蘭ちゃんに連れて行かれたのは六本木にあるクラブだった。ケンヤが前に話してた店かもしれない。ここへ来る前に家までバイクで送ってもらって大人っぽく見える黒のミニワンピースに着替えて来た。このままバイクで行くのかと思えば「その恰好じゃ街中バイクで走ったらパンツ見られちゃうだろー?」と蘭ちゃんは再び自分の家まで戻ると、竜胆くんがタクシーを呼んで待っていた。どこの会社の社長だと突っ込みそうになる。そのままタクシーに乗せられ、3人でやってきた六本木。キラキラした大人の世界に殴り込みにいくような気分だ。
「ら、蘭ちゃん…私、大丈夫かな…未成年ってバレない?」
「大丈夫だって。髪アップにしてメイクもしてるし大人っぽい。つーか可愛い♡」
「………」
優しい笑みを浮かべながらそんなことを言う蘭ちゃんはズルい。不意打ちすぎてドキっとしてしまった。
「すーぐ赤くなんのな?」
肩に腕を回しながら私の頭に頭をくっつけて来る蘭ちゃんは機嫌が良さそうに笑ってる。今の言葉もこの状況も全てがドキドキしてきて、恥ずかしいと怖いが入り混じった心境だ。竜胆くんは呆れたように笑ってるし「兄貴が連れてったら皆ビビんだろーなァ」なんて言い出した。そこで思い出す。ジンさんは蘭ちゃんと竜胆くんの知名度を利用して"灰谷兄弟呼んでやるよ"とナンパした女の子達に言ったらしい。こういうことは前から行われてたようで、蘭ちゃんは自分の名前を出されるのを許してたようだ。代わりにジンさんに車を買わせてドライヴに連れてってもらったりと無茶ぶりはしているみたいだけど。
「ほんとに私が行っても大丈夫なの…?その女の子達はふたりに会いたくてついて来たんでしょ…?」
「いーんだよ。がいればオレの分がジンや他のヤツに回るんだし。余ったのは竜胆が面倒みるだろ」
「…オレはあまりもんかよ…」
竜胆くんが眼鏡を直しながら一気に目を細くした。でもほんとふたりはこういうことに随分と慣れてるみたいだ。私なんか初めてのクラブでこんなにドキドキしてるっていうのに。
「…、緊張してる?体が強張ってっけど」
「そ、そりゃ…こういう場所も場面も初めてだし…」
「ふーん?でもオレと再会する前はケンヤと夜遊びしてたんだろー?」
いきなりそんな事を言いだした蘭ちゃんは不機嫌そうに見下ろしてくる。確かにあの時は家でひとりの時間が増えて暇になったからケンヤと遊ぶことも増えてた。でもそれは家を抜け出してゲーセンに行ったりとか、その程度の可愛いもんだった。こんな大人も大勢いるクラブで遊んだことは一度もない。
そう反論すると蘭ちゃんは「ゲーセンかよ」と笑いながらも少しは機嫌も直ったようだ。軽く私の頭を撫でて、
「ま、いくらゲーセンでも今は他の男との夜遊びは禁止なー」
「い、今はしないし…ケンヤだって私を避けてるもん」
「そー?ならいいけど」
私の言葉に蘭ちゃんは意味深な笑みを浮かべた。蘭ちゃんがケンヤに私とふたりで会うなと言ったのは知ってる。
「げー。兄貴って束縛魔だったのかよ」
そこで竜胆くんが「意外だ」と言い出した。確かに私もそう思ったけど、蘭ちゃんは呆れたように竜胆くんを睨みつけた。
「あ?じゃあ何か?竜胆は自分の彼女が他の男と夜遊びすんの許せるのか?」
「……いや、フツーに嫌だな、それは」
と竜胆くんも真顔で応える。蘭ちゃんは「だろー?」と得意げに笑った。
隣でそんな話を聞かされてる私の方が気まずい。蘭ちゃんと付き合ってからは一度もケンヤと夜遊びなんてしてないのに。でも男の子もそんな風にヤキモチみたいの妬いたりするんだと思うと少しだけ驚いた。
蘭ちゃんは慣れた足取りでスタッフに挨拶しながら私の手を引いて通路を歩いて行く。スタッフの人もチラっと私に視線を向けるけど見慣れた光景なのか軽く会釈してくるくらいだった。
「おー蘭。遅かったじゃん」
蘭ちゃんが向かったのは噂でしか聞いたことのないビップルームという場所だった。ジンさんが笑顔で手を上げている。その周りに見たことのないガラの悪そうな男の子が二人、その間に派手な女の子が三人座っていた。パっと見は女子大生風だけど高校生くらいかなと思った。美人タイプの子と可愛らしいタイプの子と少しボーイッシュな子。そこにいる全員から一斉に視線を向けられ、私は思わず怯んでしまった。
「だーいじょうぶだって。オレがいんだろ?」
「…う、うん」
ぎゅっと手を握られ、蘭ちゃんの手の温もりに凄くホっとした。その間に竜胆くんが皆のところへ歩いて行って「二人とも久しぶりじゃん」とガラの悪い二人に話しかけている。その二人はビビった様子で「どーも、竜胆くん」と挨拶をしていた。その光景を見て、やっぱり"灰谷兄弟"は怖い存在なんだと実感する。あんな怖そうな男の子達が竜胆くんにヘコヘコしてるし、蘭ちゃんが歩いて行くと更に姿勢が良くなったように見えた。
「おー和希と裕也じゃん」
「蘭さん、お疲れさまっす!」
「疲れてねーよ」
挨拶をされて蘭ちゃんが笑いながら返してる。ジンさんが「ちゃん、久しぶり」と声をかけてくれた。
