36度2分の純情-02



ハッキリ言って花火をやってる間も私の頭は混乱したままだった。ボーっとしている内に、ケンヤや蘭くんから何かしら花火を渡され、火をつけてもらい、それを手に持ってるだけ。綺麗だなーなんて楽しむ余裕はなかった。

「おい、。どした?何か変だぞ、さっきから」

その声にふと顔を上げると、ケンヤが目の前にしゃがんでいた。その顔は眉間を寄せながら訝しそうに私を見ている。蘭くんはジンさんに次の花火を貰いに行ったのか、近くにはいなかった。

「オレ達がいない間に蘭くんと何かあったんか?」
「えっ?」
「まさか…キスされたとか?」

私の驚きように勘違いしたらしい。ケンヤがとんでもないことを言いだして、私はカッと顔が熱くなったのが分かった。

「さ、されるわけないでしょっ」
「あ、そう…。つーか、だったら何でそんな真っ赤になってんの」
「ケンヤが変なこと言うから――」
「何の話~?」
「ひゃ…ッ熱っ」

突然、背後から蘭くんの声が聞こえたせいで驚き過ぎてしまった。持っていた花火を自分の足へ向けてしまうという失態。バチバチと燃えていた火花がもろに素足に落ちる。熱さにも驚いて砂浜に尻もちをついた私を見た蘭くんが「何やってんだよっ」と傍にいたケンヤを押しのけるようにして私の前にしゃがんだ。

「あ…ちょっと…っ」

いきなり足を掴まれギョっとした。靴はさっき脱いだまま裸足だから、直に蘭くんの手から体温が伝わって来る。

「火傷してんじゃん…ケンヤ、水買って来い」
「わ、分かった!」

ケンヤが慌てたように自販機へと走って行く。蘭くんは赤くなった私の足の甲を見て溜息をつくと「何やってんの、オマエ…」と呆れたように目を僅かながら細めた。自分でも間抜けだと思う。でも少なからず私を動揺させたのは彼の方だ。そう言いたいけど、もちろんそんな生意気な口はきけない。

「ごめん…」

何で彼に謝ってるのかすら分からないままに謝った。でも火傷をして痛いのは私であって、蘭くんじゃない。そこまで呆れなくても、と思ってると、ケンヤが数本のミネラルウォーターを手に戻って来た。

「ほら、水」
「あ…ありがとう」
「貸せ」

ケンヤが買って来た水の入ったペットボトルを蘭くんは奪うように受け取ると、キャップを外して火傷した箇所に思いきり水をかけている。一瞬だけヒリヒリした痛みが和らぐ感じがした。蘭くんは買って来た水を全てかけて冷やしてくれたが「これ水ぶくれになんぞ」と怖いことを言って来る。線香花火だったならこれほどの火傷はしなかっただろうけど、運悪く私が持っていた花火は勢いの強い定番の花火だった。すぐ離したおかげで何か所か水ぼうそうみたいな赤い点が出来たていどだったけど、痛いものは痛い。

「どうした?」

そこに煙草を吸いに行っていたジンさんが戻って来た。砂浜に座り込んだままの私を見て「何かあったの?」と驚いている。

「あーコイツ、花火で火傷した」
「マジで?大丈夫なんか」
「あ、はい。蘭くんが冷やしてくれたから…」
「ジン、車のキー貸して。車に救急箱あったろ」
「あー了解。ほら」
「え?」

ジンさんがポケットからキーを取り出し、彼に放っている。私は驚いて「大丈夫だよ」と言ったけど、蘭くんは私の手を引いて立ち上がった。

「いいから消毒だけしとけ。行くぞ」
「え、ちょ、ちょっと――」

私の手を引いたまま歩き出した蘭くんに驚いて、思わずケンヤを振り返る。ケンヤはポカンとした顔をしていたけど、私の助けを求める視線に気づき、何故か笑顔で手を振って来た。アイツ!後で覚えてろ、と思いながら蘭くんに手を引かれるまま砂浜を歩いた。けれど不意に彼が立ち止まる。

「オマエの靴は?」
「あ、そこに脱いだけど…」

砂浜に入った辺りで脱いだミュールを指させば、蘭くんがそれを手に取って戻って来た。

「履けそう?」
「えっと…無理、かも」

履けば火傷の傷にこすれて痛みが増しそうだと思った。蘭くんもそう思ったのか「だよな…」と溜息をつく。ここから車のある駐車場まで片方は裸足で行かないといけない。そう思っていたのに蘭くんが突然目の前にしゃがんで「ほら」と私を振り返った。

