1.
"オレもみたいな反応する女は初めてだから、どう扱っていーのかわかんねえんだわ、マジで"
蘭くんに言われた言葉が頭にこびりついて離れない。あの後、彼は「送る」と言って急に立ち上がった。驚く私に蘭くんはこう言った。
「オマエ、何かビビってるみてぇだし、こんなんじゃ一緒にいても楽しくねえだろ?」
ドキっとしたけど、彼は怒ってるという感じではなく本心からそう言ってるようだった。少しホっとしたような、けれど何とも後味の悪い言葉だった。
2.
あれから一週間。彼からは何の連絡もない。きっと私は蘭くんに"つまんねえ女"認定されたんだろう。彼氏彼女的な話も消えてるはずだ。というより蘭くんにとっては毛色の違う女をからかっただけで、特別なことじゃなかっただけ。
飽きたからそのお遊びも止めたってところか。これであの不安定なよく分からない感情から解放される――。
そんな安堵感がある一方で、微妙に空虚感が残るのは何故なんだろう。
数えるほどしか会っていないのに、ほんの少し"寂しい"…なんてどうかしてる。
その日の昼休み、久しぶりにケンヤが私の教室に現れた。
「ちょっと顔貸せよ」
なんて、不機嫌そうな顔で言うから何事かと思いながら、ふたりで学校を抜け出して近所のコンビニでご飯類を買い、目の前の公園で食べることにした。時々ケンヤとはこんな風に学校を抜け出すこともある。でも今日はただサボるから誘いに来たという感じでもない。そもそもこの一週間、ケンヤは前に言ってたように私のことを避けていた。蘭くん絡みのことなんだろうけど、私も敢えてそのままにしておいたから、こうして話すのも久しぶりだった。
とりあえず公園のベンチに座ってサンドイッチの包みを開けていると、ケンヤはおにぎりを頬張りながら「んで、オマエと蘭くん、どーなってんだよ」といきなり切り出した。彼のことを聞かれるんじゃないかと薄々分かってたけど案の定だ。何となく話す気分じゃなかったけど、もし蘭くんがケンヤに何かしら私のことを話したのなら、なんて言っていたのかそれが気になった。だから言いにくい箇所だけ省いて、ケンヤには簡単にこの前のことを説明した。
「はあ?そんなこと言ったのかよ、オマエ」
「だって本心だし…そもそもいきなり初彼があの人ってハードル高すぎだったんだよ」
そうだ、ほんとそうなんだ。成り行きで付き合うって形になったけど、誰かを好きだとか、付き合いたいとか、まだ考えたことすらなかった私が、不良の上をいく蘭くんの彼女になるなんて無謀だった。
「じゃあ何で付き合ったわけ?オマエがOKしたんだろ?」
事情を知らないケンヤが呆れたように言った。
「あ、あれは…!不可抗力というか…ただの勘違いだよ…蘭くんの」
「は?何それ。でもオマエが最終的には決めたんじゃねえの」
「それは…怖かったから…」
そう、怖かった。あの空気の中、つき合えないって言ったら何をされるかと思うと怖くてハッキリ言えなかっただけ。
なのに――。何で今、変な後味の悪さが残ってるんだろう。
あの日、蘭くんは私に痛いことはしなかった。意味深なことを言ったりしたりはしたけど、結局のところ何もしかけて来ることはなくて、ビビってる私をちゃんと家まで送ってくれた。私は、離れて少し前を歩く蘭くんの背中を見ながら、声すらかけられなかった。今思えば、初めてふたりで過ごした時間は決して怖いだけじゃなかったのに。
(やだ…最近、蘭くんのことばかり考えてる気がする…)
ふたりで過ごしたのはたった数時間のことなのに。あの日、ほんとは楽しかったような気さえしてくるのは何でなんだろう。これも洗脳ってやつかな。そんなバカなことを考えながら、未だに呆れたように溜息をついているケンヤを見た。
だいたい最近ずっと私を避けてたケンヤが見計らったように今日、私のとこへ来たのは何でなんだろう。ふと、気になった。
「それより…何でケンヤは私のとこ来たわけ?最近ずっと近寄らなかったクセに」
「あ?」
近寄らなかったのは多分、蘭くんに何か言われたからだろう。付き合うって話をしてたあの日、幼馴染でもふたりきりで会うなって言われた気がするし、次の日のケンヤの態度から察するに蘭くんに牽制されたに違いない。なのにこうして話しかけて来たってことは、蘭くんから"お許し"が出たのかと思った。ケンヤが私の問いにどこか気まずそうな顔をしているのがいい証拠だ。
「蘭くんに何か言われた?私のことで」
「いや、それが……つーか夕べいつものたまり場に行ったら蘭くんが来ててさ」
たまり場とはケンヤが夜遊びで行くようになった六本木のクラブのことだ。ケンヤには高校生の夜遊び仲間がいて、最初はその人達に連れて行かれたらしい。
ジンさんともそこで知り合ったと言っていた。
「何か派手な女を連れてたし、あれっと思って…」
「女…?」
何だ、もう新しい女が出来たんだ、と思った。私が初めての彼女だと言ってたけど、あれだって事実か疑わしい。女を口説く為の嘘ってことも十分にあり得る。あの手慣れた感じは噂通りだということなんだろうなと思った。
