これは遠い日の面影を忘れた罰-14


1.

夢なら覚めないで欲しい――。
そう思うくらいの幸せの後に"夢なら覚めて欲しい"。そんな真逆の気持ちになるなんて、思いもしなかった。

恋愛初心者だった私が幼馴染の蘭ちゃんと再会して、それまでの世界が180度一変した。私の心が追いつく前に、蘭ちゃんは中に深く入り込んで捕らえて、私を離さない。気づけばそんな存在になっていた。全てをあげたこと、後悔はしていない。

「…おはよ」

目を開けたら目の前に蘭ちゃんの綺麗な顔がドアップで見えて、一瞬夢かと思った。

「お…おはよ…」

蘭ちゃんはこつんとオデコをくっつけて、優しい笑みを浮かべながら私を見つめるから、じわりと頬が熱くなってしまった。三つ編みを解いた蘭ちゃんの綺麗な髪がサラサラと垂れて来て、太陽の光を遮る。寝起きに蘭ちゃんの綺麗すぎる顔を見るのは心臓に悪いかもしれない。

「体…大丈夫?」
「え…?」
「どっか痛いとことか、ない?」

蘭ちゃんに意識が集中していたせいで何も感じなかったのに、そう訊かれた瞬間、足だったり、下腹部だったり、多少の違和感を覚えた。

「あ…えと…す、少し…ジクジクする…かな」
「…マジか。悪い…最初から飛ばし過ぎたな、オレ」
「だ、大丈夫だから…そこまで痛くないし…っ」

申し訳なさそうな顔をするから慌てて首を振った。それに本当にそこまで酷い痛みじゃない。ヒリヒリ感もあるけど多少違和感があるな…くらいのものだ。それも全て蘭ちゃんが優しく丁寧に進めてくれたおかげだと思う。ふと窓の方へ視線を向けると、カーテンの隙間から薄っすら日が差し込んでいる。そのまま壁時計に目を向ければ、朝の6時半すぎ。そろそろ起きて学校に行く準備をしなくちゃいけない。なんてそんなことを思っていると、蘭ちゃんの唇が降りて来た。

「…ん…」

やんわりと唇を塞がれて鼓動が跳ねる。もう起きなくちゃと思うのに、蘭ちゃんに触れられると学校なんてどうでも良くなってしまいそうだ。

「オマエ、学校だろ」

頬にもちゅっと口付けながら蘭ちゃんが言った。うん、とは応えたものの、まだ離れたくないと思う私がいる。なのに蘭ちゃんはあっさり離れていった。

「…オレも一度家に帰るわ」
「そっか…」

私に背中を向けながら服を着だした蘭ちゃんを見ていると、無性に寂しくなった。何だろう。私もちょっと飛ばし気味かもしれない。蘭ちゃんの背中に縋りついて「帰らないで」なんて大人の女性がいうみたいな台詞を言いたくなった。言えないけど。そんな慌てて帰り支度しなくてもいいのに――。

「…どした?」

服を着た蘭ちゃんは下ろしてた髪を一つ縛りにしながら振り向いて、私の顔を覗き込んで来るから僅かに心臓が跳ねてしまった。

「何だよ、そんな顔して」
「何でもない」

ぷいっと顔を反らすと、蘭ちゃんは私の顔の横に手を置いた。ドキっとして視線を上に戻すと、少しばかり不機嫌そうに目を細めている。

「嘘つけ。女が何でもないって言う時はだいたい何でもなくねーんだよ。オレの統計上」
「………」

そんなの分かるくらい女の子に「何でもない」と言われて来たの?と思わず訊いてしまいそうになった。絶対ウザいと思われるから何とか踏みとどまったけど、やっぱり私はかなり嫉妬深い女かもしれない。今更ながらに蘭ちゃんが関わって来た女の子達に嫉妬するなんてバカみたいだ。

「何か思うことあんなら言えよ。言わなきゃわかんねえだろ?」

蘭ちゃんの綺麗な指が私の前髪に優しく触れて、そっと梳いていく。露わになったオデコに軽く唇を押し付けられると、そこにもかすかな熱を持った。

「ごめん…ただ…帰っちゃうのが寂しかっただけ…」

綺麗なバイオレットの虹彩に見つめられると、おかしなくらい素直になれる。私ってこんなキャラだったっけって驚くくらい、可愛い台詞が口から零れ落ちた。蘭ちゃんは少し驚いたような表情をした。でもすぐ口元が緩むのを見て、ホっとする。

「バーカ。オレだって帰りたくねえよ」
「…うそ。すぐ帰ろうとしたクセに…。あ、蘭ちゃんはエッチしたらサッサと背中向けるタイプ…」

と言いかけて口をつぐんだ。そんな男じゃないって夕べ蘭ちゃんが証明してくれたのを思い出したからだ。終わった後も蘭ちゃんは凄く優しかったし、何なら以前よりも優しくなった気がする。抱きしめながら寝てくれたし、一度も私に背中を向けたりしなかった。
蘭ちゃんは私の戯言を聞いてキョトンとした顔をしてたけど、急に困り顔になって苦笑を零した。

