これは遠い日の面影を忘れた罰-01



2011年初夏――。


「蘭さん、ケータイ光ってますよ」
「おう」

部下の大介から声をかけられ、見ていた書類からデスクの上に置きっぱなしのスマホへ視線を移動させる。マナーモードのままの画面にはメッセージのマーク。
相手は――。

「また彼女さんっすか」
「見んじゃねえよ」

ニヤニヤしながら覗き込んでいる大介に苦笑しつつ、スマホを手に取る。言われた通り、画面には彼女の名前とメッセージが届いたことを知らせるマークが表示されていた。

「相変わらず仲いいんすねー。朝から何度もメッセージのやり取りしてるし」
「まーなー♡」
「うーわ、彼女すらいないオレの前でデレるとかやめて下さいよー」
「つーか昨日オレと同じ機種に変えさせたから操作に慣れる為に色々送って来てんだよ。"衣替え終わった♡"とか"この服捨てていい?"とか地味にどーでもいいことばっか」
「可愛いじゃないっすか」
「だろ?――つーか今度は画像かよ」

「また惚気っすか!」と後ろで騒いでる大介を無視してアプリを開けば、そこには数枚の写真が添付されていた。

「げ…」

送られて来た写真をタップして思わず顔をしかめる。それはまだオレと彼女がつき合いだした頃のものだった。ガラケーで写したから画像は荒い。オレの隣で彼女が中学の制服を着て恥ずかしそうに俯いている。場所はオレの実家で確かこれを撮ったのは竜胆だった。実はオレが前からを知ってたと打ち明けた後、彼女と本格的につき合いだした時のもので、まだどことなくぎこちない。

「うわ、これ蘭さんの若い頃の写真っすか?!かっけぇー!え、隣にいるのってさんがJCの頃っすか?」
「おう…」

勝手に写真を覗き見た大介が「めちゃくちゃ可愛いじゃないっすか!」と騒ぎ出した。彼女を誉められ、柄にもなくつい顔が緩みそうになったのを手で隠しながら、写真に写り込んでいる過去の自分達を見下ろした。

「そこは否定しねぇけどー…ったく何でアイツこんなもん…つーか懐すぎだろ、これ…」
「何歳くらいっすか?」
「あー…多分13歳…?10年くらい前のだよ」

天井を仰ぎながら当時を思い出すと、何となくむず痒いものがこみ上げて来る。こんなもんを未だにとってあったのも知らなかった。

「へえー!その頃から三つ編みなんすね!あ、蘭さん、写真の下にまたメッセージ来てますよ」
「あ?」

言われて画面に目を戻し、スクロールしていく。そこには…

"私が蘭ちゃんに蹂躙されてた頃の写真みつけたー♡"

「………」

どういう意味だよ、とつい目を細めてしまう。案の定、大介は「あははは!どういう意味っすか、これ」と楽しげに笑いだした。オレとしては少しも笑えねぇ。

「蘭さん、この頃からさん振り回してたんすか?」
「振り回してたわけじゃねえけど…まあ…かなり束縛はしてたかもなー。若気の至りってやつ?」
「え、それって今もあんま変わんなくないっすか?」
「………」

大介に指摘され、一瞬言葉を失う。前のオレなら多分こんな口を叩かれたらすぐに手が出てたはずだ。でも大介は可愛い部下であり、どこか憎めない性格のせいで気づけばコイツのペースに乗せられてる。「そうか?」と返しながら、内心オレも丸くなったもんだと苦笑した。

いや、そもそも大事なもんを大事にしてるだけで束縛とか言われるのも納得いかねえけど。そんな不満を口にしようとした時、手にしていたスマホの画面が切り替わり、今度は電話の着信を知らせるマークが表示された。相手は彼女からだ。

「お、今度は電話っすよ、蘭さん」

大介はまたしてもニヤついた顔をする。オレは苦笑交じりで手をひらひら振った。

「ってか、ここはもういいから向こうで竜胆の手伝いでもしてろ。アイツ、まだ片付け終わってねえだろうから」
「了解っす。電話の邪魔はしませんよー」

からかうように言いながら大介は部屋を出て行った。大介は六波羅ろくはらにいた時からの付き合いだ。人懐っこい性格で、言った通り憎めない得な性格をしてる。竜胆とは同じ歳で気が合うらしく酒飲み仲間らしい。どうせオレの愚痴を聞かされてるんだろう。

