
-03-夏の出来事
1.
「マジ最悪だ…」
夜、再びオレの家へ戻ってきたワカは、深い溜息を吐いてテーブルへ突っ伏した。ちゃんに至っては「警察に通報したし大丈夫だよ」とワカを慰めている。
例のブラジャー女がワカの家に勝手に入り、玄関の鏡、だけじゃなく。洗面台の鏡などにも赤いマジックで悪戯をしていたようだ。別れた時ストーカー被害にあって鍵を変えたはずなのに、どうやって入ったのかと思えば、キララは一階に住んでいる管理人に嘘を言って開けさせたらしい。管理人とはワカと付き合ってた頃からの顔見知りで、管理人はキララに「合鍵落としちゃって困ってるの」と可愛く頼まれたことで何も疑うことをせず、ドアの鍵を開けてしまったようだ。
「クソ…あの管理人、殺す…」
「まあまあ…そのオッサンも不用心だけど、まだ付き合ってると思わされたんだろ?仕方ねえよ…」
「仕方なくねえだろっ!おかげでにまで色々話す羽目になったし…」
と隣のちゃんに「マジでごめんなー」と謝っている。しかし女は強いと再確認した。ちゃんは「ワカくんは悪くないよ」と笑顔で言っているのを見て、ちょっと驚いてしまう。元カノからストーカーされてたなんて、もっとショックを受けるかと思ったのに、今回の件で逆に安心したそうだ。
「あんなことする女の子とワカくんが浮気するはずない」
そう言いだした時はワカも呆気にとられてたけど、内心ホっとしたようだった。ブラジャーの件で少なくとも元カノに未練があるのでは、と疑ってただけに、真実が分かってちゃんもスッキリしたらしい。
「んで…どーすんだよ。これから」
オレはビールを煽りながら、目の前でイチャつきだしたワカをジトっとした目で睨む。落書きの件があり、あの部屋にいるのもいい気分がしなかったようで、ワカはちゃんとオレの家に戻ってきた。今夜は二人して泊めて欲しいと言うから、それはいいとしても。元を絶たなければ本当の意味でスッキリはしないはずだ。
「一応、アイツのケータイに電話して警察に通報したとは言っておいたし、アイツもビビってたからもう何もしてこねえだろ」
「まあ、今回は管理人って証人がいるしな。落書きの写真も撮ったんだろ?」
「当然。証拠になるからな。とりあえず明日の内見で、間取りとかも良さげなら速攻で契約するわ」
「ああ、そうしろ。んで…そもそもキララちゃんは何で今回こんなことしてきたんだよ。前に部屋を荒らした以降はストーカー納まってたんだろ?」
オレが訊ねるとワカは思い切り顔をしかめて「真ちゃんの元カノと同じ理由だよ…」とウンザリしたように言った。オレと同じということは、自分と別れて間もないのに別の女を作ったとか、そういう理由か?
「マジで…?」
「おー。前にキララに紹介された友達が今もジムに通ってんだよ。男だったから特に気にもしなかったオレも悪かったけど、ソイツがキララにのこと話したらしい」
「…げ。そんでキララちゃんの嫉妬心に再び火がついたってわけか…」
「でもそのキララって子、もう新しい彼氏いるんだよ?なのにワカくんにあんなことするなんて自分勝手すぎるよ」
事情を聞いたちゃんは珍しくプリプリ怒ってる。その顏も可愛い…と思っていると、ワカも同じ気持ちだったのか、「可愛い♡」と一気にデレて彼女の頬にちゅーをしやがった。人の家でイチャつくなと何度言ったら分かるんだ。この男は。
「まあ…あれだ。夏休みの間に引っ越せるといいな」
「ハー早くと一緒に暮らしたい…」
「ヌケヌケと…」
今では膝の上に彼女を抱えてそんな台詞を吐くワカに、オレの殺意は今夜も止まらなかった。
2.
