これは遠い日の面影を忘れた罰-09


1.


「ふわぁ…」

不意に睡魔が襲って大欠伸が出た。夕べの夜遊びが効いているみたいで、やっぱり学校に来なきゃ良かったかも、と頭の隅でちらりと思う。

「ちょっとー欠伸してないで教えてよ~。で、泊ってどうだった?」

目の前で興味津々といった顔をしているのはサボり仲間のリコだ。遅刻をして来た私を見つけた途端、いつもサボっている屋上まで連れて来られた。リコは開口一番「昨日を迎えに来てたイケメンって灰谷兄弟の兄貴の方でしょ!」と訊いて来たから物凄くビックリした。何でもリコの彼氏は六本木界隈で遊んでる不良らしく、灰谷兄弟に憧れてるんだとかで詳しい容姿を知っていたそうだ。

(まあ…三つ編みしてる不良って蘭ちゃんくらいしかいないもんね…何気に似合ってるし)

そんなことを考えていたら、リコに質問攻めにされ、どこで知り合ったんだとか、どうやって落としたんだとか、アレコレ聞かれたからザックリと簡単に説明したら「幼馴染だったぁ?!」と酷く驚かれた。そして昨日はどこに行ったの、デート?と更に質問攻めにあい、今に至る。

「どうって…」

そんなこと聞かれても困る。夕べは蘭ちゃんちに泊まらせてもらったものの…

「普通に寝たよ…」
「うっそー!何もしないで?ただ寝ただけ?ウソでしょっ」
「ウソじゃないよ…」

本当は私だってビビるくらい少しは覚悟した。なのに蘭ちゃんは思ってた以上に眠かったらしく、ベッドに入ったら秒で寝てしまったのだ。私のドキドキと緊張を返してくれと思いつつ、私もしっかり寝てしまい、気づけば朝の10時。蘭ちゃんはまだ熟睡してたから起こさないよう起きて、自分の家まで歩いて帰って来たのだ。それから学校に来てリコに捕まってここにいる。

「夕べは睡眠不足だったみたいだし蘭ちゃんもグッスリ寝てたもん」
「マジで~?灰谷兄弟、特に兄貴の方は女もとっかえひっかえで、かなり肉食系って聞いてたんだけどなー」
「………」

どっちかと言えば蘭ちゃんは肉食系で間違いない。だけどリコが知ってる噂はウソの内容だ。でも蘭ちゃんの名誉の為に(?)本当のことは言えない。

「でもそっかー。があの灰谷兄とね~。何か信じられない」
「何が?」
「だってってば奥手だったじゃん。恋愛に対して。なのに初彼が灰谷兄ってハードすぎない?」
「そ、そんなことは…ないよ」

なんて強がりを言ってしまう。本当はかなりハードではあるけど、でもそれ以上に人を好きになるってこういうことなのかなって分かって来たら、本当に幸せで凄くドキドキする。蘭ちゃんと会ってても会ってなくても、ずっとドキドキしてて、何か苦しいのにそれは嫌なものじゃなくて、私を安心させてくれるものだ。一人じゃないって思わせてくれるから。

「まあがいいなら私は何も言わないけどさー。でも気をつけなよ?」
「…気をつける…って?」

リコは口紅を塗り直しながら、チラリと私を見た。

「灰谷兄弟は強くて有名で目立ってるから敵も多いってこと」
「…敵?」
「うん。私の彼氏が言ってたんだけど、今は関東でも最大のチームって言われてる狂極に目ぇつけられてモメてるらしいよ?」
「え…」
「聞いてないの?」
「う、うん…蘭ちゃん、私にはそういう話、全然しないし…」
「ふーん。まあ男同士のケンカのことは、いちいち彼女にもしないかー。ま、でもアンタも無関係ってわけじゃないんだから気をつけなって」
「き、気つけろって言われても…」
「ああいう奴らは女でも容赦しないし、アンタが灰谷兄の彼女だって知られたら何されるか分からないよ」

意外にもリコが真顔で言うもんだから、だんだん怖くなって来た。狂極という暴走族がいるのは前にトモヤから聞いてて名前だけ知ってるくらいだ。でも蘭ちゃんや竜胆くんとモメてたなんて初耳だった。

「多分、近々抗争になるかもね」
「えっ?」
「私の彼氏も収集されるみたいな話をしてたし、ちょっと心配でさ」
「え、それってケンカってことだよね。蘭ちゃんたち暴走族に入ってないのにケンカになるの?」
「そりゃー六本木の街をめぐってのケンカみたいだからチーム関係なくやると思うよ」
「そんな…」

