-04-一日の最後に会いたいのは



1.

だいぶ日が高くなったランチ時。その店も昼食を取ろうと多くの客で混雑していた。特に女性に人気があるというこの店はアートギャラリーのような外観と内装でお洒落な空間を作り出している。天井の高い店内、剥き出しのコンクリート壁には誰が描いたのか分からないようなラインアートがいくつも飾られ、それがまたちょっとしたアクセントになっていた。当然、来る客もすでにランチをしている客も若い女子ばかり。その中で一際体の大きな男が窓際の一番いい席を陣取っているのだから、目立つのは仕方のないことだった。しかも目の前には可愛らしいお皿に盛りつけられたオムライスと、お洒落なグラスに注がれたマンゴージュース。
花の飾りがついているその飲み物をどこか気恥ずかしい気持ちで口にしたオレは、落ち着かない気持ちを宥めるように溜息を吐いた。

「おい…もう少しマシな店はなかったのかよ…」
「え?ベンケイさん、こういう店嫌い?ワカくん来るの楽しみにしてたのに」
「そりゃオマエと来たいからだろ…。ってか嫌いとかじゃなく…オレがこんな店でランチとかガラじゃねえだろって話だから」

目の前でキョトンとした様子のに、オレはがっくりと項垂れた。

「そう言われるとベンケイさんちょっと浮いてるよね」
「………(他人事だと思って)」

目の前で無邪気に笑うこの子はウチの五条ジムで雇ったバイトのだ。そしてオレの長年の相棒、ワカが溺愛している可愛い彼女でもある。このから今朝、突然「ベンケイさんに相談があって…」という話を持ちかけられた。何かワカには言いにくい仕事のことで悩みでもあるのかと快くOKしたものの、「じゃあランチの時に」と指定された店に来てみればこのありさまだ。来る客、周りの客すべてがこの辺で働くお洒落なOLばかりで、彼女たちの視線を独り占めしているオレは何とも居心地が悪い。

(つーかワカはに付き合って、こんな店で飯食ってんのかよ…。オレと同じで"居酒屋×ビール×大騒ぎ"が大好きなくせに)

人は変われば変わるもんだとシミジミ思いつつ、目の前のこれまたお洒落に盛りつけられたオムライスを口へ運ぶ。まあ味は悪くない。女が好きそうなふわふわした卵の触感が口内に広がっていく。でも一つ文句があるとするならば、あの値段でこの量は少なすぎる。たかだかランチを食うのに1000円超えとかありえねえ。何で女どもはバカ高いお洒落な店が好きなんだ?内心ボヤきつつ、目の前で可愛らしい量をスプーンですくって口へ運ぶを見た。まあ、この子ならこの少ない量で足りるんだろうな。

「んで…相談って?職場のヤツや客に口説かれでもしたか?」
「…え?えっと…そっちじゃなくて…」
「…そっちって、じゃあどっちだよ」

一瞬ドキっとした顔でオレを見た様子から、オレが適当に言ったことが少なからずあったんだなと気づいた。まあこんなに可愛けりゃ男が放っておかねえだろうし、まあジムの奴らはすでにワカとのことを知ってるから諦めただろうけど、客はそうもいかない。中にはしつこい野郎もいるだろう。でも今日はその相談じゃないらしい。

「ワカくんのことで…」
「ワカ…?アイツに何か酷いことでもされたのか?浮気とか――」
「えっワカくんって浮気するような人なんですか…?」
「え?!あ、い、いや違う!今のはただのたとえ話だよ」
「何だ…ビックリしちゃった」

はホっとしたように笑ってるがオレは肝を冷やした。こんな誤解をさせちまったことがバレたら、ワカがどんなけ怒り狂うか分からない。アイツとは昔散々やりあったが、結局どっちも引かねえから決着はつかないままだった。最後は間に真ちゃんが入って、オレとワカは和解という形を取ったけど、今はもうあの頃のようにアイツと殴り合いのケンカをすんのは正直しんどい。しかもキッカケが女のことなんて笑い話にもならねえしな。

(浮気じゃねえとすると…他にがワカのことで相談したいことってなんだ?)

