-02-夏の出来事




「で?いい物件あったんかよ」

例のブラジャー事件から一日経ち、オレは不動産屋の帰りにと二人で真ちゃんちに寄った。

「まあ数件な。明日、内見しに行く。ここの近所なんだ」

出されたビールをグラスに注ぎながら、オレは不動産屋から貰った部屋の間取りが載っている用紙を数枚、テーブルの上に置いた。2LDKで比較的新しいマンションばかり。オレだけなら何でもいいが、も一緒だとやっぱりセキュリティがしっかりしてるところがいい。

「ああ、ここか。一昨年建ったマンションじゃん。よく空いてたな。しかも東南の角部屋なんて」
「何でも2年きっかりで地方に転勤になった人がいたらしくてさ。ちょうど空いたとこだって言ってたわ」
「へえ。他のマンションも近いしまあまあ新しいな」

真ちゃんは楽しそうに間取りを見つつ、「でも全部マジでこの近所じゃん」と苦笑を洩らした。まあこの辺は長いこと住んでるし知り合いも多い。何かあった時の為に慣れ親しんだ土地がいいと思っただけだ。

もこの辺がいいって言うからさ。大学も近いし、真ちゃんちにも近いだろ」

そう言いながら縁側で万次郎と仲良くアイスを食べてるを見た。彼女曰く、この家は何となく落ち着くんだそうだ。オレとしては面白くねえけど、でもマジで何かあった時は真ちゃんが近くにいてくれた方が安心は安心だ。

「ああ、ところで例の下着の件は許してくれたんかよ」

真ちゃんもビールを煽りながら、からかうように笑う。他人の女がらみの失態は楽しくて仕方ねえんだろうけど、あの女の件は少なからず真ちゃんも全く無関係とは言い切れない部分がある。

「許してくれねえと困るって。もう何でもねえのに」
「へえ。ってか下着をこっそり置いておくような女って…まさかあの子・・・じゃねえよな?」

最初はニヤついてた真ちゃんの顏が、何かを察したように怯えた表情へと変わる。オレはビールをぐいっと煽り、空になったグラスにまた注ぎ足した。

「そのまさかだよ」
「……げ」

あの女のことは真ちゃんもよーく知っている。何せ、彼女が浮気相手に選んだのは、目の前にいるこの佐野真一郎なんだから。

「……キ、キララ…ちゃんか」
「おう」

そのままキラキラネームを地でいく彼女は原宿のカフェで働くカリスマ店員とか呼ばれていた。見た目はアイドルばりに可愛らしかったが、エッチの時は豹変するタイプで、そのギャップと彼女のエロさにオレも一時は本気になりかけた。でも付き合いだしてから一週間もしないうちに束縛彼女へと変貌した。オレの行き先を絶えず気にしてはメールを送って来たり電話を一日に何度もかけてくる。ジムで女の客のトレーナーをしてたら嫉妬をして文句を言う。最初のうちは単なるヤキモチくらいに思っていたが、毎日のようにマンションの前で待たれたりすると、いい加減ウンザリしてきた。あまりに依存するタイプの子は疲れる。だからつい――。

――もっとオレ以外のことにも目を向ければ。

何の気なしに言った言葉だった。別に男という意味じゃなく。仕事だったり、友達だったり、趣味だったり。そういう意味合いで言った言葉だ。なのに…

――私が他の人と付き合ってもいいんだ。

彼女はそう言い放つと何を思ったのか、真ちゃんのところへ現れ、迫ったらしい。キララは元々真ちゃんがカフェに立ち寄った際、見つけて「すげー可愛い子がいる」とオレをその店に連れて行ったのが付き合ったキッカケだ。真ちゃんはキララの本性を知らず、気に入ってたこともあって、急に迫られた時、キスをしてしまったらしい。いいだけやけ酒に付き合い酔っていたのもあったようで、後からオレに謝って来た。でもその話を聞いた時、オレはすでにキララに愛想を尽かしてたし、全く腹も立たなかった。ああ、そういう女なんだなと思っただけで。だから別れるいいキッカケが出来たと思った。

「なのにその後が最悪だったんだよなァ…?」

真ちゃんは顔を引きつらせながら「あの時マジで深入りしなくて良かった…」とボヤいている。そりゃそうだろう。あの後、オレが世にも恐ろしいストーカー被害に合うのを真ちゃんも傍から見ていたんだから。

「勝手に合鍵作ってたの知ってゾっとしたわ…」

あの女はその合鍵を使って別れた後もオレの部屋に勝手に出入りをしてたようだ。帰ったら部屋の中は荒らされてるわ、お気に入りの服は全て風呂の水の中に突っ込まれてるわ、DVDやCDのケースは割られてるわで悲惨なんてもんじゃなかった。警察に通報したものの、女のストーカーは珍しいのか、あまり親身には聞いてくれず「警察は民事不介入」とまで言われて終わった。その後、部屋の鍵は付け替えたけど、と付き合いだした時、引っ越そうかと思ったのは本当のことだ。あれで気が済んでたとしても、やられた方は結構な精神的ダメージがあるし、もしまたアイツが家に来たらと思うとゾっとする。と付き合いだして浮かれて忘れかけてたものの、あの下着を見つけた時点で、あの忌まわしい記憶が蘇ってしまった。だから早々に不動産屋へ行ったというわけだ。

「見た目が可愛いからって中身までが天使とは限らねえっていう戒めみたいな女だったな…中身クズって」
「もとはと言えば真ちゃんがすげー天使みたいな子がいるって言って来たんだろーが」
「あの時はキララちゃんから言い寄られてワカだって鼻の下伸びてたくせに」
「そりゃあの時は中身知らな――」
「キララって誰だよ」

