これは遠い日の面影を忘れた罰-02



1.


「――ハァ?初恋の男だったァ?!」

静かな屋上にケンヤの素っ頓狂な声が響き渡った。昼休みに私がケンヤをここへ呼びだし、蘭ちゃんとのことを説明したのだ。ケンヤは昨日、蘭ちゃんにビビらされたもんだから、最初は「学校だからって油断してオレに近づくんじゃねえ」とビクビクしてたけど、結局あのあと私と蘭ちゃんがどこへ行ったのか興味はあったらしい。学校前にある弁当屋のから揚げ弁当をおごると言ったらノコノコやってきた。でも今は大好きな唐揚げを箸でつまんだまま、ケンヤは固まっている。

「ってことは…蘭くんと前から知り合いだってのかよ…オマエが?」
「知り合いって言っても保育園の時だけどね。覚えてない?私が保育園に行ってたの」
「いや、それはもちろん薄っすら程度には覚えてるけどよ…。オマエと離れて何かに通った時間っつーのはそん時くらいだし」

確かに小学校中学校と同じだから一緒に通ってなかったのは保育園くらいだ。ケンヤは当時を思い出そうとしてるのか目を瞑って首を傾げている。そして数秒後「あ!」という声を上げて私を見た。箸からから揚げが落っこちそうで見ていてハラハラする。

「アレか!オマエ、確か保育園の何とかちゃんが好きーつってバレンタインのチョコやってたろ!オレにはくれなかったクセに!」
「………(そうなの?)」

食べ物の恨みは恐ろしいとはよく聞くけど、たった今それを実感するはめになった。私は蘭ちゃんにチョコをあげた記憶なんかなかったのに、ケンヤはそこを基準に覚えていたらしい。

「そーだっけ…」
「そーだよ!オマエが母ちゃんと一緒にチョコ作ったとか言ってオレに見せびらかしに来たろ!くれねークセに何つー女だと思ったわっ」
「……(覚えてねー…)」

ケンヤの話を聞きながらちょっとだけ白目になった。保育園の頃の私は何気にませていたようだ。

「まあその後にオマエの母ちゃんからもらったけどなー。ハート型のチョコレート」
「…そ、そうなんだ…ハート型…」

蘭ちゃんは覚えてるんだろうか。私がバレンタインにハート型のチョコをあげたこと。何かめちゃくちゃ恥ずかしくなって来た。

「え、じゃーそのチョコあげた相手ってのが……」
「うん…灰谷蘭。当時はランちゃんって呼んでた…」
「ハァ?……あー!でもそうだよ!あの頃オマエ、"ランちゃんがねー"ってよく言ってたわ!げ、マジか…!」

ケンヤは心底驚いたような顔で私を見てる。でも私も昨日その話を聞かされた時は同じような反応だった。まさかあの優しくて頼りになる"ランちゃん"が、今や六本木で泣く子も黙る有名な不良になってるとは私だって思わない。

「うわ、昨日から情報量がやべぇ!オレの脳が追いつかねえ!」

ケンヤはしきりにバカなことを言いながらも、しっかりから揚げは頬張っている。
落とさないで食べてくれたから良かったと少しだけホっとする。

「何よ、その情報って。昨日そんな驚くようなことあった?ケンヤは蘭ちゃんにビビってただけじゃない」
「うっせえな…つーか、あの唯我独尊の蘭くんが女に…オマエに会いにわざわざ家まで迎えに来てたんだぞ?フツー驚くって」
「…そーなの?っていうか唯我独尊って…まあ…間違ってないけど」

苦笑しながら昨日のことを思い出す。お互い本音で話すことが出来て、私も蘭ちゃんの分からなかった部分が見えて来た時、もう一度きちんと向き合いたいって思った。男の子を好きになるって、まだよく分からないけど蘭ちゃんといるとドキドキする。前は蘭ちゃんがどういうつもりなのかさえ分かってなかったから、ドキドキさせられることが怖かった。そのせいで好きになったらダメだって無意識に気持ちをセーブしてたようにも思う。でも蘭ちゃんは正式に「オレと付き合って」と言ってくれた。
素直に嬉しいって思ったし、やっぱりドキドキしたけど、それは今までみたいな不安の混じったものじゃなかった気がする。

「でも…迎えに来たことの何が驚くの…?」
「言ったろ?蘭くんはモテんだよ。女は選び放題なんだし、蘭くんレベルなら迎えに来ねえで女の方から来させんだろ」
「あ、そのことだけど…違ったの」
「あ?」

ケンヤは今も蘭ちゃんが色んな女に手を出してると思ってるみたいだ。だから勘違いだと伝えようと思った。でもふと蘭ちゃんが言ってたことを思い出す。

(そっか…女に誘われて断ったことはバレたくないんだっけ…。じゃあケンヤにも言わない方が…)

私が言い淀んでいるとケンヤは訝しそうに眉根を寄せながら「何だよ…」と訊いて来る。

「な…何でもない…」

慌てて首を振ると、ケンヤは「変なヤツ」と苦笑して再びから揚げを頬張っている。

「んで?蘭くんが昔の初恋相手だったってことは分かったけどさ。オマエに気づかせるためにふざけて付き合いだしたんなら、もう別れるってことか?」
「あ…それが…その逆で」
「…逆?」
「正式に…ちゃんと付き合うことになったの…」
「…は…っ?」

ケンヤは目を丸くして、再びしばらく固まることになった。





2.