憎たらしいことにワカは昔から女にモテる。まあ顔がいいのもあるが、アイツの余裕のある言動がまた女を惹きつけてるようだ。――逆に真ちゃんは顔はいいのに余裕がなくてがっつくからモテない――だから特定の恋人がいても以前のアイツなら据え膳食わぬは…ってタイプだったし、その行為自体あまり深くは考えてないはずだ。だからてっきりワカの名前が出て来た時は浮気を疑った。でも違うとなると…。因みに今日ワカは社長の用事で出かけてるから出先で昼飯を食うと連絡が来たらしい。

「んで…ワカの相談って?ケンカしたわけじゃねえよな。今朝もしっかりイチャついてたし」
「え、う、うん…。ケンカはしてないの。ただ…」
「ただ…?」

オムライスを頬張りつつ尋ねると、はモジモジしながら頬を染めた。それが何とも男心をくすぐってくるから嫌になる。あざといというより天然だから更にタチが悪い。

「この前…ワカくんの家に初めて泊ったの…」
「…へえ。そりゃおめでとさん」

ワカのヤツ、可愛すぎて手が出せねえとか、らしくねえこと言ってたけど早速部屋に連れ込んだんかと思うと顔が引きつった。まあ二人は付き合ってんだし別に手を出すことに問題はねえんだけど――と、そこまで考えてたらオレに天啓がおりた。

「ま…まさかアイツに変な行為を強要されたのか…っ?」
「えっ?!」
「縛られたりとか、手足拘束されたりとか、変な道具使われたり――」
「ちょ、ちょっとベンケイさん…!声が大きい…」
「……はっ」

ちょっとだけ興奮しすぎて知らないうちに声がデカくなってたらしい。慌てて周りを見れば、客の女どもが一斉にコッチを見てクスクス笑ってやがる。は顔が真っ赤になってるから変な誤解をされた気がして何とも言えない気持になった。オレがやってんじゃねえぞ。

「わ、わりい。つい…」
「い、いえ…え…っていうか…ワカくんはそんな性癖あるんですか…?」
「は?い、いや知らねえけど!」
「何だ…ビックリした」

と、またふりだしに戻ってがホっとしたように笑った。そして軽く深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。

「そうじゃなくて…その…泊ったのにわたし酔っ払って寝ちゃったの…」
「あ?じゃあ、やっぱり無理やり――」
「ち、違うの!その逆で…」
「逆?」
「ワカくん、わたしが寝てる間に真ちゃんの家に行ったらしくて…」
「は?オマエを置いてか」
「うん…起きた時には帰ってたんだけど、お酒飲んでたみたいでワカくん少し酔ってて。わたしが寝てる間一人で飲んでたの?って聞いたら、真ちゃんとって言うからビックリしちゃって」
「真ちゃん…なるほどな」

話を聞いて何となくだが状況が想像できた。つまりワカは酔っ払って寝ちまったを自分の部屋に置いて真ちゃんちで飲んでたって話だろう。からすれば寝てる間に彼氏が外に飲みに行っちまったようなもんだから寂しくなったのかもしれない。ったくワカは何してんだと腹が立ったものの、は未だ言いにくそうに俯いている。

「んで…オレに相談ってのはワカに説教でもして欲しいのか?」
「え?あ、そうじゃなくて…ベンケイさんなら知ってるかなと思って…」
「何を…?」
「あの…ワカくんの元カノのこと…とか?
「元カノォ?何でそんなもん知りてーんだよ。普通は知りたくもねーんじゃねえの」
「し、知りたくないけど知りたいっていうか…」
「まあ…何となく分かるけど…何でそんなもん知りてーの?」

オレが苦笑気味に尋ねると、は困ったように俯いて小さな溜息をついた。

「この前泊って、やっとキスしてくれたと思ったのにそれ以上発展もしなくて…何か子供扱いされてる気がして…」
「んなことねーだろ。ワカはオマエが可愛くて仕方ねえだけだって」
「可愛いって…何か嬉しくない」
「は?何で」
「だって色んな意味で使われるし…犬でも猫でも例えばこのマンゴージュースのグラスでも」
「オレにはグラスが可愛いって称される方が意味分かんねーけどな」
「…今の世の中、何でも"可愛い"が溢れてるし…ワカくんに可愛いって思われるのは凄く嬉しいけど、もっと別の言葉も言って欲しいなって…」

