい気づけよ」
「ご…ごめん…」
「いや…オレもを不安にさせてたならごめんな」

不意にワカくんが悲しそうな顔をするから思い切り首を振った。そんな風に思っててくれたなんて考えもしなくて、一人で勝手に落ち込んでたわたしがいけない。ワカくんなりに大切にしてくれてたのかなって思うと、嬉しくて目頭が熱くなった。

「泣くなよ。メイク落ちちゃうぞ」
「う、うん…」

ワカくんが指でそっと零れ落ちそうになった涙を拭ってくれる。そうだ、これからワカくんとデートなんだから泣いたらせっかく頑張ったメイクが落ちてしまう。そう思うのにぎゅっと抱きしめてくれる優しいワカくんに泣かされてしまう。

「あ~あ。これじゃあ、せっかくの映画デート行けねえな。まあ、オレはスッピンのも好きだけど」
「え…スッピンはもっと子供っぽくなるのに…」
「そこが可愛いし」

ワカくんはそう言いながらそっと濡れた頬に触れてくれる。そんなに優しい目で見つめられたら、どんどん心臓が早くなって発作が起きそうだと心配になった。その時、すっかり存在を忘れていた真ちゃんが「んっんっ」と急に咳払いをするからびっくりした。

「イチャついてるとこ悪いけど…そーいうのはワカんちでやって。目の毒だから」

目を半分にまで細めた真ちゃんに呆れ顔で言われて、わたしとワカくんは顔を見合わせ、同時に頬が赤くなった。言われてみれば人の家で堂々とイチャついてしまってるかもしれないと気づいて恥ずかしくなる。ワカくんも同じなのか、苦笑交じりでわたしを膝から下ろすと、腕時計で時間を確認した。

「まだこんな時間だし…じゃあ…オレんち行く?」
「え…いいの…?」
「当たり前だろ。はオレの彼女なんだから」

そう言われてパっと笑顔になった。これまでワカくんは家に連れて行ってくれたことがなかったから、凄く嬉しくて一瞬で涙が引っ込んだ。

「あーこの際だからオレんちで映画観るか」
「うん!見る!」

張り切って応えると、またワカくんが吹き出している。さっき泣いた鴉がもう笑ったと思われてるかもしれない。でもそれくらいワカくんちでのデートが嬉しい。

「はあ…色々我慢キツいから家デートは避けてたんだけど…」
「え?何か言った?」

ガシガシと頭を掻きつつ何かを呟いたワカくんを見上げると、「何でもねえよ」と指で額をつつかれる。こういう瞬間はやっぱり幸せで、ドキドキしてしまった。