「マジか…案外、蘭くんも物好きなんだな…」
「む…」

経緯を説明すると、ケンヤは苦笑交じりで頷いた。言い方が何かムカつく。

「つーかさー。何だかんだ言ってオマエも結局は蘭くんが好きなんじゃねえか」
「そ…それは…まだよく分かんないけど…」
「だってドキドキしたんだろ?まあ最初はビビってたかもしんねーけど、今は前と顔つき違うし」
「え、どんな風に?」
「んー。何つーか…恋してますって顔になってる。オレ、オマエのそんな顔、初めて見たわ」

ゲラゲラ笑いだしたケンヤにムっとして肩を思い切り殴ってやった。いてーな、と文句を言われたけどからかうコイツが悪い。ケンヤは空になった弁当の箱を袋に戻しながら、ふと私を見た。

「まーでも…人の恋路に口出すつもりはねーけど、オマエ大丈夫なのかよ」
「何が?」
「何がって…オマエ、男と付き合うの初めてじゃん。初彼があの蘭くんって色々やべーだろ」
「ヤバいって…?」

そんなの自分でも分かってるけど具体的にどうヤバいのか教えて欲しかった。ケンヤは私の問いに呆れ顔をこっちへ向ける。

「はあ…言っただろ?蘭くんは六本木界隈じゃ有名人だって。お近づきになりたい女なんて腐るほどいるんだし、そういう男の女になるって自覚あんの」
「自覚って…ほどの自覚はまだ…」
「だろーなー。まあ…蘭くんがどういうつもりでと付き合おうと思ったのか知んねーけど…オマエ、色々と巻き込まれるぞ。それでもがいいならオレは別にいいけどさ」
「こ、怖いこと言わないでよ…」

「ホントのことだからな」とケンヤは笑っている。でも不意にニヤケ顔で私を見ると、少しだけ体を寄せてきた。

「で…処女喪失ってどんな感じだった?」
「……は?」
「とぼけんなよ。さすがにもう手は出されたろ?教えろよ。どんな感じ?やっぱすっげー痛ぇの?」
「………」

ニヤニヤとしながらケンヤは身を乗り出して来た。その表情はエロいことに興味津々の小学生男子みたいだ。内容が内容だけに頬がカッと熱くなった。

「バカなこと聞かないでくれる?蘭ちゃんとは一切そんなことしてないから!」

未遂っぽいことは何度かされたけど、まだ唇だって許してない。ケンヤに変な誤解を持たれないよう、そこはキッパリ否定した。あまりに驚いたのか、ケンヤの目が大きく見開かれて口まで開いている。今度はアホ丸出しといった表情だ。

「…嘘…だろ?あの蘭くんと付き合うことになって何もしてねーの?」
「してないよ。だいたい蘭ちゃんは――」

と言いかけて口をつぐんだ。どこまで本当か知らないけど、蘭ちゃんだってまだ経験はないって言ってた。でもそれをケンヤに言ってしまえば蘭ちゃんに恥をかかせてしまう気がした。男同士ってそういう変なとこを気にするみたいだからヘタなことは言えない。

「蘭くんが…何だよ」
「別に…付き合うことになったって言っても昨日の今日だよ?するわけないでしょ。バカケンヤ」
「はー?いや、すんだろ。蘭くんなら」
「だ、だから…」

ダメだ。蘭ちゃんは女に手が早い=色んな子とヤりまくってると思ってるケンヤには何を言っても無駄だ。

「ど、どうでもいいでしょ?ケンヤには関係ない」
「いやいや、オマエが言ったんだろ?前にお互い彼氏彼女が出来てエッチしたら感想言い合おうって」
「…ぐ…」

そうだった。確か去年のクリスマス、お互いフリーで「来年は好きな人と過ごしたいねー」なんて話しながら一緒にケーキを食べた。それでクリスマスという浮かれ気分も手伝ってだんだん下い話になった。ケンヤとは姉弟みたいなものだから平気でそんな話をした気がする。

「ちなみにオレはまだ彼女とキスしかしてねえ」
「え…キス…したの?」
「まーなー♡」
「…生意気」

またしてもニヤケだしたケンヤを睨みつつ、ファーストキスは先を越された敗北感に襲われる。

「その様子じゃオマエはまだ!みたいだな?」
「…うるさいなぁ。そのうちするもん…」
「どーせオマエのことだから怖がって拒否ってんじゃねーの?そんなお堅いままじゃ蘭くんにそのうち捨てられんぞ」
「……うるさいってばっ」