「アホか…これ以上とベッドに寝てたら、また変な気を起こしそうだから帰んの」
「…え」

まさかの答えが返って来たから一気に顔が熱くなった。

「思春期の男の性欲舐めんなよ?も一日中、オレに襲われたくねえだろ?」
「…いっ一日中って…」
「ヤろうと思えば夜までヤれる気しかしねぇ」
「…そ……んなに…?」

真顔で言い切られて目が点になる。蘭ちゃんはそんな私の顔を見下ろしながら盛大に吹き出した。

「だから帰ろうと思ったんだよ。、体ツラそうだし、間違えて襲わねえように」
「え…あ…」

どうやら私の体を気遣ってくれたらしい。確かにジクジクするとは言ったけど、蘭ちゃんが心配してくれるなんて思わなくて頬が赤くなってしまった。

「それに学校あんまサボれないって言ってたろ。だからも早く起きて準備しろよ」
「う…うん…分かった」

頬に添えられた蘭ちゃんの手の温もりにホっとしながら、その手に自分の手を重ねる。ケンカをした後だから拳が赤くなっていて痛々しい。出来れば蘭ちゃんの綺麗な手が傷つかないように、もうケンカなんてして欲しくないと思った。

「学校終わったら電話して。迎えに行く」

蘭ちゃんはそう言い残して、見送らなくていいと言って一人で部屋を出て行った。さっきまであった温もりがなくなって急に寂しくなったけど、でも学校が終わったらまた会える。気持ちを奮い立たせて、私は準備をするのに勢いをつけてベッドから抜け出した。軽くシャワーを浴びながら、鏡に映った自分の体を見下ろしても特に変わった感じはしない。でも確実に昨日の自分とは違う。胸元や首筋に残っている赤い痣のような跡が、蘭ちゃんの存在を感じさせるから少しドキドキしてしまった。
好きな人に抱かれた。その事実は私を少しだけ大人にして、たくさんの幸せを与えてくれた。

「蘭ちゃん…大好き…」

これが夢なら覚めないで欲しい――。指で赤い痣をなぞりながら、ふと思った。






2.

「ちょっと、なーに変な歩き方してんの」
「いたっ」

授業も終わってサッサと帰ろうと思っていたところに後ろからバシッと背中を叩かれ、前のめりになりながら振り向けば、後ろにはリコがニヤニヤしながら立っていた。

「もぉー痛いじゃない」
「ごめんごめん。何か見たことあるような歩き方してる女がいるなーと思ったらだったからさあ」

リコは言いながらも私の肩に腕を回して、顔をぐいっと近づけて来た。

「遂に…ヤったでしょ」
「……っ」

ドストレートに言い切られ、嘘の苦手な私は思い切り顔に出てしまったらしい。「わかりやす!」と笑われてしまった。

「そこまで真っ赤にならなくても」
「そ、そーいうことは気づいてもいちいち言わなくていいと思う」
「はあ?私の時は根掘り葉掘り聞いて来たの、どこの誰だっけ」
「う…そーでした…」

リコが今の彼氏と初体験を済ませた時、確かに変な歩き方を指摘したのも、興味津々でアレコレ聞いたのも私だ。でもあの時はまさか数か月後に自分も初エッチを経験することになるとは全く思っていなかったのだから仕方ない。

「で…どーだった?」
「…やっぱ聞く?それ」
「当たり前じゃん!もちろん灰谷蘭とでしょ?」
「う…うん、まあ…」
「えーどうだった?やっぱ上手かった?」
「えっ?なななにがっ」
「まーたまたトボケちゃって。エッチに決まってるじゃん。灰谷蘭って結構遊んでるって話だし、やっぱめちゃくちゃ上手いんじゃないの?」
「ししし知らないっ。う、上手いとか下手とか、まだ分かんないし!」

グイグイ来るリコに辟易しながら足早に玄関へ向かう。でもそこで諦めるリコじゃなかった。わざわざ追いかけて来るんだから嫌になる。

「まあ、そうかもしれないけど、すんごく痛かったとか、凄く優しかったとか、そーいうのは分かるでしょ」
「そ、それは……まあ……や…優しかったよ、凄く」
「マジで?え、灰谷蘭ってそんな感じなんだ。意外~!」
「い、意外って失礼…蘭ちゃんは優しいもん」

リコの言いぐさにちょっとだけムッとして言い返すと、彼女はますます楽しそうに笑った。

「うわ、惚気られてる?私」
「リコだっていつも彼氏のこと惚気てたじゃん」
「まあそうだけどさー。いやーでもあのがね~。何か感慨深いわー」
「それ意味分かって使ってる?」

思わず吹き出すと、当たり前じゃんとリコも笑う。その時、後ろから「!」と呼ばれた。振り返るとケンヤが慌てたように走って来るのが見えた。

「げ、ケンヤ…リコ、今の話、アイツには内緒ね?」
「分かってるって。じゃあ私、デートあるから帰るね」
「うん。バイバイ」

リコが靴を履き替えて帰って行くのを見送りながら、ちょうど走り込んで来たケンヤの方に振り向いた。

「何よ。そんなに慌てちゃって」
「……」

出来れば早く蘭ちゃんに電話したかった。迎えに来てくれるって言ってたし、私も早く会いたかった。なのに――ケンヤの青ざめた顔を見た瞬間、嫌な予感がして胸の奥がざわざわと波立つ。

「蘭くんが…」
「……な、何――」
「逮捕された」

ケンヤの声が、随分と遠くから聞こえた気がした。