これは遠い日の面影を忘れた罰-06




「あ、そこ鍵あるから取り忘れんな。後々使うから」
「う、うん…っひゃあぁ、ゾ、ゾンビいる!」
「あーバカ、逆だ逆!ちょい貸せ」

シャワーから出て来た蘭ちゃんと約束通りゲームをしていた。蘭ちゃんがやろうと引っ張り出して来たのは去年発売したゾンビゲーム界のレジェンド、バイオハザード。それのナンバリングじゃなくコードベロニカという本作シリーズ3の後のお話として作られたものだ。主人公は本編にも登場したクレアという女の子で、どこかの施設に連れて行かれ、バイオハザードが発生したその場所から脱出するというのが前半の内容らしい。

「え、蘭ちゃん、上手い!私、一発でゾンビ倒せなかったのに」
「頭のど真ん中狙うとダメージ与えやすいんだよ。でも弾が少ねえからスルー出来るのは戦わないで逃げたりしてもいいしな」

この作品は難しいという前評判通り、謎解きもさることながら、身を護る銃の弾がなかなか拾えなかったりする。弾切れになったら厳しい場面もあるので考えながら進まなくちゃならないみたいだ。それにしても戦う系は好きだけど苦手な謎解きも必須なバイオはやっぱり私には難しい。なのに蘭ちゃんは上手くゾンビを交わしたりしながら謎を解いて目的地まであっさり辿り着いた。

「多分このドアを開けて進めば新しいステージだしやってみろよ」
「え、次は私?」
「見てるだけじゃ退屈じゃん。別に死んでもいいからやってみろって」

蘭ちゃんは笑いながらコントローラーを渡してくる。私は蘭ちゃんのプレイを見てるだけでも楽しいんだけどな。そう思いながらもコントローラーを受けとり、言われた通りに先ほど拾った鍵でドアを開ける。ただ初めて入る場所というのはビビりの私からすればかなり怖い。ドアを開けてもなかなか前へ進めることが出来なかった。

「大丈夫だって。撃つのは好きなんだろ?」

蘭ちゃんは笑いながら私の頭をぐりぐりと撫でて来る。うん、と返事をしつつ、少しずつキャラを進めながら、隣に座っている蘭ちゃんをチラっと横目で見た。さっきはキッチンでキスをする寸前までいったはずなのに、今は全くそんな気配がない。部屋でふたりきりということで少しばかり意識してた自分が恥ずかしくなるくらいに、蘭ちゃんはゲーム画面に夢中だった。

(別にだから何…ってわけじゃないけど…まだ少し…恥ずかしいし)

なんて考え事をしていたからか、突然ゾンビが現れたことで逃げるのが少し遅れた。

「ひゃあぁっ…ゾ、ゾンビ!」

ガブリとかじられ慌てた私は、コントローラーをガチャガチャと動かし、振りほどく。それでも蘭ちゃんは「落ち着けって」と言って笑った。

「ハーブ使って回復しろよ」
「あ…そ、そっか…って、どうするんだっけ」
「あーこのボタンでアイテム蘭を開いて…」

コントローラーを持っている私の手に蘭ちゃんの手が重なる。急に体温を感じたことにドキっとして思わず手を放してしまった。そのせいで落ちそうになったコントローラーは蘭ちゃんが素早くキャッチしてくれたようだ。

「あっぶねぇな。どした?」

と私の顔を覗き込んで来た蘭ちゃんともろに目が合う。あまりに近くて更に顔が熱くなった。ついでにひとりで意識してるみたいで恥ずかしくなる。心臓が一気に動き出したせいで、そこから熱が広がっていく気がした。

「ご…ごめ」

ん、と言おうとしたけど言葉が続かなかった。至近距離で蘭ちゃんと見つめ合っているせいだ。淡いバイオレットの輝きに吸い込まれそうな気がした。この瞳に見つめられると、どこか夢心地の気分になってしまう。だからゆっくりと蘭ちゃんの顏が近づいて来た時も動けなかった。心の準備をする暇もない。あ、と思った時には唇を塞がれていて、不思議なことに自然と目を瞑ってしまう私がいた。他人の唇が自分のものに触れる初めての感触が恥ずかしくて、やたらとドキドキした。蘭ちゃんは一度軽く重ねて来て、すぐに放すと私の顔を伺ってるような、そんな気配がした。でもすぐにもう一度唇を寄せて、今度もまた優しく触れて来る。その間、私は身体が硬直したように固まっていて動けない。その間も、蘭ちゃんの唇が触れては離れ、また重ねられた。

