これは遠い日の面影を忘れた罰-15


1.

蘭ちゃんが逮捕された。ケンヤから聞かされた話はどこか現実味がなく、冗談って言って笑ってくれるのを、私は待っていたのかもしれない。

「よ、大丈夫か…?」

学校帰り、ケンヤは私をジンさんのところへ連れて行った。ケンヤに蘭ちゃんの逮捕を知らせてくれたのはジンさんだったらしい。ジンさんは六本木にあるカフェで私とケンヤを待っていた。

「って大丈夫そうじゃねえな」

放心状態の私を見て、ジンさんは苦笑を漏らすと、「何飲む?」と訊いて来た。でも泣きそうになるのを必死に堪えているから言葉が出てこない。それを見かねたケンヤが「ココアでいーよな」と訊いて来た。何でこの暑いのにココアなのって思ったけど、昔から私が落ち込んだ時、ココアを飲むと気分が落ち着くのをケンヤは知っているからかもしれない。黙って頷くと、ジンさんが店員に注文をしてくれている。その間も、私は震える手を握り締めることしか出来ない。蘭ちゃんに会いたかった。会って本人の口からちゃんと話を聞きたかった。

「さて、と。どこから話せばいいかな」

ジンさんは煙草に火をつけると、煙を燻らしながら天井を仰いだ。

「この前の抗争…結果どうなったかは…聞いてるよな」
「…はい」

狂極というチームと蘭ちゃんや竜胆くんがモメていたのも知っているし、相手の総長と副総長を病院送りにしたのもケンヤから聞いている。

「まあ…本来ならタイマンで勝負をつけるはずだった。でも…相手チームの副総長が汚い手を使ったのはちゃんも当事者だから知ってると思う」
「はい…」
「蘭があそこまでブチ切れたとこ見たのはオレも初めてだった。多分、竜胆も驚いてたと思う。自分のタイマンに蘭が割り込んで来たのはな」
「……」
「で…結果、顔面が陥没するくらいボコられて入院してたその副総長が…今朝死んだらしい」
「―――ッ」

ひゅっと小さな音がするくらい、息を吸い込んだ。全身の血が一気に凍り付いたかのように寒気が走る。ジンさんの言葉は聞こえてるのに、頭の中はどこかぼんやりとしていて、一つ一つの言葉が脳内で全てバラバラになっていく感覚だった。

「病院送りにしたことで当然、警察が動いてた。でも当初はチーム引き連れて来ていた総長と副総長、逆に蘭たちはたった二人。そういうこともあって決闘罪と障害でパクられても蘭たちは書類送検だけで済むかもしれないって話してたんだ。年齢も考慮されてな。でも…相手が死んだとなれば話は別だ。少年院行きは免れない」
「……少年…院…?」

名前だけはもちろん知っている。だけど、こんなに現実味を持って聞いたのは初めてだ。手の震えがいっそう強くなった。

「大丈夫か?…」

隣のケンヤが心配そうな顔で私を見ている。でも応えることが出来ない。息が、出来ない。蘭ちゃんに会えなくなるという事実だけが、頭の中をぐるぐると回っていた。

「それで…蘭くんと竜胆くんはもう…?」

ケンヤが小声でジンさんに尋ねた。

「ああ…さっきオレも二人と一緒にいたんだ。さっきの話を二人としてたんだけど…そこへ警察が来た。逮捕状持ってな。その時に聞いた。狂極の副総長が死んだこと」
「で…蘭くん達は…」
「まあ二人もパクられんのは覚悟してたけど…相手が死んだと聞いた時は諦めたように笑ってたな」
「わ、笑ってた…」
「ま、灰谷兄弟らしいだろ?」

ジンさんは苦笑気味に言って肩を竦めた。でも私は笑えない。蘭ちゃんを人殺しにしてしまったのは――私だ。

「おい、…ホント大丈夫か?オマエ…顔色わりぃ――」
「私の…せいだよ…」
「は?」
「蘭ちゃんがその人を必要以上に殴ったのは…私のせいでしょ?私がさらわれたりなんかしたから――!」
「バカか!悪いのはアイツらだ。たった二人にビビって無関係の、しかも女さらったんだぞ。蘭くんじゃなくてもブチ切れるっつーの!」

ケンヤが珍しく本気で怒っている。私はどうしたらいいのか分からなくなった。警察に行って事情を話しても無駄なんだろうか。少しでも蘭ちゃん達の罪が軽くなるようにするにはどうしたら――。そこまで考えて打ち消した。人ひとり死んでいるんだ。これはただのケンカじゃない。

ちゃん…」

ジンさんに呼ばれ、ふと顔を上げる。

「少年院に入ったら二年は出てこれねえ」
「二年…」
「今回はタイマン中に起きたことだし、二人の罪状は傷害致死になる。蘭は13歳、竜胆は12歳だ。年齢も考えて多分それくらいだと思う。オマエは…どうする?」
「どう…するって…」

