36度2分の純情-09




「ほら、これがオマエでこっちがオレ」
「え…」

竜胆くんの思い出した記憶の答え合わせをするかのように、蘭くんは自分の部屋へ私を連れて行くと、棚からアルバムを出して来た。そこに貼られている写真数枚の中から自分と、そして私が映っているという写真を見せてくれる。

「オレんちも当時から親が共働きでさ。オマエんちもそうだったろ。だからこの辺で唯一の児童施設だった"みなと保育園"に預けられてた。覚えてねえ?」
「…お…覚えてる…けど…」

と言って、私の記憶の中の人物と目の前の蘭くんが一致しない。けれど彼が見せてくれた写真の中の小さな女の子は間違いなく、私だ。子供の頃の写真は私も持ってる。そして隣で笑顔を見せている男の子は――私が大好きだった男の子。
幼い頃の記憶の中に、この男の子は確かにいた。両親が共働きだから私は港区の保育園に預けられていて、いつもそこでお母さんが迎えに来てくれるのを待っていた。
でもいつも私のお迎えは最後の方で、暗くなるまで待たされていたのを思い出す。
そして同じように居残り組の中に男の子がふたりいたのだ。その兄弟の親も忙しいらしく、暗くなってもなかなか迎えが来なくて、その間は3人で絵本を読んだり、お絵かきをしたりして寂しさを紛らわせてた。

「ママ、まだぁ?」

そう言ってぐずる弟をお兄さんである男の子が励ましていた姿が印象的だった。私は一人っ子だったから、あんなお兄ちゃんが欲しいっていつも思ってた。その子は私にも凄く優しくしてくれた。お母さんの迎えが遅い日は心細くて泣きだしたこともある。そのたびに男の子は「大丈夫だって。もうすぐ迎えに来るから、それまで一緒に遊んでよう」と、いつも明るい笑顔で言ってくれた。それが凄く嬉しくて、どんなに心強かったか。子供ながらに私はその男の子のことが大好きだった、気がする。名前は…なんだっけ?確か"ちゃん付け"で呼んでた気がする。苗字とかは全く思い出せないけど、短い名前だったような―――。

「あ…ら……らん、ちゃん…?」
「お、やっと思いだした?」

写真に写る男の子と記憶の中の男の子が遂に一致した時、改めて目の前の蘭くんを見て驚いた。当然だけど当時は髪も黒くて、まだ頬もふっくらしてて、今みたいに視界に入るヤツは全員ぶっ飛ばす的な雰囲気もなかった。

「嘘…面影なさすぎだよ、蘭ちゃん…」

思わず出た言葉がそれだった。蘭ちゃんが「うっせぇな」と少しスネたように目を細める。だって、当時あの男の子も、一緒にいた弟くん―あのブラコン少年は竜胆くんだったのか!―も、こんなに目つきも態度も悪くなかった。

「オマエはあんま変わってねぇもんなぁ」

蘭ちゃんはバカにしたように笑っている。ということは最初から蘭ちゃんは私のこと知ってたってこと?

「え…蘭ちゃん、いつから私のこと気づいてたの…?」
「あー初めて再会した夜、オマエと顔合わせた時に何となく懐かしい気がしてどこで会ったっけ?って考えてたけどさっぱり分かんなくてさー。けど気になっからケンヤにオマエ呼べって頼んだ。でも二度目に会う前に思い出したんだよ。名前と顔が急に一致したっていうか。でも、二度目に会った時はビビってオレとまともに目も合わせようとしねぇし、ガキの頃の話をすんのも恥ずいから言えなかったっつーか…だからさり気なく昔オマエに呼ばれてた名前でケータイに登録したのにオマエは思い出しもしねぇし」
「あ…あ、あれ…そうだったんだ…」

ケータイに入っている登録名は確かに蘭ちゃんが自分で入力してたことを思い出した。すると蘭ちゃんが突然ジロリと私を睨むから「う、」と言葉を詰まらせ、条件反射で身体を引いてしまう。