悉く図星をさされ、イライラしてきた。でも蘭ちゃんに触れられるたびにドキドキして恥ずかしくなって、どうしても体が逃げようと動いてしまうのだ。あの全身がむず痒くなるような感覚もいつかは慣れるんだろうか。
その時――バイクの排気音が近づいて来て、まずはケンヤが反応した。立ち上がると柵に両手をかけて身を乗り出している。

「どうしたの?」
「いや…このかっけー排気音、昨日蘭くんが乗ってたバイクに似てね?」
「…排気音なんてどれも同じでしょ?」
「バーカ、それぞれちげーんだよ。あ…ほら、あれって…」

ケンヤは更に身を乗り出し、校門の方を指さしている。仕方なく私も立ち上がってケンヤの指す方へ顔を向けると、一台のバイクが近づいて来て私達の学校前で止まった。乗っていたのは――。

「あ…」

金髪の三つ編みをなびかせ、背の高い男の子がバイクから降りて来た。






3.



「蘭ちゃん…!」

屋上から一気に階段を駆け下りて一階へ向かった私は、靴を履き替えるのも面倒で上靴のまま門まで走って行った。さっきケンヤと同じくから揚げ弁当を食べ終えたばかりで、急に走ったから横っ腹が痛くなって来る。

「おー今、メールしよーと思ってたとこ。もう終わったー?」

私に気づいた蘭ちゃんは門に寄り掛かっていた体を起こし、ケータイを手に歩いて来る。いつもは私服なのに今日は制服らしき白い開襟シャツに黒い太めのズボン姿だ。きっと冬服は学ランなんだろう。新鮮な感じがして鼓動が速くなっていく。

「お、終わるわけ…ないじゃない…。まだ昼休みだよ?」

息を切らしながら応えると、蘭ちゃんはあからさまに顔をしかめた。

「マジ…?そーいや腹減ったかも…」

蘭ちゃんは時間を思い出したようにお腹を押さえる。

「蘭ちゃん…制服って珍しいね」
「あーこれ?どーせは学校だろうし、まあ朝、起きれたからたまにはオレも行ってみっかなーと思って行ったんだけど、相変わらずつまんねーヤツばっかだしフケてきた」
「…あ、そう…」

自由だ。ふとそう思って羨ましくなった。その時、背後でかすかに騒がしい声が聞こえて来た。振り返ると教室の窓から数人がこっちを見て騒いでる。その中にサボり仲間のリコが見えた。何やら叫びながら手を振っている。午前中はいなかったからさっき来たんだろう。どこかのチームだとかいう男と付き合いだしたら前以上に遅刻が多くなった。

「あの手ぇ振ってる女、オマエのツレ?」
「うん、まあ。サボり仲間っていうか…」
「は?サボんならオレとサボれよ」
「………」

蘭ちゃんが不機嫌そうに私を見下ろす。しばし見つめ合う。蘭ちゃんの顔は何となくスネているように見えた。その間も背後では次第に騒ぐ声が増していく。当然かもしれない。学校に派手な金髪三つ編み男がバイクで乗り付け、あげく私が出迎えた形になってるんだから。明日には色んな噂話のネタにされてそうだ。

「と、とにかくここは目立つから…」
「あーじゃあ飯食いに行こうぜ」
「へ?」

目立つから先に帰ってて、と言おうとした。学校が終わったら連絡入れるから、と。けど蘭ちゃんは言った瞬間、私の体を抱えた。

「ひゃ、ちょっと!」
「暴れんなって」

苦笑しながら私の体を持ち上げバイクの後ろへ座らせる。昨日と同じ状態になった。

「わ、私、まだ行くなんて言ってない…」
「あ?」

このまま連れ去られると焦った私がついそう口走ると、蘭ちゃんはやっぱり不機嫌そうに目を細めた。

「あの女とはサボるのにオレとはサボれねーのかよ」
「…う…(こ、怖い)」

蘭ちゃんはなまじ綺麗な顔立ちだから、怒ると余計に冷たい印象になる。それが少しドキっとさせられるのだ。

「そんなこと…ないよ。ただ私、上靴のままだし…」
「んなこと聞いてねえ。行くの?行かねーの?」
「……い、行く…」

別に行きたくないわけじゃない。急に現れただけでも驚いたのに、いきなりご飯に誘われたから戸惑っただけだ。
蘭ちゃんは私の答えに満足したのか「そ?」と言ってニッコリ微笑んだ。その笑顔がやたらと眩しくて、また心臓に負担がかかってしまう。傍から見れば軽い脅しにも見える蘭ちゃんのお誘いにドキドキするのは、こんな風にふたりで出かけるのが初めてのせいかもしれない。

「んじゃーしっかり捕まってろよ」

バイクにまたがった蘭ちゃんの腰に恐々と抱き着けば、大きなエンジン音が辺りに響き渡った。