無事にカレーを作り終えて、蘭ちゃんが遅い昼食を食べた後に眠気覚ましでシャワーを浴びると言ってバスルームへ行ってしまった。出て来るのを待つ間、私は使った包丁やら食器を洗浄機に入れながらホっと息をつく。久しぶりに作ったカレーは蘭ちゃんが美味しいと言っておかわりしてくれるほど上手に出来た、と思う。蘭ちゃんに褒めてもらえたのは嬉しい。でもそれは高級食材だからかも?なんて自虐的な考えが浮かぶ。褒められても相変わらずのネガティブ思考の自分がいて呆れてしまう。
「これで良し、と」
最後に洗浄機をオンにすれば、私のやることはなくなってしまった。勝手に飲んでてと言われたジュースをグラスに注いで一息つく。蘭ちゃんがシャワーから出た後は、さっき言われたようにふたりでゲームをすることになっていた。どんなジャンルをやらされるんだろう。戦う系のはそこそこ得意だけど、謎解き系は苦手だ。逆に蘭ちゃんはそういうの得意そう、なんて考えていると、そこへ竜胆くんが顔を出した。さっきカレーが出来たと蘭ちゃんが呼んだ時はゲームがいい場面だから後で食う、なんて言ってたみたいだけど、無事にその場面はクリア出来たんだろうか。
「あれ、兄貴は」
「あ…眠いからシャワー浴びるって」
「へえ、眠い時はすぐ寝るクセに」
竜胆くんは笑いながらキッチンへ歩いて来た。また飲み物を取りに来たのかと思えば、カレーの鍋を覗いてから私の方へ振り向いた。
「これ、食っていいの?」
「あ、もちろん」
食べていいも何も食材は全て灰谷家の物だ。私に決定権はないのに気遣ってくれる辺り、竜胆くんは不良やってても育ちの良さが伺える。
「ゲームは終わったの?」
「まあ、キリのいいとこまで進んだし腹減って来たから休憩」
「そっか…。あ、じゃあ温め直すから待ってて」
言いながらIHの電源を入れて新しいお皿を用意してると、竜胆くんがポカンとした顔でこっちを見ているのに気づいた。
「…どうかした?」
「いや…」
竜胆くんは口ごもりながらもカウンターのスツールに座ってケータイをチェックし始めた。特に会話をする気はないのか、と思いながら、カレーを軽くかき混ぜる。時々チラっと竜胆くんへ視線を向けても彼はケータイに夢中のようで、私の方は見もしない。私の視線は自然とケータイをいじる竜胆くんの指に向いた。彼の指にもまた蘭ちゃん同様ゴツい指輪が二個ほど飾られている。一つは大きな丸い石の入ったやつで、もう一つはドクロだし少し怖い。あれで殴られたら相当痛いだろうな。いや、殴る方も痛いか。そんな下らないことを考えていると、視線を感じたのか竜胆くんがふと顔を上げた。
「…何だよ」
「え?あ…」
しまった。目が合った時の会話を考えていなかった。仕方ないから共通の思い出がありそうな保育園時代の話を振ることにした。
「ちょっと聞いていい?」
「何?」
竜胆くんは操作をやめて、ケータイに向けていた視線を完全に私の方へ移した。改まって意識を向けられると少し緊張する。
「あの…竜胆くんは私のこと覚えてたんだよね。私ってそんなに変わってない?」
「あーそのことか……まあ。印象に残ってたし」
「え、どんな?」
あの頃の私が竜胆くんの中でどんな印象に残ってるのか気になった。
(そう言えば…蘭ちゃんと仲良くしてたらいつも睨んできてたし、もしかしたら大好きなお兄ちゃんを奪う嫌な女って印象だったりして…)
私の問いになかなか応えようとしない竜胆くんを見ていると、ふとそんなネガティブな思いが過ぎる。でも竜胆くんは「どんなって…」と呟きながら、チラッと廊下へ続くドアへ視線を向けた。それは蘭ちゃんが戻って来ないか確認しているようにも見える。
「そりゃ…兄貴の初恋の子だからな」
「……っ?」
まさかの答えに言葉を失った。でも竜胆くんはそんな私の様子に気づかないように――廊下ばかり気にしてる――言葉を続けた。
「も聞いたんだろ?その辺のこと」
「………」
「…な、なんだよ、その顔…ってか…真っ赤になってんぞ…」
ようやくこっちへ視線を向けた竜胆くんはギョっとした様子で私の顔を凝視している。でも私は固まったまま動けない。頭の中では今の竜胆くんの言葉が何度もリピートされていた。
"兄貴の初恋の子――?"