不意に背後から声をかけられ、オレと真ちゃんはビクっと肩を揺らした。アイスを食い終わったのか、万次郎が不思議そうな顔で真ちゃんの隣に座る。ならば当然も、と思って振り返ると、さっきまで座っていた縁側に彼女の姿はなく。万次郎に「は?」と尋ねると「便所!」という答えが返って来てホっと胸を撫でおろす。これ以上、あのストーカー女のことでに嫌な思いはさせたくない。

「なあ、キララって?」
「…悪魔の化身みたいなやつだ」

青い顔で真ちゃんが説明して、万次郎は更に怪訝そうに眉間を寄せた。

「あくまのけしん…?」
「オマエも将来、可愛いからって中身を知らない女とホイホイ付き合うなよ?」

ってオレを見るな、オレを!と口パクで伝えてると、そこにが戻ってきた。

「ワカくん、そろそろ買い物に行かない?」
「ん?あー…もうこんな時間?んじゃー帰ろっか」
「うん」

…可愛い。天使というならこそ天使だろ。見た目も中身も両方いい子なんてそうそういない。シミジミ思っていると、オレの胸中を察したのか、真ちゃんがジトっとした目で見てくる。どうせ"羨ましい奴め"と妬んでるんだろう。

「じゃあオレら帰るわ」
「…どーぞお好きに」
「うわ、やな感じ」

真ちゃんの態度に苦笑しながら立ち上がると、は「またね、真ちゃん」と手を振っている。それには真ちゃんも優しい笑顔で応えてるんだからゲンキンな男だ。

「あ、ワカ」
「あ?」

先に玄関に向かったの後からついて行こうとした時、真ちゃんがオレのところへ歩いて来た。やけに顔が真剣だ。

「まあ…もう大丈夫だとは思うが一応気を付けろよ?」
「…気を付ける?」
「ああいう粘着質な女はまたワカに新しい女が出来たこと知ったら思い出したように嫌がらせしてきそうだろ」
「あー…真ちゃんも昔そういうのあったよな、確か」

ふと思い出して苦笑が洩れた。真ちゃんは良く振られてるせいでモテないと思われがちだが、まあ顔はいいから全く女が寄って来ないわけじゃない。まだ黒龍の総長だった時はその名前に寄って来る女もいて。当時一人の女と付き合った真ちゃんはそれこそ大事にして溺愛してた。でも大事にしすぎたせいか、最後は「重たい」と言われ、フラれたことがある。

しばらく落ち込んでいたものの、半年後また新たに好きな女が出来て、その子と付き合うことになった。するとその話をどこかで聞いた元カノが、何故か真ちゃんにつきまとい始め、今回オレがされたような嫌がらせをしてきたあげく、愛車のバブまで傷つけられたという経緯がある。その時は自分が振ったクセになんて女だとオレも話を聞いて頭にきた。だから嫌がらせの現行犯で捕まえてやろうと、真ちゃんちの付近で見張ることにした。見張りを続けて三日目。深夜再びバブに悪戯をしようと夜中こっそりやってきたその元カノをとッ捕まえて、理由を問い詰めたところ、その女はこう言った。

「あんなに私のことを好きだ好きだって言ってたクセに、私と別れてたった半年でもう新しい女を作ったんだと思ったら腹が立った」

それを聞いた時には、さすがにオレも唖然としてしまった。別れてんだから時間なんてどうでもいいだろうと思うが、その女からすれば違ったようだ。自分で振った男に執着するとか、マジで理解不能だった。真ちゃんもあのことがトラウマなのか、今も真剣な顔で「マジで気をつけろよ」と念を押してくる。

「分かった…」

まさか、と思いながらもそう応えて、オレとは真ちゃんの家を後にした。何となく家路の途中、後ろを振り返ってしまうのは変な話をしたせいだ。

「ワカくん、どうしたの?さっきから後ろ気にして」
「…いや別に。それより…今夜はなに食べる?」

これから二人で夕飯の材料や酒を買いに行く約束をしている。その前に一度マンションに戻り、足りないものを確認したいとが言い出したことで、まずは家に向かう。

「ワカくんは何が食べたい?」

玄関のドアを開けたところでが聞いて来た。だいたいオレは必ず酒を飲むから食事というより酒の肴といったメニューを好む。何がいいかと考えながら、自分を見上げるを見ていると、邪な気持ちがこみ上げてきて。彼女の腕を掴んで玄関に引き入れると、細い腰を抱き寄せ、唇を塞いだ。

「ん…」

口付けてから思い出した。朝出かけてから今まで、にキスをしていなかった。

「ワ…ワカ…くん…」

玄関の鏡に寄り掛かりながら、を更に抱きよせると、真っ赤になっている頬にもちゅっと口付ける。こうして触れてしまうと、やっぱりベッドまでさらいたくなってしまうもので。その想いのまま、再び唇を寄せると、は驚愕した表情でオレの胸を叩いて来た。

「ま、待って…ワカくん…」
「ん~待てねえかも…」

言いながら軽く唇を唾むと、はもう一度「ワカくん…こ、これ…何…?」とおかしなことを聞いて来る。

「これって…?」

彼女の肩越しに顔を埋めながら苦笑すると、今度は背中を叩かれた。

「ね、ねえ…見て。これ」
「…どれ?」

そこでやっと身体を離し、を見下ろせば、彼女の視線がオレではなく、オレの後ろへ向いていることに気づいた。は驚きの表情で指をさしている。その指す方へ振り向くと、オレは一瞬で言葉を失った。そこには大きな鏡が設置されている。その鏡にびっしり。
オレへの罵詈雑言が、赤いマジックで書き連ねてあった。