「え」
「車までおぶってやっから早く乗れよ」
「い、いいよ…!片方だけだから裸足で行けるし…」
「そんなんしたら足の裏までケガすっかもしんねえだろが。いーから早く乗れ!」
「う…(こ、怖い…)」

イライラしたような口調で言われ、一瞬怯む。忘れかけてたけど、彼は年上も従えてしまうほどのヤバい不良なのだ。ここは大人しく言うことを聞いた方がいい。そんな結論に達した私は、恐る恐る蘭くんの肩に両手をかけた。

「立つぞ?」
「う、うん…」

言った瞬間、蘭くんは両手で私の太もも――恥ずかしくて死ぬ――を抱えるようにしながら一気に立ち上がった。

「わ…っ」

視界がぐんと上がったせいで慌てて蘭くんの首にしがみつく。誰かにおぶってもらうのは大人になってから初めてのことだ。彼からはふんわりと香水のいい香りがした。その香りでやけに色気を感じてしまう。蘭くんは項まで綺麗だ。綺麗に編み込まれた三つ編みが、海風に吹かれて僅かに揺れていた。

「ご、ごめんね…重たいでしょ…」
「ハァ?これくらいよゆー」

蘭くんは不機嫌そうにスタスタと車の方へ歩いて行く。どの辺にイラついたのかは分からないけど、彼の機嫌が悪いなら、その原因が私だということだけはハッキリ分かる。

「ちょっとここ座ってろ」

蘭くんは後部座席のドアを開けると、私をそこで下ろして座らせてくれた。そして、ありがとうと言う暇もなく、蘭くんはすぐに自分も乗り込むと、後部座席の裏側へ手をつっこんで小さな箱を取り出す。それを開けると中には消毒液や絆創膏など、外傷用のものが入っているようだった。

「ほら。足出せ」
「う…うん…」

恥ずかしいと言える空気でもない。仕方なく下ろしていた足を座席の上に乗せて、下着が見えないようにスカートは手で押さえておいた。何でミニスカートにしちゃったんだろうと変な後悔が生まれる。でも蘭くんは気にしないように消毒液を出すと、それをコットンに沁み込ませて火傷をした部位に当ててくれた。

「…っ」
「沁みる?」
「大丈夫…少しピリピリするくらい」
「ったく…ボケっとしてっからだろーが。どんくせぇヤツ」

またしても呆れたような顔で溜息をつかれて、何も言えなくなった。でも何で車にこんな物が積んであるんだろう。

「出来たぞ。まあ…水ぶくれは出来るだろーけど、痕が残らない程度に冷やして消毒したし大丈夫だろ」
「あ…ありがとう。ほんと…ごめんね」
「別にオレに謝んなくてもいいけど、オマエは女なんだから少しは気をつけろよ。傷跡残んの嫌だろ」
「う…た、確かに…」

傷跡、と言われて少し怖くなった。でも蘭くんは怒っていると言うよりは心配してくれてたのかなと感じて少しホっとする。怖いけど優しいところもあるらしい。

「でも…こんな消毒液とか何で車に積んでるの?」
「あーこれはケンカとかした時に使うから」
「……あ、そっか」

ジンさんは元暴走族だったと思い出して納得した。きっと蘭くんも同じなんだろう。手当する手つきも慣れたものだった。本当に、この綺麗な手で人を殴ったりしてるんだ。薬をしまっている蘭くんの長い指の動きを眺めながら、全く想像できないなと思う。

「いい加減、足下ろせよ。パンツ見えてんぞ」
「えっ?わわっ」

ボーっとしていてすっかりスカートを抑えるのを忘れていた。慌てて足を下ろすと、蘭くんが軽く吹き出している。下着を見られた恥ずかしさで耳まで熱くなった。

「見られたくねえなら、そんな短いの穿いてくんな。オマエ、危機感なさすぎ」
「…き、危機感って…だって今日はドライヴだって…」
「そういうことじゃなくて。男が3人いて女はオマエひとり。そんな露出のある服装で来りゃ襲われても文句言えねえぞって話」
「……な…何それ…」

急に怖いことを言いだした蘭くんにドキリと心臓が鳴った。男が3人って言ってもひとりは幼馴染だ。ありえないしあるはずがない。なのに蘭くんの顏は意外にも真剣だった。

「今度から露出の高い服装は禁止な」
「……は?」
「あと、いくら幼馴染と言ってもケンヤとはふたりきりで会うな。分かったー?」
「あ、あの…何…言って…」

いきなり彼氏みたいなことを言いだした蘭くんに、私の理解が追いつかない。でも――そこで思い出した。

"オレの初めての彼女になるー?"