「しかもオレの知らねえ幼馴染なんて作ってるしふざけんなって思ったわ」
「え、だ、だって…ケンヤんちは共働きでもないし、アイツはあの頃、幼稚園組だったから…」

そう、そうだ。隣のケンヤがずっと私の遊び相手だって思い込んでたけど、確かにケンヤも知らない私の時間はあった。それが保育園だ。

「つーか、名前で呼ばせても思い出さねえし、完全にオレのこと忘れてんなーってムカついたから思い出すまで傍に置いておこうと思ったんだよ」
「な、だ、だって保育園の頃だよ?あの頃の記憶も一部だけで、一緒に遊んでた子の名前なんて覚えてないし、まして面影もないし思い出すわけないじゃない。それとも蘭ちゃんは私の名前、憶えてたの?」
「いや、名前とかは全く覚えてなかったわ」
「ほら!」

と、つい指をさしてしまった。蘭ちゃんは僅かに口を尖らせると、私のその手を掴んでグイっと引き寄せてくる。そのせいで蘭ちゃんの胸元に顔から飛び込んでしまった。

「いた…っな、何する…」
「あの頃、オレにプロポーズまでしてきたクセに随分じゃねえ?」
「…えっ?プ、プロポーズって――」

その時、脳内に誰かと指切りをしてる光景が浮かんだ。

――らんちゃん、大好き!わたし、らんちゃんと結婚する!
――じゃあ、約束!

それは子供の頃の他愛もない約束で、可愛い初恋の記憶だった。こうして再会するまで忘れていたくらい、ささやかで小さな、思い出。

「そ…そんなの忘れたもん…」
「オレは覚えてる。そのあとホッペにチューしてくれたことまでハッキリと」
「な…」

そんなことしてない、そう言い返そうと顔を上げたら思い切り目が合ってしまった。何でそんな優しい、甘ったるい眼差しで見て来るんだろう。思わずドキっとして顔を反らそうとした。なのに突然、頬に蘭ちゃんの手が触れて元の位置に戻された、かと思った瞬間、身を屈めて蘭ちゃんの顏が近づいて来る。

「な、何…」

驚いて後ろに上半身だけ引くと、蘭ちゃんは「何ってあの時のお返し?」と笑いながら唇を近づけて来る。それも何故か、口元に。

「ししなくていい…っ」

カッと頬が熱くなった。普通にキスをしようとする蘭ちゃんに驚く。彼が何で私に"彼女"という代名詞をつけて傍に置こうとしたか、理由は分かったけど納得はしてない。そもそも保育園の時の幼馴染と再会したからって何でわざわざそんな回りくどいことをする必要が?

「照れんなって」
「て、て照れてないっ」

思い切り顔を背けると、蘭ちゃんはクックと笑いを噛み殺しながら「嘘つけ」と言った。

「オマエ、真っ赤じゃん。可愛いなーやっぱ♡」
「……ッ」

頬の辺りでちゅっという音と共に柔らかい感触。キスをされたと気づいた時、今度こそ固まった。13年間生きて来て男の子に、それも蘭ちゃんに触れられたのは三度目だ。一回目は首筋にキス、二回目は唇の横を舐められて、今度は頬にキス。蘭ちゃんはいつだって私の心臓をいきなり攻撃してくる。

「…お、首まで真っ赤…」
「や…っやめてよ…ひゃっ」
「そんな赤くなられるとそそられる」

蘭ちゃんはそんなことを言いながら、またしても私の首筋へ唇を押し付けて来た。
くすぐったさでぞわっと肌が粟立つ感覚が広がっていく。

「や、やだっ何でこんなことするの…っ?」
が煽るような顔すっからだろ」
「し、しししてないっ!それに思い出したんだから、もうこんな恋人ごっこ終わりでしょ?」

蘭ちゃんの腕から逃れようと必死でもがく。なのに蘭ちゃんは「は?」と目を細めて私を見下ろした。やっぱり怖い。

「終わりって言ったっけ?」
「え…?だ、だって…思い出すまで傍に置こうと思ったって、さっき…」
「思い出したから終わらせるとは言ってねえだろ」
「そう、だけど…」
「それともはオレとそんなに別れてぇのかよ」

不機嫌そうに私を見下ろす蘭ちゃんは、"初恋の男の子"だと分かってもやっぱり少し、怖い。でも別れるとか別れないとか、私と蘭ちゃんはそこまでの関係にすら達してない気がした。



実は幼馴染な展開。私も保育園派で居残り組でした笑。
先生はいるけど皆帰ったのに暗くなってもひとりで待ってたのは寂しかった記憶…笑