ひとりになったところで未だ着信を訴えている画面に指を走らせる。数年前ガラケーから即買い替えたいわゆるスマートフォンはなかなかに便利で、最近も最新機種に変更したばかりだ。彼女も遂にガラケーを手放す決心をしたことで、昨日オレと同じスマホに変えさせた。今朝から何度となく練習でメッセージアプリからメッセージが届いていたが、こうして電話をかけてきたところをみると、だいぶ操作も覚えたようだ。

「もしもしー?」
『あ、蘭ちゃん、見た?』

第一声がそれかよと苦笑しながら「既読になったろ」と言えば、は『懐かしいよね』と笑う。確かにあの頃のことは写真を見るまで忘れかけてた。今のこの時代が忙しすぎるせいかもしれない。

「ってか蹂躙されてたって何だよ。大介に笑われたろーが」
『あ、大介くんもいたんだ。だって昔の蘭ちゃんは私の生活、色々とぶち壊してたじゃない』
「そうだっけ」
『そうだよ。おかげで私、高校も辞めたし、なのにバイトすら出来なかったもん』
「それはオマエが勝手に辞めたんだろー?バイト辞めさせたのはオマエが変な店でこっそり働いてたからじゃねぇか」
『そ…そうだっけ…』

都合の悪いことは全て忘れたらしい。は誤魔化すようにてへへっと笑って済ますんだから嫌になる。コイツがいつだってオレを心配させるから悪いってのに。

「で、どしたー?ああ…まだ事務所の片づけ終わってねーから帰りは遅くなるけど、それまで待てねえならがこっち来るか?」
『うん、そうする。あ、でもそれなら蘭ちゃん、まだ行ってないよね』
「あ?どこに」
『ほら、夏は暑いし乾かすの面倒だからそろそろ切ろうかなーって今朝そう言ってたじゃない』

に言われて思い出した。確かに朝、そんなことを言った気がする。

「ああ、美容室ね。行く暇なさそうだな、こりゃ」

そう言いながら部屋を見渡す。ここは関東卍會の本部として借りたビルで、今は自分の部屋に荷物を運びこんでいるところだ。トップのマイキーとナンバー2の三途が本格的な組織を創る足掛かりとして準備したらしく、その目的に乗っかったオレと竜胆、他に望月、鶴蝶、九井は今その準備に明け暮れている。
はオレの言葉を聞いて『じゃあ行かないでね』と念を押して来た。

「まーだ言ってンの」

思わず苦笑が洩れた。そういや出かける寸前までは「髪、切らないで」と言っていた気がする。

『だって…今更髪の短い蘭ちゃんなんて想像できないし怖い』
「ハァ?そりゃ短いのが似合わねえって言いてえの?」
『ち…違うけど…』
「じゃあ何だよ」

オレの問いには一瞬だけ黙り込む。でもすぐに小さな声が聞こえて来た。

『蘭ちゃんの長い髪…好きだから』

その不意打ちの告白に、らしくないほど心臓が反応してしまった。がこんな可愛いことを言うなんて、これから雷雨でも来るんだろうかと窓から空を見上げる。
そこには初夏らしい、雲一つない青空が広がっていた。

「…じゃあ」
『え…?』
「切らねえよ…」

実際ここ最近の日本の夏は暑くて、長い髪だと色々面倒だから半分本気で切ろうかと思っていた。なのにからそんな理由で「切らないで」なんて可愛いことを言われただけで、少しくらい面倒でもいいか、なんて思ってしまうんだから自分でも笑ってしまう。

『ほんと…?』
「…おう」
『じゃあ…乾かすの面倒なら…今度から私がやってあげる』
「…は?……マジで?」
『だって私のはいつも蘭ちゃんが乾かしてくれてるから…お返し』
「……」

電話で良かった。今、目の前にがいたら思いきり抱き締めて、キスして、昼間っからベッドに連れ込んでたかもしれない。それくらいコイツのデレはオレにとっては貴重だから、頭ん中が色々とヤバいことになってる。

(昔っからオレが聞かねえと恥ずかしがって好きって言葉すら言ってくれないしな…未だにあんま変わんねぇけど)

ふと先ほど送り付けられた過去の写真を思い出し、苦笑いが零れる。あの頃は、オレも初めて惚れた女をどう扱っていいのか分からなくて、なかなかに不器用だったと思う。が離れていかないよう縛りつけて、目の届かないところにいるのが不安で仕方なかった。今思えばフラれていてもおかしくないくらい束縛してたし強引なことをしてたはずだ。なのには文句を言いながらもオレの傍に居続けてくれた。

(いや…そういや一度別れようとしたこともあったっけ)

13歳――。オレが初めて、この手で人を殺したあの時に。


第二部スタートです。