六本木の街?それって縄張り争いってことなんだろうか。まるでヤ〇ザな世界だ。そんな話を聞かされて私も心配になって来た。後で蘭ちゃんに連絡してみようか、と思った時だった。私のケータイが鳴った。

「お、噂をすれば灰谷兄?」
「う、うん…起きたみたい」
「もう昼過ぎだもんね。じゃあ私はこのままフケるから」
「え、リコ、帰るの?」
「彼氏とデートの約束してるんだ。どーせも呼び出しなんじゃない?今日こそヤっちゃえばー?じゃーね」

リコは勝手なことを言いながら手を振って行ってしまった。それを見てから通話ボタンを押すと『…?』と不機嫌そうな声が聞こえて来る。

「お、おはよ…今、起きたの?」
『おー…。つーか何で帰ってんの』
「ご、ごめん…朝10時頃に目が覚めちゃって…学校に来たの」
『はあ…学校なんてサボりゃ良かったのに…』

蘭ちゃんは溜息交じりでボヤいている。でも最近はサボりすぎてるから出席しておかないと、そろそろ親に連絡が行きそうで怖いのだ。そう蘭ちゃんに説明すると『なら仕方ねえけどさ…』と納得はしてくれた。親にバレると夜遊びも厳しくなるし仕方ない。

「蘭ちゃんは今日、ずっと家にいるの?」

もしいるなら学校帰りに行こうかと思っていた。でも蘭ちゃんは一瞬、黙った後で『いや…ちょっと用が出来て出かける』とひとこと言った。

『その電話で起こされたわ…』
「そっか…」
『…何だよ。会えなくて寂しい?』

私の声が沈んだことで、蘭ちゃんが含み笑いをしながら訊いて来た。

「……そ、そんなんじゃ…」

本当は会えないと分かって寂しいと思っていた。でも恥ずかしくて素直に口には出せない。蘭ちゃんはそんな私の強がりなんて見抜いてたようで『ウソつけ』と笑っていた。

『まあ…今日は会えねえけど、夜にでも電話すっから起きて待ってろよ』
「…うん。分かった」
『じゃあは真面目に授業受けてべんきょーしなさい』
「む。分かってるよ」

蘭ちゃんに言われたくないと思いつつ言い返す。でも蘭ちゃんは怒った様子もなく笑いながら『んじゃ夜な』と言って電話が切れた。

「はあ…授業か…面倒くさい」

蘭ちゃんに会えないと分かるとやる気も半減する。恋愛してると他のことが全て面倒になるのは何でなんだろう。ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、前は大好きだった趣味だって今じゃ放ったらかし。寝ても冷めても蘭ちゃんのことを考えてしまってる。私って誰かを好きになると、こんなにも周りが見えなくなるタイプだったんだと少し驚いた。24時間、今や私の世界は蘭ちゃんで回ってると言っても過言ではないかもしれない。
その時――チャイムが鳴って私は慌てて屋上を後にした。





2.


「えっと…この店でいいのかな…」

住所の記載されたメールを見て、私はふと顔を上げた。六本木の街中から少し外れたビル街は、まだ時間も早いせいか閑散としている。周りはバーやスナックなどが入ったビルばかりで看板の電気も消えていた。
蘭ちゃんに言われた通り、あの後に授業をちゃんと受けた私は、学校が終わった後、真っすぐ帰ろうと家路を急いでいた。でもその時、夕べ知り合ったサキさんから早速電話が入り『今日ちょっと遊ばない?』と誘われたのだ。聞けばサキさんも彼氏にドタキャンされて暇をしているということで、私も同じく帰っても暇だったことから「少しだけなら」と会う約束をした。サキさんに彼氏がいてホっとしたというのもある。そして"ここにいるから来て"と送られて来たメールを頼りにやって来たというわけだ。

「ほんとにここでいいの…かなぁ。廃ビルっぽいけど」

サキさんに呼ばれて来たのは飲み屋の看板などがズラリと並ぶビルだ。でも他のビルと違うのは、店の看板などにヒビが入っていたり割れていたりしていて普段から営業している様子は見られない。エレベーターも止まっているようでメールには階段で上がって来てと書いてあった。そしてやって来た五階に、その店はあった。元はダーツバーだったらしく、半分割れた看板には"ダーツバー・トライアングル"と書かれている。しかしこの店も営業しているようには見えなかった。廊下を見渡してもボロボロの段ボール箱が散乱してるし、ドアが壊れている店もあった。どう見ても廃墟ビルだ。