思ってもいなかった答えが、そこにあった。確かに疑問に思ったことはある。幼い頃にささやかな関係があったにしろ、今になって再会して何故つき合おうと言い出したのか。軽い男なら昔の知り合いだし、ちょっと手を出してやろうと考えるヤツがいてもおかしくないけど、蘭ちゃんは違う。誰でもいいから手を出すような男じゃなかったし、好きな相手じゃないと意味がない的なことを言っていた。なのに私を初めての彼女にしてくれたのは…私と同じ理由だったから?
「は、何…まさか…兄貴から聞いてない…とか…?」
「え、あ…えっと…」
竜胆くんは私の反応を見て気づいたようだ。彼の顏がサっと青ざめたのが分かった。
「何で兄貴のヤツ、肝心なこと言ってないんだよ…」
竜胆くんは困ったような顔でブツブツ言っている。でもすぐに「今の話…オレから聞いたって言うなよ…?」と念を押すように言って来た。その迫力に思わず頷く。
「でも…ほんと…なの?」
「あ?」
「その…蘭ちゃんの初恋が私って…」
「ああ。つーかもそうだったろ。兄貴にチョコやったりして、結婚しよーねーなんて言ってたし。子供心に驚いて、がオレの姉ちゃんになんのかって思った記憶あるし」
「………」
改めて聞かされると、とてつもなく恥ずかしい。でもそんな子供の頃の約束を蘭ちゃんが今も覚えててくれたことに驚く。それは竜胆くんもだけど。
「あ、あの…何でそんな昔のこと覚えてるの…?」
「何でって…多分ガキのオレには衝撃的だったからかもなー。姉ちゃんが出来るかもって。と顔合わせるたび、この子がオレの姉ちゃんになんのかーと思いながらジロジロ見てたら何故か毎回竜胆くんが睨んで来るーってに怖がられたけど」
「え………」
苦笑ぎみに言う竜胆くんに驚いた。もしや蘭ちゃんと私が遊んでる時に竜胆くんが怖い顔で見てたのって…怒ってたからじゃなくて、子供心にお姉さんが出来ると信じてそういう目で見てたってこと?
「何だよ」
「……う、ううん」
竜胆くんが訝しげに眉間を寄せるから慌てて首を振った。まさか嫉妬をされて睨まれてると思ってた、なんて言える空気でもない。
(そうか…竜胆くんあの頃から目つき悪かったし…それで…)
そう思ったら少しおかしくなった。そして少しだけホっとした。蘭ちゃんがつき合おうって言ってくれたのは、そういう背景があったからなんだと今は素直に思える。子供の頃の初恋を今になって成就させようと思ったわけじゃないだろうけど、少しでも私のことを想ってくれてたのかなと思うと嬉しくなる。思わずニヤケてしまいそうになりながらもそんなことを考えてたら、不意に自分の気持ちに気づいた。
(私…蘭ちゃんのこと…)
あのドライヴで再会した夜から今日まで、蘭ちゃんには色んな意味でドキドキさせられて振り回されぱっなしだった。自分の中で暴れる心臓の意味を考える暇なんかなくて、蘭ちゃんの強引さに流されて来た気がする。なのに今はちゃんと蘭ちゃんのことを好きだと思う私がいる。それは保育園の時の初恋の相手とかじゃなく。今の、灰谷蘭が好きなんだ。
「何だよ。ニヤニヤして」
「な…何でもない…」
「変なヤツ」
竜胆くんは呆れたような顔で笑っている。最初に会った時の怖さは感じない。見方を変えれば随分と印象も変わるんだと初めて気づいた。ちょうどカレーが温まって、私はお皿にご飯をよそうと、熱々のカレーをかけて竜胆くんの前に置いた。
「はい」
「…さんきゅ」
意外にも竜胆くんはお礼を言って、それから何とも言えないような顔で私を見た。
「何か…久しぶりだわ」
「…え?」
「手作りのご飯、こんな風に出してもらうの」
ふとそんなことを呟いた竜胆くは「頂きます」と言いながらカレーを食べ始めた。その姿を見ながらふと思い出した。さっき私がカレーを温め直すって言った時、竜胆くんは少し驚いたような顔をしてた。それはきっと、今、彼が言った様な意味合いが含まれていたに違いない。自分もその気持ちが分かるからこそ、そう思った。