は真剣な顔で身を乗り出して熱く語ってくる。その一生懸命さはやっぱり「可愛い」と言って何もおかしくないし、こんなオレでもワカがデレたくなる気持ちは分かる。でも当のオヒメサマはそれをお気に召さないらしい。

「別の言葉って…例えば?」
「例えば……あ…愛してるよ…とか?」
「ぶほっ」
「わっだ、大丈夫?ベンケイさん!」

思わずマンゴージュースを吹いたオレにが慌ててナプキンを渡してくれた。それで濡れた口元を拭きつつ、ワカがに「愛してるよ」と言ってる姿を想像して、また吹き出しそうになる。とことんガラじゃねえだろ、と思うのに、はすっかりワカに夢見てアレコレ悩んでるようだ。

「あのワカがそんな甘ったるい台詞、吐けると思うか?」
「えー…じゃあ…ワカくんは元カノにも言ったことないのかな…」
「さあな、そんな恥ずい話、聞いたこともねーわ。例えあったとしてもアイツだってオレにそんな話はしねえだろうし」
「そっかぁ…。あ、じゃあワカくんの元カノって、見た感じはどんなタイプだったの?美人とか可愛いとか、そういう意味で」
「あー…どうだっけ」

腕を組み、天井を見上げながら考える。そもそもワカの元カノと言われても多すぎて、どれがどれだったかすら覚えてねえレベルだ。早くて3日で別れた女もいれば、長くても半年あったかないか。いずれも別れる理由はワカ曰く、相手の女がヤった途端「来ちゃった♡」女に変貌を遂げるかららしい。約束をしてない日でも家に帰るとマンションのエントランス前で待ってたり、酷い時は勝手に合鍵を作られて部屋の中で待ってたり、オレから言わせると殆どホラーだ。そして不思議なことに、そういうことを平気でしてくる女ほど嫉妬深く、ワカが浮気をしてないか常に疑ってた。ワカはそういう空気を感じると好きだという感情が削がれていくらしい。要は面倒くせえ女が嫌いだ。でも不思議なことに、目の前の甘ったれな彼女のことは我がまま言われても全く面倒だと感じないらしい。幸いは家の前で待ってたりすることはないみたいで、それはそれで寂しいとかほざいてたのは、つい3日前のことだ。

――オレ、がサプライズで待っててくれたらすげー嬉しいかも。

デレた顔でそんなことを言いだした時はオレも本気で驚いた。あんなに嫌がってた行為をなら許せるのかよって思わず突っ込んでしまったほどに。

――え、だって可愛くねえ?がオレに会いたくて待っててくれんの。

そう返された時、オレはもう何も言うまい、と心に誓った。

「ベンケイさん?」
「ん?あー…」

ひたすら脳内でワカの元カノエピソードを思い出してたら、が不安そうにオレを見ていた。そんな心配なんかしなくても、ワカはオマエにベタ惚れだって言うのに。

「ワカの元カノの話だっけ…」
「やっぱり…美人系?」
「まあ…どっちかと言えば…そっち系だな。やたら香水臭い女が多かった」
「そっか…やっぱりなぁ…」
「いちいちヘコむなら聞くなよ。それに…歴代彼女の中でが一番ワカに大事にされてると思うぞ」
「え…ほんと?」

それまでズーンと背景に墨でもぶちまけたのかってくらいに暗く項垂れてたが、パっと顔を上げて頬を赤くした。その可愛さたるや、色っぽいセクシー系が好きなオレでもドキっとさせられるほどだ。そこで改めてワカがああなる・・・・気持ちが少し理解できる気がした。

「ああ、ほんとだ。だからガキ扱いなんて思わねえでもワカに甘えまくりゃーいいんだよ。それだけでアイツ、絶対デレデレになっから」
「そ…そう…かなぁ…」
「ワカと一番付き合いの長いオレが言ってんだから間違いねえよ」

キッパリ言ってやると、は納得してくれたのか、やっと自然な笑みを見せてくれた。やっぱりこの子には笑顔が似合うなとオレも笑顔になる。

「ほら、サッサと食ってジムに戻るぞ。ワカも夕方までには帰ってくんだろ」
「うん。あ、でもジムに戻る前に買い物付き合って欲しいんだけど…」

再びオムライスを食べ始めると、がふとオレを見た。

「買い物?何買うんだよ。コンビニでアイスか?」
「ち、違います…!え、と…だから…アレ」
「アレ?」

またしても恥ずかしそうにモジモジしているを見ながらオレが眉を顰めると、彼女は可愛い笑顔でひとこと言った。

「ワカくんの好きそうな下着を教えて欲しくて…」
「ぶほっ!!」
「ひゃっ」

とんでもない発言に、今度はオレの口からオムライスが噴射され、周りの女性客から冷たい眼差しを向けられるはめになった。





2.