「お久しぶり…です」
「何、マジで蘭と付き合いだしたんだ」
「え…っと…はい…」
ストレートに訊かれてどう応えようか迷ったものの、素直に頷く。ジンさんは蘭ちゃんに聞いてたんだろう。
「へぇ~マジだったんかー」
ジンさんは自分の隣に座った蘭ちゃんと私を交互に見て来る。
「あ?何だよ、ジン。何か文句あんの」
「別にー。文句はねーけどさー。蘭は彼女作んねーもんだと思ってたから意外っつーか」
ジンさんがからかうように笑う。でも蘭ちゃんは意外と真剣な顔で私を隣に座らせると「運命の再会だったからな」と言った。ジンさんがキョトンとしている。いや、私も同じような顔になったかもしれない。あの蘭ちゃんの口から"運命"なんて言葉が出るのかとそっちに驚いた。
「何だよ、その顔」
「いや…蘭、マジで言ってんの」
「わりーかよ。オレはジンみたいにあっちの女、こっちの女って器用なことは出来ねーの」
「えーそんなにジンさんってあちこちに女の子いるんですかー?」
そこでジンさんの隣に座っていた可愛らしいタイプの女の子が話に入って来た。何となく蘭ちゃんが近くに来て話しかける機会を待ってたような空気だった。
「いないいない。オレはサキちゃんに一目惚れしたんだから」
「えー嘘っぽーい」
サキと呼ばれた女の子は甲高い声で笑いながらジンさんの腕にさりげなくタッチしている。それを見て衝撃を受けた。
(なるほど…!あんな感じでさり気なく甘えながらボディタッチするのか…)
と変なとこで感心してしまった。でもやけに慣れてる印象も受ける。しかもジンさんにベタベタしながら視線は蘭ちゃんに向いているのが気になった。
「あのー蘭くん、ですよね」
案の定、サキって子が蘭ちゃんに話しかけて来た。仮にも彼女を連れて来た相手に対して積極的すぎない?と少し驚いた。見れば他の女の子もいつの間にか竜胆くんを真ん中にして両脇をガッチリ固めている。ガラの悪い男の子二人はまるきり相手にされてない感じだ。
「あーそーだけど」
「私、サキって言いますー。ジンさんからも聞いてたけど噂通りカッコいいからビックリしちゃった」
「………」
サキって子の言葉にギョっとした。話しかけて来たのは100歩譲っていいとしても。今の台詞、いる?ジンさんの口元が僅かに引きつってるのは何も女の子が目に見えて蘭ちゃん狙いだからじゃない。それは分かってて連れて来たんだろうし。そうじゃなくて彼女が隣にいるのに狙ってることを隠そうともしてないから困ってるんだと思う。
蘭ちゃんは何も応えず、サキちゃんを見てたけど、不意に私の方へ振り向いた。
「、何か飲む?」
「えっ?」
今の会話からいきなり話を振られてギョっとした。サキって子が明らかに"はあ?"みたいな顔をしてるのが分かる。完全にスルーされた形だから気持ちは分かるけど。
「え…えっと…飲み物…蘭ちゃんは…いつも何飲んでるの…?」
「オレ?オレは――」
と言いかけたところへクラブの店員らしき男性が綺麗な色のカクテルグラスを運んで来た。しかも二つ。それって未成年が飲んではいけないものなんじゃ、と思って見ていると、淡いピンク色をしたグラスを目の前に置かれた。蘭ちゃんのは白と青の綺麗な二色のカクテルだ。
「ああ、オレが頼んでおいた。大丈夫だよ。それノンアルコール。今日はちゃんがいるからな」
「え…」
「何だよ、ジン。気が利くじゃん」
蘭ちゃんが笑いながらグラスへ手を伸ばして二色のカクテルジュースを一口飲んだ。
「うげ、甘い」
「蘭のはココナッツベースだからな」
「マジで?じゃあのは?」
「え、あ…頂きます…」
隣から飲めという圧を感じて、私はピンク色の飲み物を恐る恐る口へと運んだ。でも一口飲んだ瞬間、桃の爽やかな味が口内に広がり、思わず「美味しい」と呟いてしまった。
「何味?」
「桃だった」
「マジ?ちょい飲ませて」
蘭ちゃんは私のグラスを奪って口へ運んでいる。何気に間接キスなのでは、と恥ずかしくなった。
「お、これも甘いけど爽やか系で美味い。オレのも飲んでみる?」
「う…うん」
蘭ちゃんが自分の白と青のカクテルグラスを私に持たせてくれる。ジンさんが何となく唖然とした顔で見て来るから余計に恥ずかしくなった。でも一口飲んだカクテルジュースは確かにココナッツ風味で凄く美味しい。
「これも美味しい」
「そ?まあ、にはこれくらいがちょうどいいんじゃねーの」
「あ…ガキって言いたいんだ」
「実際そーじゃん」
蘭ちゃんが笑いながら私の頭を優しく撫でて来る。もう、と文句を言いながらも、前よりはどことなくカップルっぽい会話をしてる気がしてドキドキしてしまう。
「そこーイチャつきすぎー」
と、そこで苦笑交じりで竜胆くんが突っ込んで来た。
「オマエも女に囲まれてデレてんだろ」
蘭ちゃんも言い返しながら、またピンク色のカクテルジュースを飲んでいる。こんな風に飲み物を交換するのっていいな、と思いながら私もココナッツ風味のカクテルジュースを飲んだ。でもそんな私達を面白くなさそうに見ていたサキって子の視線に、私は気づかなかった。