真ちゃんの家に泊めてもらった次の日。今日はワカくんとマンションの内見にやってきた。数件見せてもらったけど、やっぱり最初に気に入ったマンションにしようということになり、無事に契約も済ませたわたし達は、荷造りをするのにワカくんのマンションへ戻ってきた。鏡の落書きは昨日のうちに消したけど、一瞬でもその元カノが入ったと思うと、何となく嫌な気分は残る。だからわたしも早く引っ越して欲しいと思った。
「明後日には電気とガスも使えるようにしてくれるみたいだから、実家の荷物も少しずつ運んでていいからな?」
「うん。でもそんなに多くないし一日あれば大丈夫だよ。だからワカくんの引っ越し手伝う」
「そう?」
ワカくんは嬉しそうに微笑むと、作業の手を止めてわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。最初は変な誤解をしてしまって落ち込んだりもしたけど、真相が分かれば逆に安心して、ついでに元カノへの怒りが沸々と湧いて来た。だから夕べワカくんがそのキララって女に電話をした時、最後に変わってもらってハッキリ「あなたが何をしようとワカくんとは別れないから」と言ってしまったのだ。彼女は一瞬黙って、でもすぐ『別にもうあんな男、好きじゃないし。私も彼氏いるから!』と逆切れみたいに言い返してきた。彼氏がいるなら何で嫌がらせするんだと言いたくはなったけど、全部の男を自分に向かせておきたいと思う女の子が存在することは知っている。きっと彼女もその想いが度を越してあんな暴挙に出たんだろうなとは思う。
(わたしは他の男の子に好きになってもらえなくてもいい。ワカくんにさえ好きになってもらえればそれでいいもん…)
ぎゅっと抱きしめ返すと、ワカくんは「どうした?」と少し身体を離して優しい眼差しでわたしを見つめてくれる。その顏を見てたら自然と頬が熱くなってしまうのはいつものことだ。
「何でもない…」
「ほんとかよ。女の子の何でもないは何でもあるからなー」
「…う」
さすが経験豊富なワカくんだ。そういう女心も瞬時に察することができるらしい。でもこういうワカくんだからこそ、女の子にモテるんだろうし、中には変な子もいたりするんだろうな。
「…あのね。ワカくんのこと好きだなァって思ってただけ」
「………」
「でも安心して。もしワカくんに振られるようなことがあってもストーカーにはならないから」
そう言って笑うと、ワカくんは困ったような複雑そうな顔をしたけれど、最後には小さく吹き出した。
「そんな心配してねえし、そもそもと別れようとかも思わねえもん」
「え…でも分からないじゃない」
「分かるよ。オレがにこーんなに溺れてんのに気づかねえの?」
「………」
頬にキスをしながら甘い言葉を言ってくれるせいで、またジワジワと顔の熱が上がっていく。本当はいつも少し心配だった。大人のワカくんがいつか、子供っぽいわたしに飽きてしまうんじゃないかと思うと、やっぱり怖かった。だからあんなエッチな下着を見つけた時、やっぱりワカくんは大人の女性がいいのかななんて勘違いしたりして不安になったのもある。聞けば元カノはそういうタイプじゃないと言ってたけど、でもわたしも常に他の女の子の影に怯えてたのかもしれない。
「…わたしも…ワカくん好きすぎて、ずっと傍にいたくなるし、傍にいるとに甘えたくなっちゃう…」
「それが本当ならオレは嬉しいしかねえけど。つーかはもっとオレに甘えろよ」
「え、十分甘えてるよ…」
「そう?じゃあもっと」
ワカくんは身を屈めてわたしのくちびるにちゅっとキスを落とす。でもまたすぐ深いキスを仕掛けて来て、わたしはすぐにワカくんのくちびるに酔わされてしまうのだから我ながら単純だ。
「…んっ…」