「…やっとキス出来たな」

最後に軽く唇を啄みながら蘭ちゃんが呟く。その声に導かれるよう私も目を開けると、すぐ長い腕にぎゅっと抱きしめられた。ふわりと蘭ちゃんの甘い香水の匂いがして、またドキドキと心臓が速くなる。人生初のキスをしたんだと、実感が湧いてきたせいだ。その時、テレビ画面の中では惨劇が起きていたらしい。気づいた蘭ちゃんが私の耳元で苦笑した。

「…死んでるし」
「え?」

そこで身体を解放され、私もテレビ画面に視線を向けると、主人公の女の子がさっき襲って来たゾンビにまた襲われ無抵抗のまま息絶える場面だった。画面には"YOU'ER DEAD"という不吉な文字が浮かぶ。

「あ…」

まさかホラーゲームをしてる最中にファーストキスをすることになろうとは私も思わなかった。ロマンティックなムードからは限りなく遠い。なのに、私にとったらドキドキしすぎて心臓が壊れちゃうんじゃないかと思うほどに甘い時間かもしれない。
ただ心配なのは、このゲームが新作を出すたび、私はきっと蘭ちゃんとの初めてのキスを思い出す。ふと、そう思ってしまったのだ。それってある意味怖いことだ。

それはこの先、もし私と蘭ちゃんが別れることになって二度と会えなくなったとしても、小さなキッカケで蘭ちゃんを思い出してしまうということだから。別にこのゲームだけじゃなくても、同じ香水をつけてる人とすれ違うだけで、嫌でも思い出すんだろう。なんて、ファーストキスをしたばかりだというのに、そんなことを考えてる私は本当にネガティブだな、と自分で呆れた。

「この手前で保存してるし、そこからスタート出来るから」
「う…うん」

蘭ちゃんからコントローラーを受け取って何とか頷いた。でも私の意識はゲームよりも隣にいる蘭ちゃんに向いてしまう。さっき以上に意識をしてしまって、蘭ちゃんが動くたび触れる肩とか足とかに全神経が集中していく。

?やらねぇの?」
「…あ…や、やる…よ」

またしても顔を覗き込まれ、ドキっとした拍子に肩が跳ねてしまった。身体も一気に後退してソファの背もたれに張り付く。蘭ちゃんは少し驚いた顔で何だよ、と笑った。一気に顔が熱くなったのは――。

「またキスされると思った?」
「…ち、ちが…」

あまりに恥ずかしくて慌てて首を振ったけど、蘭ちゃんには何でもお見通しみたいだ。

「かーわいい」
「な…なに…」

ぐいっと腕を引き寄せられ、顔を上げると蘭ちゃんはまた顔を近づけて鼻先が触れるくらいの距離で微笑む。

「もっかいする…?」
「……し…しない」
「遠慮すんなって」
「しししてない!」

ジリジリと近づいて来る蘭ちゃんの顏から反らすよう顔を横に向けた。でもすぐ長い指に顎を掴まれて元の位置に戻される。また唇同士が重なって、そこから生まれた甘い熱が全身にゆっくりとまわっていくような気がした。その時――静かな部屋に賑やかなメロディが鳴り響いた。

「誰だよ、こんな時に…」

蘭ちゃんがボヤいて離れていく。見れば鳴っていたのは蘭ちゃんのケータイだった。バクバクと飛び出しそうなほどうるさい心臓を沈めようと小さく深呼吸をしながら、蘭ちゃんがケータイ画面をチェックしている背中を見つめる。キスするたびこれじゃ私の心臓はいつか壊れるんじゃないかと思った。