何を訊かれているのか分からず、戸惑っていると、ジンさんは少しばかり身を乗り出して、私を見つめた。

「ぶっちゃけ…オレはアイツら二人が年少に入ることになってもハクがついたくらいにしか思わねえ。実際、この界隈じゃすでに狂極潰した"灰谷兄弟"はカリスマ扱いだ。年少から退院して来たら二人の環境は今よりもっと悪い方へ変わるはずだ」
「悪い…方…?」
「この六本木は灰谷兄弟が仕切ることになる。そうなればこの辺の不良どもが二人につくだろうし、まともな学生とやらには戻れないだろうな。まあ今でもまともじゃなかったけど」

ジンさんは苦笑しながら、「でもオマエは違うだろ」と言った。

「わた…し…」
「蘭と竜胆には前科がつく。人を殺したっていう最悪の前科だ。それでもは蘭と一緒にいれるのか?」

ジンさんの顔は真剣だった。だから私も真剣に考えた。答えなんて、最初から一つしかない。

「私は…蘭ちゃんと一緒にいたい…。前科なんて関係ない」

真っすぐジンさんを見つめながら応えると、「そ?」と言って彼は笑った。

「んじゃー待っててやれよ。アイツ、のこと一番心配してたし」
「え、心配って…」
「パクられたらさすがにフラれるかもってな」
「そんなこと――!」
「分かってるよ。ま…ショックだろうし、しばらく会えないのはツラいだろうけど…年少は手紙くらいならやり取りできるし、昭和カップルみたいに文通でもしたらいいんじゃねーの?」
「ぶ…文通…」

聞きなれないその響きが、これまでの緊迫した空気を少しだけ和ませてくれた。ジンさんが殊の外、普段と変わらない様子で話してくれたことも私の心を落ち着かせてくれた。人が死んでもこの世界じゃそれは自業自得と呼ばれるらしい。特に不良なりのルールを破ってしまった者は。
その後、ジンさんは他の仲間と色々話し合わないといけないことがあると言って帰って行った。ケンヤも私を家に送った後、ジンさんと合流すると言って戻って行った。

「蘭ちゃん…」

自分の部屋に入った瞬間、朝の状態のままのベッドが目に入った。こうして一人になると蘭ちゃんのことが心配で、やっぱり涙が溢れて止まらなくなった。今朝まであんなに傍にいたのに、今日から二年もの間、会えないんだと思うと心細くて死にそうだ。何も話せず、こんな突然会えなくなるなんて思ってもいなかった。蘭ちゃんは分かっていたのかな。もしかしたら、こうなる未来のことを。

「会いたいよ…蘭ちゃん…」

かすかに蘭ちゃんの香りが残るシーツに顔を埋めて泣いた。大好きだった蘭ちゃんの香水。この匂いに包まれていると凄くホっとする。今頃どこでどうしてるんだろう。警察署で取り調べを受けているんだろうか。想像するとキュっと心臓が縮まるような感覚に襲われた。
こんなことになるなら、再会したあの日からずっと蘭ちゃんの傍にいれば良かった。ううん、もっと早くに初恋の相手だって気づけば良かったんだ。そしたら、もっと早くに打ち解けて、時間を無駄にすることもなかった。
もっと素直に、蘭ちゃんと向き合えたのに――。




2.

その数日後、ケンヤから連絡が来た。ジンさんが言ってた通り、蘭ちゃんと竜胆くんは刑が確定して、少年院に送られたと。やっぱり改めて聞くとショックだったけど、でも二度と会えないわけじゃない。家族以外、面会には行けないみたいだから、私はジンさんに言われたように、蘭ちゃんに手紙を書いた。一般的に手紙は刑務官に検閲されるから、あまり事件の内容については書くなよ、というケンヤの忠告通り、事件には触れず、ただ自分の想いだけを綴った。私が蘭ちゃんに言いたいことは一つだけ。

"蘭ちゃんが出てくるまで、ずっと待ってる"

ただ、それだけだ。
そして手紙をポストに投函してから一か月後――蘭ちゃんから手紙が届いた。
一応、返信用の封筒と切手を入れておいたけど、まさか返事が来るなんて思わなくて、それを郵便受けの中に見つけた時はその場で飛び上がってしまった。心臓が久しぶりに嬉しさでドキドキして、バカみたいに手が震えて、そこで改めて自分がどれだけ蘭ちゃんのことが好きかを再認識させられた。

急いで家の中に入って自分の部屋に行くと、ハサミで綺麗に封を切った。封筒に大きく書かれた"様"の達筆な文字を見るだけで蘭ちゃんの存在を感じて、この封筒に蘭ちゃんも触れたんだなと思うだけで顔がニヤケてしまう。蘭ちゃんはなんて返事をくれたんだろう。早く読みたい反面、読むのが何となく怖い。心臓のドキドキが加速して、手はやっぱり震えていた。

「よし…」

心の準備をして、大きく息を吸ってから吐く。封筒を開いて、中にある便箋を取り出す時は更に手が震えたけど、意を決して手紙を開いた。そこには――。

「…え…?」

たった一枚の便箋に、たった一言の文章。

"オレのことはわすれろ"

素っ気ない無地の紙と同じくらい、素っ気ない言葉が書かれていた。