やんわりと絡み取られた舌を軽く吸われて体がかすかに震えた。自然と傾いていく体にワカくんが覆いかぶさって、何度も口内を愛撫される。まだ荷造りの途中だというのに、すっかり脳内がワカくん一色に染まっていく。でもワカくんの手がするすると服の中に侵入してきた時、慌ててその手を止めた。
「ん…ダ、ダメ…」
「…ダメ…?ここ数日、に触れてねえから我慢出来ないんだけど」
「だ、だって…ここでするのイヤなんだもん…」
「えー…」
上体を起こしたワカくんがスネたように目を細めるのを見上げながら「言ったでしょ?」と口を尖らせると、ワカくんは深い溜息と共にわたしに倒れ込んで来た。
「…聞いたけどさぁ…。引っ越すまでお預けってマジでキツイ…」
肩越しに顔を埋めてボヤくワカくんは子供みたいだ。いつもはカッコいいのに、こういう時のワカくんは可愛いなんて思ってしまう。だけど元カノの存在を感じるこの部屋で抱かれるのはどうしても抵抗感があった。
(あんな下着なんか見つけちゃったのがいけない…)
あの下着をワカくんが脱がしたのかと思うと、胸の奥がズーンと重くなって焼けるような痛みが走る。わたしはこんなにヤキモチ妬きだったのかと自分でもビックリしてしまう。
「ご、ごめんね…」
「んー。いいよ…引っ越したら出来なかった分、いっぱい抱くから」
「えっ」
ふと顔を上げたワカくんは、何とも蠱惑的な笑みを浮かべてわたしの鼻先へちゅっと口付けた。それはそれで…ちょっとドキドキしてしまうんだけど。
「そ……そんなにしたら…飽きちゃうんじゃない…?」
「は?飽きねえよ」
「…っ」
間髪入れず言いきると、ワカくんは真っ赤になったわたしの頬にそっと手を添えた。その指先が優しく下りて、くちびるをなぞっていくからゾクリとしてしまう。
「それとも…は飽きるワケ?」
その問いに慌てて首を振る。飽きるはずがない。今も触れられるだけで流されてしまいそうなほど、ワカくんに包まれたいと思う。ただあまりお預けしてると浮気されちゃうかな…なんて一瞬脳裏を過ぎる。そんな邪推を感じ取ったのか、ワカくは小さく息を吐いて、わたしの頭へポンと手を置いた。
「オレは今まで確かに色んな恋愛はしてきたし、がアレコレ心配するのも分かる。でも…オマエが心配するようなことはしねえから」
「…ワカくん…」
「オレの中では最後の女の子だって感じてるから…傷つけるようなことはしねえよ」
「……最…後…?」
「そう。まあ…最初の女にはしてやれねえけど…最後の女じゃ不満か?」
その問いにも頭で考えるより先に首を振っていた。不満があるはずない。最初の人より、最後の恋人になれるなんて、そんな幸せなことはない。
「え…でもそれって…」
そこで気づいた。最後の恋人ということは――。
驚いてワカくんを見上げると、彼は意味深な笑みを浮かべてわたしの左手薬指にちゅっと口付けた。
「ここは予約しとくから」
その言葉の意味を理解した時、一気に涙が溢れてきた。ワカくんの顏が涙で滲んで見えなくなる。わたしが泣き出すとワカくんは慌てたように体を抱き起こして背中をポンポンと叩きながら宥めてくれた。でも涙はなかなか止まらなくて、ワカくんのシャツが濡れてしまうほど大泣きしてしまった。初めてこんなに人を好きになって。その人から最後の女だと言ってもらえて。それが自然なプロポーズの言葉になるなんて幸せすぎる。
「ワカくん…大好き」
「オレも。のこと可愛くてしかたねえわ」
最後はぎゅっと抱きしめながら、ワカくんは苦笑交じりに言った。こんな甘ったれなわたしを甘やかしてくれるのはワカくんしかいない。
きっと夏休み明けには、両親にワカくんを紹介することになるだろう。いつもなら足りないとすら思う長い休みが、今はちょっぴり終わるのが待ち遠しい。ワカくんの甘いキスを受けながら、ふとそう思った。
end...
sssから始まったワカの溺愛シリーズ第一弾、この二人のお話はこれにて終わりますが、また別の話でワカを書いて行きたいと思います✨