「何だよ、ジンじゃん」
「え…ジンさん?」

蘭ちゃんは苦笑交じりで振り向くと、画面に表示されている名前を私に見せた。ジンさんとは花火をしたあの夜以来会っていない。

「もしもーし。あーうん、まあ。何?え…今から?」

蘭ちゃんは言いながらも時間を確認している。私も時計を見ると、ちょうど午後五時を過ぎたところだった。

「いや…ひとりっつーか…彼女とゲームしてた。あ?…嘘じゃねーよ」

蘭ちゃんがチラっと私を見て言うからドキっとして顔を上げた。蘭ちゃんに"彼女"と言われるのはやっぱり照れ臭いし何となくむず痒い気分になる。

「あ~そうだな…。んじゃあ…彼女も連れてっていいなら行くけど。あ?あたりめーじゃん。ジンからすればそれはそれで一石二鳥だろ?」

笑いながら蘭ちゃんは私の手をそっと握って来てビクッとなった。でも握ってきた張本人は普通にジンさんと会話してる。こういうのは凄く恥ずかしい。それに連れてくって…もしかして私のこと?と少し緊張してきた。そのせいで筋肉の強張りを感じたのか、蘭ちゃんに握ってる手をぎゅっとされた。

「あーじゃあ一時間後なー」

そこでやっと電話を切った蘭ちゃんは「ってことで、ゲームは終わり。続きは今度やろーぜ」と笑った。

「え…終わり…って…どっか行くの?」

蘭ちゃんが私の手を引いて立ち上がるのを見て尋ねた。

「ジンがいつもの如く女呼ぶからオレにも来てくれって」
「…え?」

女と聞いて驚いた。蘭ちゃんは「オレを呼ぶっつって引っ掛けたらしーんだわ」と笑う。でもすぐに「んな顔しなくても今からそこにオマエも行くんだしいいだろ」と訊いて来た。

「私もって…」

知らない女の子が来る場所に行くのは少し抵抗があった。でもじゃあ行かなければ蘭ちゃんはジンさん達とその女の子達とで遊ぶってことになる。そう思ったらお腹の辺りがズンと重くなった気がした。想像するだけで嫌な気分になる。これって…まさか嫉妬ってやつだろうか。

「イヤか?イヤなら――」
「行く」
「…え?」

間髪入れずに応えた私を見て、蘭ちゃんは少し驚いたような顔をした。でも自分でもびっくりするくらいモヤモヤした。蘭ちゃんが知らない女の子に囲まれてる光景が頭に浮かんで、凄く凄く嫌だった。私ってこんなにヤキモチ妬きだったんだと少し驚く。

「私も…行く」
「そ?じゃあ用意するから待ってろよ」

蘭ちゃんは言いながら徐に着ていたシャツを脱ぎ始めてギョっとした。

「な…何で脱ぐの?!」
「あ?」

上半身裸になった蘭ちゃんに驚いてすぐに後ろを向く。細身なのに意外とガッチリした身体を見てしまった。全身の熱が全て顔に集中したんじゃないかって思うくらいに首から上が熱い。色白でそう見えないのに筋肉質なことにも驚いた。

「何でって着替えんだよ」
「じゃ、じゃあ私、外に出てるから――」

と言って歩きかけたら、すぐに腕を掴まれ引き戻された。蘭ちゃんはニヤニヤした顔で見下ろしてくるから嫌な予感しかしない。

「こんなことくらいで恥ずかしがる女、オマエくらいなんだけど」
「……っべ、別に私は…」

と言いかけた瞬間、唇に軽くちゅっとキスをされて、その後の言葉が出てこないくらいパクパクと酸欠の金魚みたいになってしまった。

「可愛い反応すんなよ。このまま押し倒しちゃいそーだし」
「……ッ?!」

意味深な言葉を言われて条件反射の如く蘭ちゃんから離れると、また笑われた。絶対からかって楽しんでる。けど蘭ちゃんの言葉が一つ一つ刻まれて行くみたいに私の心を刺激して来て、少しだけ怖くなった。どんどん蘭ちゃんを好きになっていくようで、怖い。

「じゃあ行くぞ」

着替え終わった蘭ちゃんは後ろを向いたまま立っていた私の頭をくしゃりと撫でた。
この時――もしふたりで出かけなければ、もしかしたらあんなことにはならなかったのかもしれない。それとも、この夜があろうとなかろうと、結果は変わらなかったんだろうか。この時の私は、蘭ちゃんが身を置いてる環境のことなんて何ひとつ、知らなかった。