「…サキさん、何でこんなとこに?」

てっきりゲーセンとかカラオケとか、そんな場所で遊ぶのかと思っていたが、どうも違うらしい。ついここまで来てしまったものの、急に不安になり、店に入るかどうか迷っていた。だいたいサキさんのことも良く知らない。蘭ちゃん狙いだと思っていたけど、彼氏もいるみたいだし、彼女の私をこんな風に誘ってくれるなら単に夕べ態度に険があったように感じたのも私の勘違いで、馴れ馴れしく話しかけて来たのも有名人の蘭ちゃんと話したかっただけなのかも、と思ったけど、こんな場所に呼び出すっていうことは実はそうじゃないのかもしれない。

(まさか…蘭ちゃんと別れろ、とか言われたりしない、よね…)

何故その可能性を考えなかったんだろうと、自分に呆れた。夕べ顔を合わせた時は、あまり好意的な感じじゃなかったのに。トイレで話した時にフレンドリーだったから、つい気を許してしまったけど、あれも演技だったなら、今こうしてここに来たのは軽率だったかもしれない。

(蘭ちゃんにバレたら怒られちゃうかも…)

ふとそんなことを考えると、そっちの方が怖い気がした。いくらジンさんの知り合いとはいえ、知らない女の子に誘われてホイホイ出かけて来るなんて大馬鹿だ。絶対蘭ちゃんに怒られる。

「帰ろう…」

サキさんには途中で具合が悪くなって、と後でメールすればいい。そして蘭ちゃんから電話が来るまで家で大人しく録画しておいたドラマでも見て待ってよう。些細な不安からそこまで考えた私はすぐに踵を翻した。でもすぐ後ろでドアの開く音が聞こえてドキっとする。

「あれ、ちゃん?」
「あ……」

振り向くと、サキさんが笑顔で顔を出していた。やっぱりこの店であっていたようだ。

「どうしたの?この店だよ?」
「え、えっと…」

どうしよう。見つかってしまったなら帰るに帰れない。でもすでに気持ちは帰りたい、になっている。

「ご、ごめんなさい…。今日、お母さんが早く帰って来るって言うの。だから帰らないと…」
「え、そーなのー?でも少しくらい大丈夫でしょ?この店、だいぶ前に潰れたんだけど、まだお酒とか色々残ってるから一緒に飲もーよ」

お酒、と聞いてギョっとした。

「え、お、お酒はちょっと…」
「いいじゃん。私、ちゃんの歳の頃にはすでに飲んでたけどなあ」
「でも…お母さんに叱られるから…ごめんなさい。帰ります」
「え?あ、ちょっと――!」

お酒と聞いて怯んでしまった。廊下を走って階段を一気に駆け下りる。大人の世界に興味はあれど、やっぱりよく知らない相手というのが私を躊躇させた。五階から一階まで駆け下りて薄暗い廊下をビルの出口に向かって走る。ここはあまり人の気配がしないから急に怖くなって来た。

「おっとー」
「―――ッ」

もうすぐビルの出口だ。そう思って外へ飛び出したのと同時に人とぶつかってしまった。慌てて顔を上げると、随分とガタイのいい男が目の前に立って私を見下ろしている。

「す、すみません…」
「あれー?オマエ…」

男は身を屈めて私の顔をジロジロ見て来る。思わず怖くて後ずさってしまった。男が特攻服を着ていたからだ。

「何だよ…おびき出せてねーじゃん」
「…え…?」

男がそう呟いたのが聞こえて、何を言ってるんだろうと思った時、男の背後からゾロゾロと数人の男達が歩いて来た。全員が同じ特攻服を着ている。

「アツシ~何やってんのぉー」
「おう。この女、例のヤツだろ?なーんか帰ろうとしてっからさー」
「んじゃー連れ戻そっかー。強制的に」
「だな」
「…な…や、放して!」

アツシと呼ばれた男が私の腕を掴み、再びビルの中へ入って行くのを見て、ゾっとした。何が何だか分からないまま、ただ逃げなきゃと思う。でも男の力が強くて腕を振り払うことすら出来ない。

「暴れんなって!殴られてーの?」
「……っ」

拳を振り上げたのを見て、私は怖くて体が固まってしまった。後ろからもさっきの男達がついて来ている。この男を振り払えたとしても逃げ道は塞がれているも同然だった。

(何なの、この人達…何で私のこと知ってるの…?)