夜の気配が近づいて来た頃、出先から直帰して自宅マンションの駐車場に車を止めたオレはエンジンを切って思い切り腕を伸ばした。もっと早くに終わるはずが、社長にちょっと飯でもつき合えと中途半端な時間に居酒屋へ連行され、酒まで勧められたが「オレ、車なんで」と断って、ついさっき解放されたところだ。結局ジムが終わるまでには帰れなかったことで直帰したものの、に電話しても繋がらねえし、送ったメッセージも既読にならない。約束してたランチをすっぽかしちまったから怒ってんのかと少し心配だった。

(昼間メール来た時は怒ってる風でもなかったけどな…)

ふとケータイを開いてとやり取りしたメールを眺める。

――悪い。社長の用で出かけるからランチ行けなくなった。
――社長の用なら仕方ないよ。運転気を付けて!行ってっらしゃい♡

そんな可愛いメールをくれたんだから怒ってないと思ってたが、実は違ったのか?結局、一緒に行こうと約束したあのお洒落な店には何故かベンケイを誘って行ったらしく、そのメールを読んだ時はちょっとイラっと来た。でもベンケイに手は出すなよと冗談半分にメールを送ったら「大変だったわ…」と、何が大変だったのかよく分からない返信がきた。何があったんだと首を傾げたが、まあベンケイにの相手はキツイだろうな、とは思うし、アイツの好みからはかけ離れてるから変な心配はないが、あの可愛い空間でベンケイが飯を食ってる姿を想像すると笑えてきて、だいぶ気分もマシになった。

「こんなことなら何が大変だったか聞きゃ良かったな…」

と連絡が取れないことが不安でベンケイに直電でもかけてみようかと思った。ただ寝落ちしてたってだけならいいけど何か危ない目に合ってたりしないかそっちの方が心配だ。ケータイをポケットから出しつつ車を降りてエントランスへと歩き出す。でもふと顔を上げると、マンションのエントランス前、植木が植えられたレンガ壁の淵に誰かが座ってるのが見えた。

「あ、ワカくん!」
「…?!」

オレの姿に気づくなり立ち上がって手を振って来る女の子は、紛れもなくで。オレは慌てて彼女に駆け寄った。何でこんなところにいるんだ?と疑問をぶつけようとした時、が言った。

「えへへ、来ちゃった♡」
「………」

オレの中では地雷とも言えるその台詞を、はあっさり口にした。なのに、不思議なこともあるもので。

「今日ワカくんに殆ど会えてないから最後に会いたくて…」

なんて言われた瞬間、思い切り抱きしめていた。

「ワ、ワカくん…?」
「オレも…今日はが足りてなくて会いたかったとこ」

会いたいと思っていた子がオレの帰りを待っててくれてた。それが何とも嬉しくて癒される。あんなに嫌だった行為なのに、相手が変わるだけでこうも違うのかと自分で首を傾げたくなる。身を屈めての唇に軽めのキスを落とすと、は照れ臭そうに視線を泳がせて「こ、ここ外だよ…」と可愛い苦情を言ってきた。

「じゃあ…中入る?」
「え…?でも…ワカくん疲れてるでしょ…?わたし、これ持って来ただけなの」

そう言っては手に持っていた紙袋を開いて見せて来た。中身は今日ランチで行こうと話してた店のオリジナルケーキで、はオレの為にテイクアウトしてくれたらしい。ちゃんと保冷剤も入れてある。

「え、わざわざコレだけの為に待ってたのかよ」
「これだけじゃないよ。ワカくんに会いたかったから…ごめんね。一日社長に連れまわされて疲れてるとこ。わたし、もう帰るから――」

と言いかけたをもう一度強く抱きしめた。

「帰さねえって言ったら…?」
「……えっ」
「今日、泊ってく?」

そう問いかけながら見下ろすと、の頬が薄っすら赤く染まった。