さっき、そんな言葉を言っていた気がする。あれって本気だったの?っていうか、すでに付き合ってるみたいなノリで話されてるのは何故なんだろう。

「あ?何って…オマエ、さっきオレの彼女になるかって聞いたら"うん"つったよなァ?」
「…えっ?」

と驚いた瞬間、自分が脳内の独り言の延長で「うん」と言ったことを思い出した。

「い、いや、あれは…」
「何だよ。いやなの?」

シートに凭れたまま、不満げに目を細める彼の迫力たるや、不良に片足を突っ込もうとしている素人の私をビビらせるには十分すぎた。つい首を左右に振ってしまったのは仕方のないことだと思う。けれど、私が首を振った途端、蘭くんは「そ?」と言って優しい笑みを浮かべた。あまりに不意打ち過ぎて不覚にも心臓が鳴ってしまったくらい、カッコいい。飴と鞭の使い分けがうますぎる。

(はっ。何また見惚れてんの、私っ!このままでいいのか、私っ)

彼氏いない歴13年。初彼が不良にビビられる不良ってどうなの?と自問自答してしまう。それにしても…と一つ気になることを思いだす。

(蘭くんはモテる。でも彼女はいない。付き合うのは初めて。で、何で私――?)

彼ほどのイケメンなら、もっと極上の女の子とだってつき合えるはずなのに、何で私みたいな"素人"に彼女になる?なんて言ってきたんだろう。そこだけが謎だった。もしかして遊びか?とも思ったけど、遊ぶならそれこそ私じゃなく、もっと可愛くて慣れた女の子を選びそうだ。
蘭くんはジンさん達のところへは戻らず、またケータイをいじりだした。その横顔を見ていると、どうしても理由が聞きたくなってくる。

「あの――」
「ほら、これ」
「え?」

思い切って尋ねようとした時、蘭くんが自分のケータイを私の方へ差し出した。

「オレの番号。のケータイからかけて」
「あ……うん」

頷いてしまった。いやそうじゃなくて!と自分に突っ込みながら、自分のケータイに彼の番号を入れていく。でも通話ボタンを押そうとして、これを押したら本当に灰谷蘭という男の彼女になってしまうのか?と躊躇いが出て来る。初めての彼女と言われて驚きすぎたから忘れていたけど、私にとっても初彼になってしまうのだ。

「何やってんのー。早くかけろよ」
「う…あ、あの…」
「んー?」

蘭くんは自分のケータイが鳴るのを待ってるのか、ディスプレイを眺めていた視線を私に向けた。その綺麗な虹彩にまた心臓が速くなってしまう。

「何で…?」
「何で?」
「何で私…?会ったばかりで、まともに話したのは今日が初めてなのに…何で彼女になるなんて言ったの…?」

言えた。やっとの思いで疑問をぶつけられたことでホっと息を吐き出す。蘭くんは一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐにふっと口元に笑みを浮かべて、私の顔を覗き込んで来た。これがなかなか心臓に悪い。

「私のどこがいいの?って聞きたいわけ?」
「そ…そういう意味じゃ…まあ…でもそうかも…しれない」

そもそも私の気持ちは無視か、とも思ったけど、それは言えなかった。

「まあしいて言えば…」
「…う、うん」
がオレを避けてたから」
「…は?」
「最初っから何か距離とられてんなーと思ってたけど、今日も会ってやっぱそうだった」
「そ、それは…」

バレてたのか、と内心ヒヤリとした。けど蘭くんはそれに対して怒っているという感じでもなく「それが面白かったから?」と笑顔で言った。

「小動物みてーに、いちいちビクビクしてっし、もっと近づきたくなったっつーか」
「な…そ、それっていじめっ子の発想なんじゃ…」
「ぶはは…っいじめっ子って…まあ、でもそーかもなァ?」

蘭くんはさも楽しげに笑いだして、私は呆気にとられてしまった。私はまさかの獲物認定されていたのだから当然だ。

「で、でも何で彼女…?だって蘭くん、これまで誰とも付き合わなかったってことでしょ…?なのに――」
「まあ…付き合いたいって思うような女もいなかったし、媚び売って来るような女ばっかでつまんねえなーって感じだった」

それって自分がモテると言いたいんだろうか。いや言ってたっけ。要するに、相手から寄って来るのがつまらないと言いたいんだろうか。なんて贅沢な。世のモテない男達から恨まれてもおかしくない理由だ。