「まあ…蘭くんは強いだけじゃなくて、あの通りイケメンだし、その辺の雑魚とは持ってる空気からしてまず違う。だからすげーモテるし、女の方から寄って来んだ。だから前から常に女は連れてたし、オマエと付き合うってなってもその辺は変わんねえんだろうなーと思ってたんだけど…」
と、ケンヤはそこで言葉を切った。その表情はどこか困惑しているようにも見える。
「何よ。そういう人なんでしょ、蘭くんは」
「いや…その派手な女が蘭くんにベタベタしだして、何かそっからちょっとモメてたんだよ」
「痴話ゲンカ?」
「そういう感じじゃなくて…蘭くんがさ。オレ彼女出来たからそーいうのやめろ的なことを言ったみたいで、急にその女がキレだして――」
ケンヤの話はこうだった。夕べ、たまり場であるクラブに蘭くんが弟を含めた数人の仲間とやって来た。その仲間の中に派手な女もいたらしい。そこへケンヤと連れが合流。最初は普通に大人数でビップルームに入って飲んでたが、そのうち酔っ払った女が蘭くんにベタベタしだした。そこで蘭くんが「彼女できたし今度からそーいうのやめてくんね?」と女に言ったようで、女は驚いた様子で「彼女いらねーって言ってたクセに何なの」と怒りだして一時騒然となったようだ。
ついでに彼の弟が「はあ?兄貴に彼女出来たなんて聞いてねえ」と騒ぎだし、最後は何故か壮絶な兄弟バトルに発展したらしい。
「マジ、あの兄弟やべえわ…。最後は怒ってた女も逃げ出すわ、周りが数人がかりで蘭くんと竜胆くん止めに入って、とばっちりで殴られるわで散々だった。まあオレは早々に避難して見学してたんだけどさ」
ケンヤは苦笑交じりで肩を竦めた。やっぱり不良がビビるほどに恐ろしい兄弟なんだ。けれど、私には一つだけ疑問があった。
「…っていうか蘭くんが言ってた彼女って私のことじゃないと思うけど。違う子のことでしょ」
「は?何でだよ」
「だってあれから一週間、蘭くんからは何も連絡ないし、きっと遊びも飽きたんじゃない?私も慣れてないから些細なことで過剰反応しちゃったし、つまんない女だって思われたんだよ」
「…マジ?でも昨日、帰り際に蘭くんも似たようなこと言って来たけど」
「え、なんて?」
「から連絡ねぇんだけど、アイツ体調でも崩してんの?って。オレは最近オマエと連絡すら取ってなかったから知らないって応えといたけどさ。だから今日オマエに聞きに来たんだよ」
「え、いや、ちょっと待って」
ケンヤの話を黙って聞いてた私もさすがに今の話は驚いた。私から連絡がこないと思ってる辺りも謎すぎる。そりゃ連絡はしなかったけど、でもそれはこの前の帰り際に蘭くんから何も言われなかったからで――。
「最後に会った日も特に連絡しろとか何も言われてないけど…」
「は?何も言われないから連絡しねえのは変じゃねえ?付き合ってんだから」
「……それは…」
「何でオマエは受け身で、蘭くんから連絡してくる前提で話してんだよ」
ケンヤは不思議そうに私を見て苦笑している。確かにケンヤの言うことは最もで正論だ。けど、それは普通のカップルならの話で、私と蘭くんの間に普通のカップルのような関係性が成立しているかと問われると、してない、はず。
「その…ほんとに言ってたの?私から連絡ないって…」
「ああ。だいたい蘭くんからオマエと距離おけって言ったクセに、オレにそういうこと聞いてくっから試されてんのかって思ったけど…何かそういう感じでもなくてマジっぽかったな」
「え、距離おけって…?」
「あーオマエと蘭くんがつき合うことになったって聞かされた後にな、そう言われた。嫌なんだろ?自分の女がいくら幼馴染とはいえ男と仲良くすんのは。まーオレもそう言う気持ち分かるし」
やっぱりケンヤと彼との間でそんな会話はあったんだ、と思った。ケンヤが私を避けだした時から薄々は気づいてたけど。
「へえ。ケンヤも分かるんだ。彼女いないクセに」
「あ?バカにしてんのか、テメェ。彼女くらい出来たっての」
「嘘!誰、誰?」
いったいいつの間にと驚いて尋ねると、ケンヤは「他の学校の女だよ」と恥ずかしそうにそっぽを向いた。生意気なヤツだ。
「とにかく、オマエは後で蘭くんに電話くらいしろよ。オレにとばっちり来る前に」
ご飯を食べ終えた後、私とケンヤは学校に戻るのも面倒になり、そのままふたりで家に向かって歩き出した。どうせ午後の授業は一つだけだから一時間で終わる。鞄は置きっぱなしだけど盗まれるものも入ってないしいつものことだ。運が良ければサボり仲間でクラスメートのリコが家まで持って来てくれるかもしれない。
「でも…別に用事ないし…」
「だから付き合ってんのに用事なんかいらねーだろ?声が聞きたかったとか色々理由はあんだろーが」
「それは私が蘭くんを好きな場合でしょ?まだ好きかどうかなんて分かんない――」
そこで言葉が途切れた。私の家の前に見たこともない大型バイクが止まっていて、そこに寄り掛かってる長身の男の子がいたからだ。
金色の三つ編みが日に透けて、キラキラと光っていた。
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絡みがない…笑