アツシという男は明らかに私のことを知っている感じだった。でも特攻服を着ているような知り合いなんて、私にはいない。その時、ふとリコから聞いた話を思い出す。蘭ちゃんがモメているというチーム。その名前は――狂極。

「ア、アナタ達…狂極…」

男達の特攻服にその名前が刺繍されていたのを見て、今度こそ背筋に冷たいものが走った。

「おー?よく分かってんじゃん。灰谷に教育されてんだなー」
「…な…何でこんなこと…」
「いいから大人しくついてこい。オマエは人質なんだからよー」
「ひ…人質…?」

アツシという男はニヤニヤしながら私を見下ろすと、再び五階にある例のダーツバーに入って行った。

「おい、サキ―!人質が逃げてんじゃねーか」
「あーアツシ、ごめーん。だって帰るって走って行っちゃったからさぁ」
「サ、サキ…さん…?」

店内にはサキさんがいて、アツシという男と親しげに話している。ふたりの会話を聞いた時、私は初めてハメられたのだと分かった。

「あーらら。結局捕まっちゃったみたいだね~ちゃん」
「サキさん…何で…」
「何でって頼まれたからよ。私はアツシの彼女なの。夕べは灰谷兄弟の偵察でジンってヤツにわざと近づいただけ」
「……な…偵察って…」
「灰谷兄弟の弱みになるもの探し?でもまさか彼女連れて来るとは思わないじゃん。灰谷蘭って特定の女はいないって話だったしさあ。で、遊びか本気か、アンタが本当に灰谷蘭の弱みになる女かどーか確かめてたの」

サキさんはそう言って笑っている。その話を聞いて唖然とした。夕べのことは全て演技だったようだ。

「まあ意外だったけど灰谷蘭はアンタのこと大事にしてそうに見えたからさぁ。連絡先を聞いて今日呼び出したってわけ。灰谷と会わせないよう、向こうも狂極の名で呼び出してるし」
「え…?じゃあ…」

蘭ちゃんの用事は多分それだと思った。敵対しているチームから呼び出されたら蘭ちゃんは絶対に行くはずだ。

「今日、オレらんチームの総長と副総長が灰谷兄弟をボコす計画なんだよ。で…オマエが必要ってわけ」
「な…やめて!そんなの卑怯だよ!」

コイツらの考えてることが分かり、怖いというより腹が立った。こんな汚いことをしなければ、あの二人に勝てないと言っているようなものだ。

「ぶははは!卑怯?抗争なんだぞ?卑怯も何もねえだろっつーの」

男達は楽しげに笑っている。コイツらには何を言っても無駄かもしれない。でも――。

「ぜってー灰谷兄弟にこの六本木は渡さねえ。いいからオマエはカタがつくまでここにいろ。大人しくしないと…」
「な、何よ…」

店内の奥へ押しやられ、私は震える足で後ろへ下がった。男達全員の目が私に向けられる。その恐怖はとても言葉で言い表せない。手がじっとりと汗ばんできた。

「…よく見りゃ可愛い顔してんじゃん。純情そうでいいなぁ」
「へへ…灰谷ってこーいう女がタイプなわけ?意外過ぎて笑うわ」
「こ、来ないでよ…っ」

五人いるうちの男三人がジリジリと私の方へ歩いて来る。サキさんは「趣味わるー」と言いながら笑っていて、助けてくれる気はないんだと思うと悲しくなって来た。

「怯えてる顔もそそられるなぁー」
「さ、触らないでっ」

頬に手を伸ばしてこようとする男を睨みつける。完全にヤバい空気になっているのは私でも分かった。経験はなくても男達が何をしようとしているのか、肌で感じる。

「いいじゃん。そんな純情そうな顔してっけど、どうせ灰谷とヤりまくってんだろ?」
「……やっ!」
「ってぇっ」

腕を掴まれ、思わず男の足を蹴とばすと、スネに当たったのか一人が蹲った。もう一人の男がそれを見て「テメエ、何してんだっ」と掴みかかって来る。私は必死で両手を振り回して抵抗した。その時――。

「やめろ!」
「…何だよ、アツシ」

アツシという男が他の男達を制止した。

「まだ手は出すな。総長と副総長が灰谷兄弟に女を拉致ったことを伝えるまではな」
「マジでー?」

その会話を聞いてゾっとした。コイツらは本気で私を人質にしてまで蘭ちゃんと竜胆くんを倒す気でいる。こんなことで足手まといになりたくはないと思った。

(でも私の力じゃここから逃げ出せない…)

店の奥から出口まで五人の男がいる。強行突破は不可能だ。

(どうしよう…どうしたら――蘭ちゃん…!)

この時の私は、これから自分の身に起こることより、蘭ちゃんに何かされたら、という恐怖で頭がいっぱいだった。