これは遠い日の面影を忘れた罰-10


1.

薄暗い店内にいると時間の感覚が分からなくなった。私がここへ来てからどれくらいの時間が過ぎたんだろう。男達は店の中に残っていた酒を飲みながら騒いでいる。総長と副総長にかかれば灰谷兄弟なんて瞬殺だぜ、と吠えているのは典型的な下っ端の台詞だった。サキさんも男達と一緒になって酒を飲み、「見た感じ細っこいし噂ほど強そうには見えなかったわー。まあ確かに顔はイケてたけど」と楽しげに笑っていて、彼氏だという男が「はあ?オマエ、そりゃ浮気とみなすぞ」と彼女の頭を小突いたりしている。

「うそ、うそ~!私にはアツシが一番だもん」

酔っているのか舌ったらずな口調で彼氏に甘えている姿は、私からすると反吐が出る光景だ。なのに自分ではどうすることも出来ない。逃げることも、蘭ちゃんに連絡することも不可能だ。完全に積んでいる。
その時、男の一人がケータイを取り出し「そろそろ終わってんじゃねえ?」と言い出した。

「ああ、もう一時間は過ぎたか」
「にしては連絡来ねえなァ」

男達が口々に言っているのを見て、「こっちからかけてみっか」とアツシという男が自分のケータイを取り出した。

「おう、オレだ。そっちどうなった?灰谷のヤツ、ボコボコか?」

心底楽しそうな顔でアツシという男は尋ねている。ボコボコ、という言葉に背筋がヒヤリとした。蘭ちゃんが心配で心臓が痛い。もし私のせいで蘭ちゃんが手も出せないままやられてしまったなら、私は自分のことを一生許せない。よく知りもしない相手から遊ぼうと誘われてノコノコきたあげく人質にされるなんて大馬鹿すぎる。でも次の瞬間、アツシという男の表情が強張った。

「あ?どういう意味だよ、それ…逃げろって何で――」

ケータイの通話口からは相手が何やら騒いでいる声が漏れ聞こえて来た。後ろで酒を飲んでいた男達にも伝わったのか、互いに顔を見合わせながらも訝しげに電話中のアツシという男へ視線を向ける。
――その時だった。勢いよく店のドアが開き、何かが吹っ飛んで来た。それは壁に激突し、近くに積んであったビールケースの上に落ちたことでガラガラと派手な音を立てている。サキさんや男達全員が呆気に取られた顔で吹っ飛んで来たものへ目を向ける。それは特攻服を着た男だった。白目を剥いて意識を失っているように見える。私も驚いて思考が一瞬停止した。

「…は?ケンジ?!」

アツシという男が倒れている男に駆け寄ろうとした、その時。店内にふらりと誰かが入って来るのが見えた。

「オマエ~?さらったっていうバカは」
「……は…灰谷っ?」
「あ~あ~。バカだね~オマエら、兄貴を本気で怒らすとか」

そこにいるのは間違いなく蘭ちゃんで、後ろから竜胆くんまでが姿を見せた。その現実に驚きすぎて、口が思い切り開いてしまった。

、無事か?」
「……あ…う、うん…」
「もう少し待ってろ。今コイツら全員、ぶっ殺すから」

いつものテンションと変わらない顔で蘭ちゃんが言った瞬間、男達の方が「舐めんな!」と叫びながら蘭ちゃんに殴りかかっていくのを、私は唖然としながら見ていた。蘭ちゃんは最初の一人をビールケースで殴りつけ、竜胆くんはもう一人の腕を掴んで逆方向へ曲げる。店内にゴキッという鈍い音が響いて、男が悲鳴を上げた。ふたりは残りの男達の攻撃をいとも簡単に避けながら、確実に自分の攻撃を食らわしていく。気づけば五人もいた男達は一分もしないうちに全員が床で気絶していた。

「うそ…」

ふたりがケンカをしているところは初めて見たけど、信じられないくらいに強い。年齢も体格も、アイツらの方が上回っていたのに、まさかふたりだけで倒すなんてありえない。ケンヤがビビるわけだと思わず納得してしまった。

「ちょ、来ないでよ!」

その声にハッと我に返ると、蘭ちゃんがサキさんに詰め寄っているのが見えた。

「テメェだったんか。おびき出したの」
「わ、私はただ頼まれただけで――きゃぁっ」
「頼まれたら何でもすんのかよ、テメェは」

蘭ちゃんはサキさんの髪を掴んで壁にその体を押しあてている。私はフラつく足で立ち上がると「やめて、蘭ちゃん」と言っていた。別にサキさんの為じゃない。彼女には腹が立っている。けどそれ以上に、蘭ちゃんには女の子を殴って欲しくなかった。

「もういいよ、蘭ちゃん…」

蘭ちゃんは気が立っているみたいだ。怖い顔でサキさんを睨みつけている。でも竜胆くんが「兄貴…」と声をかけると、蘭ちゃんはサキさんの髪から手を放して、ふと私の方へ歩いて来た。