「でー?はまだオレにビビってんの?」
「…う」
「その顔。やっぱおもしれーなー?ちゃん」
「ひゃ」

いきなりわしゃわしゃと頭を撫でられ、せっかくブローした髪をグチャグチャにされた。泣きそう。

「ほら、早くケータイ鳴らせよ。登録すっから」

これではまるで脅迫じゃないか、と思いながらも、渋々通話ボタンを押す。ブーンと彼のケータイが震動して私の番号が表示される。蘭くんはそれをすぐ登録すると、私の手からケータイを奪っていた。

「ちょっと…」
「オレの番号登録しといたからー。いつでも電話して来いよ」
「か、勝手に…」

同じ機種、それも彼の手がまだ操作をすんなり出来る前の機種のせいで、私のケータイには灰谷蘭の連絡先が登録されてしまった。ケータイを奪い返して確認すると、何故か《は》の行に彼の名前がない。まさか、とすぐに《ら》行を見ると、そこにはちゃっかり"蘭ちゃん"と名前で登録されていた。っていうか何でちゃん付け?

「蘭ちゃんって…」
「え、可愛くない?ちゃん付け」

そう言ってる蘭くんの方が可愛く見えてしまった。ヤバい、すでに洗脳されてきている?

「つーことで今からオレとは彼氏彼女なー?」
「……彼氏…彼女…」

その憧れの響きだったはずの言葉が、やけに辛く聞こえた。初めての彼氏が出来たというのにちっとも甘くない。だって私はただの獲物だから。そう思うとガックリ来たけど、隣で何故か楽しそうにしている彼を見ていると、もうどうにでもなれという気持ちになって来た。そして開き直った途端に睡魔が襲ってきて、つい欠伸が出てしまう。

「ハァ?オマエ、ねみーの?」
「だ、だって…もう夜中の二時だし…」
「まだ序の口じゃん」
「……」

さすが六本木の帝王。いや、カリスマだっけ?夜遊びは大得意って顔してる。私も得意な方だし今日は学校をサボって寝てたはずなのに、急に眠くなるなんて何でなんだろう。いや、きっとドライヴに来てから今のこの瞬間までずっと緊張してたせいだ。そして今、私は開き直って緊張も解れた瞬間、体が疲れを訴えている。またしても欠伸が出て涙がじわりと目尻を濡らした。その瞬間、視界がぐわんと動き、気づけば蘭くんを見上げていた。

「え」
「ねみーなら寝てろよ。アイツらも花火全部やったら戻って来るだろうし」
「え、いや、あの…何で」

そういうことを聞きたいわけじゃなく、何で彼の膝の上で私は寝てるんだと聞きたい。蘭くんは窓の外に向けてた視線をまた私に戻すと「何でって横になった方が寝やすいじゃん」とあっさり答えをくれた。

「オレ、座りながら寝るとかムリ」
「…で、でも重たいでしょ?悪いからやっぱり――」

起き上がろうとした私の肩を掴んだ蘭くんは、笑顔で膝へ引き戻した。

「いーじゃん。彼氏の膝枕、最高だろ?」
「……そ…そんなわけ…」
「あ、そーか。はこういうことされんのも初めてなんだよなァ?初体験じゃん」
「い、言い方っ」

彼の言う通り、こんなに男の子に密着するのは初めてで、どうしようもなく恥ずかしい。それを見透かしたように笑う蘭くんが憎たらしくなった。多分、私の顔は真っ赤だと思う。車の中が暗くて良かった。

「いいから大人しく寝てろよ」
「ちょ…」

あの綺麗な手で、彼は私の頭を撫でると、顏にかかった髪を避けてくれた。首辺りが急にスース―したけど、少しスッキリする。こんな風に触れられるのも、頭を撫でられるのも初めてで全てが恥ずかしい。なのに随分と私は図太かったようで、睡魔には勝てなかった。頭を優しく撫でられてると、やけにホっとして少しウトウトしてきた。その時、蘭くんが僅かに動いた気配がして、瞑りかけた目をゆっくり押し戻そうとした時。露わになっている首筋に、何か温かいものが触れてちゅっと小さな音がした。最初は何をされたのか分からなかった。けれど、くすぐったい刺激を感じながらキスをされたんだと脳が理解した時、信じられないくらいに心臓がドキドキしてきて、胸の奥がきゅっと縮んだような感覚がした。死ぬほど恥ずかしいのに、何も言うことが出来ず、私はそのまま寝たふりをしながら、再び撫で出した蘭くんの手に、やっぱりドキドキしてしまった。


強引すぐる…笑