「蘭ちゃん…ごめん――」

愚かにも騙されたことを謝ろうと思った。なのに蘭ちゃんの腕が伸びて強く抱きしめられた瞬間、涙が溢れて来る。

「何もされなかったか…?」
「…ん…大丈夫…」
「そっか…良かった…」

蘭ちゃんはポツリと呟いて深い息を吐いた。それくらい心配かけてしまったんだと思うと、自分が情けない。でもまさかここへ助けに来てくれるとは思ってもいなかった。

「ら…蘭ちゃんこそ…大丈夫だったの…?狂極のトップふたりと戦ったんでしょ…?」
「あんな雑魚…瞬殺だったっつーの」

僅かに身体を離した蘭ちゃんは、私の鼻を軽くつまんだ。でも蘭ちゃんの顔を間近で見た瞬間、ドキっとした。顔に赤いものが付着していたからだ。

「蘭ちゃん、ケガしたの?血が――」
「え?あ~これオレんじゃねえし…」
「え…」
「コイツら、副総長のヤツに言われてオマエをさらったみてえでさ。だからソイツ、ボコボコにしてやった」
「…ボ、ボコボコって…」
「ま…オマエは心配すんな」

私の頭へポンと手を置いた蘭ちゃんは、かすかに笑みを浮かべながら言った。

「ほら、帰んぞ」
「うん…」

手を差し出されて繋ごうとした時、蘭ちゃんの拳が真っ赤な血で汚れていてドキっとした。相手の血と、蘭ちゃんの血。殴る方も痛いって聞いたことがある。自分の拳をここまで傷つけて私を助けに来てくれたんだと思うと胸がいっぱいになった。

「まー無事で何よりだわ」

竜胆くんも苦笑交じりで言いながら「つーかこれで六本木はオレ達のもんだなー」と笑っている。
この日、関東最大と言われていたチームのトップふたりをアッサリ倒したらしい蘭ちゃんと竜胆くんは、次の日から"カリスマ"と呼ばれるようになっていた。





2.


「いや、やっぱマジすげえよ、あのふたり!あの狂極の総長と副総長、病院送りにするなんて、マジリスペクトだわっ!かっけーなー!そう思うだろ?オマエも!」
「………」

次の日、学校に行ったらやたらとテンションの高いケンヤが教室にやって来た。普段は蘭ちゃんに気を遣って私のことを避けているクセに、この日ばかりはジっとしていられなかったらしい。少なくとも私は拉致監禁された被害者だというのに呑気な幼馴染だ。

「オレ夕べはコーフンして寝れなかったわ。オマエが一枚かんでるって聞いて、マジで驚いたし」
「人聞き悪いこと言わないでよ…。私は被害者なんだから」
「でもオマエを人質に盗られて蘭さんブチ切れしたらしいじゃん。オマエの拉致計画した副総長、瀕死の重体だって話だぜ」
「…え…そんなにひどいの、ケガ…」
「ひでえなんてもんじゃねえよ。副総長はホントなら竜胆くんの相手だったのに、蘭さん総長を瞬殺して、竜胆くんのケンカに乱入したみたいだぞ?顔面ボッコボコに殴りまくって相手の顔が陥没したって話だし」
「か…陥没…って」

まさかそんな酷いことになっているとは思わなくて血の気が引いた。助けてもらえたのは嬉しいけど、そこまで大怪我をさせてしまったなら少なからず警察が動くはずだ。足元からじわりと嫌なものが這い上がって来るような気分だった。

「し…死なないよね…?その人…」
「さあなー。でもそもそもソイツが悪いだろ。男同士のケンカに女さらって監禁。オマエ人質にして蘭さんを脅したんだし自業自得じゃね?」
「で、でも死んじゃったら蘭ちゃん、捕まっちゃうんじゃ…」
「まあ…それはやべえけど…蘭さん、夕べはどんな様子だった?オマエ、送ってもらったんだろ?」
「うん…でも送ってくれた後でジンさん達と後始末に行くって言って…どっかに行っちゃって。今日はまだ連絡もないの」
「あ~。まあデカいチームの頭をやったから、残党とかの始末もあんだろ。ま、そのうち落ち着くって」

ケンヤは呑気に言いながら自分の教室に戻って行った。でも私はケンヤほど素直には喜べない。有名になればなっただけ、また同じような連中に目を付けられてケンカするはめになるんじゃないかと思うと、やっぱり心配になってしまう。蘭ちゃんと出会う前は不良の世界に少し憧れたりしたこともあったけど、あんな目に合うと改めて怖い世界なんだなと思い知らされた。

「蘭ちゃん、どこ行ったんだろ…」

鳴らないケータイを見つめながら、情けないほど蘭ちゃんが恋しくなった。